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2012年1月29日 (日)

第2回NEWS-RAGTAGセミナーで聴いたこの話、ほとんどデタラメだったらしい

弁護士の「不正・非行・犯罪」と闘う当事者たちのシンポジウムでの原告の訴え
『中野麻美弁護士(NPO派遣労働ネットワーク理事長)ら2名の人権派弁護士を相手に、損害賠償を求める訴訟を提起した元依頼人の女性』という形で紹介されたAさんの訴えをぜひご覧下さい。

皆様、こんにちは。私が先日中野麻美弁護士、秦雅子弁護士を提訴いたしました原告です。名前については、生活のこともあり、匿名希望でお願いします。

 今回の提訴に至る経緯をかいつまんでお話したいと思います。

 9年前にさかのぼりますが、私は以前、外資系金融会社で営業職をしていました。性格も明るく、お客様の信頼も厚かったと自負しております。自分で申し上げるのもとても気遅れするのですが、歩合制の会社で、歩合の率は社内でもトップに近い状態でした。しかしそれは隠してあくまで謙虚に働いていました。

 そんな私は、ある日いきなり会社より退職勧奨を受けました。理由は、お客様2名から、私の隣の席の女性社員から悪質なセクハラを受けたという苦情の電話を同僚の私が受け、上司に報告したから以外に考えられません。上司から私に嫌がらせが始まり、数ヵ月後、当時の不況で人員整理の際に私が指名されました。上司に理由を聞くと、君が優秀なのは皆承知で感謝しているが会社が不景気でと言われ、人選理由はありませんでした。

 会社を訴えることを避けたかった私は即刻某ユニオンに加入し、団体交渉を申し入れました。会社側弁護士は、「優秀な方にも、やめて下さいとお願いするしかありません」などと、机に手をついて土下座まがいの格好を繰り返し、全く話になりませんでした。そのうち退職勧奨に応じないという理由で整理解雇になりました。私から是が非でも解決金の上前をピンハネしようとするユニオンから訴訟を禁じられ、無理やりに都の労働委員会に不当労働行為救済申し立てをされ、大幅な時間ロスをしました。都労委の審問のために弁護士をつけ、同時に結局地位確認訴訟として提訴したのは退職勧奨からほぼ1年後でした。某ユニオンの、紛争解決ではなく解決金を巻き上げようとする実質及び徹底した男尊女卑のひどい実態は、また別の重要な社会問題として明らかにする機会を持ちたいと思います。

 地位確認訴訟については3人の弁護士さんが受けてくれると言われましたが、その中でも中野麻美弁護士は、「この裁判で負けたら日本の司法の崩壊です!」とどんと机を叩き熱意を見せたので、中野弁護士にお願いしました。

 しかし、中野麻美弁護士はその本当の顔を徐々に現しました。2003年8月、お願いした地位確認訴訟を起こしましたが、その提訴直後になり突如、「あなたの尊厳は会社に傷つけられた。損害賠償請求訴訟を起こせ。」と強い口調で命令されました。私が「そんなのは下らない。絶対にやりたくない」と言っても中野弁護士は聞く耳を持たず、何度も呼び出されては凄まじい癇癪で提訴を迫られ、泣いて断ると、提訴しないと地位確認訴訟に影響するぞとまで言い、判を押すまで脅され続けました。判を押さないと地位確認訴訟の代理人から降りるのではないかという恐怖感から結果的に嫌々判を押すことになりましたが、判を押すや否や中野弁護士はころっと変わって大喜びし、好き勝手に訴額を決め訴状を書き、提訴しました。傍聴支援者から何でそんな意味不明な裁判をするのだと口々に言われ、中野弁護士に執拗に脅され無理やり提訴されたと泣きました。今思えば、これは私が不本意な提訴をすることにより、他の弁護士に行かせない為の作戦だと思います。

 また、受任当初は、「正義のため勝訴を勝ち取りましょう!」と言っていた中野弁護士ですが、地位確認訴訟を提訴し半年後位に第一回目の和解があると、突如豹変し、「解雇後から今までの給料を貰って辞めろ」と、会社側が泣いて喜ぶような会社に有利な提案を強制してきました。私が和解をしないと言うと、中野弁護士は、「心証が悪くなり負ける。絶対和解しろ。」と大声で喚き散らかしました。それでも私が和解を断ると、和解期日に裁判官に、中野弁護士は「Aさん(以下私の苗字をAとします)は他に職を探すことに決めました」「復職して6ヶ月したら退職します」と勝手に私が同意もしていないことを述べました。

 その後、会社は挙証責任があるのに有力な証拠も出さず、私は成績表や詳細な業務日誌も含め書証も提出し、裁判官もこちらに有利な心証を述べていました。2004年12月の証人尋問も有利に終わりましたが、その翌週の弁論準備期日、いつも温和で冷静だった裁判官が書記官室に入室するなり、傍聴者がいる前で、「Aさんが非常に良い仕事をし、同僚よりも優秀であったことは、誰も疑う余地はありません。しかし、Aさんの地位の確認をすることは出来ません!」と意味不明な心証を興奮気味に叫び、持っていた書類をバーンと机に叩きつけました。一同あ然とし、全く訳がわからないと傍聴支援者同士で何度も話し合いました。最近になってお話した元中野麻美弁護士の依頼者も、いきなり理由もなく書記官室で裁判官に怒鳴られて驚いたと話されていましたが、これは単なる偶然なのでしょうか。

 それ以来、中野麻美弁護士は私に対して凄まじいパワーハラスメントと暴言を始めました。「負ける!負ける!」と絶叫し、「先生、負ける根拠は何ですか」と私が聞くと、「そんなの分かる訳ないじゃないの!」と怒鳴られました。打ち合わせはほぼ毎回夜10時に中野弁護士に指定され、「忙しいのにやってやってるんでしょうが!」とあごで事務所の時計を指して怒鳴られ、「私はAさんに期待していたの!」と泣き叫ばれたり、「裁判で負けたらどう責任をとってくれるのよ。」と言われたりもしました。

 また翌2005年の2月には、都労委の和解に際して、都庁の食堂で、「和解をするポーズとして和解を受けろ!」「上申書を提出しろ!」「それ以外は受け付けられない!」とテーブルを叩いて怒鳴られました。その恐怖で上申書を提出したところ、地裁の裁判官に、「大きな決心をしましたね。それでいいのですか。」と言われ、私は悔しさのあまり裁判官の前で泣いてしまいました。

 同年3月に地位確認訴訟が結審してから、ますます中野弁護士の暴言に拍車がかかり、夜10時に事務所に呼び出されては、「負ける!負ける!」と絶叫され、「労働弁護団の仕事をやりたくない」「仕事が面白くない」など何時間も裁判に関係ないことに時間を費やされた上に、夜2時や3時まで時間がずれこみ、私は無職なのに、何度も中野弁護士のオフィスから6000円近いタクシー代を払って帰宅させられました。また、この頃から私の体調がかなり悪くなりました。その後も土日や夜に街中に突如呼び出されては暴言を吐かれたりしました。

 地位確認訴訟の地裁判決言渡日は2005年5月26日でしたが、5月7日の打ち合わせで、中野麻美弁護士は、5月26日を空欄にした手帳を私に見せつけ、「判決には行かないわよ!」「ギロチン台にはあなた一人で登りなさいよ!」と大声で私を怒鳴りました。私は中野弁護士に怒鳴られた恐怖感と焦燥感に打ちひしがれました。地位確認訴訟の一審は敗訴しましたが、中野麻美弁護士は、「前代未聞の不当判決だ。」「私は高裁の逆転が得意だ。」「頑張ろう。」等と言いました。

 しかし、控訴した後、中野弁護士はミーティングをドタキャンし、私と一切の連絡を絶つようになりました。控訴理由書が控訴してから50日以内と裁判に詳しい友人に聞いていたので7月に中野弁護士に連絡をすると、「控訴審のことについて連絡をせず、Aさんと傍聴者に対して失礼なことをしたというご指摘でしょうか」というメールが返ってきました。控訴理由書の提出をしたのは9月下旬、中野弁護士の虐待防止のためにお願いしていた追加弁護士である秦雅子弁護士(中野弁護士が選任。私には相談もなく勝手に決められました)が着任したのは10月になってからでした。

 秦雅子弁護士は、全く中野弁護士の言いなり弁護士で、さすがに深夜の打ち合わせはなくなったものの、地位確認訴訟が高裁に入っても、中野麻美弁護士は相変わらず「負ける!負ける!」など暴言を吐き続けましたが、秦雅子弁護士がそれを止めたり、間に入ったり、私をフォローすることはなく、いつもにやにやと笑っているだけでした。秦雅子弁護士に、「解雇されて大変ですね」等の優しい言葉をかけてもらった記憶が全くありません。

 そして中野麻美弁護士と秦雅子弁護士は、約一年半の高裁の弁論のほとんどを遅刻してきました。15分遅れることもざらにあり、2人とも来ないので裁判官が私を呼んで弁論を始めたことすらありました。

2006年7月の高裁の和解期日に中野麻美弁護士は、高裁の控え室で、傍聴者がいる前で突如、「今日は和解しなさい!和解に応じないなら私は話さないから自分で裁判官に話せ!」と怒鳴りました。私の気持ちは動揺し、緊張のあまりほとんど何も裁判官に話せませんでした。

また、「負ける負ける」と中野弁護士から余りに言われるので私の精神状態が悪化していると、当時私がかかっていた医者に指摘されたため、「負ける負けるはやめて下さい」とお願いすると、中野麻美弁護士は「その医者は私が懲戒に当たるというのか」と言うだけでした。

また同年7月に損害賠償請求裁判も敗訴しました。私は二人の滅茶苦茶な訴訟活動とパワハラ、暴言に嫌気がさし、是非男性の弁護士を弁護団に入れて欲しいと懇願しましたが、秦雅子弁護士は鼻で笑い、中野麻美弁護士は「懲戒に当たると医者に言われた人間が人選していいのか」などと訳の分からないことを言い、依頼者である私の要求を全面的に無視しました。

同年12月、損害賠償請求裁判の控訴審の期日の帰りに二人に呼び止められ、裁判所1階の弁護士控え室前の廊下で突然、口々に、「どうせ高裁は負けるから上告しないで頂戴!」「判決は行かないわよ!」と言われました。私はあまりのショックに、部屋のソファから3週間ほど動けなくなり、その間の記憶が余りありません。ソファの布が擦り切れてしまいそのソファを捨てました。

同年12月26日の控訴審判決敗訴により、当時住んでいた会社の社宅から退去するよう命じられたため、中野麻美弁護士に、具体的な退去日を尋ねると、「裁判が負けて悔しいから腹がたつ、不法占拠して少なくとも3月までは住んでいるように」と言われました。秦雅子弁護士も勿論同席していました。私は何度も退去日をメールで尋ねましたが、2人から何も返答がありませんでした。2007年2月1日、突然執行官が自宅を訪問し、1ヶ月後に必ず出て行くようにと言われたので慌てて中野麻美弁護士に電話すると、「ありゃ、そりゃそうよ、出て行かないと」と笑って言われました。私は慌てて住居を探しましたが、全く準備もしておらず、無職で容易に行かず、突如家なしになってしまい、友人の家を泊まり歩いたり、ホテルに2週間滞在するなどして1ヶ月間着の身着のままで彷徨いました。本気で死にたいと思いました。

また、上記判決により、被告会社に対し、社宅の家賃相当額を払う義務が発生しました。そのため振込先と額を教えて欲しいと何度も中野弁護士と秦弁護士に依頼し、二人ともその度に了承しましたが、結局ふたりともこれを放置したため、遅延損害金の支払義務が発生しました。詳しくは後述します。

結局、このような徹底した両弁護士の精神的虐待のため、また、最高裁に入ってから二人に徹底的に無視され(高裁の判決後、二人はまた「前代未聞の不当判決」と激怒し、上告審を受任する姿勢を見せましたが、一旦受任したらまたも豹変しました)、中野麻美弁護士が最高裁に提出すると2回も約束した書類も提出されなかったため、私はあまりのストレスで最高裁係争中の2008年2月、胃潰瘍レベルの酷い胃炎を突如発症しました。私は、元来病気一つしたことなく、退職勧奨された後でさえ、ハーフやフルのマラソンを完走するぐらいの健康体でした。

その後、私の胃潰瘍は慢性化し、その他、喘息、カンジダ症、蕁麻疹などなどを次々発症しました。全てがストレスなどで発症しがちな病気であり、これらの原因は彼女たちの精神的虐待が原因である以外に考えられません。これらの診断書は書証として訴状と共に提出しました。

最高裁の上告棄却の決定が2008年6月10日に出されましたが、中野麻美弁護士は普通郵便でそれを私に送り、私が結果を知ったのは6月15日でした。中野弁護士は、小さなポスト・イットに「残念でした」「事務費の精算をしましょう」と書いてありました。そして2人は私を避けるようになり、裁判の説明の場も設けようとしませんでした。「裁判の説明をして欲しい」と私が言うと、同年6月21日に、A4で2枚の紙を送ってきましたが、裁判の説明は何も書いていませんでした。これが私の意に反した訴訟活動について私が得た解説の全てです。

「これは裁判の説明ではない」と再三要求して、同年8月1日にやっと説明の場を持ちましたが、両弁護士とも全く説明しようとせず、中野麻美弁護士は「あなたに悪いところなんて何も無いのよ」と言ったり、私の、「このような異様な判決はどれくらいあるのでしょうか」との質問には「データベースがないから答えられないわねー」などと笑って回答し、私を嘲笑しました。また、「高裁判決後に労働判例からも異様な判決で問い合わせが来ているというのはどうなったのでしょうか?」と私が聞くと、中野麻美弁護士は隣室に逃げました。そして、私の高裁判決について「不良社員」とカテゴライズされている労働判例のコピーを差し出しました。

当時、私は中野麻美弁護士の異様な行動から、別の弁護士に懲戒の相談をしていましたが、その弁護士は、この労働判例を見て「余りに酷い」と言いました。そして、これを見ると地裁の時にも載っているはずだとその弁護士に指摘され、私は気を失いそうになりました。案の定、後日、中野麻美弁護士の事務所から、地裁の時の労働判例のコピーを送ってきました。彼女は、世間には私を不良社員と言い広めながら、何年間もその事実を隠して同時に私には全く反対のことを言い、代理人になっていたのです。

また、上記8月1日のミーティング後、中野麻美弁護士と秦雅子弁護士は、突如として「代理人を立てる」という配達証明を送ってきました。そして9月26日、両弁護士の代理人2名(当時、中野麻美弁護士の夫の寺井一弘弁護士の事務所所属)から、突如として配達証明が送られてきましたが、「用件は文書でお知らせください」と書いてありましたので、寺井弁護士の事務所に電話をしたところ、受付の女性から、「面接禁止、電話禁止、通信は文書のみ」と門前払いされました。また、同配達証明には、会社から中野麻美宛に送付された家賃支払の督促状が同封されており、中野麻美弁護士と秦雅子弁護士が故意に私の支払い詳細の依頼を放置したため、遅延損害金89万円が発生していたことがその時になってようやく発覚しました。

概ね以上の経過を(一部を除きます)説明した懲戒申立書を「これはあまりにも酷い」と私に同情してくれたある弁護士に作成してもらい、書証50枚余りを付けて、2009年2月、東京弁護士会に懲戒請求しました。同年10月の審問期日に綱紀委員の方から「完璧な書類であり何も質問がない」と言われたにもかかわらず、また、中野弁護士からは話題を逸らした書面と、書証も提出されなかったに関わらず、1年3ヶ月後の議決は、懲戒なしでした。

尚、中野麻美弁護士の最初の答弁書に、「裁判官が自分を負けさせるといった理由に関することとして、裁判官が請求人を性的関心をもって見ており、請求人が薬指に指輪をしていたのをみて「負けさせる」と告げたのだということであった。」という、全く根も葉もない私の人格を毀損する記載があったことを書かずにはおられません。

 また、2010年12月、秦雅子弁護士を東京第二弁護士会に懲戒申し立てしましたが、その答弁書には、秦弁護士所属の事務所のうち、日弁連事務総長である海渡雄一弁護士以外のほぼ全員である14名の弁護士が代理人になっていました。


 以上の経緯により、両弁護士を本年6月10日付で提訴するに至った次第です。

↓しかし、「支援する会」は解散!「支援する会」のホームページも閉鎖。裁判も完敗の見込みです。

http://hikokunakanomami.jimdo.com/ 

************************ どうやら、これが真実らしい↓

岐阜女子には「支援団」がないだけラッキー。敗訴して、ひとりで「不正裁判」と吠えればそれでよし。

中野麻美弁護士・秦雅子弁護士への妨害活動と闘い両弁護士を支える連絡会」結成

これが不当な損害賠償請求裁判のポイント

2011/11/07(Mon)

資料編 不当な損害賠償請求訴訟の経過をつぶさに見る

Ⅰ.「答弁書第3」中野弁護士らの主張から

1 本件に至る経緯の概要

(1) 中野弁護士は、原告と訴外会社との間の紛争にかかる以下の3件について受任した。

1)地方労働委員会に対する不当労働行為救済命令申立事件

2)雇用関係上の地位確認等請求訴訟事件(地位確認請求事件)

3)損害賠償訴訟事件(損害賠償請求事件)

 秦弁護士は、2)の控訴審、上告審、3)の一審の途中からと控訴審、上告審を受任した。1)については、秦弁護士が2)、3)の件で就任した当時すでに最終陳述書も提出して結審済みであり、和解の手続きも打ち切られた状態であったため、秦弁護士は1)の具体的な活動については委任を受けていない。(2) これらの事件受任中、中野弁護士らが、原告が主張するような、必要な説明をなさなかったことや、提訴や和解を強要したり暴言その他の不適切な行動をとったりしたことはまったくない。

 中野弁護士らは、解雇の無効及びハラスメントを主張し、上記事件において詳細な事実関係及び法律上の主張をし、立証活動を展開し、控訴審、上告審まで力を尽くして訴訟を遂行した。残念ながら、いずれの事件でも原告の主張は認められず、一審、控訴審、上告審とも敗訴判決となったが、中野弁護士らは、一審・控訴審段階の敗訴判決の後も、その内容を原告に説明し、対策を検討し、克服すべき課題を乗り越えるべく原告とともに上訴に取り組んできたのであり、弁護士としての職務を十分に果たした。

 その過程において、原告から中野弁護士らに、本件で主張するような行為や問題について指摘されたことは一切ない。原告は損害賠償請求事件が原告の意思に反して提訴されたと主張するが、むしろ、原告が提訴を強く求めたものである。原告が自ら主張する学歴、資格、優れた能力からして、提訴を自らの意思に反してなされたものであると考える余地もない。雇用関係確認等請求訴訟の前提となる解雇が「経済的事由」による「整理解雇」であったことから、雇用関係確認等請求訴訟においては、人員削減の必要、解雇回避努力、人選基準の合理性、労使協議の経過が問題となるもので、それに焦点化して主張を構成したことに対し、原告から、原告にハラスメントを加えた同僚の責任を追及する提訴もあわせて求められたので、損害賠償請求訴訟を提起したものである。原告は、損害賠償請求事件において、証拠集め、陳述書作成、準備書面の検討等熱心な訴訟活動を行い、控訴も上告も強く希望し、委任関係が継続された。

 

(2) 損害賠償請求事件第一審が請求棄却の判決をなし、雇用関係確認等請求訴訟控訴審が結審させられたころ、原告は、中野弁護士らに対し、その苦悩を激しい言葉で訴えたことがあった。加えて、原告から中野弁護士らに送信されるEメール上に、被告らの事実認識とは大きなギャップが散見されたこともあった。中野弁護士らは、これらの原告の言動が、原告の苦悩ゆえのものであると受け止め、このことは、両者の間でとくに問題となることもなく、追加の陳述書、証拠の提出、弁論再開を試みるなど原告との協働作業を継続し、力を尽くした。

 

(3)  しかし、最高裁で上告が棄却され、判決が確定した後の2008年8月1日、原告は友人2名と中野弁護士の事務所を訪れ、午後6時過ぎから3時間以上にわたり、「一審の裁判官が『会社に問題のあるケース』と言っていたのになぜ負けたのか」「証人尋問を経ない相手方の陳述書を丸飲みした判決がなぜ出たのか説明を聞いていない」と繰り返した上で、中野弁護士らに、「優しくされたことがない」「高裁段階で男性弁護士の選任を受け入れなかった」「『負ける』と責め続けた」「『どうせ負ける』と言った」などの非難を行った。

 事実とあまりに異なった事実認識とそれに基づく非難であったことから、秦弁護士が「それは絶対に違います」と思わず言葉を発したところ、支援者らはさらに語調を強めて、「「妄想だというのか」と追及した。また、原告は、中野弁護士らの人格に触れるような非難も行ったが、その際、「相手は弁護士だから『これは名誉棄損』と言われないようにしなければならない」など茶化したような発言も何度か行った。

 このとき、中野弁護士が、懲戒制度があると述べたのは事実であるが、そもそも事件の再審を行うことが可能かという原告からの問題提起の中で、裁判官など、各関係者に対する責任追及にかかる制度の有無に話が及び、弁護士に対する責任追及にはどんな制度があるかと問われたことに対して懲戒制度がある旨伝えたものである。対象弁護士や中野弁護士の態度についての抗議を受けながら、あたかもそれに対応する気がないかのごとく懲戒制度を紹介したのではない。

 

(4) その後、原告は、前述したように、一方的に50万円の振り込みをなしてきたうえ、中野弁護士らに対し、説明不十分、暴言、その他の不適切な言動が多くあったという本件訴えと同様の主張をして、弁護士法56条1項が定める弁護士として職務上品位を失うべき非行があったとして、懲戒の申立てを行った。

 原告の中野弁護士に対する懲戒の申立ては、東京弁護士会における審査、日本弁護士連合会による異議申立の審査、綱紀審査会の審査全てで退けられている。原告の秦弁護士に対する懲戒の申立ては、現在第二東京弁護士会の綱紀委員会で審理中である。

 

2 受任事件の概要

(1)整理解雇

 原告が雇用されていた訴外C社のアメリカ本社が2002年9月に世界レベルでの業績不振を発表したことを契機として、その日本法人である訴外C社(以下「訴外会社」という)が第一弾の人員削減として原告を含む労働者を人選して退職勧奨を行った。原告は、東京管理職ユニオンに加入してその撤回を求めたが、訴外会社は、3回にわたる団体交渉でも納得可能な合理的根拠を示さず、一方的に交渉を打ち切ったうえに2003年3月31日付をもって原告を解雇した。その間、労働組合による斡旋申立がなされ、訴外会社との間で調整も行われた。原告が人選対象とされた理由について訴外会社の説明は二転三転したが、最終的な説明は、会社の業績の低迷により経営は赤字で人員削減の必要があること、原告が所属していた00部署の上司の評価によれば、コストパフォーマンス比較でみると、外資系銀行の売上を評価の対象から除いた原告の担当邦銀顧客の売上が同僚社員より低いというものであった。

(2)ハラスメント

 原告は、このような退職勧奨の要因となったのは、原告の力の発揮を妨げた職場におけるセクシャルハラスメント、ジェンダーハラスメント、パワーハラスメントであるとして、その一部についてアメリカ本社に自身で苦情申立を行っていた(これには労働組合の方針としてアメリカ証券取引委員会への申告も予定していることが記載されていた)。この苦情申立は、原告が、「URGENT」と題する原告作成の苦情申立書をアメリカ本社に送付することによって行われた。
 原告が送付した苦情申立書に記載されたハラスメントは、訴訟において原告の訴えたハラスメントの全容の一部であるが、苦情申立の全体の概要は、①担当取引先を変更すると称して、原告が新規開拓をなして優秀な成績を収めていた担当取引先を取り上げたり、原告に過酷な業務を強いたり、原告の存在を無視するなどのハラスメントがあった、②配属替えとなった部署の同僚が、原告をないがしろにして傍若無人な振る舞いをなし、また、③同僚が、原告が懇切丁寧に仕事を教えようとしても取引先の信頼を損なうような言動を繰り返し、④同僚が性的言動により原告及び原告の仕事関係者並びに業務に悪影響を与えたというものであった。

 

3 申立・提訴

(1)  原告所属組合は、訴外会社は、労働組合との交渉を一方的に打ち切った末に解雇をなしていることから、労働組合を敵視したことを決定的動機とする不当労働行為であることを理由として、東京都労働委員会への救済命令申立(2003年8月1日付)を行っていた。

 中野弁護士は、原告から、労働組合の交渉担当者に力がなく、交渉そのものがうまくいかなかったこと、担当を組合委員長に替えて交渉を継続したが訴外会社は交渉を一方的に打ち切って原告を解雇したこと、労働組合を通じた解決がうまくいっておらず、地方裁判所への提訴により問題解決することはできないかという相談を受けた。そこで、中野弁護士は、不当労働行為救済命令申立事件の請求人である労働組合と相談し、その了解を得たうえで、原告から委任を受け、2003年8月28日に雇用関係確認等請求事件を提起した。

2004年3月ころから、中野弁護士は、原告からの相談に基づき、労働組合から委任を受けて本件不当労働行為救済命令申立事件にも対応するようになった。当該事件は、審問途中であって、中野弁護士がすべての証拠を検討して第2回審問期日から尋問を担当した。

 

(2)地位確認等請求事件

 雇用関係確認等請求訴訟を提起するにあたり、原告から中野弁護士に対し、勝訴の見込みについて質問があった。中野弁護士は、「お話しくださったことが事実でそれ以上のことがなければ、これまでの裁判例からみて、解雇は全く不当である」ことを伝えた。すなわち、原告に対する整理解雇は、人員を削減しなければならないような経済的事情があるか、解雇が許容できるほど解雇回避努力を払ったのか、さらには人選の方法・手順、協議の経緯といった、判例理論として形成されてきた整理解雇の4要件からみても問題があるという説明をなした。

 

(3)損害賠償訴訟

 更に原告は、中野弁護士に対し、原告がアメリカ本社に送付した前記苦情申立書に記載した、在職中のハラスメントにより原告に葛藤を強いて職場における原告の力の発揮や評価を不当に貶めようとした者たちの責任を追及したいとの要請をし、訴外会社の責任を追及する損害賠償請求訴訟の提起を強く求めた。

 顧客・取引先の取り上げなどは、根拠のない差別的なものであれば、事実行為であっても、差別的ハラスメントないしジェンダーハラスメントとして問題となりうるものであり、社員相互の人間関係上の調整義務は、労働契約上の配慮義務として裁判所においても肯定的な判断が下されてきていたものであることから、中野弁護士は、個々の行為者は被告としないで、訴外会社の差別的ハラスメントの防止や調整義務違反を基本に提訴することに同意し、2003年10月9日付で損害賠償訴訟を提起した。

 この際、中野弁護士が、断定的に勝訴できると原告に伝えたことはない。

 

(4)控訴・最高裁における審理

 前記いずれの訴訟事件も原告の請求棄却が確定している。地位確認請求事件については、2005年5月26日第一審判決、控訴日は2005年5月27日、控訴審判決は2006年12月26日、損害賠償請求事件については、第一審判決が2006年7月31日、控訴日が2006年8月4日、控訴審判決は2007年2月14日である。

 これらの上告等手続をなすか否かの判断にあたり、控訴審判決の不当性は中野弁護士ら両名とも強く意識していたことから、原告にその点を説明した。そのうえで、中野弁護士らは、最高裁では理由齟齬や憲法判断の誤り、法令の解釈・判例違反の誤りが問題となるのみで、本件の中心テーマである事実審理については審理対象から除外されるという上告理由の制限に関しても原告とともに検討した。そして、それでも上告費用をかけて手続したいという原告の強い意向があったため、中野弁護士らは、その意向に基づいて上告の手続をとった。

 

4 手続経過

受任事件の手続経過について、本訴訟に関連する部分についてのみ以下に指摘する。

(1)不当労働行為救済命令申立事件

 東京都労働委員会における不当労働行為救済命令申立事件は、中野弁護士が受任した時点で、すでに審理が始まっており、中野弁護士は2004年3月3日の第2回審問から証人尋問を担当することとなった。手続途中からの受任であったことから短期間で作業をする必要があり、また、法的観点から主張の整理をなし、証拠関係記録の精査などをした上で、中野弁護士が尋問でカヴァーしなければならない部分が多くあったことから膨大な作業が必要であり、非常に厳しい作業を強いられたが、中野弁護士は一人でその作業を担当した。

審問を終了した段階において、大部な最終意見陳述書を提出した最後の調査期日において和解勧告となった。同じころ、地位確認請求事件においても和解の勧告がなされている。

 

(2)雇用関係確認等請求事件における和解の経緯

1) 事件の経過において、何度か訴外会社との和解の機会があった。労働委員会においては2回、裁判所においては、地裁で1回、高裁で1回である。

 労働委員会における1回目の和解は証拠調べに入る前段階の中野弁護士らが受任する前のことであり、組合は和解を勧めたが本人が受け入れなかった。組合によれば破格な解決水準であり、原告には和解を受諾するのがよいと勧めたとのことであった。

 2回目の和解は、被告中野が労働委員会における証拠調べを担当して活動するようになってからのことで、最終意見陳述を提出した後、6000万円を超える解決金の支払いにより解決とするとの和解案が労働委員会から提示された。この和解案は、労働委員会が最大限の配慮をして提示したものであった。2004年12月ころには労働委員会において解決に向けた綱引きが行われており、上記の解決案が出たのはその後のことである。しかし、原告は、労働委員会和解案を受諾することに抵抗があった。中野弁護士は、原告のためにはここで解決することも大事な決断と考え、原告にその旨話をした。

 

2) 同時に並行して雇用関係確認等請求事件においても和解の機会が設定された。原告は、裁判所が訴外会社からの意見として4200万円を伝えたのに前後して(時期の詳細は不明)、ようやく労働委員会案を受諾する意向を表明するようになったが、和解は決裂した。それは、訴外会社が労働委員会案を受諾できないとして、4200万円の和解案を裁判所に持ち込み、それ以上の話し合いを原告側で受け入れることができなかったことによる。

 

3) 雇用関係確認等請求事件の第一審の裁判所は、6000万円を超える労働委員会案について、「労働者」としての水準をはるかに超えるものであること、訴えは原告側敗訴と判断しているから、このような金額は裁判所として提示できないと述べていた。

 

4) 上記一連の経過において、中野弁護士は、幾度となく原告の説得を試みている。被告中野は、労働委員会が提示した解決案について、迅速に受諾の意思表示をなし、訴外会社側に対する労働委員会による説得が行われることを願っていた。また、第一審裁判所を通じて会社から提示された4200万円は、中野弁護士が代理人となる以前、解雇直前に組合に対して提案されたパッケージであり、裁判所における和解では、客観的にみてそこから解決の水準を上げていく可能性は十分にあると判断していた。

 前述したように、裁判官から原告敗訴の判決とならざるを得ないと伝えられた後においては、中野弁護士は、原告に、和解に向かう基本的な考え方について理解してもらうべく、どちらが敗訴しても事件は長期にわたること、裁判所がこのような心証を伝えているのであればその可能性は高いこと、そうならないで解決することも選択肢の一つとして考えてもらいたいことを原告に話した。

他方で、中野弁護士は、原告が、訴訟を継続するのであれば、それは代理人としても全力で取り組まなければならない事案であると考えていることも告げた。

 

5) 中野弁護士が原告にこれらの事実を伝え、説明をするに際し、繁忙のため、打合せが夜になったり、出張から帰京した足で事務所とは異なるファミリーレストランで打合せをしたりしたこともあった。しかし、これは、中野弁護士が、限られた時間のなかで、丹念に、時間を費やして打合せをし、原告に対応した結果である。

原告は、これらの打合せが、中野弁護士の命令に基づく強要であったと主張し、和解を無理強いしようとしたり、暴言などがあったりしたと主張するが、中野弁護士は、原告が主張するような言動をしたことは一切ない。

 

6) 中野弁護士は、これらの接触のなかで、原告が、自身の職場における尊厳や自尊感情が損なわれたことに対し、どうあっても挑み続けたいと考えており、それゆえに和解を妥協として受け入れられないと受け止めた。しかし、裁判所からは、前記のとおり、原告側を勝訴させるわけにはいかない事情があると明確に伝えられていたのであるから、代理人としては、むしろこの和解をすすめるのは当然であった。

 これに対して原告は、支援者の誰もがこの事件は負けることなど考えられないと言っていると強力に主張した。原告は和解を受け入れることはなく、中野弁護士は、代理人として原告の意向に従った。

 

7) 裁判所における和解交渉に原告本人が直接臨むことは困難と考えられたこともあり、代理人のみで裁判官に面接して和解に関する話をした時期もあったが、中野弁護士は、代理人として、裁判所が敗訴させる根拠について理不尽なものがあると考え、その点について裁判所から正当な考え方を引き出したいと考えて対応していた。

 

8) 結局和解は決裂となり、2005年5月26日に判決を迎えることになった。
判決では、原告の解雇について、会社が業績不振であって人員整理の必要性はあったこと、人選の経過にも問題はなく、解雇の経過においても会社は色々配慮をしたこと、原告がニューヨーク本社に対し送付した「URGENT」と題する前記苦情申立書記載の内容が事実であったとは認められず、むしろかかる苦情申立を行ったことなどにより、会社における人間関係がさらに悪化したこと、原告が訴外会社において所属していた部署のいずれにおいても深刻な人間関係上の問題を生じさせており、原告の側の協調性にも問題があったと推認できることに加え、厳しい経営状況などを加味すれば、原告に他への配点を試みなかったとしても会社は解雇回避努力を行ったとまではいえないとし、パフォーマンスが同僚社員に比較して低かったことなどを理由として原告を解雇することは妥当であるとしていた。

 

9) 中野弁護士は、苦情申立書の内容について、裁判所が、全く根拠のない苦情申立であった旨の判断をなしたことについて、それが裁判所が本件解雇を容認した実質的かつ決定的な理由であると判断した。裁判所が、苦情申立書について根拠がない申立であるとの判断をした以上、控訴審においては、苦情申立書の内容の根拠を示す新たな証拠の提出が求められた。加えて審理対象となった整理解雇は、人選基準及び人選対象に問題があり、女性の割合が高率であるという問題もあったが、原判決はこの点については考慮しなかった。原告が訴えたハラスメントは、それが事実であれば、セクシュアルハラスメント、ジェンダーハラスメント、パワーハラスメントとして原告の業績を低下させ、精神的苦痛を加えるものであるが、同僚社員の性的言動と無能さ、非協力を問題にしているもので、見方によっては同僚及び関係者に対しては不適切であるという非難を受けかねないことに留意する必要があった。そうした見方をすれば、苦情申立書をアメリカ証券取引委員会にも送付することを予告する部分については、その根拠を問われることが予測できた。また人選の差別性については、原告が把握した削減対象者について客観的裏付けとその不合理性を明らかにするという課題があった。

これらの控訴審における主張立証を準備する過程で、中野弁護士は、原告に、苦情申立書の内容に関連して、苦情申立が相手の人格を攻撃するものであってはならず、対人関係上の問題を含むと考えられる案件については、申立側といえどもいったんはマネージメントサイドにたって事実を検証することも求められる旨の指摘を行った。そして、かかる文書を提出した経緯、このような記載をなさざるを得なかった当時の追い詰められた状況を、裁判所に理解可能なように説明して正当性を示すこと、また客観的に何があったのか、会社の責任はどこにあるのかを示す必要があることを折に触れて指摘し取り組んだ。

 このように、中野弁護士は、何が敗訴につながったのか原告に説明をして、訴訟活動に原告とともに取り組もうとしてきたのであり、原告が主張するように、敗訴の原因について説明をしなかったことはない。原告が中野弁護士から「負ける、負ける」と言われたと主張をなすのも、むしろ中野弁護士から敗訴判決となった原因について説明がなされたことを示すものであり、その点を断片的にとらえたものであると考えられる。原告も、自身の考え方を自由に表明しながら、被告らとの間で方針を確認し、ともに控訴審に臨んできた。

 

10) 控訴審においても、中野弁護士らは、原告に和解の席につくことをすすめた。同時に、敗訴判決を覆すために力を尽くしたいと考え、記録や証拠を精査し、書面の作成などに力を注いだが、控訴審は、証拠申出をすべて排除し、求釈明や文書提出命令申立にもその必要性を認めない姿勢を表明するに及んだ。第一審が敗訴している中で、控訴審におけるこの状況は、原告の立場を極めて厳しいものにしていることは明らかであった。代理人としては、その旨を原告に伝えて和解を勧めることは、当然である。中野弁護士らは、和解という手段により少しでもよい解決を得られる機会が確保されうること、あるいは、和解のやりとりにより裁判官がどのようなことに重点をおいて心証を抱いているかを探る機会をもって対策を立てる一助となることから、原告に和解の席につくことを勧めた。

 控訴審における厳しい状況が原告には受け入れ難いものであることは推測できたが、代理人としては、敗訴の可能性も含めて訴訟による解決に必要な専門家としての判断とその根拠を当事者に伝えることは、ともにこの状況を乗り越えるためには必要不可欠であると判断した。その際、中野弁護士らは、原告の考え方に配慮し、厳しい状況に置かれる不当性に関する認識を共有しつつ説明しており、本件で原告が主張するように、「どうせ負ける」などと言って和解を勧めたことは断じてない。また和解を強要したこともないことは、原告が控訴審においてもなお和解を受け入れることなく、判決を求めていることからみても明白である。

 

(3)本件損害賠償事件

1) 中野弁護士は、原告の了解を得た上で、秦弁護士に助力を求め、同人が代理人に加わった。
 上述の通り、損害賠償請求訴訟においては、原告か苦情申立書に記載したハラスメント等の事実の有無が大きな争点となっていた。

損害賠償請求事件の審理において、原告の同僚社員らの証人尋問が実施されたが、原告の苦情申立書に記載された、同僚の性的言動などを直接示す証言は得ることができなかった。
 また、同じ職場において空間を共有した社員や他社の社員の情報提供を得ようとしたが、直接的な裏付け証拠を得ることはできなかった。
 そればかりか、原告が苦情申立書に、性的ないし知的品位に欠ける言動を繰り返して原告の業務を妨害したと記載した同僚社員は、クラーク職として採用された女性で、会社のリストラなど環境変化のなかで未経験の金融商品取引を担当させられ生き残ってきた経過が証拠によって裏付けられ、もし、この女性が供述するところが真実であれば、原告がアメリカ本社に宛てた苦情申立書ないし訴え自体が侮辱として訴えられる危険さえ認識せざるを得ないものであった。

 

2) 第一審判決が原告の請求を棄却した後、原告は、代理人に男性がいなかったことが敗訴の原因であるとして、男性弁護士の参加を求めた。中野弁護士らは原告と相談の機会を設け、両訴訟とも控訴審段階に入り、主張書面・尋問調書・証拠だけでも膨大となっている段階で新たに引き受けてもらえる弁護士を探すことは困難であり、また、セクシャルハラスメント・ジェンダーハラスメントというジェンダーセンシティビティーが問われる事件の性質上、これを短期間で理解して対処してくれる男性弁護士を探すことは被告らには困難であること、そもそも男性弁護士がいるから裁判所が原告の主張に理解を示すものではないこと、理を尽くして裁判官を納得させることが差別の克服のために必要であることなどを説明した。その結果、原告も中野弁護士らの説明を理解し、原告と中野弁護士らとの間で、その方向性は追及しないこととなった。したがって、中野弁護士らが原告の要請を取り合わず一切を無視した、などということはない。

 原告が、心の底から強く男性弁護士に事件を依頼したいと考え、男性弁護士による訴訟追行行為を勝訴に不可欠の条件としてそれを実現するよう求めたのに中野弁護士らがそれを取り合わなかったというのであれば、原告は、その時点で中野らを解任する旨告げるべきであった。また、そうした考え方、すなわち原告が男性弁護士の選任が不可欠であるというのであれば、それは女性に対する差別ともいえるものであるから、原告がその旨主張していれば中野弁護士らは自ら辞任していたのである。

 

5 原告と中野弁護士らとの間で事実認識のギャップがみられるようになった経緯

  損害賠償請求事件について第一審で原告の請求が棄却され、雇用関係確認等請求控訴事件の審理も結審した後、原告は、中野弁護士らに対して、激しい言葉をもって苦悩を訴えることがあった。また原告が中野弁護士らとやりとしたEメール上に、中野らが認識していた事実とギャップのある記載がなされたこともあった。しかし、中野弁護士らは、それらの言動が原告の苦悩ゆえのものと受け止めて対応し、特にそのことは両者の関係において問題化することもなかった。

 

6 最高裁判決後

 (1)  中野弁護士らは、最高裁で敗訴が確定した後、預かり金の精算や、仮執行停止決定にともなう供託金の取扱い、退職を前提とした退職金について、誰がどのように対応するかも含めて、原告と相談する必要があると考え、棄却決定の写しに、「一度お会いしたい」旨記載して原告に連絡した。しかし、原告は中野弁護士に対して、「一度お会いしたいという内容がございましたが、内容はどのような要件でしょうか」との返答をなし、これに対して被告中野から上記のような相談の必要があるためであるとの回答をしたところ、「家賃請求に対しては退職手当との相殺で対応できるので、別に対策を立てるまでもなくお会いする必要はない」旨の返答がなされた。

 

(2) このような経緯があったが、その後訴外会社から原告に対する差押え手続などがあり、原告から中野弁護士に電話等による相談が入った。

 退職金の問題について、被告らが対処することも考えられたが、法律問題として対応すれば、既に出された雇用関係確認等請求事件の敗訴判決の枠組みを超えた解決は不可能であるため、原告にとって少しでも良い条件を獲得するためには、むしろ労働組合を通じた弾力性のある交渉による解決が望ましいと説明した。中野弁護士は、そのために、原告が所属していた東京管理職ユニオン担当者に連絡して交渉の依頼もした。その後、同組合と訴外会社との間で交渉がもたれたとのことであった。
 解雇を前提とした退職金の請求は、解雇の無効を前提として雇用関係上の地位の確認を請求する事件を受任していた中野弁護士らの受任の範囲外であったが、中野弁護士らは、原告にとって良い結果となるよう十分に対応をした。

 

(3) 社宅に関して、中野弁護士らは、原告に対し、訴外会社の社宅の建物明渡請求について敗訴判決が出されている以上、社宅に住み続けることはできないという説明を十分にし、強制執行の予告や執行官による明渡の催告の予告が来るたびに、中野弁護士らは原告にその旨を説明した。第一審判決の家賃の支払いを命じる部分については仮執行停止の手続をなしているし、控訴審に入って以降も、社宅の取扱いについて話をしていた。

 原告が社宅退去時に新居がなかった経緯についても原告の主張は事実と異なる。原告は、自ら2007年3月ころには社宅を出ようと思っていると中野弁護士らに話しており、同年2月1日に執行官による明渡の催告がなされ、2月28日までに退出するよう命じられた後は、精力的に引っ越し先を探し、2月26日に転居予定だった。しかし、転居先の大家が直前の23日に断ってきたということで引っ越し先がなくなってしまったということだった。

中野弁護士らは、原告から相談を受け、裁判所に明渡延期の可能性を問い合わせ、原告に明渡延期の要件は厳格で、訴外会社の同意が必要である旨伝えた。原告は、この段に至って訴外会社代理人弁護士に頭を下げることを希望しない、一旦社宅を出て新居を探すと述べたことから、明渡しの延期申請をしないこととなった。

 

(4) その後、原告から、中野弁護士らに対し、上告審で棄却された理由についての見解を知りたいとの話があり、中野弁護士らが文書を用意していたところ、「複数名でミーティングをしたい」との申し出がなされた。そのために中野弁護士らは、2008年8月1日にこれに応じることにした。

 ミーティングにあたっては、中野弁護士らは、原告に事前に文書を送付したが、それは原告からの質問事項への回答内容を記載したものであり、地裁判決からの解説を求められたというものではなく、もともと地裁判決からの解説をしたものでもなかった。

 

(5) 2008年8月1日に、上述したように原告とその友人2名と、被告らとの間で「ミーティング」がもたれたが、それは「ミーティング」といえるようなものではなく、原告は3時間にわたって、一方的に中野弁護士らを非難した。

 

(6) その後、原告から、中野弁護士らに対して50万円ずつを上告審の着手金として振り込んだとの連絡があった。原告と中野弁護士らとの間に当該支払いについての合意はなく、また、中野弁護士らとしては、上告手続きについては、最高裁の状況からみて結論を覆すことはなかなか困難であることを原告に説明しており、上告理由書等の作成作業は控訴審の決算というべき性質を有するものであると考え、あえて弁護士報酬を受け取る意思がなかったことから、当該振込については断ったうえ返金している。

     その際、原告に対して着手金をお返しする旨記載した内容証明郵便を送付したが、原告が主張するような記載はしていない。

 

(7) 中野弁護士らは、原告からの話や、連絡の内容について、事実認識について中野弁護士らとあまりに大きな隔たりがあるようになったこともあり、総合的に勘案して、代理人を立て、原告とのやりとりを代理人に委ねることがよいと判断をし、原告に対して、代理人をたてたので、今後のやりとりは代理人をとおしてほしい旨を通知した。その後、代理人と原告との間でやりとりが行われているが、その内容は、原告が主張するようなものではない。

 

7 原告による懲戒請求の申立て

(1) 既に述べたところであるが、原告は、中野弁護士が原告に対し、説明不十分、暴言、その他の不適切な言動が多くあったという本件訴えと同様の主張をして、弁護士法56条1項が定める弁護士として職務上品位を失うべき非行があったとして、懲戒の申立てを行った。

(2) 原告の被告中野に対する懲戒の申立ては、2010年4月30日に東京弁護士会において申立に理由がないとして退けられ、2010年12月20日に日本弁護士会による審査において退けられ、その後、綱紀審査会においても2011年5月19日、退けられている。綱紀審査会は、全員が弁護士以外の市民・有識者によって構成された組織であって、市民サイドにたって弁護士活動に対して厳しい目を向ける機関である。

(3) 原告の秦弁護士に対する懲戒の申立ては、2010年12月22日に申し立てられ、現在第二東京弁護士会の綱紀委員会で審理中である。

8 結語
 以上の通り、中野弁護士・秦弁護士らには、本件一連の訴訟活動において、原告に対する不法行為に該当する言動は一切存在しない。
 よって、速やかに原告の請求を棄却されるよう求めるものである。

 


Ⅱ.「第1準備書面第3 」中野弁護士らの反論

 

1 事実主張が繰り返され責任の所在に関する法的根拠も不明であること

上記のとおり、原告の主張は訴状の繰り返しであることに加え、同書面第1の1(2)から(3)の主張の弁護士の義務との関連性が不明であるから、新たな反論の必要は認められない。

 

2 客観的な経緯からみても、主張自体としても矛盾していること

原告の主張はいずれも客観的な経緯と矛盾している。

まず、原告は、和解を勧めたことを問題にする一方で敗訴の責任もあると主張しているようであるが、それ自体矛盾している。むしろ、裁判所が原告に対して敗訴の心証を開示するという客観的な状況下で和解に応じなかった場合には、敗訴の蓋然性はきわめて高度なものとなる。和解の勧めを問題にしながら敗訴の責任を問うのは矛盾している。

また、原告は、和解について中野弁護士らが「執拗に勧めた」「和解恫喝」などと主張するが、原告の意思に反した訴訟活動がなかったことは、和解していないという結果をみても明白であって、これを弁護過誤と主張せんとすること自体矛盾である。むしろ敗訴の心証開示の状況下で話し合いによる解決を勧めることは、依頼者の利益を守る意味においても弁護士としての当然の行動であり、弁護過誤との主張はありえない。

加えて、和解が成立しなかった事実は、中野弁護士ら主張のとおり「強要」する意図はなく原告の意思を尊重した現れである。和解しないという原告の意思を尊重したことに過誤はない。

 中野弁護士らは、原告の権利救済に向け、解雇無効及び原告に対する職場におけるハラスメントに関して原告の訴えを詳細に把握し、原告との共同作業と確認のうえで訴訟追行をなしたのであるが、原告の主張は認められず、一審、控訴審、上告審とも敗訴となった。いうまでもなく、判決は、その言葉通り裁判官の心証形成・判断作用によるものである。したがって、敗訴の結果をとらえて代理人に責任があるというのであれば、一部勝訴・敗訴を含めるとほとんどの弁護士に責任があるということになる。

さらに、原告は中野弁護士らにハラスメント行為があったと主張するが、その前提事実がなかったことはすでに主張した通りである。協議・打ち合わせの時間も原告の了解に基づいてなされた丁寧な訴訟活動を裏付けるものである。原告は主張のようなハラスメントを受けたとしながら、中野弁護士らを解任することもなく、上告審まで訴訟手続きを中野弁護士等に委任したのであって、このような客観的な経過それ自体が原告の主張と甚だしく矛盾している。

 原告の主張は、いずれも主張自体失当というべきものであり、原告の請求は早急に棄却されなければならない。

 

私は「支援」しなくてよかった!この女性はちゃんと仕事をしてきたし、生身の人間と交流できる点で岐阜女子とは異なるが、やはり被害妄想があるらしい。それでも津田氏は、須坂を非難し、岐阜女子を支援するのか?絶対後悔するでしょうね。
 

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コメント

津田哲也氏のブログに、中野麻美弁護士とこちらの女性との訴訟で、『素人相手の訴訟に中野麻美弁護士が10人の弁護団結成』というような記事をUPされていましたが、削除されたようですね

都合が悪いと削除する?

ジャーナリストのすることじゃないですよね

よくよく調べもせず、セミナーで取り上げるなど、本当に杜撰でお粗末です

津田哲也氏は中野麻美弁護士にも名誉毀損で訴えられる可能性もあるのではないかなぁと思っています

弁護士は敗訴確実だとか、勝訴確実だとかは絶対に言いませんよね

確実な裁判などありませんし、どこで敗訴と取るか、勝訴と取るかはひとによって異なります

和解勧告を実質勝訴と捉えるひともいるでしょうし、実質敗訴と捉えるひともいるでしょうから

津田哲也氏は取材してるのでしょうか?

裏どりしてる様子が全く見られないのですが気のせいでしょうか?

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