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キムチが結ぶ人の輪 [10/02/10]
今回は、昨年末に出会った「外国人花嫁」たちのことをご紹介したいと思います。
山形県鶴岡市にある庄内観光物産館に出かけたときのことです。地元特産の酒や菓子が並ぶ店内の最奥から、少し韓国語なまりの残る日本語が聞こえてきました。
「本場のキムチはいかがでしょうかー」
声の主は、赤と黒のチマチョゴリに身を包んだ金梅永(阿部梅子)さん(49)でした。近くまで行くと、「韓国の花嫁さん 金梅永の手作り うめちゃんキムチ」の看板がかかり、店頭には白菜キムチやカクテキ、チャンジャ、チヂミのタレなどが並んでいました。
バスから下りてきた観光客にキムチを売る金梅永さん(真ん中)ら=山形県戸沢村の「道の駅」
この日、鶴岡市は大雪に見舞われていました。雪の中をわざわざ買いに来た同市内の株木秀碩さん(67)、美千代さん(59)夫妻が「おいしくてもうやみつき。県外の友人たちにも鶴岡のおみやげとして持っていっている」と話し、700グラム入りの白菜キムチを購入しました。
しばらくすると茨城県からの団体旅行のバスが到着しました。館内に入ってきた男性(72)が「どこの国の人?」と聞くと、金さんは「アンニョンハセヨ。韓国から嫁さんたくさん来ているよ。買ってください」と笑顔で返しました。男性は勧められるままに試食し、「おいしい」と言って、1050円の白菜キムチを買いました。
高校を卒業して会社に勤めていた金さんが、お見合いをしたのは、以前から興味があった日本の言葉を勉強し始めていたときだったからだそうです。「とにかく日本に行きたかった」と彼女は振り返ります。
来日して、舅・姑と同居します。韓国では山の中には家がないそうですが、山の中の11軒しかない小さな集落に連れて行かれました。もともと自然が好きだった金さんは紅葉の中を走っていく車からの景色を楽しく眺めていました。あまりの田舎にがっかりするのではないかと周囲は心配していたらしく、金さんが「うれしい」とひとこと言うと、みながびっくりしたそうです。20台ぐらいの車が家の近くに止まり、親戚一同が歓迎パーティーを開き、山菜料理でもてなしてくれました。「王様でもないのに、王様のようにもてなされ感激した」と金さん。さらに、当時は韓国では、豊かな家しかできなかった憧れのスキーに連れていってもらい、「最高だった」そうです。
姑も気を遣って、韓国から来る金さんのためにキムチを用意してくれていました。しかし、それを口にすると、おいしくありませんでした。「私が作ります」と金さんが言い、毎日キムチを作るようになります。金さんのキムチを姑たちは「ほんとだ、おいしい」と食べてくれました。「うちの嫁は料理がうまくてねえ」と舅も姑も近所の人たちに自慢しているのを聞きました。それがとてもうれしかったと金さんは言います。
こんなこともありました。電話がかかってきて「はい、阿部です」と受話器を取ると、「たろべだが?」と聞かれたそうです。「たろべ?」。金さんが「たろべじゃないです」と言っても、相手の人は「たろべじゃろが・・」と聞いてくれません。うまく日本語が話せない金さんは「違います」と言って、電話を切りました。すると、その後も何回も同じ人からかかってきます。姑が帰ってきたので事情を話すと、笑われたそうです。「たろべ」というのは、「多郎部」のことで、金さんが嫁いだ阿部家の屋号だったそうです。
楽しいことも辛いことも、金さんは、笑いながら朗らかに語ってくれます。その前向きな話に、こちらも大笑いしながら話をうかがいました。
金さんは結婚後すぐに妊娠、長男(17)、長女(15)を出産し、その後は自分から縫製会社などに働きに出ました。
金さんにしてみれば、毎食キムチを食べないと力が出ません。お昼にたくさんのキムチをタッパに入れて職場に持っていったそうです。「自分の分だけだとケチくさい」とみなに分けるためです。ですが、20人ぐらいの職場で、最初は3人しか箸をつけなかったそうです。みなから「辛い」「臭い」と言われました。
「仕方ないなあ」と思いつつ、金さんは「臭い」と言われると、その人に向かって突進し、口を開けて、ハーッと息を吐きかけました。相手は「イヤー」と逃げ出しますが、さらに追いかけたそうです。冗談ともとれる行動で、その場は笑いに包まれました。その後、職場には金さんのキムチファンが増えていきます。金さんは仕事も人より多くこなし、明るく過ごしました。4年もするとすっかり職場で受け入れられるようになりました。
そうこうするうちに、地元の料理コンテストで韓国風の牛肉の煮込みを出したところ、最優秀賞を獲得、洗濯機をもらいました。韓国風のものを「おいしい」と受け止めてもらえたことが自信になりました。それで96年に会社を辞め、自宅で作ったキムチを売り始めました。「うめちゃんキムチ」の始まりです。
頼み込んで物産館に置いてもらいましたが、最初は売れませんでした。それで、チマチョゴリを着て、外にテントを張って声を掛けると、観光客が次々と買っていったそうです。 それがおもしろくて、おもしろくて・・・。観光客が来ない冬は、雪の中を運転して工場回りをしました。昼休みに試食のキムチを差し出すと、従業員の主婦たちが次々に買ってくれました。大手スーパーにも置いてもらえるようになり、05年に有限会社にしました。
現在の従業員は25人。ほとんどが韓国や中国からの花嫁です。
「でも、もうけが第1じゃない。嫁として来れば子どもを生み育て、家族を大切にし、そして社会に対してできることをしなくては。責任があると思う」と金さん。すでに山形はふるさとになっていて、「山形が大好き。韓国に行っても東京に行ってもすぐに帰ってきたくなる」と漏らします。
ただ、「日本人なら言われないことでも、必ず『韓国からの花嫁』ってついてくる。国をしょっているから、間違ったことはできないよ」とも言います。
金さんによると、韓国からの花嫁は周辺に約200人いるそうです。金さんは、家族関係に悩んだり、離婚したりした花嫁たちの相談に乗り、めんどうもみています。花嫁さんたちをたしなめ、同時に、嫁ぎ先の舅や姑、夫にも文化などを説明し、理解を求めます。日本人の姑が、自分のところの嫁を雇ってほしい、と頼みにくることもあるそうです。
12年前に中国・吉林省から嫁に来た朝鮮族の阿部紗理奈さん(38)は社員になって約1年。家族関係で悩んでいましたが、金さんにアドバイスされ、夫婦仲を立て直し、いまは笑顔の毎日を送っています。「社長を尊敬している。話を聞いてもらうだけでも気が楽になるし、仕事も楽しい」
庄内観光物産館に店を出す金梅永さん(右)と、従業員の阿部紗理奈さん。チマチョゴリ姿で販売する=山形県鶴岡市
たまたまキムチを買ったのが縁で友人つきあいを始めた鶴岡市在住の日向良さん(52)は「日本人が失ったようなパワーや親を大切する心をもっている。惜しみなく働くし、プラス思考。韓国の国民性のいいところを実践して、日本のいいところを見習っている」と金さんをみています。同郷出身者のリーダー的な存在というだけでなく、日本の社会にも刺激を与えているそうです。料理講習会も頻繁に開く金さんは「うめちゃん」と呼ばれ、地元ではすっかり有名人です。地元の野菜を使ったキムチが、鶴岡の特産品として売られているとことが、私にはなんかとてもおもしろい、と感じました。
鶴岡市の隣、雪深い戸沢村でも、外国人花嫁さんが活躍しています。3年ほど前から中国からの花嫁、田中美香さん(45)が作る手作りギョーザが村の特産品「角川餃子」として売られています。「角川」は田中さんが暮らす地域の名称です。田中さんは96年に中国・吉林省から来日した朝鮮族です。「角川餃子」はタマネギ入りの甘い味が特徴で、今年からは地元のタマネギを使う予定だそうです。
作業場で黙々とギョーザをつくる田中美香さん=山形県戸沢村、写真はいずれも大久保写す
いまはイベントなどに出店するほか、注文を受けて発送しています。忙しいときに何人かに手伝いに来てもらいますが、基本的には田中さんが毎日、ギョーザを作って、毎月4000個ほど、金額にして15万円前後を売り上げているそうです。田中さんは「地元の野菜を使って安心、安全の特産品として、もう少し販路を広げたい。今の倍ぐらい売れれば、仕事のない地元で常時1人の雇用は創出できると思う」と意欲的です。
田中さんは地元の日本人らとともに、地元の食材を使っての村の商品開発にもかかわっています。来日当初は、舅の介護などで苦労もありましたが、いまは「ここで骨を埋めるつもりだから、頑張りたい」と語ります。
人口約5600人の戸沢村は90年から外国から花嫁を受け入れ、現在フィリピン、韓国、中国出身者33人が生活するそうです。当初から国際結婚にかかわってきた役場職員の前田公平さん(52)は「外国人花嫁さんたちは明るく、積極的で、間違いなく村を活気づけてくれている。保育所や小学校で役員を引き受けたり、水ギョーザやキムチの文化をこの田舎の村で生み出してくれたりしている」と言います。
一般的に、アジアの国々から日本に来る人たちに対して「豊かになりたいからだ」という目で見がちです。もちろん、日本の方が生活水準が高かったり、給料が高かったりするのは事実ですし、あるいは日本から自分の家族に仕送りをしたりする人たちもいます。ですが、そうした視点だけでは大きなものを見落としているように思います。豊かな日本に来たはずの彼女、彼らが、実は日本に豊かなものを与えてくれている、ということがたくさんあるのではないでしょうか。金さんや田中さんと話をしていると、こちらが元気をもらったような気持ちになりました。
パワフルで、エネルギーあふれる行動力と明るい笑顔。もちろんきれい事ばかりではないですが、ぶつかったり、悩んだりしながらも、しっかりと地に足をつけて、日本の社会で生きている彼女たちがとてもまぶしく感じました。そして、彼女たちを知ることで私たち日本人の中国や韓国に対する思いや考えが変わったり、影響を受けたりすることもあるでしょう。だれかを具体的に知ることは、違う文化を背負った人と人、地域と地域、国と国をも結びつけ、新たな文化を生み出していく最初の一歩のような気がします。
- 大久保 真紀(おおくぼ・まき)
- 近々、アフリカに出張するので、この1カ月はいくつもの予防接種を受けました。間に合うものだけだったのですが、A型肝炎、破傷風、狂犬病、黄熱病。そして、マラリア予防薬もそろそろ飲み始めなくてはなりません。アフリカに出張するのは初めてなので、好奇心の虫が騒いでいて楽しみにしているのですが、一方で準備にちょっと疲れ、「こういう予防接種がいらない日本はいい国だな」と思う自分もいます。いつも私は人一倍蚊に好かれます。無事に戻ってきたら、今度はアフリカ報告をしますね。
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