Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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ついに激突・セイバー対ランサー!!
イクサ直前のセイジャク
河口も間近な未遠川の川幅を跨ぐ冬木大橋は、全長六六五メートルの威圧を誇る、三径間連続中路アーチ形式の橋である。
アーチの
そんな冷たい鉄骨の上に、ウェイバー・ベルベットは命綱も何もなく、両手両足だけでしがみついていたものだから、このさい致し方なく、普段から心掛けている威厳や余裕を示すことはすっかり諦めていた。
すぐ隣には、彼のサーヴァントのライダーが、どうにも憎たらしいほどに嬉々とした態度でもって女の子らしく座っている。
「らい、ららららいだ、ら、い、だー……降りよう、ここ、早く降りよ……お願い!」
寒さと恐怖に、ひっきりなしに歯を鳴らしながら訴えかけるマスターの声も、彼以上に小柄で小さな女の子のサーヴァントはどこ吹く風である。
「見張り台としては最適だぞ。まあしばらくは出番もないし、高みの見物でもしてようぜ」
手にした暖かいミルクティーのペットボトルを時折煽りながら、漫然と見下ろしているのは橋の西側の袂、河口から海岸にかけてを覆う広い海浜公園である。ウェイバーの視力では捉えられないが、ライダーの談によれば、そこには目下の標的――かれこれ六時間以上追い掛け回しているサーヴァントの気配があるという。
敵との接触を求めて市外を徘徊していたライダーたちが、そのサーヴァントの気配に気づいたのは午後も遅くなってからのことだった。
ところがさっそく襲い掛かるのかと思いきや、ライダーは遠方から相手を観察するばかりで、一向に仕掛けようとしない。疑問に思ったウェイバーが問うたところ、ライダーは口の端をゆがませてこう言った。
「アレは明らかに誘ってやがる。ああもあからさまに気配を振りまいていれば、気づかないほうがおかしいってもんだ。もう私たちだけじゃなくて、他の奴らもアレに気づいて監視してるんじゃないか?
放っておけば根気のない、短気なマスターが苛立ちを押さえることなく仕掛けるだろ。それを期待して見守っとこうぜ」
彼女の策は、ウェイバーの目から見ても非の打ち所がなかった。むしろ意外でさえあった。腕っ節に任せて突っ込んでいくようなタイプのライダーが、このような策略を張り巡らしていたことが。
たしかにライダーの言う通り、誘いに乗ってむざむざ挑みかかるのは愚の骨頂である。そんな馬鹿者は互いに喰らい合い、潰し合うのが関の山だ。挑発しているサーヴァントがどれほどの自信家なのかは知らないが、ライダー以外のサーヴァントが挑発に乗ってくれるのは好都合だった。どちから一方が敗退したところで、勝ち残った方を叩き潰す、まさに漁夫の利というやつだ
そうと決まればあとは我慢大会である。市内をあてどなく徘徊するサーヴァントの気配を、ライダーとウェイバーは追跡し続け、いまもこうして見張っている。
とはいえ、開けた高高度の場所に陣取って観察するのは理解できるものの、それでも限度というものがある。サーヴァントとは違い、生身の人間であるウェイバーは落ちれば必ず死ぬ。その程度の現実も把握しているだろうに、なぜこの少女はマスターの生死に無頓着なのか?
「も、もう……降りる、嫌だ、怖いここ降りる! 怖いの嫌ぁ!!」
「ちょっと待てよ、落ち着かないやつだなあ。肝を据わらせることも強さの内だぞ、慣れろ」
理不尽だった。
魔法の箒で空を縦横無尽に駆け回るライダーからすればこんな高度などたいしたこともないので、そもそも『高い場所が怖い』という発想がないのだ。それでも、ウェイバーの右手をしっかりと握ってくれているあたり、彼のことを全く考えていないというわけでもなさそうだった。
「……少しは落ち着いたか?」
「あ……えと、うん」
右手の温もりに気恥ずかしさを感じつつも、温かい感触は、それが異世界の住人であることを忘れさせてくれる。
ウェイバーは固く右手を握り返しつつ身を震わせていると、ライダーが遠方に目をやりながら言った。
「おお、動き始めたぞ!」
左手で眼下の海浜公園を指しながら、ウェイバーと握り合う手を強く振る。
「だわわっ!!? お、おち、落ちる落ちる!!」
「おっと……すまんすまん」
バランスを崩しかけたところでライダーに支えられ、ウェイバーは事無きを得た。今のアクシデントで少し失禁してしまったのは言うまでもない。
「いまさっき気づいたんだけどさ――そこの公園な、なんかもう一人別のサーヴァントがいたみたいなんだよ。そいつも気配を隠してない。しかも私たちが追いかけてた奴に近づいていってる」
「じゃあ――」
「二人とも、あっちの港の方に行くみたいだぜ。売られた喧嘩は買うってことだな。なかなかデカイ魔力の波長も感じられたし、三騎士クラス同士の戦いが見れるかもしれないぜ」
嬉しそうに笑いながらも、その双眸には、いつの間にか野生じみた眼光が鋭く輝いている。まだ傍観の構えではあるものの、魔法使い・霧雨魔理沙は戦争の渦中へと身を投じ始めたのだ。
そんなライダーの勇ましさより、ウェイバーの胸を占める想念は、鉄骨の上で身動きできない自分の情けなさのほうが勝っていた。――加えて言うと、地面に下ろしてもらえるというのなら、もう何がどう転んでも構わないという気持ちだった。
海浜公園の西側に隣接する形で広がるのは、プレハブ倉庫が延々と並べられた倉庫街だった。港湾施設も備えるその場所は、工業地帯と新都を隔てる壁の役割も果たしている。夜ともなれば人通りは消え、まばらに存在する街灯が意味もなくアスファルトの路面を照らし、空虚な景観を際立たせている。無人のデリッククレーンが真っ暗な海に向かって並んでいる様子もまた、まるで巨大な恐竜の群れが立ったまま化石と化しているかのようで不気味だ。
人目を忍んで行われるサーヴァント同士の戦闘には、なるほど、うってつけの場所だ。
大型車両の交錯を考慮して作られた幅広の四車線と道路を、セイバーとアイリスフィールは、さながら決戦の地へ赴く決闘者の如く、堂々と歩んだ。敵はいまだ姿を現さないものの、そこらから
「……近くにいますね」
周囲を見張りながら、セイバーは重く呟いた。
午後遅くに市内の散策を始め、本日の
――!!
魔力が爆発的に溢れる気配を感じ、セイバーはアイリスフィールを庇うように、一歩前へ出た。
およそ一〇メートルほど間を置いた先に、紅い影が霧のように
少女から発せられる魔力のなんと強いこと、魔力の強さには自身のあるアイリスフィールでさえ夢だと信じたくなるほどの強い力。彼女がひと駆動するだけで、周囲のプレハブ倉庫が金切り声を上げるかの如く震えている。
「よく来たわね」
見た目に合った、少女特有の高い声。
本日出会った、二人目のサーヴァント。これから死合う敵の姿を、セイバーはつぶさに観察する。
まるで太陽を嫌うかのように携えられた日傘、ドアキャップのような形状をした独特な帽子と、緩やかなウェーブのかかった青い髪、そして彼女の清楚さを際立たせるほどに美しい、薄いピンク色のフリルがついたドレス。まず真っ先に目を引くのは、その背中より生じた黒い翼。少女の包み込むように左右から覆う黒い翼は筋張っていて、さながら|悪魔の翼
「今日一日、街を練り歩いて過ごしたけど、誰も遊びに来てくれなかったの。やっと来てくれたと思ったらこんな時間だし……まあ、私としては
それでも、ただ傍観するだけでは済まされない。彼女は代理とはいえ、セイバーのマスターを務める身なのだ。
「私でも治癒魔術くらいのサポートなら出来るけれど……」
皆まで言わせず、セイバーは力強く頷く。
「ランサーは任せてください。ただ、相手のマスターの姿が見えないのが気がかりです」
いまだ姿を現さないランサーのマスターは、それだけで独立した脅威の対象だった。普通ならマスターはサーヴァントの傍に同伴し、戦況に応じて指示をする一方で、魔術によるサポートを行うのが定石だ。配下のサーヴァントを全面的に信頼していない限り、ランサーのマスターは近辺に身を潜め、ランサーの戦いぶりを見守っているはずだ。
「何か策を練っているのかもしれません。充分に注意をしてください。切嗣たちがもうすぐ来るとはいっても、危険なことに変わりはない。アイリスフィール――背中は任せましたよ」
|紺碧(こんぺき)の瞳が力強く語っている。怯えるまでもない、と。
我を信じよ、と。
護るべき主として認められた、アイリスフィール自身を信じよ、と。
愛し、愛される夫を信じよ、と。
「わかったわ……セイバー、この私に勝利を」
「はい、お任せを!」
決然と頷いて、セイバーは一歩を踏み出す。
殺気を滾らせて身構えるランサーの、その長槍の間合いへと――
アイリスフィールからの発信機の信号に導かれ、夜の倉庫街へ駆けつけた衛宮切嗣と久宇舞弥は、人気の消えた静寂に出迎えられた。
聞こえるのは海から吹き込む風の音ばかり。あとは死のような沈黙と停滞した空気だけが、何の変哲もない夜のしじまを装っている。
にも拘わらず――
「……始まってるな」
辺り一帯に張り詰めた魔力の気配だけで、切嗣は状況を正しく理解した。
誰かが結界を張っている。おそらくは敵サーヴァントのマスターだろう。聖杯戦争を周囲の人目から隠蔽するための偽装だろう。おのれを行いを衆目から隠匿するのは、魔術師としての鉄則だ。
それはそれとして、問題がひとつ残っている。発信機によってアイリスフィールたちの居場所はほぼ正確に解っている。ただ、それをどこから見張るか、だ。
戦闘に参加する気は毛ほどもない。そのために一〇キロ以上もの狙撃銃を用意したのだ。身を潜めて戦況を理解し、隙を見て敵サーヴァントのマスターを狙撃するのが、切嗣の目的だった。もとより思念体であるサーヴァントに通常の兵器で傷を付けることは出来ない。それの相手をするのは、同じサーヴァントであるセイバーの役目だ。それも、敵のサーヴァントが自分のマスターの保護を考えられなくなる程度まで、戦況を加熱させてくれれば言うことはない。
「あの上からなら、戦場がくまなく隅々まで見渡せますが」
舞弥がそう言って指したのは、岸側の闇夜を背沿ってそびえ立つデリッククレーンだった。操縦席の高さは目測でも三〇メートル余り。誰にも気づかれることなく登れば、最良のポジションから眼下を観察できる。
舞弥の意見に異論はないが、だからこそ切嗣は首を横に振った。
「確かに、監視にはあそこが絶好の場所だ。誰が見たってそう思うだろう」
「……」
皆まで言わせることなく、舞弥は切嗣の意図を理解した。
「舞弥は東側から回り込め。僕は西側から行く。――セイバーたちの戦闘と、あのデリッククレーンの両方が見張れるポイントに着くんだ」
「解りました」
AUG突撃銃を腰の高さに構えたまま、舞弥は小走りに音もなく倉庫街の中に消えていく。切嗣も同様にアイリスフィールの発信機の反応を覗いながら、油断の無い足取りで反対側へと移動を始めた。
「……さあ、お手並み拝見だ。戦う庭師さん」
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