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第二話 二人の男が幻想入り(後編)
 幻想郷に、新しい一日の始まりを告げる朝が訪れた。
 人里から離れた地にある博麗はくれい神社じんじゃ。そこに住んでいる博麗の巫女・博麗はくれい霊夢れいむは、いつもと変わりない朝を迎えた。
「ふぁぁあ……もう朝か」
 目を覚ました霊夢は、寝間着から巫女装束に着替えて、眼を擦りながら外へ出た。
 朝起きて、いの一番にすることといえば、賽銭箱の中を調べることだ。博麗神社には、参拝に来る人間が滅多にいない……いや、ほぼゼロと言っても過言ではない。だが、それは霊夢自身が起きている時間帯で確認していることだ。もしかしたら、自分が寝ている間に、誰かが賽銭箱にお賽銭を入れているに違いない。そんな淡い期待を抱きつつ、賽銭箱へ向かった霊夢だったが、ふと足を止めて呆然とした。
 賽銭箱に、大男が逆さまの状態で入っていた。
「あ……あれは一体何なのよ!」
 霊夢は、思わず素っ頓狂な声を上げた。それに反応したのか、賽銭箱に突っ込んだままの大男は微かな動きを見せた。
「……ん? ここはどこだ? 暗くてよく見えないな」
 と、大男はやけに呑気そうだ。
 霊夢は賽銭箱に駆け寄って、大男の足を両手でガシッと掴んだ。どこの誰だか知らないけど、賽銭箱に頭から突っ込むなんて、いい度胸しているじゃないの。引きずり出して懲らしめてやる。霊夢の怒りは頂点に達していた。
 大男は重かった。だが、こちらも負けていられない。足を掴む手に力を込めて、勢いを付けて引っこ抜いた。その拍子に、賽銭箱はバキバキッ! と音を立てて壊れてしまった。
「あーっ! 賽銭箱がぁぁぁぁぁぁっ!」
 無惨にも大破した賽銭箱。こうなったのは、あの大男のせいよ! 霊夢は、原因である大男を睨んだ。大男は頭を撫でて、苦痛の声を漏らしていた。
「痛たたた……」
 よく見たら、大男は見たことがない着物を身にまとっている。人間の里では見かけない人だ。久し振りに、外の世界の人間が幻想入りでもしたのだろう……でも今は、そんなことはどうでもよかった。
「そこのあなた。よくも賽銭箱を壊してくれたわね」
「……サイセンバコ?」
 大男は顔をスッと上げて、大破した賽銭箱を見た。しばらく間が経って、こちらのほうを向き直した。
「いやぁ、スイマセーン」
 と、大男は爽やかさに満ちた笑顔で謝った。でも、霊夢は許せなかった。人の賽銭箱を壊しておいて、その謝り方は何事か!
「どこの誰かは知らないけど、うちの賽銭箱を壊したんだから、少々痛い目に……」
 話している途中で、大男は勝手に立ち上がってスタスタと歩き出した。ブツブツと小言を漏らして、神社から遠ざかろうとしていた。
 このままだと逃げられる。霊夢は、袖から陰陽玉を取り出した。見た目は御手玉ほどの大きさだが、こちらの意志次第で質量を変えることが出来るという、博麗神社に代々伝わる最大の家宝だ。
「待ちなさい!」
 霊夢は、陰陽玉をポイと高く放り投げた。空中で巨大化し、大男の前に落下した。
「ヴォヴッ!」
 大男はビクついて、くるりと振り返った。霊夢は、袖からお払い棒を取り出して、大男に飛び掛かった。
「逃がさないわよ!」
 駆け足で大男の間近に迫り、お払い棒を大きく横に振った。この間合いならば命中するだろう、と霊夢は確信した。
「最強☆とんがりコーン!」
 大男は突然、前回り受け身を取った。お払い棒は、空しく風を切っただけだった。
 霊夢はキョトンとした。間合いを詰めて攻撃したのだから、確実に当たってもおかしくないはずだ。なのに、紙一重で回避するなんて……だけど、あの避け方は、ふざけているように見えた。大体、最強とんがりコーン! という掛け声は何なのよ!
「避けるなっ!」
 霊夢は大男に近づいて、再びお払い棒を振った。大男は先程と変わらず、あの妙な受け身(しかも、あの掛け声付き)を取った。
「また避けたわね!」
「そりゃあ、避けるに決まっているだろう。俺は謝ったのに、あんたは何で俺を棒で叩こうとするんだ?」
「うるさいわね! 私のせっかくの楽しみを奪った上に、賽銭箱を壊したからに決まっているでしょ!」
 霊夢はお払い棒で打ちかかったが、大男は避けてばかりだ。こんな同じことの繰り返しが続くと、さすがに疲れてきた。
「ハァ、ハァ……こうなったら、あいつの動きを止めるべきね……」
 まずは呼吸を整えてから、袖の中を探り、一枚のカードを取り出した。これは、スペルカードといい、一見すると普通のカードのようだが、発動すれば回避するのが容易ではない技が展開されるのだ。
「夢符! 封魔陣ふうまじん!」
 スペルカードを使った瞬間、地面から光の柱が放出した。結界を造り上げて、大男に迫った。
「うおっ! 無理っ!」
 大男は避け切れなかったようだ。結界に巻き込まれて、身動きが取れなくなった。
 今がチャンスだ! 霊夢は、二枚目のスペルカードを手にして、地を蹴って跳び上がった。宙をフワフワと浮いて、大男を見下ろした。
「霊符! 夢想封印むそうふういん!」
 スペルカードを発動すると、色取り取りに輝く大小様々な光の球が周辺に現れた。霊夢は、大男に狙いを定めてから、光の球を解き放った。
「分かった! 分かった負けや負けや!」
 大男は必死に敗北を訴えたが、もう遅い! 光の球が次々と当たり、爆発を起こした。
 霊夢は着地して、黙々と立ち上る煙を見た。少しやり過ぎたかしら? いや、相手は賽銭箱を壊した犯人だから、これで充分だわ、と考え直した。
「おーい、霊夢ぅ~っ! おはよ~っ」
 後ろから声が聞こえた。霊夢が振り向くと、鬼娘・伊吹いぶき萃香すいかが千鳥足で歩いてくるのが見えた。
「おはよう、萃香。あんた、朝から酔っ払っているの?」
 萃香は、顔を激しく横に振った。
「い、いいや。私は酔ってないぞ」
「よく言うわよ。歩き方が不自然だったわよ。その上、お酒臭い」
 そう指摘したら、萃香は頭を掻きながら照れ笑いを見せた。
「やれやれ。さすがは霊夢だ。簡単に見抜かれちゃったねぇ」
「そんなのは誰でも分かるわよ。で、何の用なの?」
「朝ご飯を食べにきたよ。そういえば、あそこで煙が上がっているけど、魚を焼いているのかねぇ」
 と、萃香は煙に近づいた。
 よくよく考えてみたら、まだ朝ごはんを食べてない。急いで支度をしよう。霊夢は台所に向かおうとして、ふと煙のほうを向いた。そこにいた萃香は、手をパタパタと振って煙を掻き消している。その場には、倒れている大男だけとなった。
「ん? この人間は何だ?」
 萃香は、大男を指でツンツンと突いた。大男はピクピクと微動を見せた。意識は辛うじて残っているようだ。
「その人は、賽銭箱を壊した奴よ。多分、外の世界の人間だと思うわ」
「外の世界の人間、か……八雲紫が連れて来たのかね」
「知らないわよ。そんなの」
 と、霊夢は答えた。ただ、なぜ大男が幻想郷に現れたのか、という点は気になった。
 幻想郷は、数百年くらい前に外の世界から隔離されていて、「幻と実体の境界」と「博麗大結界」という二つの大掛かりな結界が張られている。そのために、外の世界の人間は自力で幻想郷に行くことはできない。しかし、ここ最近は結界自体が緩んでいるようで、たまに外の世界の人間が幻想郷に迷い込んでくることがある。大男も、その一人だろう。
 ただし、萃香が口にした言葉も気になる。八雲やくもゆかりというスキマ妖怪だ。あの妖怪は、あらゆる境界を操ることができ、それを使って外の世界と幻想郷を楽に行き来することができる。
 もし、紫が外の世界から人間を連れて来て、神社の賽銭箱に突っ込んだとしたら、何の目的があって実行したのだろう。嫌がらせ? いや、あいつの胡散臭い性格を考えたら、こんな単刀直入なマネなんてしないはずだ……
「そうだ。霊夢、この人間を食べてもいいかい?」
 萃香の提案を、霊夢は即座に却下した。
「止しなさい。今から朝ごはんの支度をするから、待ってなさい……あ、そこの人間だけど、家に連れて来て。一応、手当をしなくちゃいけないわ」
 いくら賽銭箱を壊した人物とはいえ、外の世界から幻想入りした人間だ。素性を調べる必要がある、と霊夢は思った。


 台所に戻った霊夢は、朝ごはんの支度を始めたものの、すぐに意気消沈してしまった。
 食べ物を探してみたら、少量の米と塩しかなかった。お粥なら一人分はできるけど、萃香の分に……不本意だが大男の分も作るとなったら、重湯しか作れない。
 仕方がない。朝は重湯で済ませて、あとで人里に行って食料の買い出しをしよう。霊夢はやる気を出して、三人分の重湯をこしらえた。
「やれやれ。また重湯かぁ。今日は最悪でもお粥だろうと思ったんだけどねぇ」
 と、萃香は愚痴を零しつつ、重湯を啜った。食べることができるだけでも感謝してほしいわね、と霊夢は口の中で呟いて、大男に目線を向けた。
 大男の手足には、包帯がグルグル巻かれている。かすり傷程度なのに、萃香は大袈裟な手当てをしてくれたようだ。大男は今、珍しいものを見るような目で重湯をじっと眺めていた。
「……これは何だ?」
「重湯よ。ちゃんとした食べ物だから安心して」
 大男は不審気な顔をして、重湯を一口啜った。少しの間を置いて、口を開いた。
「……味がないな」
「失礼ね。これでも、ちゃんと塩で味付けをしているのよ」
「よくぞ言ってくれた! 外の世界の人間!」
 と、萃香が大男を褒めた。霊夢は萃香を睨んでから、大男のほうを向き直した。
「ところで、あなたの名前は何なの? 嫌でも教えてもらうわよ」
「名前、か」
 大男は考え込んで、しばらくしてから口を開いた。
「スマン。どうも思い出せん」
 この大男、とぼけているのだろうか? 無理にでも聞き出したほうがいいかもしれない。霊夢は、傍らに置いていたお払い棒に手を伸ばそうとした。
「その人の名前は、ビリー・ヘリントンっていうんだよ」
「ビリー・ヘリントン? 変わった名前ね………ん?」
 霊夢は違和感を覚えた。さっきの声は、萃香ではない。別の誰かだ。辺りを見回すと、いつの間にいるのか、さとりの妖怪・古明地こめいじこいしの姿があった。こいしと目を合わせると、彼女はあどけない笑顔を見せた。
「博麗の巫女さん。おはよーっ」
「あんたは古明地こいし! 何時からここにいるのよ?」
「うーんとね……よく分かんないけど、だいたい一時間くらい前、かな」
 と、こいしは答えた。
 一時間前から博麗神社にいたなんて……その時間帯は、あのビリーという大男と戦っていたし、朝食の支度もしていたのだから、こいしに気づけなかったのも無理はない。
 萃香は、既に重湯を食べ終えていて、瓢箪の酒を飲んでいた。
「おや、誰かと思えば、地霊殿ちれいでんの放浪娘か。無意識を操る力を使って、誰にも気づかれないで忍び込むなんて、意外とやるねぇ」
 そういえば、こいしは姉の古明地さとり程ではないが、かつては相手の心が読める能力を持っていたはず。その証拠に、初めて出会った時は完全に閉ざしていた第三の眼の瞼も、今では少しだけ開いている。霊夢は、大男の素性を知るために話を持ちかけた。
「ねぇ、こいし。この人間の名前が分かったのなら、他のことも分かる?」
「うん……ビリー・ヘリントンさんは、外の世界にある新日暮里の住人だよ。年齢は42歳で、今は建設業で働いているけど、消防士や格闘家などの経歴もあるようだね……それと、ビリーさんは今、頭部外傷による逆向性健忘のようだから、名前を含んだほとんどの記憶を思い出せないみたい……私が分かるのは、ここまでかな。お姉ちゃんなら、もっと多くのことが分かるんだけどなぁ」
 そう話したこいしは、重湯を啜った。
 さすがは心を読む能力。敵に回すと厄介だが、味方にすれば心強い。こちらが分からないことも、手に取るように分かってしまう。それはさておき、ビリーが記憶喪失だというのは初耳だ。道理で、名前を聞いても思い出せないと答えるワケだ。
「ふぅん。ビリーさんは、記憶を失っているのね……って、それは私の分の重湯!」
 ハッと気づいたが、既に遅かった。こいしは無意識のうちに、人の食べ物に手を付けて、しかも平らげてしまったのだ。
「ごちそうさま。それじゃあ、また遊びに来るね。博麗の巫女さん」
 そう言ったこいしは、サッと出て行ってしまった。追いかけようとしたが、空腹で力が出てこない。やる瀬ない怒りが込み上がってきた霊夢は、その場で地団太を踏んだ。
「私、まだ一口も食べてないのにーっ!」
「まあまあ。落ち着きなよ、霊夢。食べ物がないのなら、酒を飲ませてあげるよ」
 と、萃香から瓢箪を勧められた。飲みたい気分だったが、さすがに今の時間に飲むのもどうかと思い直した。
「日が明るいうちに、しかも空きっ腹でお酒を飲んだら、酔いやすくなっちゃうでしょ。それに、今日は買い出しで人里に行かなきゃいけないんだから、あとで飲むわ」
「じゃ、早く買い出しに行こうよ」
 萃香は立ち上がった。行く気満々のようだが、足取りが覚束ない。
「あんたはダメ。第一、今は酔っ払っているでしょ」
「でも、食料をたくさん買うんだから、霊夢一人じゃ持ちきれないだろ」
「そ、それもそうねぇ……私だけで持つのは無理があるし、だからといって空を飛んで何回も往復するのは正直面倒だし……」
 霊夢は、ふとビリーを見た。彼は包帯を巻いているが、実際は軽傷だ。それに、見た感じが力持ちだから、荷物持ちをさせれば便利だろう。だが、この男は博麗神社の賽銭箱を壊した人物だ。こんな奴を買い出しに連れていくのは……大賛成だ! 大いにこき使ったほうがいい! 霊夢に迷いはなかった。
「決めた! 買い出しには、ビリーさんを連れていくわ!」
「……どういうことなの?」
 ビリーは状況を把握してないのか、キョトンとしていた。


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