東北のニュース

地域の歴史惜しまれつつ 東北の被災文化財 登録抹消答申

震災前の角星旧酒造工場=2002年

文化財登録時の旧四倉銀行=2007年ごろ

 東日本大震災で損壊した東北の登録有形文化財の建造物5件について、登録を抹消するよう文化審議会から平野博文文部科学相に答申があった。いずれも地域の歴史と共に歩んできた建物で、損壊を惜しむ声は多い。

◎店舗保存の道探る/角星旧酒造工場(宮城県気仙沼市)

 土蔵造りの店舗と共に2002年に登録指定された旧工場は、津波で流失した。木造平屋の吹き抜け構造。酒米を蒸す際、空気を抜くよろい戸が天井などにあり、昭和初年の醸造場の名残をとどめていた。
 工場としては昭和20年代には役目を終え、倉庫代わりに使っていた。数十メートル流された店舗のすぐ裏手にあったため、押しつぶされるようにして壊れたとみられる。
 壊滅を免れた店舗は曳(ひ)き家作業をし保存の道を探っている。斎藤嘉一郎社長(53)は「登録の際のプレートだけは見つかった。子どものころの遊び場でもあり、残念です」と話している。

◎大正ロマンに別れ/旧四倉銀行(福島県いわき市)

 建物は、地震の揺れで壁や床にひびが走り、全壊判定を受けた。昨年12月に更地となり、現在は所々に雑草が見える。四倉銀行は1916年、四倉港の造成に伴い、漁業振興の金融機関として地元資産家の出資で設立。26年には鉄筋コンクリート2階の洋館が本店として建設された。正面上に「Y」をデザインしたレリーフを掲げ、両脇に古代ギリシャ風の円柱がそびえていた。
 銀行は20年代後半の昭和恐慌のあおりを受け倒産したが、建物はその後も医院や信用組合、学習塾に利用され、港町の大正ロマン漂うランドマークとして親しまれた。所有者の吉田泰義さん(73)は銀行創立者の孫で、葛藤はあったが取り壊すことにしたと言う。「先祖には申し訳ないが『費用対効果』を優先した」。銀行家の孫らしく合理性に徹した。

◎模型作り記憶継ぐ/荒巻配水所旧管理事務所(仙台市青葉区)

 独特の曲線美を持つ昭和初期のデザインに対する評価が高かった。倒壊の恐れがあるとして、仙台市は昨年秋に建物を解体した。
 「仙台に残る最も美しい建造物の一つだった。何とか保存策を探ってほしかった」。市民団体「まち遺産ネット仙台」の西大立目祥子代表(56)は、登録抹消を惜しむ。
 旧管理事務所に光が当たったのは、約20年前。市内の主婦2人が市に価値を見直すよう働き掛けたことがきっかけだった。「住民の愛情が、一つの建物を文化財に育て上げた。この物語性は、ほかの建物には存在しない」と西大立目さん。
 市は20分の1の模型を作り、ことし4月に市水道記念館(青葉区)で展示を始めた。市水道局施設課の福原嘉朗課長は「解体は苦渋の決断だった。建物は無くなっても、その記憶を後世に引き継ぎたい」と話す。

◎施設被害は最小限/横屋酒造物置(岩手県一関市)

 約9000平方メートルの広大な敷地に、明治時代から昭和初期にかけて建てられた酒蔵や土蔵造りの母屋、西洋館などで構成する「横屋酒造・佐藤家住宅」。震災で倒壊した物置は昭和初期に建てられた木造平屋で、面積が11平方メートル。主要な施設でもないことから、関係者は「施設全体への影響は最小限にとどまった」と受け止めている。
 建物群は現在、「千厩酒のくら交流施設」の名称で地域の交流拠点になっている。
 残る蔵の壁の補修など復旧工事が進められており、施設を所有する一関市の担当者は「震災を乗り越えた地域の宝として今後も大切にしていきたい」と話す。

◎「倉庫」津波で流失/佐藤家住宅板倉(宮城県気仙沼市)

 「板倉」は15センチ角の柱を30センチおきに建て、間に板を挟み込んで造る木造倉庫を言う。佐藤家住宅の板倉は1861年の建築で気仙沼市内では最古とされた。2007年に登録指定を受けたが、津波で流失した。
 収穫したもみや冠婚葬祭用の食器など大事な物を保管する目的で造られ、屋根やひさしに飾り金具を施した家もあった。佐藤家ではイチゴ栽培で使う資材や食器を保管していたという。
 津波で所有者の佐藤孝友さん=不明当時(81)=が行方不明になるなど家族3人が犠牲になった。長男の妻邦子さん(58)は「登録が抹消されても、おじいさんたちが守ってきた板倉の価値は変わらない」と話す。


2012年07月21日土曜日


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