norikkな日記・株の事、ローカルな事、そして私事

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愛知よ、21世紀のプロイセンになるな! ミッドランドスクエアに想うこと

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3月6日に名古屋駅前に建設されたトヨタ自動車・毎日新聞の合同ビルこと

名古屋ミッドランドスクエア

が、いよいよオープンするのだそうです。

元気なトヨタ、そして愛知を象徴するようなビックイベントであり、その波及効果と経済に与えるインパクト・好影響は計り知れないものかあると思われます

今後も、名古屋と愛知は製造業を中心にますます発展していくでしょう!!


なのですが、これは飽くまでも向こう10年ぐらいの短期間で物事を考えた場合のお話です。

世界の長い歴史を見渡すと、時代の通過点に苦しみながらも後の時代に大成功を築く事に成功した国と
 反対に時代の転換を拒んだ故に、最初は豊だったのに後世大きく落ちぶれてしまった国とがあります

その好例は、産業革命が始まったばかりの18世紀末期、イギリスとプロイセン(ドイツ北東部)です
 以下は、堺屋太一先生(著) 時代が変わった より抜粋
産業革命初期のイギリスは、近代工業が急増していたものの、農業が衰退、ロンドンなどの都市には浮浪者が溢れていた。だが、やがてこれが自由なる労働者を生みだし近代工業社会を育てる基盤となった
これに対して、(中略)当時の(東部ドイツの)プロイセンでは大規模なユンカー農法が確立され、イギリスなどへ農産物を輸出する事で繁栄した。 しかし、やがて新大陸でより大規模な農法が行われるようになると、東部ドイツの繁栄は失われ、工業化に遅れた情況だけが残った

norikkは(ひねくれ者と言われるかもしれませんが)、今の愛知県の繁栄が、かつてのプロイセン王国のたどった歴史に良く似ているような、ある種の危惧を感じています
上に書いた「時代が変わった」の抜粋文を 今の時代と愛知に引っ掛けてnorikk流に読み替えるとこうなります。
IT・情報革命初期のアメリカ(若しくは関東)は、新興情報産業が急増していたものの、製造業が衰退、ニューヨーク(東京)などの都市には大きな格差が広がっていたていた。だが、やがてこうした人がフレキシブルな労働者を生みだしIT・情報社会を育てる基盤となった
これに対して、愛知県では大規模自動車産業・カンバン方式が確立され、アメリカ(関東)などへ工業製品を輸出する事で繁栄した。 しかし、やがて中国・インドでも安価に大規模自動車産業・カンバン方式が行われるようになると、愛知県の繁栄は失われ、IT・情報化に遅れた情況だけが残った

もっとも、愛知県の基幹産業である自動車はプロイセンが得意とした農産物とは違い、自動車自体が既に燃料噴射制御やカーナビなどの情報を積み込んだ情報・知財製品でもあるので、製造業への集中構造がすぐに衰退に結びつくとは考えにくいのですが、
このような歴史の事例がかつてあった事だけでも愛知県の皆さんに知っていただきたいと思い、このブログ記事を書きました

私は何もミッドランドスクエアにTI企業を集めて六本木ヒルズのようにした方がいいと考えているのではありません。 だた、製造業でも生産部門だけを重視するのではなく、デザインや宣伝広告(テレビCM)までを一貫してやりこなせるような、製造業関連の情報産業も愛知県には必要ではないか?
 こう考えるのです。

かつて、プロイセン王国の都ケーニヒスベルグにはバルト海で随一の栄華を誇った大聖堂がありました。
 しかし後の地域の衰退と戦争で完全に破壊されてしまいます。(写真2・3枚目、現在は再建済み)

東海地方で一番の高さを誇るミッドランドスクエアが何百年か後にかつての製造業王国・愛知の繁栄を物語る”遺跡”になってしまうことも、(今の産業構造路線を突っ走れば)場合によっては無くはないと思えてしまうのですが、、。
                 参考文献:日本企業はもっと苦しむべきだ

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消え行く名古屋の生きた明治

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 名古屋駅から見て北西の方角にある名古屋市西区の那古野(名駅)・菊井・栄生(則武新町)界隈には、
明治時代に建てられ、つい最近まで現役で使われていた建物が多く残っていました。

レンガ造りで重厚な風格と歴史を感じさせる建物が大都会の真ん中に忽然と残っている こんな景色が好きで、時々この辺りに自転車を走らせ、「プチ・タイムスリップ」を楽しんだものです


私が名古屋に住んでいた2000年辺りまではそうでした。

ちょうど20世紀が終わる頃までは、この辺りには、ほぼ100年間変わらぬ建物と光景があちらこちらに残っていたのです!

列挙すれば

トヨタ産業技術記念館(旧豊田紡織本社工場)

         から始まって

ノリタケ本社工場

豊田合成名古屋工場

名古屋市営バス那古野営業所(旧名古屋市電那古野車庫)

しかもその建物はつい最近、(90年代末ごろ)まで全て現役の建物として使われていました!

レンガ造りの古い建物が残っていただけでなく、現役として使われていた。

こんな場所が狭い地域に集中して残っていたのはこの界隈だけではなかったのではないでしょうか?


まさに奇跡の「生きている明治」がそこにはあったのです。


でも私が名古屋から引っ越す直前に、まずノリタケ本社工場のレンガ造りの工場は壊され、ノリタケの森というモダンだけど、どこか薄っぺらで味気ない観光・レストラン施設に変わってしまいました・・・・

そして、今年。
豊田合成名古屋工場は・・・・・・・完全な更地に変わっていました・・・。
跡地は金網に覆われ、地下水・土壌汚染を知らせる旨の看板が取り付けられていました

そして市バスの那古野営業所。ここは建物の全てがレンガ造りだった訳ではありませんが、北側の壁は市電車庫時代そのままのレンガの壁がそのまま使われています。

ですが、ここも・・・・。
市営バス車庫の廃止を告げる張り紙と、跡地の再開発を告げる看板が・・・・・・

あぁ、、こんな貴重でかけがえのない建物の多くをこんな簡単に壊したりなくしたりしていいものなのか??  なんともやりきれない気持ちが、沸々と湧いてきました。
 くやしくてしょうがなかった。

失われた歴史や風格は2度と戻ってきません、こんな事でいいのだろうか?? もっと上手な活用法はなかったのでしょうか??

名古屋駅から1kmと離れていないのに!

さようなら! 名古屋市西区界隈の「生きていた明治の建物」よ

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TOICAと運賃と名駅と

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 こちら(関東)では日常的に見かける非接触型ICカード方式乗車券 Suica のJR東海版である
TOICAなるものが、いよいよ名古屋地区にも導入されることになったそうです。

どうも他のブログを見る限り、地元は歓迎ムードに浸っているようですね。
(これで名古屋の鉄道レベルも東京・大阪に追いついた、券売機の行列が解消されるetc)

 でも、norikkは 敢えて TOICAよ、甘くはないぞ! との注意メッセージを予測も交えて書いてみたいと思います。

1.はたしてTOICA導入の元は取れるのか?
もともと、名古屋圏の人口は東京・大阪圏と比較して小さく、また土地柄的に自動車通勤をしている人の割合が高い土地柄です。 TOICAの設備投資金額を少ない鉄道利用者数で解消できるのでしょうか?
 こう書くとJR東海ファンの方は「民営化後、東海道線の乗客は増えているので利用人員の問題は無い」って反論されるかもしれません・・・・・ しかし、いくらJRが頑張って名鉄の利用客を引き抜いたとしても、既に労働人口自体が減少し始めている現実があるのです。
2007年には大量の定年退職者が発生し、これ以降は鉄道利用人口も毎年数%の割合で減るでしょう。
 そんな中で本当にTOICA設備投資の資金回収は順調にすすむんでしょうか?

2.在来線運賃値上げの可能性
TOICA設備投資の資金回収(在来線からの増収)が果たされなければ、JR東海は在来線運賃の値上げに追い込まれるでしょう・・・・ そうなって喜ぶのは路線が並走している名鉄(名古屋鉄道)です
 名鉄がJRに名古屋〜岐阜間の輸送人員数を逆転されてしまった原因は”スピードと運賃”で劣勢に立たされたからだったのですが(同区間の運賃、JR450円:名鉄540円)、TOICAで収益が圧迫されたJR側が値上げに走れば今までとは逆に名鉄に人の流れが戻ることになるかもしれません。
TOICA導入にJRが対応を誤れば、かえって在来線の乗降客が減らないとも限らないでしょう。

3.鉄道分野以外の決済利用を阻む『文化特性』
関東では主だった駅の周辺商業施設にはSuicaで支払いを行うSuica専用カードリーダーが置かれているのを普通に目にします。 JR東海もこれを狙っているでしょう。
 しかし、名古屋人は「現金信仰」が極めて根強い人々です。クレジット機能が無いとはいえ、カードで買い物をする機会の少ない名古屋周辺の人々がTOICAを使って気軽に買い物をしてくれるでしょうか?? この点はまったくの未知数ではないでしょうか?

4.名駅地区の一人勝ち、他は全部地盤沈下の可能性
仮に、1・2・3で書いた懸念をTOICAが全てクリア(乗り越えた)と仮定しましょう。
そうなった場合に起こると考えられるのは、オフィス中枢機能・商業施設売上の名駅地区への超一極集中状態です。
 TOICAの利用者を増やすには、とにかくJRに人を乗せなければならない。  とすれば一番手っ取り早い方法は、あらゆる主だった会社の本社機能や高い集客力を持つ商業施設・テンナトを名駅に集めればよい、そうすればJRの乗降客に比例してTOICA利用者も増えて採算も合う。
 JR東海はこう目論んでいるかも知れません、事実それだけのキャパシティ(収容力)を満たすだけのビル群や地下街拡張が既に行われ完成しつつあるからです。
 この場合、同じ名古屋市内の栄地区も含めた名駅以外の繁華街・衛星都市は地盤沈下か加速して地域の経済活動や商店街の売上は大きく落ち込むことになるでしょう。
今でさえ瀕死状態になっている岐阜・柳ヶ瀬などは完全に壊滅するんじゃないでしょうか?

TOICA導入が成功する事で、今でさえ顕著な名古屋への一極集中がさらに加速し、周辺の衛星都市は完全なベットタウン・工業用地化してしまう危険があるのです。
 名古屋市内で考えても名駅地区だけがますます繁栄し、栄・錦は単なる歓楽街に成り下がってしまうことすら、ないとは言えないと思うのです・・・・・・・・

TOICA、たかがICカード、 ではなくJRを、いや東海地区が変わってしまうような風雲急を告げているICカードのような気がします・・・・・・・・

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あれから17年、デザイン都市はどこへ行った??

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万博終了後も好景気に沸く愛知県。
愛知は「製造業王国」と言われるだけあって、その堅調ぶりと底堅さはなかなかのものです。


しかし、製造業以外にも目をやると 「? これって将来の衰退の原因になるんじゃない??」
 と思われるような事例もあるようです。

今日は、そんな愛知の弱点について考察したいと思います

(8/24日経)キュービック、東京へ本社移転・世界展開の拠点に
http://www.nikkei.co.jp/news/retto/20060823c3b2303v23.html

もともと愛知県は製造業、それも生産部門(工場)が極端に強く、また多い土地柄です。
そんな中、数少ないデザイン産業の会社が東京に拠点を移してしまうとのニュースでした・・・

かつて、名古屋でもデザインにも力を入れようと、平成元年(1989年)に世界デザイン都市博覧会なるものを開催しました。
 ただ、当時は運悪くバブルの絶頂期。実際に名古屋市がやったことは周りの景観と調和が取れているとは言い難いオブジェや彫刻をありこちに作り置きしたことと、公共事業費の水増し(としか思えない)博覧会付帯事業と赤字の補填だけでした・・・・・

 デザイン博で宣言された『デザイン都市宣言』は 博覧会が終わると どこへやら??
肝心のデザイン産業を得意とする企業の誘致や支援は一切行われませんでした。

バブル以後も日本の情報・デザイン等の知識価値創造産業はますます東京一極集中を強めます。
 そんな中、名古屋(愛知)は決定的な失策(無策)を行います

98年頃、トヨタ自動車は新車のデザイン研究センターを世界に3ヶ所設置しました。
その3つは、ベルギー、アメリカ、そして日本だったのですが、センターが置かれた都市は名古屋ではなく東京でした・・・・・・
 これが『デザイン都市』を宣言する街や県の本音だったのです。
工場さえあればよい、付帯的な知識産業はまだ未熟産業であるから愛知には重要でない。 恐らくこんな考え方が行政にはあったんじゃないでしょうか。

名古屋市や愛知県が「どうしても!」と頼めばトヨタだって考えたでしょう。トヨタのデザインセンターが名古屋にもあったかもしれないのです、

これ以後、愛知県は頑固にますます製造拠点(工場)重視の産業構造を突き進みます。
 今はこれが当たって大成功していますが、もう少し多様な産業を育てていこう的な考え方を持っても良いんじゃないでしょうか?

今のままでは今後も、愛知から金融・デザインなどの知識的な産業はどんどん流出してしまうでしょう。
 こうした愛知の姿は、かつて繁栄を極めたが絶滅してしまった恐竜とダブって見えます

恐竜は大型化することで繁栄したのだそうです。あまりにも自分の長所ばかりを伸ばして強化しすぎたことで氷河期には生きていけない大きさまで巨大化。 そして絶滅しました、、、、、

生産部門のみが突出して強くなり続ける愛知県の産業の姿は、恐竜のそれと同じに見えるのです
(私の主観ではのお話です)

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変わりつつある名古屋・菊井界隈。でも変わるな!

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さてお盆です、昨日、実家へ帰る途中に名古屋の友達の家をたずねた後、

かつて僕が住んでいた、名古屋市西区界隈を散歩してみました。

まず目に飛び込んだのは、江川線(という道路)沿いに建設されつつある都市高速道路の橋脚工事の様子です。  た、高い。 下町に大きな蓋がかぶれられてしまうような印象です。

次に、僕に住んでいた町のすぐ隣町、菊井界隈へ足を進めました。
某ブログ(トラックバック先)で「ナフコはせがわ」が無くなった!と知ったからです。

店の外にある「ナフコ菊井店」の看板は、赤い”ナフコ”の文字が外されていました。
自転車置き場の看板にも、ナフコの文字を消した真新しいペンキが塗られていました・・・・・
ブログに書いてあった通り、「ナフコはせがわ」はイオン(旧ジャスコ)系のスーパーに吸収されていました。 

今はマックスバリュ中部菊井店となったナフコで暑さしのぎにアイスクリームを買って店の外に出てみると、『ドドーン』のグレー色した新ピカの超高層ビルが目に飛び込んで来ました。
 完成間近の名古屋ミッドランドスクエア(名古屋毎日・トヨタビル)の姿です。

 そして店の周りの路地に目をやると、「マンション建設反対」ののぼりが幾つも立っていました・・・


あー、時代に取り残されたタイムカプセルの様な町、菊井
そんな姿でいられるのも、あと僅かな時間なのか?   悲しくやりきれない気持ちになりました。

街は生き物。変わっていくのは仕方がない。  でも出来ればそのままの姿でいて欲しい!
 本当なら今のまま、ずーーっと変わらずいて欲しい。
自分に馴染みのある、どこかのんびりとして懐かしい街。 そんな菊井の姿を目に焼き付けるようにアイスが溶けかけていることも忘れ、しばし立尽くし、デジカメを撮りながら、そう願いました。 思わず 

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