Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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海に臨む
地を蹴り、壁を乗り越えて冬木の街中を駆け巡る。目標はおよそ二〇〇メートル先の暗殺者。建物の影に隠れているのか、その姿は見えないが、気配はしっかりとその存在を捉えている。
秒速五十メートルで街中を走り抜けるセイバーは、文字通り風となっている。それもこれもスキル『疾駆』による恩恵なのだが、いまはそんなことを考えている余裕はない。一刻も早くアイリスフィールの奪還を――
しかし、この超速度でもアサシンへ追いつけないことには理由がある。
そのひとつが、アサシンのクラス特性として、元々の走力が高いことにある。妖怪の個体能力に
もうひとつの理由は、駆け抜けている地の利の差にある。先ほど冬木へ到着したばかりのセイバーに対し、アサシンは一週間程度、先に現界しているのだ。勝手知ったる街で逃げ回ることなど、暗殺者のサーヴァントにとっては造作もないことである。
――みつけた!!
およそ六〇メートルほどの地点で、ついにセイバーは黒いワンピースの少女を確認できた。その手に抱えられているアイリスフィールは無事で、だからこそ安心はしていられない。
姿さえ見えればこちらのものだった。
疾駆スキルを最大限に活用し、セイバーは瞬く間に距離をつめていく。刻一刻と奪還の時が迫ってくるのを感じ取ったセイバーだったが、そこで、アサシンは大きな公園の中に飛び降りた。木々の中に降り立ち、その姿が視界から失せる。
――まだ逃げるか……!
セイバーは歯噛みするが、しかし感じ取った気配はもう移動していない。彼女はアサシンの後に続き、公園の中に降り立った。
アサシンとアイリスフィールは、公園の中央で待ち構えていた。
こちらを振り向いて笑うアサシンの手の中では、アイリスフィールが気絶させられている。大事無いことは先ほどの追走時にも見たとおりだった。
「なかなか速いね、セイバー」
嘯くアサシンを、セイバーは背中に長い日本刀を召喚して|牽制
「ちょっ……待ちなってば!」
驚いたような表情でセイバーをなだめるアサシンは、すぐに彼女に背を向け、目の前に広がる海を見渡した。
未遠川から通じる海。冬の日差しに照らされた海は、潮の匂いが鼻につく。
「綺麗でしょ? ここ」
「……何が目的だ」
「何って……海を見せてあげたかった――じゃ駄目かな?」
「何を馬鹿な!! 彼女を誘拐したということは、私への宣戦布告と受け取ったぞ」
抜刀し、白銀煌く刃を|露
「ああもう、わかったわかった。ほら、お前の主人は返すから。そんな物騒なモノ向けないでよ」
慌てふためくアサシンは急いでアイリスフィールを近くにあったベンチに寝かせ、すぐに一〇メートルほど離れて両手を上にあげた。
それを確認したセイバーは、会話中の時間を準備時間とし、疾駆スキルを発動した。レンガブロックの地面を蹴ってアサシンの懐へ入り込み、腹を一刀両断する覚悟で斬り裂いた。
――っ!!
が、手応えはない。彼女が潜り込むより一瞬早く、アサシンが霊体となって回避したのだ。
気配が薄れゆく中で、影のサーヴァントは笑い声を交えながら、別れの言葉を紡いだ。
『私の目的は済んだことだし、もう帰らせてもらうよ。じゃあね、剣士さん』
言うが早いかすぐさま気配は消え、セイバーの中には苛立ちとも取れぬ感情が残されていた。……とはいっても、ここで悔やんでいても意味はない。とにもかくにも、アイリスフィールの奪還は叶ったわけだから何も言うまい。
とはいいつつも、彼女がセイバーのもとから離れていた時間は五分にも満たないものの、その間に何か呪術的な暗示をかけられている懸念も拭えない。魔術や魔法に特化したキャスターではないとはいえ、相手は『正体不明』の能力を持つ古の妖怪。その能力を応用すれば暗示など、造作もない話だ、と思う。
そこまで考えたが、しかしセイバーはその考えを斬って捨てた。なぜならアイリスフィールはホムンクルスとして、魔術の使用に特化した存在だからだ。彼女の持つ人並み外れた抗魔力は、あらゆる幻惑・呪詛に
「起きてくださいアイリスフィール」
苦笑してしまう。さっきまで大変だったのに、この白銀の美女といえば陽光を浴びて、気持ちよさそうに眠っていた。アサシンの移動速度は半端なものでなく、とても揺れたはずなのに眠り続けていたということに、また笑ってしまう。この女性……なかなか図太いようだ。
「……ぅ? んぅ……」
肩を揺らすと、それにあわせてアイリスフィールが声を漏らした。霞んだ目を
「アサシンはいないみたいね……御免なさい。私、油断していたみたい」
「い、いえそんなことは! 責任はアサシンを看破出来なかった私にあります……」
人混みにさらわれたのもセイバーだ。手を離してしまったのもセイバーだ。油断しきっていたのこそセイバーだった。すべての責任はセイバーにあるし、アイリスフィールもそれを否定しようとはしなかった。
それは当然なのだ。従者の失態を咎める言葉はなくとも、その表情を見れば解ることだった。
「まあ、今更悔やんでいても仕方ないわ。私は無事だもの。
それよりセイバー。見たところここは海のようだし、遊んでいきましょう」
明るく言うアイリスフィール。
彼女はベンチから立ち、セイバーを置いて遠くに見える砂浜へ向かって走り出した。走るとは言っても、お淑やかな小走りだが。
未遠川を跨ぐ冬木大橋の|袂
延々と寄せては返す波を素足に感じながら、アイリスフィールはその冷たさに身悶えている。後方で見守るセイバーも、初めて見る海に目を輝かせている。
しかし夏季ならいざ知らず、昼間であってもこんな冬季の海には人の影はほとんど見られなかった。見かけるとすればランニングに勤しむ初老の男性であったり、ペットとの散歩を楽しむ若い女性といった、休日を楽しむ人々ばかり。誰も海を楽しむために訪れているわけではないのは明らかだった。
「冷たくて気持ちいい……ねえ、セイバーも来ない? とっても気持ちがいいわよ」
冬の海の冷たさなど、アイリスフィールにとってはどうということはない。
彼女は白銀の長髪を翻らせてセイバーに向けて手を振る。こうして見るとまるで子持ちの人妻には思えない、まるで年端もいかない少女のように、その笑顔は純朴で無邪気だった。
「私は見ているだけで充分です。そうだ……先ほどファミリーマートで購入したカメラを……」
セイバーは片手に下げていたビニール袋からインスタントカメラを取り出し、その包装を破ると、ぎこちない手付きでフィルムを巻きながらアイリスフィールに向けて掲げる。
「それは……さっき飲み物と一緒に買った……なんだったかしら?」
「カメラです。思い出を切り取り、写真としてずっと保存できる機器なのです……ほら、アイリスフィール、笑って、ピースしてください」
そう促すと海に佇む銀髪の貴婦人は、満面の笑みでポーズをとった。セイバーはレンズ越しにその姿を確認すると、カメラの筐体の右上にあるボタンを押し込んだ。
カシャ、という音と共に筐体がフラッシュする。その光に驚いたアイリスフィールはバランスを崩し、後ろへ倒れてしまいそうになるところを、咄嗟に走ってきたセイバーに抱えられて難を逃れた。
互いの顔を見つめる。
「……うふふふ」
「……あははは」
唐突に笑いがこみ上げてきて、二人は冷たい海に足を突っ込んだまま笑いあった。
「次はどこに行こうかしら……」
二人寄り添ってベンチに腰掛けながら、セイバーとアイリスフィールはコンビニで貰った冬木市新都の観光マップなるものを見ていた。どうやらこの冬木市は、町
「ショッピングモールでお洋服やアクセサリーを見てまわる? それとも街を練り歩く? 色んなところの写真も撮りたいわ。……どれも楽しそう。ねえ、セイバーはどうしたい?」
想像を膨らませながらアイリスフィールは、隣でペットボトルのレモンティーを飲んでいたセイバーに話しかける。突然話しかけられたことに驚いた彼女は少し咳き込んだ後、キャップを閉めながら地図を見やる。
「そうですね……とりあえず街の散策はどうでしょう。その中で気に入るものや、気になるものがあればそちらへ行く……という具合でいいのでは?
それならば街を見ながらウィンドウショッピングも楽しめますし、写真だって残せるように思います」
「そうね、それがいいわ! さすがセイバー、ナイスアイデアよ」
思いつきで述べた提案だったが、アイリスフィールには絶賛するに値するものだったらしい。行動方針を固められたことに喜び勇む彼女をセイバーはなだめつつ、半分くらい残っていたレモンティーを一気に飲み干した。
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