Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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せめて召喚までは進めたいです
託された願いと、届けられた遺物
冬の城の
ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。八代目当主の座を嗣いでからは『アハト』の通り名で知られている。延齢に延齢を重ね、すでに二世紀近い永きに亘って生き長らえながら、聖杯『探求』が聖杯『戦争』へと転換されて以降のアインツベルンを統べてきた人物である。
ユスティーツァの時代こそ知らない彼だが、以後の第二次聖杯戦争から、一度ならず二度までも大敗を喫してきたアハト翁にとって、今回の三度目のチャンスに臨んでの焦りは並々ならぬものだった。九年前、当時“魔術師殺し”の悪名を轟かせていた衛宮切嗣を、その腕前だけを見込んでアインツベルンに迎え入れたのも、老魔術師が勝利に逸るあまりの決断だった。
「かねてより探索させていた聖遺物が、今朝、ようやく届けられた」
氷結した滝を思わせる白髭の束を手でしごきながら、アハト翁は落ちくぼんだ眼窩(がんか)の奥の、まったく老いを窺わせない強烈な眼光で切嗣を見据えた。永らくこの古城に住まう切嗣だが、顔を合わせるたびに当主から浴びせられる偏執症めいたプレッシャーには、だいぶ以前から
老当主が手で示した祭壇の上には、仰々しく梱包された
「この品を媒介とすれば、『剣の妖怪』として、およそ考え得る限り最強のサーヴァントが招来されよう。切嗣よ、そなたに対するアインツベルンの、これは最大の援助と思うがよい」
「痛み入ります。当主殿」
固く無表情を装ったまま、切嗣は深々と頭を垂れた。
アインツベルンが開祖以来の伝統を破って外部の血を迎え入れたことを、聖杯は何の不思議もなく受け入れたらしい。衛宮切嗣の右手にはすでに八年も前から令呪が刻まれていた。まもなく始まる四度目の聖杯戦争に、彼はアインツベルン千年の悲願を背負って参戦するのである。
「今度ばかりは……ただの一人たりとも残すな。六のサーヴァント総てを狩りつくし、必ずや第三魔法、
『御意』
魔術師とホムンクルス、ともに運命を負わされた夫妻は、呪詛めいた激情を込めて発せられた老当主の勅命に、声を揃えて返答する。
だが内心において、切嗣はこの老いさらばえた当主の妄執に呆れはてていた。
成就……アインツベルンの頭首が万感の思いを込めるのは、ただその一言のみ。そう、もはやアインツベルンの精神には『成就』への執念しかないのだ。
魂の物質化という神の業。失われたとされるその秘技を求めて一千年……そんな気の遠くなるような放
浪のうち、彼らはすでに手段と目的とを履き違えるまでになっていた。
その永きに亘る探求が無益なものでなかったという確証を得たいがためだけに、ただ『それが在る』ことを確かめるためだけに聖杯を掴まんとするアインツベルン。彼らにとって、呼び出した聖杯が何のためのものであるかという目的意識は、もはや眼中にさえない。
――いいだろう。お望みの通り、あんたの一族が追い求めた聖杯はこの手で完成させてやる
アハト翁に劣らぬ熱を込めて、衛宮切嗣は胸の中で呟いた。
――だが、それだけでは終わらせない。万能の釜の力を
アハト翁の去った礼拝堂で切嗣とアイリスフィールは、当主に託された長櫃を開け、その中身に目を奪われていた。
「まさか、本当にこんなものを見つけてくるなんて……」
滅多なことでは動揺しない切嗣も、こればかりは感銘を受けたらしい。
日本刀、である。
黒い漆塗りの鞘に、目の覚めるような滑らかに煌く白銀の刃は、武具というより芸術作品として製造されたもののように思わせる。一切の飾りがない日本刀は、しかし一目で人ならざる者の手による工芸品であることを理解できる、それほどにまでに圧巻だった。
「信じられないな……これが異世界から迷い込んだとされる日本刀だって?」
「これ自体が宝具そのものですから。造られた意図は解らないけれど、これから感じられる圧力は、まさに別次元の物よ。聖遺物として召喚の媒介に使うまでもなく、これは魔法の域にある宝物だわ」
内張りの施されたケースの中から、アイリスフィールは漆黒の日本刀を恭しく手に取り、持ち上げる。
「物理的な切れ味はさることながら、すべての迷いを断ち切り、霊を成仏させる……もちろん、『本来の担い手』が使えばだけど」
「つまり、呼び出した妖怪に使わせれば、他のサーヴァントを還すことができるわけだな」
幻想の都より召喚される妖怪たちは、霊体として此方の世界に留まることになる。アイリスフィールの言うことが正しいのなら、霊である妖怪たちを切り捨てるだけで消滅させる、つまり倒せるということだ。
「サーヴァントが霊の状態なら、それも可能でしょうね。でもね、実体化しているサーヴァントは、あなたも知っている通りエーテル体。だから、切り捨てただけでは倒すことは不可能だわ」
「ああ……だから使いどころが難しい。いくら霊体だろうと、相手が同じサーヴァントである限り不意打ちなんて出来ない。
これで召喚されるサーヴァントが、アサシンでもない限り、ね」
父親や夫としてではなく、戦士としての側面を覗かせるとき、衛宮切嗣の横顔は限りなく冷酷になる。かつて、まだ夫の心の内を理解するより以前のアイリスフィールには、そんな切嗣が畏怖の対象だった。
早くも聖杯戦争の進行を模索し始める切嗣に内心苦笑しつつアイリスフィールは、脇差より少し長いくらいの日本刀を、長櫃に、静かに納めた。
「この刀からは、暖かいものが感じられる。きっとこれを造った人は、優しい
鞘を優しく撫でながら、彼女はそんな風に思った。全てを吸い込むかのように真っ黒な日本刀から発される『霊力』とも言うべき力は優しくて、これを抱えているだけで心が洗われるかのようだ。
それを全身で感じているアイリスフィールの隣では、ただ無心に思考に耽る夫の姿があった。
「どうしたの切嗣?」
「いやねアイリ、この
重たいため息を吐く切嗣に対しその妻は、彼の言うことがよく理解できなかったらしい。頭の上にハテナマークを浮かべて首を傾げていると、夫は苦笑して先を続けた。
「いくらこの宝具が霊を倒せるものだとしても、エーテル体という実体を持つサーヴァントは倒せないだろう?
さらに言うと、これによって召喚される妖怪はほぼ百パーセントセイバーのクラスだ。アサシンやキャスターのように自分の気配を遮断することも、霊体の敵を絡めとる魔術だって使えやしない」
「そんな不都合を好機に変える――そんなあなたにこそ、この刀は相応しいと――それが大お爺様の判断なのね」
「果たして、そうなんだろうか?」
切嗣は明らかに不満げだった。手を尽くして用意させた聖遺物に対する、これが婿養子の反応だと知ったなら、アハト翁は怒りに言葉を失っていただろう。
「大お爺様の贈り物が、ご不満?」
切嗣の
「まさか。ご老体はよくやってくれた。他にこれほどの切り札を手にしたマスターはいないだろうさ」
「じゃあ、何がいけないの?」
「これだけ『
本来ならば、サーヴァントの召喚に際しては、招き寄せられる妖怪の質はマスターの精神性によって大きく左右される。召喚する妖怪を特定しなければ、原則的には召喚者の性格と似通った魂の持ち主が呼び出されることになる。だが聖遺物による
「……つまりあなたは、『半人半霊』との契約に不安があるのね」
「当然だろう。半人半霊だかなんだか知らないが、こいつが剣士である以上、武士道なり騎士道なりといったような信念を持ち合わせているはずだ。
僕からしてみればそれは邪魔なものでしかない。おそらくは、いや、絶対に反発しあうことになるだろうね」
やや冗談めかした風に、切嗣は酷薄な笑みを浮かべた。
「正面切っての決闘なんて僕の流儀じゃない。それがバトルロイヤルともなれば尚更だよ。狙うとしたら寝込みか背中だ。時間も場所も選ばずに、より効率よく、確実に仕留められる敵を討つ。……辻斬りでもない限り、そんな戦法に剣士サマが付き合ってくれるとは思えないからね」
アイリスフィールは黙して、曇り一つない黒の日本刀に見入る。
確かに切嗣はそういう戦士だ。勝利のためにはどんな手段も
「……でも、惜しいんじゃなくて? 『楼観剣』『白楼剣』の担い手ともなれば、間違いなく『セイバー』のクラスとしては最高のカードよ」
そう。
この漆黒の日本刀こそは、妖怪の鍛えたる楼観剣と対を成す白楼剣。冥界の姫君を護り戦う、剣術指南役兼庭師・魂魄妖忌の宝具に他ならない。
「そうだな。ただでさえ『セイバー』は聖杯が招く七つの
問題はね、その最強戦力をどう使いこなせばいいのか、なんだ。正直なところ、扱い易やすさだけで言うなら『キャスター』か『アサシン』あたりの方が、よほど僕の性に合ってたんだけどね」
そのとき――聖域として最大限の効力をもたらすように設計された礼拝堂に全く似つかわしくない、軽薄な電子音が、二人の会話に割り込んだ。
「ああ、ようやく届いたか」
礼拝堂の長椅子の上に無造作に置かれたラップトップ式のコンピューターは、まさに手術台の上のミシンの如き珍奇な組み合わせだった。
由緒正しい魔導の家門の常として、科学技術にまるで利便性を見出さないのはアインツベルンも例外ではない。アイリスフィールの目には卦体(けったい)きわまりなく映るこの小さな電算機は、切嗣個人が城に持ち込んだ私物である。こういう機具の使用に抵抗感を持たない魔術師というのはそれだけで希有(けう)な存在だが、切嗣がまさにその一人だった。かつて彼が城に電話線と発電機を設けるよう要求した折は、老当主と
「……何なの? それ」
「ロンドンの時計塔に潜り込ませていた連中からの報告だ。今度の聖杯戦争のマスターについて、調べさせていたんでね」
コンピュータを膝に乗せ、慣れた手つきでキーボードを操作し、新着の電子メールを液晶ディスプレイに表示した。それが『インターネット』と称する、近頃、都市部で普及しはじめた新技術によるものだという説明は、アイリスフィールも聞いたことがあったが、彼女には夫の丁寧な説明でさえ一割程度も理解できずにいた。
「……ふむ、判明したのは四人まで、か。
遠坂からは、まぁ当然ながら今代当主の遠坂時臣。『火』属性で宝石魔術を扱う手強(てごわ)い奴だ。
間桐は間桐で、当主を継がなかった落伍者を強引にマスターに仕立てたらしい。無茶をする……あそこの老人も必死だな。
外来の魔術師には、まず時計塔から一級講師のケイネス・エルメロイ・アーチボルト。ああ、こいつなら知っている。『風』と『水』の二重属性を持ち、降霊術、召喚術、錬金術に通ずるエキスパート。今の協会では筆頭の花形魔術師か。厄介やっかいなのが出てきたもんだ。
それと、聖堂教会からの派遣が一人……言峰綺礼。もと『第八』の代行者で、監督役を務める言峰璃正神父の息子。三年前から遠坂時臣に師事し、その後に令呪を授かったことで師と決裂、か。フン、何やらキナ臭い奴だな」
言峰綺礼――妙に引っかかる男だ。元々は魔術の素養はないらしいが、この三年間で得た経験と力量はハンパなものではないらしい。どれほど苛烈なまでの修行に勤しんだのか……ますます不信感が募るのは、彼の経歴だった。
マンレーサの聖イグナチオ神学校を卒業……二年飛び級で、さらに首席という人物。このまま行けば
それが父親である言峰璃正の影響ならば、彼は何故、父と同じ部署に落ち着く前に転々と三度も所属を替えて、一度は『代行者』にまで任命されるようなことをしたのだろうか。遠回りにも程がある。
代行者。
それは聖堂教会においてもひときわ
それを言峰綺礼は、まだ十代のうちに就任したのだ。生半可な努力や根性でできるものではない。
そして、対立しあう聖堂教会から、魔術協会への転属。
魔術協会への出向など、信仰に潔癖であれば無理な相談だ。いちおう聖堂教会からの辞令だったらしいが、教義そのものより組織に対して忠義を誓っていたのかもしれない。だとしても、ここまで本気で魔術に打ち込む理由はないはずだ。
遠坂時臣が魔術協会に提出した、綺礼に関する報告。
修得したカテゴリーは練金、降霊、召喚、
「……ねぇあなた。たしかにこの綺礼というのは変わり者のようだけれど、そこまで注目するほどの男なの? 色々と多芸を身につけてるみたいだけれど、格別に際立ったものは何もないじゃない」
「ああ、そこがますます引っかかるんだよ」
解せない様子のアイリスフィールに、切嗣は根気よく説明した。
「この男は何をやらせても『超一流』には到らない。天才なんて持ち合わせていない、どこまでも普通な凡人なんだよ。そのくせ努力だけで辿り着けるレベルまでの習熟は、おそろしく速い。おそらく他人の十倍、二十倍の鍛錬をこなしてるんだ。そうやって、あと一歩のところまで突き詰めて、そこから何の未練もなく次のジャンルに乗り換える。まるでそれまで
「……」
「誰よりも激しい生き方ばかりを選んできたくせに、この男の人生には、ただの一度も“情熱”がない。こいつは――きっと、危険なヤツだ」
切嗣はそう結論づけた。その言葉の裏に秘められた意味を、アイリスフィールは知っている。
彼が『厄介だ』と言うときには、敵を疎んじてはいても、実のところ脅威とまでは見なしていない。そういう敵に対する対処も勝算も、すでに切嗣の中では八割方完成している。だが『危険だ』というコメントは……衛宮切嗣という男が本気で牙を剥くべき相手と見込んだ場合にだけ、贈られる評価なのだ。
言峰綺礼という男はきっと何も信じていない。ただ答えを得たい一心であれだけの遍歴をして、結局、何も見つけられなかった……そういう、底抜けに虚(うつ)ろな人間だ。こいつが心の中に何か持ち合わせているとするなら、それは怒りと絶望だけだろう。
正直、遠坂時臣やロード・エルメロイよりも、この男が恐ろしい。
この男の中身は徹底して空虚だ。願望と呼べるようなものは何ひとつ持ち合わせないだろう。そんな男が、どうして命を賭してまで聖杯を求める?
もしそれが聖堂教会の意向であるのなら、たかだかその程度の動機しかない人間に、聖杯は令呪を授けない。
「こんな虚ろな、願望を持ち合わせていない人間が、聖杯を手にしたらどうなると思う?
この男の生涯は絶望の積み重ねだけで出来ている。願望機としての聖杯の力を、その絶望の色で染め上げるかもしれない」
暗い感慨に耽る切嗣を、アイリスフィールは戒める意味で、力強くかぶりを振った。
「私の預かる聖杯の器は、決して誰にも渡さない。聖杯の満たされる時、それを手にするのは――切嗣、あなただけよ」
アインツベルンの長老が、ただ聖杯の完成だけを悲願とするのであろうとも……若い二人には、その先にこそ叶えるべき願いがある。夢がある。
切嗣はラップトップコンピューターの蓋を閉じ、アイリスフィールの肩を抱き寄せた。
「どうあっても、負けられないな」
彼の妻たる女は、いま自らの家門の悲願より、夫たる男と志を同じくしている。その事実は深く切嗣の心に響いた。
「……策が閃(ひらめ)いたよ。最強のサーヴァントを、最強のままに使い切る方法が」
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