ガンジーがヒトラーへ宛てた手紙「我が友よ」 2012年07月21日 | コメント(0) | 知る | 歴史・文化 | # ガンジー(マハトマ・ガンディー:1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インド独立の父として知られる「非暴力、不服従」主義を提唱した人物。一方ヒトラー(アドルフ・ヒトラー:1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、独裁者であり、人種主義的思想(ナチズム)を主張し、血統を汚すとされたユダヤ人や障害者迫害などの政策を行ったとされる人物である。 両者は「善」の象徴、「悪... > このページを見る
最終更新時間:
2012年07月21日20時41分
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この記事の著者がsincereとかfriendとかの言葉を誤解して特別な意味を読み取っているのではと思う。これらは英文手紙における形式的挨拶レベルの言葉だと私は思う。sincerelyとか面識がなくてもマナーとして普通に使うし。
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型通りの手紙の表現を盾に「人間の心には「善」も「悪」も混在」などとドヤ顔って……。これは限りなく恥ずかしい。
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- 迂闊に「拝啓」とか「かしこ」とか書けないな。後世の人々特に外国語を母語とする人々にどんな解釈されるかわからんw
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そりゃお願いするメールなんだから、我友ぐらい書くだろー。クソ野郎とかなんて書いても意味ないじゃなイカ。
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ガンジーでもヒトラーに手紙を書くレベル
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こういう記事で特別な意味を読み取る人が出てきちゃうんだから、たいへんだなー
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修正主義者へのエサがまた一つ。
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このサイト主さんが「ヒトラーが公式にユダヤ人絶滅政策を指示した命令書は存在しなかった!」というネタに飛びつくのはいつの日か。
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どこが照らされているかによって、人間の行為は変貌していく。そもそも完璧なる善人も、絶対なる悪人も存在できようはずがない。
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別にガンジーが本気で友達と思ってたわけはないし「自分の親しかった人を特別に逃がした」ことで「善」ポイントが溜まるとは思わない。ていうかヒトラーがどんな人間であったとしてもその行為に弁解の余地はない。
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”そもそも完璧なる善人も、絶対なる悪人も存在できようはずがない。それは表裏一体で個に混在しており、根本には同じ血が流れているのだから。”
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許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。 / ガンジーがヒトラーへ宛てた手紙「我が友よ」 (via @Pocket)
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どんなに家族思いや友人思いの人だとしても実施した政策でアクメツされるべき議員や官僚はたくさんいるし、「罪」とはそういうものだと思っている/型通りの表現じゃなかったとしても、友達ならその悪を指摘するよな
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ガンジーがヒトラーへ宛てた手紙「我が友よ」 : カラパイア
- “ソース元である海外サイトでもガンジーがこの言葉を使用したのは、特別な意味を持っているとして扱われていた。”
- 「そいつがユダヤ人かどうかは俺が決める」とふとっちょ元帥もおっしゃってますがな。
- 人はやったことの結果で全体を裁かれてしまう。それがたかだか形式的なやりとりであっても。
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友好の意思を伝えるためにFriendを使う事の何がどうなのかな?ところでこれ、Aが完璧にはBではないから実はBの逆という印象を与える逆藁人形論法をヒトラーに使ってるけど、ほんとヒトラー好きっているなぁ。
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アメリカの大統領は原爆を落として非戦闘員を30万人殺して褒め称えられ、ヒットラーは敗戦国となり攻撃の的となっている。勝者が歴史を作る。ヒットラーを使うって相手を攻撃しているのは思考停止、レッテル貼り。
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こういう記事で特別な意味を読み取る人が出てきちゃうんだから、たいへんだなー
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ガンジー「非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも雄雄しい勇気と力がいる。許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか」
- 型どおりの手紙を書いても特別な意味を読みとる人が出てきちゃうんだから、歴史上の人物も大変だなー。
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「最近になって、ヒトラーがユダヤ人である元上官を救おうとしたことを示す書簡が見つかったそうだ。」
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このサイト主さんが「ヒトラーが公式にユダヤ人絶滅政策を指示した命令書は存在しなかった!」というネタに飛びつくのはいつの日か。
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別にガンジーが本気で友達と思ってたわけはないし「自分の親しかった人を特別に逃がした」ことで「善」ポイントが溜まるとは思わない。ていうかヒトラーがどんな人間であったとしてもその行為に弁解の余地はない。
- ガス室を作らせたのがヒトラーならば吐き気をもよおす悪であるのは間違いない。
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どこが照らされているかによって、人間の行為は変貌していく。そもそも完璧なる善人も、絶対なる悪人も存在できようはずがない。
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タイトル詐欺。最後のガンジーの言葉の引用だけが読む価値がある。>わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう~
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実在の人物を善や悪の象徴として扱うこと自体が間違いだ。ヒトラーはドイツの発展に寄与したし、ガンジーの女性関係は現代の価値観では嫌悪される。戦時のプロパガンダをいつまでも引きずるのはやめた方がいい
- 迂闊に「拝啓」とか「かしこ」とか書けないな。後世の人々特に外国語を母語とする人々にどんな解釈されるかわからんw