希望の先に帆をあげて

~DVをでっち上げられた闘いの記録~

突然の子供の連れ去り、第1審裁判で冤罪を証明し全面勝訴。控訴審でも勝訴。でっち上げDVがはっきりと証明されたが、親権を奪われた。

そして・・・現在、上告中。


テーマ:
私の離婚裁判について・・・

現在までの流れを簡単に書きます。


平成21年8月6日

夕食後の私の目の届かない隙に、突然、広子は娘2人を連れ去り、別居が始まりました。


その3カ月後、広子が申し立てたことにより調停が行われましたが、円満解決を目指す私の話を全く聞かず、離婚と親権を譲らなければ調停を行う意味もないと強行に不調を訴えました。
調停委員も困った様子でしたが、広T子と代理人の佐藤功行弁護士により、たったの1度きりで、調停は強引に不調に持ち込まれました。

その翌月、広子は計7件の暴力を理由にして、離婚の裁判を提起。

私は、自分と子供の権利を守るために、離婚に至るには理由は別のところにあるとして、反訴を提起しました。

約1年の審理を経て、平成23年4月18日に第1審判決が下されました。

広子の主張について、私は数々の客観的証拠を以って覆していきました。


逆に広T子が私に行った暴力を証拠によって証明し、親権についても、広子は普段から家事育児をあまりしていなかったことを数々の客観的証拠で証明していきました。


判決内容は、広子による私への暴力を認定し、また、夫の同意を得ることもなく子供を連れ去り、以降、面会もさせず居所を明らかにしていないことを継続している事などが悪意の遺棄と認定され、親権指定の判断がされました。


判決内容は、親権者を父親である私にしていすること。子供を引き渡すこと。持ち去った子供のための預金を私に引き渡すこと。損害賠償として50万円を私に支払うこと。持ち去った大半のお金から判決で定めた分の財産分与の金の支払い。などが命令されました。

DV事件で訴えられた側である私の全面勝訴になりました。


その後、広子側は控訴。


控訴審では、暴力について、第1審での判決が踏襲されたものの、親権指定を広子に変更するというものになりました。

親権変更の理由は1つしか指摘されていません。


それは・・・


子供は別居して、既に2年8ヶ月の間、広子の環境にいるから。



結果的に私の離婚裁判は、控訴審判決も勝訴でしたが、付随項目の一つである親権は変更されたという部分敗訴でした。


この親権変更の理由の期間の内、2年4ヶ月は裁判での係争期間です。

裁判がもっとスピーディに行われれば、控訴審判決の結果はなかったことになります。

これは裁判です。
裁判がこれで良いのでしょうか?


東京高裁民事第21部。
齋藤隆・飯田恭示・一木文智の裁判官は、第1審判決で判事されていたにもかかわらず、夫に暴力を行い(認定の内の一つの暴力は、母親による子供への暴力が原因で発生したものでした)、子供を連れ去り面会をしなくても、裁判を起こして年月をかければ思い通りの離婚が出来るということを東京高裁が認めてしまったのです。


現在、本当にこれで良いのかということを問いかけるために、最高裁に上告しています。



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