Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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悪魔の囁き
雨生龍之介は一人で、新都のネットカフェにいた。
キャスターは傍にはいない。何でも、昨日の少年に会いに行く、とのことだ。なんとも律儀な話である。昨夜に得たインスピレーションを現実に移すための生贄になってもらえばよかったのに。なんというか、尼君と名乗った女性の行動は少し、龍之介の思惑と違っているらしい。
家族も記憶もなくした時点であの男の子は『死んでいる』わけだし、それなら龍之介の
彼女の選んだ拠点で何もせず一日を過ごすのは億劫なので、昨晩は得ることの出来なかった快感を求めて新都へやってきたのだが……やはり昼間ということもあり、そう民家に忍び込めるわけもない。どこかに自殺志願者でもいないかなー、という安直な思考のまま歩き回っていると、そこで見つけたのがこのネットカフェだった。
「おっ、この子とか良さそうじゃん!」
検索ワードを絞ってついに見つけたこのサイト。数ある投稿欄の中からひとつを選別し、内容を重々理解した上で、嬉々とした表情でその部屋を後にした。
未遠川上流にある巨大な下水管。
魔法によって人目には普通の下水口に見える大きな空洞のその奥に、一人の少女と一人の青年がいた。
少女は白いオイルパステルで描かれた『魔法陣』の上に裸で寝転がされている。|瞼(まぶた)は赤く晴れていて、すべての感情を取り除かれたかのようにその目は虚ろだ。どこを見るでもなく、眼球が揺れている。
「いいかい、お嬢さん?」
「ぁ……ぅ……」
青年は優しく少女の背を持ち上げて、顔を覗くようにして優しく問いかける。対して少女は覚束ない表情で彼を見返した。
「これからね、君は神様のいる楽しい世界に旅立つんだ。苦しかった勉強に負われることもない。たいした友情もない虚しさに苦悩することもない。辛かった親の暴行に耐える必要もない」
語る青年の眼差しは慈愛に満ちている。さながら聖人とも形容できるその表情はまるで、昨晩見た女性を模倣としたように、穏やかで優しげな――
「もう……苦しまなくて……いいの? 一人で泣かなくていいの……?」
震える声で少女は言いながら、目に涙を溜めて青年を見る。
「ああ。君の苦しみは僕が理解してあげる。君の悲しみは神様が理解してくれる。もう君は泣かなくていい。
天国で笑っているといい……君は世界から祝福されているんだから」
「あたしが……?」
「そうだよ。苦しみを知らない人間が逝く世界とは違う、神様に認められた人だけが逝ける世界が君を待っているんだ。神様だってこういってるはずだよ……『はやくおいで』ってね」
ああ……なんて優しい人なのだろう。会った間もない自分の話を聞いてくれて、会って間もない自分を救おうと二人きりでこうやって天に送ってくれるという。苦しみしか孕まない世界から解放されて、今からあたしは楽しいことしかない世界へ旅立つ。そこにはただの一部の恐怖はなく、ただの|一縷
「……そっか。あたし、もう我慢しなくていいんだね……よかった……」
慎ましやかな胸に感じる金属の冷たさも、いまならば何よりも暖かく感じる。背に受ける青年の両腕の感触は、いままで触れたどれよりも
「あり……がと……龍之介さん。私に……教えてくれて。私を、救ってくれて……ありがとう」
最期の望みとして得た快楽は、欠片ほども忘れることなく向こうの世界へ持っていこう。そして誇ってやろう。両の|太腿
少女は涙を流し、感謝の言葉を述べる。縛り付けられるだけだった世界から解放されることを喜び、静かに、冷たい刃を受け入れた。
遺体は血を抜いてから未遠川に捨てた。
彼女は自殺志望者が募ることで有名な裏サイトで見つけた、私立穂群原学園の高校生だった。幼少より両親に虐待され、そのため、安らぎの場であるはずの学校でも生徒たちから叱責および折檻を与えられてきた。ガソリンを飲まされ、泥を食らわされ、ポリバケツで寝させられた十七年間。苦しかったし、悔しかったし、悲しかっただろう。
心の支えもなく、しかし一人で死ぬのは嫌だった。死んで楽になりたかったのはそうだが、やはり一人で死ぬのには抵抗があった。精神を苛む悪魔の囁きが、彼女を死なせまいと体を押さえつけていたのだ。
そうして選んだのが、ネットで見つけた自殺志願のサイトだった。名前と住所とパソコンのメールアドレスを入力し、ずっとネットカフェで滞在した。フリータイムがそろそろ終わろうとするとき、ある男性から一通のメールが届いた。
龍之介はナイフを洗いつつ、先の少女の最期を思い返す。
いつもならば悲鳴を聞き、悦にいった状態で最期を見届けるのだが、今回の救済による殺人は、一切の悲鳴を漏らすことなく少女は息を引き取った。表情は笑顔のまま、嬉し涙を流して死んでいった。
雨生龍之介という悪魔の囁きを、最期まで悪魔によるものと知ることなく、感謝しながら死んでいった彼女。すべてを彼に
「……楽しくない」
水の音だけが
「はぁ……せっかく新しいインスピレーションだと思ったのになあ」
尼君とやらから得たインスピレーションは美しく麗しい刺激を孕んでいた。そう、彼女が少年を|殺した
これまで色々な殺人をしたが、そのどれもが楽しくて楽しくて仕方がなかった。つい先日まで行っていた黒ミサ風の殺人だって身震いするほどの昂揚感に満たされた、充実したものだった。
だが、どうだろうか。今回の救済のための殺人は、何も得るものがなかった。少女を救ったという行為は、得体の知れぬ幸福感がなかったわけではない。救えてよかったと、そう思わないわけではない。
楽しくなければ殺人じゃない。
それが龍之介の持論だ。誰をどんな殺し方をしたって楽しめる――それが龍之介の求める絶対の法則なのである。
「今回は慣れてないだけ……だよな。うん、きっとそうだ」
落ち込み気味な自分を鼓舞するように言って龍之介は起き上がり、頭上に両こぶしを突き出す。
「こんな簡単に心折られてたら今まで
殺人をした後に落ち込むなんて自分らしくもない。止めだ辞めやめ! 初めて感じた気分に落ち込むより、また楽しめる殺しをしよう。もっともっと気持ちいい殺しをしよう!!
「こうなりゃ今すぐ新都に――」
「新都に何をしに行くんですか?」
「そりゃあ決まってんじゃん。また自殺志願の子を探しに――って、あれ?」
ん? いま、なんだか変な感じが……
「ただいま戻りました」
冷や汗が止まらない。恐る恐る振り返るとそこには、黒いゴスロリ風の衣服を纏った豊満な肉付きの女性が、両手にビニール袋を提げて立っていた。表情は笑っているように見えて、しかし目は笑っていない。ジトッと彼を見つめる眼差しは、怒りとも悲哀ともとれぬ感情を湛えていた。
「あ、姐さん……」
「もう……またあなたは人を殺したのですね?」
姐さんと呼ばれた女性はビニール袋を足元に置いて、腰を手に当てて彼を見る。そのしぐさはまるで小さい子を
「な、なんでそれが……?」
「戻ってくるときに結界にほつれが見つかりました。ここに張っている結界は私とあなた以外を拒絶する仕組みになっているのです。それがほつれているということは、得体の知れない不審人物を連れ込んだということです
さらにこの床ですが……魔法でルミノール反応を起こすくらい造作もありません。なんなら、ここで殺された
すべてお見通しだった。ここに人を連れ込んだことも、そして殺したことも。その人物が少女だということでさえ看破されていた。尼君……恐ろしい子!
龍之介が戦慄していると、キャスターは彼を抱きしめ、優しく言葉を紡ぐ。
「あなたは殺人者であり、それを更生させると誓いました。それが一日で叶うことなどという妄想を抱くような私ではありません。ゆっくりと共に進みましょう? あなたが人の命を奪わなくても満たされるように……ね?」
顔に押し付けられた胸の感触はなんとも柔らかく気持ちよかったのだが、そんなことに慣れていない純情優男の龍之介は恥ずかしさに駆られ、ぎこちない足取りでキャスターから数歩ほど距離を取った。
「あ……えっと、それで姐さんはどこに?」
話題転換――
「今はそんなことはどうでもいいんです。そんなことより、|夕食(ゆうげ)の前にやることがあるので、龍之介も手伝ってください」
――は出来なかった。
がっくりと項垂れる龍之介を他所に、キャスターは続ける。
「あなたが殺した女の子を供養します。こんな場所では彼女も報われないように思いますが……」
やはり、尼君というだけのことはある。彼女の話では元々は命連寺という寺院で僧をやっているようだし、だからこそあの子の葬儀をしっかりと行おうというのだろう。
「忙しくなりますよ。私たち二人だけですが、しっかりと成仏してもらわなくてはなりませんからね」
「……はい」
いっそ、殺した目的を話してもよかったかもしれない。あの子の境遇も一緒に話せば、少しは解ってくれるように思うが……まあ、言ったところでどうにもならなそうだからやめておく。
龍之介のお話でした。
彼が殺した少女へ、天に召されるようお祈りいたします
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