Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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すれ違う思惑


 肉を切り裂くのみならず深々と地を穿つ、無数の武具の轟音を、遠坂時臣は自室の安楽椅子にくつろいだまま聞き届けた。


「さて、首尾は上々……と」


 独りそう呟いた魔術師の横顔を、シェードランプのそれとは違う妖艶な輝きが照らし出す。


 ただ居合わすだけで周囲の薄闇を払わずにはいられない紫霞の立ち姿は、ついさっき屋根の上から侵入者を処刑したそれと同じである。霊体化して屋内に戻り、再び時臣の部屋で実体化したアーチャーのサーヴァントは、満足顔のマスターの傍らに、昂然と立ちはだかった。


「アサシンの割には、なかなか楽しませてくれたものだったわ。あなたも見ていればよかったのに。時臣」

 時臣は椅子から立つと、恭しく、かつ優雅な仕草で一礼する。

「恐縮であります。創生主よ」


 マスターとして召喚したサーヴァントに対するには、およそ考えられる以上に(へりくだ)った態度といえた。だが遠坂時臣は、自らが招いたこの妖怪に対して礼を尽くすことに何の躊躇もなかった。自身もまた(とうと)き血統を継ぐ者として、遠坂時臣は『高貴なるもの』の何たるかを誰よりも弁えているものと自負している。今回の聖杯戦争に勝ち抜くために時臣が召喚した、この偉大に過ぎる妖怪は、下僕ではなく賓客(ひんきゃく)としてもてなすべき相手であった。


 アーチャーとして現界したこの女こそ、かの『妖怪の賢者』八雲紫。幻想の都を創生した境界を操る妖怪の中の妖怪。およそ妖怪としてもっとも古い起源を持つ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)最古の妖怪なのだ。


 高貴なることを尊ぶのが時臣の信条である。令呪の支配権があろうとも、どのような体裁の契約を交わしていようとも、それで貴賤(きせん)の上下が覆るものではない。たとえサーヴァントであろうとも、妖怪の頂点に君臨するこの少女は最上の敬意をもって遇するべき存在であった。


「今宵の仕儀は、より煩瑣(はんさ)なお手間をかけぬよう今後に備えた露払いでございます。かくして『妖怪の賢者』の威光を知らしめた今、もはや徒(いたずら)に咬みついてくる野良犬もおりますまい」

「ええ……」


 時臣の言い分を、アーチャーは疲れ気味に首肯(しゅこう)して認めた。礼は尽くせど、必要以上に萎縮することのない端然とした時臣の態度は、正直彼女に気を遣わせていた。

 アーチャーたる八雲紫は、別に尊大で傲岸不遜な性格ではない。確かに幻想郷で一、二を争うほどの高位の妖怪ではあるし、それなりの権力も持っている。だが、だからといってここまでの礼節でもてなされるというのは、彼女にとって面倒でしかなかった。つまり、普通に接してほしかったのである。


「しばらくは野の獣どもを食い合わせ、真に狩り落とすべき獅子がどれなのかを見定めます。どうかそれまで、いましばらくお待ちを」

「ああ……はい、承知したわ時臣。それにしても、こちらの世界(・・・・・・)はやっぱり面白いわね」


 そんなアーチャーの言い分を聞いた時臣は、内心のわずかな苛立ちを仏頂面で糊塗(こと)した。

 たしかに彼の契約したサーヴァントは妖怪として最強である。が、この気儘(きまま)な好奇心による放浪癖だけは頭痛の種だった。現界してからこのかた、一夜として大人しく遠坂邸に留まっていたためしがない。今夜とて、アサシンの襲来するタイミングにあわせてアーチャーを屋敷に留め置くために、時臣はかなりの労力を説得に費やした。


 アーチャーとしては、必要以上に疲れさせる時臣と一緒にいたくないだけなのだった。遠坂邸にいるときは、極力霊体化しているのが常である。


「……お気に召されましたか? 現代の世界は」

「もともとこっちの世界も好きよ。
 ただ、必要以上に疲れることが多いのが、悩みの種かしら……」


 ささやかな皮肉を込めた笑みで(うそぶ)いたが、時臣はまったく理解に及んでいないらしい。おおかた、外の散策が疲れているのだろう、というくらいにしか思っていないはずだ。


「それはそうとして、また暇つぶしに街へ繰り出してくるわね。朝には戻っているから心配しないで」

「ご安心を。賢者殿を脅かすような者など、この世界にはおりますまい」

 時臣は怖じることなく、自信を込めて返答した。

「そうね、私に危害を加えるおバカさんなんていないもんね」


 少しくらい心配してくれてもいいじゃないのよう、とアーチャーは心の中で呟いてから踵を返し、実体化を解除して霞のように姿を消した。


『あなたの見繕う獅子というのにも、手慰みぐらいは期待しておくわ。時臣、委細は任せるわ』


 影なき影の声に、時臣は(こうべ)を垂れた。ほどなく妖怪の気配が室内から消えるまで、礼の姿勢は崩さなかった。


「……やれやれ」


 重たい威圧感が消え失せたところで、魔術師は深く嘆息した。

 サーヴァントには、もとの英霊が保有していたスキルとは別に、現界するクラスが決定した時点で新たに付加されるクラス別スキルというものがある。アサシンの『気配遮断』やキャスターの『陣地作製』、セイバー、ライダーの『騎乗』などがそうだ。同様にアーチャーのクラスを得て現界したサーヴァントには、『単独行動』という特殊スキルが与えられる。


 マスターからの魔力供給を断ったまま、ある程度の自律行動ができるというこの能力は、たとえばマスター個人が最大魔力を動員した魔術を発動したい場合や、またマスターが負傷してサーヴァントへ充分な魔力を供給できない場合などに重宝(ちょうほう)する。が、その反面、マスターは完全にサーヴァントを支配下に従えておくことが難しくなる。


 アーチャーとなった八雲紫の単独行動スキルはAランク相当。これだけあれば現界の維持はもちろん、戦闘から宝具の使用まで、一切をマスターのバックアップなしでこなせるが……それをいいことに賢者殿は、時臣の意向などお構いなしに、常日頃から勝手気ままに冬木市を闊歩する有様だった。終始経路(パス)を断たれたままの時臣は、自分のサーヴァントが何処どこで何をしているのやら全く把握できない。


 アーチャー曰く『女の子のプライベートを覗くのは許しません。お姉さんとの約束よ』だそうだ。

 おのれの世界以外にはとんと興味のない時臣は、妖怪の賢者ともあろう女が、いったい何を愉しみに大衆の営みを渉猟して歩くのか、まったく理解が及ばない。


「まぁ当面のところは、綺礼に任せておけばいい。――今のところは予定通りだ」


 そうほくそ笑んで、時臣は窓から庭を見下ろす。忍び込んだアサシンが果てた辺りは、過剰な破壊によって土砂が抉られ、そこだけ爆撃でもされたかのような惨状を呈していた。地下鉄の車両が塔のように突き刺さっているのは、これこそ幻想か何かだと思いたい。

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