行動すれば道は拓ける

行動すれば道は拓ける

前回の記事では、『行動すれば道は拓ける』という
お話をしましたが覚えていますか?

 

実は、これ、私のモットーなんです。

 

『行動』すれば・・・『道』は拓ける。

 

何一つ行動すら起こさずに、解決できるものなどありません。

 

目的に一歩でも近づくために必要な具体的な行動。

 

これをとらなければ、いつまでたっても変わり映えのしない
日常を送っていくしか、選択肢は残されていません。

 

『具体的な行動』というのは、目的を達成するための『手段』になります。

 

何一つ手段を持ち合わせていないのに、
目的に到達できるはずなんか、ないですよね?

 

私の人生の目標は、サラリーマンとして成功し、温かな家庭を築くことです。

 

「つまらない目標だな〜」と思いますか?

 

しかし、私にとっては、これが人生の目標なんですよ。

 

もっと具体的にいうと、目標は父です。

 

父のような存在になりたい。

 

父は、十数年前に脳幹梗塞でこの世を去りました。

 

無遅刻無欠勤。絵に描いたような真面目なサラリーマン。
定年まであと数ヶ月という時期の急逝でした。

 

親元を離れ、東京で社会人生活を送っていた私は
予想だにしなかった訃報に接し、会社に3日間の休みをもらい
父のいる田舎の病院に駆けつけました。

 

ベッドには、変わり果てた父の姿がありました。

 

その傍らで、母は涙をこぼしながらもやさしい笑みを送りつつ、
組み合わせた父の両手の上に、自らの手を重ねていました。

 

「お父さん、ありがとう。ほんとうに今までありがとう」

 

母の笑みは、そのように語りかけているようでした。

 

引っ込み思案で、勉強も運動もできない私を、
「おまえはできる!オレの自慢の息子だ」と、
高校受験や大学受験、恋愛に失敗するたびに、
父は私を励ましてくれました。

 

その横で、母は何も言わず、ただ父と私のほうに、やさしく微笑んでいました。

 

そんなことが思い返されてくると・・・

 

私の目にも涙がとめどもなく溢れ出してきました。

 

私がいることに気づいた母は、頬にいく筋かの涙を伝わせながら、
私のほうを見て何も言わず、何度も頷きました。

 

心の中で「オヤジ、ありがとう」と叫びました。
と同時に、「母さん、ありがとう」と。

 

子供の私から見ても、本当に仲の良い夫婦でした。
私を温かく見守りながら、育ててくれました。

 

平凡なサラリーマン家庭で決して裕福でないにもかかわらず、
極度の緊張症で大学受験に2度も失敗した私を、励ましながら支えてくれました。

 

不器用だけど真面目一本の父は、亡くなる直前には
会社の役員にまで昇進していました。

 

家では余計な話など一切しない人でしたが、
「アイツはどうしてるかな?」と、いつも私のことを気にかけてくれていたようです。

 

だから、役員になったことすら、しばらく母も知らなかったようなのです。

 

会社でいろいろ嫌なことがあっても、家族には愚痴の一つもこぼさない、
母にとっても私にとっても、理想の存在でした。

 

社会人になってからは、理想の父が、尊敬の対象になると同時に、
“私の目標”になっていったのです。

 

その後も父を目標として真面目に会社勤めを続けていた私に、
生きることの目的を考えさせられる事件がありました。

 

私は今年36歳になりますが、未だに独身です。

 

それが亡き父と、母の心配の種であったことは間違いありません。

 

女性が嫌いなわけではありません。
緊張してしまって、声がかけられないのです。

 

そんな不器用であがり症の私にも、
いつも目を掛けてくれた上司がいました。

 

休日のある日、自宅に私を呼んでくれました。

 

どうやら上司は、ご自身の娘さんに、
私を引き合わせたいと考えているようでした。

 

薄々そのことに感づいていた私は、そうであるが故になおさら・・・

 

意識しすぎ、娘さんにロクに挨拶もできず、
目を見て話すことすら叶いませんでした。

 

そんな私に対して最初は優しく接してくれた彼女も、
さすがにだんだん機嫌を損ねていくのがわかりました。

 

その場を何とか取り繕うとする上司には、
なんともいえない申し訳ない、情けない気分を抱えつつ、
ご自宅をあとにした記憶が昨日の様に思い起こされます。

 

この一件を境に、私のあがり症はさらにエスカレートしていきます。

 

目を掛けてくれていた上司とも、その後の人事異動で
私が総務部から営業部に配属になったことで、直接仕事で
関わることが少なくなって、疎遠になり、

 

なんだか、だんだん・・・
社内でも孤立したような気分になっていきました。

 

営業部への異動は、神様が私に与えてくれた試練になりました。

 

大げさに思うかもしれませんが、事実そうだったのです。

 

だって、人前に出るとあがってしまって、
まともに話ができない営業マンなんて、聞いた事ありますか?

 

当然ながら営業成績は、部員の中で毎月最下位。

 

私の成績が悪いだけならまだしも、
提携企業との協業で、大手企業の仕事を受注するための
プレゼンに出向いたときなどは・・・

 

提携企業の優秀な営業マンですら、
フォローできなくなるほどの、私のみっともないありさま。

 

これで何度か、提携企業にも私の「あがり症」の
巻き添えをくらわせてしまっていたのです。

 

こんな私ですから、社内での評価は最低最悪になっていきました。
プライベートでも、いい年齢こいて、彼女の一人すら出来ない始末・・・・

 

こんなことでは、目標としてきた父に追いつくことなど絶対にできません!

 

そもそも、自分自身が生きている「目的」とは何なのか?

 

人前で話す機会を避けて通れたらラッキーだ、などど甘え続けている自分。

 

彼女は作りたいけれど、自分から声をかけることなど、
逆立ちしたって出来やしない、と思い込んでいる自分。

 

そんな私の脳裏を時折かすめる、仲の良い両親〜

 

苦しいときでもお互い支え合い、こんなどうしようもない私を
大学まで出してくれた両親の笑顔〜

 

そんな両親の姿に励まされて生きてきた自分。

 

そうだ!生きる「目的」とは、

 

人を勇気付け、

 

人に勇気付けられながら関わる、人との自分との間に、

 

良い関係性を築き、

 

豊かな心を育んでいくことではないのか?

 

そんな関係性を築いてきた自負があったからこそ、

 

豊かな心で

 

突発的な死を受け入れることができ、

 

まるで笑んでいるかのような

 

穏やかな表情でこの世を、

 

去っていったのではなかったか?オヤジは

 

甘すぎる!

 

私は甘すぎる。これではこの先、私の寿命があと何年あろうが、
生きていることにすら、ならないのではないか?

 

私を積極的な『行動』へと駆り立ててくれることになったキッカケ。

 

それは紛れもなく、目標としてきた泣き父と私とを重ね合わせ、

 

隔たるギャップの大きさに逃げようとせず、
直視していこうと思い至った瞬間でした。

 

それからというもの、『手段』を手当たりしだい捜し求めました。

 

最初は、近所の書店。

 

それから、都内の大きな書店。

 

あがり症を克服するためのノウハウ本を数十冊は買い込んだと思います。

 

読んだだけではまるで意味がない。

 

こんな私でもそれぐらいは理解していましたので、
本に書かれてあることは出来るだけ実践するように心がけました。

 

しかし・・・・どうも、今ひとつ「ピン!」と来ない。

 

そこで、思い切って、有名な話し方教室に通うことにしました。

 

数十万円の出費でしたが、
これで「手段」が手に入ると考えれば安いもの〜

 

このように自分に言い聞かせ、たまっていた有給休暇をとり、
一週間の通学プログラムに参加することにしたのです。

 

ところが・・・・

 

撃沈されました。

 

理由は、話し方教室のメイン講座でもあるスピーチ訓練。

 

「場慣れをすれば何とかなる!」という発想のもと、
スピーチ訓練は、どこの教室でも採用されているようなんですが・・・

 

そのうち、訓練そのものが苦痛となってしまい、挙句、
教室に通うこと自体が困難になってしまったのです。

 

あれだけ、人生を積極的にリセットしたい!と意気込んで行動を起こしたにもかかわらず、
話し方教室には、どうしても付いていけそうにない・・・

 

一時は、自分自身の決心が揺らぎだしました。

 

でも、『行動しなければ、道は拓けない』

 

この言葉を自らに言い聞かせて、私は“次の行動”へと、
歩みを止めることなく進む決意をしたのです。

 

結局、この行動が、私を変えてくれることになりました。

 

す〜っと、目の前に道が拓けていくのを感じた瞬間でした。

 

追伸

 

次回は、話し方教室ではなぜダメだったのか・・・
私の実体験をお話しします。

 

もしあなたが話し方教室に通うことを検討されているなら、
高額なだけに、次回の話に耳を傾けて頂いてからのほうが良いかもしれません。