Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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まだ見ぬ敵を求めて

 言峰教会。

 日曜日ということもあり、昼ではあるが参拝者もそれなりにいて、礼拝堂は普段よりも賑わいの色を示している。そんな日常の中である休日の顔を見せる教会の奥……言峰綺礼の私室では、非日常が繰り広げられていた。


「……」

「……」


 テーブル越しに見つめあう二つの影。しかし、その視線は交錯してはいない。


 ソファに深々と腰掛け、テーブルの上に用意されたエクレアと、湯気の立ち上る紅茶の向こうに佇む黒いワンピース姿の少女を見ている僧衣の男性。

 ソファに浅く腰掛け、テーブルの上に用意されたエクレアと、湯気の立ち上る紅茶を食い入るように見つめるワンピース姿の少女。その口の端にはよだれが垂れかけているのだが、気づいていないらしい。


「……」


 見るがいい、この表情を。

 目の前に置かれた餌を求める猛獣の目だ。手の届く範囲、しかも目と鼻の先にあるというのにそれが手に入らない絶望を(たた)えた目。

 何故かは知らぬが、自らのサーヴァントをイジメていると、己の中が何かで満たされていくような感覚を覚えていた。しかしそれを受け入れることを拒んだ綺礼はかぶりを振って、もう一度、アサシンの表情を凝視した。


「ではアサシン。ご苦労だった、報告を聞こう」


 沈黙を破ったのは綺礼からだった。アサシンはよだれでベタベタになった顔を上げ、彼に差し出されたティッシュで口周りをきれいに拭いてから話し始めた。


「えっとね……結論から言うと、あのお姉さんはマスターじゃなかったよ」


 ――ビンゴだった。思惑通りの展開に、綺礼は内心でほくそ笑む。しかし彼は、自分が心の中で笑っていることに気づかない。


「身体から令呪特有の大きな魔力は感じられなかったし、一応確かめてみたけど体のどこにも令呪はなかったから、セイバーのマスターは他にいるみたいだね。
 あのお姉さんは私たちを騙すために仕立て上げられた『代理マスター』ってところかな」

「やはりか……」


 ここまで思惑通りであると、逆に怖くなってくるというものだった。『魔術師殺し』は、魔術師を殺すために魔術師らしからぬ策を(ろう)するという話であったから予想はついていたのだが、まさか考えていた通りの方法で聖杯戦争を進めるつもりだったとは……が、セイバーの姿を綺礼に見つかったことが(あだ)となった。そしてアサシンが随伴していたことも相まって、代理マスターの化けの皮を剥がすことに成功した。


 これを時臣師に話せばどうなるだろうか……アサシンが生きているということについてアーチャーを問い詰めるかもしれないな。だがあの妖怪が魔術師気質の遠坂時臣に屈するとは思えない。

 あの女のステータスは常軌を逸しすぎている。アーチャークラスという枠組みを超え、もはやセイバークラスと遜色(そんしょく))ない値を示しだしているのだ。令呪による屈服の命令とて跳ね除けることだろう。


 まず、時臣はそんな命令のために貴重な一画を使用するような愚者ではないのだが。


 ともかくアサシン陣営は、情報面という形でも他のマスターたちより優位に立ったことになる。未だ他のどの陣営も知りえていない情報を、綺礼とアサシンは既に持っているのだ。アーチャー陣営、セイバー陣営、ランサー陣営、バーサーカー陣営……キャスターを除く四つの陣営の情報はある程度集まった。この情報を使って取引に出ることも可能だろう。


「ねえ、もう食べていい? 早く食べたいんだけど……!!?」

 そう言ったアサシンの口周りは、早くもベタベタになっていた。彼女は綺礼に差し出されたティッシュを箱ごと奪って拭きながらも目を爛々(らんらん)と輝かせている。

「そうだな。待たせて悪かった、さあ、食べるといい」

「やったぁ! いただきまーす!!」


 綺礼の言葉に、飛び跳ねるような喜びを見せたアサシンは大きな声で言って、それから両目に涙を溜めてエクレアを頬張った。

 嬉しそうに食べているアサシンを見ていると、今度は苛立ちにも似た感情が綺礼の中に湧き出てきた。先ほどまでに感じていたものの真逆……なんなのだろうか、この気持ちは。前々から気になってはいたのだが、考える暇がなく、頭の隅に追いやっていた感情と初めて向き合った綺礼は、しかしどれだけ思考に|耽(ふけ)ろうとも理解に及ばない。

 アサシンを|弄
(もてあそ)
ぶ度に胸の奥を刺すような謎の感覚を、綺礼はとりあえず拒むこともせず、とりあえず受け入れることにした。その正体を理解するまで付き合っていこうではないか。


「ふぇえ、きれー」

「口にモノを含んだまま喋るな」

「もぐもぐもぐ……ずずず……ふぅ。あのね、綺礼」

「なんだ?」


 半分まで食べたエクレアを咀嚼(そしゃく)し、暖かい紅茶をひと口含んでから、アサシンは話し始めた。


「あのお姉さんに『正体不明の種』を仕込まなくてよかったの?」


 この少女の言う『正体不明の種』とは、彼女の固有スキルである正体不明に起因するものだ。なんでも、その種を仕込まれた対象は、形状、音、匂いなど「その対象固有の情報」を奪われ、後には行動だけが残るらしい。


 正直、まったくわからん。


「別段仕込む必要も無いだろう。アレの正体を有耶無耶(うやむや)にしたところで、私たちにたいした利益があるようには思えんからな」

 正体を不明にすることに何の意味があるのか。

「まあね。確かに意味はないかも。それでも戦闘の舞台を引っ掻き回すくらいにはなったんじゃないかなぁ」


 ふーふーしながら紅茶を飲むアサシンは言うが、しかし綺礼にとっては何の意味もないことなのだ。アインツベルンの女がマスターでないことが解っただけで良かった。それを餌に衛宮切嗣を誘(おび)き寄せるという考えもあったが、やはり、綺礼としてはこんな早期に|最大の敵となり得る男(メインディッシュ)を潰すことに意味などないと考えていた。

 あの男と戦うべきは、やはり聖杯戦争も佳境に入る頃だろう。命を賭けて殺し合い、その末に奴の手に入れたモノを理解する。それが、彼が聖杯戦争にまだ参加するだけの価値を見出せた理由だった。


「多少はそうなったかもしれんが、やはりそんなことに意味はないだろう。我が師から聞いた話だが、銀髪に紅い目の女は、アインツベルンが鋳造(ちゅうぞう)したホムンクルスだ。
 ホムンクルスには人並み以上の抗魔力があり、お前程度の妖怪の呪いなど、ものの数分で解除させられてしまうのではないか? 幻惑系だと尚更だろう」

「ああー、それもそうだね……おかわりちょーだい」

 差し出されたカップに、紅茶を流し込んでいく。ポットのお湯とはいえ、やはり父上の紅茶を淹れる腕はたいしたものだ。あの堅物の時臣師が絶賛するほどなのだから。


「美味しそうな紅茶ね。私にも一杯、いただけないかしら?」


 注ぎ終えた紅茶のカップをアサシンに差し出したのを見咎めたアーチャーが言った。綺礼はカップを探して見回すが、しかしひとつも見当たらなかった。……仕方ない。

「すまないアーチャー。奥の部屋からティーカップを取ってこよう」

「あら、お手数おかけしたようで悪いわね。お願いするわ」


 簡単な受け答えを終え、綺礼は自室を後にした。



「……待て。なぜお前がここにいる?」

「あら。いては駄目だったのかしら?」


 帰ってくるなり綺礼はそう言った。そういえばこの女、いつからここにいたのだ? 気配を全く感じなかったどころの話ではない。物音ひとつ立てず、さらに代行者として極限にまで鍛え上げられた綺礼の第六感でさえも感知できなかったのだ。もはやアサシンクラスでもやっていけるのではないか、この女?

 とりあえずソファに戻り、彼から見て左手に座るアーチャーに紅茶を出してやる。ついでに持ってきた装飾皿には、先ほどアサシンが頬張っていたエクレアの姿があった。


「あら……私が食べてもいいの?」

「ああ」

「でも、それは神父さんのために買ったのではないの? 最後のひとつでしょう?」


 この女、どうやら机の上に置いていた箱の中を覗いたらしい。まるで自分の家のように思っているのではないか?


「父上は洋菓子を好まなくてな」


 そのため、父には甘納豆を買ってきている。和菓子は密かな好物なのである。


「その割には、紅茶はとても美味しいけれど?」

「それはそうだろうな……父上は、茶を淹れることに関しては天賦の才能を持っているのだ。茶というものであるならば、紅茶も緑茶も同じように最高の味で淹れてくれる」

「すごいわね……私の知り合いにも家事スキルがハンパじゃない子がいるんだけど、彼にも見せてあげたいわ……美味しい」

「いいなー、水蜜(みなみつ)もそれぐらい出来ればいいのに。船を動かすしか脳のないやつめ」


 それは幻想の都での話だろうか。だが、綺礼には関係のない話だ。


「それならどうして三個買っていたのか知りえないけど、では、いただきます」


 エクレアを絶賛しながら食すアーチャーを見ながら、違和感に気づいた。

 服装が違っているのだ。いつもの紫霞の中華装束ではなく、普通の人間と変わらぬ服装だ。ぴっちりとした紫色のロングTシャツらしきものを着込み、その上から薄紫色のカーディガンを羽織っていて、純白のレースを重ねたようなスカートを穿いている。

 召喚されて以来、単独行動スキルに物を言わせて好き勝手に遊びまわっているという。最近では霊体では飽き足らず、こうして人間の服を着込んで街を徘徊しているの、と、時臣師が愚痴交じりに語っていたのを思い出したが、まさかその足でここまで来ようとは思っても見なかった。


 まあ、本来は買う必要の無かった三個目のエクレアの処理と思えばなんともないのではあるが。


 気づけばアーチャーは既に食べ終わっており、優雅に紅茶を楽しんでいた。優しげな表情でアサシンと会話する様は、つい先日殺しあっていたようには思えない。割り切っているのか、もう気にしないことにしたのか、綺礼の知るところではない。


「それにしてもやってくれたわね、綺礼。まさか昨日の今日で行動するなんて思っていなかったわよ」


 カップをテーブルに置いて、アーチャーが言った。


「あれ、見てたんだ? 気づかなかったよ」


 黙して答えぬ綺礼の代わりに返答したのがアサシン。ティーカップを両手で持って、ふーふーしている。


「もちろんよ。妖夢……えっと、セイバーか。セイバーと追いかけっこしていたでしょう?」

「綺礼にエクレアを人質にとられちゃったからね……それに、情報集めはアサシンの専売特許だから頑張るしかないんだよ!」


 暗くなったかと思えば、すぐに笑顔というか照れ笑いというか……ころころと表情が変わるやつだ。そんなふうに何を考えることもなくアサシンを眺めていると、その隣でエクレアを食べ終えたアーチャーが言った。


「アインツベルンのマスター……あの銀髪灼眼の女性を数分でも誘拐する意味はあったのかしら?」


 その言葉は、あからさまな探りだった。こちらから情報を抜き出し、それを|己(おの)がマスターに伝えるつもりなのではなかろうか? だとすれば教えられるわけがない。まず、そのこと事態を理解し得ていないような女ではあるまい。ならば、この問いは彼女自身の、純粋な疑問なのだろう。アサシンを救い、綺礼に闘う戦場を|遣(よこ)した女のやることだ。どうせマスターに伝えるなどということはしないだろう。

 |出遭(であ)って間もないこの女を信じているわけではない。自分自身を理解できないがゆえに、常に他人を理解することに努めた綺礼だからこそ、人を見る目というものには絶大な自信を持っている。


 ただ、この女は|冬木市
(はこにわ)
で行われる、聖杯戦争という遊戯(かけひき)を楽しみたいだけなのだろう。


「我が師の話によると、あの銀髪に紅い目の女はアインツベルンのホムンクルスのようだな」


 見習いとして修行を重ねていたときに聞いた話だった。衛宮切嗣の存在を知るより前から教育を受けていた始まりの御三家――その一角を担うアインツベルン。

 二百年前のアインツベルン当主であったホムンクルス――ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。彼女は冬木の大聖杯の炉心となるべく鋳造(ちゅうぞう)され、その身の魔術回路を拡張・増幅することで聖杯戦争の核と成り果てた。|御身(おんみ)今も円蔵山がその内部に擁する大空洞「龍洞」に敷設された魔法陣である大聖杯に収まっているという。

 アインツベルン八代目当主であるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは『聖杯の器』に自己管理機能を持たせるため、ユスティーツァを基盤として幾百幾千ものホムンクルスを造り上げた。そうして今回の聖杯戦争のために完成させられた『聖杯の器』が、セイバーと共にいたホムンクルスなのだ。大切な聖杯の担い手を、サーヴァントの護衛付きとはいえ戦地に置くとは……なんたる慢心なのだろう。『聖杯の器』だから殺されることはないと、そう高をくくっているのだ。


「とても美しい女性だったわね。私も見蕩れてしまったわ」


 そういうアーチャーの表情に貼り付けられた笑みは、意外なことに本心で語っているように思われた。何かと周囲を|煙(けむ)に巻くような性格に思えたのだが、美しいものに惹かれる感性は有しているらしい。まあ、綺礼はそんなこと聞いてはいないのだが。


「誘拐をアサシンに命じた意味はそこにある。あの女がホムンクルスであることの確認と、聖杯の器を内包しているかの確認。まあ、最優先事項は令呪の有無の確認なのだがな」

「そんな大きな行動をしても大丈夫なの? 少なくともアインツベルンにはアサシンの生存が知られてしまうでしょう?」


 確かにそうだ。公的にはアサシンは、昨日のアーチャーとの戦いによって消滅したということになっている。だから綺礼は教会に保護を申請し、その身を隠しているのだ。彼が行動し、アサシンの生存が露見すれば、綺礼と時臣の立場は危うくなる。教会に保護されている綺礼には、時臣以上の罰が下るだろう。


「それが何だというのだ?」

「え?」


 困惑の色を見せるアーチャーに対し、綺礼は表情を硬く引き締めたまま言った。


「戦争を引っ掻き回せといったのはお前だろう、アーチャー? 死んだはずのアサシンは生存し、しかし教会はそれを認めていない……なんとも|面白い話(・・・・・)じゃないか」


 内心、自分でも驚いていた。美しいものを美しいと言えず、社会に反するものを好む綺礼が、物事に対して『面白い』などという感情を抱くようになるとは……まるで、こうなるように仕向けられていたかのようだ。アサシンによってか、はたまたこの胡散臭い女によってか――


 だが、それは綺礼にとって大きな革新であった。意味の解らない戦争に巻き込まれ、八雲紫という女によって何かしらの変化を|齎(もたら)されたのだ。これを革新と言わずして何と言う? 綺礼の心中はいま、まだ見ぬ最大の敵への執念で燃え上がっている。


「ふうん……さて、もう夕日が暮れたころよね」


 適当に返答したアーチャーは背伸びしながら立ち上がり、壁掛け時計で時間を確認しながら呟いた。


「これから海にアサシンを遣わしなさい」

「……どういうことだ?」

「本当の意味での一戦目が始まるのよ。大丈夫――時臣程度の使い魔なら、十中八九、この子の気配は察知できないから」


 妖艶に笑う女は言いながらアサシンの頭を優しく撫で、彼らに背を向け、壁の方へ歩いていきながら続ける。


「私も引っ掻き回してくるから――楽しみにしててちょうだい」


 その一言は、ある意味では戦慄を呼ぶものだった。

 あの女が自ら動くというのだ。見ないわけにもいかないだろう。考えるまでもなく時臣は経過報告として教会に連絡をしてくるだろうし、その話を聞きながらアサシンの視覚を通じて観戦するのも悪くはない。


 ――時は来た。

 参加する魔術師は七人。

 彼らは願望機たる聖杯を求め、最後の一人になるまで殺しあう――本当の聖杯戦争の幕は、三日目にしてやっと開かれる。


 ――衛宮切嗣……貴様はもう、この地に辿り着いているか?

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