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昨年の3・11以降、「原発反対」や「大飯原発再稼働反対」の声明を発表してきた日本ペンクラブ。同団体会長の浅田次郎さんに、原発、政治、福島の子ども、そして4月に訪れたチェルノブイリのことなど、じっくりお聞きしました。
――とにかく、まず伺わないといけないのは、関西電力大飯原発の再稼働決定の問題です。日本ペンクラブは6月18日に、浅田次郎会長、中村敦夫環境委員会委員長らの名前で、【野田首相の決断は、根拠のない「原発安全神話」を蒸し返し、政府・電力会社・関連業界と一部の専門家による隠微な「原子力ムラ」を生き延びさせ、「原子力マネー」漬けになった原発立地自治体の自治能力を腐食させることでしかない】として、決定撤回を求める声明を出されています。にもかかわらず、本当にごり押しで決めてしまいました。この件についてどういうふうにお考えでしょうか。
浅田 僕は、当たり前のことを言ったと思うし、いま全て止まっている原発の再稼働を認めないというのは、もう国民の総意に近いと思いますよ。それはいろんな意見はあろうとは思うけれども、今の段階で再稼働に踏み切るというのは、やっぱり民意を無視していると思う。いきなり「(電力が)足りません、動かします」が、まかり通るはずがない。いくら何だって、合理的説明も何もできていないんだから。納得できない。その納得できない理由は、ご存じのとおりです。
――人口80万の福井県の中の8000人が住んでいるおおい町、その中に町長が1人、町会議員が14人いて、彼らが同意して福井県知事も了解してくれたんだから、間接民主制にかなっているという押し切り方。これまで原発を54基つくってきた理屈もずっとそうだったんですね。特定の、小さな地域に莫大なお金を合法的にばらまいて。ところが、3・11の事故後、放射能はそんな××町とか××県にとどまらないで日本全体や世界にまで拡散されるということがわかった。それでも、まだ同じ手法を取っているんですが、日本人はそういう政権を結局は許しています。浅田さんが、月刊誌の『潮』(2011年9月号)に書かれた原稿の中に「私たちは日本という国に甘えていた部分があったのではないでしょうか」という記述がありましたが、その甘えがいまだに続いているような気がします。
浅田 僕は、日本人はそんなに馬鹿だとも思わないし、堕落したとも思っていないんですよ。われわれが考えている以上に、あるいは世界の人たちが考えている以上に、日本人はみんな物は考えていると思う。
さほど過激な反対運動が起こらないのは、みなさん理詰めで考えているからですよ。野田政権がこれだけ強引に再稼働を進めようとするんだったら、民意を問うて解散総選挙をするのが当たり前。ところが総選挙をしたとして、誰に入れるのかと考えた場合、相手はもっと悪い、あの原発のほとんどをつくった自民党なわけでしょう。総選挙といったって投票のしようがない。結果によっては原発は後退しなくなるし、反原発運動は、もっと押さえつけられる。誰でもそう考えているよ。
――浅田さんのその分析が正しければ、日本人は、今回のことについて1年以上たって無関心になったのではなくて、多くの人が理詰めで考えていると。
浅田 そう、考えている。僕は、だれも忘れていないと思う。ただしね、国民そのものが手詰まりなんですよ。国民が政治を変えていく方法というのは、今のところは選挙しかないわけだから、手詰まりなんですよ。野田さんもその辺を読んだうえでの、あの強行突破なんだと思うよ。
こういう原発の問題に対して、国民が選挙を求められない状態というのは、もう議会制度の危機だよね、これ自体が。しかも、民意を無視して政策を強行するというのは、これは民主主義の危機ですよ。それともう一つ問題なのは、今回知事たちが結局再稼働を容認したでしょう。
――関西広域連合(注)。
浅田 そう。知事が容認するのは、いろんな理由があると思うんだけど、知事が容認するんだったら議会は反対しなきゃダメだと思う。
――二元代表制なんだから。
浅田 ところが、今回、福井県の県議会は、「知事に一任」と言ったでしょう。その新聞記事を見て、びっくりしました。これも、地方議会制度の危機ですよ。本当なら知事へのリコール請求があってもいいぐらいの話でしょう。それを、みんなが容認するというのはありえないよね。とにかく、すべてが手詰まりなんだな。
――キーワードは、「手詰まり」ですか。
浅田 そう。われわれが無関心なわけじゃなく、馬鹿なわけでもない。
――打開の道筋さえあれば、国民は動く。
浅田 うん。
――イタリアでは1年前の6月12、13日に原発再稼働の是非を問う国民投票が行なわれました。反対派が原発再稼働を認める法律の廃止を求め、制度に則って50万筆以上の法定署名を集めて国民投票を実現させたわけですが、日本にはこうした制度がない。手詰まりというのはそういう意味も含めてですか。
浅田 確かに国民投票という制度が日本にあったとしたら、今、とても強力で有効な手段だと思います。こういうときにこそ有効です。選挙の意味がないときだもの。でも、ほとんどの政治家は国民投票に反対する。僕が嫌なのはね、伝統的に、日本の政治家が愚民思想を持っていること。自分たちが選良であって、国民は愚かであるというね。
でも、実際にはそんなものはあり得ない。その愚民思想というものがあったら、もう民主主義という制度は最初からないも等しいんだから。
――馬鹿が議員を選び、首長を選んでいると。
浅田 そうそう。だから、国民は愚民ではないという大前提があってこその民主主義なわけですよ。日本ほど教育制度が整っていて、みんなが自由に意見交換ができる国は、世界中にそうはないと思う。
――しかも、困難に遭っても暴徒化せずに耐えること、他人を思いやることを知っています。阪神・淡路大震災(95年)のときも、今回の3・11でもそうでした。
浅田 僕は、ナショナリストでも何でもないけれども、日本および日本人を誇りに思っている。僕たちはとても勤勉で優秀な民族だと思っているから、政治家が愚民思想を持っていると、やはり腹は立ちますよね。
――ただ、日本人は妙におとなしい。怒らない。これは何とかならないですかね。
浅田 これはね、結局、豊かさがもたらした副作用だと思うんですよ。
――と言いますと。
浅田 僕らが若かった時代も高度成長期で豊かだったけど、それでも格差は今よりもはるかにあったし、生活はまだまだ貧乏だった。だから、世の中に対する不満、自分の人生や生活に対する根本的な不満があって学生運動もかなり盛んだった。
だけど世の中はそれからずいぶん豊かになった。だから、今の人たちは、とりあえず自分の生活に対しては不満がないという人が多いと思う。しかし、この「とりあえず」、これが魔物なんです。「とりあえず今がよければいい」というこの「とりあえず」は、結局、エゴイズムなんです。自分一人の今の快楽を「とりあえず」と言って認めるわけですが、じゃあ、次の世代はどうなんだ、自分の子どもたちはどうなんだと考えたときに、「とりあえず」はあってはいけない。だから、今は一番、みんなでデモをやって、みんなで反対しなきゃいけないときなんだけど、あんがい静かですね。
――首相官邸前は別として、全国的に見るとね。
浅田 「反対する」と言っても、おいしいものを腹いっぱい食べながら反対してるから、これは気合いが入らないわけだよ。問題意識を持って、自分の声を上げて、自分の体で反対しようという意識が全体的になくなっていることは確かだね。
――日本人ってあんまり具体的な行動には出ないんですよね。それは原発の問題だけじゃなくて、基地問題でもそうだし、どんな問題でも。世論調査をしたら多数が反対。だけど、具体的には動かない。3・11で僕はそれが変わると思ったんですがダメでした。
浅田 そうだね、変わってない。ともかく、今のこの状態が議会制度と民主主義の危機であるという認識を持ってほしいんだ。そのくらい重大なところに立たされていると思うし、こういう強引な「再稼働決定」がまかり通るんだったら、これから先、どんな問題にもすべて援用できる。
「核を持ちましょう」「自衛隊をどこかに出しましょう」ということにも援用できるかもしれないわけだから、こんな強権政治があっちゃいけないですよ。総理がこうすると言ったらそうなっちゃうみたいなね。
だから、議会が紛糾しなきゃだめなんだけど、その紛糾する片方が原発をつくってきたやつらだから、目くそ鼻くそなんだよね。
――どうしようもないですね。
――日本ペンクラブは、毎年「平和の日」の集いを開催しています。平和憲法を、平和な国民生活を守っていこうということですが、浅田さんのお話を伺っていたら、3・11以降、本当の意味で国民主権や基本的人権の尊重を確立したり、平和主義を前面に押し出すチャンスだったのに、うまくできていませんね。
浅田 できていない。一番悪い方向に行ってる。みんな気がついているはずなんだけれども、原発の問題に対しては非常に根本的な問題があります。今、大飯の原発だけを稼働させれば、この夏が乗り切れるという話をして動かしたわけですね。ただの1ヵ所の原発で夏の最大電力をクリアできるというんだったら、どうして54基も原発があるのかという、その問題について議論しなきゃいけないと思う。
――だったら、ほかのところの原発はみんな要らないじゃないかと。
浅田 そう。この点を誰も国会で攻めてくれないんだよね。野田さんも、とりあえず1基あれば、ともかく日本の経済は大丈夫、回っていくんだからと。この1基に最大の努力を払うから、皆さん理解してくれというんだったら話は別。54基の原発で働いている全技術者の、おカネも時間も労力もそこに結集させて守るという話だったらまだわかる。
でも、そうじゃないんだよね。いっぱいつくって、いっぱい動かす。これはおかしいだろう。われわれの知らない原発の闇がここにあるんだよ。それは、皆さん大体わかっていると思うけど、この際、明らかにしたほうがいい。原発の問題だけじゃなくて、近代日本の犯してきた過ちの根源はそれだから。
――道理を装った銭金の…ですよね。
浅田 そう。何かに対して金をかけて集中していかなければ経済がもたないというね。それによって、経済を成長させていって大国になっていったという論理は、明治以来、全部同じ。
――歪んだ富国強兵になっている。
浅田 そうなんです。だから、これはここでみんなが考えなきゃいけない問題。
最初は大飯だけ、しかも夏限定と言っていたのが、すぐ違う話になっているじゃないですか。おまけに泊とか柏崎刈羽とか、2つ目、3つ目を動かそうという話になっている。なし崩しなんだよね。1つ穴があいたら、もうあとはなし崩しになることで、その既成事実に国民も追随してしまうという最悪の形です。
――日本人の悪いパターンに入っていくんですね。
浅田 日本人の国民性の非常にわかりやすい点は、既成事実に弱いということ。これは、もう決定的でしょう。僕は自衛隊出身ですけれども、自衛隊は、昔から憲法九条との齟齬で、みんなおかしい、と思っているわけだよ。でも、それが40年も50年も既成事実を積み重ねてくると、軍隊じゃなくて自衛隊という別のものに思えてくるわけ。もう帝国陸軍70年の歴史に迫っていて、既成事実がそのままになってるから。
既成事実に弱いというのは、伝統を重んじるという美徳の裏返しだな。もしかしたら徳川時代が260年も続いたことのツケかもしれない。でもね、やっぱり僕らはそこで知恵を絞らなければいけないよ。既成事実でも何でも、いいものと悪いものがある。善と悪をきちんと見る目を養わなきゃいけないし、それをきちんと実行しなければいけないと。儒教でいう五常の徳「仁義礼智信」の中に「智」という字がありますよね。孔子の規定した「智」とはどういうものかといったら、知識や知恵じゃないと。善と悪を判断する力、これが「智」ですよ。少しは小説家らしいことを言いましたが(笑)。
僕ら、漢字の字づらだけで判断するけれども、論語を読み解けば結論はそういうものであるから、僕たちは、その善と悪を判断する力を涵養しなければいけない。原発はおかしいって。(後篇につづきます)