Fate/Project Zero (西行寺幽子)
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本文のままが多いですがちょっとづつ変化しています



プロローグⅡ

 この世界のどこかに、全てを赦し受け入れる、幻想とも呼ぶべき世界があるとされる。


 世界から虐げられ、邪険に扱われた者たちの闊歩する世界。それが、すべての魔術師の悲願とされる『根源の渦』……万物の始まりにして終焉、この世のすべてを記録し、この世のすべてを創造できるとされる幻想の都である。


 そんな『内なる世界のさらに内側』へと到る試みを、およそ二〇〇年前、実行に移した者たちがいた。


 アインツベルン、マキリ、遠坂(とおさか)。始まりの御三家と呼ばれる彼らが企てたのは、あらゆる伝承にて語られる『聖杯』の再現だった。あらゆる願望を実現させるという聖杯の召還を期して、三家の魔術師は互いに秘術を提供しあい、ついに『万能の釜』たる聖杯を現出させる。


 ……だが、その聖杯が叶えるのはたった一人の祈りのみ、という事実が明らかになるや否や、協力関係は血で血を争う闘争へと形を変えた。


 これが『聖杯戦争』である。


 以来、六〇年に一度の周期で、聖杯はかつて召還された極東の地『冬木』に再来する。そして聖杯は、それを手にする権限を持つ者として七人の魔術師を選抜し、その膨大な魔力の一部を各々に分け与えて、『サーヴァント』と呼ばれる妖怪召還を可能とさせる。七人のいずれが聖杯の担い手として相応しいか、死闘をもって決着させるために。


 ――これが要約した、聖杯戦争のシステム。


「君の右手に(あらわ)れた紋様は『令呪』と呼ばれる。聖杯に選ばれた証、サーヴァントを統べるべくして与えられた聖痕だ」
 滑らかに、だがよく通る声でそう説明を続ける人物は、右手の甲に在る紋様を見せた。静かな水面に投石し、そうして生まれた波紋のような形状の、三画の令呪。

 三画から成される紅い紋様は人によって異なり、言峰綺礼(ことみねきれい)の右手に現れたものは、激しく沸き立つ水面に映る満月のようだった。


 そう。また一人、聖杯に選ばれた魔術師が世界に生まれたのだ。


 綺礼は魔術師と敵対する『聖堂教会』に属しており、彼自身、なぜ自分が選ばれたのか理解できないでいた。右手に現れた令呪を父に見せたところ、父は一人の人物を男に紹介した。


 名を、遠坂時臣(とおさかときおみ)と言う。


 年齢は自分とはあまり違わないものの、彼の纏う空気はそれ以上の存在に感じさせている。ワインレッドのスーツに身を包み、優雅な立ち振る舞いで彼に以上のことを説明すると、ラウンジチェアに腰を落ち着かせた。ヨーロッパのある小高い丘の一等地に建てられた瀟洒(しょうしゃ)なヴィラの一室には、いま三人の男がラウンジチェアに腰を落ち着けている。


 綺礼と時臣、そして二人を引き合わせ、この階段を取り持ったの神父、言峰璃正(りせい)……綺礼の実の父親である。

 近々八〇に手が届こうという父の友人にしては、この遠坂という風変わりな日本人は若すぎた。日本でも有数の名家らしく、その風采や貫禄は堂に入ったものだ。しかし何より驚かされたのは、彼が出会い頭に何の気負いなく自らが『魔術師』であると名乗ったことだ。


 魔術師という言葉そのものは奇異ではない。綺礼もまた父と同じ聖職者であったが、彼ら親子の職分は世間一般に知られる神父とは大きくかけ離れたものだ。綺礼たちの属する『聖堂教会』は、教義の埒外にある奇跡や神秘を、異端の烙印とともに駆逐し葬り去る役を負う。つまりは、魔術などという涜神(とくしん)行為取り締まる立場にある。

 魔術師は魔術師で結託して『魔術協会』を設立し、聖堂教会の脅威に対抗している。現在、両者の間には取り決めが交わされていて、仮初めの平和を保っている。それにしても、聖堂教会の神父と魔術師とが一堂に集っての狭義とは、本来ならば有り得ない状況であろう。


 父、璃正の話のよれば、遠坂家は魔術師の一門でありながら古くから教会とも縁故のある家柄だという。


 右手の甲に三つの紋様型の痣が浮かんだことに、綺礼が気づいたのは昨夜のことだ。父に相談したところ、璃正は翌日早々に息子を若き魔術師に引き合わせた。

 以後、挨拶も早々に時臣が綺礼に語り聞かせたのは、先のような『聖杯戦争』なる秘談についての解説である。綺礼の手に浮かんだ痣の意味……すなわち、三年後に巡り来る四度目の聖杯の出現に際して、綺礼もまた奇跡の願望機を求め争う権利を得たのだという事情。

 戦え、という要請には何の抵抗もない。聖堂教会での綺礼の役目は、実地における直接的なな異端排除、つまりはれっきとした戦闘員である。魔術師を相手に生死を賭すのは彼の本分と言ってもいい。むしろ問題なのは、魔術師同士の抗争である聖杯戦争に、聖職者である綺礼までもが『魔術師』として参加しなければならないという矛盾だ。


「聖杯戦争の実態は、サーヴァントを使い魔として使役する戦いだ。よって勝ち残るためには召喚師としてそれなりの魔術の素養が必要になる。……本来なら、聖杯がサーヴァントのマスターとして選ぶ七人は、いずれもが魔術師であるはずなのだが。君のように魔術と縁のない者が、これだけ早期に聖杯から見初みそめられるというのは、きわめて異例のことだろうな」


「聖杯の人選には、序列があるのですか?」

 いまだ納得しきれない綺礼の問いに、時臣は頷く。

「先に話した『始まりの御三家』――今は間桐(まとう)と名を変えたマキリの一門と、アインツベルン、それに遠坂の家に連なる魔術師には、優先的に令呪が授けられる。つまり……」

 時臣は右手に刻まれた令呪をもう一度、綺礼に示す。

「遠坂においては今代の当主である私が、次の戦いに参加する」


 ではこの男は、こうも懇切丁寧(こんせつていねい)に綺礼を先導しておきながら、遠からず彼と矛を交えるつもりなのだろうか? 解せない話ではあるが、綺礼は順を追って質問していくことにした。


「先程から仰有(おっしゃ)っているサーヴァントというのは、いったい何でしょうか。妖怪を召喚して使い魔にする、というのは……」

「信じがたい話だとは思うが、事実だ。それがこの聖杯の目を見張るべき点と言えるだろうな」


 すべての魔術師が目指し、到ろうとする幻想の都。そこにはこの世界より拒絶され、人々の記憶から消え去った者たちがいる。幻想の都では、絶大な力を持ち、その世界を平和たらしめている存在――それが、彼らの言う『妖怪』だ。ひとくちに妖怪と言っても、それは魔術師たちがごく普通に使い魔とするような魑魅魍魎(ちみもうりょう)怨霊(おんりょう)とは格が違う。いわば神にも等しい存在だ。その力の一部を招来して借り受ける程度のことは出来たとしても、彼らを使い魔としてこちらの世界に招き入れ使役するなど、尋常に考えれば有り得ない話である。


「そんな不可能を可能とするのが聖杯の力、と考えれば、アレがどれほど途方もない宝具か解るだろう。サーヴァントの召喚も、あくまで聖杯の力のほんの一欠片でしかないのだから」


 そう語っている自分自身が呆れ果てたと言わんばかりに、遠坂時臣は深く吐息をついてかぶりを振った。


「我らが目指すべき世界より、妖怪は召喚される。七人の妖怪はそれぞれ七人のマスターに従い、おのがマスターを守護し、敵であるマスターを駆逐する。……あらゆる種族、あらゆる妖怪の具現が現世(こちら)に蘇り、覇を競い合う殺し合い。それが冬木の聖杯戦争なんだ」

「……そんな大それたことを? 何万人もの住民がいる人里で?」


 すべての魔術師は、自らの存在を秘匿とするのが共通の理念である。科学が唯一普遍の原理として信仰されるこの時代においては、まったく当然の配慮であろう。それを言うなら聖堂教会とて、決してその存在が公(おおやけ)になることはない。

 だが妖怪ともなれば、ただ一人だけでも大災害をもたらすほどの威力を秘めている。その現身(うつしみ)とも言えるサーヴァントを七体、人間の闘争の道具として激突させるというのは……それはもはや、大量殺戮(さつりく)兵器を駆使した戦争と大差ない。


「――むろん、対決は秘密裏に行うというのが暗黙の掟だ。それを徹底させるための監督も用意される」

 それまで沈黙を守っていた綺礼の父、璃正神父が、ここにきて口を挿(はさ)んだ。


「六〇年おきの聖杯戦争は、今度で四回目。すでに二度目の戦いの時点で、日本の文明化は始まっていたからな。いかに極東の僻地へきちとはいえ、人目を気にせず大破壊を繰り返すわけにもいかない。
 そこで、三度目の聖杯戦争からは我ら聖堂教会から監督役が派遣される取り決めになった。聖杯戦争による災厄を最小限に抑え、その存在を隠蔽し、そして魔術師たちには暗闘の原則を遵守させる」


「魔術師の闘争の審判を、教会が務めるのですか?」


「魔術師同士の闘争だからこそ、だ。魔術協会の人間では、どうしても派閥のしがらみに囚とらわれて公平な審判が務まらない。協会の連中とて、外部の権威に頼るしか他になかったわけだ。
 それに加えて、そもそもの発端が聖杯の名を冠された宝具とあっては、我ら聖堂教会も黙ってはいられない。それが神の御子(みこ)の血を受け止めた本物(・・)である可能性も無視できないからな」


 綺礼と璃正は、父子ともども第八秘蹟会(ひせきかい)というセクションに籍を置いている。聖堂教会のなかでも聖遺物の管理、回収を任務とする部門である。聖杯と呼ばれる秘宝は数々の民話や伝承に現れるが、中でも教会の教義において、『聖杯』の占める比重はひときわ大きい。


「君の御父上には前回の第三次聖杯戦争に引き続き、三年後の第四次聖杯戦争でも冬木の地で私たちの戦いを見守っていただくことになる」


 時臣の言葉に、綺礼は首を傾げるしかなかった。


「待ってください。聖堂教会からの監督役とは、公平を期すための人選ではないのですか? その肉親が聖杯戦争に参加するというのは問題なのでは……」

「そこはそれ。まあルールの盲点といったところか」

 堅物の父にしては珍しい、含みのある微笑が、綺礼には()に落ちなかった。


「言峰さん、息子さんを困らせてはいけない。そろそろ本題に入りましょう」


 遠坂時臣が、意味ありげな言葉で老神父に先を促す。

「フム、そうですな。――綺礼、ここまでの話は全て、聖杯戦争を巡る『表向きの』事情に過ぎん。今日、こうして儂がお前と遠坂氏を引き合わせた理由は他にある」


「……と、言いますと?」


「実のところ、冬木に顕れる聖杯が『神の御子の』聖遺物とは別物だという確証は、とうの昔に取れている。冬木の聖杯戦争で争われるのは、あくまで理想郷(ユートピア)における万能の釜のコピーでしかなく、魔術師たちのためだけの宝具にすぎない。我々教会とは縁もゆかりもない代物だ」


 さもありなん。でなければ聖堂教会が『監督役』などという大人しい役目に甘んじているわけがない。『聖遺物の』聖杯が懸かかっているとなれば、教会は休戦協定を反故ほごにしてでも魔術師たちの手からそれを奪い取ることだろう。


「聖杯が、本来の目的通り『根源の渦』へと到るためだけの手段として用いられるのなら、これは別段、我ら聖堂教会の関知するところではない。魔術師たちが『根源』に向ける渇望は、とりたてて我らの教義に抵触するわけでもないからな。
 ――が、だからといって放置するには、冬木の聖杯は強大に過ぎる。なにせ万能の願望機だ。好ましからざる輩の手に渡れば、どんな災厄を招くか知れたものではない」


「それなら、異端として排除すれば――」


「それもまた困難だ。この聖杯に対する魔術師たちの執着は尋常ではない。真っ向から審問するとなれば、魔術協会との衝突も必至だろう。それでは犠牲が大きすぎる。
 むしろ次善の策として、冬木の聖杯を『望ましい者』に託たくせる道があるのなら、それに越したことはないわけだ」

「……成る程」
 綺礼にも、この会見の真意が徐々にのみ込めてきた。なにゆえ父が魔術師である遠坂時臣と交流があったのかについても。


「遠坂家はな、かつて祖国に信仰を弾圧されていた時代から、我々と同じ教義を貫いてきた歴史を持つ。時臣くん本人についても、その人柄は保証できるし、何より彼は聖杯の用途を明確に規定している」


 遠坂時臣は頷いて、その先の言葉を引き継いだ。


「『幻想の都』への到達。我ら遠坂の悲願はその一点をおいて他にはない。だが――悲しいかな、かつて志を同じくしたアインツベルンと間桐は、代を重ねるごとに道を見失い、今では完全に初志を忘れている。さらに外から招かれる四人のマスターについては言わずもがな、だ。どのような浅ましい欲望のために聖杯を狙うことやら知れたものではない」


 つまり、聖堂教会が容認しうる聖杯の担い手は、遠坂時臣をおいて他にはない、ということだろう。いよいよ綺礼は、自分の役割について理解に到った。

「では私は、遠坂時臣氏を勝利させる目的で、次の聖杯戦争に参加すればいいのですね?」

「そういうことだ」
 ここにきてようやく、遠坂時臣は口元に微笑めいたものを覗かせた。


「むろん表面上は、君と私は互いに聖杯を奪い合う敵同士として振る舞うことになろう。だが我々は水面下で共闘し、力を合わせて残る五人のマスターを駆逐し、殲滅する。より確実な勝利を収めるためにね」

 時臣の言葉に、璃正神父が厳かに頷く。すでに聖堂教会による中立の審判、という形態そのものが茶番なのだ。教会もまた独自の思惑で、この聖杯戦争に関わっているのだろう。

 だとしても、綺礼に是非はなかった。教会の意向が明確ならば、一人の代行者としてただ忠実に仕事を全うするだけだ。


「綺礼くん、君には派遣という形で聖堂教会から魔術協会へと転属し、私の徒弟となってもらう」
 引き続き事務的な口調で、遠坂時臣は話を進めた。


「転属――ですか?」


「すでに正式な辞令も出ているよ。綺礼」


 そう言って、璃正神父は一通の書簡を差し出した。聖堂教会と魔術協会の連名による、言峰綺礼宛の通達文だった。手際の良さに、綺礼は驚くのを通り越して呆れ返る。昨日の今日で、よくもここまで早急に事を運んだものだ。


 とどのつまり、最後まで綺礼の意思は介在する余地がなかったわけだが、別段そのことに腹を立てる理由もなかった。もとより綺礼には意思などない。


「当面は日本の当家で、魔術の修練に明け暮れることになるだろう。次の聖杯戦争は三年後。それまでに君は、サーヴァントを従え、マスターとして戦いに参加できるだけの魔術師となっていなければならない」

「しかし――構わないのでしょうか? 私が公然とあなたに師事したのでは、後の闘争でも協力関係を疑われるのでは?」

 時臣は冷ややかに微笑してかぶりを振った。


「君は魔術師というものを解っていない。利害のぶつかった師弟どうしが殺し合いに及ぶことなど、我々の世界では日常茶飯事だ」

「ああ、成る程」


 綺礼は魔術師を理解しているつもりはなかったが、それでも魔術師という人種の考え方については充分に把握していた。彼とて、これまで幾度となく『異端』の魔術師と戦ってきた代行者だ。その手で仕留めた人数も一〇や二〇では収まらない。


「さて、何か他に質問はあるかね?」

 締めくくりに時臣からそう尋ねられたので、綺礼はそもそもの発端からの疑問を口にした。


「聖杯の、マスターを選抜する意図は解りました。ですが、ひとつだけ――聖杯は、なぜ私を選んだのでしょうか」

『始まりの御三家』に優先的に授けられることから、よりそれを欲する者が優先的にマスターとしての権利を与えられるのだろう。ともすれば、全てのマスターには聖杯を欲する理由があることになってしまう。それでは矛盾が生じてしまうのだ。それを、いま、綺礼は時臣に問うた。


「――私には、自分が聖杯に選ばれた理由が思い当たりません。私と聖杯の接点といえば、父が監督役を務めていたということぐらいです……」

「……ならば、だからこそという考え方もある」

「と、言いますと?」

「聖杯はすでに、聖堂教会が遠坂の後ろ盾だてになる展開を見越していたのかもしれない。教会の代行者が令呪を得れば、その者は遠坂の助勢につくものと」


 そう言ってから、時臣は満足げにいったん言葉を切り、

「つまり聖杯は、この遠坂に二人分の令呪を与えるべくして、君というマスターを選んだ。……どうかね? これで説明にはならないか?」

 そう、不敵な語調で結びをつけた。


 この尊大な自信は、なるほど遠坂時臣という男に相応しい。それが嫌味にならないだけの貫禄をこの男は備え持っている。


 たしかに魔術師としてはきわめて優秀な男なのだろう。そして、その優秀さに見合うだけの自負も持ち合わせていることだろう。故に、彼は決して自らの判断を疑うことなどないのだろう。

 それはつまり、ここでいくら問おうとも、いま時臣が出した回答以上のものは得られないという事――綺礼は、そう結論づけた。


「日本への出立は、いつに?」


 綺礼は内心の落胆を面おもてに出さず、質問の内容を変えた。

「私は一旦イギリスへ寄って行く。『時計塔』の方に少々、用事があるのでね。君は一足先に日本に向かってくれ。家の者には伝えておく」

「承知しました。……では、早速にでも」

「綺礼、先に戻っていなさい。儂は遠坂氏と少し話がある」


 父の言葉に頷いて、綺礼は一人、席を立つと黙礼して部屋を辞した。


 言峰綺礼。

 齢五〇を過ぎてやっと授かった息子を、璃正神父は、よく出来た自慢の息子だと賛美した。『代行者』としての力量は折り紙つきで、同僚の中でも抜きん出たものだという。

「教会の意向とあらば、息子は火の中にでも飛び込みます。アレが信仰に懸ける意気込みは激しすぎるほどですからな」


 そう嬉々として語る璃正だったが、時臣の内情では正反対の心持ちであった。


 時臣は老神父の言を疑うつもりはなかったが、彼が璃正神父の息子から受けた印象は、そんな『信仰の情熱』などという熱意とはいささか食い違うものだった。綺礼という男の物静かな佇まいには、むしろ虚無的なものを感じていた。

 正直なところ、拍子抜けだった。綺礼からすれば、聖杯戦争の参加など、何の関係もない闘争に巻き込まれたも同然のことなのだから。


 しかし璃正神父は、それを救いだと言った。


 言峰綺礼はつい先日、二年しか連れ添っていなかった妻を亡くした。態度にこそ出さないものの、相当応えているはずだ、と、璃正神父は沈鬱に呟いた。


 綺礼にとってイタリアの地は思い出が多い。久しい祖国の地で、目先を変えて新たな任務に取り組むことが、今の綺礼にとっては傷を癒(いや)す近道なのかもしれない――そう老神父は思い、彼を魔術協会への転属を急いだのだ。


 だからこそ、時臣には息子を役立ててほしい。綺礼は信心を確かめるために試練を求めているような男。苦難の度が増すほどに、彼は真価を発揮することだろう――

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