Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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第二の授業

「アサシンが――殺られた?」

 壮絶な闘いに身を震わせながら、ウェイバー・ベルベットは目を開けた。


 先程まで視覚で捉えていた遠坂邸の庭の光景とは一転して、慣れ親しんだ私室――寄生中の老夫婦宅の二階部屋に視野が戻る。さっきまで瞼の裏に見出していた映像は、使い魔にしていたネズミの視覚を横取りしていたものだ。その程度の魔術であれば、ウェイバーの才覚をもってすればどうということもない。


 聖杯戦争における序盤の、まず当然の策として、ウェイバーは間桐邸と遠坂邸の監視から始めていた。郊外の山林にはアインツベルンの別邸もあったのだが、北の魔術師はまだ来日していないのか、現状ではもぬけの殻で監視するまでもない。


 両家ともに、表向きはまだ何の動きも見せず、いっそのこと誰か痺れを切らせたマスターが遠坂か間桐の拠点に殴り込みをかけたりしないものかと、虚しい望みを託して監視を続けていたのだが、まさかそれが図に当たるとは思ってもみなかった。


「おいライダー、進展だぞ。さっそく一人脱落だ」


 そう呼びかけても、机の向かい側に座る少女は「ふぅん」と気のない相槌を打つだけで、一向に興味を見せる素振(そぶ)りすらない。


「そんなことより授業だよ、授業。アレから一回も授業っぽいことやってないだろ」


 ライダーは机をバンバンと叩きながら文句を垂れた。

 確かに、召喚したときに話を聞いて以降、ウェイバーはライダーから何の話も聞いていなかった。遠坂や間桐の監視にも忙しかったし、マッケンジー夫妻に変に見られることが無いように取り繕うことで精一杯だった。

 ――こいつは僕の友達なんだ。友達以外でもないでもないから心配しないでよお爺さんお婆さん!! 本当にただの友達なんだってばッ! ああもう彼女なんかじゃないって、だから変に勘ぐるのはやめてよ! オマエもそれっぽく腕にしがみつくな!!


 とか言いながら部屋へライダーを押し込んだのも記憶に新しい。


「おい、解ってるのかよ! アサシンがやられたんだよ。もう聖杯戦争は始まってるんだ!」

「ふぅん」

「おい」

 逆上しかかったウェイバーが声を上擦らせると、ようやくライダーは、さも面倒くさそうに身を乗り出して彼に顔を寄せた。

「あのさあ、暗殺者ごときが何だってんだよ? 隠れ潜むのだけが取り得の馬鹿なんか、私の敵じゃないぜ」

「……」

「それよりもベロリンガ、授業を始めるぞ! やっと時間が出来たみたいだしな」

「……ベルベットです」


 身体の位置を戻して胸を張るライダーに対し、ウェイバーは肩を落とした。なんというか、もう少し興味を抱いてくれても良かったのではなかろうか。そう思っているウェイバーもお構いなしにライダーは問いかけた。


「まず、なんでお前が私のことを知ってるかだけど」


「ああそんなことか? 魔術協会の総本山である時計塔には、幻想の都について書かれた書物が山のようにあるんだ。幻想の都は日本にあるって聞いていたし、お前の帽子の発送元が日本だったからピンときてな」


 ウェイバーは不敵に笑って答えた。右ひざを立て、左手を後ろに着いて、右手で前髪を掻き揚げていた。この少年は、実はナルシストの気があるのではないだろうか。


「ま、まあそれはいいとして……お前たちは幻想郷に行くのが目的なんだろ? じゃあなんで幻想郷のことを知ってるんだよ」


 ライダーは若干引き気味に、更に問う。


「キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグって人を知ってるか?」

「知らん」

「そうだろそうだろ。異世界の住人といっても、魔法を操るんだから当然のことだ。ましてや魔法の探求のついでに幻想の都に至るような人なんだ、それを知らないなんて――知らんのかい!」

「だから知らないって言ってんだろ」

 イラつき気味にウェイバーを見るライダー。乗りツッコミを理解しないとは何という奴だろうか。


「……で、その人は第二魔法って奴に至ったスゴイ人なんだ。で、その第二魔法ってのが『平行世界の運営』というやつで、ある平行世界の幻想の都へ至ったらしい」

「つまり、シュハンバーグって人が幻想郷についてのことを書き記したってことか?」

「シュバインオーグな。まあ、そういうことだ。
 彼の魔術と魔法を駆使して製作されたその文献は、幻想の都の歴史の移り変わりによって内容が書き換えられるってもので、だから、何十年も前の魔法使いが書いた文献にお前のことが載ってるってことだ。ちなみに、まだ生きてるらしいから」

「じゃあ幻想郷で名のある妖怪や人間が記されるわけか……ふむ。よくわかった」

「ちなみに魔術師が、この世界の、幻想の都へ至ろうとする理由は……」


 世界があるのなら世界を作り出した世界もあるはず!!→ならば、そこへいけば無限の魔力や何やらが手に入るかもしれない!!→宝石翁が幻想の都にたどり着く→平行世界にあるのなら、この世界にだって存在するはず!

 という感じらしい。

 幻想郷は明治時代あたりに作り上げられたと、知り合いの巫女が言っていた。だからこそそれ以降の時代に生まれた自分のことが知られていることに疑問を持っていたのだが……なるほど、得心いった。


 本当にこの世界は面白い。


 まだまだ知らないことや魔法がたくさんあるのだから。だからこそ、初めて訪れたこちらの世界を楽しまない手は無い。ウェイバーが何と言おうが、絶対に遊んでやろう。


「……って、これじゃあ僕の授業じゃないか、なんでお前が色々聞いてるんだよ!!」

「仕方ないだろ。授業するにも、お前がどこまで私たちのことを知っているのかを把握しなくちゃやることもやれないんだから。
 ああそうそう。幻想の都って言いづらいだろ、幻想郷でいいよ。あそこの正式名称は幻想郷だからな」

「……ああはい」


 このサーヴァントを召喚して以来、ウェイバーは胃痛が絶えない。首尾良く聖杯を手にしたとしても、その頃には胃潰瘍(いかいよう)になっているかもしれない。


 目の前の小さな存在を意識から締め出して、ウェイバーはより前向きなことを思考することにした。


 何にせよ、真っ先に脱落したのがアサシンだったというのが有り難い。自らのサーヴァントであるライダーが、戦術的には正面から勢いで押し切るタイプの戦力であることぐらい、ウェイバーも認識していた。そうなるとむしろ脅威になるのは、奇策を用いてこちらの足許を掬おうと企むような敵である。アサシンはその代表格と言えた。得体の知れなさで言えばキャスターのサーヴァントも厄介だが、姿も見せずに忍び寄ってくるアサシンこそが、当面の直接的な脅威であったのだ。


 セイバー、ランサー、アーチャーの三大騎士クラス、そして暴れるだけが能のバーサーカーは、まったく恐れるに足らない。ライダーの能力と宝具をもってすれば、力押しだけで充分に勝ちを取りに行ける。あとはキャスターの正体さえ突き止めれば――


「――で、アサシンはどう殺られたんだ?」


 授業を切り上げたと思った途端、彼のベッドにダイブしたライダーは不意打ちのようにウェイバーに問いかけた。


「……え?」

「だから、アサシンを倒したサーヴァントだよ。見てたんだろ?」

 ウェイバーは口ごもった。たしかに見てはいたが――あれはいったい何だったのか?

「たぶんトオサカのサーヴァント……だと思う。姿恰好(すがたかっこう)といい攻撃といい、やたらと派手な奴だった。ともかく一瞬のことで、何が何やら……」

「肝心なのはそっちだよ馬鹿」


 さも呆れた風な声とともに、ウェイバーの頬にペチンと何かが炸裂した。まったく予期しなかった痛みと驚きで、腰を抜かして仰向けに転倒してしまう。

 それはライダーのてのひらだった。手首のスナップを利かして振りぬく、いわゆるビンタというやつだ。むろん力などはこもっていない。が、インドアモヤシであるウェイバーからすれば、それは彼の頬を赤く腫れあがらせるほどの一撃だった。


 またしても暴力。またしても折檻(せっかん)。恐怖と逆上がウェイバーを錯乱させ、口を利くだけの理性さえ奪い去る。自分のサーヴァントに叩かれたのはこれが二度目だ。彼自身の人生においても二度目だ。

 怒りのあまり呼吸さえままならず、ウェイバーはぱくぱくと口を開閉する。そんなマスターの動転ぶりにも構わず、ライダーは深々と盛大に溜息をついた。


「あのなあ。私が戦うとすれば、勝ち残って生きている方だろ。そっちを細かくに観察しなくてどうすんだよ?」

「……ッ」


 ウェイバーは言い返せなかった。ライダーの指摘は正論だ。たしかに今後の問題になるのは、負けて倒された敵よりも、未だ健在な敵の方である。


「まぁ、何でも良いけどな。そのハデハデな奴を見て、気になるようなことはなかったか?」

「そ、そんなこと言ったって……」


 あんな一瞬の出来事で、いったい何が解るというのか?


 とりあえず、アサシンを葬(ほうむ)ったあの攻撃が宝具によるものだというのは察しがつく。使い魔の目を通しても、膨大な魔力の破裂を見て取れた。

 だがそれにしても、アサシンめがけて雨のように降りそそいだ武具の数は―


「……なぁライダー、サーヴァントの宝具って、普通は一つ限りだよな?」

「原則としてはどうだけど、今時一つだけなんて奴は少ないほうだよ。だいたいみんな二つや三つくらいは持ってるもんだ。私もそうだしな」


 そういえば現界した夜、ライダーはウェイバーに宝具――ミニ八卦炉と言っていた――を見せながら、切り札は他にあると言っていた。


「……じゃあ、剣を一〇本も二〇本も投げつける『宝具』っていうのも、アリか?」

「無数に分裂する剣、か。ふうん、在ってもおかしくないかもな。増殖させる能力を持つ妖怪だっているし。宝具と言ってもいいと思う」

「……」


 そうはいうものの、アサシンを倒した攻撃はまた違う。投擲(とうてき)された武具にひとつとして同じ形のものがなかったのを、ウェイバーは使い魔の目で見届けていた。あれは分裂したのではない。それぞれが元から個別の武器だった。


 やはり、あの全てが宝具だったのだろうか? だがそれは有り得ない。地に這ったアサシンに殺到した刃物は、二つや三つといった数ではなかった。というか、道路標識や地下鉄の車両までもが宝具であってたまるか。


「まぁ、良いわ。敵の正体なんか、どうせそのうち戦えばわかるし」


 ライダーは磊落(らいらく)に笑いながら、深く考え込んでいたウェイバーの背中をひっぱたいた。衝撃に背骨から肋骨まで揺さぶられて、矮躯(わいく)の魔術師は()せかかる。今度の打撃は屈辱的ではなかったが、こういう荒々しいスキンシップは願い下げとしたいウェイバーであった。

「そ、そんなんでいいのかよ!?」


「いい。だって面倒だもん」


 疲れ気味の表情でライダーはそう言った。


 ――オマエ何もやってないだろ……


 それ以上に疲れきっているウェイバーはそう思った。


「さて、んじゃあそろそろ外に暇つぶしにでも行こうぜ」

 手首をぷらぷらさせながら少女のサーヴァントは大きく伸びをした。

「支度するぞ、出陣じゃー出合え出合えー」


「しゅ、出陣って……どこへ?」


「どこか適当に、そこら辺へ」


「ふざけるなよ!」

 ウェイバーの怒り顔を、ライダーは立ち上がって天井に近い高みから見下ろし、微笑んだ。

「遠坂さん家を見張っていたのはお前だけじゃないだろ。そうなったらアサシンの死も既に知れ渡ってる。これで、闇討ちを心配して動きづらくしてた連中が一斉に行動し始めるんじゃないか? そいつらを見つけた端から倒してく」


「見つけて倒す、って……そんな簡単に言うけどな……」

「私はライダー。『脚』に関しては他のサーヴァントより優位だぜ?」


 嘯きながら、ライダーは腰の巾着から八角形の小さな宝具を取り出そうとする。あの箒を呼び出そうとしているのだと悟って、ウェイバーは慌てて制止した。


「待て待て待て! ここじゃまずい。家が吹っ飛ぶ!」

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