1、キリスト教関係論
2、マスメディアバッシング論
3、精神病論
これらの要因の複合による自殺であることは明白ですが、要因の中身を解き明かせる者は数少ないと思います。
このような名言が残されています。
自分と同じようなトラブルを経験したことがない人から助言を受けてはならない。
Never take the advice of someone who has not had your kind of trouble.
Sidney J. Harris
芥川龍之介同様、作家である私は、この3つの要因を経験しています。まさに、わたしにしか書けないことであると自負していますが、その評価は読者がそれぞれ判断すれば良いことです。
今日は、クリスチャンとしての視点から芥川龍之介の自殺を捉えてみます。資料が多いので結論から書かせていただきます。
芥川龍之介はクリスチャンの内村鑑三の本を読み、聖書を読みあさったが聖書の全体像が捉えられず悩み、さらに聖書の美しき世界と生きている社会のギャップの大きさに対応できず、他の要因が加わり自殺に至ったというものです。
さて「芥川龍之介 読書家」で検索したところ、以下の記事に出会うことができました。感謝して引用させていただきます。
読書で日暮らし
<引用開始>
いつか丸善へ行った時など、本を捜している間に夕方になり、終業のベルが店内に鳴り響いた。芥川の前には、選んだ本が既に十五六冊も積まれていた。
客は静々と帰って行く。店員は客のいなくなったところから、本棚へ白い布を掛けて行った。今や全部掛け終って、芥川の前の本棚だけ残されている外は、ブラインドもおろされ、薄暗い廃墟のような静けさが私たちを取りかこんだ。
私はいたたまれなかった。しかし、芥川はまだ本から目を放さない。不断はあんなに人の気を兼ねる彼に、こんな一面があるのかと彼の性格のシンにさわったような気がした。
『鴎外荷風万太郎』小島政二郎
<引用終了>
http://d.hatena.ne.jp/Tsubute/20111120#p1
芥川龍之介の「とぎすまされた」人格を知ることができる一文です。
芥川龍之介は聖書を枕元に置き死んでいきました。「侏儒(しゅ‐じゅ【侏儒/朱儒】1 背丈が並み外れて低い人。こびと。2 見識のない人をあざけっていう語。大辞泉)の言葉」という題名で持論を展開しています。
<引用開始>
自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦(きょうだ)、理性と信仰、――その他あらゆる天秤(てんびん)の両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語(イギリスご)の good sense である。わたしの信ずるところによれば、グッドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出来ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁(よう)したり、大寒に団扇(うちわ)を揮(ふる)ったりする痩(や)せ我慢の幸福ばかりである。
<中略>
天国の民
天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていない筈(はず)である。
<引用終了>
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html
(3万6千字を超えます、一度に読もうとすると行きづまります。まるで聖書のように・・・)
クリスチャンに与えられた「大宣教命令」は、地獄へ向かう者を救いだすことです。それは、神に従属するか、自分自身の欲望に従属するかの選択です。人間は、アダムとイブがヘビに惑わされ「善と邪悪を知る実」を食べてから、神の従属から離れ、悪魔の「惑わし」に従って邪悪な、地獄へと続く道を歩まされているのです。
まるで知識欲旺盛な大学生のように真理の追究に没頭する芥川龍之介は、クリスチャンである内村鑑三や新渡戸稲造の本を読んでいるに違いありません。
特に、同じ時代を生きクリスチャンのクラーク博士が教えた札幌農学校に学び、アメリカに渡りキリスト教を学んだ内村鑑三の影響は大きかったと思います。
その、内村鑑三は、アメリカのクリスチャンの堕落ぶりを見て、通っていた神学校も止めてしまいます。そして、独自の「無教会主義」を提唱するようになります。
内村鑑三とキェルケゴール 栄光出版 大類雅敏著
<引用開始>
内村は「聖書之研究」(76号「断感」。明治39年6月10日)に、次のように、キェルケゴールに書くに至る。
デンマークの思想家ゼーレン・キルトガート曰く「基督教は解するに最も難き宗教なり、余は斯世に於いて未だ曽て真正の基督信者を見たることなし、然れども解するの難きは其誤謬(ごびゅう)なるの証拠に非ず、一人の基督信者なきは余が信者たり得ざるの理由となすに足らず、余は全世界に一人のなきも独り確実なる基督教の信仰に達せんと欲する」と。
然り、実に然り、極東の日本国に生れし余も、未だ曽て余の理想に合う(かなう)信者一人見しことなしと雖も(いえども)不肖の余の如き者もまた彼れキルケガート氏の言に倣ひ、少くとも日本国に於ける。唯一の基督信者たらんことを求ふ。
<中略>
内村は、キェルケゴールの「ラディアカルな面」に接したことになる。つまり、キェルケゴールの無教会主義的な態度に感動したわけであり、「聖書の研究」に、キェルケゴールの「瞬間」の抄訳をしたほどである。
「瞬間」は、1885年5月に特殊な片面刷の大判紙で、キェルケゴールによって発行された。キェルケゴールの攻撃を公表したものである。この年の10月にかけて9号まで発行された。公認のキリスト教会への侮辱と嘲笑が、ますますグロテスクな調子を帯びた。9号では、「牧師が人食い人種であることを最もいやしい仕方で」証明しようとしている。
牧師は田園の邸宅に、魅力的な昇進への期待を抱いて居心地よく住みついている。彼の妻は丸々とふとり、子供たちもそれに劣らない。しかも、これら全ては、栄光ある者たち、すなわち、救世主、使徒、真理の証人の苦難によるものであり、これこそ、牧師が生計のよりどころとしているものであって、彼らは彼を食い物のにし、それでもって、彼は人生の楽しさにひたりつつ、妻子を養っているのである。彼はこれらの栄光ある者たちを塩づけにして、貯蔵しているのである。「われに従え!」という彼の叫びは無駄である。おそらく、しばらくの間、彼はこの叫びからわが身をかばわなければならないだろう。しかし、年が経つにつれて、彼は非常に無感覚になり、もはや、それは聞こえなくなる。おそらく、彼は自分が「キリストの真の弟子」と呼ばれるのを聞いて、初めはある種の気恥ずかしさを感じるであろう。が、年が経つにつれて、彼は慣れてしまい、自分自身がそれが真実だと思いこむようになる。
こうして彼は死んでいく。人間として可能な限り徹底的に堕落して、そして、真理の証人として葬られるのである。
<引用終了>
私は、日本政府の要望に応じて1年だけ札幌農学校長に就任したクラーク博士が1期生には「bee gentleman」とだけ教え、立派なクリスチャンにしましたが、2期生の内村鑑三とは接点がなかったことが、内村鑑三を「真のキリスト教を知るクリスチャン」にできなかった理由であると考えます。
芥川龍之介はキリスト教に関する本を書いていますが、クラーク博士のような正当なキリスト者の友人をもたなかったことが、「キリスト教とは何だ」と思い悩み、自分で自分の脳を傷つけっていったものと考えられます。
私が以前に通っていた教会にY子さんという若い女性がいました。日曜学校で一緒に聖書を勉強しましたが、聖書を読むことが自らの病気、うつを治すと信じていました。聖書は色鉛筆で真っ赤の状態でしたが、いつからか来なくなりました。うつがさらに悪化したと後に聞きました。
聖書とは何か、この世で誰も「聖書とは〜である」と聖書を丸裸にした人間はいません。もちろん私にもできません。なぜならば、エジプト文明と異なり、シュメール人の記した聖書の世界には、証拠となるものが何一つ残されていないからです。
私は一人のクリスチャンとして「聖書とは〜だ」とは書いていきますが、すべて類推論の世界であり、実証はできません。
芥川龍之介とキリスト教の関係も同様です。聖書は意識的に分かりづらく書かれています。なぜならば、書いたシュメール人(イスラエル家)を近寄りがたい存在にさせるためです。聖書を追求すればするほど、悩みます。特に欧米人と右脳と左脳の働きが異なり、さらに文化的にしなやかな日本人には、聖書の言う「善と邪悪」の区別がつきにくく、まるで迷路に迷い込んだような感覚に陥ってしまうのです。
芥川龍之介は、限りなく高尚な「善」を求めました。しかしながら、聖書は何も答えてくれませんでした。
そして、マスメディアのバッシングや持病である精神の病により、耐えきれなくなりこの世を去ったのです。
享年36歳(満35歳)でした。
している伊勢拝武と申します。私も以前ネットで中傷されたことがあります。なので中村さんには絶対2ちゃんねらーには負けてほしくありません。
最近、中村さんは2ちゃんねるに「本物の中村」として書き込みされていますよね。中村さんに食ってかかる匿名どもは本当に腹がたちます。なんとしてもやっつけてほしいのです。特に最近でてきている「バロム1」をなんとかしてほしいのですが、彼の過去の書き込みで、福島原発を核融合炉と書いた無知丸出しの文章があるので中村さんにそのコピーを送ります。これを中村さんに投稿してほしいのです。核融合と核分裂の違いも理解してない低能のバロム1をぜひバカにしてください。それではそのコピーを下記にだします。ちなみにこのメールはブログには載せないでください。どうぞよろしくお願いします。(以下引用)
並‥じゃなくて超える可能性だぜ。隣接する別の炉ではなく、離れた場所にある三ヶ所の施設でほぼ同様の臨界事故。
特に爆発事故を起こした福島第一原発の場合、メルトダウン(炉心溶解)にまで至っていたのはほぼ間違いない。
海水を注入(する事で炉の再利用が難しくなる)して、核融合炉の爆発という最悪の事態だけは辛うじて防いでる状態だ。 (引用終了)