ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  Fate/Zero -Irregular shuffle- 作者:もぐ愛
六:交刃





 時計塔でアーチボルト家と政治的対立をするロードの妨害によって、一日遅れでその荷が双子館に届けられたのは、太陽が丁度南中する時刻だった。
 ケイネスが当主として取り仕切るアーチボルト家の使用人――違うことなく一流の魔術師であり、その荷を届けるに足る屈指の実力を備えていた――は、サーヴァントを側に置いたケイネス当人の様々な探知魔術によって、何らかの暗示・意識操作、呪詛や現代機器による仕掛けがないかを精査され、ようやく本国より持ち込んだ重厚なケースを届ける任を全うした。

 使用人は聖杯戦争に巻き込まれないよう、即座に冬木の地を離れ、夕方の海外便でイギリスまでとんぼ帰りをする。
 戦力は多いに越したことはないが、サーヴァントという超絶の使い魔からすれば、一流程度の魔術師は常人とそう差があるわけでもなく、対峙すればその命を無為に散らせることとなろう。
 それはマスターであるケイネスらにしても例外ではない。サーヴァントが相手となれば、ランサーに魔力を供給し適切な機を見出して令呪を使用するため、ケイネスとともに冬木入りしたソラウの身を守ることさえ困難だろう。

 ソラウを時計塔に残したまま渡航し、この冬木の地でケイネスが令呪を使用できるようにすることもできたし、再びソラウからケイネスへ移植することも可能であったが、ランサーと出会い初めて本物の恋の熱情を抱いた乙女の心を説得することはケイネスにも出来ず、そしてランサーの帰りを待つような聞き分けもまた見せてはくれなかったため、元婚約者を同行させたのだった。
 ケイネスは恋というものの捉え所のない形而上の質量の大きさ、その勢いを自身の苦い経験から熟知しており、彼の観たところソラウの一途な恋の炎は、利得や理性だけでなく下手をすれば己さえも周囲ごと焼き払う厄介さが見て取れた。

 彼女の安全を期するならば、魔術で意識を奪い、身動きを取れなくした上で聖杯戦争が終わるまで、どこかに軟禁するのが好ましいが、彼女の今後に悪影響を及ぼさないレベルでの魔術行使では、ソフィアリ家の令嬢に流れる血とその抗魔力によって、それらの行為を容易ならざるものとして阻まれていた。
 魔術を使わずに取り押さえるのは当然可能であったが、強硬手段にはどんなしっぺ返しが来るか判ったものではない。
 恋する乙女の刹那的行動力、瞬発力、執念、何より恋の成就を脅かされた時に見せる理不尽な思考はケイネスをして読み切れるものではなかった。
 下手を打てば内部崩壊によって、最終的にランサー陣営は全滅の憂き目に遭うだろう。
 彼女の魔力を無駄にしないため、そして彼らを取り巻く諸事情のためにマスターとしたのは、サーヴァントの性能という点を抜かせば完全な失策だったと言える。しかし、後悔しても後の祭りだった。
 そのためにケイネスは人脈を駆使して、当人よりもソラウの無事を図るために算段を立てることとなった。魔術師として、そしてランサーの気性を忽せにしないよう手段を執ったのである。

 そもそも、ケイネスやソラウをはじめ、本来魔術協会そのものが聖杯戦争に関与する必要は無いのである。
 無論、冬木の地で行われるこの儀式は根源へ至る滅多とない好機であり、願望機という特性には無限の用途があるためにその価値は計り知れない。
 しかし、それでも閉鎖的且つ排他的で、利己に長けた魔術師たちの相互扶助組織である協会がいちいち手を出す案件ではない。
 また、外道働き専門の封印指定ハンターなど、協会が武力として抱える魔術師には枚挙に暇がないほどだ。

 それでもケイネスが選出されたのには当然ながら理由がある。
 封印指定ハンターと較べても確実に勝ち残るだけの実力を周知されていた、ロード・エルメロイである彼ならば見事聖杯を持ち還るに違いない、などという巫山戯た評価があったのは否めない。
 時計塔で学ぶ権力闘争に疎い者たちならば、あっさりとそんな理由を信じるだろう。
 もっとも、それだけである筈がない。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが聖杯戦争に参加する裏の必然性があったのだ。それは偏に、時計塔での政治的駆け引きに端を発していた。

 時計塔では幾つものロードの家系が軒を連ねるように協会を統べており、彼らの実態は相手の裏をかき少しでも多くの権勢を奪い合う魑魅魍魎の首魁格である。そんなトップ連中は必然的に一枚岩であるはずがない。そして、互いに密に連携するアーチボルト家とソフィアリ家もまたその魑魅魍魎の跋扈する中で派閥を築いていた。
 今回の聖杯戦争はケイネスの功績に武名を加える以上に、派閥の権威を増やさんがためのパフォーマンスに過ぎなかった。
 武功を築く当人にとって甚だ業腹ながら、彼は否応なく聖杯戦争へ参加することとなる。その役目を辞退するなど、時計塔の魔術師が日々繰り広げる政治的闘争の世界においては慮外の範疇だった。

 勿論ケイネスが負ければ派閥の威信は揺るぎ、その権勢の凋落はアーチボルト家に止まらない。であるため、彼らの派閥は全面的に彼をバックアップし、反面、人的資源の消耗を避けるべく、余計な人員を排してケイネス個人のみが戦場へ赴くこととなった。
 唯一随伴するのは、学部長より託されたソラウ・ヌァザレ・ソフィアリただ一人。結果的にサーヴァントの契約にその婚約者を巻き込んだのも、ケイネスに彼女を宛がったソフィアリ学部長の意向も大きく含まれていたがゆえである。
 時計塔の権力闘争そのものに唾棄を見せるケイネスとはいえ、対外的には恩師となる者へ不義理を働くのは致命的な瑕瑾となろう。
 そしてソラウ当人が拒否しない以上、彼女の魔力生成速度と貯蔵量は確かに魅力的でもあったため、強硬に拒絶するのは二つの意味で損であった。

 父祖より引き継ぐアーチボルト家の当主として責任を全うする意味でも退路のないケイネスは、積極的に事前準備に精を出すこととなる。
 聖杯戦争のために用意してきた各種礼装は、事前にアーチボルト家の信頼できる者を使って冬木の地に全て持ち込み、偽装と罠を施して街中に隠匿していた。
 これらを再利用できるのは彼と同格の魔術師ぐらいであろう。それらが仮に敵の手に落ちたとしても、手元から離した礼装の対応策は知悉しているため、むしろ敵の手にある方が行動を読みやすいほどであった。
 そのような資産の放出じみた真似も、必要を感じたために行ったに過ぎない。しかし魔術師としてのケイネスはどれだけ策を練り情況を整えようとも、薄氷の上を進む心地を拭うことはできなかった。
 彼らが現在陣取っている要塞のごとき攻防性能を誇るこの双子館も、強いて言えば気休めでしかない。
 ランサーが出陣する際は、下手に邸にマスターが残るよりも、二人揃ってサーヴァントを随伴させてともに行動する方がまだマシである。
 陣地に引き籠もって待ちの一手を決め込むなど逆に危険な選択だった。何より迎撃はどうしても後手に回る。情況に流されるよりも情況を作り出して展開を支配する方が、まだ生き残る算段が着くのだった。
 ランサーの機動力とケイネスの魔術、そしてソラウの令呪が合力すれば決して不可能ではない。
 無論、容易くはないだろうし、極めて困難と言わざるを得ないが、それでもやらなければならない。

 そのような事情のため、たとえ対マスター戦において役立つ戦闘能力を有する武闘派の魔術師と言えど、冬木の地に遺すのはケイネスの感覚で言えば守るべき対象を余計に抱え込む行為にしかならなかった。つまり、必然として彼らの不利が増すだけである。
 そしてケイネスはそのような愚は犯さない。そればかりか最悪、自身の命を擲ってでもソラウは生かさなければならないと内心で覚悟しており、死んだ場合を念頭に置いて予めサーヴァントシステムの契約術式に手を加えていたほどだ。
 そう、この身が戦場で斃れるなど、彼にとっては前提段階で想定済みなのだ。



 名残惜しげにする使用人に当主として労いの言葉をかけ、表面上は勝利を確信しロードの自負を崩さぬ態度を貫いて、余裕をもって見送った。
 ランサーは既に楽器ケースに偽装された荷を持って館の中へ入っていたため、ケイネスも後を追う。進んで小間使いの役を担う騎士に遅れて応接室へ辿り着くと、ケースを厳かに抱えたまま主であるケイネスを待ち続けていた。


「ご苦労。ではランサー、そこへ置いてくれ」


「はっ」


 部屋の中央に位置する長卓の上へ置かれたそのケースには、幾重にも物理的・魔術的に厳重な封印が施されており、時計塔屈指の魔術の腕前を持つケイネスと言えど、それに解くのには十数分を要する。
 丁寧に連動する封印の順序を辿って解呪してゆき、ついに残る封が一つになったところで、指に嵌めた指輪型の魔導器を使用して思念通話を行い、自室で寛いでいるであろうソラウを呼び寄せた。
 それに応じてすぐに応接間にソラウが現れ、ランサーの隣を陣取るように側に控える。


「お待たせ。ついに届いたのね」


「あぁ、これで我々の勝利はより確実なものとなるだろう」


 ランサーは荷の中身について何も知らされていなかったが、ケイネスは元よりソラウもよほど待ち侘びていた品が入っているのだろう。
 そして聖杯戦争での勝利に貢献するということは、二人のために用意した魔力を帯びた礼装か、大掛かりな大魔術か儀式に用いる祭具か、ともあれランサーは開封されるケースは己の装具品ではないのだと推測していた。
 そして、それは好い意味で裏切られることとなる。頑強なケースが開かれ、柔らかい内張に沈む厳重な呪符で梱包された物品。呪符の上からでも中の物の形状は見て取れた。そしてランサーは瞠目を禁じ得なかった。


「これは……」


「手に取って構わんぞランサー。これは元々君に渡すために用立てたものだからな。今日から私たちとともに戦場へ出向く君へのささやかな餞別だ。遠慮することはないぞ」


「っ、失礼いたします……」


 敬愛する主から下賜されたそれは、望外の贈り物だった。若干固い仕草で慎重に手を伸ばし、手に触れた。それと同時に開封される呪符の束縛。融けるように空気に解け、中から現れたのは二振りの骨董品。しかし、外観が真新しいという、経年劣化を感じさせない異常な骨董品である。
 長い年月の末に魂魄に重みが蓄積し魔力を帯びた器物。それは現代の神秘を扱う世界においてこう呼ばれる。即ち、概念武装と。


「……よもや、我が剣を再びこの手にすることができようとはっ!」


 感極まったランサーの歓喜で明快に打ち鳴らされた音声が室内に響き渡る。
 彼がその両の手に掴み上げたのは、生前は槍以上にその剣の腕で武名を馳せたディルムッド・オディナが携えし双剣――〈赫怒の轟剣(モラルタ)〉と〈痛憤の烈剣(ベガルタ)〉だった。
 〈赫怒の轟剣〉はともかく、〈痛憤の烈剣〉は生前彼の死因となった魔猪の前にその剣身を砕け散らせたが、今その刃は傷一つない姿を眼下に顕示している。
 ランサーは感慨と欣幸に耽るのを踏み留まり、疑問を抱いた。そして生前その手で数えきれぬほど振り続けた〈痛憤の烈剣〉の神秘が幾分劣化していることに気付く。


「どうやら君の死を悼んだ騎士たちが墓前へ供えるために破片から鍛ち直すことで復元したようだ。もっとも、一度壊れその逸話が出来上がった以上、それその物の強度は格段に下がったろうが、神代から存在し続けたことで我々魔術師から見ても脅威的なまでの概念武装と化している。
 墓所を暴かれ長らく行方知れずとなっていたが、今こうして君の下に戻ったのは私の立場で言うのも何だが、正に奇蹟と言えよう」


 主から知らされた死後の愛剣の来歴に胸を打たれ、その双眸に止めどなく熱い雫が溢れ出るのを美貌の騎士は抑えることができなかった。
 主に奉じた忠義を蔑ろにしてゲッシュの重さに逆らうことができず、美姫の手を取って悲恋の逃避行を駆けた不忠の騎士は、己の不明を恥じ入るとともに男として仲間の厚意に無上の歓びを得ていた。
 無言の慟哭。声を上げるよりもその心に染み渡る重さと深さが、側でその姿を見守る二人のマスターの心すら打っていた。
 得物とともに真に誇りを取り戻した英雄が落ち着くのを待つこと暫し、ケイネスは慈しむように得物に触れる騎士へ声をかける。


「気に入ったようで何よりだ。方々の伝手に声をかけた甲斐もある」


「――っ」


 声をかけたなどと、何気ない、軽い言葉で包み隠しているが、ケイネスは時計塔屈指の実力者にして権力者であるロード・エルメロイの権限で様々な方面に掛け合い、必要とあらば等価交換と言うにはあまりにも不利な条件で懇望するなど、彼の沽券と資産を半ば切り売りするように手を尽くして用意していた。
 ソラウはいまだ体面の上ではケイネスの婚約者であるゆえに、ランサーの召喚からイギリスを発つまでの間に幾度もそうした光景を隣で目にしてきたため、その言葉に目を瞠った。
 そしてランサーは主であるケイネスの態度や言動から気付くことはできずとも、氷解した春の萌ゆる草原のごとく感情の出やすさを見せるソラウの表情、そのわずかな変化から彼女の心中を洞察し、その手に戻ってきた剣の柄を握る力が強まる。


 ――この身がセイバーのクラスを得て現界しなかったがために! 俺という奴はっ! 主に気を遣わせあまつさえ余計な骨を折らせることになろうとはっ!! なんたる不忠……そして我が身の不甲斐なさに較べてケイネス様のなんと寛容なことか――っ!!


「――気高き主よ、私は果報者です。この身に過ぎたる厚遇と恩義に報いるためにも、必ずや勝利の栄光と聖杯を御身に捧げて見せましょう」


 ケイネスの前に恭しく跪き、ディルムッド・オディナは一人の臣下として改めて、その無比なまでに輝ける忠義を主へと捧げたのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 冬木市新都の郊外に位置する教会堂の地下、その一室には一人分の人影が床を這っていた。
 暗い室内を幾つもの洋燈に火が灯されており、その灯りが室内に設置された蓄音機に類似した真鍮製の朝顔に鈍く照らし出す。
 洋燈の暖色の光によって部屋には幾重にも影が生じ、揺れる影が交わる部屋の中央には、僧衣を纏う男が敬虔な聖職者として黙祷を捧げるように、静かに佇んでいる。
 されども男が醸し出す空気は、教会堂という場所と僧衣という衣服をもってしても打ち消すことのできない血の匂いが混じっていた。
 アーチャーのマスターである遠坂時臣の陣営に組するアサシンのマスター、元代行者である言峰綺礼がそこにいた。
 綺礼は伏した瞼の裏に自身のサーヴァントの一体の視界を映しつつ、蓄音機にしか見えない通信用の魔導器に向かって報告を行う。


「ただいま邸よりロード・エルメロイとその婚約者、そして長身の男が出てきました。サーヴァント越しとはいえ、マスターの透視力が機能したことから、この男の正体は紛れもなくサーヴァントです。正体までは判りませんが、パラメーターの敏捷値が突出していることから考えて、クラスはおそらくランサーだと思われます」


『――そうか。よもや戦場に伴侶を伴って赴いた上に、非戦時にも関わらず実体化させたサーヴァントを随伴させるとは、己とサーヴァントによほどの自信があるのか、あるいは聖杯戦争の定石を弁えぬただの愚者か。時計塔での彼の評判から、前者か、もしくは後者を装った擬態だろうな。どうだ綺礼、そのサーヴァントについて何か解らないか?』


 魔導器からは、高所より見下ろすような余裕に溢れた言葉が返ってくる。声の主は現在も遠坂邸の地下室に待機する綺礼の師、遠坂時臣だった。
 聖杯戦争はバトルロイヤル制を敷いてはいるが、現状、時臣の喚び出したアーチャーは完全に別格の存在であり、彼の余裕は全く自然なものとなっていた。
 もっとも、アーチャーとして現界した英雄王はその別格の強さに比例して非常識なまでに気位も高かった。一昨日に行った茶番劇のように、瞬殺が目に見えている程度のサーヴァントを相手にさせては、驕慢な彼のプライドに泥を塗る行為と激昂される可能性は極めて高い。
 そのために、ある程度は英雄王の獲物となるサーヴァントが勝ち残るまで時臣の陣営は静観を決め込む腹積もりだった。
 そしてそれを補佐するために暗躍するのが綺礼とアサシンである。綺礼は師の問いにすぐさま答えを返した。


「白人で黒髪の美丈夫といった風情です。しかし出身地の特定に役に立つほどの特徴はありません。長身で細身に見えますが、当世風の衣服の上からでも発達した筋肉が見て取れます。
 また遠目越しにも重心の隙の無さと油断のない物腰が窺えることから、直接戦うことを本分とする者だということは間違いありません。私見ですが、ロード・エルメロイを下に置かぬ態度と威風堂々とした立ち振る舞いから、いずれ名のある騎士かと思われます。
 そして片手に大仰なケースが携えています。何らかの武具、折り畳み式か組み立て式でなければ、剣の類を入れるのに丁度いい大きさかと――」


『成る程。サーヴァントがわざわざその手に提げていることから、あからさまな偽装の可能性も拭い切れんが、最強クラスであるセイバーの可能性がなきにしもあらず、ということか。いや、パラメーターの構成はどうなっている?』


「敏捷値以外はさほど脅威とは思えません。平均してCランクといったところです」


『ということは、君の言う通りランサークラスが最も可能性が高いな。戦うつもりで出歩いているのならば、今晩にも戦闘があるか。綺礼、引き続き監視を頼む』


「諒解しました。――それと、急ぎ新たに報告するべき案件と、それによって生じた問題があります。ロード・エルメロイのことがなければ、こちらを先に報告していた程です」


『ほう。順を追って説明してくれないか』


 弟子の『問題』という言葉にも余裕を崩さない時臣は、それでも重要な報せであろうと傾注して報告を促した。
 綺礼は父璃正が第八秘蹟会のバックボーンを使って急ぎ集めた情報を記した書類を取り出し、要点のみを口にする。


「二時間程前、ヴァチカンに残した父の部下からこちらへ連絡が来ました。十日程前に聖堂教会の、特に埋葬機関の予算に動きがあったのだと。それも莫大な額で、規模は小国を買える程のものでした。申請したのは埋葬機関の第五位、申請理由はただ“趣味”とだけ。東京で何者かから某かを購入したようです」


『埋葬機関の第五位と言えば秘宝コレクターと名高い死徒の祖か。この時期に、そして君が問題の原因として報告する以上、その売り手はよもや……』


「はい。どうやらこの聖杯戦争に召喚されたサーヴァントと思われます。そして同日、円蔵山で別荘を周囲の土地ごと購入した者がいました。
 先程アサシンを向かわせたところ、柳洞寺並の対霊体用の結界とトラップが仕掛けられており、様子見で周囲を調べていたアサシンは設置されていた罠によって討ち取られました。死因は四方より無数に射出された短剣による串刺しの末に刺さった短剣が爆発し、霊核に致命的な損傷を被ったためです。
 アーチャーの“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”と少々似ていますが、規模はあらゆる意味で格段に劣ったものでした。それでもあの物量、速度、爆発の特性は、たとえサーヴァントといえど侮れるものではありません」


 綺礼の裡に残る視界はその光景を容易に思い出すことができる。いや、共有していた五感で味わった総身を貫かれる激痛、そしてその身が爆ぜるという悪辣な攻撃によって被った断末魔の瞬間、そして現界の力を失い存在が消滅するという死の感覚、全てが鮮明に五体に残っていた。
 あれほどの罠ならば、数体に存在密度を戻した潜入技能に特化したアサシンでなければ突破はできないかもしれない。
 しかし、綺礼はその考えは早計だと頭を振った。入り口“付近”の罠程度であのような罠が発動するのだ。別荘まではそこからかなりの距離があった。辿り着くまでどれほどの罠を掻い潜らねばならないことか。
 アサシンの用途と利点を考えるならば、この序盤に潜入させるのは困難である前に割に合わない。あまりに愚策であると言えよう。
 そして、キャスターの陣営にはアサシンの存命が曝かれた結果となった。せっかくの優位性も陣地作成スキルを持つキャスターに知られたのは痛恨のミスだった。


『……キャスターのサーヴァントか。時間的猶予は充分あった。分体とはいえアサシンを迎撃する殺傷力……陣地は盤石なまでに築き上げていると見た方がいい。
 アサシンの秘密が漏れた可能性もあるが、迂闊に手は出せんか。だが、それと引き替えにキャスターの根城を早々に割り出し、その危険性を知ることができたのは不幸中の幸いかもしれないな。
 綺礼、聖堂教会の調べで何か解らないかね?』


「導師の仰りたいことは重々承知しております。しかし、第五位は売り手に肩入れしているのか、どういった相手から買ったのかを我々に教えるつもりはないようです。資金の動きと土地別荘の購入にしても埋葬機関からの手回しで我々に情報が来るのを遅らせていた程です。
 ただ、今日になってあちらからの情報開示は第五位本人の指示となっています。全てはキャスターが工房を築くのに充分な時間を確保するための工作と見ていいでしょう。第五位からの言付けによると『これで条件は果たした』のだそうで、これ以上の情報隠蔽はないものと思われます。
 そして別荘と土地を用立てた不動産屋にしても、暗示によってどういう相手に売ったのかは憶えてないそうで……」


 その情報の少なさと第五位の作為を聴き、朝顔の奥から宝石の震動によって微小な呆れを滲ませた嘆息の音が発せられる。
 綺礼はその声質から優雅さを表した時臣の顔に、正確には瞳の奥にわずかに渋いものが混じったのだと連想した。
 しかしそれは深刻さを表したものではない。彼が徒弟として遠坂邸で過ごした中で幾度も耳目に入れたありふれた嘆息の光景だった。最もよく目にし、聞く機会となったのは、時臣が愛娘のお転婆ぶりを窘める際に見せた目の色であり嘆息だった。
 つまりは、時臣の余裕に罅など一切入っていないのだ。その予想を裏切らない力強い言葉が流れるように続く。


『まったく、長命を誇る死徒、それも祖であるのならば、生前の英霊と交友があっても不思議ではないか。そしてキャスターだけあって、下準備はそれなりに周到ではあるな――。
 アサシンを失ったばかりですまないが、急ぎそちらへの監視に数体割いてくれないか』


「はい。既に三体向かわせております。遠目からの監視に留め、不休で見張らせます」


『結構。いずれ他の陣営にキャスターの居場所を流し、彼らに始末させよう。アサシンを無駄に消耗する危険を冒す必要はない』


「判りました」


 魔術師の英霊の工房攻めすら容易にこなすであろうアーチャーが、キャスター相手に動く筈がないという共通の確信の下、時臣は指示を出し、綺礼はそれに無言で応える。
 これこそが聖杯戦争が勝ち残り戦である利点と言える。獲物に手出しがし辛いならば、面倒事は他にやらせればいい。こうした策を練ることができる以上は逆もまた然りであるが、時臣には綺礼が助力している。
 何より、アーチャーこと英雄王ギルガメッシュは他五騎のサーヴァントをまとめて屠れるだけの力を秘めた最強の英霊である。
 偽りの戦端とはいえ、あの遠坂邸での顛末を見た陣営ならば、アーチャーは迂闊に手が出せる相手ではないと悟るはずだった。もし残りサーヴァント全てで攻め込んで来たら来たで、令呪を使い一網打尽にすればいい。
 負ける要素などありはないのだと、時臣は確信していた。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 慣熟訓練による徹夜明けで暁を覚えずに寝ていたウェイバー・ベルベットは、結界の警報である鐘の音によって、薄暗い地下室のベッドから叩き起こされた。
 頭に響くその音量もとんでもないが、攻められているのだという危急の事実に気付いて、地下室から転げ出るように飛び起き、予め決められていた順路に沿ってひた奔る。
 彼はマスターとサーヴァントを結んだパスを通じて相棒に念話を繋ぎ、声にまで出すのも気付かず急ぎ情況を訊ねる。


「キャスター! 敵かっ!?」


【ああ、予定通りだ。攻め込んできたのは読みが当たってアサシンだな。既に撃退、と言うより仕留めたから、そう慌てることはないさ】


 返ってきたのは、聞き慣れるまでにその耳に届いた落ち着き払った宥める声音。それがパスを通じてウェイバーの身内に直接伝わり、言葉と一緒に不動の剛さを感じさせて、攻め込まれたという情況に対する焦りとわずかな恐怖が入り交じる彼の感情を鎮めてくれた。
 そして寝呆け眸を擦りながら、昨夜にキャスターより聞かされたある情報を思い起こしていた。

 キャスターの知る第四次聖杯戦争。生前の彼女は参戦していないため判明している事実は少ない。
 セイバーであるアーサー王のマスターが――ウェイバーはそうした方面に疎いため名前を知らなかったが――魔術師殺しと悪名高い衛宮切嗣であること。
 アーチャーである英雄王ギルガメッシュのマスターが元代行者である聖堂教会出身の言峰綺礼であること。
 そして、その二人の魔術師と二人の王が最終決戦において聖杯を争奪したという、三つだけ。

 しかし、ここに来てやはりイレギュラーが発生していた。遠坂邸で使い魔越しに彼らが目撃したアーチャーによるアサシンの迎撃、そのすぐ後に冬木教会に逃げ込んだマスターが言峰綺礼であったという展開から、彼女の生前の歴史とは既にズレが生じているのか、それとも最終的にサーヴァントを失った綺礼とマスターを失ったアーチャーが再契約するのかとウェイバーは考えた。
 この考えを話すと間髪入れずキャスターは首を横に振る。彼女の知る言峰綺礼ならば、師を弑逆してサーヴァントを奪い取るなど平然とやってのけるのだと説き、そして英雄王ギルガメッシュはそうした危険人物ほど気に入る傾向にあると明かされる。
 そして彼女の出した結論は、遠坂邸で行われたアサシン潜入とその迎撃は狂言であるというものだった。
 聖堂教会から得た情報だと、時臣と綺礼の師弟は聖杯を巡って関係が決裂したとされていたが、この二人の師弟関係は今もなお継続中であり、アサシンを無為に散らしたのも何らかの秘密があるからであると推測した。
 そのため、埋葬機関から監督役へ情報が流れるタイミングでアサシンが動くか待っていたのであるが、案の定と言うべきか、監督役と内通していると踏んだ言峰綺礼が読み通りにアサシンを送り込んで来たのだ。そのアサシンが結界の入り口付近まで近寄って来たため、罠を発動させて見事返り討ちにすることとなった。
 ようやく落ち着いて来たのか、平常運転の思考を取り戻したウェイバーは、今度は口から内容を漏らすことなく念話のみで会話を続ける。


【やっぱりお前の言う通り死んでなかったんだな】


【あれほどあからさまならな。我々以外の陣営も気付いているだろうし、向こうもそうなることを承知の上で行ったのだろう。今のアサシンは手応えが無さ過ぎたから、これも本体ではないか、それとも存在を分化させているのか? だとすれば、かなりの量になるはずだが。
 やれやれ、常時実体化でもしていてくれれば一人ずつ狩っていってもいいのだがな】


【おいおい……流石に僕たちが進んでそれをする必要はないだろ】


【確かに厄介事、面倒事は他へ回せばいいことだ。ならば今後はどうするのかね、ウェイバー?】


【え――――?】


 今までの時間を全て聖杯戦争の準備期間として、ひたすら工房での作業や陣地内での教導・訓練に費やしていたため、戦略に関してはキャスターに丸投げしていたウェイバーは、今ここで話を振られるとは思ってなかったがゆえに返答に詰まる。
 しかし、同時にキャスターに渡された物の慣熟が彼女の言う通り一日で済んだため、彼も戦場を出ることを一応納得してもらえたこともあって、こうして意見を訊ねられたのだろう。
 いずれはウェイバーも戦場へ立たなくてはならないのであれば、今日これより打って出ても変わりはないだろう。時間が経てば要らぬ恐怖が湧き出るかもしれない。ならばと、彼はマスターとして意見を出した。


【お前の読み通りなら別のアサシンがやって来る可能性もあるんだよな。なら……アサシンがまだ来てないなら、あいつの試運転も兼ねて今日は様子見に街へ出ようと思うんだ。どうだキャスター?】


【そうだな。アサシン複数説が補強された以上、今後を考えれば戦場の空気を肌で感じるのも悪くない選択ではあるな――】


 キャスターは主の攻め気を正負両面の視点で静かに黙考した。アサシンを罠によって始末して二分と経ってない現状から、今動くタイミングを逸すれば最悪四六時中監視されて穴熊を強いられるデメリットが発生するだろう。逆に陣地内での迎撃戦のメリットもあるが、いずれは突破されるものだと心得ているため守勢一辺倒というのも悪手だった。それに比して今ならばいまだ複数残っているであろうアサシンの監視を振り切って街へ出ることが出来、場合によっては貴重な実戦経験を得るというメリットもある。こちらも逆に敗北の危険性を孕んでいるが、心配の種だったウェイバーの無力は打開する目途が立ったため、捨て鉢にウェイバーのせっかくのやる気を殺いでまで翻意を促す必要性はない。
 ならば、あとは自分の双肩にかかる責任を全うして動くだけである。


【接敵の末交戦するにしろ遁走するにしろ、情況は既に動いた。ならば、ここで安全策を執るのも憚られるな。仮に戦闘になろうとも〈鷹の眼(ホークアイ)〉の投影で消費した魔力は回復済みだ。油断しなければ支障はないだろう。
 ではウェイバー、初陣となるかは神のみぞ知る未来だが、本日は私とともに直に偵察と洒落こもうか】


 常からウェイバーの側を離れず、さらに監視網として大量に用意した刃金の使い魔〈鷹の眼〉の目と、自身の千里眼スキルがあればそう不利な遭遇に直面することもあるまい。今は意気軒昂であるウェイバーの勢いを見守り、それが破綻しないように補佐すればいい。少しずつ経験を積ませ、この未熟なマスターの生存率を上げなくては、聖杯戦争の流れ次第では生き残るのも至難となろう。そういう意味では戦場にサーヴァントと並び立つことを拒否しない姿勢は危うくはあるが、間違いではないのかもしれない。
 キャスターは長期的思考から、ウェイバーの提案を是とし、陣地から出陣することを決断した。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 その気配を察知したのは絶世の美少年――ではなく、凛とした烈気を宿す男装の麗人だった。
 鮮やかな金髪を後で束ね、首から下を漆黒で統一してコーディネイトされた当世風の衣装を身に纏うその少女の正体こそ、聖杯が設けた七つの匣(クラス)の内で最優最強と謳われるセイバーのサーヴァントだった。
 セイバーは銀髪紅眼の貴婦人の二の腕を掴んで引き寄せ、気配の主から仮初めの主を守るためにさりげなく立ち位置をずらす。
 そのセイバーに庇われるのは、彼女同様に絶世の美貌を誇る雪国の貴婦人、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。彼女はアインツベルンの正式なマスターである衛宮切嗣の妻であり、彼の方針によってセイバーともども囮となるべくセイバーの代理マスターの役目を担っていた。
 艶やかに輝く銀の髪を海風に揺らしつつ、囁くようなアイリスフィールの言葉がセイバーに届く。


「……敵のサーヴァント?」


「はい。どうやら我々を誘っているようです」


「ふぅん。律儀なのね。戦う場所を選ぼうってわけ? どうやら相手の思惑も、私たちとそう変わらなかったみたいね。これ見よがしに気配を振りまいて、噛み付いてくる相手を誘い出す……セイバー、あなたと同じ真っ向勝負のサーヴァントと見ていいんじゃない?」


「となると、クラスはランサーかライダーですね。相手にとって不足はない」


 アーチャーならば遠距離戦、キャスターならば搦め手、アサシンならば暗殺、とこの三騎はそれぞれ得意な距離と戦法が特化している。そして残るバーサーカーは理性がないため誘い出すなどという真似自体できないため、消去法で気配の主は白兵戦を得意とするランサーか、宝具に騎乗するであろうライダーのどちらかで間違いはないだろう。
 そして真っ向勝負であるならば、最優のクラスであるセイバーが後れを取るわけにはいかない。たとえ待っているのが罠の類であろうとも、その手に握る聖剣をもって両断すれば済む。巌もかくやの堅い決意を胸に、アイリスフィールに自負を事実として顕示した。
 悠然と構える騎士の威厳すら滲み出る不敵な笑みに同質の笑みで返し、アイリスフィールはセイバーに訊ねる。答えは判りきっていたが、これを訊ねるのは仮初めの主の大切な役目だった。


「それじゃあ、お招きに与るとする?」


「望むところです」


 剣の騎士の主従はゆるりと遠ざかる気配を追って海浜公園を抜け、魔術で人払いが施された埠頭の倉庫街に辿り着く。
 左右にコンテナが積み重なる大路で彼女らを待ち構えているのは三人の男女だった。
 一人はセイバーたちから見て手前に位置し、その出で立ちと膨大な魔力の内在する気配から、その人物がサーヴァントであり、さらに両手に握る右の長槍と左の短槍からクラスがランサーであることが容易に見て取れる。右の眼下に呪符が貼られているが、それが支障する様子もない。

 彼のやや後方では金髪の男性と赤髪の女性が佇んでおり、セイバーは知らないことだが、アイリスフィールは夫の集めた資料に眼を通した時に金髪の男性の顔写真を見ていたため、その男が時計塔の名家アーチボルト家の当主であることに気付く。
 主従三者は涼しげな空気を纏って彼女らに視線を向けていた。その眼はいずれも油断なく、そして屈託のない光を灯していた。
 その印象を裏切ることなく、槍の騎士が低いながらも朗々たる美声によって口上を述べる。


「よくぞ来た。今日一日、この街を練り歩いて過ごしたものの、どいつもこいつも穴熊を決め込む腰抜けばかり。俺の誘いに応じた猛者は、お前だけだ。その清開な闘気――セイバーとお見受けしたが、如何に?」


 讃美と同時にクラスを誰何され、隠すことなく剣の騎士も宣言と誰何を返した。


「その通り。そういうお前はランサーに相違ないな?」


「如何にも。この身はランサーのサーヴァント。だが、このような肩書き、騎士の名乗りとは到底言えぬ」


 そこで槍兵は二歩ほど横に移動し、セイバーたちが金髪の男性と対峙する立ち位置を取る。
 それに肯く金髪の男性こそ、ランサーの態度からマスターであるとセイバーとアイリスフィールは確信した。
 ランサーとはまた別種の美声が紡がれ、海風に乗って届く。長らく貴族社会で経験を積み重ねられた、礼を逸することのない潔癖な声音だった。


「私は魔術協会より派遣され、此度の聖杯戦争に参加するケイネス・エルメロイ・アーチボルト。既に存じていると思うが、ランサーのマスターだ。
 セイバー、御身が名高い騎士と見受けたため、私は我が無二の騎士に尋常の決闘を許す旨を決めさせて頂いた。
 今より無粋な覗き見を阻むべく束の間の壁を造るゆえ、どうか見逃されよ。最優クラスの対魔力の前には文字通り霧散する程度の代物、そこな仮初めの主が備える抗魔力ならばそう危害もない。心配は無用だ」


 ケイネスは外套の懐から掌にすっぽりと収まるほどの大きさの銀色の真球を取り出し、それを地面に落とした。真球は弾かれることもなく跳ね返ることもなく、そして砕けることもなくアスファルトの大地に融けて消える。
 そして周囲の景色が一変した。視界の端に銀光が煌めく霧が立ち込め、それはやがて左右のコンテナごと1ブロック丸々覆い尽くし、彼女たち五人を完全に外界から隔離したのだった。
 

『――っ!』


 ケイネスの言葉をすぐ鵜呑みにするほどセイバーもアイリスフィールも無警戒ではない。全面的に罠であることも考慮してアイリスフィールを引き寄せ、その手に武装を顕現させる――否、しようとしたところで一旦中断してしまった。アイリスフィールもセイバーと同じものを見ているため、驚きに呆けた表情を見せていた。
 なんとケイネスは無造作にランサーの佇む位置まで近づくと、携えていたケースの中から二振りの長剣を取り出し、何時の間にか跪いているランサーに悠揚迫らぬ態度でその二振りを下賜したのだ。
 それは騎士の任命式を思わせる厳かで神聖さすら感じ入らされる姿だった。


「ランサー、それなりの知覚系統の魔術を使われようと、暫くの間は中の様子が洩れることはない。騎士の栄誉、私に魅せてくれ」


 拝領した長剣を左肩に、その長剣より若干短い剣を右腰へ、それぞれ鞘ごと装備したランサーは深々と主に頭を下げて万感の謝意を表する。


「痛み入ります、ケイネス様。そしてご覧下さい。我が力、御身の誇り高き決断と厚情に恥じぬ働きを全ういたします」


 そして忠義と誇りの汪溢する双剣二槍の騎士は再び槍を持ち、右手の槍の石突を文字通り大地に叩き付けると、高らかに大音声で宣告する。


「――セイバー、興の乗らぬ縛りはこれより暫時無くなった。ゆえに矛を交える前に名乗らせてもらおう。聖杯の寄る辺より得た我が偽りの名はランサー。なれど、我が真名はディルムッド・オディナ! 生前の所属はフィオナ騎士団。されどこの身は今生の全てを主ケイネス・エルメロイ・アーチボルトに捧げしただ一条の槍なり。これなる槍を恐れぬならば、いざ尋常の合戦を所望するっ!!」


 セイバーは敵ながらその潔い態度と騎士道に殉ずる主従の覚悟に、不覚にも感銘を受けていた。
 これほど栄誉に輝く敵は彼女の生前でもそうはいまい。結果的に離散し崩壊したとはいえ、あの円卓の騎士たちに匹敵する直向きな矜恃と誇りの下に名乗られ、その上で正々堂々と果たし合いの口上を向けられたのだ。
 自身も名乗りを上げ、騎士として相手の誠意に応えるのがせめてもの礼だったが、彼女が今立つ場所は聖杯戦争の地である。迂闊に真名を名乗るなど愚の骨頂だった。何より守るべき主の命を軽んずる背信行為に他ならない。

 しかし、これほどの相手に名乗ることをせずに刃を向けて死合うというのは、聖剣の主として、騎士王としての自身と相手に対する辱めに等しい。
 そして彼女の愛剣である聖剣はそのような暴挙を許すであろうか? よもや〈約束された勝利の剣〉も〈勝利すべき黄金の剣〉のように折れるのではないか?
 こうした葛藤を抱く時点で、その危険性はすでに濃厚なものとなっていた。ここで名乗り上げ決闘を引き受けねば騎士の誇りが廃る……しかし、それを行うは騎士の誓いに反してしまう……。
 同じ騎士の誉れであるのに、こうも相反することになろうとは。
 ぎしりと食い縛った歯が軋み声を上げ、握り締める拳から布の擦れる音が洩れる。

 そのセイバーの懊悩する様を見かね、アイリスフィールがセイバーに告げる。騎士の誇りを穢すことなく勝利するための魔法の言葉を。


「構わないわ、セイバー」


「っ!? で、ですがアイリスフィール……」


 セイバーは驚きを露わにわずかな狼狽を見せつつ、アイリスフィールの心遣いに反する言葉を口端より発してしまった。
 だが、思い悩むというセイバーの年相応の表情に慈愛に満ちた微笑で応え、アイリスフィールも代理とはいえセイバーのマスターとしての覚悟を見せた。


「私のことなら大丈夫。それに、信じているから。だからあなたも我慢しなくていいのよ? あそこまで堂々としているんですもの。あなたが名乗ったとしても外に洩れることはないのでしょうしね。そうでしょうロード・エルメロイ?」


 律儀に騎士とともにセイバーたちの決断を待っていたケイネスは、その確認の言葉に揺るぎない寛厳さをもって返した。


「左様。だが急いで欲しい。宝具でも使われれば人の身で築いた結界など役目を果たさんのでな。探知妨害も用意した触媒の全力で維持したとて、もって五分といったところだろう。まぁ張り直せば済むが、それをさせるのならば、貴女方がこの場を退くことをお勧めしよう」


 本来ならば四半日は持つ魔力を貯蔵した礼装だったが、時間毎の消費魔力を引き上げてまで結界に多重機能を付加させて展開しているため、その維持で一秒一刻と過ぎる毎に凄まじい勢いで魔力が失われていく。
 元々はランサーの〈破魔の紅薔薇〉と〈必滅の黄薔薇〉による一撃離脱戦法を繰り返すという長期的戦略も考えていたが、ランサーの人格を考慮して全ての戦闘を短期決戦にするという方針を固めたため、こうした礼装の無茶な使い方も採算が取れる見込みはあった。
 さらに使い方如何に関わらず、この礼装は一回限りの使い捨てであるため、惜しいと思っていてはそも使えるものではない。
 何より、今宵用意した礼装はこれ一つではない。既に起動している物と待機状態の物を合わせて二桁を越す量をこの場を取り囲むように配していたのである。

 しかし、そうした保険をおくびにも出さず、ケイネスは現在発動している結界のタイムリミットを報せる。さらに相手が誘いに乗った以上、ここで逃げ帰ることはないと確信していたので礼装が無駄になる心配も杞憂であろう。あとはどれだけ魔力を温存し結界を長時間維持できるかが肝要だった。
 この程度の腹芸、時計塔の政治闘争という化かし合いで培ったケイネスにとっては虚言を完全に本心として口にするのに造作もないことだった。
 そして真実は話してないが事実は話しているのである。決して欺いているわけではないため彼の良心が揺らぐこともない。


「ご厚意ありがたく頂戴いたしますわ、ロード。――セイバー、誉れ高い騎士王の栄誉、私に魅せてくれないかしら?」


「……――諒解しました。あなたの騎士の戦う姿、篤とご覧下さい。アイリスフィール」


 剣の英霊は気付く。アイリスフィールの身体がわずかに震えていることに。しかし表情にはそのような気配を微塵も見せず、ただ信頼と覚悟をもってセイバーに微笑んでいた。
 その姿にセイバーは胸を打たれた。心底から敬服の念が滾ってくるほどの昂ぶりを覚え、王ではなくただ一人の騎士として、主とともに立つ者として奮い立った。
 このアイリスフィールの覚悟に応えなくして、何が騎士の王だというのだろうか。何処が究極の聖剣の担い手であろうか。
 恥を知れ。その恥を雪げ。彼女の意志を汲めるのも、その命を守れるのも、今は己ただ一人しかいないのだ。
 ならば騎士の本分を全うせよ。この身が騎士であると言い張るのならば。
 セイバーはそれまで嵐の中の浮舟のように揺れ動いていた軟弱な己の精神を強く締め直すために、手袋で覆われた両の掌で自身の頬を強かに張る。
 そして形式上は仮初めであり代理であろうとも、目の前の女性をこそ無二の主として定め、その信頼に応え忠誠を尽くす決意を烈火のごとく盛んに燃え上がらせる。
 そこには先刻までの迷いと躊躇いは塵ほどの欠片もなかった。あるのはランサー同様に主の誠心に報いる騎士の闘志のみ。圧力の増した烈気がランサーを射貫く。


「待たせたなランサー。貴殿が所望せし尋常の果たし合いをお受けしよう。我が名はアルトリア・ペンドラゴン。ウーサーの子にして、ブリテンを守りし赤竜の化身なりっ!」


 風が集まり、竜巻がセイバーを呑み込んだかと思うと、そこに男装の麗人はいなかった。
 解けた大気の渦跡より現れたるは、その矮躯を折ることなく一国を治め、いかなる外敵からも祖国を守護した騎士の王、アーサー王の御姿である。
 纏う空気は見違えるほどに輝きを魅せ、闘気はより清冽な勢いを増していた。その勇姿にランサーは打ち震える。紛う事なき武者震いだった。


「彼の騎士王の猛き武と刃を交わす栄に与るとは、恐悦至極だ。セイバー」


 二槍の封が解かれ、石突から穂先までを覆う呪符が消失してゆく。


「私もフィオナ騎士団随一の英傑と死合えるとは、光栄の極みだ。ランサー」


 具足が地面を踏み締め、右手が提げる不可視の柄に左の籠手が添えられる。


「ではお互いの名も知ったことだ。後は」


「あぁ、我らは騎士。そしてここは戦場だ。ならば互いの得物で語るとしよう」


 静謐なまでに純化された戦意が気迫に先んじて迸り、騎士たちの中間地点で火花を散らす。
 次いで、両者の身内より百戦錬磨の峻烈な闘気が噴き上がった。闘気の裡に殺気はあるが、殺すことそのものは本命の意ではない。
 眼前の敵を斃すという覚悟、勝利の後に己が奪った相手の命と願いを弔う責と使命、それらが発露した闘気に殺気を伴わせていた。
 セイバーは風の魔力で覆われた不可視の剣を青眼に構え、ランサーは体を半身にずらして小枝のように長短の二槍を操り、自然体に両の穂先を膝の高さまで下げた構えを取る。穂先と同じ高さの膝は柔らかく溜められており、いかなる間合い、距離、拍子にも対応できる歴戦の最適解が表れていた。


『――いざ』


 申し合わせたわけでもないのに、そうであるかのように騎士たちの言葉が唱和する。


『尋常に――』


 動かない。まだ始まりではない。魔力と気迫に空間が撓むほどに互いの攻め気が待ち侘びる。


『勝負っ!!!』


 美声の和合する鬨の声が開始を宣言する。弾丸が銃身を奔るように、引き絞った弦より指を放すように、彼らは硬く待ちに待った総身に自由を許した。勝利を掴めと号令を下したのだった。

 地割れのごとき極大の踏み込みで足下が爆ぜ、青銀の騎士が火箭となって吶喊する。
 対する濃緑の騎士は紅黄の鋭い翼を広げ、羽毛を思わせる軽捷な足捌きで迎え撃つ。
 秒より短い時の間隙を、人の身で精霊の域にまで昇華された存在が疾駆した。その初速は常人の眼で捉えきれるものではない。魔術師であろうとも視認しきれるものではないだろう。英雄と呼ばれた豪傑たちの全速はそれほどまでに迅かった。

 研ぎ澄まされた感覚の中、剣の騎士と槍の騎士は相手の出す全力を肌で感じ取って、表面に一切洩らすことなく胸の裡にて笑みを浮かべた。
 両者ともに相手の武勇は英霊の座と聖杯より得た知識で周知している。ならば小手調べなど騎士の英霊同士の初戟には不要でしかない。
 円卓の騎士とフィオナ騎士団。どちらも劣ることなき栄誉を誇る最高位の騎士が揃った最強の戦闘集団である。
 敵手が己に勝るとも劣らない勇名武名を持つとあらば、相手にとって不足などあろうはずもなし。伝承にて手の内の切り札が知られているというのも小気味よかった。警戒は無論解かないが、未知数の相手と戦うなど茶飯事のこと、互いの知名度も五分なら条件も互角、嘆くに値しない。
 そう、これほどの猛者を相手にするのであれば、最初から全力で武装を振るい、相手の全力に応えて真っ向から打ち破るのが戦の作法だ。それが互いに名乗り合った騎士の礼儀、決闘の誉れである。

 背負う物がある。譲れない望みがある。騎士として仕えるべき主がいる。
 セイバーは仮初めの主なれど、アイリスフィールへの忠義は紛れもなく本物だった。ならば眼前に立ちはだかる最高の主従に自分たちが後れを取るわけにはいくまい。
 初戦の相手が斯様な者たちであることにセイバーは騎士として聖杯に感謝し、アイリスフィールを主と戴いて正々堂々とした決闘を行える今この瞬間に対し、それ以上に歓喜した。
 ランサーも最初の相手が下らぬ浅知恵で奸計を巡らすような輩でないことに、武人として騎士として天井知らずに愉悦が高じる。まず主であるケイネスに感謝し、次に眼前の騎士とその主に感謝し、最後に聖杯と運命に感謝した。

 両雄ともに己が振るう自慢の得物が相手の五体を狙い、さらに互いに相手の攻撃を迎え撃つことでそれらが交差した。
 宝具という高貴な幻想によって象られる刃が激突し、刃鳴りの快音が舞台に谺する。
 この音こそ、第四次聖杯戦争の戦端が開かれる真の合図となるのだった。


すいません……書いてる内に二話分になりそうというか、なったというか……というわけで区切りの良い辺りで一旦切って、投稿させて頂きます;

※10/26 03:03 セイバーの描写をほんの少しだけ加筆しました。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。