2011-09-24

繰り返す憂鬱とは

テーマ:ブログ

えー、青い心を持ち続けている限り繰り返すものは憂鬱でしょうか。


それは、ミスターチルドレンさんで言う


「あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷付いていく」


という事なのかもしれないし、


清春さんの「憂鬱という名の夢」という曲になるのかもしれない。


他にもたくさんあるけれど、この「憂鬱という名の夢」という曲好きです。


歌詞が載せられないのでリンク先を貼っておきます。


「憂鬱という名の夢」→  歌詞リンク   youtubeリンク



瀧澤亮オフィシャルブログ

夢や愛を追いかければ、おそらく壁にぶつかり憂鬱が襲ってくるだろう。


人生はそれの繰り返しなのかもしれない。


次にまた憂鬱が襲って来た時も、いつもの事だと思えるように腕に死神のタトゥーを入れたのは18歳ぐらいの時。


この時は死神を憂鬱の象徴として捉えていました。


瀧澤亮オフィシャルブログ
いくつになっても憂鬱を繰り返せる青い心を持っている人。


周りから変わっていると思われるかもしれないけれど、


俺はそれでいいと思います。


なんだか人生ってやつを十二分に生きている気がします。

瀧澤亮オフィシャルブログ
そんな死神が、人の最後を守り抜くすごいカッコイイ愛のあるやつだと思えた最近はなんだかこのタトゥーにも運命を感じます。

普通の人はますます頭が(?)になってしまうと思いますが。


生まれるということが、愛をその手に掴むためだとしたら、憂鬱と戦うことでもあると思ってます。


じゃあ死ぬということは。


全く別のものだと思っていたけど最近は同じような事かと思いました。


死を包む愛情。それを手にすることは生まれた意味を果たし、また死にゆく意味も果たすのではないか。


死神とマリアが同一人物であるような、「生・愛」「死・憂鬱」この相反するものが本当は一つに繋がっているような。


考えてみるとそれは人の人生そのものだ。



とにかくこの死神という者が僕の哲学上のキーパーソンになっているという事でこの話は一旦終わりにして。


考えがまとまったら「死神のススメ」というブログを書きます。



こんな事考えても世の中は何も変わらないんですが、


B型だから勝手にこだわって考えてるんです。


それは「死への感慨」というやつで、最近その言葉を教えてもらいました。




今も青い心で「生」と戦う人を励ましたくて曲を書こうと思ったのですが、


たまたま先日僕の兄に子供が産まれて、産まれたというだけでも周りを明るくするそのパワーと奇跡に感動して、そして叔父さんとして自分も頑張らなくちゃいけないという気持ちも入り混じり新しい曲が出来ました。



あと今日は青空 の主人公の誕生日でもあり、「生」という事をますます意識しました。



瀧澤亮オフィシャルブログ


愛に包まれて


詩・曲 瀧澤亮


涙が出ない

どうして神様


叶えた夢の先に

憂鬱が居るなんて嘘だろ


僕が生まれ、君が生まれて

やがて空になる

その時まで包んであげるよ


いつか描いた景色の中に

君も入っておくれ

たくさんの「笑顔」に包まれよう



涙があふれた

どうして神様


信じた未来達が

間違っていない気がして


僕が生まれ、君が生まれて

それは奇跡だと

抱き合いたい両手を広げて


君が描いた景色の中に

誰も居ないなら

それでも良い、こっちへおいでよ


重ねた夢を

忘れてもいいよ


僕がいつか風になったら

君の元へ行きたい

その時には笑ってくれるかい?


いつか描いた景色の外は

無限に広がり

たくさんの「愛」に包まれてるだろう


「愛」に包まれてるだろう


「愛」に包まれて












P.S.


いつも行列で気になる近所のスープカレー屋、マジックスパイス。


瀧澤亮オフィシャルブログ

金曜日に行く銭湯


瀧澤亮オフィシャルブログ

意外と甘い匂いだったアタック


瀧澤亮オフィシャルブログ



恵比寿駅西口の恵比寿家ラーメン


瀧澤亮オフィシャルブログ

この横浜家系というのは、とんこつらーめんが流行りだした最初の味でしたっけ?


美味しい。





おかゆは今頃何してんだろなー。


瀧澤亮オフィシャルブログ

、、、、、、、。










Amebaおすすめキーワード

    アメーバID登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト