こんにちわ。
最近多少まめに更新しております♪
毎年恒例というかジストニアになる前から、私にとって1年で一番の「ピアノを続けるモチベーション」になっている、国際アマチュアピアノコンクール(日墺文化協会主催)に、今年も出ています。
例年、このシーズンに行われています。
本選が紀尾井ホール(大)なのですが、私にとってどの会場にも代え難い魅力をもったホールで、ここで弾きたいあまりに、毎年出ています。
昨年は、冬にジストニア発症で、まだこの時期は思いっきり手の調子が良くなかったので・・・・
5月頃までまったく「出れる見通し」すらなく、5月半ばころになって少し軽快してきたかな?という気がしてきたので、ダメ元で、しかもいつもより更に安全な選曲で(もともと私はかなり安全志向の選曲しかしませんけど・・・)臨んだところ、何故かそれでもファイナルまで通過してしまい、結局自身4度目となる紀尾井のステージを踏むことが出来ました。
今年は去年に比べたら随分マシな状態に戻っているので、もう最初から出るつもりで、1年かけて、どういう曲なら出来そうか考えて参りまして、そしていよいよ本番がやってきます。
先週第1次予選が杉並公会堂で行われていました。前年度ファイナリストは一次予選免除のため、私は聞く側にまわっておりましたが、結局自分が出るA部門の一次予選は全員聞いちゃった・・・
まあ、プロの音大生さんのコンクールだと自分が弾いたらチャッチャと帰るんでしょうけど、我々のアマチュアのコンクールはあっという間にあちこちでお友達の輪になってしまうので、何年か出てると、もうプログラムのそこらじゅう知り合いだらけで、結局全員聞くことになっちゃいまして、これがなんとも楽しいのです。
そしていよいよ今度の日曜日22日が第二次予選。私も弾いて来ます。
課題曲にバッハとかあるんですよー。(汗)
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さて、アマコンの一次予選のときの印象に残ったエピソードを1つ。
実は、エントリー者のなかに、この5月に手を故障したばかりの旧友がおりました。もう15年以上のつきあいになる長い友人です。
まだこれから鑑別診断中のはずなので何とも言えないのですが、もしかしたら局所性ジストニアなのかもしれないな、ということで、いろいろ相談を受けておりました。
ぜったいに無理をしないように、直前まで、無理だと思ったら棄権を、と話していました。
コンクールは、棄権しても誰にも迷惑はかかりません。
自分のお財布は(参加費ムダになるから)痛むけど、ただそれだけです。
だから、弾きたい気持ちに引きずられて無理をしてはいけません。
とくに、彼女の場合は、私の去年の状態(発症2月→アマコン7月で、間が5ヶ月空いている)に比べて、発症からの期間が短い。モロにまだ急性期です。状態も不安定ですし、私のその時期は練習などまったく出来ない状態でした。5分弾くともう腕も掌も指も変な感触だったので・・・。
舞台袖まで行っても、棄権すると思ったら勇気ある決断を、と、再三話しておりました。
しかし、彼女はそれでもステージに出ました。
弾き始めて、客席にいる私はもう、手が大丈夫かとハラハラして、心臓がバクバク、足がガクガクしておりましたが、途中から、
「え?」「え?」「え~~~~~!?!?!?」
・・・・となってしまいました。
知り合って15年以上になりますが、そして何度も彼女の演奏を聞いてきましたが。
いつもクールで、スタイリッシュで、そしてそれが何よりの魅力であった彼女の演奏スタイルですが、それが一変して、いまだかつて聞いた事が無い、まるで魂抜き取られそうな、深く深くどこまでも沈潜するような音楽が、そこに在ったからなのです。
手の状態を心配していた私は、そんなことはふっ飛んで忘れてしまい、いつしか、そこにある音楽そのものに引きずり込まれていました。
演奏が終わったとき、別の意味で、足がガクガク震えて、涙があふれた。
というか、もう、涙がでたどころか、涙腺決壊、号泣状態。・・・いや、もうほんと、あんな瞬間に立ち会えることは想定していなかったのです。
神様は、こういう人からなぜ、手の自由を奪うのだろう?・・・・・
だけど、意地悪で気まぐれなどっかの神様が指の自由を奪うことができても、心まで奪うことはできないのだ、という証明ではないかと思いました。
あのような瞬間に立ち会えたこと、本当に素晴らしいことだと思いました。
一生に何度と遭遇できない、感動的なステージだったと思います。
意地悪な神様は多少でも後悔してくれているのでしょうか?
そんな彼女も一次予選、通過しています。
来週は同じ土俵で弾くことになります。
もう結果なんかどうでもいいですよね、こうなってきますと。
人生に、不必要なことは何もないんだな、と、あのとき本当に思いました。
もちろん、手の故障なんか、起こら無いにこしたことはないのです。それは当たり前です。
でも、そういうアクシデントが、誰かの身の上に起こる。起こってしまう。・・・それは、何かの転機であったり、啓示であったり、いままでのままでは到達しえなかった、なにか別次元への音楽的な高みへ、扉のようであるような気さえいたします。
テーマ:ピアノ奏者のジストニア