最終章は「芥川龍之介は重病であった」とするものです。これらの要因が重なり合い、芥川龍之介は自分が分からなくなり、自暴自棄の行動に突き進んでしまったというのが私の分析結果です。
芥川龍之介の自殺理由とされる「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉はあまりにも有名です。
現在は精神医療体制が構築されていますが、芥川龍之介が生きた時代は精神病者が身を置く場所がなく、相談する専門家もおらず、芥川龍之介は病気を治癒することができずに死んでいった、精神病で苦しんだ経験のある私はそう考えます。
専門家の話に耳を傾けてみましょう。
IPT 対人関係療法でなおす、トラウマ、PTSD 水島広子著 創元社
<引用開始>
トラウマ(心的外傷)
対処できない程の衝撃を受けたときにできる心の傷
<中略>
本当は、治療が必要なPTSDという病気になっているのに、それに気づいていない人もかなりいます。
<中略>
乖離病状
乖離というのは、さまざまなレベルで意識の連続性、続合性が絶たれる状態をいいます。「自分を外から見ている感じ」「現実味がない」「ぼうっとしている」というようなものから、「よく覚えていない」「まったく記憶にない」といもの、そして、いわゆる「多重人格」まで、さまざまな形があります。
乖離症状」は、もともとは、自己防衛的な意味のあるもので、あまりにも苦しい状況に耐えられず、しかも、物理的に逃げ出すこともできない時に「精神的にその場から逃げる」という目的をもった、症状です。
苦しい状況から逃げられないでも、それ以上留まったら、頭がおかしくなってしまう、というような状況では、よくできた防御だと思います。
<引用終了>
「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」が自殺理由とするなら、芥川龍之介は専門家の言う「乖離病状」にあてはまります。私も経験がありますが、「見えないものへの不安」が自分を苦しめるのです。
さらに、です。私も発病から2年3ヶ月経った昨年7月に精神科医から精神の病気と診断されるまでは病気であることに気付きませんでした。芥川龍之介も病気を自覚していなかったに違いありません。
芥川龍之介の病状を今から探ってもあまり意味はないものと考えます。重要なポイントは、どうして精神の病を患ったのかを知ることです。
以下に私の推論を記します。
◆いわゆる天才的頭脳を有する芥川龍之介は、文学作品を執筆するとともに、優秀な頭脳ゆえに時事問題にも積極的に言及していた。そのことが、彼が描く理想と現実のギャップを深く認識させるとともに、ギャップを埋めることのできない自分のふがいなさを責めることにつながっていった。
◆芥川龍之介は、救われる(「救われる」とは本当の自分に戻ることの意味)ことを求めて聖書を読んだが、日本人にはまず理解できない聖書は救いとはならず、聖書が示す「前だけを見て進みなさい」という教えも行動に示すことができなくなっていた。
◆「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たとひピストルを用ふる代わりに新聞の記事を用ひたとしても」という残された言葉が示すように、出る杭は打たれた。作家とは評価する者がいて初めて成り立つものであり、私刑(リンチ)による「自分では対処できないほどのショック」で心身ともに傷つけられた。
このようにして芥川龍之介は傷ついていったのでしょう。免疫力も衰えていたものと容易に推察されます。
五木寛之 大河の一滴より
<引用開始>
免疫について
<免疫>というシステムは、単に体のなかに侵入してくる異物を拒絶し、排除する自衛的なはたらきをしているだけではない、自己と非自己というものを非常に厳しく明確に区分けして<自分とはなにか>というものを決定するのが免疫の大きなはたらきであるということなのです。そしてその免疫は異物を拒絶するだけではなく、その異物と共存する作用ももちあわせているということなのです。
<引用終了>
福島第一原子力発電所の事故で「放射線被ばくはガンになる」と大騒ぎになって久しいですが、心ない言葉や批判も精神だけでなく肉体を傷つけるのです。放射線は細胞内の遺伝子を傷つけ、自分だけに与えられた、自分らしくなるための細胞分裂を妨げます。言葉による「ストレス被ばく」も同じです。活性酸素という毒素を発生させ同様に細胞内の遺伝子を傷つけるのです。
最後に、芥川龍之介の自殺が教えてくれることをまとめたいと思います。
それは、神との同盟関係を持たない人間は弱い存在であるということです。救われないからです。聖書には「救う」「癒す」「治す」「清める」「憐れむ」「あがなう」などの言葉が出てきますが、私はこれらの言葉の意味は一つであると解釈しています。文中にも記しましたが、その意味は「本当の自分、神が望む自分にリセットされる」ということです。
本当の自分でありつづけられれば、精神は安定し思い悩むことはありません。私は精神科医に「フラッシュバック症状がでないのはキリスト教信仰によるもの」とはっきりと言われました。
「イスラエルのために祈りましょう」という現在の日本のキリスト教を信仰すべきだなどとは言いません。しかしながら、人間の思考は宗教観と哲学から生み出されます。無知なオバマ大統領は、就任演説で日本人は神を信じないかのような暴言を吐いていますが、宮崎アニメに示されるように古来より日本人は神を信じてきています。
和魂洋才という「社会実験」は大失敗に終わりました。以前に「日本人脳と湯川秀樹博士の卓見」という記事を書きましたが、日本人は、日本人の遺伝子が言うがままに生きていくべきである、そのことを芥川龍之介の自殺が教えてくれていると私は信じています。
日本人脳と湯川秀樹博士の卓見
この記事には湯川秀樹博士の卓見が紹介されています。
つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。
そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です
<引用終了>
http://dream333.seesaa.net/article/277163183.html