Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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夜の教会で

 冬木市新都の郊外、小高い丘の上に立つ冬木教会に、その夜、予定通りの来訪者が現れた。


「――聖杯戦争の約定に従い、言峰綺礼は聖堂教会による身柄の保護を要求します」

「受諾する。監督役の責務に則って、言峰璃正があなたの身の安全を保障する。さあ、奥へ」


 万事申し合わせていた両者にとっては失笑ものの茶番であったが、門前ではまだ誰の目があるかも解らない。言峰璃正は厳しい面持ちで公正なる監督役を装ったまま、同様に敗退したマスターの役迴りに甘んじている息子を、教会の中へと招き入れた。

 外来居留者の多い冬木市においては、教会という施設の利用者も他の街に比べて数多く、この冬木教会は極東の地にありながら、信仰の本場である西欧なみに本格的で壮麗な構えになっている。が、一般信者たちの(いこ)いの場というのは表向きの擬装でしかなく、もとよりこの教会は聖杯戦争を監視する目的で聖堂教会が建てた拠点である。霊脈としての格も第三位であり、この地のセカンドオーナーである遠坂家の邸宅に匹敵するという。

 当然、ここに赴任してくる神父は、マスターとサーヴァントの死闘を監督する役を負った第八秘蹟会の構成員と決まっている。即ち、三年前からこの教会で一般信者を相手に日々の祭祀(さいし)を司ってきたのは、他ならぬ言峰璃正その人であった。


「万事、抜かりなく運んだようだな」

 奥の司祭室にまで綺礼を通したところで、璃正神父は演技を止めて訳知り顔で頷いた。

「父上、誰かこの教会を見張っている者は?」

「ない。ここは中立地帯として不可侵が保障されている。余計な干渉をしたマスターは教会からの諫言(かんげん)があるからな。そんな面倒を承知の上で敗残者に関心を払う者など、いる道理があるまい」

「では、安泰ということですね」


 綺礼は勧められた椅子に腰掛けると、深く溜息をついた。そして――


「――念のため、警戒を怠らないのに越したことはないでしょう。常にここにいた方がいいでしょうね」


 冷やかな空間に、艶やかな声が紡がれた。閑散とした空間に音が反響し、何重にもなって声が聞こえた。音が空中に霧散すると、目の前に、紫霞の輝きが放たれた。


「こんばんは、今日も遊びに来たわよ神父さん」


 現れ出たのは、紫霞の中華装束に身を包んだ金髪の女性――他ならぬ遠坂のサーヴァント・アーチャーだった。


「……またここへいらしたのですか」


 嘆息気味に璃正神父が尋ねる。その隣では綺礼が訝しげに彼女を眺めていた。……また、か。ならば度々ここへ訪れているのであろうか。


「だってあの家、暇なんですもの。時臣ったらつまらなさ過ぎて……」

「……で、お前は何故ここへ現れたのだ、アーチャー?」


 疲れ気味のアーチャーは綺礼の隣に余っていた椅子に腰掛け、それと同時に問いかけたのは綺礼だった。

「アサシンを(うしな)ったこと……ご冥福申し上げようと思ってね」

「お前が気にすることではない。これが師の助勢となるのならば、アサシンを手放すことなど苦でもない」

 申し訳なさそうに金髪を揺らして(こうべ)を垂れるアーチャーを、しかし綺礼は平然と返した。


 マスターである言峰綺礼がサーヴァントを喪ったのであれば、その手に刻まれた令呪もまた、未使用のままに消滅する。彼の筋張った手の甲には、もうすでにその刻印は残っていない。そう、本当にサーヴァントを喪い、聖杯戦争に敗退したことを意味している。


 だから教会に保護を申請しに来たのだ。


 彼のサーヴァントを(ほふ)ったのはアーチャーであり、それに対して謝罪をするなど意味が無い。戦うことこそがサーヴァントの役目であり、それを責めることは出来ないのだ。


「それでね、綺礼。今日ここへ来たのは、あなたに贈り物があったからなのよ」


「私に贈り物、だと?」


 サーヴァントが、敵サーヴァントのマスターへ贈り物だと? 何だというのか、まさか殺すためか……しかし教会を荒らせば遠坂陣営は強制的に敗退させられてしまう。それは有り得ない。……ならば何なのだ?


「きっと喜んでくれるわ」

「どういう――ッ!!」


 そういってアーチャーは、綺礼の右手をとった。滑らかな手触りでそれを撫でると、不意に、そこに鋭い痛みが奔った。


「ぐ……ぁ……っ!?」

「綺礼……!?」


 椅子からずり落ち、アーチャーが退いた床に膝をつく。右手を押さえて痛みに悶える綺礼を璃正神父は心配そうに駆け寄った。が、痛みは一瞬のうちに引いて、その後には黒々とした三つの刻印が浮上した。


「これは……」


 それを覗き込んだ璃正神父は絶句した。なぜなら、綺礼は先ほどサーヴァントを喪ったはずなのだから。以前と変わらぬ状態で蘇った令呪から、大きな魔力の波動を二つ感じた。体内に巡る魔術回路にも違和感がある。これはまるで――


「ねえ綺礼、私が殺されても何も思わなかったわけ? それって酷くない?」


 聞き覚えのある声がした。歪んだ視界で周囲を見渡すと、椅子に腰掛けたアーチャーのすぐ隣で、空中に浮かびながら彼女に頭を撫でられている黒いワンピースの少女がいた。先ほどまではいなかったのに――しかし、死んだはずの封獣ぬえ(アサシン)がそこにいた。

 驚愕を抑えられない。死んだはずだった。体内から魔力供給(パス)が途絶えたのを感じた。令呪が消え去ったのも確認した。なのになぜ――


「簡単なことよ。私の能力は『境界を操る程度の能力』なの。一時的にアサシンが死んだようにするなんて造作も無いわ」


 境界を操る。


 世界とアサシンの存在の境界を曖昧にし、一時的に消滅して契約が途切れた状況を作った、ということらしい。それは驚愕すべき事実だし、畏敬すべき事態だ。だが、綺礼は素直に喜ぶことは出来なかった。


「そんなことをして……時臣師が何と言うか」

「まあね。セイバーとキャスター以外の敵マスターたちの情報はある程度集まっているみたいだし。だからこんな早期にアサシンを手放す覚悟を決めたようだけれど……」

 アーチャーは不敵な笑みを零さぬまま言い放った。


「その幻想をぶち殺すわ。 私の気持ちも知らずに適当なことばかり言い立てる時臣への、ちょっとした嫌がらせ。
 綺礼、これからあなたは時臣に関係なく聖杯戦争を戦えるの。
 そして聖杯を掴み取るも良し、目当ての人物と相見(あいまみ)えるも良し。好きなように聖杯戦争を引っ掻き回すと良いわ。あんなのに使役されるだけなんてつまらないでしょう?」


 隣で父親たる厳格な璃正神父が頭を押さえているのが見えた。それはそうだ。遠坂のサーヴァントが、マスターである遠坂時臣を裏切ることに近い行為をしているのだから。


「私に師を裏切れと?」

「そうじゃないわよ。あなたはあなたのやりたいようにすればいいという話。時臣に伝えたいのならそうすればいいじゃない。
 とにかく決定されているのは、まだあなたの聖杯戦争は終わってはいないということよ」


 この女が、何故ここまでするのかが綺礼にはわからなかった。聖杯を求めるサーヴァントなのに、その敵であるアサシンと綺礼を救うなど、意味が解らない。何を考えているのか、理解に苦しむ。

 思惑があるのだろう。時臣にも綺礼にも解らない、何かの思惑が。

 だが……その思惑に振り回されてみるのも面白いかもしれない。


「……アサシン」

 しばらく沈黙を貫いた後、形容し難い表情で綺礼は口を開いた。


「なあに綺礼?」

「そういえば、まだお前にエクレアを食わせてやっていなかったな」


 先日、遠坂邸の警備を頼んだときに言っていたことを思い出した。エクレアを食わせてやるといったまま、まだその約束は果たされていなかった。


「そうだな……明日にでも買いに行くとしよう。お前も着いてくるんだ、いいな?」

「さっすがご主人様(マスター)!! いいねいいね、とびっきり美味しいのをお願いするよ」


 手放しで喜び、部屋の中を浮遊するアサシンを綺礼は無表情で眺めている。アーチャーが説得してくれたようだ。璃正神父も諦めたらしく、時臣に報告するのは控えてくれるらしい。


「それにしてもアレだね、綺礼。あの戦いは本当に茶番だったね」


 謙(へりくだ)った物言いとは裏腹に、内心ではこの女が大いに不満を懐いているのを、綺礼は耳ざとく聞き取った。もちろん無理からぬことである。


「その茶番でお前は他のマスターをまんまと|欺
(あざむ)
いたのだ。すでに誰もがアサシンは脱落したものと思っているだろう。これで隠身を主戦略とするお前が、どれだけ優位に立てたと思う?」

「それもそうだね、あはは」


 空中で翻り、アサシンはワンピースのスカート部分を押さえる。サーヴァントの下着を見て欲情するような綺礼ではないが、その仕草はやはり人間に近いのだな、と思い知らされた。特に意味はない。

 アサシンが排除されたものと油断しきっている敵対者たちの背後に、今度こそ影の妖怪は、誰一人として予期し得ない脅威となって忍び寄ることになる。いったい誰が知ろうか――敗退マスターとして教会に逃げ込んだはずの男が、今もまだ膝下にアサシンのサーヴァントを従えていようとは。

 それは聖杯戦争という奇跡の競い合いにおいても、明らかに怪異な事態だ。手を組んだはずの陣営同士が、裏では片方を騙しているのだから。これまでに色々な戦略が用いられたとはいえ、このような奇異な状況はこれが初めてだろう。


「どのような形であれ、ともかくこれで戦端は開かれたわけだ」

「面白くなってきたわね神父さん。これからが本当の聖杯戦争……すべての陣営がアサシン敗退を見届けたこの状況を優位に使う手は無いわよ綺礼」

 厳(おごそ)かに嘯く老神父の声には、揺るがぬ勝利への期待が込められていた。

「いよいよ始まるぞ、第四次聖杯戦争が。どうやらこの老骨も、今度こそ奇跡の成就を見届けられそうだな」


 父の熱意とは心の温度を共有できないままに、綺礼はただ黙して、嬉しそうな未確認幻想少女が浮遊する司祭室の片隅を見据えるばかりだった。余人にとってどうであれ、彼が期待するところの聖杯戦争は、まだ始まる|兆
(きざし)
すら見えていない。


 そう、言峰綺礼が待ち受けるただ一人の標的――衛宮切嗣は、未だこの冬木の地に姿を現していないのだ。

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