Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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虚無の男が見たものは――


「『時計塔』からの最新の報告だ。『神童』ことロード・エルメロイが新たな聖遺物を手に入れたらしい。これで彼の参加も確定のようだな。ふむ、これは歯応えのある敵になりそうだ。これで既に判明しているマスターは、我々も含めて五人か……」


 遠坂邸地下の工房で、時臣はロール紙に記された情報を読み、傍らに立つ綺礼と話し合っていた。


「この期に及んでまだ二人も空席があるというのは、不気味ですね」

「なに。相応しい令呪の担い手がいない、というだけのことだろう。時が来れば聖杯は質を問わず七人を用意する。そういう員数合わせについては、まぁ概ね小物だからな。警戒には及ぶまい」


 時臣らしい楽観である。三年の期間を師事してよく解ったが、綺礼の師たるこの人物は、こと準備においては用意周到でありながら、いざ実行に移す段になると足元を見なくなるという癖くせがある。そういう些末(さまつ)な部分に気を配るのは、むしろ自分の役目なのだろう、と、すでに綺礼も納得済みだった。


「まぁ用心について言うのなら――綺礼、この屋敷に入るところは誰にも見られていないだろうね? 表向きには、我々は既に敵対関係なのだからね」


 遠坂時臣の筋書き通り、事実は歪曲(わいきょく)して公表されていた。すでに三年前から聖杯に選ばれていた綺礼だが、彼は時臣の命により右手の刻印を慎重に隠し通し、今月になってからようやく令呪を宿したことを(おおやけ)にした。その時点で、共に聖杯を狙う者同士として師の時臣と決裂したことになっている。

「ご心配なく。可視不可視を問わず、この屋敷を監視している使い魔や魔導器の存在はありません。それは――」


「――それは、私が保証してあげるよ」


 第三者の声が割り込むとともに、綺礼の傍らに黒い影が、ゆらり、と蟠(わだかま)った。

 それまで霊体として綺礼に同伴していた存在が、実体化して時臣の前に姿を現したのである。


 その人影は、だが人間とは桁違いの魔力を帯びた『人と()なるもの』だった。漆黒の光を総身に纏わせ、本体の形状(シルエット)が覗えない。しかしそれでも声は隠せず、それが少女のものであることは解った。

 そう、彼女こそは第四次聖杯戦争に臨んで最初に呼び出され、言峰綺礼との契約によって『アサシン』の(クラス)に宿ったサーヴァント――封獣ぬえの妖怪だった。


「どんなに正体不明の敵でも、正体不明そのものの私の目を誤魔化すことは出来ないよ。私のマスター、綺礼の身辺には、いまは何の追跡の気配もない……安心して大丈夫だよ」


 主(あるじ)たる言峰綺礼の、さらに上に立つ盟主として時臣のことを了解しているのだろうか、この声の主は? 本来ならば姿を見せるべきなのだが、この妖怪は頑としてその正体を明かそうとしない。正体不明こそがこの妖怪の本懐であるのだろうが……いささか不満は残るものの、綺礼が何も言わないようだし、時臣も諦めることにした。


 さらに綺礼が言葉を続ける。


「聖杯に招かれた妖怪が現界すれば、どのクラスが埋まったかは間違いなく父に伝わります」


 聖杯戦争の監督役を務めるにあたり、現在、専任司祭という形で冬木教会に派遣されている璃正神父の手元には、『霊器盤』と呼ばれる魔導器が預けられている。これには聖杯が招いた妖怪の属性を表示する機能がある。

 マスターの身元は個々の申告によって確かめるしか他にないが、現界したサーヴァントの数とそのクラスについては、召喚がいずこの地で行われようと、必ず『霊器盤』によって監督役の把握するところとなるのだ。


「父によれば、現界しているサーヴァントはいまだ私のアサシン一体のみ。他の魔術師たちが行動を起こすのは、まだ先のことと思われます」

「うむ。だがそれも時間の問題だ。いずれこの屋敷の周囲には他のマスターの放った使い魔どもが右往左往するようになるだろう。ここと間桐邸、それにアインツベルンの別宅は、すでにマスターの根城として確定しているからな」


 御三家に対する外来の魔術師たちのアドバンテージは、その正体が秘匿(ひとく)されている点にある。それゆえ聖杯戦争の前段階では、どの家門でも密偵を使った諜報戦に明け暮れることになる。

 綺礼は時臣の情報網を信用していないわけではなかったが、残る二人の謎のマスターが、その上を行く手段で正体を隠蔽(いんぺい)している可能性も警戒していた。そういう策略家の敵に対処するとなれば、綺礼が得たアサシンのサーヴァントは最大限の力を発揮する。

「この場はもういい。アサシン、引き続き外の警戒を。念には念を入れてな」


「えー、めんどくさいなあ。ちょっとは休ませてほしいよ」


 マスターである綺礼の命令を、黒い影は身を()じらせて一蹴した。絶句する時臣の一瞥して綺礼は嘆息し、それならば、と右手をアサシンへ差し出した。


「ではこうする。令呪よ――」

 冷やかに冷酷な言葉を紡ぐと、右手の甲に刻まれた刻印から淡い輝きが漏れる。それを確認したアサシンは血相を変えたような声で綺礼を止めた。

「ちょっ!? ま、待ってよ綺礼。わかった、行くよ、行ってくるからそれはやめてー!」


 マスターの凶行に焦りの色を隠しきれないアサシンの声は酷く怯えたもので、まるで令呪による強引な駆動を拒んでいるようだ。


「……お前の好きなエクレアで手を打とう。これならどうだ?」


 深いため息のあとに、やれやれと綺礼は提案した。


「それは、本当?」

「ああ」

「よしっ。それなら頑張らなくちゃね! 行ってくるよ、ご主人様(マスター)!」


 少女らしい元気な声で、アサシンはふたたび非実体化してその場から姿を消した。

 サーヴァントがマスターの命令を断るなど、時臣の中では考えられない事態だった。一蹴したアサシンの言葉にも表情ひとつ変えないあたり、綺礼はもう諦めているのかもしれない。

 先が思いやられるアサシンの登場に時臣は、頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響くような感覚に見舞われた。


 根本的に幻想上の存在であるサーヴァントは、実体から非実体へと自在に転位することができる。

 他のクラスにはない『気配遮断』という特殊能力を備えたアサシンは、隠密行動においては他の追随を許さない。自ら勝ちを狙うのでなく時臣を掩護(えんご)するのが役目の綺礼にとって、アサシン召喚は最善の選択だった。


 戦略はこうだ。


 まず綺礼のアサシンが奔走(ほんそう)し、他のマスター全員の作戦や行動方針、サーヴァントの弱点などについて徹底的に調査する。そして各々の敵に対する必勝法を検証した後で、時臣のサーヴァントが各個撃破で潰していく。

 そのために時臣は、徹底して攻撃力に特化したサーヴァントを召喚する方針でいるという。だが彼がどんな妖怪に目をつけているのか、まだ綺礼は聞かされていない。


 ふと綺礼は、時臣の手元に目をやった。彼が手に持っているロール紙のほかに、少し色()せたロール紙が一枚。それは先ほどのものとは違うようで、少し端が捲れて、写真の様なものが貼り付けられているのが見えた。


「まだ他にもあるあるのですか?」

「ん? ああ、これは別件の調査でね。最新のニュースじゃない。――おそらくアインツベルンのマスターになるであろう男について、調査を依頼しておいたんだ」


 外界との接触を断絶しているアインツベルン家についての情報は、ロンドンの時計塔においてもきわめて手に入りにくい。だが時臣はそのマスターについて心当たりがあると、かねてから語っていた。手元の紙一枚を巻いて書見台に置くと、彼は下になっていたもう一枚の印字紙を広げる。


「――今から九年ほど昔になるか。純血の血統を誇ってきたアインツベルンが、唐突に外部の魔術師を婿養子に迎え入れた。協会でもちょっとした噂になったんだが、その真意を見抜いたのは、私と、あとは間桐のご老体ぐらいなものだろう。
 もともと錬金術ばかりに特化したアインツベルン家の魔術師は、荒事に向いていない。過去の聖杯戦争での敗北も、すべてそれが原因だった。それでいよいよ連中も痺しびれを切らしたのだろう。招かれた魔術師というのが『いかにも』という人物だった」


 喋りながらもざっと流し読みを済ませた印字紙を、時臣は綺礼に手渡した。『調査報告:衛宮切嗣』という記述を見咎みとがめて、綺礼の目がわずかに細まる。


 衛宮、切嗣……?


 綺礼には、この名に聞き覚えがあった。。『魔術師殺し』の衛宮といえば、当時はかなりの悪名だった。表向きは協会に属さないはぐれ者だったが、上層部の連中は奴をいろいろと便利に使っていたらしい。

 聖堂教会で言う『代行者』のようにも思えるが、その実、それよりもたちの悪いものだった。衛宮切嗣は魔術師専門に特化した、フリーランスの暗殺者のようなもので、魔術師として魔術師を知るが故に、もっとも魔術師らしからぬ方法で魔術師を追いつめる……そういう下衆な戦法を平然とやってのける男……それが、遠坂時臣の見解だった。

 生粋の魔術師である時臣は、切嗣のように魔術師らしくない存在を最も嫌っている。だが綺礼は、そんな時臣の反応を受け、むしろ切嗣に興味を抱いた。


 渡された資料に目を通してみる。記述の大部分は、衛宮切嗣の戦術に関する考察――彼の仕業と推測される魔術師の変死や失踪と、その手口の分析に費やされていた。読み進むうちに、時臣がこの男を忌避する理由が段々と綺礼にも見えてきた。狙撃や毒殺はまだ序の口。公衆の面前で爆殺したり、乗り合わせた旅客機ごと撃墜、などという信じがたい報告もある。かつて無差別テロ事件として世間に報道された大惨事(だいさんじ)が、じつはただ一人の魔術師を標的とした衛宮切嗣による犯行ではないかという推測まであった。確証はないものの、列挙された証拠を読む限りでは確かに信憑性(しんぴょうせい)が高い。

 暗殺者、という表現はなるほど至極妥当(だとう)だった。魔術師同士の対立が殺し合いに発展するケースはままあるが、それらは往々にして純然たる魔術勝負、決闘じみた形式の段取りで解決されるのが常である。その意味では聖杯戦争もまた同様で、『戦争』などと称されながらも決して無秩序な殺戮ではなく、いくつかのルールや鉄則が厳然として存在する。

 そういう“魔術師として尋常な”手段によって戦いに臨んだ記録は、衛宮切嗣の戦歴には一行たりとも存在しない。


「魔術師というのはな、世間の法から外れた存在であるからこそ、自らに課した法を厳格に遵守しなければならない」

 声音に静かな怒りを(にじ)ませながら、時臣は断言する。


「だがこの衛宮という男は徹底して手段を選ばない。魔術師であるという誇りを微塵(みじん)も持ち合わせていないんだ。こういう手合いは断じて許せない」

「誇り……ですか」


「そう。この男にしても、かつては魔術師となるにあたって厳しい修練を経てきたのだろう。ならばその苦難を(しの)ぎうるだけの信念も持ち合わせていたはずだ。そういう初志は、たとえ力を得た後でも決して忘れてはならない」

「……」

 時臣の言うことは間違いだ。苛烈な訓練に、何の目的もないまま没頭するほどの愚か者も、この世には存在する。それは綺礼が誰よりもよく知っている。


「――ではこの衛宮切嗣は、何を目的に殺し屋などを?」

「まぁ、おそらくは金銭だろうな。アインツベルンに迎えられて以後は、外道働きもぱったりと途絶えた。一生遊んで暮らせるだけの富を得たのだから当然だろう。――その報告書にもあるだろうが、奴が関わってきたのは魔術師の暗殺だけではない。事あるごとに世界中で小遣い稼ぎをやっていたらしい」


 時臣の言うとおり、報告書の末尾には、魔術師がらみの事件とは別に、衛宮切嗣の経歴がずらりと列挙されていた。なるほど、およそ思いつく限りの世界中の紛争地に切嗣は姿を現している。殺し屋ばかりでなく傭兵(ようへい)としても相当な荒稼ぎをこなしてきたと見える。


「……この書類、少しお借りしてもいいでしょうか?」

「ああ、構わんよ。私に代わって吟味(ぎんみ)してもらえれば助かる。こちらは今夜の召喚の準備で忙しいんでね」


 時臣が準備のために自室へ戻り、綺礼は誰もいなくなった地下室を我が物顔で独占して、あらためて衛宮切嗣に関する報告書を子細に読み込んだ。


 師である時臣は、衛宮切嗣という人物像を拒絶していた。魔術師としてあるべきではない、と。彼を、魔術師でない、と称した時臣は、正真正銘の魔術師であり、それを誇りに思っているからこそ衛宮切嗣に対して、あそこまでの怒りを持つのだろう。

 同じく魔術師としての修行をこなしてきた綺礼だが、しかし時臣とは別の感情を、魔術師殺しに対して抱いていた。


 ――この男……


 この一面識もない異端の魔術師に、なぜこれほどまでに興味を惹かれるのかは解らない。師が拒絶したものを弟子が受け入れるなど、本来はあってはならないことだろう。しかし綺礼は、そう思わずにいられなかった。


 この屋敷で三年に亘り続けられた時臣と綺礼の師弟関係は、どこまでも皮肉なものだった。


 綺礼の真摯な授業態度と吞み込みの速さは、師からしてみれば申し分のないものだったらしい。そもそも魔術を忌避して然るべき聖職者でありながら、あらゆるジャンルの魔術に対して興味を懐き、貪欲な吸収力でそれらの秘技を学んでいった綺礼の姿勢は、時臣を大いに喜ばせた。いまや時臣が綺礼に対して寄せる信頼は揺るぎなく、一人娘の凜にまで、綺礼に対して兄弟子の礼を取らせている程である。


 だが時臣の厚情とは対照的に、綺礼の内心は冷めていく一方だった。


 綺礼にしてみれば、なにも好きこのんで魔術の修練に没頭していたわけではない。永きに亘る教会での修身に何ら得るところのなかった綺礼は、それと正逆の価値観による新たな修業に、いくばくかの期待を託していただけのことだ。だが結果は無惨だった。魔術という世界の探究にも、やはり綺礼は何の喜びも見出せず、満足も得られなかった。心の中の空洞が、またすこし(けい)を拡げただけのことだった。

 そのような綺礼の落胆には、時臣は露ほども気づかなかったらしい。はたして『父の璃正と同類』という見立ては、ものの見事に的中した。時臣が綺礼に寄せる評価と信頼は、まさに璃正のそれと同質だった。


 なにも綺礼は誰にも認められないというわけではない。ただ、誰にも理解されなかっただけだ。かつて愛したはずの妻にも、この身を何よりも愛してくれているはずの父も、三年間の月日を共にし、魔術を享受してくれた時臣でさえ、誰一人として綺礼を理解するものはいなかった。

 これから付き合いを深めていけば、よもや理解してくれる人物が現れるだろうか? 自分でさえ理解できない己の内側に気づかせてくれるようなことがあるのだろうか? そのような希望も、近頃は吐き捨てるようになっていた。


 父や時臣のような人間と自分との間に引かれた、越えようのない一線。それを嫌というほど意識させられてきた綺礼は、だからこそ時臣の忌避する人物像というものに惹かれたのかもしれない。この衛宮切嗣という男は、あるいは“線のこちら側”に属する存在ではあるまいか、と。


 衛宮切嗣に対する時臣の警戒は、ひとえに“魔術師殺し”の異名に対するものだったらしい。そんな時臣の要請によって作成された調査書は、あくまで“対魔術師戦における戦闘履歴”に焦点が当てられ、それ以外の記述はきわめて簡素なものだった。


 だが、切嗣という男の遍歴を年代順に追っていくうちに、綺礼は、ある確信を得つつあった。


 この男の行動は、危険がすぎる。


 アインツベルンに拾われるより以前のフリーランス時代に、切嗣がこなした数々の任務。それらの間隔は明らかに短すぎた。準備段階や立案の期間まで考えれば、常に複数の計画を同時進行していたとしか思えない。さらにそれに並行して、各地の紛争地に出没しているが、よりによってそのタイミングが、戦況がもっとも激化し破滅的になった時期にばかり該当している。


 まるで死にに行くようなものだ。いや――死に場所を求めている、と形容したほうが適切だろうか。それほどまでに自滅的な行動原理。


 間違いなく言える。この切嗣という男に利己という思考はない。彼の行動は実利とリスクの釣り合いが完全に破綻はたんしている。これが金銭目当てのフリーランサーであるわけがない。


 では――何を求めて?


「……」

 気づけば綺礼は報告書を脇に退け、顎に手を添えて黙考に耽っていた。衛宮切嗣という人物の、余人には理解の及ばない苛烈な経歴が、綺礼には他人事には思えなかった。

 まるで、自分を見ているかのようだ。無心に戦いに明け暮れ、破滅を求めるかのように死に触れてきたこの衛宮切嗣という男は、言峰綺礼とまったく同種の人間であると、そう綺礼は確信した。


 ――自分ならば理解できる。狂信的なまでに物事に打ち込み、心の隙間を埋めるかのように休むことなく己の正体と戦い続けた綺礼だからこそ。


 そして、飽くことなく繰り返された切嗣の戦いは、九年前に唐突に幕を閉じる。聖杯を勝ち取る優秀な戦士を求めた、北の魔術師アインツベルンとの邂逅かいこう。


 つまり、そのとき彼は『答え』を得たのだ。


 ついに綺礼は、この冬木での聖杯戦争に臨む意義を見出せた。衛宮切嗣との邂逅――聖杯などというものに興味はない。が、それを求めて切嗣が九年の沈黙を破るとなれば、綺礼もまた万難を(はい)してそこに馳せ参じる意味がある。


 この男には問わねばならない。何を求めて戦い、その果てに何を得たのか。


 言峰綺礼は、是が非でも一度、衛宮切嗣と対峙しなければならない。たとえそれが互いの生死を賭した必滅の戦場であろうとも。



アサシン登場!!

封獣ぬえです。

最初は咲夜さんにしようかと思っていたんですが、ぬえという意見を貰って、参考にさせていただきました。


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