投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名
  内容 入力補助
    

全5418件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

Re: 管理人様

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 7月21日(土)07時33分51秒 wb004proxy01.ezweb.ne.jp
返信・引用
  > No.44232[元記事へ]

通りすがりさんへのお返事です。
> ともさんさんへのお返事です。
>
> > お仕事ご苦労様でございます。降魔の剣の掲示板に於いて法太郎氏が、「広宣流布の暁には釈迦仏を造立するのである。」等と申しておりますが、大石寺教学でそのような教えはあるのでしょうか?とんでもない邪説だと思うのですが…。
>
> お前は今まで何を勉強して来たのか?
> 人に頼る前に、自分の意見を文証をあげて答えよ
> 人に頼ってばかりするな馬鹿者

引っ込めカスが!(^-^)
 

Re: 管理人様

 投稿者:通りすがり  投稿日:2012年 7月20日(金)20時59分50秒 119-230-11-25f1.osk3.eonet.ne.jp
返信・引用
  ともさんさんへのお返事です。

> お仕事ご苦労様でございます。降魔の剣の掲示板に於いて法太郎氏が、「広宣流布の暁には釈迦仏を造立するのである。」等と申しておりますが、大石寺教学でそのような教えはあるのでしょうか?とんでもない邪説だと思うのですが…。

お前は今まで何を勉強して来たのか?
人に頼る前に、自分の意見を文証をあげて答えよ
人に頼ってばかりするな馬鹿者
 

(無題)

 投稿者:将帥の理を知る孔明  投稿日:2012年 7月20日(金)12時41分6秒 uta260.catv.telenet.tv
返信・引用
  正しいことを聞いて
うざいと感じるのは、その命(腐っている)が曲がっている。
間違ったことを聞いて
そうだと感じるのは、その命(腐っている)が曲がっている。

命が曲がれば生活にも現れる。

本当に間違っていると感じれば確信のある心が出てくる。
確信を持って
正しく生きようと頑張る人間は、生活がよくなり幸せになっていく。
正しいか間違っているかは、必ず現証として現れる。

正しく生きようと頑張る人間を諸天、諸仏は守る。
故に、正しく生きようと頑張る
法華経、南無妙法蓮華経を実践するものを諸天、諸仏は必ず守る。
 

管理人様

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 7月20日(金)09時09分26秒 wb004proxy08.ezweb.ne.jp
返信・引用
  お仕事ご苦労様でございます。降魔の剣の掲示板に於いて法太郎氏が、「広宣流布の暁には釈迦仏を造立するのである。」等と申しておりますが、大石寺教学でそのような教えはあるのでしょうか?とんでもない邪説だと思うのですが…。  

はじめまして

 投稿者:将帥の理を知る孔明  投稿日:2012年 7月 8日(日)21時27分33秒 uta260.catv.telenet.tv
返信・引用
  「一仏の身体なるを以って寂光土と云う」
「 法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし 」
だぁ~れも言わないけど、我々は、
釈迦(我々のいる宇宙全てが釈迦の体)の上(地球)に立って、
生活しているのよね。
 

黒川和雄よ!

 投稿者:オーシャン  投稿日:2012年 7月 7日(土)22時46分29秒 wb004proxy11.ezweb.ne.jp
返信・引用
  貴殿は先代の坂田御住職
からネットを禁じられて
いた筈だ!坂田御尊師の
顔に泥を塗るな!!
 

法太郎並びに黒川和雄よ!

 投稿者:オーシャン  投稿日:2012年 7月 7日(土)22時24分57秒 wb004proxy02.ezweb.ne.jp
返信・引用
  威勢がよかった割には
慌てて証拠隠滅(爆)
カワイイのぉ(^-^)       しかし、警察も、うちの
御住職も黒川の妙輪寺の
盛岡御住職も全ての投稿
を確認済みなのだよ(爆)
残念だったのお(大爆笑)
 

【速報】 離脱僧、鳥本雄行に実刑判決7年!結局法から外れた人間はこうなる!

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 7月 7日(土)10時52分26秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  団地放火の僧侶に懲役7年判決
札幌・手稲区の市営団地のエレベーターに放火した罪などに問われた僧侶に対し、札幌地裁は懲役7年の実刑判決を言い渡しました。
僧侶の鳥本雄行被告は、おととしの5月から1年の間に手稲区曙の山口団地1号棟でエレベーター2台に火をつけたなどとして、現住建造物等放火など3つの罪に問われています。
5日の裁判員裁判で札幌地裁は「いずれの事件も周到な準備をしていて計画的で悪質」として3つの罪すべてを認定しました。
これまでの公判で鳥本被告は、自治会長に対する嫌悪感から放火したとも話しています。
これに関して札幌地裁は「自己の主張のために犯行を繰り返し、動機に同情の余地はない」として、鳥本被告に懲役7年の実刑判決を言い渡しました。


 7月5日(木)19時10分

 

法太郎さんへ

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 7月 4日(水)14時30分25秒 wb004proxy05.ezweb.ne.jp
返信・引用
  本日、貴殿に対する被害届を撤回し、水に流します。怒りと恨みは怨嫉謗法になり自分に罰が出ます。ある方のご忠告で貴方に対する怒り・恨みの命は捨てる事にしました。このまま私を誹謗するならどうぞ。被害届が受理されても警察が動かなければ意味が無いですし、たった数百万円を得る為に時間と労力を使うのは愚かだと感じます。その代わりその時間を貴方への祈りに変え、唱題と下種活動に充てる事にしました。尚、管理人様の大月天様には貴掲示板を騒がせてしまい、大変ご迷惑をおかけしました。  

犯罪者法華講員の法太郎氏に告ぐ

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 7月 3日(火)19時53分55秒 wb004proxy04.ezweb.ne.jp
返信・引用
  本日、15:25兵庫県警長田署にて貴殿に対する被害届が正式に受理されました。私が神戸市民の血税で生きてる証拠も提示して頂きますのでよろしく。  

管理人様

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 6月11日(月)12時38分43秒 wb004proxy07.ezweb.ne.jp
返信・引用
  了解致しました。有難うございます。  

ともさん殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 6月11日(月)12時20分40秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  創価学会員でありながら、恩師戸田先生の本尊義に唾を吐く痴れ者の屁理屈など、一々真に受ける事
はありません。先ずは第一、己(おのれ)の其の腐臭を何とかせぃ! と叱ってやりなさい。

加えて、日寛上人が究竟中の究竟とされた、本門戒壇の大御本尊をして「上代に於ける文証を出せ」
などと文句する莫迦者などは、其れこそ身延の痴脳と同類であるという事を、恩師戸田先生の指導を
もって、破折してあげなさい。

日精上人の事などは、其れら痴れ者が、己(おのれ)の臭いケツをキレイに拭いてからの事であります。

尚、小生は現在、日々繁多にして、論文する時間がありません。来月いっぱい続くやも知れません。

ともさん殿には、誠に申し訳ないが、御自身の責任に於いて対処して下さい。

時として、解からない時は、解からない、と正直に云うも結構でありましょう。ただ解からない儘に、
反論する事だけは止めた方が良いと思います。得てして、そういう場合は、徐々に感情論が表に出て
来るものであります。兎にも角にも、法を下げては何もなりません。気を付けて参りましょう。
 

管理人様、ご無沙汰しております。

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 6月11日(月)07時50分48秒 wb004proxy08.ezweb.ne.jp
返信・引用
  実は他板でロム男某なる者が、日精上人がご登座後も造仏主義者だったと文証を挙げて述べております。例えば『日蓮聖人年譜』には「三大秘法の時は久成釈尊を以て本尊とするなり」等です。この他にもたくさん文証はあるとのことなんですが、事実はどうなのでしょうか?私には反論出来ません。管理人様なら何かご存知かと思い投稿させて頂きました。  

(無題)

 投稿者:ともさん  投稿日:2012年 6月11日(月)07時41分55秒 wb004proxy03.ezweb.ne.jp
返信・引用
  管理人様、ご無沙汰しております。  

Re: 顕本法華の戯れ言

 投稿者:顕ちゃん  投稿日:2012年 6月 3日(日)20時50分57秒 FLH1Afc209.fko.mesh.ad.jp
返信・引用
  > No.44027[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

呆笑。お前等本当に吉害だなぁ~。
 

Re: 2年弱で随分境涯が落ちたもんだね、脱毛講さんよ、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月28日(月)10時46分43秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44217[元記事へ]

没毛講さんへのお返事です。

> 黒川和雄さんへのお返事です。
> 管理人はだんまりかのぅ~。はやく封鎖したまえ。


管理人さんは、君の所属教団を明示しないと返事はない。
分かるだろう、じっちゃんよ。
 

Re: 2年弱で随分境涯が落ちたもんだね、脱毛講さんよ、

 投稿者:没毛講  投稿日:2012年 5月27日(日)00時58分41秒 KD111099190030.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用
  黒川和雄さんへのお返事です。
ヘイヘイ、私は管理人に物申しているのであって、変なおじいさんには、物申してはおらぬぞよ!
管理人はだんまりかのぅ~。はやく封鎖したまえ。


> ■■■■貴殿のかつての質問だ■■■■
>
> 偽本尊について
>   投稿者:獅子レンジャー  投稿日:2010年 9月 1日(水)22時32分36秒 KD111099190030.ppp-bb.dion.ne.jp
>   通報返信・引用
>
>
>
>
>
>
>
> よく、法華講の皆さんは、学会のご本尊は偽物と言われますが、そもそも日寛上人のご本尊を見た方は、いないですよね。見てもいないのに、脇書きがどうとか、文字が引き伸ばされているとか、難癖をされています。なにやらご丁寧に学会の御本尊をコピーしたビラで様々、ご説明があります。偽本尊というのなら、なぜ中央の南無妙法蓮華経の文字をけしてあるのか。詳しく破折をくださいな
>
 

2年弱で随分境涯が落ちたもんだね、脱毛講さんよ、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月23日(水)06時18分58秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ■■■■貴殿のかつての質問だ■■■■

偽本尊について
  投稿者:獅子レンジャー  投稿日:2010年 9月 1日(水)22時32分36秒 KD111099190030.ppp-bb.dion.ne.jp
  通報返信・引用







よく、法華講の皆さんは、学会のご本尊は偽物と言われますが、そもそも日寛上人のご本尊を見た方は、いないですよね。見てもいないのに、脇書きがどうとか、文字が引き伸ばされているとか、難癖をされています。なにやらご丁寧に学会の御本尊をコピーしたビラで様々、ご説明があります。偽本尊というのなら、なぜ中央の南無妙法蓮華経の文字をけしてあるのか。詳しく破折をくださいな
 

(無題)

 投稿者:没毛講  投稿日:2012年 5月22日(火)22時53分32秒 KD111099190030.ppp-bb.dion.ne.jp
返信・引用
  おお、管理人よ。元気だっか。久しぶりよ!
相も変わらず地獄の闇 から魔の叫びが響いておるぞ。
我らの正義の剣がお主らの魔の集団をぶったぎってきたが、当然ちゃんと報告は管理人は聞いているよな。反論不能な難癖はもはや通用せぬぞよ。
諸君、こんなくだらぬサイト管理人を相手にするだけ時間の無駄ぞよ。いくら管理人がもっともらしいゴタクを並べたところでもはや全ての難癖は破折済みな~のだ!ブハ。わっしゃっしゃ。
 

(無題)

 投稿者:正直屋太郎  投稿日:2012年 5月21日(月)12時22分52秒 proxy20077.docomo.ne.jp
返信・引用
  >  戸田先生にすがって、自宗の教義を正しいと証明されたい??
>
>  他宗の開祖の言葉で自分たちを証明する??
>
 戸田先生はりっばな日蓮正宗信徒であり、当時の法華講大講頭であった。当然ご子息も正宗信徒であり、逝去された妻、戸田幾さんの御葬儀は日蓮正宗で執り行われています。    勝手に他宗の宗祖にしないでね。
 

悪知識の権化を叱責す!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月20日(日)14時46分24秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、何のだ! これは!

>息子が、達師書写の特別御形木ご本尊を拝んでいます。
>先年、大石寺の内務部に電話で、

 『お前たち愚かにも、達師の御本尊返せって言ってるな!』
 『返してほしいなら、法主連れて取りに来い!!』

>叱りつけてやりました。
>すると、弱弱しい声で、

 「いいえ、そのまま拝んでいただいて結構です・・・・」

>腰抜けですよこいつら。
>本当に、拝む人は選ぶ権利ないなら、事はご本尊、こいつらの信仰の根幹です。
>ここまで言われて、しっぽ巻きますか??
>誰が拝んでもいいのです。


お主はチンピラか!

加えて、誰が日達上人の御本尊を無条件で返却せよと申したか!

よいか、聞け!

日達上人の御本尊を返却せよとは、創価の偽本尊を拝む者に対して、申しつけたものである!

第一、日達上人の御本尊を組織として回収したならば、其れをして総本山に返却するは当然の理では
ないか! 御下付とはそういう意味である!!

ったく、いい加減な事をほざくでない!

お主は、本当にどーしようもない筋肉老人であるよな! 何度も言わすではないぞ!

尚、言って置くが、この様な痴れ者と、一時であろうとも、世辞雑談するなどは謗法である!

して、今現在、此の者と昵懇にしている講員が居るならば、即刻、其の交わりを絶つべし!

そして、今こそ呵責に転じるべし!

いや! そこまで言われる筋合いはない、という同志が居るならば、早速、当室に御出で戴こう!

恐れながら、強言を以って諌言仕(つかまつ)る!!
 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月19日(土)16時23分28秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >矢野vs創価は全ての訴訟に和解いたしました。
>それを以て矢野純也氏は【宗門への復帰】を表明されたのであります!!!

そうでありますか。

それは又、喜ばしい事であります。

本より「喜ばしい」とは、曾(かつ)ての創価学会・公明党の要人が、それら組織から離反するを以て、
悦んでいるのではありません。其れらの方々が、ようやく今にして、正統・富士門流の真義に帰伏さ
れるを「喜ばしい」と申しているのであります。

さて『和解』と言えば、彼の「クロウ事件」でありますが、此の「クロウ事件」とは、学会側からの、
日顕上人に対する中傷に対して、宗門側が名誉棄損で提訴したものですが、米国での「シアトル裁判」
つまり、日顕上人がシアトルで売春婦とトラブルを起こした、という、当時のシアトル在住の婦人部
幹部(ヒロエ・クロウ)の告発を、学会側が喧伝し、其れに対して宗門側が『その様な事件などは存在
しない』と反論した事に対し、創価学会は其の反論を、告発者ヒロエ・クロウへの名誉棄損として、
其のクロウを原告として、米国で裁判を起こしたものでありますが、つまりこれが『シアトル裁判』
であり、つまり此の事件に関しては、日本と米国で裁判が行われていた、という事であります。

そして先ず、米国での『シアトル裁判』については、ヒロエ・クロウの訴えは、所謂、不正義として
門前払いとなり、其の訴訟の魂胆を看破され、当のヒロエ・クロウは其の途中に於いて急死したので
あります。先ずは此の事実、現創価学会は、無知な会員に周知させているのか、と問い質すべきであ
りましょう。

そして日本での『クロウ事件』については、一審は宗門側敗訴、そして二審に於いて和解が勧告され、
何と創価学会は、一審勝訴の成果が消されるを承知した上で、和解に応じたのであります。しかも、
其の和解内容とは、宗門側に於いて、シアトル事件の存在を『事実として認めない』との主張は容認
され、逆に創価学会に於いては、シアトル事件の存在を『事実だった』との主張は今後許されない、
という、実質敗訴に近いものでありました。して、此の和解内容についても創価学会は、無知な会員
に周知徹底させているのか、此れこそも問い質すべきであります。

其れは何故か。

其れは、今もって、無知な会員に対して、シアトル事件は事実であった、などと言っている馬鹿者が
居るからであります。

序(つい)でに言えば、日顕上人が芸者遊びをした、という一件についても、何と其れが変造した写真を
基(もと)にして騒いでいたのでありますから、話にもなりません。本より、一審に於いては写真変造の
事実を認定し、学会側の敗訴となりましたが、二審の高裁に於ては、名誉棄損として訴えた者が本人
ではないから、との理由で、高裁は宗門側の請求を棄却したのであります。

まぁ、此れこそは、代表取締役への批判中傷は、其の会社法人への名誉棄損には当たらない、という
阿呆な判決でありますから、そういう駄決などは蹴飛ばして、要は、創価学会側が写真を偽造して、
日顕上人を中傷した、という事に問題があるのであり、又、此の事実についても創価学会は、無知な
会員に知らせていないのであります。其の証拠に『芸者遊び』という言動を以って、今だ騒いでいる
馬鹿者が数多く居るのであります。

いずれにしても、創価学会による裁判の数々は、其の殆どが『言い掛かり』であり、兎も角、相手を
被告にさせれば、其れで良いという、所謂「追い落とし」の類(たぐい)なのであります。

ったく、仕方のない連中であります。

日蓮大聖人曰く『公処に向かって法を毀(そし)り人を謗ず』と。
仍って申さく『讒訴を企(くわだ)て聖人を失う世なり』と。

されば創価学会による『喧嘩仕掛けの荒稼ぎ訴訟』の結末は、一体どうであったのでありましょう。


【原告】

■創価学会側(127件)

宗門側勝訴……72% 学会側勝訴……13%  和解……15%

□宗門側(35件)

宗門側勝訴……51% 学会側勝訴……12%  和解……37%


                 ※いずれも、平成16年までの結果。


いやはや、創価による喧嘩仕掛けとは云え、此の惨敗ぶりは何でありましょう。

此れではまるで、返り討ちであります。

して此の事実も、創価学会は隠蔽しているのでありましょう。哀。

尚、上記の数字を正々堂々、己(おのれ)の掲示板に掲載する創価学会員が居るとなれば、其れこそは
潔(いさぎよ)い御仁でありましょうが、其の様な者など、今の創価学会員には居るはずもありません。

哀笑。

まったく以って、どうしようもない連中であります。哀哀哀。
 

訂正

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)19時49分27秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  >それを以て矢野純也氏は脱会を表明されたのであります!!!

それを以て矢野純也氏は【宗門への復帰】を表明されたのであります!!!
 

矢野純也氏の脱会

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)19時17分57秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  私は矢野純也氏のご自宅へ訪問しておられた法華講員の方を知っておりますが、矢野氏は「今、裁判で争っています。今すぐ復帰すれば一連の裁判の背後に日蓮正宗が絡んでいると言われ猊下様に迷惑をお掛けいたします、つまり日蓮正宗が迷惑を蒙ることになります。従って裁判の係争が終わるまでは復帰いたしません・・」とのことをはっきりとお聞きしております。

して、矢野vs創価は全ての訴訟に和解いたしました。

それを以て矢野純也氏は脱会を表明されたのであります!!!
 

Re: 秋谷城永氏の入信を望む

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月18日(金)14時46分49秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

> そして、昨今では、元創価学会総務・中西治雄氏も富士大石寺に帰伏し、応に其の悔悟の念たるは、
> 本門戒壇の大御本尊に対する尊信が、未だ尽きていなかった、という証しでもある。


矢野純也氏も復帰されましたね。
日達上人猊下の常住御本尊様ということです。
 

秋谷城永氏の入信を望む

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月18日(金)14時41分17秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて、昨今巷では、元創価学会五代会長、秋谷城永(栄之助)氏が脱会した、と云う噂が頻(しき)りに
聞こえて来るが、果たして、其の真相は定かではない。したがって、此れから記述する事は、すべて
「もし、そうであるならば」と云う前提に立って記するものである。

本より、秋谷城永氏の「城永」とは、恩師戸田先生の御名「城聖」から、其の一文字を戴いたもので
あるが、其の「城」の字をして、秋谷氏は男子部第5部隊長を拝命していた25歳の時から名乗って
いたのであるから、恩師からの期待も大きかったのである。

しかし、平成3年、創価学会が破門されし後、秋谷氏は、池田太作の足下に於て、日蓮正宗に対する
誹謗中傷の先鋒として、其の指揮を担ったのである。

云うまでも無く、妙法の根源たるものは、一組織の破門云々で変節するものではなく、又、其の根源
こそは、日寛上人が仰せの如く、富士大石寺に厳然と在るのであるから、其の法体護持を専務とする、
御歴代上人への誹謗、そして又、其れに連なる御弟子への中傷などは、敵対組織への批判などと云う
範疇を超えて、其れこそは、富士大石寺が奉持せる本門戒壇の大御本尊への違背罵倒となるのであり、
実に其れこそは、日蓮大聖人に対する師敵対となるのである。

本より、其れを思えば、秋谷氏の今日までの謗法行為は、彼の大進房の其れに匹敵するであろうが、
其の本人にして悔悟し、本門戒壇の大御本尊への尊信が、今にして少しでも残っているのであれば、
御宗門は其の時を鑑みて、秋谷氏の入信を受け入れるべきと、小生は恐れながら思うものである。

振り返れば、福島源次郎元副会長、そして、原島元教学部長も、其の紆余曲折の中に於いて、最終、
戒壇の大御本尊への帰命を果たし、下種三宝尊に其の信心を委ねたのであった。そして又、宗門批判
の急先鋒でもあった山崎正友元副理事長も、其の悔悟の念を以って、富士大石寺に帰依したのである。

そして、昨今では、元創価学会総務・中西治雄氏も富士大石寺に帰伏し、応に其の悔悟の念たるは、
本門戒壇の大御本尊に対する尊信が、未だ尽きていなかった、という証しでもある。

真(まこと)に結構な事ではないか。

曰く『小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪消へぬ』と。

応に現当二世。

仮令(たとえ)、罪の余残があろうとも、其の時を以って秋谷氏の入信を受け入れるが、御宗門として
の最たる御処置ではないか、と、小生重ねて言上するものである。

尚、今にして、首魁・池田太作の病状(脳梗塞)が回復し、其の動作・発音に若干の支障はあるものの、
短時での公務などは可能となったようであるが、本より、先月の御霊宝虫払大法会に御臨席された、
御隠尊日顕上人猊下の御姿を拝する時、現今、病院のベッドに横たわり、動作・言語のリハビリに
専念する、自称・庶民の王者、池田太作の姿をして、其の歴然たる謗法の報いは、今にしてようやく、
我ら衆生の眼前に晒されるのである。
 

己義邪義を吐き散らす創価学会員

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月18日(金)12時41分5秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >『彼々の二経は深山の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の
>法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候』

                                     (白米一俵御書)
【訳文】

彼の二経(金光明経・涅槃経)は、深い経ではあるけれども、それらの経々は、未だに教えが浅い為、
法華経に及ぶものではありません。したがって、世間の法を仏法に依せて、仏の説かんとする所を
衆生に知らせているのであります。しかし、法華経はそうではありません。やがて世間の法が、仏法
の全体と成りゆくを解釈されているのであります。

【通解】

本より、爾前経からして法華経に及ぶものではないが、抑も、仏の説かんとする真意を、世間法から
仏法に依せる事自体が、爾前の爾前たる所以なのである。しかし、法華経はそうではない。実にして
法華経の説く処(ところ)は、其の深義に依って、世間法を含む諸法の実相を照らしめ、色心・依正の
すべてが法華経であると捉えるのである。仍って、其の包含される世間法は、法華経を識(し)る事に
よって完得出来るのである。つまり、仏法に疎(うと)い者は、世法を識る事が出来ない、つまり真の
意味に於いて、世法の実相を識る事が出来ない、という事である。


して、此れは何なのだ。哀。

>世間の法が最も優れていて、法華経こそは世間の法そのもので、世間の法と仏法を区別してはいけ
>ない。概ねこう言うご指南です。

なんと、世間の法が最も優れていて、法華経とは世間の法そのものである、とな。哀。

おいおい、大丈夫か? もしや、後頭部に生えている馬の尻尾が、脳髄に悪さを仕掛けておるのか。

一体、此の者は何なのだ。哀。

学会員諸君! 此の創価学会員を何とかしなさい!!
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月14日(月)21時45分59秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  管理人さんへのお返事です。

>
> して、三色アヒルの連中からすれば、其の真っ黒焦げで死んだ赤沢の人は、来世に生まれ出るまで、
> 真っ黒のまま、という事になります。小笑。はてさて、何とも情けない回向力であります。哀笑。
>
> 何れにしても、創価学会の分裂は、将来必ず起きるのであり、応に其れこそは、歴史の浅い新興宗教
> の定めなのであります。


アハハ、ロム男君の「凍結成仏義」ですね!
あの人はトッカンロム男といい、話になりませんね。あの人はいつも突き進むだけで壁にぶつかり自爆していますね。

まぁ、昨年の夏ですが、約三ヶ月間、「牧口常三郎は本当に国家諌暁をしたのか?」との論題でしたが、ついに出てきたのが、『大善生活実証録』のなかに収録されている、青年部3名が石黒邸を訪問した時の記録だったのです。「これが国家諌暁じゃなくてなんなんだ~~~!!」と脳天から湯気を出して絶叫していました。
最近では、池田太作がフィリピンの国立大学から称号をもらったというのを私が、それは国立大ではなく公立大であると指摘するや否や、莫迦な創価員が「ピ~ピ~、ヒ~ヒ~」と大合唱していましたね。アヒルというのはこのようになくものでしょうか?

しかし12日と13日のお話、大変為になりました。

ありがとうございます。

一連のお話、また勝手で御座いますがブログに永久保存させて頂きました。



 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月14日(月)21時19分42秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  >私はもしかしたら創価学会は、既に「池田太作出生の本懐であるニセ板本尊」を彫刻しており、
>二箇相承めいた文書と一緒に、死後、それを出すのではないかと思っております。

大いに有り得ます。

二箇相承めいた文書、つまり『御遺訓』なるものを出して来るは、先ず間違いないでありましょう。

して、其れを出して来るのは、創価学会会長か、其れとも、SGI会長か、其れとも、、、奥様か。

いや、下手をすると、案外『奥様』かも知れません。何せ、マッハロー詩人の妻であり、次期SGI
(日蓮世界宗)会長の御母堂様でもありますから。哀。

>しかしこの仮定を実行するには非常にリスクが伴いますね。なぜなら彼らが僧宝と称する日興上人
>との絡みが全く無いからです。

本より、池田太作の遺訓と、二箇相承の大義を絡ませる者は、抑もが池田教の狂信者であり、つまり、
其れらの者達と、偽本尊維持派との間で、軋轢が生じるという事であります。

尚、創価の分裂は、相互一対一の分裂、と云うものではなく、池田太作書写の曼荼羅本尊を拝めない、
つまり、池田先生に帰命できない会員(偽本尊維持派)が、本体の創価学会から破門される形での分裂
であります。

>また大聖人の場合は本門戒壇の大御本尊の御出現を既に御書でほのめかされておりますね。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

>1253(建長5年3月28日)    安房清澄寺にて宗旨建立の内証を宣示)
>1253(建長5年4月28日)    立宗宣言(安房清澄寺にて)
>1271(文永8年9月12日)     竜の口の法難
>1272(文永9年2月)        開目抄
>1272(文永9年10月10日)   木画二像開眼事
>1273(文永10年4月)       観心本尊抄
>1274(文永11年2月14日)   幕府、赦免状を発布
>1274(文永5月17日)       大聖人、波木井郷に着く
>1274(文永11年12月)      万年救護の本尊図顕
>1278(建治4年2月23日)    三沢抄(内々に申す法門あり)
>1278(弘安2年9月21日)    熱原の法難
>1279(弘安2年10月1日)    聖人御難事(余は27年なり・・出生の本懐)
>1279(弘安2年10月12日)   本門戒壇の大御本尊図顕

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

なるほど。


其れでは、此れはどうでしょう。すべてが12日であります。


◎弘長元年   5月12日 伊豆御配流

◎文永八年   9月12日 竜ノ口法難(佐渡御配流)

◎弘安二年  10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立


仍って申さく『而るに日蓮二十七年が間、弘長元年五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年十一月
十一日頭に傷を蒙(かほ)り左手を打ち折らる。同じき文永八年九月十二日佐渡国へ配流、又頸(くび)
の座に望む』と。(新編 1396)

仍って、前文に曰く『此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年なり。仏は四十余年、天台大師は
三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すが
ごとし。余は二十七年(弘安二年)なり』と。(同頁)

そして、こうなります。

◎弘安二年 10月12日  本門戒壇の大御本尊を造立

◎弘安五年 10月13日  御入滅

☆正応三年 10月12日  日興上人、富士大石寺開創

☆正応三年 10月13日  日興上人、日目上人に譲座御本尊を授与


本より、時の符合は、仏法からして偶然ではなく、存知の如く、日蓮大聖人の御生誕は2月16日で
あり、釈尊が入滅した、2月15日の翌日に当たります。

応に其れを思う時、上記に示された時の符合が、須らく御本懐の証しとなって、我ら興門正統の心髄
に迫って来るのであります。真(まこと)に有り難い事であります。

>「黒川さん、赤沢の仏師はみんなまっ黒焦げで悲壮な死に方をしているそうな…」とのことを聞い
>たのです。
>今でもこの「赤沢の仏師がまっ黒焦げで死んだ」という言葉は忘れることは出来ません。

そうですか。其れは恐ろしいですね。

して、三色アヒルの連中からすれば、其の真っ黒焦げで死んだ赤沢の人は、来世に生まれ出るまで、
真っ黒のまま、という事になります。小笑。はてさて、何とも情けない回向力であります。哀笑。

何れにしても、創価学会の分裂は、将来必ず起きるのであり、応に其れこそは、歴史の浅い新興宗教
の定めなのであります。
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月14日(月)12時42分57秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  管理人さんへのお返事です。

> したがって、将来に於ける創価学会の分裂は、現今の日寛上人花押の偽本尊の維持か、其れとも池田
> 太作書写本尊の奉持か、其の何れかによる決定が、分裂の起因になるのではないか、と小生は思って
> おります。



非常に鋭いご指摘ですね。

私はもしかしたら創価学会は、既に「池田太作出生の本懐であるニセ板本尊」を彫刻しており、二箇相承めいた文書と一緒に、死後、それを出すのではないかと思っております。しかしこの仮定を実行するには非常にリスクが伴いますね。なぜなら彼らが僧宝と称する日興上人との絡みが全く無いからです。

また大聖人の場合は本門戒壇の大御本尊の御出現を既に御書でほのめかされておりますね。これが全く今の創価にはない。もしこのニセ板本尊を出せば、今学会員が我々を批判している逆現状が出てきます。


「池田太作の書籍、本幹、いずれの場所に於いて池田太作出生の本懐が示されているのか? 池田太作の書物のどこにもそのような記述は無い」という疑難が持ち上がります。

おっしゃる通り、日寛上人の御本尊を取るか、池田図顕のニセ板本尊を取るか?間違いなく分裂するでしょう。

1253(建長5年3月28日)    安房清澄寺にて宗旨建立の内証を宣示)
1253(建長5年4月28日)    立宗宣言(安房清澄寺にて)
1271(文永8年9月12日)     竜の口の法難
1272(文永9年2月)        開目抄
1272(文永9年10月10日)   木画二像開眼事
1273(文永10年4月)       観心本尊抄
1274(文永11年2月14日)   幕府、赦免状を発布
1274(文永5月17日)       大聖人、波木井郷に着く
1274(文永11年12月)      万年救護の本尊図顕
1278(建治4年2月23日)    三沢抄(内々に申す法門あり)
1278(弘安2年9月21日)    熱原の法難
1279(弘安2年10月1日)    聖人御難事(余は27年なり・・出生の本懐)
1279(弘安2年10月12日)   本門戒壇の大御本尊図顕

■■■■■■■■■■

話は全く余談になりますが、52年路線当時、アメリカ創価も少しですが動揺があったのです。当時私は現SGI-USAの副理事長と留学生として同じ大学で勉学しておりました。また土日ともなりますと全行動を共に歩んでおりました。この方は学生当時からSGIサンタモニカの本部で翻訳の手伝い【バイト】をしていたのですが、ある日、「黒川さん、赤沢の仏師はみんなまっ黒焦げで悲壮な死に方をしているそうな…」とのことを聞いたのです。氏曰く、「やっぱり戒壇の大御本尊の力は強すぎるんだろうね・・・」と言っておりましたが、当時は私も学会員であり、単純に「そんなもんか・・・」と思っていましたが、今考えるととんでもないニセ板本尊を彫刻していたのですね!!! 今でもこの「赤沢の仏師がまっ黒焦げで死んだ」という言葉は忘れることは出来ません。

で、私に教学をじっくり教えてくれた彼氏は今も学会です。氏は仏法よりも「今の生活」を取ったのでしょう。人生とは面白いものです。

以上、余談になりましたことをお許し下さい。










 

鑑定せよとな

 投稿者:正直屋太郎  投稿日:2012年 5月14日(月)00時35分21秒 proxybg008.docomo.ne.jp
返信・引用
  戒壇の大御本尊を鑑定せよと邪教創価員の言、   人本尊たる日蓮大聖人の御生命は法本尊たる大曼陀羅御本尊そのものである。仏様を鑑定せよとな、美術品や骨董品じゃあるまいし、どこまで落ちるか邪教創価学会。  

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月13日(日)17時10分55秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >私は池田の死後10年以内に創価は数派に分裂すると考えております。してその兆候はネット上
>でもすでに見受けられ、創価員同士が互いに悪口を言いあっているのが現状であります。

年数の期限は別にして、創価学会は必ず分裂するでありましょう。

本より、其の分裂の起爆は、首魁・池田太作の死亡によってカウントされるのであります。

尚、現今、創価学会員同士の教学の解釈を含む言い争いについては、本より、創価学会には教義その
ものが存在していなかったのでありますから、我が興門正統から破門されし以降の後付教義によって、
会員一人一人の教義解釈が滅裂するは、もはや必然なのであります。

或る者は、二箇相承を偽書と云い、或る者は、本因妙抄・百六箇抄をして偽作と云い、又、或る者は
無名の作者が御義口伝を創作したと云い、又、或る者は、日蓮大聖人の出世の御本懐は、本門戒壇の
大御本尊に非ずして、其れは人の振舞であると云う。小笑。

此の支離滅裂、矛盾撞着(どうちゃく)の未熟なる教義判釈は、すべて本からして創価学会に教義教学
が存在していなかった決路であり、其の手前味噌、都合主義の教義解釈によって、前に言っていた事
と、今言っている事が、すべてチグハグとなるのであります。仍って、其れこそが邪宗の証しとなる
のであります。

>実際には、
>教義上の分裂
>財産の分捕り合戦
>上記から派生する公明党の分裂・・・、

>即ち池田の死後、池田の権力集中の力が分散され、骨肉の争いが生じ、徐々に影を潜めてゆくと
>みております。

少なからず、其れらの予想は的中すると思います。

尚、権力の集中については、当の池田太作は次の様にスピーチしておりました。

『いつしか、リーダーを自認する「豚」たちの手によって、何もかも決定されるようになっていた。
絶対的権力を握った彼は「ナポレオン」と名乗っていた。彼は「批判」を許さない。命令に従わない
者は、徹底的に迫害され、追放された。彼のやり方を疑うこと自体が不遜な悪とされるに至った。
「皆の幸せ」が目的であり、そのためのリーダーであった筈なのに、いつの間にか「リーダーの権威
と権力」が目的になってしまった。しかし、それでも、お人好しの、また無知の動物たちは、「豚」
たちを信じていた』

本より、この様な文体構成などは、池田太作本人の手によるものではない事は、彼のマッハロー発言
からして、容易に察する事が出来ますが、いずれにしても、上記スピーチの内容は、当時の日顕上人
に対して述べられた侮蔑文であります。

しかし、御歴代上人に対する尊信は、正統・富士門流に於ける七百年来の法義であり、権力もなにも、
其の絶対信の中に、富士門信徒としての正義が存在するのであります。要は、日顕上人が池田太作を
破門したから、其れが権力の行使だ、権威だと騒いだだけの事であり、其れこそは、御書講義の最中、
よそ見をしていた太夫阿闍梨日尊が、日興上人から大叱責されて破門されるを、当の日尊が日興上人
に対し「其の処断は権力の行使だ! 権威、権力の横暴だ!」と騒ぎ立てる事と同じなのであります。

其れよりも何よりも、上記スピーチでの「ナポレオン」とは、池田自身の事であり、彼のやり方を
疑うこと自体が不遜であり、悪であり、その命令に従わない者は、徹底的に糾弾され、追放され、
罵詈中傷されるのであります。そして、それでも気が付かない、お人良しの無知な動物とは、則ち、
現今の教義滅裂の創価学会員であり、其の無知な動物たちは、庶民の王者を自認する「大豚」を尊敬
しているのであります。ったく、天に唾して、その唾が己(おのれ)の顔面に落ちるとは、応に上記の
スピーチではないでしょうか。

尚、SGIの実質傘下である日本創価学会の会長職は、もはや「組合長」の位置付けであり、SGI
の会長職こそが、今後の『日蓮世界宗』に於ける最高職となるのであります。そして、前(さき)にも
申しましたが、其の最高職には、池田太作の長男坊、池田博正が就任するのであります。

『だいたい、宗教であるとか、思想・精神文化が世襲であるという事に根本的誤りがあります。
世襲制とは、一族、一家に権益をゆずる自己保身のためのものであり、物的財産を相続されるため
のものです。(中略) 宗教が世襲制であるならば、そのこと自体がすでに堕落であると言わねばなり
ません』

応に、秋谷城永氏の言う通りでありましょう。

尚、当方も、黒川殿が云われるとおり、次期SGI会長・池田博正などは、其の人的風貌からして
民衆(創価学会員)を牽引し、幾百万の無知な動物、いや失敬、無智な会員でさえ、博正への尊信は
保ち得ないでありましょう。

しかし、其れさえも払拭する最善の方策があります。

其れは、誰が創価学会の会長になろうとも、そして、日蓮世界宗の最高指導者が、池田博正になろう
とも、会員が日夜拝む御本尊の相貌に【池田大作】の名を入れ、又は、最終、池田太作書写の本尊を
無知な会員に拝ませる事によって、池田太作は、其れこそ永遠の指導者として、創価学会員から崇め
られるのであります。さすれば、北朝鮮の様に、父親の威厳そのままに、息子の権力が維持されるの
であります。

したがって、将来に於ける創価学会の分裂は、現今の日寛上人花押の偽本尊の維持か、其れとも池田
太作書写本尊の奉持か、其の何れかによる決定が、分裂の起因になるのではないか、と小生は思って
おります。

日蓮大聖人が曰く『心あらん人金をとらんとおぼさば、ふくろをすつる事なかれ。蓮(はちす)をあい
せば池をにくむ事なかれ』(新編 1584)

御文中「ふくろ」とは御本尊の事であり、「池」とは、法華を説く正師の事であります。

応に此の『人法一箇』『依法不依人』の深義こそ、我ら正宗信徒が持(たも)つ、信心の根幹でありま
しょう。

其れに引き替え、創価の世襲。最早そこに正義はなく「法」も「人」も存在しません。

まこと哀しい組織であります。
 

Re: 新興宗教の恥姿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月13日(日)06時00分20秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.44200[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

興味あるところですね。何か北朝鮮のキムジョンウと重なりますね。


ただ北朝鮮の場合は絶対的な独裁体制であるため、そう簡単には崩れることは無いでしょうが、日本は言論の主張が認められた法治国家ですから北とはちょっと異なります。

池田博正、この人物、上から見ても下から見ても、左右両面から見ても大衆を強引するカリスマ性は皆無です。

私は池田の死後10年以内に創価は数派に分裂すると考えております。してその兆候はネット上でもすでに見受けられ、創価員同士が互いに悪口を言いあっているのが現状であります。

実際には、

教義上の分裂
財産の分捕り合戦

上記から派生する公明党の分裂・・・、

即ち池田の死後、池田の権力集中の力が分散され、骨肉の争いが生じ、徐々に影を潜めてゆくとみております。




 

新興宗教の恥姿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月12日(土)18時44分51秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  さて昨今、創価学会を脱会したと噂(うさわ)される、元創価学会第五代会長、秋谷城永氏であるが、
其の秋谷氏は曾(かつ)て、明文書房からの再三なる創価学会に対する質問の中で、次の様に解答して
いた。

云く『だいたい、宗教であるとか、思想・精神文化が世襲であるという事に根本的誤りがあります。
世襲制とは、一族、一家に権益をゆずる自己保身のためのものであり、物的財産を相続されるため
のものです。(中略) 宗教が世襲制であるならば、そのこと自体がすでに堕落であると言わねばなり
ません。(中略) 新興宗教である立正佼成会は最近世襲制を定めましたが、これも財産相続が目当て
であり、騙されている人々はまことに不幸のかぎりと言うほかはありません』

又云く『しかるに立正佼成会は庭野日敬の後継者に子息を擬し、メシヤ教は岡田茂吉からその妻へ、
PL教では御木徳一から子息の御木徳近へという様に、かわいそうな信者から取り上げた財産を、
私有財産として子息や妻にゆずっていくという姿は、まこと邪道と言わざるをえません』と。

                            【創価学会に関する48問答より】


本より此の解答は、それ以降の破門とはまったく関係の無い、創価学会自身に於ける正式な解答で
あるから、現創価の外道信者が自らの変節に対して口を揃えて言う処(ところ)の『世辞』でも『虚言』
でもない事は明らかである。其の意味に於いて、上記の秋谷氏の解答は、今日に於いても重要なもの
である。しかも、此の解答は、恩師戸田先生の七回忌の折に示されたものであるから、本人からして
当然に真実を述べたものである。

して、現在の創価学会であるが、今や創価学会は、実質SGI(創価学会インターナショナル)の日本
組織であり、本よりSGIの会長は池田太作であるから、其の傘下となる日本創価学会の会長がどう
であれ、池田会長率いるSGIの規範こそが、日本創価学会の全てと成るのである。

本より、首魁・池田太作の寿命は、其の身口意の姿からして、既に尽きてはおるが、其の池田亡き後、
日本創価学会を傘下に持つ、SGIの次期会長は、当然の事として、池田太作の長男・博正が就くの
である。『いや、其れは絶対に有り得ない』と断言できる学会員が居るならば、当室に来て戴こう。
本より、来られる訳がない。

さて、SGIの次期会長が、池田太作の息子となれば、云うまでも無く、其れは『世襲』であるから、
前(さき)に秋谷氏が述べた様に、其の姿こそは保身であり邪道であり、応に新興宗教と同じ姿という
事になる。哀。

尚、我が日蓮正宗では、管長職(大石寺住職)に於いて、其の管長の子息が、自動的に次期管長となる、
所謂『世襲制』というものは存在しない。又、一般の既成仏教が如き、何十年も務めた寺の住職が、
そろそろ引退と、自分の息子に寺を継がせるような事もない。つまり、世襲による寺院の私的相続も
法度である。仍って、短期間で寺院の住職が交代する場合もあるのである。

果たして、小生が創価学会から脱会せんとする時、引き留めに来た県幹部の一人が「学会が世襲制を
採ったらならば、自分も考える』と言っていたが、愈々(いよいよ)、そういう場面が近づきつつある。

また、逆に言えば、SGI会長の池田太作が、SGI副会長の長男博正に会長職を譲っても、其れを
平然と見過ごし、又は受け入れる会員などは、其れこそ小生の脱会を引き留めた県男子部の幹部より、
幾千倍も性根が腐っている、という事になるのである。

そう云えば、玄関の扉に挟まれていた『幸福の科学』のパンフレットを見てみたが、そこには創始者・
大川隆法の長男、大川宏洋(幸福の科学理事長・23歳)と、次男、大川真輝(幸福の科学総裁室助手・
19歳)が、大川隆法総指揮による「ファイナル・ジャッジメント」なる未来予言映画について対話して
いる様子が載っているが、いやはや何とも、長男と次男が、親父の指揮する映画を讃嘆するなどは、
紛れも無い新興宗教の姿である。

尚、大川隆法は、幸福の科学による政界進出について、其れに反対する妻の大川きょう子(副総裁)と
仲違いし、今以って離婚調停中であるが、何と大川隆法は、自分に楯突いた妻を教団から追放し、
今まで伝えて来た妻の過去世【愛と美の神(アフロディテー)⇒文殊菩薩⇒ナイチンゲール】などを、
自らの霊言によって【ルシファー(魔王)の妻⇒イエスを裏切ったユダ⇒鳥海山のカラス天狗】などと
改変したのである。

小笑。

そう云えば、池田太作に対して諌言した側近幹部を、次々と追放し、其の後に於いて【裏切り者・
ドブネズミ・畜生・毒蛇・泥棒野郎】などなど、あれやこれやと罵倒した、現創価学会とまったく
同じ業態ではないか。哀。ったく、親父、息子の世襲と云い、脱会者への侮蔑罵倒と云い、創価学会
も幸福の科学も、応に新興宗教の権化である!

思い返せば、長男・博正が、何やら父親の事を讃していたラジオ放送を聴いた様な気もするが。哀。

いずれにしても、聖教新聞の紙上に於いて、奥様だ、博正様だと、矢鱈記事にして褒めちぎるなどは、
エル・カンターレ(最高大霊)を尊崇する、新興宗教・幸福の科学と同類する、まことにふざけた恥姿
である!

創価の小会員よ! 誰でもよい!

自分は新興宗教の会員ではない、と断言できる者が居るなら名乗り出よ!

此の小生が、大叱責してしんぜよう!
 

Re: 黒川殿

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月10日(木)22時10分30秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  管理人さんへのお返事です。


> 其々が別の道を往くは、黒川殿の折伏によって修正もされましょうが、大聖人の仏法を教えてくれた
> のは創価学会である、という彼の言葉には一理あります。

これに関しては私も友人に「確かに仏法を教えてくれたのは創価学会である。しかし創価を通して日蓮正宗の仏法を学んだのです。日蓮正宗創価学会とはそういうことだろう」と返事しておきました。


> 抑も、罵倒と叱責とは、其の質からして違うものでありますが、仮令(たとえ)相手の顔が見えずとも、
> 正義に則った叱責であれば、其れは実語として、必ず相手の心肝に届く事でありましょう。
> 『毒鼓の縁』とは、応に其の事をして云うのであります。おっと失礼。是れこそは釈迦に説法であり
> ました。

全く同感です。折伏とは対面、ネット等、所構わずであるとおもいます。


> 『本当の折伏』という定義が、何をもっての線引きであるのかは、其の状況によって色々とありま
> しょうが、旧知を知る仲での折伏であれば、其れこそが理想でありましょう。

そうですね、最初は私が法華講員であることを隠していましたが、あの人、この人、随分下種先をもらいましたよ。約2時間半でしたが、途中で「実は俺、法華講員だ・・」と言ったところ、別に驚きもせず、「あの人も法華講に行ったよ、この人も寺側に行ったよ…。組織の中であちこちに穴があいたよ・・。」これが正直な今の創価の現状だと思います。

今の創価員は破門により心に大きな穴が開いているな!と感じた次第です。聖教などでは大きなことを言っておりますが、末端の学会員は心に痛みがあるのは見逃せないでしょう。



> 但、当方としては、右翼の街宣車よろしく、法華講員が街頭で創価学会の云わば醜聞(スキャンダル)
> などを拡声器で訴える手法などは、賛成出来かねます。

これは同感です。いちどある掲示板で同じようなことが話題になった時がありました。当方は「やるのであれば日蓮正宗の名前を出すな。市民団体として公明党を批判するのはよいが、ニセ本尊・・・云々、宗教のことを路上で言うことはよくない、ましてや日蓮正宗の名前を以て創価を批判するのは賛成しかねる」と申しております。

以上ですが、これからも宜しく御指導のほどお願い申し上げます。

ところで「ほととぎす」さん、貴殿のこと知っておりました、アハハ。

 

黒川殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時32分15秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >お久しぶりですが、大月天様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?
>本年のゴールデン・ウイークは私に取りましては実に大型の連休でした。娘が現在東京に在住して
>いますので娘(れいな)のマンションに泊まり込み、旧知の友人宅を訪問したり食事をしたり、
>スカイツリーを見に行ったりと・・、楽しく多忙の日々でした。

其れは、とても良い日を過ごされました。

中には、九連休という方もあった様で、まこと羨ましい限りであります。

しかし、こういう連休も、過ぎてしまえば、あっと云う間です。

>しかし東京ってのは、大阪と異なりやはり首都を感じさせる場所ですね。大阪はまぁいえば、
>北【梅田】と南【難波】、それに天王寺といったところでしょうが、東京ってところは各山手線の
>駅が大阪の「南」といった感じです。・・・また人も多い!

やはり、何と言っても首都東京でありましょう。

まぁ、言ってみれば、大阪は豊臣であり、東京は徳川という事で、大政奉還後も、都は関西に成らず。
つまり、日本の中枢は須らく東京に移ったという事であります。

そして、其れに対する反骨が、大阪人の気概となったのであります。

したがって、大阪人のエネルギーは凄まじい。

>商人の街大阪、役人の街東京ってところでしょうかね。

応に其の通りでありましょう。

>学会員にも実に20年ぶりに会うことが出来ました。私は元杉並に住んでおり、その時の学会員
>諸氏にもお会いすることが出来ました。懐かしい!の一言です。
>私が法華講員になったことは誰も知りません。まぁ出てくるわ、出てくるは!!!!罰の現証!

そうでありますか。当方は年少の頃、練馬に住んでおりました。

其れにしても、当時の学会員に20年ぶりにお会いになるとは、其れも引き合わせでありましょう。

>「彼は(金城会=太作の身辺警護隊)のリーダーだったが、某大手企業から金をゆすり、学会除名
>処分になった」

「金城会」、、懐かしいですね。

当方が創価班一期生の頃、次は金城会の一員になるのだ、と密かに燃えておりました。小笑。

>「黒川さんは黒川さんの道を行ってくれ、俺は大聖人の仏法を教えてくれたのは、創価学会だと
>思う」

其々が別の道を往くは、黒川殿の折伏によって修正もされましょうが、大聖人の仏法を教えてくれた
のは創価学会である、という彼の言葉には一理あります。本より、当方の身も、恩師戸田先生率いる、
創価学会から折伏を受けて入信したのであり、それによって富士大石寺の正義に巡り合えたのであり
ます。しかし、破門となった以上、戸田門下生として、御山に忠誠を尽くすは当然の事であります。

>共に戦ったかつての同志であります。ネットでよく見る「罵倒合戦」の会話ではなく実に和やかに
>対話を進めることが出来ました。

抑も、罵倒と叱責とは、其の質からして違うものでありますが、仮令(たとえ)相手の顔が見えずとも、
正義に則った叱責であれば、其れは実語として、必ず相手の心肝に届く事でありましょう。
『毒鼓の縁』とは、応に其の事をして云うのであります。おっと失礼。是れこそは釈迦に説法であり
ました。

>やはり本当の折伏とは旧知を探し根気よく話を進めることに尽きるのではないか、と感じた次第
>です。

『本当の折伏』という定義が、何をもっての線引きであるのかは、其の状況によって色々とありま
しょうが、旧知を知る仲での折伏であれば、其れこそが理想でありましょう。

但、当方としては、右翼の街宣車よろしく、法華講員が街頭で創価学会の云わば醜聞(スキャンダル)
などを拡声器で訴える手法などは、賛成出来かねます。又、ものみの塔や、霊波の光の様に、軒並み
戸別訪問して、パンフレットを置いていく手法も、その訪問を受ける側からして、何とも新興宗教の
ようで、富士大石寺の威厳を下げる事にも成りかねません。やはり、己(おのれ)の知る人を折伏する
が第一であり、不特定多数への破折などは、駅前での街宣ではなく、この様な法論掲示板による折伏
こそが理想となるのであります。勿論、学会員の家と知って戸別に折伏するは、結構な事であります。

>旧知曰く、
>「最終的に創価学会が正しいか、宗門が正しいかの判断は現証だよ・・・」
>とのことでした。

>この言葉を鑑み思うことは「既に現証が出ているではないか!」ということです。
>しかし学会員は客観的には「現証」という言葉を理解しているのですが、「既に旧知の学会員に
>現証が出ているではないのか」ということに気が付いていない!!

人の現証は見えるとも、己(おのれ)への現実は見えぬものであります。

応に『三車火宅の譬え』の教えのとおりでありましょう。実に折伏とは、其れに示された「大白牛車」
に乗せる作業であります。

>この元金城会の知人、新聞沙汰になった事件であります。諸氏の話によりますと「今学会は事件
>など、訴訟事件を起こすと除名処分になる」とのことでした。

>これを聞いた私は、
>「創価という教団は何と無慈悲な教団であるのか、それでは人を救えないではないか! 宗門は
>例え刑事犯であろうとも信仰をする人を差別はしない!世法を重んじる創価、人を重んじる宗門」
>と感じた次第であります。この「元金城会のリーダー」、救ってあげたい!との思いで一杯です。

本より、訴訟事件を起こして除名処分と為すならば、今から遡って、当時の秋谷会長、青木代表役員、
原田副理事長(現会長)以下、六名の不法行為について、其の説明をすべきであります。『中枢幹部は
よいが、会員はダメ』というのでは話に成りません。まぁ、其れこそが創価学会のやり方でもありま
しょうが。哀。

>世法の制裁を重んじる創価、人を救うことを目的としている宗門!
>どちらに軍配が上がるかは、阿呆でも分かるでしょう。

同意であります。

尚、未だ未確定の話でありますが、秋谷元会長が脱会したという話、どうやら本当の様であります。

又、辻武寿(元副会長)氏が、先月亡くなったという話も聞きました。

して思えば、今残っている創価学会の大幹部は、皆、小者ばかりであり、石田次男元理事、竜年光元
参謀、竹入義勝元第九部隊幹部、星野義雄元第四部隊長(登山部長)、福島源次郎元青年部長、原島嵩
元教学部長、山崎正友元副理事長、そして最近では中西元総務、延いては秋谷城永元創価学会会長の
脱会までもが噂となっており、今や創価学会に残りし大幹部は、皆、イエスマンの佞人ばかりにて、
最早、其の行く末は、池田太作の長男率いる新興宗教の小者役人として、無智な会員を誑(たぶら)かし
て行くのであります。本より哀れなるは、平成以前からの残留会員であります。

尚、黒川殿には、今後とも、創価外道義への大破折を、対面のみならず、不特定多数の学会員に対し、
鋭意、呵責されます事を、此に期するものであります。

わざわざの御寄稿、有難う御座いました。
 

格の違い

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時30分39秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用 編集済
  さて、幕末の土佐藩では、其の士族に於いて、厳格な差別が布(し)かれてた事は、よく知られている
所ではあるが、其の群像の中で、藩主の山内容堂、勤王党の武市半平太、そして脱藩した坂本竜馬な
どが、小生としては強烈な印象として残っている。

して、其れらの群星を輩出した土佐の高知の桂浜には、次の様な歌碑が自然石の側面に刻まれている。


    見よや見よ みな月のみの桂浜

      海のおもよりいづる月かげ


本より、此の歌こそは、明治の詩人、大町桂月(1869~1925)が詠みし歌である。

其の桂月は晩年、各地遠方にまで足を延ばし、其の足跡によって、北海道の大雪山系に於いては
『桂月山』という、彼の名にちなんだ山などがある。

又、桂月は与謝野晶子とも親交があり、其の与謝野晶子の才能には一目を置いていたと云う。

して、其の文豪が、或る寺院を評して、こう述べたと云う。


『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。


うむ。今にして応に桂月の云う通りであろう。

本より、現在の70ヘクタール(21万坪)にも及ばんとする曠大な寺領は、戦後の農地解放令により、
其の敷地の大半を失った後の面積であるから、其の当時からすれば、桂月の心肝を圧倒するは当然の
事であろう。因みに70ヘクタールとは、東京ドーム約15個分の面積である。

而して、桂月は、其の寺領の広さのみを感嘆して評したものではなかろう。

当時、大石寺内には16の塔中が建立されていた由。つまり、桂月は、其の大石寺境内の整然とした
偉容を感じ取ったが故に、上記の様な評論を残したのである。まして其の整然たる偉容が、霊峰富士
の美形を戴くともなれば、尚更(なおさら)の事である。

尚、創価外道の阿呆な小会員などが、明治7年から同18年まで、大石寺は荒寺であった、などと言
っておる様だが、16の塔中は、すでに明治3年から成っており、又、桂月が論評せしは、明治18
年(桂月が16歳)以降の事であるから、荒寺云々などは、的の外れた何時もの創価外道の醜弁に過ぎ
ないのである。哀笑。ったく、どうしようもない連中ではある。

して、富士大石寺に於いては、桂月が讃嘆した、其の偉容なる寺領もさる事ながら、もう一つ誇れる
ものがある。其れは『寺紋』である。

何故に誇れるか。例えば其れを、一致派身延の寺紋と比べてみよう。

云うまでも無く、我が日蓮正宗の寺紋は『三枚亀甲五三の桐』である。

本より「五三の桐」とは、天皇家の紋であり、「亀甲」は日興上人を表すものである。

して「鶴丸」は母君(梅菊女)の実家の家紋であるとも云われ、其れをして大聖人の御紋と為すならば、
応に『鶴と亀』をして万年の吉紋と相成るのである。

果たして『鶴』と『亀』、そして、日目上人の御紋が『松竹梅』ともなれば、応にこれ大吉の三紋と
成るのであり、『松竹梅』の『松』には『鶴』、そして『桐』には鳳凰が住む事からして、まこと、
縁起の良い寺紋となるのである。尚、平成新編日蓮大聖人御書の背表紙には『亀甲五三の桐』が刻印
されている。

さて、一致派身延の寺紋と云えば『井桁二橘』であるが、これは、大聖人の父君が貫名重忠であり、
其の貫名氏は、井伊氏の支流である所から、井伊家の家紋である『井桁に橘』を身延の寺紋にしたと
しているが、其の出目の経緯は明らかではない。其れよりも、徳川家康の四天王である井伊直政が、
日蓮宗に帰依した事が寺紋に繋がったという説が有力とも云われている。尚、一方で身延の定紋は
『牡丹』であるとも云うが、本より『井戸』と『橘(たちばな)』と『牡丹』では、其の組み合わせから
して、我が日蓮正宗の寺紋に敵(かな)うものではない。

さても、一致派にして、其れら地味な寺紋では敵わぬから、紫や赤や緑の袈裟を纏って呪文を唱える
とでも言うのであろうか。小笑。其れならば納得もしよう。小笑

兎も角、我が宗門が『五三の桐』であれば天皇家。身延が『井桁二橘』であれば井伊家である。

最早、其の差格は歴然ではないか。

江戸の歌集に云く『武家の身延に 公家の富士 石山禁裏の 御用達』と。

本より「石山」とは富士大石寺の事であり「禁裏」とは、天皇が住む宮中の事である。

而して、富士大石寺の黒門こそは、天皇勅許の証しである。

そう云えば、本門戒壇の大御本尊を御格護奉る、奉安堂の竣工式祝賀会に於いては、昭和天皇の
御皇孫である、東久邇信彦王が御臨席して祝賀を述べられ、徳川慶喜公の直孫、徳川康久氏が乾杯の
御発声を執り、四條家、近衛家からも御縁戚が出席され、又、加賀前田家十八代当主・前田利祐氏
からは祝電も届いたる由。

はてさて、外道バラモンから表彰を受けて満悦する、何処(どこ)ぞの新興教団のお偉いさんとは、
其の意義からして大違いの様相である。応に格式とは此の事を指して云うのであろう。

恩師が云く『だから、身延には広宣流布する資格がないということが、はじめからわかっている。
ましてや、この頃できたてのニセ日蓮宗などはあるわけがない』と。

本より『この頃できたての偽日蓮宗』とは、池田太作が作った『日蓮世界宗』も含まれるのであり、
恩師からして、其れらは『ニセモノ』であるから、拝む本尊も『ニセモノ』と成るのである。

重ねて云く『大石寺を見ずして寺を語ることなかれ』と。

最早、お前ら創価外道に於いて語れるものは、池田の勲章と表彰状しかないのであろう。
応に其れこそは、身延の高僧が身に纏う色袈裟の其れと同じ発想ではないのか。少しは『恥』という
ものを知りなさい。

何、語れるものがある、とな。何、其れは八百万世帯の陣容である、とな。

鼻笑。其の様なモノ、我らからして自慢にもなりはせんぞ。

日蓮大聖人が曰く『世間・出世善き者は乏しく悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ強(あなが)ちに
少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希(まれ)なり。木皮は充満すれど
も布絹は些少(さしょう)なり。汝正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすること
なかれ』と。(新編 402)

哀。

邪義に対する諌言者を排除し、其れらを裏切り者として罵倒する洗脳組織に、何の数が在ろうや。
其の様なモノは、すべて烏合の衆である。仍って、大聖人は正理を以て前(さき)とすべし、と御教示
されたのである。

所詮、三色アヒルの子は三色アヒルであり、其れこそは、身延の『牡丹』と同じものであろう。

本より其の正理からして『鶴』と『五三の桐』には敵わないのである。
 

創価の公式見解から外れた沖浦某を笑う!

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2012年 5月10日(木)18時27分6秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
返信・引用
  ttp://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/1836

昨今の沖浦某を含むノ~タリンが戒壇様を否定しているが、ニセ本尊発布を発表した平成5年9月8日の聖教新聞にはこうある。

「本門戒壇の大御本尊以外にはありえない」
(日蓮正宗改革同盟・青年僧侶改革同盟 決議文)

この決議文は理事会で承認されたものであり、当然池田太作が承認したものである。

沖浦某を含む阿呆な創価員はそれを忘れ、チンタラホイタラ言っているだけだ。



 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑪

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時20分42秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  お主はやはり駄目だ。呆。

話にならん。

凡(およ)そ、お主の面(ツラ)は、カエルなのであろう。哀笑。

さても、恥知らずとは此の事か。呆。

兎も角、本日今より当室からの永久追放を決しよう。

思えば、一度遮断したお主からの投稿を、再び解除した小生の判断が間違っておった。

其れにしても、此の者が記(しる)す文言には、周囲の状況を修羅喧噪に変えてしまう魔力がある。

此れこそは、悪鬼が成せる業(わざ)であろう。

さても此の様な者と、雑談しながら飯を食らうとは情けない。

一闡提人。当に此れ以上の悪知識はあるまいて。

法華経に云く『悪知識を捨てて、善友に親近するを見ん。是(かく)の如き人に、乃(すなわ)ち為に法を
説くべし』と。

応に「親近」とは、自ら好んで近づくを云う。ならば善知識こそを撰ぶべし。

最早、お主に用はない。

***************************************************************************

※以後、当室より追放となる。


沖浦殿

よいか、皆が忘れた頃を見計らって、同じような愚問を繰り返すなどは、詐欺師が各地を転々して、
初耳の連中を騙す魂胆と同じであるぞ。少しは身を慎みなさい。

尚、日亨上人は、本門戒壇の大御本尊について、明確に日蓮大聖人出世の御本懐である、と明言され
ている。

曰く『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なるは、実に
末法怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れ全く日蓮出世の本懐満足の画期として、是れを記念する
ために弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上(日興上人)に親付し、万年広布流溢の時、
大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と。 (富士日興上人詳伝・上159P)

>堀上人が、
>戒壇本尊ご図顕は直接の出世の本懐ではない。
>こう言う意味の発言をしていますね。
>然しながら彼は、では出世の本懐が具体的に何であるか?は述べていません。

哀笑。相変わらずであるよな。

兎も角、お主には大量の宿題が課せられているのであるから、当室に無断で入る時は、先ずは其の
宿題を済ませてからにしなさい。

よろしいか。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑩

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時19分45秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  沖浦殿

しかし、お主という奴は、本当にどうしようもない奴であるよな。呆。

>悲鳴上がってますね・・・・・・
>私が御書引用してキチンと書いているのに比較して、大月天さんは御書の欠片も出せません。
>負けた姿です。

何なのだ、これは。

今までの対論の中で、お主は其の一切について回答出来ずに論敗したのである。つまり、お主の論は
破綻したのである。いや、本からして珍論であるから、破綻するのは当たり前であるが、其の後も、
あれやこれやと、言い訳がましく文句を連ねておる。呆。

よいか。お主の姑息な処(ところ)は、返答も出来ずに論敗した事を棚に上げて、次から次へと文句を
拡げ、恰(あたか)も相互の対論が未だ継続しているかの様に装うことにある。つまりは体裁の維持と
いう事である。沖浦殿。姑息ではないか。

小生はお主に対して、四項の詰問を提示した。本より其れは、お主が論じた事についての詰問である。
しかし、お主は其の提示された詰問について、何度も催促をされながら、一切答えていないのである。
仍って、小生はお主の論が破綻したと結論し、其の後の対論を止めたのである。

ったく、そういう状況の中で、次から次と足した様な文句をベタ貼りして、挙句には『悲鳴上がって
ますね・・・・・・私が御書引用してキチンと書いているのに比較して、大月天さんは御書の欠片も
出せません。負けた姿です』などと云い、平然と閲覧者の目を誤魔化そうとしておる。呆。

よいか。沖浦殿。お主は論敗したのである。そして、論敗者と成ったのである。
仍って小生は、当室管理人として、其れ以降のお主に対して、それなりの対応をしているのである。
つまり、小生がお主の後付文句に御書を引用しないと云うのは、沖浦克治という論敗者に、今更御書
を示そうとも詮無きこと、そして論敗以降の、お主の其の姑息な行為を見るにつけ、お主などは御書
を提示し論説するに値しない人間であるとの認識に於いて、小生は御書を引かないのである。加えて、
此の事は、御宗門の御歴々が、お主の他愛のない珍問に、一言も返さない事に同じくするものである。

小笑。果たして、其のような事も解からずに『腰抜けだ、私には絶対勝てない』などと大口を叩いて
いるお主の姿などは、小生からして、本当に情けなくなってくる。哀。

しかも、己(おのれ)の矛盾極まりない自己撞着(どうちゃく)を余所(よそ)にして『嘘つきは、駄目!!』
などと…。呆。

何でお主はそうなのだ。何でお主は、其の様に自己の文に偽ってまで、周囲の体裁を気にするのだ。

格好をつけるのもいい加減にしなさい!

まこと、云いにくい事であるが、正直言って、お主の其の人間性に問題がある。本よりこれは性分で
あるから、到底、変えられようも無いが、其の規制と秩序と同調を嫌うような、自己中心的、且つ、
自己暗示的な思惟発想などは、青年期(抑圧期)から培われたナルシズム(自己愛)が齎(もたら)すもので
あって、其の後、愈々(いよいよ)高揚し、遂には自分こそが御本尊である、との暗示的結論に達した
のである。

本より、其のような者が示す御書の解釈などは、抑もが自己解釈であり、其の目的こそは自己陶酔に
ある。しかも、其の自己陶酔は、相手の良好な反応を以って倍増するのである。だからこそお主は、
其の快感を求めて、其れらの陶酔論(珍論)を吐き散らかすのである。従って、其れが満たされない時、
つまり、相手からの反応が無い時、お主は、其の雑言を以って、再び、其の自己愛に浸るのである。

さても、上記の事柄、つまりは、お主の人間性について、あれこそれと言うべき必要もない事までも、
小生のみならず、其れが他所他板に於いて言われているとすれば、まこと、前(さき)にも申したが、
間違いなく、お主の其の人間性に問題があるという事になる。

気を付けられよ、沖浦殿。

己(おのれ)の身の臭いは、己には判らずという。

今更、頑陋なお主には、何を言っても焼け石に水であろうが、人様を『臆病者』呼ばわりする前に、
先ずは、己(おのれ)の其の醜態を省みなさい。そして、自己発想の珍論解釈ではなく、しっかと教義
教説に則った論説を以って、我ら富士門の宗義にモノを申しなさい。よろしいか。

尚、どうしても、論敗者というレッテルが許せないのであれば、小生が前(さき)に提示した詰問五項、
及び前回から放置されている詰問四項について、須らく回答して貰わねばならん。又、其れが論敗者
としての礼儀であり、其の論敗者にして、レッテルを剥がす機会ともなるのである。

よろしいか。今より以降、次から次のベタ貼りは、論敗者の遠吠えと理解すべし。そして其れこそは、
自己愛の欲求と理解すべし。

尚、重ねて忠告するが、当室に於いて自慢話は御法度である。何度も言わすでない。

其れとも何か。わざと当室の規則に逆らって、管理人からの追放を誘い、対論を遮ったのは管理人と
自板で披瀝するとでも云うか。呆。まぁ、其れでもよいが、お主にとって、これ以上の投稿口を狭め
るは、其れこそ自己顕示の発散場所が、又一つ無くなってしまう、という事にもなるのである。

其れでは、己(おのれ)の欲求も満たされないであろう。

前(さき)にも申したが『規制』と『秩序』そして『同調』。

これこそがお主のキーワードである。少しは慎みなさい。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑨

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時18分48秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、今更何をゴチャゴチャ言っているのだ。哀。

さてはお主、「論敗者」と言われて憤慨しておるな。哀笑。

しかしな沖浦殿。

小生は何も、対論の結果のみを以って、お主を論敗者と呼んでいるのではないぞ。

其の決着せし内容、つまり、小生からの詰問に対して不答(答えられなかった事実)、そして又、
不明(解からなかった事実)であったにも拘わらず、今になって『私は笑い飛ばして無視します』
『束になっても私一人に勝てません』どと、後付けの強がりを申すから、小生はお主の其の姿勢に
対して『論敗者』と呼名したのである。

よろしいか。本当の敗者とは、其の性根にこそ在る、という事を学びなさい。

>エミョウと、貴方方の宗門の邪儀破折班に、実名で公開法論を要請して数年間、まったく回答すら
>ありません。腰抜けですよ、連中は。

小笑。其れはお主こそが宗門から一笑のもとに無視された証拠である。哀笑。

先ずは相手にされるか、されないか。其の部分から検討しなければ、質問⇒不答、が即、論敗の証
とはならないのである。だが、小生とお主は違う。小生はお主を相手にして対論し、そしてお主は
論詰まりとなった。しかも今になって『私は笑い飛ばして無視します』などと強がりを見せたから、
正真正銘、お主は論敗者と成ったのである。

まぁ、よく考えてみれば、創価学会員の身でありながら、日蓮大聖人出世の御本懐も解からず、
しかも、根幹たる御本尊を指して『仏法ではない』などと珍論を吐く者に、富士大石寺の御歴々が
相手するわけもなく、其れをして『腰抜け』と侮言するは、まことお主こそが身の程知らずである。

『匹夫の勇、一人に敵するものなり』と。

先ずは、小生が張る論陣を突破しなさい。よろしいか。

>旗印も、剣も道具ですよ。
>大聖人はご本尊を、法華弘通の道具、法華経の道具、明快に定義づけておられます。
>誰がどう読んでも、広宣流布のための道具です。
>これが違う読み方があるなら、文法上の説明をきちんとせねばなりません。

哀笑。何とも情けない言い様ではある。

果たして『法華経の道具は仏法とは言えない』とは、応にお主のセリフではないのか。

して、其の仏法とは言えない法華経の道具を、日蓮大聖人が定義づけた、なとど、お主は一体何者で
あるのか。少しは恥を知りなさい。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑧

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時17分57秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >私は、戒壇本尊本懐など、笑い飛ばして無視します

おいおい、先ずは笑い飛ばす前に、小生からの詰問に答えるべきであろう。

第一、出世の御本懐が何なのか、さっぱり解からなかった御仁が、其の詳細について笑い飛ばす事
など出来よう筈もないではないか。呆笑。

大丈夫か? 其の頭。

>双方がその立場であることを認めないと、会話にはなりません。

何度でも云うが、お主との決着はもう付いておる。

>貴方方、日蓮正宗の方の弱点は、
>自分が信じるから他人も信じろ。
>これですね。

日蓮大聖人曰く『行学の二道をはげみ候べし。行学絶へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも
教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句たりともかたらせ給ふべし』と。

はて、此の御金言どおりに実践する事が何故に弱点なのか。つまりは此の御金言は、其の弱点を奨め
る御金言であるのか。

小笑。相も変わらず滅茶苦茶な事を言いよる。呆笑。

>私は違います。
>現実生活の功徳で、実証勝負致しましょう。
>こう言う行き方です。

哀笑。自慢話で広宣流布か。つまり、お主がもしや癌になって、余命三ヶ月と言われたら、自慢話の
広宣流布は、もう其れでお終いと云ふ事か。哀笑。儚(はかな)いのぉ…。

>何故、貴方方、戒壇本尊本懐論を、他宗の方々に押し付けますか?

おいおい、いくら論敗したからと言って、今更「押し付けられた」はないであろう。哀笑。

>そう言うことは、自分たちで納得して信じてればいいじゃないですか。

何だ。又しても「カラスの勝手でしょ」であるか。哀笑。

お主はもう少し『弘教』というものを勉強しなさい。哀笑。


>経文やご本尊は、仏法そのものではありません。
>他人に仏法やらせる、便利な道具です。

哀。

上記の事、お主は譬喩で言っているのか、其れとも本心で言っているのか。

もし譬喩で申しているのであれば、お主の感性はゼロである。

してもし、本心で申しておるなら、お主は一闡提人である。

いや、もう一つ、わざと其の様に言っているとなれば、お主こそは単なる愉快犯である。怒。

>魂の件も同じです。
>魂ほんとに抜けたら死にますよ。
>大聖人はその後もお元気でした。
>ですので、あれはものの表現です。

小笑。つまり一球入魂で投げた投手は死んでしまう、という事か。そして、其の一球に魂を込めて
投げるとは、単なる表現なのか。哀笑。

お主の様な可見に執着した外道信者などは、創価学会広しと雖(いえど)も、そう居らんぞ。哀。

よい話をしてしんぜよう。

あるベテラン捕手が投手の球を受けた時、その投手の心の叫びが瞬時に解かると言う。もちろん、
球などに其れを伝える口などは無い。しかし捕手には其れが伝わると言う。又、その事をして投手は
己(おのれ)の燃え滾(たぎ)る命を、其の一球に込めるともいう。応に其れこそは一球入魂の事を指す
ものであろう。

果たして、お主の珍論からすれば、この後、投手は死んでしまう事になる。哀笑。

さても大丈夫か? 其の頭…。

仍って、

>そう言う道理弁えてかかないから(ママ)、身延に負け続けるのです。

とは、こっちのセリフである。

>鏡見て身繕いするでしょう。
>でも、貴方も私も鏡の外です。
>同じです。
>御本尊に、唱題しても、私共の歓喜は私どもの命から湧き出します。
>御本尊は全く変化しません。

お主、鏡には裏と表があるのを知っておるか。哀笑。

言って置くが、お主は鏡を裏返しに持っておる。呆笑。

>一切衆生のいない所に仏も菩薩も出現致しません。
>何故なら、仏も菩薩も、私共と全く同じ人間だからです。

おいおい、お主にとって仏とは、単なる道具なのであろう。
果たして、其の道具が、私共と全く同じ人間とは、つまり、お主からして仏菩薩は奴隷という事か。
して、仏が道具なのではなく、御板・紙幅の御本尊が道具である、というならば、一体、道具でない
仏は何処(どこ)に行ってしまったのだ。

ったく、滅茶苦茶な事を言う御仁ではある。呆。

ところで沖浦殿。

小生前(さき)にも申したが、お主は今尚、飽きもせず、上記のような珍論を貼りつけておるが、其れ
こそは撒き餌よろしく、我らがお主の珍論にコメントするを愉(たの)しんでいるのではあるまいな。

もし、そうであれば許さんぞ。

其れにしても、言いたい放題の迷論珍論。

もはや開いた口が塞がらん。呆笑。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑦

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時16分52秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  やはりお主は駄目であるな。

見れば、過去からの我見が高じて、今や、創価学会の教義教学を足で踏みつけながら、自義珍論の
ばら撒きなどを、組織の無関心、又は其の放任を良い事にして、好き放題にやっておるが、沖浦殿、
そういうお主の我義珍論などは、本より、現創価学会の教学自体が俄(にわか)造りの外道教義だと云
うに、其の尻肉から生まれたお主の様な己義珍説などは、到底、我ら富士門の教学からして、まさに
出鱈目(デタラメ)、支離滅裂、撞着(どうちゃく)矛盾極まりない、其れこそ鼻屎(はなくそ)にこびり
付いた鼻毛にも劣る、応に珍義発想の自己陶酔でしかないのである。よいか。先ずはすぐにでも、
鼻屎に戻りなさい。小生から言わせれば、鼻屎の創価教義の方が、何倍もお主の鼻毛珍義より勝れて
おる。沖浦殿、ここまで云われたらもうお終いであるぞ。哀。

尚、見れば、真面(まとも)な回答も寄こさずに、体裁ぶった断末魔を空しく打ち込んでおるが、
抑も熱原の法難というものは、弘安元年末とも云われる、熱原市庭寺(いちばじ)の信徒百姓等への、
長崎次郎兵衛尉などによる馬上から襲撃が、其の暗雲の始まりとも云われ、弘安二年四月八日の浅間
神社、流鏑馬(やぶさめ)の神事雑踏の中での法華行人・四郎男への刃傷、そして八月の弥四郎斬首と、
其の熱原法華衆への弾圧は、其の熾烈を増して、弘安二年九月二十一日の大法難に至るのである。

そして遂に日蓮大聖人は、其の翌月の十月一日に於いて、其の重大なる時を鑑みて、末法の御本仏と
しての御本懐に至るを宣言されるのである。尚、本門戒壇の大御本尊の十月十二日と、熱原三人衆の
殉教日については、其の一致を求める事自体が信者・批判者ともの願望であり、熱原の法難より五年
をして御誕生された、日道上人御伝土代による『その時』とは、応に其の斬首の同日同時を以て意味
するものに非ず、それら熱原信者の熱烈な信仰と、其の弾圧にも耐え抜いた、応に日蓮門徒衆の円熟
なる信心を感得された、応に『その時』を感じたる意味での申し様なのである。

尚、熱原三人衆の斬首については、弘安二年十月十五日と、翌三年四月八日の両説がある。

又、本門戒壇の大御本尊の十二日とは、伊豆流罪の十二日、そして佐渡配流の十二日と、其の両日を
して重なるものであり、応に其の十二日を、熱原宗徒の法難を契機として、将来の本門戒壇に御安置
さる大御本尊に御刻印されたものと、小生として恐れながら御拝察するものである。

其れにしても、日蓮大聖人の御本懐が、未だ解からぬとは恐れ入った。それでよくも、日蓮門徒が
勤まるものである。哀笑。

さて、沖浦殿。

お主は、これにて論敗者となった。これで二度目である。

見れば、日寛上人への侮蔑に対する、小生からの詰問に対し、お得意の『内部規定』を口走り、其れ
こそ『お互いの勝手』と白を切る、其のお主の逃げ口上などは、もう何回も聞いて、いや何回も見て
其れこそ、目にタコが出来るほどである。

沖浦殿。少しは恥じ入る、という事を覚えなさい。

歳を重ねての頑迷は、周囲から覩(み)て、あまり良いものではない。まして、己(おのれ)が所属する
宗教の教義を、其れこそ唾するが如き言動を重ねるは、信仰者として、余り褒められたものではない。
そうは思わぬか。

さても、此の様に対論の主意以外の、其れこそお主の人間性にまで論を及ばせるは、実に小生として、
同情に耐えないからである。果たして其の意味、理解できるよな。

尚、これにてお主との対論は、其の珍論破折の成果を以って終える事とするが、今回に於いては、
お主を追放とはしないから、当室に於て其の珍論珍説などを披露していきなさい。小生ではなくとも、
他の法華講員同志が、そして又、お主と同じ創価学会員が、お主の其の珍論珍説に対して、厳しい
鉄槌を下してくれよう。そして、其の度重なる敗論の中で、お主が少しでも、其の頑陋な自己世界
から覚醒される事を、当室管理人として此に期待するものである。

尚言って置くが、今後、小生と論ずるに於いては、前回追放時の不回答四項、そして今回の五頁の、
計九項目の詰問に対して、須らく回答して貰わねばならん。又、其れが論敗者としての礼儀であろう。

次から次のベタ貼りは、単なる批判と心得るべし。

以上である。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑥

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時15分36秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  お主、小生からの詰問に一切答えておらんではないか。

日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか、お主は其れに答えなさい。

加えて、

「戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです」とお主申した。

したがって、小生は二十二世・日俊上人の御文を引いて、其の捏造こそを糺した。

其れに対する返答を、とぼけないで寄こしなさい。

よいか。お主がぐすぐすと返答を渋っておると、これ以上、話が進まんのである。

>①全てのご本尊がご本懐と言う理論もありうる。
>この場合は、ご本懐は図顕されたご本尊そのものでは無く、ご図顕と言う行為そのものである。

おいおい、日蓮大聖人出世の御本懐が、御図顕された御本尊にはなく、其のすべての御本尊御図顕と
いう行為が出世の御本懐であるとは、哀笑。お主、それ以上、己(おのれ)の墓穴を掘ってよいのか。

ならば訊こう。

果たして、お主の物言いからすれば、日蓮大聖人が御図顕されし後の、其の御本尊に於いて御本懐の
意義は存在しないという事になる。つまり、御図顕という出世の御本懐を遂げられし後の御本尊は、
其の時点で出世の御本懐でなくなる、という事になる。ならば、御図顕後に御安置された御本尊は、
日蓮大聖人からして、一体何なのだ。其れを申せ。

よいか。日蓮大聖人に於ける御本尊御図顕・御建立とは、其の御図顕されし事と、其の御図顕されし
御相貌と、そして、其の御図顕されし時と対告を以って、それぞれの真義を見ていかねばならないの
である。仍って一往は、阿仏房に授与されし一機一縁の御本尊も、日蓮大聖人からして御本懐である。
而して、其の再往に於いては、御顕発される其の大儀と、其れに御示しさる御相貌と、其の授与さる
対告によって、御本懐の真義が示されるのである。


>②全てのご本尊がご本懐でないと言う論も成り立つ。

小笑。ならば、日蓮大聖人の出世の御本懐とは、一体何なのか。其れを申せ。

尚、言って置くが、小生は推察と願望でモノを申しているのではない。

お主が言った事に対して、其の矛盾と、其の珍論に対して、しかも其の道理に基づいて摧破している
のである。つまり『すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません』と小生の詰問を受けて
其れを認めながら、其の口も乾かぬうちから『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に
存在したかどうかは不確定である』などと舌を裏返す。しかも前(さき)に『戒壇本尊は紛れもなく
大聖人ご図顕のご本尊』と小生に曰(のたま)った御仁がである。

果たして一体、これの何処が推察と願望の物言いであるのか。

少しは、己(おのれ)の記述に責任を持ちなさい。そして、其の滅茶な論理を恥じなさい。

思ふに普段の者であれば、これ以上の論窮に耐えられず、赤面して遁走するか、又は、素直な意志を
以って其の浅識と誤謬を認めるか。其のいずれかであろう。

而して、お主は、其の頑陋にして鉄面皮の其れであるから、小生からの詰問に対して其れを無視し、
又はとぼけて、次から次へと思いついた珍論をベタ貼りしていくのである。

よいか。ここで小生からの詰問をまとめておくから、一項づつ返答しなさい。

余計な屁理屈はもう要らんぞ。よろしいか。

一、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか。
  お主は其れに答えなさい。

二、御図顕という出世の御本懐を遂げられし後の御本尊は、其の時点で出世の御本懐でなくなる、
  というならば、御図顕後に御安置された御本尊は、日蓮大聖人からして一体何なのか。
  お主は其れに答えなさい。

三、全てのご本尊がご本懐でないというならば、日蓮大聖人の出世の御本懐とは、一体何なのか。
  お主は其れに答えなさい。

四、戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した邪義というならば、二十二世・日俊上人の御文、
  『此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊にあらずや (中略) 此の如く蓮祖
      御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に』【延宝八年(1680年)】(歴全3-103)という義を、
  どう釈するか。尚、此の時に於いて日寛上人はまだ十五歳である。お主は其れに答えなさい。

五、『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に存在したかどうかは不確定である』という
   結論と『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊』と小生に曰(のたま)った結論の、其の
   矛盾を説明しなさい。そして、今にして一方を選択するのであれば、もう一方の結論について、
   お主は其の誤謬を認めなさい。


以上、五項である。

よいか。これでなくとも、お主が当室から追放されし時の不回答が、上記以外に四項あり、其の他、
一々の質疑を含めれば、両の指の五倍はあるのである。

少しは真っ当に答えなさい。尚、次回投稿で誠意ある回答がない場合は、お主の論敗、つまりは、
論理の破綻を認めた事とし、当室は其れを以って決着と為す。


【余記】


『戒壇様本懐論などが出てくるんです。あれね、ギャグの世界です』

哀笑。覚えておるか。曾(かつ)て、お主が小生に言った文句である。

しかし、今にして見ても、とんでもない言い草であるよな。

つまりは、日蓮大聖人出世の御本懐たる、本門戒壇の大御本尊を御迎えするに、当時の創価学会員が
其の純真なる信心のもと、其の総出を以って正本堂の建立に勤しんだは、其のギャグを安置する為に
勤しんだという事か。

まったく以って、侮蔑なる表現である。お主、其れでよくも創価学会員で居られるよな。

よいか、人と云うものは、其の繰り返す思考と体験が、其れこそ年輪の様に重なり合って、其の人格
なりが形成されていくのである。そして、其れに依って、相手の言動、文字の表記、又は其の動向を
以って、対する相手を見据える事が出来るのである。

お主、大丈夫か。人に対して揶揄する性根が肝に巣食っておらぬか。そして、富財栄誉のみを以って、
その者の価値を計らんとしておらぬか。そして自分こそが根本尊崇たる本尊なりと自惚れておらぬか。

正々堂々、己(おのれ)の正義信条を確信するならば、須らく上記各項の詰問に答えるべし!!

もう後は無いぞ。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】⑤

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時14分20秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >戒壇本尊が本懐であるなら、大聖人が明示なさいますよ。

だから、御本尊の御顕発について、其の一切を日蓮大聖人は御書には記(しる)されていないのである。
其の事はお主自身が認めている事ではないか。だから、小生は、それら御顕発の詳細が諸御書に示さ
れていないのであるから、出世の御本懐を以って御顕発されたる御本尊とは、応に日蓮大聖人が其の
御本懐を宣示されし時を以って、其の御本尊としての大証が成ると申しているのである。

だから、小生は、お主に対して、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為され
たか、と詰問しているのである。お主は其れに答えなさい。

日亨上人に曰く『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なる
は、実に末法怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れ全く日蓮出世の本懐満足の画期として、是れ
を記念するために弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、
大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と。(富士日興上人詳伝・上159P)

よいか。日蓮大聖人は、出世の本懐御満足の画期として、応に其れを記念する大義に於て、本門戒壇
の大御本尊を御顕発されたのである。従って、求めるべき起点とは、其の記念さる御本懐がいつであ
ったか、という事なのである。

お主は其れに答えなさい。

尚、お主は、雪山童子の説話を以って、日蓮大聖人御内証の公表を尤(もっと)もらしく比しておるが、
滅不滅にして本有常住たる御本仏の御内証を、無常流転の説話を以って、其の甚深を計るなどは、
応にお主こそ、御本仏を愚弄する一闡提の輩である。先ずは、その無礼を御本仏に対し平謝しなさい。

よろしいか。

加えて、

>戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです。

というお主の『捏造』について、小生は其の誤謬を糺した。

其れに対する返答を、とぼけないで寄こしなさい。

其れにしても、

>戒壇本尊が、大聖人の直筆かどうか?
>私は断言をしておりません。
>直筆の可能性も、後世の書写の可能性も双方等しくあるでしょう。

などと曰(のたま)っておるが、つい前(さき)まで、お主は、此の小生に対して、

『弘安二年の大御本尊が本門戒壇の御本尊とは後世の説です。蓮祖の教えではありません』と言って
おったではないか。言って置くが「弘安二年の大御本尊」とは、我ら富士大石寺信徒からして、応に
本門戒壇の大御本尊を指すものである。

応に俄(にわか)論者にして、其の言動の揺れたる事よ。哀。

其れでは返答を待っておるぞ。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】④

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時12分59秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  帰って見れば如何。

あれほど言ったにも拘わらず、又しても駄駄を捏ねておる。お主、窮地に陥ると必ずそうであるよな。

>御書に載っていないから存在しない証拠にはなりません。
>ですが、貴方の言うように、御書に載っていないことが存在の証明にはなりません。

そうではないだろう。

よいか。小生は『御書に載っていないことが存在の証明にはならない』などとは言っていない。
『御書には載っていなくとも、御建立された御本尊の存在は証明される』という事をお主が認めたと
言ったのである。

つまり、御書に載っていないから(建立された御本尊が)存在しない証拠とはなりません、という事は、
つまりは御本尊御建立の事が御書に記(しる)されていなくとも、其の御本尊の存在を以て証明される
という事ではないか。

つまりは其の良い例が、万年救護御本尊であろう。応に此の御本尊をして、其の御建立の経緯が一切
御書に記されていなくとも、厳然と其の御姿を以って証明されているのである。

お主は以前、小生に対して『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊です』と申したが、まさに
「紛れもない」との確信は、実に戒壇の大御本尊の存在を以って為されたものであろうが。

よいか。

何度も云うが、御本尊御図顕の御事について、日蓮大聖人は諸御書に於いて、その御図顕の場所、
ならびに御本尊の名称、日時等などは、その一々に於いて記されていないのである。

而して、戒壇の大御本尊在り、万年救護御本尊在り、そして又、師資伝授之御本尊在り、なのである。

してお主は、

>戒壇本尊が御書に無いから存在しない。
>これは明らかに間違いですね。
>すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

と云いながら、其の舌も乾かぬうちから、

>御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と同じ時代に存在したかどうかは不確定である。

などと、御建立の記載が御書に記(しる)されていない事を以って、其の存在を疑っておる。

果たして『戒壇本尊が御書に無いから(戒壇本尊は)存在しない、という論理は明らかに間違いだ』と
是認したお主が、そして、御本尊御建立について日蓮大聖人は、その御建立の場所、御本尊の名称、
日時等について、その一々について御書に示されていない、つまり『すべてのご本尊がご図顕の度に
御書に書かれていません』と是認したお主が、一夜にして『御書に記載がない戒壇本尊が、大聖人と
同じ時代に存在したかどうかは不確定である』などと舌を裏返しておる。

だから小生が言ったであろう。お主が云う処(ところ)の「御書に戒壇本尊が本懐だとは書かれていま
せん、御書の何処にも(戒壇本尊が)本懐だと書かれていないから、本懐ではない!!」という文句は、
抑も、御書に戒壇の大御本尊を御図顕した事などは、お主が認めた様に記されていないのであるから、
御書を引用して戒壇の大御本尊が御本懐であるという事を証明せよと云うお主の文句は、抑もが自己
撞着(どうちゃく)の戯論なのである。と。

にも拘わらず、

>御書に記載がない戒壇本尊が、
>御書に記載がない限り、

などと、又しても鸚鵡(おうむ)が如き撞着(どうちゃく)の弁を弄しておる。

よいか。お主は前(さき)に『戒壇本尊が御書に無いから存在しない。これは明らかに間違いです』と
言い切ったのであるぞ。つまりは、御書に戒壇の大御本尊の記載がなくとも、其の存在は其の実在を
以って証明されるという事を容認した事になるではないか。又、だからこそお主は、其の大御本尊の
実在を以って『戒壇本尊は紛れもなく大聖人ご図顕のご本尊』と小生に言い切ったのであろう。

其れを一夜にして『御書に載っていないことが存在の証明にはなりません』などと、後付けよろしく
逃口上を打っておる。

よいか。其の様に俄(にわか)論者よろしく体裁を繕おうとするから、結局は辻褄が合わなくなるので
ある。

では再詰する。

さても御建立されし御本尊が御書に記されていないとなれば、応に正しい質疑とは、

「日蓮大聖人の御本懐は、いつ遂げられたのか」の一点と相成る。

そして、其の御本懐を遂げられし御時、日蓮大聖人は御本尊を御建立されたのか、して、もしされた
となれば、応に其の御本尊こそが、日蓮大聖人の御本懐たる、三大秘法の大御本尊ではないのか。

実に其の起点こそが、応に実在する本門戒壇の大御本尊への考証となるのである。

御書に載っていないから存在しない証拠にはなりません。と云いながら、後になって、御書に載って
いないことが存在の証明にはなりません、などと後ずさりの屁理屈を述べるなどは、まったくお主は
成長しておらん。

よいか、本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が其の御本懐を宣示されし時を以って、其の御本懐たる
大証を得るのである。果たして其れはいつなのか。応に其の御文証こそが重要となるのである。

さても、日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。して、其の宣示はいつ為されたのか。
実に大本門寺の戒壇に御安置さる本門戒壇の大御本尊こそは、其れら究竟なる大義の証明を以って、
其の御身に刻印されし御証文と、其の堅牢壮大なる御姿の真(まこと)が、此に顕現されるのである。

仍って詰問す。

日蓮大聖人出世の御本懐とは何か。そして、其の宣示はいつ為されたか。

お主は其れに答えなさい。

尚、当宗に於ては、お主ら創価学会が平成17年10月12日の「大御本尊御図顕の日」を記念する
勤行法要に於いて、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す
計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり」(御書全集1189頁)を拝読。
大聖人の出世の本懐であられる大御本尊の御図顕は、熱原の法難が契機であり、それは日興上人を
中心とする弟子の弘教の闘争によって起きたものであったと述べ、「師弟」こそ大聖人の魂であると
強調。創価学会は、この「師弟の道」を貫いた3代会長の精神を継承し、あらゆる障魔を打ち破りな
がら、厳然と広宣流布の勝利の実証を示していきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

との、会員に対する指導に於いて、其の主要部分について、当宗の真義を踏襲したものと認めるもの
である。果たして『腐っても鯛』とは此の事か。哀。

尚、お主が言い散らかすところの、

>戒壇本尊本懐論は、寛師がねつ造した、邪義なんです。

などは、其れこそがお主の捏造である。

曰く『此の三大秘法は何者ぞや、本門の本尊とは当寺戒壇の板本尊にあらずや (中略) 此の如く蓮祖
御出世の本体三大秘法の御座す寺なる故に』【二十二世日俊上人・ 延宝八年(1680年)】(歴全3-103)

はて、1680年と云えば、日寛上人はまだ十五歳である。それが何で、日寛上人の邪義となるのだ。

お主は其れを説明しなさい。よいか。これ以上の駄駄は許さんぞ。

尚、論点の拡散を防ぐ為、上記以外の戯れ言については、後々の破折と為す。
 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】③

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時11分32秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  >戒壇本尊が御書に無いから存在しない。
>これは明らかに間違いですね。
>すべてのご本尊がご図顕の度に御書に書かれていません。

よろしい。

お主は、本門戒壇の大御本尊の事は御書の何処にも記されてはいない、という事を此に認めた。
つまりは、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠にはならない、という事を認めたと
いう事である。つまりは、御書には載っていなくとも、御建立された御本尊の存在は証明される、と
いう事を認めたという事である。

先ずは其の事、大いなる前進であろう。

つまりは今もって、戒壇の大御本尊の記述が、御書のどこにも記(しる)されてはいないから、戒壇の
大御本尊は後世の創作である、などと云う稚論を述べる者共が、あちこちに蠢(うごめ)いているから
である。

さて、お主は、当方からの再々なる詰問に対し、御本尊御建立の御事については、日蓮大聖人御自身、
諸御書に於いて其れを記されていない、という事を此に認めた。つまりは、御本尊の名称も、御図顕
の場所も、そして日時も、その一々に於いて記されていないという事を此に領解したという事である。

さて!

そうであるならば、お主が云う処(ところ)の「御書に戒壇本尊が本懐だとは書かれていません、御書
の何処にも(戒壇本尊が)本懐だと書かれていないから、本懐ではない!!!!」という文句は、抑も、
御書に戒壇の大御本尊を御図顕した事などは、お主が認めた様に記されていないのであるから、御書
を引用して戒壇の大御本尊が御本懐であるという事を証明せよと云うお主の文句は、抑もが自己撞着
(どうちゃく)の戯論なのである。そうであろう。

果たしてお主は嫌がらせをしておるのか、それとも単なる愉快犯なのか。

果たして、御図顕されし御本尊が御書に記されていないとなれば、応に正しい質問とは、

「日蓮大聖人の御本懐は、いつ遂げられたのか」の一点となる。

そして、其の御本懐を遂げられし御時に、日蓮大聖人は御本尊を御顕発されたのか、もし、されたと
なれば、応に其の御本尊こそが、日蓮大聖人出世の御本懐たる、三大秘法の大御本尊ではないのか。

よいか。質問の精査とは、この様にするのである。

先ずは第一、己(おのれ)の自己撞着なる愚問を恥じ、改めて上記が如くに質問の訂正をしなさい。

よろしいか。

さすれば答えてしんぜよう。

尚、言って置くが、此に至って駄駄を捏(こ)ねるでないぞ。何事も素直が肝心である。

 

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】②

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時10分38秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  沖浦殿

>御書に戒壇本尊が本懐だと書かれていません。
>戒壇本尊は現実に存在しています。
>私も何度も拝みました。

だから、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠となるのか、と小生は詰問しているの
である。本門戒壇の大御本尊の事は御書の何処にも記されてはいない。しかし、お主が申すとおり、
本門戒壇の大御本尊は厳然として在るのである。つまりは、御書に載っていなくとも、御建立された
御本尊の存在は証明される、という事である。そうであろう。だから小生は、その事について認める
かと訊いているのである。

認めるのか、認めないのか、先ずは其の事に答えなさい。
 

沖浦殿

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月10日(木)18時08分36秒 softbank219205006025.bbtec.net
返信・引用
  おいおい、お主は当室から追放されているのであるぞ。

其れを承知で投稿しているのであるか。

しかも、お主の不答によって論敗が確定している内容について、又しても口を開いておる。

まさかお主、周知された論敗の事実が薄れるのを待って、同じ様な文句を繰り返しておるのか。

しかし、そうはいかん。

お主が論窮して、不答となり、遂には当室から追放された事を、此に順を追って再掲せしめよう。

しっかりと読みなさい。

【論窮・論敗・そして追放までの経緯】①

************************************************************************

>>万年救護のご本尊が御書に無いが存在している。

>その通りですね。
>然しながら、

>戒壇本尊も御書に無いが、存在する。
>本尊として、万年救護も、戒壇本尊も確かに存在しています。

よろしい。ならば、本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人の御書に記されていない事を以って、其の
存在に疑念するは誤りであったと認めるのであるな。言って置くが、名称の問題ではない。優劣の
問題でもない。要は、御書に載っていない事が、須らく「無い」という証拠となるのか、という問題
である。

再度云う。

お主は、本門戒壇の大御本尊が、日蓮大聖人の御書に記されていない事を以って、其の存在に疑念
して来た事について、其れは誤りであったと認めるのであるな。

先ずは其れに答えなさい。

>横やりは全て削除してください。
>でないと、落ち着いて話ができません。

少々の横槍などは一々気にするものではない。小生との集中が有れば何でもない事である。
 

未だに戒壇本懐論に執着している方へ

 投稿者:沖浦 克治  投稿日:2012年 5月10日(木)08時27分52秒 wb004proxy01.ezweb.ne.jp
返信・引用
  堀上人が、

戒壇本尊ご図顕は直接の出世の本懐ではない。
こう言う意味の発言をしていますね。
然しながら彼は、では出世の本懐が具体的に何であるか?は述べていません。
当時、そこまで言えなかったのでしょう。
戒壇本尊本懐論は、寛師の捏造です。
御書に照らして明快です。戒壇本尊は御書に欠片も出ていませんし、興師も目師も一言たりとも言及しておりません。道師に至っては、実に否定的な意見を書いております。もし、法水写瓶が本当であれば、道師が三師御伝土代で、否定的な文章を書く道理がありません。戒壇本尊を、何かの理由で隠さねばならないとしても、後世の人間が迷うような文章を好んで書くものですか。
それが、道理と言うものです。更に、有師が曼荼羅について書いたものにも、戒壇本尊は出てきません。大聖人が興師に与えられた、弘安2年10月12日の御書にも、戒壇本尊は一言もございません。

戒壇本尊本懐論は、寛師の邪義です。

 今後、共に大聖人の本懐を思索すればいいのですよ。
 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/109