Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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騎兵は魔法を操る者
首尾よく召喚を成功させ、ウェイバーは得意絶頂のうちに今日という日を終えるものと、そう本人は期待していた。
にっくき鶏との激闘に費やされた昨晩とはうって変わって、今夜は大義を果たした心地よい疲労に浸りながら、満足のうちにベッドに就くはずだった。
それが――
「……どうして、こうなる?」
空っ風の吹きすさぶ新都の市民公園で、独り寒さに身を縮こませつつベンチに腰掛けているウェイバーは、いったいどこをどう間違えて自分の予定が裏切られたのか、未いまだに理解しきれない。
召喚は成功した。まさに会心の手応えだった。
召喚の達成と同時に、招かれたサーヴァントのステータスもまたウェイバーの意識に流れ込んできた。クラスはライダー。三大騎士クラスの
白煙にけぶる召喚陣から、ゆっくりと立ち上がる
……思い返せば、その辺りからどうにも雲行きが怪しくなってきた。
ウェイバーが認識するところの『使い魔』というのは、あくまで召喚者の傀儡(かいらい)である。魔術師から供給される魔力によって、かろうじて現界していられるだけの存在。術者の一存次第でいかようにも使役できる
が、召喚陣から出てきたアレは――
まず最初に、燃え立つように身体を覆う魔力のオーラだけで、ウェイバーは魂を抜かれた。目を合わせた瞬間に、そのサーヴァントが、自分より圧倒的に強大な相手であることを、彼はなかば小動物めいた本能的直感で察知していた。
目の前に立ちはだかった痩身の、圧倒的な存在感。そのか細い身体から香る、なんとも言いいれぬ甘い体臭までも嗅ぎ取るに至って、ウェイバーは認識した。こいつは、妖怪だとか、使い魔だとか、そういう屁理屈を抜きにして本当に普通の女なのだと。
聖杯に招かれた妖怪が、幻想の都より肉体そのままで召喚されることは、ウェイバーも知識として知っていた。が、虚像でも影でもない、掛け値なしの実体である分背の低い金髪の少女によって目の前を塞がれるという感覚は、ウェイバーの想像を絶して脅威的だった。
ところで、ウェイバーは女というものが苦手である。
ただごちゃごちゃと五月蝿(うるさ)いから、というだけの理由ではない。群れるし数が多いし耳に障る。静かな時間を過ごしたいのに、なぜか鬱陶しく何度も何度も話しかけてくる。素っ気無く追い返せば、また複数の人数を連れ立って、さっきはよくも、とでも言わんばかりに文句を言いに来る。まるでサルか何かなのではないか?
このように、ウェイバーは普通以上に、異常なほど女というものを毛嫌いしていた。もう、女子差別の領域である。
さらに、女というものは意味がわからないばかりだ。こういう手合いが白く細い手を振りかぶり、振り抜くまでのタイムラグというのは、どうしようもなく短すぎる。いかに簡潔な弁論であろうとも展開する時間はなく、魔術を行使する猶予もない。
つまり――女子の、流れるように鋭く強いビンタが届くほどに近寄られたら終わり、なのである。
「……なあ、訊いてるだろ。お前が私のマスターで間違いないんだよな?」
「は?」
それは少女が発した二度目の問いだった。高くよく通る綺麗な声。そんな聞き漏らしようのない声でありながら、最初に問われたときは相手に圧倒されるあまり意識できなかったらしい。
「そ――そう! ぼぼぼボクが、いやワタシが! オマエのマスターの、ウ、ウェイバー・ベルベットです! いや、なのだッ! マスターなんだってばッ!!」
何かもう色々な意味で駄目だったが、ともかくウェイバーは精一杯の虚勢を張って目の前のトンガリ帽子に対抗した。……それにしても、よくよく見れば相手の体格は思っているよりいっそう華奢で柔らかなように見える。
「よし、じゃあ契約は完了だな。――それじゃあ、さっそくお前に私たちのことを教えといてやる」
「は?」
ふたたびウェイバーは気の抜けた返事を余儀なくされた。
「だーかーらー、授業だよ授業! 私の身体の中に流れてくる魔力から鑑(かんが)みるに、お前はまだ新米の魔術師だろ。だから私たちのことを勉強して、聖杯戦争に役立てろってことだぜ」
鬱陶しそうにそう言って、少女のサーヴァントはウェイバーの眼前で胸を張り、仁王立ちのポーズをとる。
とても失礼なことを言われた――そう、ウェイバーは思った。ただ思うだけに留まったのは、あまりにもあんまりな言い様に絶句してしまったからである。というか、言い返せない自分が情けなくなっていた。
「授業するにもここは寒いな……よし、お前の家でやったほうが早そうだ、案内してくれ」
時刻はすでに深夜に突入している。この時間ならばマッケンジー夫妻はとっくに夢の中だから、ライダーを部屋に入れたところで、大きな声さえ出さなければ大丈夫だろう。確かにウェイバーは聖杯戦争のことについて詳しくない。教えてくれるというのなら――使い魔に教えられるというのは遺憾ではあるが――とりあえず教えられておいて悪いことはないだろう。
しかし、マッケンジー宅へは雑木林を抜けて、深山町へ渡らなくてはならなかった。正直なところ、夜中に街中を出歩くのは気が引けたのだが――それというのも近頃、冬木市では猟奇的な殺人事件が頻発したせいで、警察が非常事態宣言を発令していた――ウェイバーにとっては巡回中の警官に見咎められて職務質問を受ける危険より、目の前の小さな女の子に何をされるか判らない、という危機感の方が重大だった。
しかも雑木林を抜けても少女は実体化を解くことはなく、夜の冷気を気持ち良さそうに浴びながら彼の隣を歩いている。なぜこの少女は実体を解かないのだろうか……女が苦手のウェイバーとしては、少しでもこの慣れない状況から開放されたかった。相手がサーヴァントとはいえ、相手が女である以上、ウェイバーは変に緊張してしまい、まともに話すこともままならなくなってしまうだろう。ここは意を決し、問うことにした。
「……サーヴァントってのは、実体から非実体に転位出来るんじゃなかったのか?」
「ん? ああ、そのことについても説明しようと思ったんだけどな……簡単に言えば、私は妖怪じゃないからだよ」
彼が調べた文献によれば、召喚に応じるのは、妖怪や幽霊ばかりだと書いていたのだが、これはどういうことなのだろうか?
「なにも聖杯に呼ばれるのが妖怪や幽霊ばかりじゃないんだ。ただ幻想郷(あっち)にはそういう奴らが多いってだけで、人間だってそれなりに住んでるんだよ。というわけで私も、お前と同じ普通の人間ってこと」
だから、実体しかないんだ、とライダーは笑っていった。……実体しか、ない? 非実体には、なれない!? ということは、これからライダーは四六時中、ウェイバーのそばにいるということだ。ということはつまり、この甘ったるい女性特有の香りを常に嗅がされてしまうということ。
ウェイバー・ベルベットは健全な少年である。女子は五月蝿いものと断念し、遠ざけようとしてはいるが、女子に興味がないというわけではない。一般男子並みには興味があるつもりだし、このように夜の街を女性と歩くことを夢に見なかったわけでもない。むしろ夢にまで見た状況だからこそ、緊張してしまうのだった。
「妖怪は強すぎるから、その力をいくらか抑制された思念体でこっちにやってくる。ほら、私に触ってみ? エーテル体の妖怪たちとは違って、本当に肉の感触があるからさ」
言うが早いかライダーは彼の手を取り、彼がうまく呼吸できていないことも気にかけず、己の右腕に触らせた。
ドギマギしつつも目を見開き、ウェイバーは自分の右手に感じるものを確かめる。エーテルの身体でも、人間の身体とはあまり変わりがないらしいが、ライダーが言うには『なんか触ってると違和感がする』らしい。現に触っているウェイバーだが、まずエーテル体をに触れたことがないからよく解らなかった。
「解んないか……まあ仕方ないよな。たぶんお前は触ったことがないんだろうし」
申し訳なさそうにライダーは笑って、再び前を向いた。ウェイバーは手に残る暖かい感触に恥ずかしさを感じつつ、しかし名残惜しそうに手を離した。
ライダーが言うには、妖怪は思念として召喚されるらしい。それは強すぎる能力を抑制するためであり、妖怪よりも遥かに劣る人間は肉体のまま召喚されるようだ。彼女は後者に入るわけで、だから実体と非実体の転位が出来ないのである。
もしもここで召喚されたのが筋骨隆々で鎧を纏った大男だったなら、非実体になれないという時点で職務質問されること請け合いだっただろう。しかし現実は普通の少女だったので、ウェイバーは安堵の息と共に、そっと胸を撫で下ろした。
いかに強力な存在であろうともサーヴァントは彼の契約者。主導権はマスターであるウェイバーこそが握っている。
たしかにウェイバーの呼び出したサーヴァントは強力だ。それはケイネスから盗んだ聖遺物の来歴から充分に承知していた。
魔法使い・霧雨魔理沙――それが彼女の名前である。幻想の都では、度々(たびたび)妖怪が起こす異
変というものがあり、彼女は数々の異変を解決してきた人間ということで有名だ。人間の身であるにも拘らず、彼女は名のある妖怪を次々と倒した猛者であり、比較的に妖怪が召喚されることの多い聖杯戦争では優位に立てる存在だ。そのような存在を選んだという点で、ウェイバーは憎き元講師・ケイネス・エルメロイ・アーチボルトには感謝していた。
「……で、まだ着かないのか?」
新都と深山町の間にある未遠川にかかる、赤いアーチが特徴的な冬木大橋を渡ろうとしたところで、ライダーが気だるげに聞いてきた。
サーヴァントともあろうものが、これだけの距離を歩いただけで疲れていてはどうするのか。これから歩くよりも過酷な戦いをするというのに、これでは先が思いやられる。
「この橋を越えて、二〇分くらい歩いたら着く。もうしばらく我慢しろ」
「えー……お前、なんであんな遠い場所で召喚したんだよ……」
聖杯戦争は過酷な戦いであると聞く。これまでの参加者で生き残った者は極少数だというし、行われるたびに冬木市は崩壊し、それを隠蔽するために聖堂教会が血眼(ちまなこ)になって町を走り回るらしいではないか。そんな中を戦うのはサーヴァントが主であり、だからこそ一〇分程度歩いたくらいで音を上げられていては嘆息するしかなくなってしまう。
「ああもう、疲れた。私は休憩するからな、絶対に休憩してから行くからな、先に行くなよ?」
言うが早いかライダーは近くに見つけたベンチまでダッシュして座り込んだ。……なんとも自分勝手なサーヴァントなのか。
ウェイバーは嘆息しながら近寄ると、ライダーは両腕で己が身を抱きしめて、小さく震えている。どうやら彼女にとってここは本当に寒いらしい。それは、無理もない話なのかもしれない。調べた文献によると霧雨魔理沙という少女は、幻想の都では『魔法の森』という木々が鬱蒼と生い茂る湿地帯に住んでいるらしいのだ。そんな蒸し暑い場所に慣れてしまえば、乾燥した冷気が漂う冬木は、彼女にとっては寒すぎるくらいなのだろう。
ウェイバーは踵(きびす)を返し、先ほど見かけた自動販売機で、ホットコーヒーを二本購入し、ライダーのもとへ戻った。
「……ほら。飲めよ」
「ん、おお、ありがとう!」
差し出してやると、ライダーは白い息を吐きながら嬉しそうにそれを受け取った。
「……ふぅ、温かい。じつはめちゃくちゃ寒かったんだよー、本当にありがとうな」
恥ずかしそうに笑うライダーを見ていると、なんだかウェイバーまで恥ずかしくなってきた。彼は小さくかぶりを振ってコーヒーを飲む。
「こ、これ飲んだら……さっさと行くからな」
「おう、もうちょっと待ってくれ。私は猫舌なんだ」
コーヒをちびちび飲むライダーの姿を見ていると、やはり普通の少女にしか見えない。なんとも信じられない話だ――彼女が幻想の都からの使徒だって? どう考えてもどこにでもいる普通の少女だ。しかし、彼女から感じる膨大な魔力がそれを否定している。魔力供給の回路が繋がってるウェイバーにはわかる話なのだが、それでも、マッケンジー夫妻のような一般人からすれば、普通の少女なのだろう。
こんな少女が
それを言うならばウェイバーだってそうだ。彼も、己の信念を貫くために、この聖杯戦争への参加を決意したのだ。見た目から判断するに、ウェイバーとライダーはそれほど歳が離れていない。その点では、彼と彼女は同じような立場にいるのかもしれない。
「ごちそうさまでしたっ。そうだ聖杯といえば、まず最初に訊いとくべきだったな。お前、聖杯をどう使うんだ?」
コーヒーを飲み干したライダーは不意に感情の読めない口調になり、ウェイバーは彼女に何か名状しがたい悪寒を感じた。
「な……何だよ改まって? そんなこと訊いてどうする?」
「そんなの決まってんだろ。もしお前が独り占めするとか言い出したら堪んないからな」
さらりと言い捨てたその言葉は、およそサーヴァントが令呪を持つマスターに向けるには、これ以上ないほどに無茶な放言だったが、この少女の高い声がわずかに冷酷さを帯びたというだけで、ウェイバーは心胆から震え上がった。マスターである自分の根本的な優位さえ失念してしまうほど、それは圧倒的な恐怖だった。
「ひっ、独り占めなんて……」
そこまで言葉に詰まってから、ウェイバーは唐突に、威厳を取り繕(つくろ)う必要性を思い出す。
「せっ聖杯はワタシにはひとつで充分だ。オマエの分まで奪うなどと三下の真似はせん!」
「へえ?」
ライダーは表情を一転させて、さも興味深げにウェイバーを見つめる。
「私なら叶えられる願いは多いほうがいいけどな。ひとつで充分だって言うなら、面白い。訊かせてくれよ」
ウェイバーは鼻を鳴らし、精一杯の胆力ですかした冷笑を取り繕った。
「ボ……ワタシが望むのはな、ひとえに正当な評価だけだ。ついぞワタシの才能を認めなかった時計塔の連中に、考えを改め――」
言い終わるより前に、空前絶後の衝撃がウェイバーを一撃した。
ほぼ同時に「馬鹿かお前!」というライダーの大音声の一喝が轟いた気もしたが、衝撃と怒号はどちらも負けず劣らず強烈すぎたせいで、ウェイバーにはその区別さえつかなかった。
実際のところ、ライダーはさしたる力もこめず、ぺちん、と蚊でもはたき落とす程度の加減で平手打ちを見舞ったに過ぎないのだが、小柄で脆弱な魔術師にはそれでも強烈に過ぎたらしく、ウェイバーは
「どんな願いも叶えられるってのに、そんな大きなチャンスをそんなことに使うのかよ!? だらしないったらないぜ。それでもお前、私のマスターか?」
よほど腹に据えかねたのか、ライダーは怒るどころか泣きださんばかりの呆れ顔で魔術師を喝破した。
「ぁ――ぅ――」
こんなにも真っ向から、身も蓋もなく暴力に屈服させられるなど、いまだウェイバーには経験のないことだった。張られた頬の痛みより、むしろ引っ叩かれたという事実の方が、より深刻にウェイバーのプライドを打ちのめした。
顔面蒼白になりながら唇を震わすウェイバーの怒りようを、だがライダーはまったく意に介さない。
「そうまでして他人に認められたいってんなら、認められるだけの力を付けてみろよ! この世界にも、幻想郷にも、努力することなく最強のままでいる奴なんてたくさんいる。弱い自分が嫌なら、強くなれるまで精一杯修行しろよ! そんな戯言を吐けるんなら、お前はまだまだ頑張り足りないぜ」
「ぁ……っ!」
何か言い返そうとするも、しかし言葉が出てこなかった。普段の彼ならば怒りを爆発させ、ライダーの言葉を否定しただろう。しかし、そんなこと以前に、言い返すことが出来なかった。
「努力もせずに力がほしいとか、私はそんなことを言う奴が大嫌いだ。お前のことを全否定するわけじゃないけど、どうせ力を手に入れるなら、この戦争で、誰からも認められるように強くなればいいんだよ」
睨み付けるような冷静な表情から一転して、ライダーは優しく微笑んでウェイバーに手を差し伸べた。まだ納得いかないウェイバーではあったが、変に意地を張って、サーヴァントとの仲を悪くするのは良くないと思い、おずおずとその手を受けとった。
「何はともあれ聖杯さえ手にはいるなら、それでワタシは文句はない。そのあとでオマエがどんなことに願いを使おうが好きにするがいい」
はいはい。と、ライダーは苦笑気味に返事した。
「……ともかくだ。オマエ、ちゃんと優先順位は判ってるんだな? 真面目に聖杯戦争やるんだな?」
「んもう、わかってるよそんなことくらい。よし、スリーポイント!」
ライダーは飲み干したコーヒーの缶を数メートル離れた場所にある自動販売機横のゴミ箱に見事にフリースローを決め、肩越しにウェイバーを一瞥しながら、さも鬱陶しそうにぼやく。
「まずは他の妖怪どもを捜すとこからか。面倒な話だけど、これも願い事のためだし、頑張ってやるぜ! 任せとけベロベルト、聖杯は私が手に入れてやるからな」
「……」
余裕綽々の発言に、だがウェイバーはいまひとつ納得しきれない。
たしかにこの人間、見かけ倒しではない。ウェイバーがマスターとして得たサーヴァント感応力で把握できる限りでも、図抜けた能力値の持ち主だ。
だが、なにもサーヴァント同士の闘争が腕相撲で競われるわけではない。いくら屈強な肉体を備えていたからといって、それで勝ち残れるほど聖杯戦争は甘くはないのだ。
「ずいぶん自信があるようだが、オマエ、何か勝算はあるのか?」
ウェイバーは敢えて挑発的に、精一杯の空威張りでライダーを睨(ね)めつけた。自分はマスターなのだから、サーヴァントに対して高圧的な態度を取るのは当然であろう、という主張も込めて。
「つまりなんだ、お前は私のの力が見たい、と?」
するとライダーは、これまでとはうって変わって静かな、どことなく不安にさせられる抑揚のない口調で、ウェイバーの視線を受け止めた。
「そ、そうだよ。当然だろ? オマエを信用していいのかどうか、証明してもらわないとな」
「ふうん――」
面倒そうに鼻を鳴らし、少女は腰の麻縄に吊るしていた八角形の何か(・・・・・・)を手にした。まるで呪術に使う羅針盤のようにも見えたが、それ自体からは宝具と思えるほどの魔力は感じられない。だが羅針盤(?)を手にしたライダーの剣呑な雰囲気に、やにわにウェイバーは不安になった。まさか、生意気な口を利いたからって呪われるんじゃあ……?
「――いでよ魔法の箒!!」
そう虚空に向けて高らかに呼びかけてから、何もない空間に向けて荒々しく羅針盤(仮称)を突き出した。
その途端、まるで落雷のような轟音と震動が、深夜の河川敷を盛大に揺るがす。
度肝を抜かれたウェイバーは、ふたたび腰を抜かして地面に転がった。ただの痛々しい行動にしか見えなかったライダーの羅針盤(仮)が、いったい何をしたのか――
ウェイバーは見た。突き出された先の空間がぽっかりとと大口を開けて裏返り、そこから途轍とてつもない強壮なモノが出現するさまを。
間違いない。今ライダーが虚空から出現せしめたソレは、まぎれもなく彼女の宝具であろう。その存在の内に秘められた、規格外の、法外に過ぎる魔力の密度は、ウェイバーとて理解できる。それはもはや人の理(ことわり)、魔術の理すら超越した奇跡の理に属するものだった。
「私は普通の魔法使い。魔法使いと言えば、魔法の箒に跨って空を駆けるのは当たり前田のクラッカーだぜ。私がキャスターよりもライダーに呼ばれたのは、他の魔法使いにない、箒に乗るところが原因なんだろうな」
優しい目で木製の箒を撫でたあと、ライダーは右手に掲げる羅針盤っぽいものをウェイバーの目の前に突き出した。いきなり物騒なものを突き出され、彼は「ひぃっ!?」という情けなく叫んで
「まあ、これはただ私の魔力を注いでるからすごい力を感じるだけで、こいつ自体は宝具でもなんでもないんだ。むしろ宝具はこっちな」
そう言ってライダーは、彼女の右手に光る羅針盤の如き何かをウェイバーに示す。
「う、嘘だろ……だってそれ、全然魔力が――」
「だってこれ、今は魔力供給を切ってるから。このミニ八卦炉はな、箒と同じで、私が魔力を注いでるあいだ使用できるものなんだよ。だから魔力供給の回路を遮断している今は、ただの飾りってわけ。ちょっと魔力込めてみるか――」
笑顔で言うライダーに、ウェイバーは腑に落ちない気分になった。
しかしウェイバーは改めて、ライダーを畏怖の目で眺めた。魔術師である彼だからこそ、いま目の前にある宝具の魔力は理解できる。近代兵器に換算すれば戦略爆撃機にも匹敵しよう。小一時間も続けて暴走させれば、新都あたりの全域は余裕で焦土の山にしてしまえる。
もはや疑いなく言える。このライダーこそは、ウェイバーが望みうる最強のサーヴァントだ。その威力はすでにしてウェイバーの想像を超えている。この女に倒せない敵があるとするなら、それはもう天上の神罰を以てしても降(くだ)せない存在であろう。
「また寒くなってきちゃったし、箒に乗ってお前の家に行くか……ああでもこれ一人乗りなんだよな」
その一言を聞いて、ウェイバーは恐ろしい寒気を感じた。まさか、この箒は一人乗りだから、と言って自分一人だけ先に行くのではないだろうな――?
「ほら、簡単な魔法で箒の後ろに台車みたいなの作ったぞ。箒に込めてる魔力と同程度の力で創り上げたから、まあ夢想封印ぐらいじゃ潰されはしないぜ」
その、夢想封印、というものはよく解らないが、どうやらウェイバーも箒に乗せてもらえるらしい。昔から生身で空を飛ぶことに憧れていたウェイバーにとって、それはなんともいえない
ライダーは箒に跨り、ウェイバーはその後ろに造られた台車に乗り込んだ。
「さあ行くぞベロベルト! お前の家はどっちだ?」
ライダーが箒を叩いて一喝すると、箒はいかづちを纏いながらふわりと浮き上がり、そのままゆっくりとスピードを上げて滑空し始めた。
「夜の空の眺めってすごいだろ? こんな体験あんまり出来ないかもしれないぜ」
「わあ……」
冬木大橋のアーチをも越える高さまで到達し、こっそりと下を見たウェイバーは感嘆の声をあげた。しかし彼はすぐに表情を強張らせ、箒に跨って夜景を楽しんでいるライダーに一言物申した。
「……そうそうライダー、ボクはウェイバー・ベルベットだ。変な間違いすんな!」
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