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2012年7月2日(月) |
高橋伴明監督 |
映画「白磁のひと」を制作した高橋伴明監督のトークショーが1日、高麗神社で開かれた。
奈良出身の高橋監督は、小学校時代在日朝鮮人の女の子に初恋をしその子の兄弟に殴られた思い出話を披露。
主人公の淺川巧について、「当たり前のことを当たり前と感じ行動できる根本原理に生きた人」と評し、その人格はリベラルな教育に熱心であった山梨の地で培われたのではないかと述べた。
タイトルの「白磁のひと」は、土そのものから出る無垢なあたたかさを持つ白磁の色を、淺川巧に重ね合わせたものという。
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2012年6月25日(月) |
白磁の人 |
映画「白磁の人」を観た。本格的な日本映画の力作である。
日本統治時代の朝鮮に渡り、現地の陶磁器を研究した歴史上の人物である淺川兄弟のうち弟の淺川巧と朝鮮人の友情を軸に、戦前から終戦に至る日本と朝鮮の歴史を描いている。
監督は高橋伴明。我々の世代では、昔女優の関根恵子と結婚したことで知られるが、たくみな演出である。
浅川巧役の吉沢悠もいい。
この映画を知ったのは、高麗神社のバザーでのチラシから。今高麗神社では、関連イベント「白磁のこころ」展を開催中。7月1日には高橋監督のトークショーもあるという。
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2012年6月18日(月) |
比企探訪 |
6月17日、郷土検定の1つ、比企検定が東松山市のきらめき市民大学校舎を借りて実施された。試験の後、受験者の1部希望者を中心に、地域のバスツァー「比企探訪」が行われた。
これは、本紙のメンバーでもあり比企検定の協力者でもある石橋啓一郎さんが企画したもので、案内・解説役も石橋さんがつとめた。東松山交通の中型バスをチャーター、問題に出た場所の他、石橋さんが日頃発掘してある面白いスポットを半日かけてめぐった。
一見何もなさそうな比企地域も、説明を聞き、そのつもりで見ると、興味深く、楽しめる場所が続々。ありがとうございました。(写真は嵐山町の手白神社)
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2012年6月11日(月) |
邪馬台国 |
久々に面白い本を読んだ。『日本古代史を科学する』(中田力著、PHP新書)だ。何日か前の読売新聞に関連記事があったので買い求めた。
著者は脳神経の医師。邪馬台国についての「魏志倭人伝」の記述を、複雑系科学を適用して読み解き、邪馬台国の位置を宮崎j平野と断定する。私の頭ではついていけない部分も多いが、その論理展開は迫力満点、説得的だ。
私はかつて新聞記者時代に佐賀県吉野ヶ里遺跡の発掘に出くわし、仕事上古代史を扱わなければならない立場に置かれた。その後も興味だけは続き、いくつか本も読んだが、その中で最も心に残ったのは『日本古代正史』(原田常治著)だ。原田氏は婦人生活社の創業者だが、全国の神社の伝承から古代史を推理、邪馬台国の位置を宮崎県の西都原古墳と結論づけている。私はこの本を読み、また天孫降臨関係の場所からも、西都原説を確信していた。
そして、今回の中田説は、「魏志倭人伝」からも西都原に至ることを証明した。
異論のある方も多いだろうが、私の少ない経験と、直観からは、西都原に決まりである。
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2012年5月20日(金) |
高麗神社 |
本ホームページにもトップページに高麗神社の高麗宮司のインタビューを掲載しているが、5月19、20日、高麗郡建郡1300年記念事業である「高麗郷地場産チャリティバザール」が開かれた。特にB級グルメと韓国文化・物産の紹介が興味深かった。
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2012年5月19日(土) |
EM |
5月19日、和光市でEMに関する講演会を聴いた。EMとは「有用な微生物」という意味で、健康や農作物の生育、河川浄化などに効果があるという液体。現在琉球大学名誉教授である比嘉照夫氏が開発した。
なぜ和光市なのかというと、朝霞厚生病院などを経営する医師で以前和光市長も務めた田中茂氏が、EMの研究・推奨者であり、市内にEM-X予防医学研究所を開いておられることによる。
私自身は、かねてEMに興味を持ち、試用したこともある。今回、比嘉先生の話を聴けるというので、申し込ませていただいた。
比嘉先生はもっと高齢かと思っていたが、まだ70歳とのことで、非常に元気そうであった。お話も、これまで世の非難中傷と戦ってきたご苦労をこぼしながらも、自信満々の様子であった。
今回、興味深かったのは、EMに放射能を低減する効果があるいうこと。チェルノブイリ事故後ベラルーシで放射能対策に取り組み成果を上げていた。昨年の大震災後福島に乗り込み農地にEMを適用している。実際に効果があれば画期的である。
このように、世の中の常識を超えた試みは、なかなか受け入れられず大変だと思うが、がんばっていただきたいと思う。このような挑戦は応援するのが本紙の基本方針であり、いつか取り上げたいと考えている。
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2012年5月15日(火) |
脳梗塞 |
本紙でインタビューしたこともある小杉武NPOゆめつるせ代表理事(小杉工務店社長)が脳梗塞で倒れられたそうだ。幸い半月ほどの入院で退院し、ほぼ日常生活ができるようになったとのこと。
小杉さんは、本紙創刊とほぼ同じ時期の07年3月にNPOを設立、びん沼の清掃など地域貢献活動に乗り出された。本紙が低迷し続けたのと対照的に、その後の小杉さんの活躍は目覚しい。びん沼の清掃、防災などNPO事業に加えて、県の新河岸川景観保全事業でも中心的役割を果たし新河岸川広域景観連絡会代表に就任。さらに南西部地域NPO連絡会副代表にも就き、地域のNPOのリーダー的存在になっている。
病気の原因は不明だが、あるいは活動が過重な負担となっていたのかもしれない。早々と地域紙を休刊した私も、近頃脳梗塞の前兆らしき症状に見舞われている。何事も、切り開くのは大変である。
小杉さんのえらいのは、病気になって終わらないことである。4月下旬に発病、入院中もリハビリに励み、ほぼ回復。自らの体験から予防法なども織り込んだ「出前講座」を志願している。50分程度、無料で講演してくれるとのことだ。さすが人に役立つことをモットーとする小杉さんだ。
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2012年4月23日(月) |
ヤマザクラ |
越生町の龍ケ谷ヤマザクラハイキングに参加させていただいた。町内の龍ケ谷というところにヤマザクラの巨木があり、それを訪ねるハイキングを毎年4月に町が主催している。3年ほど前、町役場の取材中にこの催しを知り、一度巨木を見てみたいと思っていたが、かなわずにいた。
あいにくの雨模様だったが、集合場所のあじさい山公園駐車場には20数人の人が集まった。9時半出発で12キロの行程、午後3時半までの予定。経験のない私には、どの程度の山歩きか見当がつかない。
役場職員の先導で、第1の目標である龍穏寺に向けて出発。舗装道路を歩くのだが、ここで早くも誤算。先導者の歩調が速く、すぐに息が上がる。ついていくのがやっと。周りの参加者は、ほとんどが高齢者だが、まったく平気でスイスイ上っていく。龍穏寺に着いた時は、グッタリ。
龍穏寺は、本紙でも取り上げたことがある、太田道灌・道真ゆかりの名刹。思ったより山深い立地で、趣がある。しかし、見学する時間も元気もなく、すぐに歩き出す。
途中に、カフェ「山猫軒」。一度訪れたいと思っている店。まだ時刻が早いので閉まっていた。
龍穏寺から3キロほどで、ヤマザクラ下に。そこから急坂を15分ほど上らなければならない。すでに疲労困憊だが、ここでやめるわけにはいかない。休み休みでやっと頂上へ。ヤマザクラは確かにそびえていた。しかし、咲いていない。今年の寒さで開花が遅れていた。残念ではあるが、たどり着けた安堵の方が大きい。
そこから、また舗装路を野末張見張台に向け上る。疲れのピーク。列のしんがりに。雨を避けるため、林の中で昼食。
後は、下りで一転楽に。足元に気をつけながら、今度はスピードを上げられる。赤坂の小便小僧像を経由し、出発地に着いたらまだ1時半。予定より2時間も早い。
足腰が弱っているところに、オーバーペースで、厳しいハイキングでしたが、よい経験をさせていただきました。町の皆さんに御礼申し上げます。
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2012年3月28日(水) |
農業ベンチャー |
埼玉県庁主催の「埼玉県農業大賞受賞者見学会」という催しに参加させていただいた。昨年の第2会の大賞受賞者を現地で見学しようという試みで、訪問は東上沿線が主であった。
最初の訪問先は、本庄市児玉町のひびきの南部選果場という施設。キュウリやナスを、ベルトに載せると、形や重さで自動的に選別、箱詰めされ、出荷できるというラインだ。これなら農家は大幅に手間が節約できるはず。このように、共同化による機械化という道もあることが実感できた。
関越道、花園インター近くの花園フォレストで昼食。お話で、バウムクーヘンを製造するシェリエという会社が開いたということを知った。高橋さんという社長が1代で築いたという。
次に近くのいちご狩り観光農園「いちご畑花園」へ。経営する高荷政行さんは、元々JA職員で花園の直売場にいたがイチゴ狩りをしたいというお客の声が大きいことを受けて自ら開いたとのこと。
ハウス内に、地面から1メートルくらいのところに床を作り植える高設式という栽培方法。特殊な養液を流し養分を与える。私は知らなかったが、この方式は今ではかなり普及しているという。これも従来の農業のイメージとは異なる。いただいたイチゴはおいしかった。
最後は、入間市の養鶏場桂ファーム。入間市でもはずれでかなり不便な場所だが、年間9億円を売り上げ、その9割が直売という。代表の栗原桂一さんが、経営の秘訣、苦労話を話していただき、大変参考になった。
県の人の話では、2010年で農業生産額が増加したのは全国で埼玉県だけだという。なぜなのかははっきりしないが、ひょっとすると確かに埼玉の農業は今元気なのかもしれない。そのためには、経営努力が必要であるということが、今回の見学でよくわかりました。
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2012年2月27日(月) |
ネパール映画 |
2月26日の日曜日、ネパール映画「道端の花」を観に、川越市民会館に出かけた。
この映画は、現地でもヒットし、日本で本格的に紹介される初めてのネパール映画という。
ストーリーは、カースト制度による身分差別ゆえに悲劇を迎える若い男女の物語である。
主役は現役の歌手であり、歌劇のように、歌と踊りがふんだんに盛り込まれている。
感心したのは、1つはカースト制度について。インドのカースト制度については学校でも習うが、ネパールにもあり、今でもこれほどに根深く残っているとは知らなかった。だが、現在は社会がカースト撲滅に立ち向かっており、だからこそこのような映画が作られるのだろう。
また、映画作りがテンポよくうまい、特に女性が美しい、山の景色が不思議である、などいろいろ感じたことがある。
この映画を日本に紹介したのは、川越在住のサキャ・アノジュさん。日本人の協力者とともに亜細亜フレンドシップという団体を立ち上げている。
サキャさんは、ネパールからの農業研修正を世話する仕事に就いているが、映画が好きでこの事業を手がけた。日本語教師の経験もあり、今回も日本語字幕を作成した。
3月の大阪アジアン映画祭でも上映するそうだ。
サキャさんには、いろいろ大変だろうが、がんばってもらいたい。
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2012年2月23日(木) |
エコノミストインタビュー集出版 |
経済の分析や予測を行うエコノミストの達人10名にインタビューした『エコノセンスの磨き方』(秀和システム、金子雄一編著)を刊行いたしました。2009年に本ホームページで、「経済予測の達人」と題して掲載を始めたのですが、第1回分(金森久雄氏)でストップしていたのを、昨年一気に取材し、単行本としました。
地域情報とは別ですが、それぞれのエコノミストの経歴、人となりから、経済の見方、予測手法などを説明しており、インタビューによって個性を浮かび上がらせるという、「東上沿線物語」の方針をそのまま適用しております。
経済に詳しくなくても、それなりに楽しめる内容ですので、一度ご覧ください。
なお、同種のコラム「著名エコノミストに聞く 予測の視点」は、TKC社「戦略経営者」誌に連載中です。
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2012年1月20日(金) |
外国人労働者問題 |
しばらく編集長日記をご無沙汰しました。「東上沿線物語」の定期発行は休止しており、その面では楽になったのですが、アルバイトとしていろいろな仕事に手を広げています。また、昨年後半からエコノミストのインタビュー集を出版することになり、その執筆に時間をとられていました。出版は『エコノセンスの磨き方』というタイトルで2月中旬に秀和システムという出版社から出ます。
この間、支援していたネパール人の呼吸ヨガの講師であるビショさんの家族が、不法就労で入管当局に拘束されました。不法就労といっても、週28時間以内に規制されているのを何時間かオーバーしただけなのですが。
呼吸ヨガのすばらしさと、ビショさんの能力、熱意を知っている私も、他の支援者たちと一緒に、いろいろ努力をしたのですが、結局強制退去という処分になりました。
ご承知のように、わが国では外国人労働者は原則として単純労働に就くことはできないことになっています。しかし現実には、このように就職難が言われる時代でも、日本人がしたがらない職場が多くあり、そこでは外国人に頼っています。
また、外国人はそのような仕事をいやがらずにやるだけでなく、日本人にない能力を持っている場合も多くあります。
今回は、ヨガ講師の家族の問題ですが、もう少し柔軟な対応があってもよいのではと、私は考えています。
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2012年1月23日(月) |
さようならUR |
「さようならUR」という映画を観た。映画と言っても、早川由美子さんという人が1人で制作したドキュメンタリー映画である。
日野市の高幡台団地の第73号棟という団地が、耐震性が足りないという理由で取り壊されることになったが、それに反対して退去を拒否している住民たちとURとのやりとりを追っている。
URとは、独立行政法人都市再生機構のことで、弊紙も創刊準備号の「団地の建て替え」という記事で取り上げており、興味深かった。
このような映画はえてして弱い立場の住民の戦い応援するというパターンになりがちで、この映画にもそのような要素があるのだが、それだけでなくUR側にも取材を試み、またURのあり方を検討している政府の委員会メンバーである大学教授の意見も紹介するなど、多角的な目線があり、好感がもてる。
それとともに、感心したのは、若い女性がビデオカメラ1つで1人で作ってしまったことである。URの取材拒否に業を煮やして、UR理事長の出勤時に何日も張り込んで突撃インタビューを成功させてしまう。
その記者魂もすざまじいが、現代においては個人でもその気になれば大手マスコミでも難しいような報道や制作が可能になるということを示してくれる。
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2011年11月5日(土) |
自転車ツァーガイド |
埼玉県が推進する地域の自転車ツァーガイド「ジモトの魅力伝え隊」養成事業で地域資源に関する講師役を本紙が引き受けました。
朝霞、新座、志木、和光、富士見、ふじみ野、三芳の各市町の、史跡、文化財、自然景観、店舗など見所を紹介するもので、私と、今や埼玉の面白スポットの大家である石橋啓一郎君が講師役を務めました。
対象は、本紙の取材テーマとぴりですが、もれていたり、あやふやな場所も多く、あらためて勉強しなおし、地域の魅力を再確認できました。
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2011年10月16日(日) |
野火止用水 |
10月16日の日曜日、富士見市内の鶴瀬駅西口で開かれた「つるせよさこい祭り」をのぞきました。このお祭りはあまり有名ではありませんが、今年で6回目を数え、参加も埼玉全域から52チームに達したそうです。10月にしては非常に暖かい日で、人出も多く、盛り上がっていました。
東上線沿線では、朝霞市の彩夏祭の「関八州よさこいフェスタ」、坂戸市の「坂戸よさこい」が先行していますが、めげずに敢然と決行する関係者に敬意を表したいと思います。
その足で、武蔵野線新座駅まで行き、そこから野火止用水沿いをウォーキングしました。地域情報の仕事をしながら、今まで野火止用水を歩いたことはなかったのですが、今回関係した情報を集める必要が生じ、新座駅から西武池袋線の清瀬駅までを歩き通してみることにしました。
結論から言うと、すばらしい散歩道です。私は、この用水は涸れるかほとんど水量がないのではないかと思っていたのですが、清流が勢いよく流れ、大きな鯉や元気なメダカなどを観察できます。
それと緑。特に平林寺裏の野火止緑道、関越自動車道から分岐点(本流と平林寺堀)までの本多緑道は、緑豊かで楽しめます。
面白かったのは、関越道に橋をかけて水を渡していること。
それと、平林寺堀はかなり先からいろいろ工夫をして通している。野火止用水は、松平信綱の菩提寺であった平林寺に水を通すことが大きな目的の1つであったことをうかがわせます。
清瀬駅に近づくと町中になりますが、遊歩道はきちんと整備されています。
足腰がだいぶ疲れましたが、水と緑のさわやかなウォーキングでした。
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2011年9月18日(日) |
インターンシップ受け入れ |
本紙は、新座市にある跡見学園女子大学の学生のインターンシップ研修を受け入れました。
女子学生2名と教授に対し、本紙事務所で、地域紙について、記事文章の書き方、カメラ撮影の仕方、埼玉県の魅力などの講義をさせていただき、また学生たちが取材した素材を元に冊子の編集作業も実践しました。
本紙は、以前城西大学の学生から、編集の協力を得た経験があります。今後もこのような機会があれば、積極的に対応していきます。
なお、今回、カメラ撮影の講義は、川越の小江戸新聞の大澤代表に協力をお願いしました。
研修の成果は、「経済学で読み解くデイズニーランド18の秘密」として冊子化しました。本紙HPでも紹介しています。ご希望の方は、メールでおお申し込みください。
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2011年9月8日(木) |
神田明神と将門 |
御茶ノ水の病院に行った折り、近くの神田明神を訪れた。最近、平将門に関心があるのが足を向けた理由であある。
驚いたが、「一ノ宮大己貴命」、「二ノ宮少彦名命」とあり、平将門は「三ノ宮」である。しかも境内の説明書きを読んでも、将門はあくまで3神の1つとして位置づけられ、祀られたいきさつもあまり詳しくない。
私も受け売りではあるが、この神社は元々都心部の今の大手町1丁目にあった。そのすぐ近くに将門の首を埋葬した首塚が作られ、それまでの大己貴命に加え将門も祭神とされた。
この神社を今の地に移し、江戸の総鎮守としたのは徳川家康である。それは、朝廷に対し叛乱を起こした将門を祀った神社であるからであり、江戸城の鬼門に当たる位置に配置した。まさに将門あっての神田明神である。
そのような歴史を、今の神田明神からは表向きは読み取ることはできない。それはおそらく明治以降、ある時期まで将門は「朝敵」であるという理由で、祭神からはずされたことがあるという経緯によるのであろう。少彦名命は、将門がはずされたときに代わりに大洗磯前神社から勧請されたという。
ただ表向きそのように配慮しても、当然いわれを知り、将門を信仰する人たちはいる。興味深かったのは、展示されていた豪華な神田祭の神輿は、三井物産が寄贈したものであること。三井物産は大手町の将門首塚に接して本社屋があるが、首塚保存会のメンバーとして保存に尽力、供養も欠かさないようだ。同社では、社内の机の配置まで首塚に敬意を払うように配慮されているという話を聞いたことがある。
首塚周辺は、過去にそのたたりとされる、様々な奇怪な事件の舞台となってきた。最近でも、近くにあった日本長期信用銀行は破綻、三井生命も経営が思わしくなく移転した。
実は、私が以前勤めていた会社も最近近くに移ったが、あまり業績がよくない。
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2011年8月27日(土) |
空海 |
上野の国立博物館で開かれている「空海と密教美術」の展覧会に出かけた。
実は私、今一番興味を持っているのが空海である。仏教の教養ゼロ、書もまったくであるが、いくつか関係書を拾い読みしたところ、私の従来から考えていた宗教なり、「神」の存在についてのおぼろげな想定と、通じるものがあったということ。それと、その呪術的能力、お遍路さんを含め一般庶民が多く詣でる寺院はなぜほとんどすべてが弘法大師関係なのかという疑問からである。
ただ、会場は混雑しており、展覧会で仏像や曼荼羅、書を観ても、私の素養では何もわからず、何も進まなかった。醍醐寺の座主の講演も聞かせていただいたが、ほとんど寺の紹介で終始していたのは残念だった。
誰かに、弘法大師をわかりやすく、正確に教えてもらいたい。
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2011年8月31日(水) |
びん沼川環境まつり |
NPOゆめつるせ(富士見市)などの団体の主催による「びん沼川環境まつり」が8月28日、富士見市のびん沼公園で開かれた。写真。
当日は快晴でかなりの暑さ。場所も不便でにぎわいはいまひとつであったが、私個人としてはそれなりに有意義であったと思う。
あのように、釣り人以外ほとんど人の訪れない場所であえてイベントを開いたというこの理念先行の強引さがよい。これは、ゆめつるせの小杉代表のリーダーシップによるところが大きい。
面白かったのは、上福岡のコスモス連の阿波踊り。あのとぼけた調子はなんともいえない。
それと、日本モデルロケット協会の協力によるモデルロケットの打ち上げ。これも子どもたちにはよい体験になったであろう。
関係者の皆さん、ご苦労様でした。
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2011年8月23日(火) |
渡来人 |
日高市にある高麗神社の宮司さんにインタビューさせていただいた。
奈良時代、7世紀の半ば頃、戦乱を逃れて大陸の高句麗から多くの渡来人が日本に移り住んだ。朝廷は、今の日高市、飯能市、鶴ヶ島市、川越市などにまたがる地域に「高麗郡」を設置、渡来人のうち東国にいた1799人が移住した。
高麗郡初代郡司は、高句麗の王族であった高麗王若光であり、高麗神社はその若光を祀った神社である。
現在の宮司は若光の直系で数えて60代目にあたる。これだけ長い間の家系が続き、たどれるのは驚きである。
高麗郡は明治までその名を残していた。
この武蔵野の地域は現在、どの程度、渡来人の血を引いているのであろうか。
ここでクイズ。1799人から始まり、夫婦から3人の子が生まれ、各代で人口が1.5倍ずつ増えていくと、60代で合計何人になるか。
正解は何と、66兆人である。
長い間に、かなりの人口規模として日本人に融けこんだことは疑いない。
ちなみに私の一族のルーツとされる金子郷(入間市金子)も、高麗郡に含まれた。
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2011年8月1日(月) |
朝霞基地の歴史 |
朝霞基地の歴史については、弊紙でも詳しく取り上げたが、7月31日に市主催による基地跡地歴史調査報告会が開かれた。
基地跡地につては、民主党政権の事業仕分けで凍結されていた公務員宿舎建設が再開され、朝霞市としては並行して「朝霞基地跡地公園」、「シンボルロード」を整備することになっている。その準備作業の中で、2010年度に、昔基地で働いていた労働者や基地周辺の商店・住民などに聞き取り調査を行い、ビデオにまとめた。調査結果を含め、公園内に基地の歴史に関する資料館を作る計画という。
報告会は、調査を委託された佐藤洋一早稲田大学教授による説明があり、ビデオが上映された。内容は、当時をなつかしみ、朝霞の繁栄が依存した米軍に感謝するようなトーンがあった。これは私も共感する。
上映後の質疑では、市民運動系の人たちの「基地があったことによる迷惑、反対運動があったことも取り上げて」という声が目立った。うまく説明できないが、こういう人たちはどこか変である。
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2011年8月3日(水) |
高齢者の暮らし方 |
「国勢調査」によると、2010年の65歳以上人口の比率は23.1%と世界1となり、65歳以上男性の10人に1人、女性の5人に1人は1人暮らしという。
まさに日本は高齢化、1人暮らしの道を突き進んでいる。
先日、介護関係NPOで活躍されている方の講演を聞く機会があった。
1人暮らし高齢者は孤立化しており、その結果、栄養失調、運動不足という問題が深刻化しているという。
栄養失調は、お金がないからではなく、主にめんどうで料理を作らなくなることによるという。これは意外だ。リンゴの皮をむけない自分としては女性は必ずご飯をきちんと作れるものと思っていた。
運動不足は、出歩かないのが原因で、その背景に「友達がいない」、「行くところがない」ことがあるという。
なんともさびしい話だ。対策として行政では介護保険のサービスでデイサービスがあり、1日遊ばせてくれる。NPOなどが運営する、集まってお茶を飲む「コミュニティカフェ」が盛んだ。
しかし、デイサービスもコミュニティカフェも、努力は認めるが、高齢者だけをわざわざ集めるという発想がどこか変だ。
本来は、誰でも自由に参加できる公共空間があり、そこでコミュニティが形成されるのが理想だ。食事もいつでもいける、安くておいしいレストランがあればよいはず。
公園も様々な公共施設も十分ではないが、整備は進んでいる。外食産業は超激戦だ。ハードは整っている。
それなのに、老人は家に閉じこもる。それは、自力で動けない人は仕方がないが、日本人のモノの考え方にも根源があるように、私は思う。
道端に1人で座っていれば怪しい人だと見る。公園のベンチは寝転べないように敷居を作る。1人でレストランに行くのが気が重い。
閉鎖的な国民性が最後に自分に跳ね返ってくる。
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2011年5月30日(月) |
中国ドラマ |
CSテレビ「チャンネルneco」で中国の任侠ドラマ「書剣恩仇録」を毎週観ている。
私はこれまでテレビドラマを継続してみたことはなく、初めての経験である。
話は、清朝の乾隆帝と、「滅満復漢」?を掲げる結社との戦いだが、スケールが大きく、武術のレベルも高く飽きさせない。女性(皆武術者)も可愛い。
それにしても、日本の学芸会のようなドラマとの差は何なのか。
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2011年5月8日(日) |
高山不動 |
連休中に1度だけドライブに出かけた。やはり東上沿線エリアである越生の奥武蔵グリーンラインなら、あまり有名な観光地ではなく、混まずに緑を満喫できるだろうと踏んだ。
高速入り口の三芳SA内が大渋滞でどうなることかと思ったが、後はスイスイ。鎌北湖から山中に入ったら、車はたまに行き交うだけ。ハイカー、サイクリスト、それと何とランナー(クロスカントリー?)が目立つ。林道でわかりにくく迷ってハイカーに尋ねても、頼りは山の地図なのでよくわからないという返事。
それでも何とか進み、顔振峠の平九郎茶屋で一服。渋沢栄一の弟、渋沢平九郎が維新の時官軍に追われてここまでたどりつき果てたが、その際かくまったのがこの茶店の主という。この峠だけはちょっとした名所で結構賑わっていた。
峠の近くがドライブの目的地、高山不動尊。関東の3不動の1つだが、創建は弘法大師の時代より前、600年代とものすごく古い(私にもよくわからぬが、大化の改新時、蘇我氏の残党を追って藤原鎌足の子らが関東に来て建てた)。山道から降りると本堂の上から入る形になるが、参道の階段(写真)はきわめて急で、段の幅が狭く、上り下りはきつい。その下には大銀杏の木が。
盛時には、70坊がの山中にあったというが、今は3つの建物。その1つが、日本最古の三輪神社(藤原鎌足の子と一緒に来たのが三輪神社の別当だった)。不思議な組み合わせである。
奥の院は、少し上った関八州見晴台と呼ばれる山頂にある。眺めはその名の通りすばらしい。遠く都内まで見渡せる。このような絶景の地であり、関東の霊場として選んだのであろう。当時はおそらく何もなかったであろう関東で、ここを選んだことには意味がある。この寺の創建以来の歴史はきちんと調べ記録し、現在の建造物、環境は大切に保存すべきである。
これ以上、グリーンラインを進む元気はなく、越生の街中に下りる。途中に、太田道灌・道真親子の墓があり、本紙でも取り上げた龍穏寺があった。付近は、やはりGWでも閑散としていた。
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2011年5月3日(火) |
岡本太郎 |
竹橋の近代美術館で開かれている岡本太郎展を観た。
私は、岡本太郎はあまり好きではなかった。テレビなどに露出し過ぎていたこと、万博の「太陽の塔」も奇をてらっているように見えた。
しかし、実際に見て、変わった。
特に、立体造形はすごい。ビンビンと来る。
東上沿線ゆかりで、今をときめく村上隆と似ている。私は村上隆は小品しか観たことはないが、まったく迫力が違うと感じる。
岡本太郎は、やはり「爆発」している。
帰りに伝記めいた本を買った。一生結婚せず、身の回りの世話をしていた秘書(愛人?)を、養女にして遺産を残した。
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2011年4月7日(木) |
どぎもを抜かれる その4 |
どぎもを抜かれるほどではないが、驚いたのは先日訪れた神川町の原善三郎別邸「天神山」だ。
原善三郎は、明治の豪商、横浜の名庭園、三渓園の礎を築いた人(原三渓は孫?)で、神川町の出身。生家近くに作った庭園が「天神山」だ。
あまり知られていないこの庭園。訪れてみると、その広さと、設計の面白さに驚かされる。神流川の崖上に作られ、自然の地形をうまく活かしている。そして、神流川の不思議な色。
神川というのは、前にも紹介した金讃(かなさな)神社といい、どこか神秘めいた場所だ。
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2011年4月1日(金) |
ほうき職人 |
私事であるが、私の祖父はほうき職人であった。ふじみ野市から富士見市にかけての地域は昭和30年代ごろまでは、ほうき草の栽培、座敷ほうきの製造が盛んだったのである。今はほうきを使う人はほとんどいないから、当然のことながら製造もしなくなっているわけだが、今もがんこにほうきを作っている職人が永倉一男さん(ふじみ野市)である。
その永倉さんのインタビューを先ごろ行い、記事を掲載。さらに、過去のものづくり関係の記事を集めて冊子(「沿線のものづくり」)としました。東上沿線にも、面白いものを作る人、すぐれたアーティストが多くいます。今後も逐次追加していきます。
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2011年3月24日(木) |
どぎもを抜かれる その3 |
どぎもを抜かれると言って、地域で忘れてはならないのは聖天宮(坂戸)である。
台湾の1個人が、神のお告げで、遠い日本の坂戸の山の中に、絢爛豪華な道教のお宮を建設してしまうという、破天荒、奇跡の物語である。
今回、創設者のご子息の康嘉文さんにインタビューした。
まだの方はぜひ訪問してください。
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2011年2月24日(木) |
どぎもを抜かれる その2 |
先日、飯能・名栗を見て回る機会があった。そこで、またまた度肝を抜かれた。
鳥居観音である。一見してお寺なのか新興宗教の教会なのかわからず、うさんくさい、気味が悪い、という印象。
しかし、中を見て回り、話を聞き、資料を読むと、驚き。
ここは、地元の山(西川材の産地)の地主で、旧飯能銀行頭取、合併当初の埼玉銀行頭取を務めた平沼弥太郎(弥の字は本来旧字体)氏が亡き母を供養するために建設した、という。
ほとんど山3つぐらいか、の広大な敷地に、写真の観音像の他建物群と多くの仏像が置かれてある。建物もほとんどの仏像も、平沼氏自身が制作したもの。
平沼という人は、一体どういう人であったのか。
これが現在の私のテーマである。
いつか、本欄でご紹介したいと考えている。
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2011年1月17日(月) |
どぎもを抜かれる |
私はグルメではないが、地域情報の仕事をするようになり、いろいろなお店に出かけるようにしている。しかし、この年になるとびっくりするような経験はあまりない。
先日、訪れた川越の西班牙市場というレストランは久々に度肝を抜かれた。トコトン徹底した空間作り、味も本格的で、値段は驚くほど安い。そしてなによりも、商業主義(カネもうけ)に背を向けているような哲学が感じられる。こんな店は日本中探してもそうないだろう。
沿線で度肝を抜かれたのは、本紙18号で紹介した海族鮮山忠(滑川)に次いで2軒目である。
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2011年1月11日(火) |
小田原 |
連休の一日、小田原にドライブした 。東上沿線の地域を見ている立場で、興味深かった2点を紹介したい。
一つは、戦国時代の河越城の戦いのとらえ方である。小田原城の資料館には、(後)北条氏の歴史とともに「河越の戦い」の電動紙芝居コーナーが常設され、河越夜戦の模様が「実況中継」されている。その説明は、北条氏康軍が10倍の戦力を持つ連合軍を撃破し、関東支配を確固とした画期的な戦いということである。
つまり、小田原城を開いた(後)北条氏側から見ているわけだが、私自身、これまで不勉強だったことがあるが、この展示であらためて河越における攻防の歴史的な意味が理解できた。
川越にいると、「小江戸」をうたい、江戸から明治にかけての歴史に焦点が当たり、鎌倉から戦国時代にかけて中世期への関心が今一つのようだ。実は太田道灌が河越城を築き、上杉の拠点となった頃が川越の絶頂期ともいえるのかもしれない。東上沿線でも、中世の歴史をアピールする努力をすべきと感じた次第である。
もう一つ、似たような話で、松永安左エ門の扱いである。電力王で、「耳庵」の号を持ち茶人としても知られた松永は晩年小田原に住み、その住処が松永記念館として公開されている。関連資料が展示されているほか、趣ある茶室を含む建物にも上がることができる。
松永については、本紙第4号でも取り上げたが、松永が柳瀬山荘(所沢市)を建て、また平林寺を菩提寺とし山門も寄贈、現在睡足軒と呼ばれる茶室も置いた。地域の有力企業サンケン電気も松永が設立、志木駅前の今の慶応高校の敷地も松永が寄付したと聞く。松永の地域とのかかわり、貢献は小田原より東上沿線の方が大きい。
しかし、この地域にそもそも松永のことを知っている人は少なく、史跡は残っているが、松永についてきちんと説明のある施設はない。
やはり、地域の歴史をもっと大事にしなければいけないなと感じた小田原での一日でした
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2010年12月28日(火) |
BSデジタル |
遅ればせながら大画面デジタルテレビを購入し、CATVを契約して、驚いたことの一つは民放のBSデジタル放送が面白いことだ。
その大半が、自然、世界の国々の気候ものだが、制作の仕方がこれまでの地上波と一味違う。よけいなタレントが登場しない、おしゃべりも少なく、ただ風景を映すことに専念してくれる。
特に気に入ったのが、TBSの「吉田類の酒場放浪記」。全国の酒場を飲み歩くという内容だが、結構人気があるようで、DVDまで販売している。
TBSは本体は経営難だが、BSは視聴率が上昇しているという。
そもそも民放のBSデジタルは発足当初はさっぱりで、存続すら危ぶまれていたように思う。
それがジワジワと浸透し始めている。
これは、受信可能な受像機が普及してきたこともあるが、それとともに、「視聴率をそれほど気にせずに自由に番組が作れる」環境が用意されたことが大きいのではないだろうか。
元々期待されていないから、高い視聴率を求められることはない。一方で予算はギリギリで、コストの安い、紀行ものが多くなるが、担当者は好きに作れるので、結構力が入る。
このような状況が、不思議と、質の良い番組を作りだしている。
テレビ界の人材は生きていて、復活しつつあるのではないだろうか。
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2010年12月8日(水) |
再始動 |
本紙は定期発行を停止いたしました。現在は本来なら次号の発行準備に追われている時期ですが、それがなくなり非常にラクで、平和な日々を送らせていただいております。
地域紙を発行、それもほとんど独力で挑戦してみてわかったことは、新聞発行とはいかに大変な仕事かということです。元々新聞社におりましたが、大きな新聞社は編集、販売、広告、製作と完全に分かれ、配達は販売店の仕事です。編集局に属する記者はなかなか他部門の仕事の実態はわかりません。
それが、すべてを経験することになりました。それでわかったことは、記者以外の仕事は、別の意味で、非常に困難で厳しいということです。
それは、おそらく一つには新聞を本当に必要とする人、欲する人は少なく、営業というものが不可欠であるということ。単価は低いが、同時に代金の回収も簡単ではないこと---などなど、多くのことが関係しているでしょう。
しかし、これらを経験し、現在は何もこわくない、という心境に近づいています(少しオーバー)。
さて、今後の方向として、テーマ別冊子を発行することとし、すでに「障害者就業を考える」を独立させ、デジタル雑誌としても販売しております。今回、スワンベーカリーを展開する「クロネコヤマト」のヤマト運輸の障害者就労支援事業を追加取材、また近年、新しい障害として対策の必要が叫ばれている発達障害問題を、この分野の権威である梅永雄二宇都宮大学教授にインタビューし、両記事を追加、増補版を作成しました。
特に、発達障害の問題は、従来は障害者と見られてこなかった人たち、いわばグレーゾーンに属する人たちの問題であり、判断、対策も難しさがあります。参考にしていただければ幸いです。
「沿線の喫茶店」も内容を追加し、近くデジタルでも販売を始めます。
このように、重要なテーマ、面白いテーマに深く切り込んでいきます。今後ともよろしくお願いします。
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2010年10月26日(火) |
本紙定期発行停止のお知らせ |
10月20日、第32号を発行いたしました。これをもちまして、定期発行は停止いたします。
本紙は、2006年12月に第0号を発刊、その後07年4月に第1号、21号までは月刊、22号からは隔月刊とし、判形もそれまでのタブロイドからB5判に変更、今日まで発行してまいりました。
その間、沿線地域の多くの方にお目にかかり、私自身これまで知らなかった多くのことを学ばせていただき、驚きと感動の連続でした。
また、本紙を購読していただいた方々、広告出稿などの形で支援していただいた方々を含め、多くの皆様の応援をいただきました。あつく御礼申し上げます。
私は、それまでのサラリーマンから地域紙発行にほぼ独力で飛び込み、予期せぬ経済社会の厳しさ、人間の裏表・浅ましさなども、いろいろ経験させていただきました。それも大きな成果ですが、それ以上にこのような無謀で独りよがりな企てを支えてくださった方々に感謝する気持ちでいっぱいです。
約4年の地域取材で、沿線地域の主たるテーマは取り上げることができたと考えておりますが、まだまだ私自身の関心、紹介すべき材料は多くあります。幸いスタッフにも恵まれており、今後はテーマごとに逐次記事を作成、それらをまとめて冊子の形で提供していければと考えております。
とりあえず定期発行は停止いたしますが、東上沿線新聞の活動は継続します。今後ともよろしくお願い申し上げます。
2010年10月 金子 豊治郎
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2010年9月15日(水) |
菅首相 |
菅首相が民主党の代表に再選された。
私は、個人的に会ったことはないが、パーティなどで何度か菅氏の挨拶を聞いたことがある。そのときの印象は、おおげさに言えば「この人は天才かもしれない」というものだった。
私は元々経済分析を専門としているが、彼は経済の見方、その処方せんが実に独創的なのである。最近言っている「財政、経済、社会保障を同時に強くする」も、説明不足で聞いただけではよくわからないが、これまでの菅さんの発言をつなぐと非常に説得力がある。
それは、経済はなぜ成長するか、成長するにはどうしたらよいか、に関する通常の常識とは別の考え方である。
バブル崩壊後、公共事業を増やしてもダメだった。そして今、少なくとも内需についてはますます冷え込んでいる。
人は判で押したように「円高対策」、「景気対策」と言うが、これまでもダメだったし、今同じことをやっても同じことなのである。
これからは、経済のあり様を変えなければならない。
菅さんにはそのアイデアがある。しかし、それは一朝一夕にできることではない。しかも、周りはおそらく菅さんの慧眼に気づいてはいないし、既成の考え方にとらわれる人たちの抵抗は強い。さらに菅さんは政治的能力は小沢さんにかなり劣る。
期待できるとすれば、時代が必要とすることをなすことへの、見えない力の助けぐらいだろう。
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2010年8月30日(月) |
図書館 |
沿線の図書館の方と、図書館を利用されている方から、電話で「最新号がない」という問い合わせをいただきました。
実は、第30号までは沿線の全図書館にお送りしていましたが、今回の31号からは購読していただいている先以外は送らないことにしました。
以前、各図書館に定期購読をお願いしましたが、どこも予算が厳しいとの返事でした。
現在、お送りしているのは、朝霞市、富士見市、鶴ヶ島市、滑川町、埼玉県立の各図書館だけです。
多くの方々に読んでいただくため、できればお送りしたいのはもちろんですが、本紙もギリギリの経費削減を余技なくされており、ご了解をお願いいたします。
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2010年8月25日(水) |
軽井沢 |
雑事が多く、今年は夏休みはなしですが、昨日1日だけ、軽井沢にドライブした。
平日でも旧軽井沢の銀座通りは、かなりのにぎわいだった。ただ、よく見ると、繁盛しているのは一部の人気店だけのようで、特に高級な工芸品を置いているような店はお客もまばらだった。
室生犀星の別荘を見学して、南軽井沢へ。昼食をとろうと、ガイドブックに載るカフェまで車をとばしてみると閉まっているところが多い。平日のせいだろうか。
それでも、最後に見つけた、作家夫妻が経営するという「軽井沢の芽衣」は設計がすばらしかった。心落ち着く。
それにしても、軽井沢もさびしい。やはり日本は貧乏になっているのだろうか。
帰りの高速サービスエリアでも、ファストフードコーナーは満席でも、レストランはガラガラだった。峠の釜飯を買って帰る。
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2010年7月14日(水) |
本紙内容の変更について |
本紙は現在、第30号を発行しておりますが、次号第31号(8月20日発行)から紙面内容、発行の形態を変更いたします。
主な変更点は以下の通りです。
(1)定期発行の雑誌としての性格を弱め、テーマ取材、連載企画、読み物中心の構成とします。そのため、「沿線催事情報」、「占い」欄は休止します。ページ数も号によって変化します。
(2)連載企画中心に、別冊を独立させ、販売もします。第1弾として、「障害者就業を考える」を別冊化しました。ご興味のある方はお申し込みください(PDFファイル300円)。
(3)従来から雑誌のインターネット書店fujisanを通して定期購読の申し込みを受けると同時に、デジタル雑誌の形態で販売していましたが、デジタル化をより強化します。別冊もデジタル冊子として販売していきます。
(4)冊子の無料配布は原則としてとりやめます。同時に、広告掲載は原則として行わないことにします。
(5)印刷媒体については、これまでのカラー表紙からモノクロに変わります。
以上のように、身を縮め、経費を極力圧縮して、厳しい時代を乗り越えようという方針です。
ただ、記事の内容については従来に増して充実させる所存です。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
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2010年6月16日(水) |
丸広百貨店 |
丸広百貨店の創業者である大久保竹治名誉会長が亡くなった。
私は、前職の新聞記者時代、今から30年ほど前に流通を担当したことがあり、当時の大久保社長に2、3度お会いしたことがある。当時の丸広は、「西のトキハ、東の丸広」と言われ、地方百貨店の雄であり、東京からわざわざ取材に行かなければならない先だった。
大久保社長は、私のような若造記者にも丁寧に誠実に応対してくださった。創業経営者にありがちなバイタリティあふれるタイプではなく、もの静かで奥深い印象を与える人だった。
一番記憶に残っているのは、丸広が成長するためにポイントとなったのは、店舗の周囲に広大な駐車場を確保できたことで、そのためには古くからそこに住んでいた方々に立ち退いてもらう必要があり、一軒一軒時間をかけて粘り強く説得して回った苦労話であった。
その後、一番街の蔵のまちの再興で観光地としての川越は脚光を浴びることになるが、川越の商業としてみるとそれをリードしたのは丸広であり、その波及効果を受けたペアモールの人通りであろう。
そのかげには、駅にそれほど近くはないが、平地の駐車場を早くから整備したという先見性と地道な努力があったのだろう。
時代は変わり、百貨店はどこもそうだが、最近の丸広は元気がない。大久保社長時代はあんなにフランクに話をしてくれたのに、私のような無名の地域紙など取材も受けてくれない。
大久保社長をなつかしみ、ご冥福をお祈り申し上げます。
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2010年5月25日(火) |
電子書籍 |
米アップル社の携帯端末iPADの発売を控え、電子書籍への関心が一気に高まっている。
先日は、講談社が人気作家京極夏彦の新刊を電子書籍として配本することを発表、これを朝日新聞が1面で報じた。
ご存知の方も多いだろうが、電子書籍はすでに販売されており、普通のパソコン上でも、携帯電話でも読めるものもある。いわゆるケータイ小説などもその一部だ。実は本紙も、今回の第29号から、インターネット書店fujisanを通して、「デジタル雑誌」としての販売を始めている。
この電子書籍については、印刷物に慣れ親しんだ人たちから否定的な見通しが多く語られる。確かに当初は画面で本を読むことに抵抗は大きいだろう。
ただ、私は電子書籍は一般の想像する以上に急速にかつ広く普及すると思う。
電子書籍には以下のメリットがある。
第1に、コストが絶対的に低下することである。印刷費、配本、配送費がほとんどかからない。そのため、価格は既存の書籍に比べて大幅に(それこそ桁違いに)引き下げることが可能であり、また印刷コストの壁から出版できなかった多くの書籍・雑誌が一斉に販売される、すなわち供給が飛躍的に増える可能性がある。
第2に、印刷された書籍、時に雑誌の難点は、保管場所に困ることである。そのため、古い号は廃棄物となる。それが電子書籍なら保存が無限に近くなる。過去のバックナンバーを見るときなど、これほど便利なことはない。
第3に、検索機能が利用できる。傍線の代わりに何かチェックをしておけば後で参照できるうようなこともおそらく可能になるだろう。
第4に、文字の大きさが調節できることである。
既存の出版社、新聞社、書店には電子書籍には消極的なところが多いと聞く。それが普及に懐疑的なこととともに、現在の出版、新聞発行システムにおける利益構造をくつがえすからである。
しかし、流れは止められない。特に電子化に適している雑誌・新聞から急速に普及が進むと見る。
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2010年4月12日(月) |
障害鳩支援センター |
私の家は庭が比較的広く、2組の鳩が住み着いている。1組は、野鳩の夫婦で中庭の木に巣を作っている。カラスなどから安全な場所で居心地がよいらしく、縄張り意識が強い。自分の家だと思っている。
もう1組は、足に障害を負った鳩(メスと思われる)とその夫だ。以前、家の前で足に釣り糸がからみ歩けない鳩がうろうろしていた。かわいそうなので取ってやろうとしたがつかまらなかったが、しばらくしてその鳩が戻ってきた。釣り糸ははずれていたが、怪我をし、片足でしか立てない。不憫なのでえさをあげた。すると毎日いつくようになり、そのうち夫をつれてきた。
1組にでもえさをやると、他の鳩も寄ってくるので、気づかれないようにやるのが難しい。そんなある日、庭にうづくまっている鳩を見たら、足が悪い別の鳩だった。それからしばらくして、今度は家の前に全身が衰弱している鳩がじっとしていた。仕方がないのでえさをやる。
こうして障害鳩は集まってくる。
つまらない話ですみません。もうすぐ、第29号が発行となります。基地の街朝霞の歴史を生々しく描きます。
何とか30号までは出しますので、よろしくお願いします。
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2010年3月15日(月) |
ジャズ喫茶 |
はるか昔、私が大学生のころ、ジャズ喫茶によく通った。暗い店内でレコードをかけ、コーヒーを飲ませるだけだが、学生運動華やかなりし当時の、少しネクラな学生の気質とマッチしていた。私は、国分寺駅前にあった「モダン」という店が好きだった。
就職してからもしばらく三鷹に住み、吉祥寺によく行った。当時、都内では新宿と吉祥寺がジャズ喫茶のメッカで、吉祥寺だけでも20軒以上あったはずだ。
その後、ジャズ喫茶は徐々に姿を消していった。暗がりで一人でジッとジャズを聴くような行動をとる人が減ったこと、コーヒー一杯で何時間も粘られては経営が成り立たなくなったこともあるだろう。
神田神保町にあった「響(ひびき)」という店が閉店したとき、ある新聞に「さらば青春の響」という見出しが載ったことを覚えている。
ところが、地域紙の仕事を始めて、いろいろ歩き回っていて、東上沿線にジャズ喫茶が生きながらえていることを知った。
その一つが、BUNCA(志木)だ。この店は、大型の音響装置に、LPレコードのコレクションという、昔からのパターンをかたくなに守っている。まさか志木で、このような店に出合えるとは思わなかった。ぜひ本紙で紹介したかったが、店主があまり表に出るのがいやな方のようで、そのままになっている。
朝霞台駅前には、ライブが主だが、「停車場」という店があり、こちらは本紙で取り上げさせていただいた。この店から巣立った有名ミュージャンもいる、本格派のジャズクラブである。
そして、同じく朝霞の「海」。実は、私は以前、この店の近くに住んでいたが、その歴史をよく知らなかった。最近、「海」がわが国で現存する最古のジャズ喫茶であるらしいことがわかった。次号、「基地の町朝霞」特集でご紹介する予定です。
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2010年2月26日(金) |
読者からの手紙 |
本紙読者の女性から以下のようなお手紙をいただきました。
「東上沿線ものがたり」楽しみに拝読しております。
東上線には青春時代8年間お世話になりました。
この情報紙を手にした時、妙に懐かしく思われたのはそのせいかもしれません。
山下龍男さんの「沿線歴史点描」は毎回楽しみにしています。
若い頃、東上線ができた歴史など何も考えず興味もなく、ただ乗車していた私ですが、このシリーズを通じて東上線が時代の流れとともに移り変わりゆく姿、歴史を知り、もう一度乗車してみたいという気持ちになりました。
今回の「編集雑記」に岩瀬さんが「東上線の小さな旅」を始められたとのこと、私もぜひ歩いてみたいと思った次第です。
東上線を懐かしく思いながらペンを取りました。
新しくなった「東上沿線ものがたり」、表紙も素敵で中身も立派になりましたね。
追伸 獅子唐の種、私もタネもヘタも取らずにおいしく食べています。高井さんの「えっせい」を読んで、私も「そうなんだー」と驚いていますヨ。
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2010年2月20日(土) |
呼吸ヨガ |
第28号を発行しました。今回もいろいろな話題を取り上げましたが、私自身が一番力を入れたのはネパール式呼吸ヨガです。
うちの事務所の近く、ふじみ野市苗間でネパールレストランを経営するアディカリ・ビショさんの紹介です。たまたま知人がビショさんのヨガスクールに参加したことがきっかけで、知り合いになりました。
紹介するに値すると考えたのは、ビショさんの人格、能力、さらに遠い異国で苦労しながらヨガを普及しようとする心意気もさることながら、その呼吸ヨガの威力です。
呼吸ヨガは、スワミ・ラマディブという人が創設した比較的新しいヨガ。日本ではあまり知られていないが、インドや欧米では高い評価を得ています。そのすごさは、呼吸の訓練で、いろいろな病気を治してしまうこと。見せていただいたDVDには、背骨に障害がある人のためのヨガ、不妊症のためのヨガなどもあります。
実際、私の知人もかなり健康面で改善が見られています。
このようなパワーを持ったヨガを広めたいという気持ちで、ビショさんは日本にやってきたわけです。
しかし、現状は教室の会場の問題、レストランの経営の問題と、いろいろ難問に直面されているようです。
どうか、このようなすばらしいヨガ、人材をご支援いただけますよう、よろしくお願いいたします。
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2011年2月、ふじみ野市に教室を開きました。こちら。 |
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2010年1月28日(木) |
オランダ村 |
長崎県佐世保市のテーマパーク「ハウステンボス」の経営支援先が決まらず、閉園になる可能性も出てきている。
「ハウステンボス」の前身が「長崎オランダ村」で、1983年、東京ディズニーランドと同時期に華々しくオープンした。オランダ村を開いたのは、それまで西彼杵村?(だったと記憶)の役場職員に過ぎなかった神近義邦氏で、その事業興しはミラクルストーリー、私は一度だけ神近氏と会ったが、その姿はまさに神かと思われた。
しかし、施設の要は結局はオランダの風景を再現したということだけ。当時、私はある長崎出身の高名な経済学者が「大村湾の自然をそのまま活かす施設にするべきだし、その方が長続きする」と言っていたのを思い出す。
その後、「ハウステンボス」に拡大させたが、海外旅行が普及し、一方で経済の低迷も重なり、集客は落ち込み、今日の事態になった。
旧オランダ村の隣に、規模は小さいが「バイオパーク」という動物園があり(おそらく今もあるはず)、こちらは自然を活かした設計がすばらしく、いやされる。
オランダ村の歴史は、地域の開発のあり方を含めて、いろいろなことを教えてくれている。
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2010年1月20日(水) |
韓流 |
本紙のスタッフの一人の紹介で、大久保の高麗博物館を訪れた。ここは、日韓交流をテーマとした博物館だが、どちらかというと、韓国・朝鮮側から過去の歴史を検証しようという立場に立つようだ。
今回開かれている展示は、「文禄・慶長の役と日・朝の陶磁」(31日まで)。秀吉の朝鮮出兵の際、多くの陶工が日本に「拉致」され、彼らが有田焼や薩摩焼など、現在に至る日本の代表的な焼き物を興した。その日本の焼き物の歴史を、朝鮮側からの視点で調査、編集したものだ。私は、佐賀にも滞在し、焼き物は多少知識があるが、この展示内容は非常に新鮮で、教えられるところ大でした。
高麗博物館は、コリアタウンのちょうど中心部にある。通りは、韓国料理店、韓流スターグッズなどの店が立ち並び、活気がありました。今、東京でもこうした元気な街は少なくなった。それは、日本と韓国の経済状況の差もあろうが、ヒトの差もあるのではないか。日本人は、カネと保身にキュウキュウで、困ったものです。
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2010年1月17日(日) |
秩父散歩 |
秩父市の中心部を散歩した。
秩父神社に参拝した後、近くの武蔵屋というそば屋をのぞいた。ここは単なるそば屋ではなく、有田焼の源右衛門窯の陳列場を付設している。店主が趣味の人で百貨店主体の源右衛門の個店での取引は全国でも珍しいという。私の知る限り、有田以外では品揃えは一番だ。
そばの方は行列ができていたので、秩父神社の方に戻り、旧秩父往還道を歩いてみる。この通りは、戦前、あるいは江戸期まで含めて歴史的な建物が軒を連ねる。川越のように観光地化していないので、ひっそりとし、趣のある通りだ。
「秩父ふるさと館」は、大正時代の秩父銘仙問屋の店舗をまちづくり施設に転用したものという。みやげ物、工芸品店、喫茶店などが入っている。
そばが食べたくて、簡素な造りの「さくらい」(写真上)に入った。若い人3人で経営している。聞くと古民家を改造したという。なかなかのセンスだ。味もよい。ガイドブックに載る武蔵屋にはお客が押し寄せるが、こういう新しい挑戦は集客は難しいようだ。がんばってほしい。
その隣には、「ほっとすぽっと」という、やはり重厚な建物。気のきいたカフェらしき空間になっている。
秩父駅前を過ぎて、私も愛飲する武甲酒造(写真下)に。話好きの長谷川社長がいろいろ説明してくれた。建物は築200年で文化財指定を受けているとのこと。ここの酒は東上沿線ではほとんど扱っていない。何本か買い求めた。
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2010年1月6日(水) |
謹賀新年 動乱の寅年 |
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年は寅年で、私は年男となりますが、寅年といえば「動乱」がキーワードの一つです。
経済面で見ますと、12年前の1998年は日本で前年から大銀行の破綻が始まり金融危機が深刻化、私の知る限り戦後で日本人が最もふるえた年だったと思います(当時、私の周辺にいた金融界の人たちは本当にふるえていました)。
24年前の1986年は、いわゆるプラザ合意後の円高が急進展した年、その12年前の1974年は第一次石油危機と、いずれも戦後経済の最も大きな動乱期と重なっています。
今年はどのような動乱がありえるでしょうか。一部にささやかれているのは、米国における危機の再発、ドルの暴落・超円高というシナリオです。私は、それよりもありえるのは、内需型産業(建設、不動産、小売、飲食、サービス業など)があまりの需要縮小に耐え切れなくなってバタバタとたと倒れる、一種の恐慌状態の出現だと思います。それは「動乱」にふさわしく、可能性は否定できないと思いますが、とりあえずの予測は日本経済の停滞脱出・本格上昇、米国経済の減速という楽観シナリオです。それは、民主党政権の大幅赤字予算と、円高進行によってもたらされます(私は世の常識と異なり、円高が経済にプラスと見ています)。
「動乱」は2008〜2009年ですでに経験しているとも解釈でき、日本に限ればそこからの脱出の年になると期待もこめてみます。足元の株価上昇はサインです。詳細は、リンクから私の経済予測ページをごらんください。
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2009年12月28日(月) |
時代のテーマ |
本紙第27号で紹介している無肥料自然栽培をテーマとした講演会(1月24日ふじみ野市勤労福祉センター)に参加申し込みが殺到しているという。3000円という有料の催しだが、すでにチケット完売。本紙読者からも依頼があったが、主催者によると、講演者の親しい同行者でも入場できないという。
これは、ベストセラー『奇跡のリンゴ』の著者で、NHK番組にも出演した木村秋則さんという旬の人が参加するということもあるが、それとともに「無肥料栽培」というショッキングな題材を扱うことが注目を集めている理由だ。
健康、環境にやさしい農業といえば、有機、無農薬栽培が対応するが、無肥料というのはさらにステップアップしている。そもそもそんなことが可能なのかといのが多くの人の素直な感想だろう。
推進役の松浦智紀さん(サン・スマイル社長)は、時代の先を読んでいるようだ。
このように、時代時代には、テーマがある。それを抽出するのも、本紙の使命だ。
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2009年12月8日(火) |
貧困の原因 |
ある勉強会で、毎日新聞の東海林(とうかいりん)智記者の話を聞く機会があった。労働・貧困問題の専門家で昨年の年越し派遣村の運営にもかかわり、著書『貧困の現場』でも知られる。
私自身は昨年の後半、特にテレビで「派遣切り」、「貧困」の報道が相次いだとき、やや奇異な印象を受けたし、やり過ぎではないかとも思った。
今回お話を聞いて、現場の意識、空気がよき理解できた。東海林記者は、派遣切り、ネットカフェ難民、過労死など、現代の労働者の過酷な状況を徹底して追求し続けており、その純粋な情熱には敬服しました。
ただ、私自身は経済畑なので、どうしても「昨今の貧困問題の根本の原因は何か」に関心が行ってしまいます。
私なりに分析すると、
@なんと言っても、日本経済が傾向的に低成長であることです。そもそも全体の所得が増えていません。
Aしかもグルーバル化の進展で、日本経済は中国をはじめとする新興国と一体化しつつあります。グローバルな世界では、非熟練労働の賃金は同一レベルに収斂するといわれています。
B上記@、Aとも関係していますが、企業が「人件費の変動費化」に力を入れだしたことです。賃金・社会保険料負担が高く、いざというときも抱え続けなければならない正社員でなく、パートや派遣社員を増やそうということになります。
C上記Bの流れを促進したのが、派遣業規制の緩和など、労働関係の規制緩和です。
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2009年12月1日(火) |
事業仕分け |
政府の事業仕分け作業が、いろいろ物議をかもしながら終了した。
そういう評価が多いが、私も画期的な試みであると思う。
私も、前職時代に官庁の取材を担当したが、予算書の項目と金額を見てもまったく何のことかわからない。話題の目玉政策は説明があるが、それも抽象的。国会でもほとんどの政策は議論されない。
結局、役人と、一部は業界・地方自治体⇒族議員⇒役人 というルートも組み合わさって中身を決定、一般国民は蚊帳の外であったのである。
私は、シンクタンク勤務時代、個別の政策の現場までの詳しい内容と資金がどう流れているかを追跡して売り物にしたらどうかと提案し続けたが、理解してもらえなかった。
今回の内閣で行政刷新会議の事務局長になった構想日本の加藤秀樹氏は、大蔵省を飛び出し、以前から予算のあり方を鋭く追及していたが、世の中の受け止め方は異端、変人扱いであったように感じた。
加藤氏は、一貫して主張を貫き、地方自治体の事業仕分けでも実績を積み、ついに国政に参画したわけで、尊敬すべき軌跡である。
今回の事業仕分けは意義が大きいが、予算の使い道について、詳細なデータがないのが欠陥である。民主党でも国会でも第3者でもよいが、時間をかけて調査するという作業が必要である。今後に期待したい。
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2009年11月25日(水) |
金讃神社 |
以前にもこの欄で紹介した神川町の金讃(かなさな)神社に出かけた。前に訪れた時は、時間がなく参拝はしなかったが、鳥居から境内を見通した景色が不思議な気配であって、再訪したいと思っていた。
鳥居近くの駐車場に車を入れると、流れる渓流沿いに音。2頭のイノシシであった。参道と平行して流れる川沿いは公園になっているようだ。
この神社は「武蔵国ニ宮」とされる歴史と格式があるそうだが、境内はいたって簡素である。国指定重文の多宝塔、拝殿はあるがそれ以外は目立った建物はない。そもそも本殿がないのだという。拝殿の裏は山で、それがご神体という。
背後の御嶽山の山頂近くに国の特別史跡に指定されている鏡石があるという。標識に「500m」とあり、上ってみることに。しかし、階段が作ってはあるが、勾配はかなり急で、十分過ぎるほどの登山となった。
御嶽山の頂上が右の写真である。遠く本庄あたりだろうか、市街地も見渡せる。
荘厳な雰囲気で、山登りを楽しめる。
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2009年11月16日(月) |
ネパール・レストラン |
ふじみ野市の苗間、神明神社近くに、ネパールレストラン「エベレスト・グルカ」がある。東上線をまたぐ陸橋を下りたところで、派手目のサインが目印になる。
ヨガのスクールに参加したことがきかっけで、店にも行かせていただき、14日夕のコンサートにも参加させていただいた。
ビショさんというネパールヨガの達人が経営するお店で、その家族を中心に運営している。皆さんあたたかい人柄で、料理も素材を生かした飽きのこない本物の味である。
ただおそらく日本人には最初はなじみにくいのだろう。今年開店したばかりだが、まだ経営は厳しいようだ。
カレー、エスニック料理のきらいでない人はぜひ訪れてみてください。本紙でも近く紹介するつもりです。
ネパールレストラン「エベレストグルカ」
ふじみ野市苗間372-9
049-264-0909
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2009年11月9日(月) |
街 |
新橋で2時間の待ち時間をつぶさねばならなくなり、3箇所の「街」を歩いた。
第1は、汐留のオフィス街だ。旧操車場跡に最近建設された街で、電通や日本テレビ、松下電工などの本社が入居するオフィスビル数棟とショッピング・飲食フロアから成る。
私は前職時代からよくここに出入りしていたが、今回はなぜか非常にさびしく感じた。日テレ前の広場も、電通ビルの「カレッタ」と呼ばれる商店街も人はまばら。夕刻でサラリーマンは、足早に駅に向かうだけ。
このような人工的な異次元の街は、特に中高年にはあまりくつろげるところではない。
汐留から新橋駅寄りに、古くからの「新橋駅前第1ビル」、「第2ビル」があり、その地下が飲食中心の商店街になっている。2番目にここに足を踏み入れると、そこは懐かしい、レトロの世界。小さいな飲み屋、喫茶店、マッサージ店らがひしめき、人の臭いがする。おじさんたち(私のような)がほっとする街だ。
そして、第3に、少し歩いて銀座に出た。やはり人出は多くない。開店祝いのクラブの前だけ熱気があった。中国人観光客がバスで乗り付けているのが目につく。商店は、中国語の看板を出すところもある
対照的な3つの街。これから人々をひきつけるのはどの街か。
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2009年11月5日(木) |
神川町 |
坂戸市観光協会の研修旅行に参加させていただいた。神川町への1日バス旅行である。
神川町は、関越を下っていくと寄居より先、本庄児玉インターで下り、群馬県境に近い。今まで「死角」にあたり、今回が初めての訪問である。
お目当ては、城峯公園の「冬桜」であったが、私が感心したのは、金讃(かなさな)神社の風格、野趣と、ヤマキ醸造であった。
金讃神社は武蔵二ノ宮だそうで、スケールも大きく、全山ご神体とされる裏山の自然に圧倒される。今回は参拝する時間もなかったが、ぜひもう一度訪れたい。
ヤマキ醸造は、醤油や味噌を作る工場だが、これも「こんなところに」と驚かされるような、品格を備えた施設だ。説明によると、古くから皇室との関係があるという。
神川町は、神泉村と合併して今の形になった。流れるのは神流川、神山もある。
神の里だろうか。すがすがしい、不思議な地域である。
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2009年10月25日(日) |
コンサート |
これも本紙で紹介した東松山成恵会フェニックス管弦楽団のコンサートが、嵐山の国立女性教育会館であった。
管弦楽団は、成恵会病院の長谷川理事長が、音楽で人々に癒しを与えることを目的に設立された。自らもヴァイオリンを弾き、今回も演奏に参加された。
個人が作った楽団だが、メンバーは一流で、ピアノは豊田裕子さんが務めた。こんな不便な場所でも600席のホールは満員の盛況であった。
私は、女性教育とか男女共同とかというと敬遠する方でこの施設も初めてだが、紅葉もみられ実にすばらしい環境でした。クラシックも少し好きになりました。
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2009年10月24日(土) |
入間市で思う |
本紙第25号で紹介した全国茶品評会の出品茶展示会が、入間市の体育館であったので、出かけてみた。
万燈まつりという祭りと同時開催であったため、かなりのにぎわいであった。今回、初の試みとして、入賞茶の試飲ができるというのが、私がわざわざ出向いた理由である。
めったにないチャンスということはあまり知られていなかったと思うが、それでも行列ができてきた。お茶の種類別に席が分かれ、日本茶インストラクターの人が説明をしながら淹れてくれる。私は、深蒸し煎茶、普通煎茶(10キロ)、普通煎茶(30キロ)の3種類を試飲させていただいた。
試飲の場合、供されるお茶の量はほんのわずかで、味わうだけだが、「まろやか」とかというより、「強烈」という印象であった。それ以上はよくわからないが、最高のお茶を経験したということは、今後のものさしになる。
ちなみに、今回入間市からは普通煎茶部門で2名の農林水産大臣賞が出た。
今回、久しぶりに西武線に乗り、初めて入間市駅で降りた。町に落ち着きと品格がある。西部線も東上線に比べると、雲泥の差である。これは、東京・多摩に隣接するという土地柄の差もあるが、経営の差もあるだろう。それでも、我々は東上沿線から逃れることはできない。少しでも沿線をよくするように努力するしか道はないのである。
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2009年10月7日(水) |
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昨年、本紙でも紹介したふじみ野市の旧大井村役場が今一般公開され、あわせて「ふじみ野市のなつかしの風景」と題する古写真展が開かれている。
中には大正j時代の福岡河岸など貴重な写真も。11日まで。
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2009年10月2日(金) |
住宅もエコの時代 |
本紙も広告を出していただいている家づくり工房(川越市)の矢田社長によると、現在でも同社の受注、施工高は2割くらいのペースで増加を続けているという。日本全体で見れば、住宅着工は劇的に減少しており、私は戦後最悪の住宅不況の状況にあると見ている。
そんな中で、増加を維持できるのはなぜだろうか。同社の特徴は、あくまで自然素材にこだわり続けていることである。矢田社長によると、特に若い世代にエコに関する関心が高まっていることがあるが、それとともに現実に子供にアレルギー症が増えるなど、自然素材の住宅に対する切実な需要が増えている面もあるという。
木材にしてもすべて原産地を表示した無垢材を用いるなど従来から頑固に、環境や体にやさしい住宅づくりを徹底してきた同社としては、「たまたま時代が同じ方向を向いてきた」形で、エコ重視の潮流が追い風になっているわけだ。
家づくり工房の快走は、これからの企業の進むべき道を指し示しているようだ。
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2009年10月1日(木) |
レストランの閉店 |
うちの事務所の近くのビルの1階に、cafe kannonという小さなフランス料理店があった。「あった」と言うのは、つい最近まで営業していて、店を閉じたのである。
若い夫婦のやっている感じのいい店であった。うちの新聞にも広告を出していただいたことがある。貧乏をしている私は行く機会がなかったが、知人がうちの広告を見て、誕生会に使ったら、非常においしかったとほめていた。
おそらく2年足らずであろう。なぜ閉めなければならなかったのか詳しいことは知らない。ただ、ふじみ野地域で飲食業の経営は非常に難しいのは確かだ。開いては閉めるのが常態化している。この背景には、足元の景気、特に消費関連が冷え切っていることがあるが、それとともに、最近は手の込んだ料理を出し値段が高めであるような店は押しなべて不振であることもある。わかりやすい味で、価格が安いことが、とりあえずの集客の条件のようだ。
また、ふじみ野は、イメージが洗練され、高級住宅街のように思われているが、大半は住宅ローンに追われる、それほどでもない人たちなのである。
若い二人は、それでも果敢に挑戦したことはえらい。
うわさにうよると海外に飛んだという。再起を期してもらいたい。
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2009年9月28日(月) |
いよいよ景気は本格的に落ち込みか |
私は、当面の景気に関して悲観派で、今年春以降景気指標が多少上向いたのはあまりにも急激な落ち込みからのリバウンドに過ぎず、近い将来再び経済は下降に向かうと言いつづけ、この欄でも書いたことがある。ただ、これまで景気はなかなか落ち込まず、株価も上昇傾向で推移してきた。
言い訳になるが、これまでの景気の予想以上の持ち直しは、リバウンド要因の他に、米国と中国における大幅な金融緩和、マネーの供給によると考える。特に中国においては、株価、地価とも「バブル」の様相を見せている。
しかし、実体経済の低迷下の「バブル」は、正体を現し、崩壊するのも早いはず。未曾有のマネー供給はいつまでも同じ勢いで継続できるものではない。
先日、日本総研の藤井英彦調査部長の話を聞く機会があったが、私と同じ超悲観派で、この9月にも景気は下方転換する可能性があると言われていて、意を強くした。
本日、米国景気に悲観色が強まり、為替が円高に振れたこともあり、株価が大幅下落、日経平均は一時1万円を割った。
私は、これから本格的な景気落ち込みに向かい、株価の下げ(底なし)が始まる可能性が高いと見ている。
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2009年9月25日(金) |
鳩山内閣 |
鳩山内閣が始動したが、私にはかなり新鮮な驚きだ。
まず、予想していた以上に人材が揃っている。元々、民主党は地盤、資金、世襲より政治に対する意欲で政界入りした人が多いとは思うが、その志は高く、政策にも通じている。労組出身者はどちらかというと柔軟性に欠けるのではないかと考えていたが、少なくとも閣僚になった人たちはなかなかである。
第2に、しかも、人事が非常にうまい。私は小泉元首相は人事の天才と思ったが、その起用、配置はややアクロバット的なところがあった。今回は、実効が想定され、すごみがある。
第3に、戦略が緻密に組み立てられ徹底している。「政治主導」は単なるお題目かと思ったら、その完全実施のための手をあれこれ打っている。これまで飾り物であった大臣の力が格段に上がり、文字通り大臣になった。いてもいなくても同じといわれ、単に当選回数で割り振られていた副大臣(旧政務次官)も活躍の場を得た。
これまでの行政機構、政策決定システムを抜本的に変えるもので、一種の革命である。
第4に、政策は「バラマキ」色が強いと見ていたが、それよりも公共事業を含めこれまでの予算の使い方の見直しに矛先を向けている。
以上のように、少なくとも私が日本の政治を見るうようになってからは、もっとも迫力のある動き出しだ。あまりに過激なため、反発も強く、途中で墜落しないようにしてもらいたい。
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2009年9月17日(木) |
武蔵浦和の駅ビル |
所用で武蔵浦和駅の近くを歩いていたら、埼京線のガード下にあるショッピング街の入居店舗名が面白いので覗いてみた。
1階が「彩食館」という食品フロアなのだが、海産物の北辰、浜作など、対面販売で、あまりSCには出ないような店が並ぶ。おそらく、地域の店も含まれるのだろう。アットホームで親しみも感じられる。魚とお菓子を買い求めたが、非常においしかった。
ショッピングセンターや駅ビルというと、入居する店は、どこも似たりよったり。特に東上沿線はその傾向が強い。ある程度は成長し、拡張戦略をとっている企業が優先される結果なのだろうが、それだけでは面白みがない。
店の選択は重要である。この武蔵浦和のガード下店舗は、どこが運営しているのか知らないが、ポリシーがあり、なかなかいい。参考にしてもらいたい。
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2009年9月14日(月) |
出会い |
この歳になると、若い人たちの実態でわからなくなってくることが増えてくるが、その一つが「男女の出会いがない」という指摘である。
少子化の原因である晩婚化、「少婚化」の背景として、各種調査で「出会いが少ない」という理由が必ず出てくる。私が以前勤務していたシンクタンクでも、ある人が独身男性が増えている理由を調べたところ、やはり「相手がみつからない」という答えが多かった。
これはなぜなのだろうか。出会いの機会が以前より減っているとは思えない。ネットによる交流などを含めれば、たぶん拡大しているのではないか。また、今の若者は私から見れば、受け答えがスマートでソツがなく、コミュニケーション能力も高まっているように思える。昔のように、女性の前に立つと顔が赤くなり言葉が出ないような男は今では絶滅しているのではないか。
ここから先は私の推測である。
私の家では犬を飼っているが、散歩中犬は臭いを追いかけ、隣に雌犬がいても臭いを優先して見向かない。電車の中などで、今の若者は携帯に見入り、周りの人たちには無関心、あるいは拒否姿勢のように感じられる。
もちろん携帯には有益で楽しい情報がつまっているだろうが、生身の人間の方がもっと面白いし大事なはず。
それは赤の他人だから無関心なのか。私が若いころ、ある母親は「女は一歩外に出たらいつ見初めてくれる人が現れるかもしれないのだから、その心づもりをしておかなければいけない」と言っていたのを覚えている。
先日、ある勉強会に出たら、古老が「最近の子供は、先生が知らないおじさんに話しかけられても返事をしてはいけないと教えてるから、『おはよう』と声をかけるとそっぽを向く」と嘆いていた。
他人をみな、誘拐魔や痴漢とみなせば、出会いは学校や会社で隣の席に座った人、あとは、出会い系サイトと有料の結婚紹介業しかなくなってしまう。
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2009年9月2日(水) |
小泉功先生がご逝去 |
川越市とふじみ野市の文化財保護審議会の会長である小泉功先生が9月1日逝去されました。81歳でした。
先生は、永らく川越高校の教諭を務める傍ら考古学の専門家として県内各地の遺跡の調査などに携わり、教員退職後も地域の文化財保護のリーダーとして活躍されました。特に、河越氏館(川越市)、水子貝塚(富士見市)の調査、文化財指定、保存に尽力された功績は非常に大きなものがあります。
3年ほど前に胃の手術をされましたが、最近も東明寺(川越)の発掘出土物調査に精を出されていました。
本紙は、第5号(平成19年9月)で先生を紹介、また第22号から「川越街道・松平信綱と平林寺」と題するコラムを執筆していただきました。第24号の原稿が最後となり、連載は中断となります。
これまでの恩義に御礼申し上げるとともに謹んでご冥福をお祈りいたします。
なお、通夜は川越市民聖苑やすらぎの里で5日(土)6時より、葬儀は6日(日)午前11時より執り行われます。
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2009年8月31日(月) |
池袋物語 |
本紙でも広告などでお世話になっている淑徳大学エクステンションセンターが「池袋物語」という講座を開いたので、のぞいてみた。
4回シリーズで、郷土史家の伊藤榮洪氏をコーディネーターに地域の人たちの話を聞くという試み。第1回は「根津山と池袋界隈」というテーマ。今は大繁華街、ビル街となっている池袋駅東口前の一帯に戦前は根津山といううっそうとした森があった。狐、狸、追いはぎが出没していたという。当時を記憶している古老の話は面白く、あらためて歴史の変化を感じさせられた。
淑徳大学の公開講座は、このように企画が非常にさえている。場所も「根津山」のあった場所で便利なため、この日もほぼ満席だった。
次号以降で、講座の内容は紹介するつもりだ。
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2009年8月25日(火) |
次代のリーダー |
本紙に協賛していただいていたマンションデベロッパー、リブラン(板橋区大山)の鈴木雄二社長が「板橋政経塾」なる勉強会を立ち上げ、その第1回の催しとして、山田宏杉並区長の講演会があったので、参加させていただいた。
私はこれまで山田宏の名前を聞いたことがあるくらいで、まったく予備知識がありませんでした。結論から言うと、私の思想、直観から、彼は次代の日本のリーダーの有力候補に思えます。
山田氏は、昭和33年、八王子生まれ。京大法学部卒業後、松下政経塾入塾。都議、衆院議員を経て、平成11年から杉並区長。その間、大胆な行財政改革によって、杉並区の借金をほぼゼロにし、さらに「減税自治体構想」を掲げている。
区長は3期までとし、山田氏は「よい国つくろう!日本国民会議」なる組織を、前横浜市長の中田宏氏(なぜか名前が似ており、両方とも松下政経塾)らと立ち上げ、国民運動を起こし、いずれ国政に参画する構えをみせている。
私の解釈では山田氏の構想は、さらに徹底した小泉構造改革である。現在は、小泉改革は格差を拡大したなどと言われ、不評であるが、山田氏は、国民や企業の「自立心」を促す政策こそ求められるとし、政府を小さくする徹底した構造改革を唱えている。
現在の自民対民主の選挙戦について、山田氏は「沈みかけているタイタニック号の中で、レストランのビフテキの厚さとデザートの種類を競いあっている」と、批判した。まさに、自民、民主両党の、国民におもねるバラマキ政治の対極に自らを位置づけている。
こうした政策姿勢には、もちろん異論のある方も多いであろう。
しかし、自民と民主、どちらが勝とうが、選挙後財政が破綻し、日本の成長力が衰えることは必至である。
そもそも、自民でも民主でも、最も健全で優秀なる層は、構造改革派である。次代は、自民・民主の構造改革派と、山田氏らのグループが合流し、日本の政治が形作られると予想したい。
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2009年8月24日(月) |
経済予測の達人 |
第25号を発行いたしました。
「編集雑記」に書いたように、今号からいくつかの連載企画をスタートさせました。
(1)野菜づくり今盛りなり :特に定年引退後の方々は、単なる趣味の域を超えて、新しいライ フスタイルとして、「農業」に挑戦する人が増えています。
一方で、従来からの産業としての農業は後継者に悩み、耕作放棄地も増えている。
「市民農園」は、農業従事者を確保し、将来の農業を支える役目も、ひょっとしたら果たす のかもしれません。
(2)障害者就労を考える :先日、第2回目の取材で富士見市の企業、倉業サービスを訪 ね、驚きました。障害者が、一般の従業員と見分けがつかず、いきいきと働いています。
能力の劣る人、職場にマッチできない人の就労をどうするかという、大きな問題を考え ます。
(3)狭山茶の研究 :沿線でも狭山茶を扱うお茶屋さんはよく見かけますが、なかなかおい しいお茶にはあたりません。私の長年の疑問は、お茶はなぜ酒のように生産者のブラン ドで販売されないのだろうかということでした。
今年は、入間で全国茶品評会が開かれます。
(4)テレビ時評 :本紙スタッフが、独自の視点で、面白い番組を紹介します。
(5)経済予測の達人 :経済は生き物といいますが、経済学、手法の進歩にも関わらず、先 行きを正しく予測するのは至難です。
達人はどのような方法で予測しているのか。順次紹介していきます。
ただ、内容が地域情報紙にはなじみませんので、当面このサイト上で記事を提供させて いただきます。
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2009年7月30日(木) |
「ふじみ野」は美名か |
本紙の事務所は、富士見市勝瀬というところにあるが、来年から富士見市ふじみ野西と地名が変わることになった。
ところが、ここから300m行ったところは、「ふじみ野市ふじみ野」である。初めて来た人や配達関係の人は面食らうに違いない。
どうしてこういうことになったのか。表向きは、住民アンケートの結果ということになっている。回答は「勝瀬」、「ふじみ野」がほぼ同数であったが、総合判断で「ふじみ野」にし、駅の東西で「東」、「西」に分けたという。
しかし、真相は奥深い。「ふじみ野」の名をめぐる、隣のふじみ野市とのつばぜり合いが背景にある。
元々、「ふじみ野」の地名はふじみ野駅ができたときに始まった。そして富士見市にある駅だから「ふじみ野」になったというのが、富士見市の主張だ。
だが、ふじみ野駅はふじみ野市の旧大井地区の住民も利用する。旧大井町と旧上福岡市が合併した際、住民投票で「ふじみ野」が多数を占め、ふじみ野市が誕生してしまった。
ふじみ野市の命名については、富士見市は、元々富士見市内の駅名であり、富士見市ともまぎらわしいなどと抗議したようだ。
ふじみ野地区は区画整理によって町並みが整然とし緑も多く、沿線ではいまや最もしゃれた雰囲気の街となり、「ふじみ野」の名はブランド化している。
ふじみ野市は、いち早く区画整理を完成させ、市名だけでなく町名も「ふじみ野」としてしまう。 富士見市にしてみれば、生みの親であるにも関わらず、「ふじみ野」の名を横取りされてしまったような気分なのである。
今回、富士見市側の区画整理も完成が近づき地番を決めることになったわけだが、ここで「ふじみ野」を取らないと、富士見市市内から永遠に「ふじみ野」の地名がなくなってしまう。
そのいう面子の張り合いも、今回の地名決定には働いていたのではないかというのが、私の推測である。
しかし、「ふじみ野」の地名はそんなに貴重なのだろうか。確かに、地域のグレードのようなものに敏感な国民性で、地名にこだわるのかもしれない。
今に至る争いを清算するには、両市が合併し、市名を「ふじみ野」とするのが一番であろう。
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2009年7月24日(金) |
小江戸新聞 |
すでにご覧になっている人も多いでしょうが、「小江戸新聞 川越ほっと」という川越の地域情報サイトが昨年から公開されています。
このサイトを運営している大澤誠さんは、奇しくも私が以前勤めていた新聞社の同僚でした。いまどき多くはない地域媒体の立ち上げを、出身母体の同じ2人が、ほぼ同時期に、近接地域で行ったというかなり信じがたい偶然でした。
それはともかく、このサイトは実によくできています。川越市内で開催される各種イベントや市議会の動向が特に詳しく報じられているのですが、記述が非常に克明で、それでいてわかりやすい。写真も豊富で、その場に参加しなくても、出来事の全貌がほぼつかめるような内容になっています。
埼玉新聞を含め大手紙ではこのように詳細な内容を伝える余裕はありません。一方で多様な地域メディアがありますが、川越にはなぜかきちんとした地域紙がこれまで存在せず、現状の媒体ではどこもこのように地道な取材を行う意欲も、力もありません。そのため、小江戸新聞は川越市民にとって、貴重な地域情報源になりつつあると思われます。
経営姿勢は謙虚で、現状は広告の掲載も行っていません。いずれその存在意義が認められ、広告の依頼も増えてくるでしょう。
まだの方は、一度訪問してみてください。
なお、本紙「東上沿線物語」はエリアも広く、取り上げるテーマもきまぐれで、継続的な報道を狙いとしてはいませんので、小江戸新聞とぶつかることはなく、補完関係にあります。ともに栄えられればそれにこしたことはないのですが。
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2009年7月21日(火) |
百鬼丸 |
いろいろ多忙でしばらく、web日記の更新をおこたっていました。申し訳けありません。今、関心があるのは足元で少しよくなっているといわれる景気がどうなるかです。このテーマは以前もこの欄で取り上げたことがありますが、地域経済にとっても最大関心ではないでしょうか。それについては後ほど書かせていただきます。
さて、本紙第21号でも長編のインタビューをさせていただき、表紙イラストもお願いしている「幻の切り絵作家」百鬼丸が、小川町の埼玉伝統工芸館で「切り絵で描く三国志展」を開いているので、ご挨拶がてらのぞいてみました。本人も会期中会場におり、即興きり絵などを披露しています。この日は切り絵制作はお休みでしたが、会場内で開かれていたガラス細工教室に飛び入り参加して、生徒さんたちと一緒にガラスコップに絵付けをしておられました。私は最初当人がどこにいるか分かりませんでした。
いまや切り絵界の第一人者であるにも関わらず、茶目っ気がありきさくな人です。3000円のTシャツを買ったら、裏側にサインと称して絵を描いてくれました。
この展覧会は8月16日まで開かれているそうですので、近くまで行かれたらご覧ください。
ただ、いつも思うのですが、この館は300円でも料金を取るので、人気の道の駅内であるにも関わらず入場者がいつも少ない。今の時代は無料にしてグッズ販売で収益を上げる方が得策かもしれない。でないと、せっかくの作品群がもったいないと感じます。
ついでに、やはり本紙で紹介した晴雲酒造経営のレストラン玉井屋で食事をしたら、こちらは待ちが出るほどの繁盛。テレビに2度紹介された影響があるというが、やはり本物の味が評価されたのであろう。 |
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2009年6月20日(土) |
第24号から一部公開します |
第24号を発行しました。平成19年4月の発刊から、当初は月刊で、今年から隔月刊に変わりましたが、とりあえず正味2年分の発行をしたことになります。これまで多くの方にお読みいただくことができました。
しかしながら、本紙の部数はまだまだ十分ではなく、経営の自立のためには、さらにより多くの方々に編集の意図をおくみとりいただき、その意義を評価していただかなければなりません。
そこで今後は、一部記事をweb上で公開するとともに、ご希望の方には試読もしていただくことにしました。
まず目を通していただきますよう、お願いいたします。
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2009年5月15日(金) |
景気は回復しているのか |
昨年秋以来の世界的な経済の落ち込みは、少なくとも戦後では一度も経験したことのない急激なものであったが、足元ではちらほら明るい指標が出てきている。近く発表される1-3月のGDP成長は大幅なマイナスでも、4-6月はプラスに転じるとの予測が大勢になっている。
株価も、3月10日にバブル崩壊後の最安値を更新してからは上昇基調にある。こうしたことから、専門家の間にも、景気はすでに底入れした、あるいは近い将来上昇に転じるとの、楽観的な見方も出ている。
私の見方は、足元の好転は一時的なリバウンドに過ぎず、遠からず経済は再び下向きになり、次の落ち込みは前回よりさらに深くなるというものである。
一部に、在庫調整が進展したから景気は回復するとの指摘もあるが、在庫調整だけで景気が上向くことはない。これまでの大幅な減産の結果、在庫が減れば、多少減産ペースは緩むだろうが、最終需要がついてこなければ本格増産に向かうことはない。
もし、足元のリバウンドがなければどうなっていただろう。足元で製造業の生産量は全体で前年比30%程度減少しており、業界によっては50%以上落ち込んでいる。企業収益も、わが国「最強企業」のトヨタ、ソニーをはじめ軒並み大幅赤字を計上している。もしリバウンドがなければ、経済規模がゼロに向かって収縮することを意味する。それは経済の破綻である。
人間が生活し、社会が従前通りまわっている限り、ある程度リバウンドする、のは必然である。しかしここから回復が持続するのは難しいと考える。なぜなら、これまで半年間の急降下のマイナスの波及がこれから始まるからである。企業は収益の悪化に対応して、経費を絞り、夏のボーナスも過去最大の減額見通しである。需要減少のマイナスのスパイラルがこれから起きてくる。
ほとんどめちゃくちゃなばらまきである補正予算による大型の景気対策は確かに一定の効果はあるが、下向きの力が強く、しかも高齢化の進展、年金社会保障への不安から、中長期的にも悲観が勝る日本において、政策で経済を即持ち上げるのは不可能と考える。
回復が可能になるのは、経済が落ちるところまで落ちて、海外環境もよくなり、政策の効果も浸透してきたころで、私は来年以降であると考える。
ただ、今回の景気落ち込みは輸出型製造業が主導しており、地域に目を向けるとそれほどの影響を受けているわけではない。地域経済、産業は景気が長期上昇を続けているときも恩恵を受けていたわけではなく、言ってみれば長期的な低迷がそのまま持ち越されているようなものである。
今回の世界的な経済の陥落が、グローバル化、金融の肥大、IT先端技術、不動産バブルに起因するとすれば、それらに疑念の生じた今、地域の資源が、次の時代を拓くかもしれず、不況を地域企業のチャンスととらえたい。
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2009年5月1日(金) |
桂木観音 |
毛呂山に取材に行ったついでに、桂木観音に立ち寄った。立ち寄ったといっても、車でかなり急な山道を登る。歩いたら、毛呂駅から1時間以上はかかるだろう。
車道は行き止まりで山の中腹の急斜面の階段を上ると、仁王門、その奥に観音堂がある。堂の前に、「縁起由来」が掲げてある。
それによると、創建は奈良時代の僧、行基による。そのころ、この山に紫の雲がかかるので人々が不安がっていた。行基がここを訪ねると、あたりに芳しい香りが満ち、金色に輝いたと思ったら観世音が現れた。行基はこの地に庵を建て、ご本尊の観音像も自ら彫刻したという。
言われてみると、そのような奇跡のおきそうな場所である。気のせいか香りがただよっている。秩父の山を背後に、遠く関東平野を見渡せる。
このように由緒があり、かつてはご利益があるとして参詣者が多かったようだが、今はかなりさびれて、訪れる人も少ない。
歩くのは大変ですが、一度参拝する価値がある場所です。
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2009年4月7日(火) |
シルバー |
庭のケヤキが大きくなりすぎて、自分で切るのは危ないので、シルバー人材センターに依頼した。
2人組で来てくれて、聞くと2人とも前職は植木とは関係なかったという。1人の方は、サラリーマンで55歳まで勤め上げたが、オフィスワークがいやになり、自然と触れ合う仕事ということで、はじめたとのこと。
危ない仕事を一日やっても収入は数千円とこぼしてはいたが、その表情は悠々としている。
同じく、サラリーマンを捨てた私だが、自然を触れ合うことも少なく、収入はゼロである。私もシルバーにでも登録しようか。
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2009年4月1日(水) |
高橋洋一氏 |
小泉内閣時代、竹中大臣のブレインでもあった高橋洋一東洋大教授が、豊島園にある温泉の脱衣場で窃盗を働いたとして書類送検されたとのニュースには驚いた。
私は前職時に、高橋氏には何回かお世話になったことがあり、私にとってはもっとも尊敬でき、かつ親近感のもてる官僚の一人だった。ご存知の方もおられるだろうが、高橋氏は旧大蔵省のキャリア官僚であったが、小泉内閣時、旧知の間柄であった竹中氏に請われ、構造改革の企画立案にあたった。高橋氏は、財政投融資を担当した実績を持ち、特に郵政民営化、政策金融機関改革の推進には多大な貢献をした。また、最近の景気対策でも財源として計上されている、いわゆる「埋蔵金」(特別会計の余剰金)を"発見した"ことでも知られている。
高橋氏の功績は小泉構造改革を推進する知恵袋となったこととともに、官僚の生き方にまったく新しいモデルを示したことにあると思う。出身母体の大蔵省から離れ、その世話にならず、一匹狼として国家的視点から縦横無人に活躍した。省益にとらわれ萎縮している霞ヶ関官僚の、本来あるべき姿を鮮やかに描いてみせた。
高橋氏の性格は、飾り気がなく、気さく。どちらかというと、豪放磊落の野人タイプかもしれない。今回の事件の真相のほどはわからないが、そのような隙の多い性格ゆえ魔がさしたのかもしれない。これにめげずに、さらに日本の政策当局に刺激を与え続けてほしいものである。
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2009年3月17日(火) |
ETC騒動 |
高速道路値下げの適用を受けるにはETCの装着が必要だということで、車載器を購入しに行って、驚いた。どこも、お客が殺到して、機器が品切れ、いつ入荷するかもわからないという。
最初、購入費助成の取り扱い店に行ったら断られたので、オートバックスに回ったが、やはり同じで店員はほとんどなげやり状態だった。
今回の騒動はあらためて、人々の「駆け込み」意識の強さを認識させてくれる。
しかも今回は2つの駆け込み要因が重なっている。
1つは、車載器の購入費用を助成する制度が12日から31日までと区切られていること。テレビなどで報じられ、みんながあわてた。
第2は、高速道路の値下げが一部は今月の20日から始まること。
今までは、それほど高速を利用しない人は、約2万円の費用がもったいないと考えていたが、損得が逆転しそうな雲行きに、がぜん行動意欲に火がついたわけだ(自分もそうだが)。
しかし、今回の制度変更にはわからないことが多い。
車載器に対する助成は5250円だそうだが、残りの金額は現金払いはできずローンを組まなくてはいけないという。いったい何のため?。おそらく、一部の人だけに助成するのは行政として筋が通らないので、「ローンでなければ変えない人」のために助成をするという大義名分をつけたのではないか。助成の実施主体は財団の名前になっているが、国費が投じられるとみられる。助成するなら、一部でなく、全員に等しくおこなうのが自然であろう。
またローン金利はいくらか知らないが、金利分はコストが上がり、割引が減じられることになる。これもまったく無駄な手続きというべきである。
もっと不可解なのは、高速道路の値下げである。民主党の無料化案への対抗策として生まれたらしいが、このような重大な施策について国民的議論がほとんどなかったように感じる。定額給付金より重大な意味を持つのではないか。
そもそも道路公団はすでに民営化されている。しかも莫大な借金を背負っている。その民間会社の料金をなぜ値下げできるのか。それは、国費、税金が投じられるからである。第1次、2次の補正予算で、向こう2年間、年5000億円の予算が手当てされているという。つまり、道路会社が努力して値下げするのではなく、すべて税金で手当てする。ということは、高速道路利用者を国民全体で補助していると同じことである。
このようなことが、失業者が増えている状況でとられる政策として、望ましいのであろうか。
それと、値下げすれば利用者が増える。そのときの差額分と、増収分は、国と道路会社にどう配分されるのだろうか。
あるいはすべて明示されているのかもしれない。しかし、少なくともマスコミを通して国民に示されてはいないようだ。
何がなんだかわからないが、今回の騒動は、「ETC特需」という、かなりの景気刺激効果だけは結果としいて持つことになりそうだ。
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2009年3月9日(月) |
新河岸川 |
6日の土曜日、富士見市のキラリ☆ふじみで「新河岸川広域景観プロジェクト」のオープニングフォーラムという催しがあったので、取材をかねてのぞかせていただいた。
これは、景観法の制定を規に、新河岸川の景観に注目、保全していくことを目的に、埼玉県庁が進めているものだ。プロジェクトといっても、和光市から川越市まで新河岸川沿いの地域で活動している市民団体の活動内容の紹介が主たるもの。昨年来の総集編が今回の催しだ。
新河岸川は私にとっても小さい時から身近な存在だったが、もう舟運もなく、単に汚い川との印象しかなかった。河原や堤防上も近年までほとんど荒れ放題で、散歩に歩くような場所でなかったように思う(すべて知っておるわけではないが)。
それが都市化が進み、自然環境、景観の保全が重視されるようになるなかで、新河岸川にスポットライトが当たるようになってきたわけだ。また新河岸川は江戸と川越を結ぶ舟運の担い手としての史跡価値もある。
今まで、その景観は軽視してはいたが、その荒廃にはひそかに心を痛めていた。行政主導ではあれ、このような催しは啓蒙効果を持つであろう。また、「新河岸川沿い」という、東上沿線、254沿いと異なる、もう一つの地域のつながりを形成するきっかけになるかもしれない。
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2009年3月5日(木) |
吉見の百穴 |
東松山に出かけたついでに、吉見の百穴に立ち寄った。
平日であり、また冷え込んでいるため、観光客は誰もいなかった。
ほんとうに久々の訪問であり、あらためて不思議な景色だなと感心した。
以前から住居か墓かで論争があり、現在では墓であったということで落ち着いたようだ。そのつもりで見ると不気味でもある。
300円の入場料が必要だが、面白いことに内部に売店が2つある。そのうちの大澤さんという店で、若いご主人に呼び止められて、発掘当時のお話をうかがった。発掘は明治20年でそれまでは樹木に覆われていたようだ。大澤さんの先祖はこの山の地主だったという。
調査に訪れたエドワード・モースや、たぶん観光に来た正岡子規など、いろいろエピソードも豊富。
こんどゆっくりお話をお聞きしたいと思った。
以前本紙で取り上げた松山城址はすぐ隣だが、上る元気はなかった。
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2009年3月3日(火) |
放置自転車 |
ややひねくれた意見なので、反発される方もいると思うが、私はいわゆる「放置自転車対策」というのが嫌いである。
もちろん、人通りの多い場所に駐輪して迷惑をかけるのはよくない。それはマナーの問題である。
しかし現状は、放置自転車が最大の迷惑事例であるかのように、ほぼどこの自治体も駅前に監視員を配置し、違反車を移動したりしている。画一的な一斉取締り体制である。
自転車を放置する人も趣味で悪事を働いているわけではない。通勤、通学、所用に自転車が必要であり、それを置く場所が必要なのである。置く場所を確保してやるのも行政の仕事である。それが無理なら、大きな迷惑をかけない場合はある程度大目に見るというのも判断である。
以前、私が富士見市の行政経営戦略会議の委員をさせていただいた時、若手職員を集め市政への提言をまとめるという試みがあった。私はそのとき、ふじみ野駅の駅前通りを駐輪可能にしたらどうかと提案、若手職員がより実現性の高い形にして提言に盛り込んだが、結果的には不採用になったことがある。ふじみ野駅前のように、歩道にかなりの余裕がある場合は、やり方によって道路の駐輪場化は可能である。
世の中はすべて細かく、厳しく規制すればよいものでもない。このように、工夫の余地はあるし、大目にみるのがかえってよい場合もあろう。それでは放置が野放しになるというなら、市民の良識が試されていると考えるべき。
「放置自転車対策」は、自治体の思考停止、創造力不足を示しているうように思えてならないのである。
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2009年2月23日(月) |
公園 |
22日の日曜日、犬の散歩をかねて、秋が瀬公園に出かけた。まだ寒いので、野球をする人たち以外はそれほど多くなかった。
私は公園が好きである。本当は大自然が一番だが、身近で自然に接しのんびりできるのは公園だ。高齢化社会で、福祉施設も必要だが、あって生活が豊かになるのは、公園と図書館だと思う。
私にとって、よい公園の条件は、広いこと、できるだけ自然が残されていること。
私の家(富士見市)の近辺に限るが、ベスト4は @智光山公園(狭山) A秋が瀬公園(さいたま) B樹林公園(和光) Cびん沼公園(富士見) である。
いずれ本紙でも公園めぐりを企画したい。
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2009年2月21日(土) |
上田知事後援会総会 |
19日夕刻、志木市のベルセゾンで、上田清司知事の後援会「清友会」の4市(朝霞、志木、新座、和光)の総会が開かれた。
ご存知の通り、上田知事は志木市の柳瀬川に自宅を持ち(現在は浦和の公邸に居住)、衆院議員時代から政治活動の基盤を朝霞に置いている、東上線の人である。今回は長年知事を支えてきた地元後援会の会であり、会場は始まる前から立すいの余地もないほどの盛況であった。
地元選出の民主党国会議員、県議、市長らの紹介の後、上田知事が挨拶した。私はこれまで何回となく知事の話をお聞きしてきたが、あまり面白いとは思わなかった。どちらかといえば、創造力より、馬力だけで政治を行っている印象であった。ところが、今回は知事も地元でリラックスしていたのか、話に感じるものがありました。
特に、今年の正月に奥さんと自転車で県庁から秋が瀬、荒川河岸を東京湾まで走ったエピソードはなるほどと思わせた(すでにあちこちで紹介しているようだが)。行きはスイスイと2時間半くらいで着いたのだが、帰りは逆風で歩く速度より遅くなったという話で、「人間は順風の時はそれに気づかず自らの力を過信するが、逆風は身にこたえくじけそうになる」という教訓。上田知事は、国会に挑んだ際4回落選、10年間にわたり辛酸をなめた経験がある。現在は順調でも、その経験を忘れないようである。
昨今の政治情勢に関連し、「上に立つ人をけなさないで、盛り立てていかないと日本は良くならない」という指摘も感じるものがありました。
上田知事が本物の政治家だとすれば、埼玉県、東上沿線にとってもありがたいことです。
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2009年2月18日(水) |
障害者雇用 |
最近、障害者雇用に関する2つの取り組みを取材した。一つは、ハローワーク川越による入間東部障害者就職面接会。求職している障害者と、障害者を求人している企業との面接会である。もう一つは、NPO法人東上まちづくりフォーラムが主催した「障害者在宅就労者育成研修会」(ふじみ野市、写真)である。
障害者とは、身体的か知的か、障害を持つ、すなわち能力が劣る人たちである。特定の能力だけは、健常者と同等か、勝るような障害者もいるが、多くの場合、すべての能力で劣り、あるいは日常的な生活が困難な状況にある。そういう人たちを、どうすれば就労に導くことができるか。これは障害者だけでなく、高齢者、あるいは「ニート」と言われるような境遇にある人たちの就労問題とも共通である。
本紙は、今後この問題を追及していく。情報があればお寄せいただきたい。 |
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2009年2月16日(月) |
ドトールコーヒー |
今日本経済新聞の「私の履歴書」にドトールコーヒーの創業者、鳥羽博通名誉会長の自伝が掲載されているが、非常に面白い。
深谷の出身で、初回は父親とけんかをして、玉淀駅から東上線に乗るところから始まる。まさに「東上沿線物語」である。
鳥羽氏がブラジルにわたり、帰国してドトールを創業したということは知っていたが、今回の伝記を読み、若いうちから壮絶な体験を積み重ねていたことがわかった。
ドトールは低価格のコーヒーチェーンの草分けであり、進んだビジネスモデルとしゃれたセンスに成功の秘訣があるように思うが、そこにいたるまでにはなみなみならぬ苦労の歴史があったわけである。何事も、アイデアだけで一朝一夕にできあがるものではないということをあらためて教えられます。
ぜひ一読をおすすめします。
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2009年2月16日(月) |
本多静六 |
埼玉の偉人の一人に本多静六がいる。日本初の林学博士で、日比谷公園をはじめ数々の公園の設計をし、「公園の父」と呼ばれるが、それとともに人生の生き方、蓄財術などについて多くの本を著したことでも知られる。
私は最初、日比谷公園内松本楼となりにある「本多博士の首かけいちょう」でその名を知ったが、調べるうちその人生論に興味をいだき、現在では座右の書とさせていただいている。
一度故郷をたずねたいと思っていたが、先日生地の菖蒲町に出向いた。蓮田の近くの、一面田園地帯である。かなりりっぱな町立図書館の2階に記念室が設けられてあったが、部屋は狭く、誰もいない。それでも、博士の人生と業績を振り返るには十分であった。
町内には車で10分ほどのところに生家の跡があり、記念碑も建っていた。ただ、まわりに何もないところでもあり、ややさびしい感じがした。渋沢栄一は有名でも、本多静六はまだそれほど知られていないのかもしれない。
それでも、本多博士についてご関心の向きはぜひ訪れる価値があります。
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2009年2月14日(土) |
日刊競馬新聞社にお世話になりました |
本紙は創刊以来、印刷は日刊競馬新聞社にお世話になってきました。同社は、昭和25年創業の競馬新聞の老舗で、輪転機の有効活用として印刷の受託も業務としているわけです。同社にお願いしたのは、私が競馬好きであるからではなく、たまたま知り合いの印刷会社の方が非常に安く頼める会社があるとのことで紹介してくれたらでした。
本紙は今年から発行を隔月化するとともに、判型をこれまでのタブロイド判からB5判に変更しました。そのため、新聞印刷では対応できず、今回から委託先を板橋の会社に替えることにしました。
日刊競馬新聞には、累計22号分の印刷をお願いしたことになります。毎回私は大崎駅前にある同社に出向き、ほぼ終日校正作業を行いました。自営業者として唯一の「出勤」で、生活にリズムを与えてくれました。
谷社長、担当の赤松さんとも、親切にしていただき、また格安価格だけでなく、デザイン・印刷技術とも申し分なく、本紙がとにもかくにもここまで継続できたのは同社のおかげです。
日刊競馬新聞社にあつく御礼申し上げます。
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2009年1月17日(土) |
浦和競馬 |
1月12日の祝日、浦和競馬に出かけた。いずれ本紙で紹介したいと考えており、今回はその取材を兼ねたもの。私は競馬が趣味だが、もっぱら中央競馬であり、浦和競馬はおそらく25年ぶりになるだろう・
場内に足を踏み入れると、なんともいえないなつかしい雰囲気。うらぶれたおじさんのオアシス。若者におもねり、こぎれいになった中央競馬の競馬場にない安らぎがある。ヤキソバ、フライ、ヤキトリ、などなど、すべてB級の食べ物もおいしい。詳しくは、本紙記事をご期待。 |
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2009年1月11日(日) |
定額給付金について |
世論調査では麻生内閣の支持率が非常に低くなっている。政策面では、定額給付金と消費税増税の方針に批判が集中しているようだ。
私には、この2つの政策に関しては、むしろ望ましいと考えている。
定額給付金は、バラマキであり、財源をもっと有効な使途に向けるべきとの議論である。しかし、もっと有効な政策とは何だろうか。それは景気対策としての公共事業なのか。あるいは、失業対策としての雇用保険拡充・職業訓練なのか。だが、2兆円の公共事業を積み増しても、景気が浮揚することは100%ありえない。また、弱者に対する救済措置といっても、複雑な行政制度を経て末端の個人まで行き渡るのはその1部にとどまる。
定額給付金は、まさに「空からお札を撒く」ようなバラマキである。それだからこそ、非納税者まで含め国民に等しく配布される。きわめて明解で、平等な政策である。ほんの一握りの人を除いてお金を喜ばない人はいない(多くの財政面からの景気政策の問題は恩恵が及ぶのが一部の産業、層にとどまることである)。
もちろん、財源として赤字国債を発行すれば、後代に負担のつけを残す。一部は特別会計の「埋蔵金」でまかなえるというが、これとて国家の資産を食い潰していることに変わりはない。それでも、何か対策が必要だというなら、経済が落ち込み、気分が暗くなっているとき、このような明解なバラマキ政策も悪くはないと思うのである。
消費税増税については、わが国の財政状況を考えればいずれは避けられないことは皆がわかっている。いわゆる「上げ潮派」のように行政改革、構造改革を重視する場合でも、構造改革だけで、現在の赤字をすべて解消できるわけではない。一方でバラマキ的な歳出拡大策をうちだしながら一方で財源問題をきちんと示さない方が無責任である。政治家の多くが消費税増税に反対するのは、主にそれが選挙にマイナスになると考えているからである。
この2つの政策に関しては麻生首相のやろうとしていることは比較的誠実で、筋が通っている。民主党をはじめ麻生内閣の政策に反対する議論の方が説得力が弱いと感じる。むしろ既得権擁護の守旧派のようだ。
しかし、麻生内閣を総体としてみると、まるで船頭の大勢いる舟のようだ。問題は、統率力、グリップが弱いため、党内の勝手な主張を抑えられないところにあるとみている。取り巻きが悪すぎる。
自民が空中分解する可能性もあるが、徐々に組織が機能すれば、内閣支持率はいずれ上向くことになるのではないか。
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2009年1月1日(木) |
謹賀新年 |
新年あけましておめでとうございます。
本紙も2007年4月の発刊以来、おかげさまで前号まで21号を発行、継続して新しい年を迎えることができました。これも、本紙を応援してくださる購読者、広告主、さらには取材先、情報提供者の方々のおかげです。謹んで御礼申し上げます。
新年を迎えるにあたり、本紙は発行形態をこれまでの月刊から隔月刊に変更いたします。そのため、次号第22号の発行は2月20日となります。
従来から定期購読していただいている方の場合、年6回で再計算し、期間の延長という形で処理させていただきますので、ご了承をお願いいたします。また新しく購読される場合、年間購読料は1500円となります。
本紙は地域情報を伝えるのが使命ですが、通常の新聞のように、起きたこと、ニュースを伝える編集の仕方をとっていません。むしろ、すでに存在するがあまり注目されていない人や活動、潜在的な社会の動き、大きな事件の隠れた真実などを表に出そうと試みております。そのため、元々新聞であると同時に雑誌的な性格がありました。隔月刊とすると、やや間延びはしますが、時間をかけてより深く取材ができるという意味では、紙面の充実につながると考えています。
どうか本紙をお忘れなく、引き続きご支援いただけますよう、お願いいたします。
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2008年12月4日(木) |
棚橋利行さんのご冥福をお祈りします |
新座市の棚橋利行さんが5月29日に亡くなられたことを、ご遺族からのご挨拶状で最近知りました。
棚橋さんは大手の金融関係企業を退職後、にいざ歴史文化財研究会の世話役を務め、地域の歴史・文化財に深い知識をお持ちでした。
また、写真は玄人はだしでしばしば個展を開かれるなど、多彩な活動をされていました。
本紙は、19年8月号「松永安左エ門と新座」企画で、平林寺周辺のご案内をお願いし、また同年12月号では「定年はハッピーライフのスタートライン」と題してインタビューをさせていただきました。
サラリーマン時代も活躍されましたが、第2の人生のおくり方においても多くの人々に影響を与え、励ましになっていました。
ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。
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2008年11月30日(日) |
佐賀 |
所用があり佐賀に出向いた。年1回は訪れているが、今回はその置かれた状況を痛切に感じさせられた。
久々に郷土料理を食べようと思ったら、宴、松川屋という有名店が2点とも店を閉じていた。
仕方なく入った焼き鳥屋に、他に客はいなかった。
アーケード街は、シャッター通りを超しゴーストタウンのよう。
もともとさびしかった町が、やや不気味な町になりかけている。
首都圏埼玉で生活、仕事をしていても、厳しさは感じるが、地方はそれに輪をかけている。
元々人口が少なく、経済力の弱い佐賀は特別かもしれない。しかし、その姿は、人口減少、高齢化の日本社会の将来を暗示しているよう。
それでも、九州の人たちは明るい。特に若者たちに活気がある。
最近山間部はイノシシが増えているそうで、訪問先でシシ鍋をご馳走になった。
元気になれた旅でした。
(写真は、佐賀城址。中央の建物は県庁)
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2008年11月4日(火) |
京劇 |
連休最後の3日、川越の東京国際大学に京劇を観に行った。学園祭にあわせて地域貢献として催したようで、お招きいただいた。
私は舞台芸術にうとく、京劇も観たことはあるが、いつも半分眠っていた。今回の公演は初心者向けで非常にわかりやすく楽しめました。わざわざ都心に出るのでなく、このように地域内で経験すると時間も無駄にせず、アットホームで理解も進むように思われる。
東京国際大は最近は動きが活発で、地域に対しても様々な試みを打ち出してくれる。特に東上線のように、やや立ち遅れた地域にとって、文化のリード役として大学の果たす役割は大きい。たまたま沿線には、個性的な私立大学が多く、今後に期待がかかる。
蛇足だが、観劇の前の挨拶で、荒井学長が同学が開校した昭和40年ごろ、校舎と霞ヶ関駅の間に家が一軒もなく、駅で発車後の電車が「待ってくれ」と呼ぶと止まってくれた、というエピソードを紹介していた。そういう牧歌的なところが東上線のよいところだったのかもしれない。
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2008年10月26日(日) |
すばらしきメンバーに恵まれる |
本紙は私が一人で立ち上げたものですが、特に記事の執筆については多くのスタッフに協力してもらっています。新聞社のOBもいますが、ほとんどは、主婦であり、サラリーマンであり、その半数近くは今まで仕事でモノを書いた経験のない人たちです。
協力メンバーのたちは、私の個人的知り合い以外、すべて本紙をたまたま手にするなどし、共感して集まってくれました。
私が言うのもなんですが、メンバーの熱意、取材、文章力は相当に高いです。私がかつて所属していた大手新聞社の世界に劣るどころか、むしろ上回っている面もあると感じています。
本紙を発刊して1年7ヶ月ほどたち、営業面では厳しい状況が続いていますが、編集スタッフの陣容は充実の一途です。次号からは、筏丸けいこさんが加わり、「ひとえき散歩」を連載します。非常に面白いですから期待してください。
気弱で落ち込むことの多い発行人ですが、メンバーの力で支えられております。この沿線にも、優秀で地域を考えている人たちが多くいるということの証です。
今後とも本紙の応援をお願いいたします。
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2008年10月20日(月) |
川越まつり |
19日の夕刻、川越まつりを見物に行った。近くにいて、きちんと参加したのはこれが初めてである。地域紙の仕事をしていて、見ないわけにはいかない。
駅を降りてから、クレアモールを抜けるのが大変だった。露店が邪魔をして、人が前に進めない。わかっていたことだが、紀伊国屋書店に新聞を届ける用事があったので、わき道を選べなかった。やはり、川越まつりは人ごみと、ちゃちな山車とお囃子の、それまでか、とあきらめのような気持ちで進む。
本川越駅あたりまでは人だけ。それでも蔵の町への入り口あたりから、少し空間に余裕が。そして、すこしずつ感性に訴えてくるものが。山車にも出会う。そして櫓上でのお囃子と踊り。露店も個性が出てくる。薄暗くなった空とあわせ、不思議な雰囲気。かつて滞在した九州で見た唐津くんちの哀愁と重なってくる。
川越まつりには確かに、心があります。最後に飲んだコエドビールもおしかった。川越をさらに見直しました。 |
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2008年10月16日(木) |
葉っぱの美術館 |
本紙17号で紹介した荻原洋志さんがまとめ役の環境保全ボランティアグループ、四季の会の展示会が、新座市の中央公民館であったのでのぞいてみた。
そこで西山さんという方が、新座市内の植物の葉っぱを押し花のようにした標本を展示しているのが印象的だった。驚くほど大きな葉っぱ(写真は桐)、身近な植物の意外な葉っぱの形など、結構楽しめる。
西山さんは今62歳。都市化した新座にも様々な植物が育っていること、葉っぱの形の面白さを伝えたくて、趣味もかねて葉っぱの収集をしているという。
55歳でサラリーマンを辞めた後、事業経営も経験したが、今はこうした活動が楽しくてたまらないという。
葉っぱ集めとは、他愛がないといえばそれまでだが、特に子供たちにとってはすごく興味をひき、自然に対する目が開かれるだろう。これも一つの定年後の生き方だ。私も、この仕事を始めて、いろいろ地域
で活動している方にお会いしているが、失礼ながらほほえましくなるようなことが多い。どんな分野でも、どんなささいなことでも、情熱をもって取り組めば社会に貢献でき、りっぱな
第二の人生だなと思う。
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2008年10月2日(木) |
景気が悪いのは |
自民党総裁選のあたりから、景気が後退しているということが既定事実になり、景気対策が一番の優先すべき政策のような論調になってきている。
私のように、景気分析・予測を専門としてきた立場から見ると、景気の厳密な定義から言って、少なくともこの夏場までは景気は微妙な情勢ではあったが、必ずしも後退しているとはいえなかった。はっきりと悪くなってきたのはごく最近、この9月ごろからである。
今現在は、景気が悪化していることは確かであるが、それ以前から景気がよいという声は、特に地域ではあまり聞かれなかった。景気の定義からすれば、2002年1月を底としてほぼ6年前後景気は上昇してきた。上昇期間でみれば戦後最長の景気である。
それにも関わらず、景気がよいと感じられないのはなぜなのか。
一部には、小泉構造改革が格差を助長したせいだとする意見もあるが、これはとんでもない見方である。
景気が上昇してきたのに、地域にその恩恵が及ばなかった最大の理由は「グローバル化」にある。「グローバル化」とはモノ、カネ、ヒトが国境を自由に行き来するようになったことと、中国を初めとし新興国が世界市場で大きな地位を占めるようになり世界中の国が経済競争に参加したことと、両面がある。
日本企業も当然、世界中の国と競争しなければならず、価格も賃金も上げられない。競争力のある一部の製造業はグルーバル化に伴う世界の需要増を受けて輸出が増加し業績が改善したが、そういう好調企業でも賃金は上げていない。
こうして輸出主導で景気は上昇しても、家計の所得は増えず、個人消費は冷えたままだ。これが、地域の景気、特に個人相手のビジネスが不振をかこつ最大の理由だ。
もう一つは、株価が上昇はしても過去のバブル期、あるいは1999年から2000年の「ITバブル」期よりは低く盛り上がりに欠け、地価も多少戻したに過ぎない。要するに住宅バブルが発生し、崩壊した米国と異なり、日本ではバブルが存在しなかった。昨年来、株も土地もさらに下がっている状況。
以上のような背景で、地域の景気は低迷を続け、足元ではさらに落ち込みつつある。これに対し、麻生政権は補正予算を編成、財政を出動させる構えだ。確かに、財政が縮小し続けたことが経済の停滞を助長した。財政を拡大すれば当座は多少の救いになるだろう。しかし、経済を動かす大きな力からみて多少の財政出動などあってなきがごときだ。
それに、財政出動はかならず後に債務を償還しなければならず反作用を伴う。
景気が悪化していることは確かだが、ここはあわてて対策を打つようなことをせず、企業、家計の中長期的展望を示すような構造的改革を地道に実行することしかないと思われる。
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2008年9月11日(木) |
身近な発見 |
誰でも子供時代には自分の置かれた環境を客観的にわかってはいないと思う。それに、私も含めてサラリーマンになり都心に勤めるようになると、家は寝に帰るだけで、まして転勤でもすれば、生まれ育った地域のことはどんどんうとくなる。
私は10年ほど前に出身地の富士見市に戻ってきたが、少し歩くとすぐ道に迷った。それが2年前から、地域紙の発行という仕事を始めてみると、がぜん地域に詳しく、また自分や関係している人たちの立場が見えてくる。
私は自分が貧乏な農家の息子と思っていたが、取材によって父方の祖父は旧大井村の収入役を務め、その兄は村長、母方の父は上福岡の商工会長と、それなりに地域に根をはっていたことが確認できた。今回、父方の叔父の紹介で旧大井村役場の物語を取材させていただき、次号に載せる。今までも役場の建物は近くは通っていたが、何も考えてはいなかった。それが、今回で自分の係累の足跡とともにその歴史的価値が実感できた。
さらに、私の小中の同級生で建築士をしている友人が、歴史ある建物の保存に熱心でその旧大井村役場の詳細な調査を行っていたことも知った。彼には次々号に紙面に登場してもらう。友人でもたまに酒を飲むくらいでは本当の姿はわからないものである。
いずれにせよ、この仕事のおかげで私はただぼんやり生きていたらわからない、地域の人々の姿をよりくっきりと理解できるようになり、これはこれでありがたい経験であると感じているのである。それが「記者」の特権というものであろう。
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2008年8月30日(土) |
インターネット新聞 |
昨日の新聞に、インターネット新聞「オーマイニュース」の日本版が配信をやめるという記事が出ていた。
オーマイニュースは、韓国で始まり、市民記者の投稿した記事を掲載したネット上の新聞で、一時は大きな影響力を持ち、2002年の大統領選でノムヒョン氏当選に貢献したといわれる。このようなネット上の市民参加型のメディアが従来の職業記者による、紙・電波媒体にとって代わる日も近いとされ、日本でもソフトバンク出資でオーマイニュースが発刊された。
それが数年で行き詰まったわけだが、この推移には地域紙という媒体を発行する身として無関心ではいられない。
この問題は今後分析していきたいが、とりあえず現段階では、次のように考えている。
第一に、書くということ、さらには客観的に報道するということには、やはりそれなりの資質、訓練、さらには第3者によるチェックが必要であるということである。
今、ネット上にはブログをはじめ膨大な量の個人による発信情報がある。そのほとんどは、「書きたいこと」を書いている。「書きたいこと」は、事実もあるが、多くの場合、筆者の評価であり、主張である。評価や主張も貴重であるが、人間は千差万別、さらに言えば、自分勝手であり、極論すれば言いたいことを勝手に書く。好きなタレントや尊敬する政治家のブログを読むならいいが、客観的報道の分野で筆者の個性の強い記事を読まされるのはどうだろうか。
オーマイニュースの市民記者の原稿料は300円だったという。これでは、記者は労力をかけて事象を調べることはせず、また編集者から修正を要求することも難しかったのではないか。
以上のように、記事の質の問題がまずあったのではないかというのが、私の印象である。
なお、私は長い間、全国紙の記者をしていたが、普通の新聞記者にも「書きたいこと」を書くという傾向がある。つまり、自分の主観で対象をゆがめ、ストーリーを「創り出して」しまう。私は、新聞が事実を伝えない根本的な原因はここにあると感じている。そのため、本紙では、インタビュー形式をとり、取材先のことばをそのまま紙面に載せるような編集方針をとっている。
オーマイニュース停止の意味する、あるいは提起する、2番目の、より大きなテーマとして、インターネット情報の限界ということがあると思われる。この点はあらためて述べたい。
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2008年8月29日(金) |
サイボクハム |
9月号では、日高の人気スポット、サイボクハムの笹崎龍雄会長にご登場いただいた。
会長は、造語とたとえを交えた話術の名人で、事業のことから、社会時評、人生論まで縦横無尽に語ってくれた。さすが91年を生きた人生の達人で、そのことばは私にとっても非常に参考になりました。
会長は、サイボクハムの成功、人気の理由について「惚れて通えば千里の一里。恋も味も同じようなもの」とし、「本当においしければ必ずまた買いに来てくれる」と、本物のおいしさをあげる。
我々も、時々家族でサイボクを訪れるが、豚肉、その加工品をはじめとする製品の味がよいことは間違いない。
それでは、なぜサイボクの肉はおいしいのだろう。ここで笹崎会長が元々獣医であり、養豚に関わるようになってから『養豚大成』というテキストを書き、それがベストセラーになり、世界各国にも翻訳出版されるほど、養豚技術の専門家であるということに注目したい。つまり、味の背後には、小手先のテクニックやイメージではなく、確固とした養豚技術の集積がある。これは、とかく販促戦略に頼ろうとしがちな昨今の企業の行き方と異なる、本来のベンチャーの姿であろう。
ただ、サイボクの品は、肉以外もおいしい。調味料、飲み物、野菜、果物、米---。私は、よくサイボクでパンを買う。そのパンは、都心の有名店より私には本物の味に感じる。
元々は笹崎会長の知識、技術で始まったサイボクだが、現在はそうした本物を求める遺伝子が全社に浸透してきているのであろう。社員の方々も皆さん明るく、前向きである。
これまでローカルにとどまっていたサイボクだが、最近池袋の東武百貨店に直営店を開いた。全国区になる日も近いと思われる。
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2008年8月18日(月) |
豪徳寺の招き猫 |
本紙16号1面で紹介した東秩父の版画展に、版画協会の会長をしている伊藤卓美先生が招き猫の絵を出品されていた。私は、販売されていたやはり伊藤先生の商品を求めたが、それも招き猫で、「豪徳寺」と書かれてある。
係りの人に聞くと、先生がお寺に作成した招き猫を寄進され、その絵とのこと。
世田谷にある豪徳寺は、調べてみると招き猫の発祥の地。元々同寺は貧乏であったが、飼い猫が門前で通りかかった武士を招き入れ、それが縁で彦根藩井伊家の菩提寺となり、それから寺は栄えたのが始まりという。
昨日、副都心線、小田急線に乗って、豪徳寺に行ってきました。折からNHKのドラマ「篤姫」で井伊直弼の墓が豪徳寺にあると紹介されたこともあり、雨模様の中、観光客らしき人でかなりのにぎわいでした。
私は、小さな招き猫を買いました。白い、シンプルな猫ですが、なかなか美形で不思議な力を感じます。
これで、本紙も顧客が招き入れられるよう、祈らせてもらいます。
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2008年8月12日(火) |
校正終了 |
本日、第17号の出張校正を行いました。本紙は、都心の大手競馬新聞に印刷を委託しており、校正は同社の制作室に一日こもって、担当者と一緒に紙面を作り上げることになります。文章は完全原稿を送り、見出し、レイアウトもこちらで作成してあらかじめ送付してありますが、やはり紙面に組んでみないとわからないことも多く、校正作業は非常に重要な工程です。
それでももう17回目で、私も担当者も慣れてきましたので、作業もスムーズになってきました。今回も要した時間は4時間半ほどですみました。
今後、本紙が成長できたら、レイアウト作業も内製化(DTP=デスクトップパブリッシング)、手作りで紙面を仕立てたいと思います。ただ、当面はそれは資金面でもスタッフ面でもかないません。
第17号は、今回は「折り屋さん」のお盆休みのため、読者のもとに届くのは23日ごろになりそうです。印刷会社から出るときは、いわゆるタブロイド判そのままの新聞ですので、封筒に入れるにはそれを半分に折らなければならず、その仕事を「折り屋さん」と呼ばれる業者に委託しているのです。本当に世の中にはいろいろな仕事があるものです。
「折り屋さん」については、最初は見つからず祖父母を含め家族総動員で折り作業をしたのですが、これが大変で、あわてて業者を探し、新座のヤマトプロセスという会社に頼みました。夫婦でやられている良心的な業者ですが、しばらくしてあえなく廃業。そこの社長にさいたま市の業者を紹介してもらいました。そこは若い女性が社長をしておりしっかりした仕事をしてくれましたが、こちらの懐具合がますます厳しくなり、少しでも経費節減と、またまた別の新座の業者に移し、今日にいたっています。
とにかく、印刷、制本業というのは昔から厳しい仕事で、私もかつて印刷担当記者をしたことがあり、よく知っているつもりでした。それを今回は自らの取引を通じて、感じ取っています。
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2008年8月3日(日) |
上福岡七夕 |
8月2日(土)に上福岡の七夕祭が開かれたが、その催しものの一つ、アマチュアバンドコンテスト「たなバトル」を見に出向いた。本紙でイベントの紹介記事を書かせていただいたこともあり、どんなものかという興味がありまして。
とにかくもうれつに暑い日で、昼過ぎの時刻では通りに露店が並んでいても歩く人はまだまばらでした。コンテストの会場は、(旧)上野台団地となりの中央公園内ステージ。やはり木があると少しでも暑さが和らぐ。開演したばかりで、観客は関係者らしき若者が中心で、座席も埋まってはいません。でも演奏が始まると、そんなことは関係ない。

このようなコンサートは私にとっても久しぶりですが、とにかく演奏のレベルが高く、個性と熱気にあふれている。私は、おじさんであるのが恥ずかしく、隅で隠れるようにしてかなりの時間聴かせていただいたが、少し気分が明るくなりました。
この企画は4年ぶりに復活したそうだが、その影には事務局長を務めるふじみ野市役所の中野さんら、関係者の努力があったであろう。市民の集いの場として、このようなイベントは野外コンサートは悪くない。
帰りに、近藤建設のビルの前を通りかかったら、子供たち相手の写真撮影イベントを開き、社長も一般社員と一緒にTシャツで動き回っておられた。実にきさくな社長で、社風も明るい会社である。
この日、朝霞ではやはり本紙(16号、市長さんに聞く)で紹介した彩夏祭が開かれていましたが、暑さに負け、行く元気はありませんでした。
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2008年7月25日(金) |
引越し完了、心機一転 |
7月22日、事務所をふじみ野に移転しました。これまでは、朝霞台駅から1分の絶好の立地でしたが、いわゆる1Kで狭く、今回は2DKの家族向けマンションですので、かなり広くなりました。
実は、新しい事務所は自宅の隣です。今まではふじみ野-朝霞台の通勤がありましたが、今はわずか10メートル。長年サラリーマンをやってきた身としては、心理的な切り替えができるのかどうか心配でしたが、果たして至近距離でも別棟であればそこは別世界。都心のオフィスで働くのと変わりません。
よく、SOHOや在宅勤務の問題点として、同僚が近くにいないことによる寂しさ、情報ギャップ、家庭生活の延長となりモラルが低下することなどが指摘されていますが、私の今回の経験では、少なくとも自宅外であればそのような弊害はなさそうです。
むしろ、年をとり、家族や親のめんどうなどをみる必要も高まり、いざというときの出動を考慮すると自宅近くの勤務はプラスの方が大きいかもしれません。
ただ、私の場合、移転の最大の理由は家賃の節約ですから、あまり大仰なことは言えませんが。
ふじみ野駅から徒歩でも7分ですから、お立ち寄りください。32階建てタワーマンション前、レストランサンマルク裏です。
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