Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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プロローグⅣ



「落伍者がおめおめと……その(つら)、もう二度とワシの前に晒すでないと、たしかに申しつけた筈だがな。雁夜」


 玄関先で繰り広げられた、ささやかながらも剣吞(けんのん)な押し問答の末、ほどなくして雁夜は勝手知ったる間桐邸の中で、応接間のソファに腰を据えていた。


 雁夜と差し向かいに座りながら、冷たく憎々しげに言い捨てる矮躯(わいく)の老人は、一族の家長たる間桐臓硯だ。頭の先から全身を木乃伊(ミイラ)と見紛うほどに(しな)びていながら、それでいて落ちくぼんだ眼下の奥の光だけはギラギラと精気を(たた)えた、容姿から風格から尋常ならざる怪人物である。

 実のところ、この老人の正確な年齢は雁夜にも定かでない。ふざけたことに戸籍上の登録では彼が雁夜たち兄弟の父親ということになっている。だがその曾祖父にも、さらにその三代前の先祖にも、臓硯という名の人物は家系図に記録されていた。この男がいったい何代に亘わたって間桐家に君臨してきたのかは知る由もない。

 語るもおぞましい手段によって延齢に延齢を重ねてきた不死の魔術師。雁夜が忌避する間桐の血脈の大本たる人物。現代に生き残る正真正銘の妖怪が彼だった。


「遠坂の次女を迎え入れたそうだな」

可々(カカ)。耳の早い」


 彼の心情を理解したような口調で嘲笑(あざわら)う老魔術師だが、それで煽られるような雁夜ではない。

 いま相対しているのが冷酷無比かつ強大な魔術師であることは、雁夜とて重々承知していた。だが()じる気持ちは毛頭ない。雁夜が生涯を通じて憎み、嫌悪し、侮蔑(ぶべつ)してきたすべてを体現する男。たとえこの男に殺されるとしても、雁夜は最後まで相手を(さげす)み抜く覚悟を固めていた。すでに一〇年前の対決からして、そういう気概で臨んだからこそ、雁夜は掟破りの離反者として間桐を離れ、自由を得ることができたのだ。


「そんなにまでして間桐の血筋に魔術師の因子を残したいのか?」

 詰問調の雁夜に、臓硯は忌ま忌ましげに眉をひそめる。

「それを(なじ)るか? 他でもない貴様が? いったい誰のせいでここまで間桐が零落したと思っておる?
 雁夜……おぬしが素直に家督を受け継ぎ、間桐の秘伝を継承しておれば、ここまで事情は切迫せなんだ。それを貴様という奴は……」

 苛立ちを隠すこともなくまくし立てる臓硯の剣幕を、しかし雁夜は鼻を鳴らして一蹴する。

「茶番はやめろよ吸血鬼。あんたはあんた自身の不老不死を叶えるために、聖杯を欲しているだけだろう」


 そう雁夜が言い当てた途端、臓硯はそれまでの怒気を噓のように収めて、ニヤリと口元を歪める。およそ人間らしい情緒など欠片も窺えない、それは怪物の笑みだった。


「六〇年の周期が来年には巡り来る。だが、四度目の聖杯戦争には、間桐から出せる駒がない。貴様はまだしも、兄の鶴野(びゃくや)程度では、サーヴァントを御しきれぬ。
 では此度(こたび)の闘いは見送りにして、次の六〇年後の闘いには勝算がある。遠坂の娘の胎盤からは、さぞ優秀な術者が生まれ落ちるであろう。アレはなかなか器うつわとして望みが持てる」


 遠坂桜の幼い面影を、雁夜は(まぶた)の裏に思い出す。


 姉の凜よりも奥手で、いつも姉の後について迴っていた、か弱い印象の女の子。魔術師などという残酷な運命を背負わされるには、あまりにも早すぎる子供。

 湧き上がる怒りを飲み下し、雁夜はつとめて平静を装う。

 今ここで臓硯と相対しているのは交渉のためだ。感情的になって益になることは何もない。


「――そういうことなら、聖杯さえ手に入るなら、遠坂桜には用はないわけだな?」

「おぬし、何を企たくらんでいる?」

「取引だ、間桐臓硯。俺は次の聖杯戦争で間桐に聖杯を持ち帰る。それと引き換えに遠坂桜を解放しろ」

 臓硯は一呼吸の間だけ呆気に取られ、それから侮蔑も露わに失笑した。

「馬鹿を言え。今日の今日まで何の修業もしてこなかった落伍者が、わずか一年でサーヴァントのマスターになろうだと?」

「それを可能にする秘術が、あんたにはあるだろう。あんたお得意の蟲(むし)使いの技が」


 そうして雁夜は、切り札として用意していた一言を告げた。


「俺に『刻印虫(こくいんちゅう)』を植えつけろ。この身体は薄汚い間桐の血肉で出来ている。他家の娘なんかよりはよほど馴染みがいいはずだ」


 臓硯の(おもて)から表情が消え、人ならざる魔術師の顔になる。


「雁夜――死ぬ気か?」


「間桐の執念は間桐で果たせばいい。無関係の他人を巻き込んでたまるか。まさか心配だとは言うまいな、お父さん(・・・・)


 雁夜が本気なのは、臓硯も理解したらしい。魔術師は冷ややかに値踏みする眼差しで雁夜を眺めながらも、ふむ、と感慨深げに息をつく。


「しかし雁夜、巻き込まずに済ますのが目的ならば、いささか遅すぎたようじゃのう?」


 やにわに襲いかかってきた絶望が、雁夜の胸を押し潰す。


「爺ィ……まさか――」


 その絶望は、臓硯に通された地下の大空間でさらに大きく膨れ上がって雁夜の肺を押しつぶさんとする。

 ザワザワとざわめき、ギチギチと(うご)めく音が耳に衝く。あまりの恐ろしさと屈辱に震える雁夜の視線の先では、黒髪の少女が裸の状態で横たわっている。


 少女の頭は力なく揺れ、身体を這いずり回る無数の蟲(むし)に対して声を上げることもない。感情を閉ざした虚ろな瞳は焦点が合わず、ただ無心に石造りの天井を眺めている。


「初めの三日は、そりゃあもう散々な泣き(わめ)きようだったがの、四日目からは声も出さなくなったわ。今日などは明け方から蟲蔵に放り込んで、どれだけ保つか試しておるのだが、ホホ、半日も蟲どもに(なぶ)られ続けて、まだ息がある。なかなかどうして、遠坂の素材も捨てたものではない」


「さ、くら……!!」


 血相を変えて階段を降り、蟲共に嬲られ続ける少女のもとに駆け寄ろうとする雁夜に、臓硯は冷やかな声のまま続ける。


「さて、どうする? 頭から爪の先まで蟲どもに犯されぬいた、壊れかけの小娘一匹。それでもなお救いたいと申すなら、考えてやらんでもない」

「……異存はない」
 静かに怒りを抑えこみ、雁夜は射殺す視線で老魔術師を睨みつける。



「だがな、貴様が結果を出すまでは、引き続き桜の教育は続行するぞ」
 カラカラと(わら)う老魔術師の上機嫌は、雁夜の怒りと絶望を(もて)あそぶ愉悦によるものだった。


「ワシの本命はあくまで次々回の機会じゃ。
 それでも万が一、貴様が聖杯を手にするようならば――そのときは無論、遠坂の娘は用済みじゃ。アレの教育は一年限りで切り上げることになろうな」


「……二言はないな? 間桐臓硯」


「そうさな、まずは一週間、蟲どもの苗床になってみるが良い。それで狂い死にせずにおったなら、おぬしの本気を認めてやろうではないか」
 臓硯は杖に寄りかかって大儀そうに腰を上げながら、いよいよ持ち前の邪悪さを剝き出しにした人外の微笑を雁夜に向けた。


 ひとたび体内に蟲を入れれば、彼は臓硯の傀儡(かいらい)となる。もうそれきり老魔術師への反逆は叶わない。だがそれでも、魔術師の資格さえ手に入れたなら、間桐の血を引く雁夜はまず間違いなく令呪を宿す。

 聖杯戦争。遠坂桜を救済する唯一のチャンス。生身のままの自分では決して手の届かない選択肢。

 その代価として、おそらく雁夜は命を落とすだろう。他のマスターに仕留められずとも、わずか一年という短期間のうちに刻印虫を育てるとなれば、蟲に食い(むしば)まれた雁夜の肉体には、ほんの数年の余命しか残されまい。


 だが、構わない。


 雁夜の決断は遅すぎた。もし彼が一〇年前に同じ覚悟を決めていたならば、葵の子供は母親の元で無事に暮らしていただろう。かつて彼の拒んだ運命が、巡り巡って、何の(とが)もない少女の上に降りかかったのだ。

 それを償う術はない。贖罪(しょくざい)の道があるとすれば、せめて少女の未来の人生だけでも取り戻すことしかない。


 加えて、聖杯を手にするために、残る六人のマスターを悉(ことごと)く殺し尽くすというのであれば……


 桜という少女に悲劇をもたらした当事者たちのうち、少なくとも一人については、この手で引導を渡してやれる。


 ――遠坂、時臣……


 始まりの御三家の一角、遠坂の当主たるあの男の手にもまた、間違いなく令呪が刻まれていることだろう。


 葵への罪の意識とも、臓硯への怒りとも違う、今日まで努めて意識すまいとしていた憎悪の堆積(たいせき)


 (くら)い復讐の情念が、間桐雁夜の胸の奥で埋火(うずみび)のように静かに燃えはじめていた。


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