Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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プロローグⅤ


 聖杯は、魔術協会の総本部、『時計塔』からもマスターを選抜していた。


 九代を重ねる魔導の名家アーチボルトの嫡男(ちゃくなん)――名を、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトと言う。


「魔術の世界では、血筋によって優劣が(おおむ)ね決定されてしまう。
 なぜか?
 魔術の秘法は一代で成せるものではなく、親は生涯を通じた鍛錬の成果を子へと引き継がせるためである。代を重ねた魔導の家紋ほど権威を持つのはそのためだ」


 場所はロンドン『時計塔』

 魔術協会の運営する魔術師育成のための学府の、とある教室で、本日二つ目の講義が始まろうとしていた。

 およそ一〇〇の生徒が耳を傾ける中、金髪をオールバックにした男性が教卓の前で話している。その中で、ひときわ胸を高まらせている少年が一人。


「何故こんな初歩的な話から始めるかというと、先日、一人の生徒が私のもとに論文を提出してきたからだ」


 講師は懐からホチキスで閉じられた紙の束を取り出し、生徒達に見せ付けるようにする。

 その姿を見咎めた生徒の中で、先ほどまで高鳴っていた胸の鼓動がさらに早くなったことを感じた少年は、きゅっと口を結んだ。


「タイトルは『新世紀に問う魔導の道』。この論文は今、私が話した通説に一石を投じるものだ。
 術式に対するより深い理解と、より手際の良い魔力の運営が出来るなら、生来の素養の差など如何様(いかよう)にも埋め合わせが利く――」
 内容の説明に、生徒たちがざわめき始める。


「つまり、血の浅い者であっても、一流の魔術師になれると説いている」


 確信を衝く一言に、ざわめきはさらに大きくなった。その中で、少年は少し、優越感の様なものを感じていた。


「私はこの論文を読んで、正直、思い知らされた」


 大きくなりすぎた喧騒の声を講師は制し、言葉を続ける。


「はっきり言おう。これに書かれていることはすべて妄想に過ぎない」


 言い放ち、講師は紙の束を机に叩きつけた。この音に驚いた生徒たちは会話する声を止め、彼を見る。

 少年は優越感などどこへやら、一瞬にして胸が締め付けられるような痛みを感じた。


「魔術の優劣は、血統の違いで決まる。これは覆すことの出来ない事実である」


 耐え切れなくなった少年は机を叩いて立ち上がり、男性講師を睨みつける。


「ウェイバー・ベルベットくん。私の学生の中に、このような妄想を抱くがいたとは……実に嘆かわしい」

「先生……ボクは、いまの旧態依然とした魔術協会への問題提起として――」

「ウェイバーくん。君の家は確か、魔術師としての血統がまだ三代しか続いていなかったね」


 瞠目するウェイバー・ベルベットに、男性講師は不適に笑って、こう告げた。


「魔術協会の歴史から見れば、君の家はまだ生まれたばかりの赤ん坊にも等しい。親に意見する前に、まず言葉を覚えるのが先じゃないかな?」



「ばかにしやがって、バカにしやがって馬鹿にしやがって!」

 人々の嘲笑う声から逃げるように教室を飛び出し、ウェイバーは忌々しげにごちた。


 仮にも講師職を務めるほどの才を持つのであれば、彼の論文の意味を理解できないはずがない。いや、理解できたからこそあの男は妬いたのだろう。ウェイバーの秘めたる才能を畏怖し、嫉妬し、それが自らの立場を危うくしかねない脅威だと思ったからこそ、あんな蛮行に及んだのだ。よりにもよって――智の大成たる学術論文を破り捨てるなど、それが学究の徒のやることだろうか。


「だからみんなの前で……って、うわあっ!?」


 怒りのやりどころをなくした気持ちで廊下を歩いていると、何かにつまづいた。愚痴ることにそれほど熱心だったのだろうか、目の前に歩いてきていた管財課の青年に気づかなかったようだ。そして、彼の押す台車につまづいた、と。

 自分も悪かったが、相手もよく前を見ていなかったのではないか? そういった苛立ちがウェイバーの心をさらに荒ませていった。


「あ、ああ、すまないね……大丈夫かい?」


 かけられた声は穏やかで、文句を言ってやろうと決めていたにもかかわらず、ウェイバーは普通の応対をしてしまう。


「あ……い、いえ」

「お。君は降霊科の学生か? 講義はどうした」

 ――まずい……


 授業から逃げ出したことがバレると面倒なことになる。あの講師は自分のことになど気にもかけないだろうからいいとして、他に人にバレるのはまずい。


「あ、その……アーチボルト先生に用事を頼まれちゃって」

「そうか、ならちょうどいい。これをアーチボルト先生に渡しておいてくれるか」


 管財課の青年は、頼むよ、とだけ言って、台車の荷物を運びながらその場を去った。

 一般の郵便ともども弟子のウェイバーに取り次ぎを託されたソレは、本来ならばケイネス本人の立ち会いのもと開封されるよう厳命されていたはずの特別な配送だった。

 それが聖杯戦争におけるサーヴァント召喚のための触媒(しょくばい)であると、ウェイバーはすぐに気がついた。そのとき彼は、まさに千載一遇(せんざいいちぐう)の好機を得ていたのだ。


 もはや腐敗しきった時計塔に未練はなかった。首席卒業生のメダルの輝きも、冬木の聖杯がもたらすであろう栄光に比べればゴミのようなものである。ウェイバー・ベルベットが戦いに勝利したとき、魔術協会の有象無象(うぞうむぞう)は彼の足許にひれ伏すことになるだろう。


 その日のうちにウェイバーはイギリスを後にし、一路、極東の島国へと飛んだ。時計塔でも、誰がケイネス宛ての荷物を奪ったのかはすぐに判明したことだろうが、それでも追っ手がかかるようなことはなかった。ウェイバーが聖杯戦争に関心を持っていたことは誰にも知られていなかったし、またこれはウェイバーの知らなかった事実だが、ウェイバー・ベルベットという生徒の器からすれば、せいぜいが恥辱の腹いせにケイネスの荷を隠匿する程度が関の山であろう、というのが大方の共通認識であった。まさか、かの劣等生が死を賭した魔術勝負に参加するほどの身の程知らずであろうとは誰も予想だにしなかったのだ。その点において、たしかに時計塔の面々はウェイバーという人物をまだまだ(あなど)りすぎていた。

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