2012年07月21日

明石市の花火大会歩道橋事故と東日本大震災

まず、朝日新聞のこの記事をご覧ください。

<引用開始>
「責任所在 明確に」/明石歩道橋事故裁判2012年07月19日

2001年7月の花火大会で見物客11人が死亡した明石市の歩道橋事故をめぐり、幼い子どもや母親を亡くした遺族3人が18日、神戸地裁で意見陳述した。1人ずつ証言台に立ち、「組織の責任の所在を明らかにし、警察と検察の使命を問う判決を」と訴えた。
 意見陳述は、事故を予測できたのに対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪で強制起訴された元明石署副署長の榊和晄(かず・あき)被告(65)の公判で行われた。
<引用終了>
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001207190006

今日21日は、11人の尊い命が奪われたあの痛ましい事故から11年目に当たります。遺族にとっては命日です。

私は、以前に書いていたブログでこの事故の真因を伝えたいと何回も記事にしましたが、遺族に伝わることはありませんでした。神戸新聞などの機関にメールを送りましたが、返事が来ることはありませんでした。

改めてお伝えします。この事件は冤罪事件に属するのです。なぜならば、圧死させた加害者、つまり直接「手掛けた」犯罪者は、県警でも明石市でもありません。警備を担当した警備会社は「間接殺人者」としての業務上の過失は問われ、刑は確定しています。

それでは、「直接殺人者」とは誰でしょうか。それは「群衆」です。事故報告書にも「後ろから押された」という証言が明記されています。

どんなに込み合っていても、全員が「小さく前へ、ならえ」状態なら「群衆なだれ」など起きようがないのです。

歩道橋の駅側から海岸側に向かっていた人たちの中の、危険予知能力に欠けた若者達の集団が、ラグビーのスクラムのように前の人を押した事が事故の真因なのです。
事故調査委員会や警察は本来なら歩道橋にいた人全員の事故発生時の位置とその行動を特定し、事故を引き起こしたこの若者達の断罪を行なう必要があったのでしょう。しかしながら、「はい、私が押した結果により11名が亡くなりました。どうぞ刑務所に入れてください」とは誰一人申し出ないことは明白です。調査委員会も仕方なく事故責任を警察、警備会社、明石市の三者に分割するような報告書を作成したのでしょう。

 最高裁まで争われる可能性もありますが、変わってしまった日本人の気質と失われた日本人の危険予知力が、歩道橋事故後も、多くの事故や犯罪の温床になっている事実を、日本社会は認識すべきです。

発生のメカニズムも単純です。一車線のトンネル内で車両同士が向かい合っている時、両車両の後続の車両が、前の車両を意識的に押しつづけることにより、先頭部分に後続車から伝えられたエネルギーが集中し、先頭車両同士も衝突します。エネルギーが大きければ、先頭車両はせり上がり「なだれ」になって落下するという極めて単純なメカニズムです。

どうすれば防止できたのか、その答えも明白です。警備会社が群集心理をわきまえ、「正しい方法」で群集をコントロールしていれば簡単に防ぐことができたのです。東京ディズニーランドに開園当初から存在する安全管理上のゲストコントロール理論とノウハウを学んでいれば、11人が犠牲になることはなかったのです、

尼崎JR脱線事故然り、シンドラーエレベーター事故然り、六本木ヒルズ回転扉死亡事故然り、安全管理の理論もノウハウも持たない現場経験のない「無知害」人間である裁判官や事故調査委員が事故の真因にたどりつくことは決してありません。反対に、罪のない警察や明石市が冤罪被害者になってしまうのです。

現在も進行中の明石市の花火大会歩道橋事故の裁判の争点も警察は「予見できた」「予見できなかった」というものです。

明石市の花火大会歩道橋事故ウィキペディアより
<引用開始>
刑事裁判では兵庫県警が計画策定と当日警備の両方の業務上過失致死傷容疑で、明石署、明石市、ニシカンの当時の担当者ら計12人を書類送検し、うち当日警備の5人を神戸地検が在宅起訴。
神戸地裁で2004年12月17日、警察1名、ニシカン1名に禁固2年6月の実刑、市3名に禁錮2年6月・執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。
<中略>
当時の警察官20人を事情聴取や事故当日の無線記録を再捜査した結果、副署長は計画段階では歩道橋周辺に警官を固定配置し、必要があれば機動隊などを投入する権限を現場指揮官だった同署地域官に与えて事故防止に必要な一応の措置は講じており、雑踏警備の計画策定段階での注意義務違反や警備当日に事故を予見できたことを裏付ける証拠が出ず、公判を維持して有罪に持ち込めないとし、法と証拠にもとづいて適切に判断した結果としている。
<引用終了>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E8%8A%B1%E7%81%AB%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%AD%A9%E9%81%93%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E6%95%85

東日本大震災では多くの逃げ遅れや原発からの避難という多大な被害者を生み出しました。巨大津波の襲来も全電源喪失も「予見できた」「予見できなかった」論争を出発点にすると、明石市の花火大会歩道橋事故のように、決して納得できる解決には至りません。

アナロジー(類推)的に考えると、津波で亡くなった人の遺族は、市町村や県という自治体に「予見できた」として、効果的なエバキュエーションevacuation(避難)訓練を怠ってきたと裁判に訴えることも可能になります。なぜならば明石市の花火大会歩道橋事故では、明石市の職員に有罪の判決が下っているからです。

私の持論は「この国の国家運営システムの全面的見直し」ですが、特に安全管理の問題では「予見できた」「予見できなかった」ではなく、「想定作業を行ったのか」「想定作業を行わなかったのか」という安全管理論の鉄則を出発点にしていかないと、30年経ってもこの国に平安は訪れないと考えます。

明石市の花火大会歩道橋事故から11年が経ちました。個人に与えられた時間は有限の財産です。誰にも奪う権利はありません。冤罪事件に巻き込まれた被害者は、貴重な時間を奪われ苦しみ続けるのです。

以下、過去に記した記事を掲載しておきます。

2005年10月31日
ブログの役割と明石市花火大会歩道橋事故

ホスピタリティ経営をテーマにした講演を終えた翌日、明石市花火大会歩道橋事故の現場を訪れました。

ショックでした。

簡単には説明できませんが、11人もの尊い命が奪われたこの事故の真因にたどり着いていてしまった、そのことがショックであったのです。

「ブログ 世界を変える個人メディア」を出版したダン・ギルモア氏は、ブログの重要な役割の一つは、マスメディアの批評家として機能することであると述べています。

氏の母国、アメリカであればその通り!と言えるのでしょうが、残念ながら日本は違います。
日本全国470万人のブロガーは、マスメディアだけではなく「政治家」「学者」「学識経験者」「官僚」等、世論を構成することに影響を与える人々全員を批評の対象にすべきです。

この忌まわしいこの事故の現場を訪れその意をさらに強くいたしました。

私はこの事故のニュースを聞いたその日から、今日までの大きな「流れ」を予測していました。

本当の犯人を取り逃がす。
日本中の自治体はこのようなイベントを取りやめるようになる。
規制緩和でなく、規制強化の方向へ警備業法が改正される。
今後の防止対策となりえる「事故報告書」が出されることはない。

千葉県の印旛沼花火大会は、毎年30万人を集める行事であったが、今年は中止された。4年前に兵庫県明石市で起きた事故の教訓で警備費が膨らみ、一方で協賛金が集まらない。

「明石市の事故は各地の花火を変えた。どこも警備費を増やし、観客の誘導が綿密になった」以前なら50人で足りた警備員を昨年は299人雇った。

8月7日の朝日新聞 天声人語より引用

警備業法も予想通りの内容に昨年6月改定されました。自民、公明が賛成、野党は反対、参議院議員であった田島陽子氏も議会で質問しています。


今年の6月の神戸地裁での判決は明石市、警察、警備会社の三被告の怠慢を事故原因とし、軽重関係もないとしました。

この判決は誤っていると考えます。

私は、事故が起きた7月の末に当時の岡田明石市長あてに文書を送っています。ポイントは以下の通りです。

警備を担当した警備会社に7割の責任がある。
歯医者が心臓手術を行ったようなものである。
明石市には警備会社の無能ぶりを知らずに業務委託した責任がある。


現場を視察して「ショック」の前に ビックリ! することがありました。

歩道橋は「平ら」だと考えていたのですが違いました。朝霧駅から海岸方面にかけて「スロープ」になっていたのです。持っていたペットボトルを置くと海岸方面に転がっていきました。

つまり、この歩道橋に滞留し事故に遭遇されたほとんどの方々は「つま先下がり」の状態で立っていたことになります。この状態で後ろから押されればとんでもないエネルギーが働くことは、物理が得意でない私にも容易に推察できます。

この事実は事故報告書には全く触れられていません。
改めて事故報告書に目を通してみましたが、真の事故原因について述べていないことに気付きました。

小書「すべてのゲストがVIP」の中で繰り返し述していますが、ディズニーランドの安全管理に関するノウハウは卓越しています。当然ですが大観衆の安全誘導においても同様です。

私を含めディズニーランドのスーパーバイザー経験者は、安全誘導の基本的考え方、そのノウハウを“厳しく”叩き込まれています。

一方、報告書を作成された6人の方々は弁護士や大学教授の「学識経験者」であり、「やったことがない」方々です。

目の付け所が間違っている、私はそのように感じました。

さて、ショックの話に戻します。
警備会社は何をやっていたのか! 疑問を超え「怒り」の念を禁じえませんでした。

駅周辺の導線や歩道橋の状況を考えると、大観衆の安全誘導にはかなりの困難がともなうことも容易に想定できました。

しかしながら、困難であればあるほど万全をつくすことを要求されるのがディズニー方式です。

どことどこにスタッフを配置し、どのような職責を与えればよいか。
想定外の状況が発生した際、危険を回避するため誰にどのような判断をさせるか。
二重、三重の安全装置は必要か。

担当した警備会社には危険予知能力がまったくなかった、ディズニーでは当たり前のことがこの事故現場では全く行われていなかった・・・このこともショックの一因です。

そして、
私が関わっていたなら事故を防ぐことができた。
そう考えると何か胸が締め付けられる思いにかられました。

大阪でのホスピタリティ経営に関する講演で、ホスピタリティ経営とは、

ホスピタリティ・マインドを持ち
ホスピタリティ・マネージメントにより
ホスピタリティ・オペレーション(心を込めた現場運営)を行うこと

そのように述べさせていただきました。

警備を担当したこの警備会社が「ホスピタリティ経営」を目指していたなら・・・このような悲惨な事故は起きませんでした。

そのことを痛感しました。
ショックでした。
 
この事故についてはブログ中で可能な限り語っていきたいと考えております。

今後、多様な専門性を有したブロガーが、マスメディアや学者たちに対し様々な批評をしていくことこそがこの国の閉塞感を打ち破る唯一の方法である、私はそう考えます。

最後になりますが、この事故の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。


posted by M.NAKAMURA at 10:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もう講演はできないですね(爆笑)
それにしても、専門家気取りのバカの薄っぺらい講演を聞かされるほうも
たまったもんじゃないですね

「中村克の講演を聴くとバカになる」
講演参加者がかわいそうでなりません(笑)
Posted by 知財作家 at 2012年07月21日 11:21
2chに”本物の中村”という大阿呆が出没していますよ
この”本物の中村”と称する大阿呆は
とんちんかんな発言を繰り返しており
基地外としか思えません
中村先生とは当然別人と思われますので
対策を講じられたほうがいいと思います
Posted by 中村大先生の大ファン at 2012年07月22日 11:03
実はこの中村克氏、地元の東村山市では一部で「よく知られた」人物であるらしい。その特徴のひとつが、「我こそは正義で真実」を絵に描いたような行動だという。例えば、同市庁舎地下の食堂で、ショーケースには「手打ちうどん」との記載が、自動販売機には「手打ち風うどん」とされていたのを見つけ、市役所に「怒鳴り込んで」改めさせ、それを市長のブログに自慢げに報告。その様子に良識ある市民が苦言を呈すると、「投稿者の政治レベルが低すぎます」などと、自分に批判的な意見を見つけては、他人のブログのコメント欄で執拗に非難。ほかにも自分の意見が通らないと、「『荒らし』を続けます」と宣言して粘着を続ける有様。そうした中村氏の暴走によって、市長のブログは閉鎖に追い込まれた。

ブログを『荒らし』て気持ち良かったですか?
専門家気取りの基地外さん(爆笑)
Posted by 東村山4丁目 at 2012年07月22日 20:30
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