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【放送芸能】

オリンピックとテレビと日本人 元NHKアナ山本浩氏に聞く

 ロンドン五輪が二十七日に開幕する。「いまいち盛り上がらない」といわれても、始まるとテレビにくぎ付けになってきた日本人。アトランタ大会の開会式など、夏冬合わせて九回に及ぶ五輪中継にかかわった、元NHKアナウンサーで法政大教授の山本浩さんに、五輪とテレビの歴史を聞いた。 (宮崎美紀子)

★東京大会の前は

 「日本人は戦前からオリンピックが非常に好きだったんです。NHKは一九三二(昭和7)年のロサンゼルス大会で、初めてラジオ中継を行っています」

 放送権をめぐるトラブルで会場からの実況はできず、アナウンサーは競技を見に行ってメモをとり、後でそれを読み上げながら、今まさに熱戦が繰り広げられているかのように放送した。「実感放送」と呼ばれている。

 「五輪は分かりやすく国と国の能力を比べられ、しかも関係は悪くならない、まれなイベント。そのころから五輪のコンテンツ価値に気付いていた人が少なくなかったんですね」

★音声から映像へ

 六四年の東京大会で大きな転機を迎える。

 「スポーツで一番大事なことは同時体験。初めての衛星中継で五輪は次のステージに。アナウンサーの時代からプロデューサー、ディレクターの時代へ、音声から映像へと重点が移ったんです」

 東京大会では民放も参加し、海外の放送局に送る「国際映像」を制作。その経験が後のスポーツ番組に生かされた点でも、大きな意味があったという。

★24時間生活化で

 「メディアと五輪の関係を考えると、次に重要なのは八四年のロサンゼルス大会」。商業五輪の幕開けといわれるロス大会は、華やかな開会式が象徴するように、「見せる」ことが前面に押し出された。

 今では五輪を含むスポーツ中継の主力になっているBSは、この年から試験放送が始まった。そのころからハイビジョンの研究も進んだ。九二年のバルセロナ大会の街頭取材では、重いハイビジョン器材を載せた台車を追い掛けながら、市場の様子を紹介したという。

 九〇年代、BSは「ぜんぶやる」を掲げ、一日中五輪を中継するようになる。それを可能にしたのが、生活の“二十四時間化”だった。

★デジタル時代に

 多チャンネル化、ネットの台頭など環境は変わりつつあるが、テレビの中で五輪は、これからも多額の費用を投入する特別な地位を保てるのか−。

 「スタジアムにいると、雰囲気、声、振動を感じられるけど、『見る』という一点に関してはテレビにかなわない。『見たい』という欲求をとことん突きつめたテレビは、見えないものもバーチャルで見せる。人間が何かを見ることに喜びを感じる限り、パワーはしばらくは衰えない」

 多チャンネル化で番組一つ一つの魅力が薄くなる中、スポーツが持つ「天然の発色」が、かえって輝きを増す、とも。

 「五輪を機にテレビが買い替えられたり、映像技術が進化するのは、五輪がいまだに日本人にとって、あるいは世界の人にとってテレビの“ハレの日”だからだと思うんです」

 やまもと・ひろし 1953年生まれ。東京外国語大卒。NHKのアナウンサーや解説委員を経て2009年、法政大スポーツ健康学部教授に。サッカー実況で知られるが、五輪経験も豊富。冬季は主にアルペンスキーを担当。

 

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