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  Fate/Zero -Irregular shuffle- 作者:もぐ愛
五:準備





 寒気が心身に染み込む真冬の昼下がり、山の稜線を下るからっ風は、大地を隠す落ち葉を舞わせて景観を刻一刻と変化させていた。
 抜けるような空の高さとその蒼さが、絶好の洗濯日和だと教えてくれる。事実、目の前では干された寝具や洗濯物が、山風によって緩やかにはためかせていた。
 ウェイバーはフロントウィンドウの内側から揺らめく洗濯物を眺めながら、運転していたバンを地下一階の車庫に入れる。日の差さない車庫は寒く、車内のヒーターで弛んでいた身体を震わせながらバンのドアを全て開けて、荷物用エレベータに買い込んだ大量の食糧を積み込んだ。
 買い込んだ量が量なためこの作業だけで数分を要し、運び終わる頃には肌着が汗で湿っていた。箱で購入したアイソトニック飲料の一つを段ボール箱から取り出して喉を潤し、一階行きのボタンを押した。
 一応人間も乗り込めるしそのスペースも空いていたのだが、ウェイバーは自分の汗の臭いが篭もるのではないか、その臭いを同居人が嗅ぐことになるのではないか、と下らない心配をして、買い物で疲れた身体を叱咤して一階へと上がる。


「朝から行って半日近くかかるなんて……わりと人遣い荒いよな、アイツ……」


 九時過ぎに車で出発したというのにも関わらず、ただの食糧調達でこれほどの時間を費やすことになるとは流石の彼も思わなかった。いや、多少の予想はしていたがここまでとは――。
 なにせ本日ウェイバーが購求した物品は、日持ちのする保存食料だけではなかったのである。
 キャスターの方針で日に三度は彼女が料理を作り、ウェイバーがそれを食べるという、まことにサーヴァントとしては呆れるほど食事にこだわりと情熱を見せてくれるのだ。そのために生鮮食品も大量に購入することとなった。

 そのこだわりに正当な理由もあれば、ウェイバーも断ることはできない。
 ウェイバーからキャスターへの魔力供給ラインのパイプは細い。必然、供給される量も微々たるものとなっていた。
 この点に関して、キャスターは事実をただ事実として淡々とウェイバーに説明した。
 確かにウェイバー・ベルベットの体内で生成する魔力の総量は少ない。そしてその少ない魔力はたとえ霊体化していようとも、絶えずキャスターに供給しなくてはならないのだ。
 魔力が枯渇すれば、待っているのは死である。そしてキャスターには限界量ギリギリまでマスターから魔力を搾り取ろうという意思はなく、ならば食事の質と量、そして拠点とする土地の地形効果によってウェイバーの魔力生成を活性化させようというのが、彼のサーヴァントの目論見である。
 パラメーターにこそ変動はないが、それでも魔力の供給量は概算で三倍近くに跳ね上がるのだという。それでも元の量が量であるから、まだまだ他のマスターより低いという見積もりだった。

 ウェイバーはこの提案に思わず反駁した。魔術師として、マスターとしての己に致命的欠陥を突きつけられた思いだったからだ。
 しかし、血気盛んに自己弁護する未熟な主に、当の彼女は苦笑して言ったのである。“私がマスターだった時はそもそも自分のサーヴァントに魔力供給することすらできなかったへっぽこだったのだよ?”、と。
 そうして語られたのは、彼女がいかに己のサーヴァントに迷惑をかけたかという失敗談に占められた過去のエピソードだった。
 己の恥部を赤裸々に暴露するその話は、ウェイバーの視点で聞いても惨憺たる内容だった。
 素人同然の半人前未満という、三流どころか五流に位置付けられるであろう状態で、聖杯戦争のマスターとして巻き込まれたというエミヤ・シロ。
 それが最終的には現代社会で英霊にまで上り詰めたとあっては、彼女のマスターとして負けていられないし、自分はまだ若く未来があるのだと信じることができた。
 そして未来を得るためには、まず聖杯戦争に勝ち残り、生き残らなくてはならない。ならば彼女の提案通りに、己の現在の欠点を補う手段を取るのは必要なことだろう。

 もっとも、互いに魔術師同士ということで、足りないならば他から持ってくればいい、という考えの下、冬木市の住民を襲って魂喰いをするという選択肢は、可能性として思い浮かびはしても、それを彼らが取ることはなかった。
 ウェイバーはもともと身一つで冬木の地にやってきたとはいえ、当初は征服王イスカンダルという最強の手駒を召喚する腹積もりだったのである。
 そんな姑息で面倒な真似をしなくとも勝って見せるという意気込みがあったし、魔術師として潔癖なきらいのある人格を有していたため、魂喰いという手段などそもそも選択肢の内に入ってすらいなかった。
 また、キャスターも魔術師とはいえ英霊らしく潔癖で、魂喰いなどという下種な方法で魔力を得るなど思考の埒外であった。
 さらに他の陣営のサーヴァントがそれをするなら、ウェイバーが制止しようとも真っ先に止めに入るとまで宣言し、その情況で彼女を止めたければ令呪を使えとまで言われたほどである。
 そうした二人の方針から、ウェイバーは魔力を供給するために三食彼女の手料理を食べることになった。そして美少女を侍らせて世話を焼いて貰うという、恋人の一人ももったことのない少年にとっては過分なほど、男やもめが求めて病まない羨望の生活を送ることとなる。

 しかしながら、戦争に準備は付きもの。そして彼らの陣営は総合戦力で他に劣り、そして弱い。
 なにせクラスがキャスターであるのだ。その特典として保有するスキルは、まさに戦の前に準備を整えることに主眼を置いたものである。
 それゆえに、キャスターは開戦まで陣地作成スキルと道具作成スキルを駆使して出来うる限りの備えを進めなくてはならなかった。
 それでも食事に関してはキャスターが必ず用意し、拠点の清掃はキャスターが道具作成スキルで得た作り方で指示されてウェイバーが作り出した渾身作の使い魔に任せ、洗濯や買い物は彼自身が請け負っていた。
 そして本日、キャスター特製の魔力殺しの呪符を渡され、単独で買い物に出たのであるが。


 ――今日一日で食材の目利きのプロになった気分だよ。


 栄養価の高い上にバランスの取れた料理を作るためには、まず食材ありきである。
 ゆえに、生鮮食品を購入する際、ウェイバーはキャスターとの念話と五感共有によって徹底的な指導の下、己のサーヴァントが納得する食材を得るためにこき使われるハメに陥ったのだった。
 キャスターのありがたくもない微に入り細に渡る一流シェフもかくやの視点からもたらされる指導の結果、肉や野菜、魚介類に果ては乳製品やワインのブランドまでを選び抜くこと丸四時間。ようやく帰宅を果たしたウェイバーは、随分と安請け合いをしたものだと軽くはない後悔をしていた。
 しかし、彼女の料理は旨く、そしてウェイバーの心身の調子を整えるのに一役も二役も買っていたのは彼も身に染みて実感するところだった。

 おまけに道具作成スキルで毎回それなりの量の魔力を消費するキャスターに魔力を供給し続けていても、日常生活が苦にならないほどのスタミナのつく料理の腕前には脱帽するしかない。
 内容は成人病とメタボリック体型間違いなしの高カロリーなものだというのに、それで健康を損なうことなくしっかりと栄養バランスの取れたメニューの数々だった。
 こんな生活を送っていたら、もし聖杯戦争が終わってイギリスに帰ってからは、日々の食事が地獄になるのではないだろうか。
 ウェイバーは詮のない危惧を汗と一緒に熱いシャワーで洗い流すと、湯冷めしないように暖房の効いた脱衣所で頭を乾かして防寒着に着替え、購入して来た大量の食材の整理と保存を頼むために、離れの物置小屋へ続く小径に足を向ける。
 暫く歩き、本邸から小屋へと続く中間地点で立ち止まり、背後を振り向いた。


 ――でも、ここまで助けてもらってると頼み事とか断りづらいんだよなぁ……キャスターの料理は本当に旨いし……。


 ウェイバーの眼前に聳えるように建てられているのは豪奢な邸宅だった。
 近代的で斬新なデザイン、それでいて郷愁を感じさせる落ち着きを与える建築物。なにやらフランク・ロイド・ライトのデザインに傾倒した日本人が設計したそうだが、あまり有名な人物ではないという話を聞いても、ウェイバーにとってどうでもいいことだった。
 邸宅はこの国で一時期に実体経済から逸脱して資産価格が異常高騰したバブル期に建てられた別荘で、銀行に騙されて購入した中小企業の保養施設だったらしいが、景気の下がった現在では金喰い虫のお荷物物件となり売りに出されて久しく、なかなか買い手の付かないこの別荘を購入したのがウェイバー――ではなく、正確には彼のサーヴァントであるキャスターなのだった。

 この邸とその周辺四方3kmまでが、キャスターが聖杯より与えられた結界構築能力――陣地作成スキルによって形成された彼女の工房であり領域であった。
 半径3kmの結界内の各所には、柄頭と鍔元に宝石を象眼されたアゾット剣を始めとした多種多様な“剣群”を地面や樹木、湖の底や岩に法則性をもって突き刺しており、それぞれの剣が具える神秘と魔力が共鳴し、それが霊脈と干渉し合うことで異界じみた空間の歪みを発生させていた。
 その歪みは膨大な魂の持ち主であるサーヴァントの侵入経路を限定させ、仮にマスターやサーヴァントがその隙間を通ろうものならば、処刑場もかくやの罠が発動する仕掛けを施していた。
 魔術師の工房らしく、その結界の機能は決して守りのためのものではない。外敵を攻撃するのためのものだった。そしてその威力は、エミヤ・シロの特異な魔術を用いているために他の英霊をして、決して侮れるものではなかった。

 また剣群の用途は結界構築だけに止まらない。突き立てられた数多の剣は霊脈に負担をかけない量のマナを吸い上げ、大半を結界維持に消費しているのだが、剣の内部に構築した回路によって、結界維持分とは別にマナを魔力に加工する機能も付与されていた。
 そしてそれらの魔力は緊急時の補給用として、ウェイバーに渡されたアゾット剣の柄頭に取り付けられたルビーに貯蔵されてゆく。
 短時間で溜まる量は微々たるものであるが、それが四六時中ともなれば、日を追う事にそれなりの量が込められていった。

 生前は彼女も試したことのなかった結界魔術らしいのだが、どうやらクラス別スキルの恩恵によって、目的や用途を定めた結界の必要性を思った瞬間に、自身でそれをなせる手段が浮かび上がってきたのだそうだ。
 キャスタークラスの付加スキルとはいえ、同じ魔術師として反則という言葉を叫ぶのを我慢できなかったウェイバーに罪はないほどの利便性である。
 そしてキャスターの手段というのが――。


 ――なんてったって投影魔術なんだもんな……。固有結界といい、ホントにアイツってキャスター(魔術師の英霊)だよ。


 キャスターの結界の内側とはいえ、彼女の切り札ゆえに不用意に口には出さず、心中で独りごちた。そしてキャスターの武装と宝具の秘密を明かされた時の自分の狼狽え振りを思い出して、溜息を漏らす。
 内心の決意も虚しく、あの後すぐにも彼女の前で醜態を晒したのである。大声を上げなかったとはいえ、無様には違いない。気鬱も高じよう。
 反面、ウェイバーはあの時初めて見せられた“現実を侵食する幻想”という鮮烈な光景を思い出して、一芸特化型とはいえ究極に辿り着いたエミヤ・シロという魔術師への憧憬に胸の奥を火照らせた。





 ◇◆◇◆◇◆◇





「キャスターの考えは判ったけどさ。いい加減そろそろお前の宝具とかスキルについてきっちり教えてくれないか? 市街を練り歩くにしろ陣地作成した場所に誘い込むにしろ、サーヴァントの力量が判らなきゃ僕だってどうしようもないんだからさ」


 一夜を過ごしたラブホテルを出る前、キャスターと握手を済ました後、ウェイバーはステータス情報からは知り得ない能力についての詳細を訊ねた。
 現状は互いに聖杯戦争の目的と方針を把握したため、一応は落ち着いた情況と言えるだろう。
 ならば、そろそろウェイバーが気になっていたキャスターの能力を話して貰うタイミングが来たのである。

 ウェイバーの問い掛けに対し、小道具とはいえ粗末に扱う淹れ方をした責任を取って、安物のインスタントコーヒーを文字通り苦い顔で飲み干したキャスターは、口直しとばかりに紅茶の準備をしていた流れるような手運びを止めることなく肯くと、湯を沸かしながらテーブルの対面へと坐った。
 主従の間を中心に室内は微妙な空気が漂うこととなったが、ウェイバーは彼女の外見年齢相応の拗ねた表情を見なかったことにし、キャスターは雑な入れ方で味を損なったインスタントの味を自戒のために噛み締め、そしてようやくウェイバーと視線を合わせる。


「――――おほんっ」


 ぱちぱちと瞬きすると、主の視線からその意を読み取り、銀髪赤眼の少女は面映ゆさからコホンとわざとらしい咳をする。
 そういった仕草を反応に困る表情で見られ、さらに余計に咳をすること三度、ようやく落ち着いたのか、時すでに遅い凜烈とした清廉さを伴ってウェイバーと向き直り、その瑞々しい唇を開いた。


「やれやれ、とんだところを見せてしまった。これでは今さら勿体ぶるのも見苦しいな。うむ、隠すと互いの信頼に要らぬ罅を入れるだけか――。
 ウェイバー、君の見えるステータス情報の宝具欄は現在未表記かね? 何も情報が無いのならば、今から宝具欄の情報を直に渡すことができるのだが。まぁ、直接見せるのが一番ではあるのだがね、生憎と私の宝具はお披露目するだけで洒落にならないほどの魔力を消耗するという弱点を抱えている。無駄遣いは控えるためにも、私はマスターの取得する情報の追加を提案する」


 確かに戦争に赴くまでの事前把握は必要なこととはいえ、キャスターの具申するような方法で容易に知ることができるのならば、宝具の実体を知るためだけに魔力を消費するのは、結果として無益な損耗であろう。
 ウェイバーが二つ返事で受諾するとテーブル越しにキャスターの右手がウェイバーの眼前に迫り、その人差し指が彼の額に触れる。
 そして頭の芯で音叉が鳴動するような錯覚とともに、脳裏を占めるキャスターのステータス情報の不足分が一変する。



■宝具■

【全て遠き理想郷(アヴァロン)】
 ランク:EX 種別:結界宝具 防御対象:1人

【無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)】
 ランク:F~A++ 種別:????(※形態:固有結界) レンジ:???? 最大捕捉:????



 瞬時に列記される宝具の名称とその神秘の格。それだけに止まらず、さらに意識の奥へとある映像が流れ込んで来た。
 視界を奪うようにウェイバーの脳裏で結ばれた像は、瞬きする間にも満たない短い時間しか見ることができなかった。
 しかし、焼き付くようなその強烈な印象を、彼はおそらく死ぬまで忘れることはないだろう。

 墓標のように雪原に突き立つ無数の剣。聖剣、魔剣、霊剣、名剣、ありとあらゆる形状と種類の剣がその世界に果てなく乱立していた。
 そして、その世界に存在するのは剣だけではない。雪原の中央、丘の頂に屹立する氷塊の中に見えるのは、剣身を鞘に納められた一組の至宝。それが夕陽とともに暖かみのある黄金の光をもたらして、銀世界を金色に照らし出していた。
 血塗られし歴史の垣間見える剣群の禍々しさと、それに負けぬ最強の幻想たる黄金の剣と鞘の神々しさに打たれ、ウェイバー・ベルベットは理解した。
 彼女こそ、限りなく魔法に近い魔術の一つ、心象風景によって現実を塗り潰し、結界内部を異空間へと変じる大禁呪、固有結界という究極に到達した最高位の魔術師だということを。

 あまりの事実にウェイバーはいまだ眼前の少女の力を見くびっていたのだと自覚した。
 聖杯を破壊すると宣言したサーヴァント、第五次聖杯戦争を生き抜いたマスター、現代という英雄を必要としない時代を生きたにも関わらずその身を英霊に昇華させた未来の偉人。
 それらの情報で味わった驚愕すら凌駕する奥の手こそが彼女の宝具だった。驚き通しとはいえ、さらなる驚異の秘密に彼の常識の針は振り切り、一周回って元に戻るという、宙を浮くような心境で逆に取り乱さずに済んだ。いわゆる、驚き過ぎると反応すらできないという状態だったのである。
 ウェイバーは背もたれに体重を預け、静かに、それでいて長い吐息を吐いた。


「…………そう言えば、固有結界って宝具扱いになるものなのかな?」


「こうして該当する以上は宝具扱いで問題ないのだろうな。生前の私にあったのはこの世界だけ、とは言わないが、宝具が英霊のシンボルであるのならば、この固有結界こそが私の宝具と称して間違いはないさ」


 宝具とは、人間の集合無意識で総括された各人の幻想――その英霊の生前の得物や異能、逸話などを骨子に象徴的特徴として昇華された武装の総称である。
 キャスターの固有結界は生前幾度も使用された切り札であり、一般に秘匿される裏の世界においてはかなりの知名度をもっていた。
 そのためにエミヤ・シロという英霊の宝具にカテゴライズされる条件は揃っていた。
 もう一つの宝具は多用こそされず知名度もほとんどなかったが、生涯その身と同化させた身体の一部であるためにしっかりと登録されていた。
 未来の英霊であるエミヤ・シロは知名度の恩恵が一切得られない地形効果によって、ウェイバーの未熟という要因以上に弱体化している。
 その証拠にキャスタークラスの影響もあって、本来英霊エミヤが持たないはずのスキルのせいか、直感・魔力放出・カリスマのスキルが全て生前より1ランクダウンされていた。
 地力の弱体化に較べ、鞘と固有結界の二つが何の劣化もせずに宝具欄にある以上、たとえアーチャークラスであろうとも、仮に欲張ってセイバークラスで現界しようとも、これらの宝具を失うことはないだろう。

 ウェイバーは表面上は納得の色を顔に浮かべると、彼女の奥の手が備えるその特性の説明を促した。


「そう、か。それで、キャスターの固有結界の能力やもう一つの宝具のことも、詳しく頼んでいいか?」


「諒解した。まず私の固有結界の能力だが、それは剣、また武具に類する物の複製だ」


 キャスターは左の瞼を閉じると、右手の人差し指で自身の右目を指差した。


「この両の眸で一度でもオリジナルとなる対象を視認すれば、刹那の間もなくそれらの性能・構成・歴史などあらゆる情報を解析し、君にも見せた“剣の丘”へ登録・貯蔵される。そして登録した武器を魔力で編み上げ、物質化させることでオリジナルと寸分違わぬ贋作を複製する」


 キャスターは鳥が左右に翼を広げるように、左右へ両手を伸ばす。そして、瞬きの間もなくその手には二刀の得物が出現した。
 鍔元に拵えた対極図の意匠が特徴的な、鉈のごとき厚みと身幅を持つ白黒一対の夫婦刀。大陸は中原の地で広く名を知られる干将と莫耶がそこにあった。
 少女の小さな繊手には不釣り合いな、無骨にして機能美を備えた二振りの中華刀がテーブルの上へと置かれる。


「これは干将と莫耶と言う。甚大な魔力を消費して固有結界を展開せずとも、こうして投影魔術という形を借りて心象世界から特定の武装を取り出すことができる。固有結界から零れ落ちた中で最も私の得手とする魔術だ」


 白と黒に染まる刀刃の出現に見開いたままの両の瞼が限界まで見開き、ウェイバーは我が耳を疑った。
 聞き間違いでなければ、このサーヴァントは、このキャスターのサーヴァントはこれを投影と言ったのか?


「投影?…………これが投影魔術だってっ!? あ、あり得ない……」


 投影魔術とはマイナーな魔術である。マイナーにはマイナーである所以があり、まずその非効率さが挙げられる。
 概要を端的に言えばこの魔術はオリジナルの鏡像を自身の魔力で複製するというものなのだが、投影された複製品は術者のイメージで作り上げるためよほど精確にイメージしなくては形を成さない。
 そも人間のイメージなど穴だらけであり、矛盾も孕めば一貫性も無い。その時々の環境と心理状態にさえ意識・無意識に関わらず容易に影響されるほど変動しやすいのである。
 そんなイメージでオリジナルを再現しようとしても、性能も格も本物には確実に劣る。さらに術の持続時間は短い上に、使用した魔力の半分に満たない力しか持たないため、変換効率も酷いものだ。消費対効果は全く割に合わない。
 そのくせ術の難易度は高く、お世辞にも使い勝手の良い魔術では決してなかった。

 元々は儀式で使う道具や器物のための代用品を用意するという用途で使う魔術であり、それを魔術で代用するぐらいならば、材料を一から集めて時間と手間をかけて複製品を作った方がマシでさえあった。
 魔術協会の総本部である時計塔でさえ、この投影魔術の使い手は数えるほど聞いたことがない。
 それが、ウェイバー・ベルベットの知る投影魔術の知識である。他の時計塔の魔術師に訊ねても同じような内容が返ってくるはずだった。
 であるというのに、キャスターが投影魔術で作ったのだと告げる干将・莫耶の二刀は一向に消える気配がない。まずそれがあり得なかった。

 世界は秩序を乱す幻想や矛盾を嫌う。目の前のキャスターでさえ、その矛盾に連なる存在だった。
 この聖杯戦争でサーヴァントとして喚び出す英霊とは、一種の幻想の塊である。その英霊を召喚するために大聖杯は七つの匣(クラス)を用意することで、ようやく世界が異物を握り潰すという修正作用を誤魔化しているのだ。
 そして投影魔術とは、魔術師が通常行使する魔術とは違い、等価交換の原則に従うことなく行使することが可能な術だった。
 投影で現世に実像を結んだ物体は術者のイメージという幻想によって編まれているため、場合によっては世界には元来あり得るべからざる物でさえ実体化させることも出来る。しかし、世界から見ればこれは立派な異物である。
 そして外界に現れた人間のイメージは脆く、投影した物品が長時間維持できないのは、その脆弱なイメージが矛盾として世界より修正された末の結果なのだ。
 だと言うのに、眼下のテーブルに載せられた武具は、世界がもたらす絶対の修正作用自体にかかっていないのか、その内包する魔力が時間経過とともに損なわれることなく存在し続けていた。


「いや、固有結界から零れ落ちたって言ったな…………じゃあ。こいつは現実を幻想が侵食した存在、なのか……?」


「正解だ。言ってみればこれは固有結界の劣化品というところだな」


 才能と技量と違い当人の自信と自負を裏切らないウェイバーの頭脳はようやく合点がいったのか、自身が洩らした言葉が真実であると納得した。
 あり得ないと思いつつも、固有結界という反則技の解答を先に知らされていたために、道を過たずにキャスターの投影魔術を把握することができた。
 視認しただけで対象を構成する存在情報の全てを解析できるのならば、イメージが脆弱だということもないのだろう。現実を塗り潰すという固有結界の作用も合わさり、結果として彼女の投影品は比類なき強度と存在力を得たのである。
 そこまで納得することで、ようやく目の前の事象は彼の許容範囲に納まることとなった。

 しかし、当の反則技の塊はさらに札を切り始めた。ウェイバーの精神の熱は、すでに上下の変動に悲鳴を上げていたが、自身がキャスターにその能力を詳らかにするよう頼んだ手前、根を上げるわけにはいかなかった。
 サンドバックにされてテンカウント前ギリギリで立ち上がるボクサー(挑戦者)の心境で、ウェイバーは、卓上から二刀を取り上げたキャスターの告げる続きに意識を傾けた。


「ランクこそ低いがこれは高ランクの宝具とも打ち合える強度をもった逸品だ。無論、君に見せた世界の中に存在する剣は例外なくこうして投影できる。宝具欄に表示されているランクA++というのが上限値だ。
 そしてあの丘に登録されている武装は、そうだな――千は軽く越えるか。それを適宜取捨選択して作り出すことで、私はあらゆる情況に応じた武装を用意することができる。
 これに私の投影と同じく固有結界の能力から零れ落ちた解析の魔術を用いることで、この聖杯戦争中、相手サーヴァントの武器や宝具を見ただけでその正体を看破し、その弱点となる武装を取り出して使用するといった戦術も可能だ」


 サーヴァントとして召喚される英霊はある程度の知名度のある神話・伝承・歴史の偉人である。彼らはその生涯を何らかの媒体で記されるほどの有名の存在であるために、その最期となる情報もまた現代に伝わっている。死因や弱点についてもまた然りである。
 であれば、相手の名から天敵となるモノを用意するのは至極真っ当な手段だろう。そのため、英霊は現界した己のクラス名を名乗って真名を秘し、その弱点を極力隠すのだ。
 しかし、キャスターの異能と称するレベルの武具解析能力は、その聖杯戦争の定石を真っ向から覆す反則に他ならない。
 これならば、巧く立ち回れば簡単に他六騎のサーヴァントの弱点を知ることができるかもしれない。


「投影した武具にも使い方は幾つかある。まず投影した宝具を仮初めの主として担うことができる。真名の解放を始め、その宝具を担ってきた歴代の主の技術と経験を模倣することも可能だ。
 この近間の戦闘方法に対して、完全に中・遠距離武装として用いる戦い方もできる。直接一度に大量の宝具や概念武装を投影して弾幕として一斉射し敵に撃ち出す、または矢として弓に番えて射ることもな。
 この戦闘手段はどちらかと言えば得意技でね、現界するクラスもキャスターよりむしろアーチャーの適性があるぐらいだ」


 ウェイバーは自身の読みが少し当たっていたことに嬉しくなり、小さく拳を握る。接近戦を苦にせず、おまけに遠距離戦すらこなせるのならば、あのスキル欄がおかしいということもない。
 しかし、聞けば聞くほどエミヤ・シロという英霊は度外れた反則の塊と言えよう。
 軽く語ってはいるが、投影した贋作宝具とはいえ、英霊がその用途として説明する以上、額面通りの威力とは限らない。
 戦車や戦闘機クラスが装備する機関砲のごとき弾幕、ミサイルのごとき弓矢の狙撃といった具合に、ウェイバーがいまだ直接見たことのないような、馬鹿げた破壊力を秘めているはずである。
 また、宝具を担い解放できるということは、対人だけでなく対軍・対城宝具でさえ使用が可能ということである。
 その火力を発動するための魔力の心配をまずしなければならないのではないだろうか……。


「もっとも、投影した宝具は複製だから、どうしてもオリジナルより1ランクほど神秘の格が劣化してしまうのが難点だな。自動的にその威力も落ちるし、担う場合も本来の主の技量を十全に模倣することはできない。
 それに神造兵装の類は、流石に解析による貯蔵は不可能だ。投影出来なくはないのだがね。それでも完全な複製は無理であるし、真に迫れても劣化品として投影するに止まるのだが」


 そして報されるキャスターが投影できる神造兵装とは、〈約束された勝利の剣(エクスカリバー)〉、〈勝利すべき黄金の剣(カリバーン)〉持ち主に不滅の加護と絶対の防御力をもたらす〈全て遠き理想郷(アヴァロン)〉の三種だった。
 もっとも、自身の宝具にまでなった〈全て遠き理想郷〉も当然として、〈約束された勝利の剣〉と〈勝利すべき黄金の剣〉の二振りも投影した時点で神秘の格は格段に低下する。
 それでも元がどれも最高位の宝具であるため、劣化品であっても剣の丘に登録された武装の中では不動の上位に位置するのだが。
 また、〈全て遠き理想郷〉はランクEXの規格外宝具であるため、身体の一部と化しているのと同時に剣の丘に真作が鎮座している状態を加味して、ようやく投影できる宝具である。そして投影した鞘は世界の修正によって、短い時間しか保たない。
 〈約束された勝利の剣〉と〈勝利すべき黄金の剣〉は、衛宮士郎と同化した“彼女”の縁が因となって、聖剣二振りのイメージが鞘からシロへと流入し、本来出来ない無茶な投影を可能としていた。
 もしエクスカリバーの姉妹剣たる〈転輪する勝利の剣|(エクスカリバー・ガラティーン〉や〈無毀なる湖光(アロンダイト)〉をその目で視認したとしても、中身を伴わない張りぼてとしてしか投影することは不可能である。


「こんなところだな。あとは実際にその目で確かめてもらおう。私は未来の英霊だから知名度の都合で生前に比して幾分劣化しているが、その弱体化もクラス別スキルを活用してカバーできる。そう悲観することもないだろう。
 さて、ウェイバー。ひとまず拠点を準備しないかね? 全能を駆使してキャスターらしく陣地を作成してみせようじゃないか」


 確かに何時までもラブホテルに陣取るわけにもいかなかった。ある程度は自分のサーヴァントの能力も、多大な精神的(肉体的にも)疲労と引き替えに知ることもできた。
 あとは行動するだけである。サーヴァントに全面的に頼ることになるが、拠点を用意できないウェイバーは己の準備不足を恥じると同時に、キャスターのサーヴァントの手腕をこの目にできるのだと期待に昂ぶってしまう。
 そしてこれからまず向かうマッケンジー夫妻のことを思い、苦味の生じる奥歯を噛み締めた。


「わかった。頼むキャスター。あと、荷物を取りに行きたいから、ある場所に寄ってほしいんだ」


 お安いご用と快諾し、主従はラブホテルから出発した。この時キャスターに霊体化させるのを忘れていたため、マッケンジー宅に向かう途中で少年は青臭い後悔を味わうことになるが、それはどうでもいい事柄である。





 ◇◆◇◆◇◆◇





 ウェイバーは召喚して一週間以上経つキャスターの得意魔術を思い、いまだ衰えることのない驚きと呆れの心持ちを捨て去ることができなかった。
 しかし、その独特にして類い希な投影魔術によって助けられた面は数知れず、いや、彼女の投影魔術なくしては、ここまで立派な拠点を手に入れることもできなかったし、ウェイバーと彼女以外は容易く出入りのできないこの結界を張ることもできなかったであろう。

 拠点を手に入れるためにキャスターが行ったのはまず資金の調達だった。
 現存しない日本刀の業物を投影魔術によって具現化し、思わせぶりに贋作であると嘯いて――事実なので間違いではないが、敢えてこう言うことで余計に相手の目利きに力を入れさせ、結果として本物と寸分違わぬ彼女の投影魔術の業に魅入られてしまうのを狙った一種の詐欺、もとい思考誘導である――、目利きのできる骨董屋に持ち込む。
 また、暗示で仔細の追求を躱した上に、相手の欲を適度に刺激する話術を駆使し、まんまと日本円で八桁の軍資金を手にしたのだ。
 壊れない限りは真作と寸分違わぬ逸品である上に事前に贋作と知らせているため、問題が生じた場合、そこは自己責任だろう。

 さらに生前の未来で得た伝手だという相手に国際電話をかけた翌日、東京は羽田某所のホテルに到着すると、相手持ちで貸し切られた最上階屋上フロアのロイヤル・ペントハウス・スイートの一室にて、聖堂教会の関係者らしき人物に宝具の投影品十数点を売り払うこととなる。
 こうして、何かと金のかかる魔術の道へその身を捧げるウェイバーですら、その短い人生では到底お目にかかったことのない桁数の金銭を手にするに至った。
 それは時計塔でのさばる名家の御曹司連中であろうとも、小遣い程度の額とはとても口にできない莫大な金額だったのである。
 具体的に言えば市井の一般人が人生を二十回遊んで暮らしても使い切れない額――であることは確かだが、普通の人間がその金額を見たらまず思い浮かぶ用途は「国家予算」の類だろう。
 掛け値無しの宝具、それも聖剣魔剣の類の対価ならば、それがたとえ贋作といえどもこの規模の金額がつくのは納得であるのだが、小市民的な金銭感覚を持つウェイバーは卒倒しそうになったほどである。

 一体どこの金満好事家に売り払ったのだと口角泡を飛ばす勢いでキャスターに問い詰めたら、聞かない方が良いと親が子を窘めるようにいなされそうになり、意固地になって聞き出した。聞き出してしまった。そして無理に訊ねたことをすぐに後悔することとなる。
 苦笑するキャスターによって教えられたその買い手の名とは、《死徒二十七祖》の一角にして《埋葬機関第五位》などという、異色の肩書きを持つ吸血鬼メレム・ソロモンというものだった。
 三流魔術師であるウェイバーでさえ聞いたことがあるようなあまりのビッグネームに、仮にも征服王イスカンダルという大英雄の召喚をなそうとしたにも関わらず、彼は血の凍る心地を味わって腰まで抜かしてしまった。
 それを無理のない反応だと宥めるキャスターの言葉にも暫く落ち着けなかったほどに、目の前に積まれた現金ケースと小切手の額が地獄への片道切符に思えてならなかった。
 生前の知己とはいえ、自分のサーヴァントの交友関係は一体全体なにがどうなっているというのだ。
 恐懼と驚愕で疑問に思うと同時に、本気で彼女の波瀾万丈を臭わせる生涯に心配をしたほどだった。
 最後に、あくまでメレム・ソロモンが購入した理由は彼の趣味が秘宝蒐集であるため、美術品目的だということを知らされた。
 世界レベルの大吸血鬼があれらの宝具を使用する心配がないというのであれば、ウェイバーもこれ以上相棒の行動に悲鳴を上げる必要もないだろう。
 また、この時点でキャスターに振り回されることに一種の億劫さも感じていたせいで、細かいことと流すことにしたのだった。それでも精神の揺れ幅が平常時に戻るには二日を要したが。

 そして様々な感情が冷めやらぬ間に東京からとんぼ帰りで冬木の地に戻り、ジャパニーズマフィア御用達の不動産屋でこの別荘を一括払いで購入したのである。
 おまけに新都にある大型ショッピングモール・ヴェルデにて、様々な生活用品と食糧を大量に購入し、チップを弾んで家具など嵩張る物もその日の内に宅配させてしまい、雨風を凌ぐには過ぎた根城を手にしたのだった。
 二週間近く寄生状態で暮らしたマッケンジー宅とは較べるべくもない環境だろう。
 それでも、こういう至れり尽くせりの情況変化の末に新たな拠点に住み込んで暫くした後、ふとあの家で老夫婦と過ごした時間も悪い物ではなかったのだと思うこともしばしばだった。

 マッケンジー宅にはラブホテルから骨董屋に赴く前に寄って行き、ウェイバーが結局夜の内に帰宅をしなかったことを我が身のごとく心配する夫妻に謝罪すると同時に、彼は躊躇うことなく暗示をかけた。
 その時、わずかに握った拳が震えたことを、霊体化した彼のサーヴァントは気付いていたが、決して口に出すことはしなかった。
 しかし、マッケンジー宅を離れてから実体化し、言葉は発することなく軽く何度か彼の肩を叩いたのは、キャスターの余計なお節介だった。
 互いにそれが余計なことであったことは判っていた。しかしキャスターは敢えてそれをし、ウェイバーは無言でなされた行為に、錘を呑み込んだかのような胸の重みが少し軽くなった気がして、キャスターへぶっきらぼうな礼を述べた。

 それからキャスターが投影した何の魔力も感じられない短剣を非常時の警報代わりに設置するのを見届けると、マッケンジー宅の周辺には一切近づいていない。
 巻き込むまいとそう決めた以上、少なくとも聖杯戦争が終わるまでは近付いてはならないのである。
 もし無事に勝ち残ることができたなら、改めて謝罪をしに行きたかった。
 この別荘に拠点を移した日に、そうキャスターに話したら、その時は保護者として一緒に謝ってやろうと、頭を撫でられた。
 現状を客観的に鑑みれば、確かに従者ではなく保護者であるという彼女の言葉を否定することもできず、マスターとして少し傷付きながらも、一緒に来てくれるという宣言に感謝してしまった。
 その時のことを思い出してさらに頬を火照らせると、誤魔化すように小径を駆け出し、物置小屋のドアを勢いよく開けて中に入る。


「キャスター帰ったぞ! 手が空いてるなら買って来た食材をどうにかしてくれっ!」


 防音魔術の境界を抜けたため、製鉄所か鍛冶場のごとく鉄を叩く大きな音が小屋の中に響く。
 その音に負けないように大声を張り上げ、ウェイバーは小屋の外観とは明らかに違う空間となり、広大な作業場と化した部屋の中央で熱心に槌を振るう作業着の少女に声を掛けた。

 この建物の内部空間こそ、容積の歪みを用いた空間歪曲の魔術によって広々と確保された、キャスターの真の意味での工房だった。
 ドアを開けるだけで入ることの出来る工房というのは、防諜面から見て非常に無警戒極まりないが、キャスターと彼女のマスターであるウェイバー以外が侵入した場合、工房を形成している剣群の全てが“壊れた幻想”によって尽く爆発する仕様なため、たとえサーヴァントといえども無傷では逃れられないトラップとなっている。
 それにここまで侵入された時点で、この拠点は破棄することは予め決められていたのである。そのために第二第三の拠点も別の不動産屋にかけあって用意している。
 所詮は仮宿、手放して惜しいものでもないのである。そういった理由のため、リスクに関しては度外視してこの工房は突貫工事で作り出されていた。

 それでもキャスターは生前に得られなかった贅沢な工房を陣地作成スキルで手に入れるや、まず生前の所持品の実体化によって炉を始めとした鍛冶設備を用意し、投影した道具によって物作りに熱中するようになったのである。
 そしてそのまま、調理と食事と風呂以外はこの工房に篭もりきりとなってしまった。
 サーヴァントの身であるから睡眠――正確には食事も必要としないのだが、そちらは道楽でありウェイバーに付き合うという意味が強い――に時間を取られなくても済むため、スキルの恩恵と生前の経験によって、必要な道具や器具をあれよあれよという間に拵えてはそれらを活用し、さしたる時間をかけずに鍛冶場としての体裁を整えていったのだ。
 今ではマスターですら羨む魔術師の工房がそこにあった。もっとも、キャスターの得意分野が武具作りだったため、ウェイバーがそのまま十全に活用できる場ではなかったのだが、この工房ができてからは彼も一日の半分以上をこの中で過ごし、キャスターの道具作成の合間に彼女の技術を見て盗めるものは盗み、時にはともに作業をして物作りの教導を受けることとなった。

 大声が届いたのか、それともラインによってウェイバーが工房に入ったのを知覚したのか、キャスターは槌を叩く手を止め、立ち上がってウェイバーを出迎えた。


「おかえりウェイバー。雑用を任せてすまなかったな」


 まったくすまなさそうではない態度でそう言うと、被っていた頭巾を解く。すると、頭巾の中にまとめられていた白銀の髪が零れ落ち、玉の汗が浮かぶ頬にかかって淫靡な雰囲気を醸し出す。
 そもそも、ウェイバーにとって物作りをしている間のキャスターというのは、総じて艶っぽい雰囲気を持っていた。
 本当に作るという行為が楽しいのか、嬉々として槌を叩き、弾むような視線をかけて彫金を施し、謡うような明るさで細工を組み上げていく。
 形成す物を作り上げることに喜悦を感じるその様は、さながら秘薬を精製する魔女のごとく妖しく、また趣味に傾倒する数寄者か、命を懸けて作品を仕上げる芸術家か、面白い玩具をいじくり回す幼子のいずれか、あるいはその全てを思わせた。
 さらに汗を吸った作業着も隙間なく肌に貼り付いて、少女が女へと成長してゆく貴重な一時を現す肢体のラインが容易に見て取れる。思わず生唾を呑み込むほどの扇情的な姿だった。
 入り口から向かって右側の炉から洩れる熱で温まった室温と、“女”を感じさせるキャスターの艶姿に動悸が速まり顔中に血の上るのとが相まって、ウェイバーはシャワーを浴びたばかりだというのに総身に汗の浮かぶのを止められなかった。
 後者の後ろめたい原因を決して悟らせまいと努めて平時の態度を取りつつ、それでも首から下を見ないようにキャスターの顔を見つめ、誤魔化すように文句をつけた。


「キャスター、考えたんだけどお前が行けば一時間で帰って来れたんじゃないのかっ?」


「否定はしない。が、先ほどまで本当に手が放せなくてね。悪かったよ」


 財布の紐と胃袋を握っている保護者であり、現在のウェイバーは頭が上がらないキャスターだったが、四時間も指示通りに買い物をさせられたウェイバーの身になって考え、流石に悪いと思ったのか今度は頭を下げるなど謝意の見て取れる態度で謝った。
 そして完全に作業を終えると目線でウェイバーを促して、奥で白い布を被せた“作品”の方を向く。


「ついさっき組み上がったところだ。見るかね?」


 その顔には見覚えがあった。ウェイバーに紅茶を煎れた時に見せる顔、料理をウェイバーの前へ並べる時に見せる顔、そして自身を生前はマスターであったと明かした時に見せた顔。つまりは、ウェイバーの反応を楽しもうとする際に見せる稚気の篭もった表情だった。


「――見るよ。っていうかお前、見せたいんだろ。はぁ……」


「む。ウェイバー、見せたい見せたくないに関わらず、これは君が私の隣を離れず戦場へ赴く際に必要なものであって、決して見せびらかしたいというわけでは――」


「あー判った判った。じゃあ勝手に見るよ」


「待てウェイバー、君の私に対する認識には明らかに誤解があ――」


「あぁ待たない聞かないちゃんと見るから静かにしてくれっ!」


 こういう時のキャスターの扱いに多少慣れてきたのか、ウェイバーは彼女の言葉を馬耳東風に聞き流して身の丈を越す白い小山のような布の前まで近付くと、それを引き剥がした。

 そして息を呑んだ。呼吸すら止め、目の前に鎮座する存在に目を奪われる。
 ウェイバーはキャスターの固有結界こそ魔力消耗の都合で未見であったが、投影魔術によって宝具の現物をその瞼に刻みつけ、さらにキャスターと一緒に工房で作業をすることで、彼女が作る剣の意匠を施された魔除けの護符や魔力殺しの呪符が生み出される様をつぶさに観察していた。
 しかし、これは瞬時に投影された彼女のみが創り出すことを許された物品ではなく、ウェイバーでもやがて熟達すれば真似のできる魔術を用いたアイテムとは違う、とにかく別格の魔導器であった。いや、器具の類と言っていいものだろうか。礼装の類には違いないであろうが、これはもはや立派な武器、でも言葉が足りない。兵器の類だろう。
 キャスターの属性が“剣”であることは聞いていたし、生前の趣味が魔剣鍛冶だというのも知らされていた。この工房自体が武具を作成することに特化していることもまた、ウェイバーは識っている。
 だからこそ思う。これは剣の範疇に入るかもしれないが、絶対に剣ではあり得ない。いや、キャスターにとってはこれも剣の一種なのであろうか。


「気に入ったかね?」


 布を引きはがしてから目を奪われ、暫くした後に横から声がかけられる。
 我が子の出来を訊ねる親のように、隣に立つキャスターはウェイバーに意見を促した。
 その自信と期待が滲み出る声音に振り向くこともせず、眼前の物体から視線を逸らすことができなかった。


「こんなの、僕に扱えるのか?」


 武闘派とは程遠い半生を過ごしてきた経験から来る不安と、それでもサーヴァントのマスターとして恥じない相棒として、キャスターの隣に立つことができるのかという期待の混淆する質問だった。
 その問いに対して素直に肯定するだけでなく、キャスターはあからさまな挑発をもって己の主に訊ね返した。


「まだ開戦前だ。一日もあれば扱いこなせるようになるだろう。それとも私のマスターは従者の献上品をお気に召さないのかね? 試してもいないのに到底扱いきれないと泣き言を仰るというのかな?」


 そもそもウェイバーの方から戦場について行くと言い始めたのである。
 キャスターとしては陣地の結界内で投影した宝具と概念武装、スキルで作成した魔導具で防備を固め、そこにウェイバーを避難させている方が危険も少ないと、多少は言葉を選んで具申したのだった。
 しかし、ウェイバーは命懸けの殺し合いを覚悟して聖杯戦争に赴いており、サーヴァントだけに戦闘行為の全てを丸投げして自身が安穏と陣地に篭もるを由としなかった。
 実力が伴わないその発言に、生前の我が身と重ね合わせて微妙な既視感を味わったキャスターは、説得しても譲らず諦めないウェイバーの決意を翻させることは断念し、ウェイバーが戦場でも死なないように手を尽くすと決断したのである。
 そのために作り上げた物を見せたのだ。主の最終的な結論は疾うに判っていた。


「……わかったよっ! やってやる、やってやるさ! お前がビックリするぐらいこいつを使いこなしてみせるさっ!!」


「その意気やよし。それでこそ私も苦心して作った甲斐もあるものだ。期待はしない。何故なら私は確信しているからな。君がそれを扱いきるのだと」


 微笑みとともに言葉を紡ぎ終えると、再び布を頭に巻き頭巾の中に髪の毛を仕舞い、彼女は興奮するウェイバーを置いて作業に戻った。
 彼が買い込んだ保存食料や生鮮食品の方は家事用に作った等身大の甲冑細工の使い魔、俗に言う自動人形に任せることにする。
 そのヒトガタは家事スキルの豊富なキャスター手製の使い魔だけあって、買って来た主よりも食材の扱いは心得ていた。

 その使い魔のように片手間に作ったものとは違い、魔術師の英霊が精魂を傾ける作品が台の上に横たわっていた。それは紅い金属で頭から胴を組まれた鷹の彫像だった。先ほど叩いて仕上げていたのは、これの部品の一つである。
 さらにこれから数千という刃を用いて羽金を成し、その鷹を天空へ舞わせる二枚の翼を与えるのだ。

 体は剣で出来ている。その言霊が示す通り、キャスターの皮膚に生み出した“剣の鱗”。
 その剣鱗はこと魔術で剣を鍛える素材として考えるならば、現存する中では至上別格の特殊金属なのだった。
 固有結界《無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)》はあらゆる剣の要素を内包している。
 ならば彼女の実体化した肉体を通して生み出され、現実世界に発現した金属は、固有結界の内包する可能性を具現化した結晶体であり、宝具の材料にすら適応を見せる無類にして万能の原材料となっていた。
 用途は剣製に限られるが、これは一種の賢者の石と言っても過言ではない。

 結界を構築している剣群とウェイバーのアゾット剣は投影物であるが、この工房内にで道具作成スキルと生前から活用する異能――固有結界内に登録した各聖剣魔剣の製作手段を活用して拵えた護符や呪符は、紛れもなく彼女の剣鱗を素材とした魔導具である。
 創造の理念を鑑定し、異なる基本となる骨子らを想定した上で取捨選択した後に巧緻に合一せしめ、構成する材質を魔術と錬金術で加工した剣鱗にて代用し、製作に及ぶ技術を精妙に模倣し、尚かつ道具作成スキルの恩恵によって得た知識で補完する。
 こうして作成した道具の威力は凄まじく、ウェイバーに持たせた護符だけでDランク相当の対魔力を持つに至る。
 物理防御に特化させた礼装も考えており、それらを重ね合わせれば武闘派の魔術師相手や対物狙撃銃による凶弾にもやすやすと殺されることはないだろう。

 そして台の上で製作途中の鷹の用途は、拠点を定めてからウェイバーとキャスターが放った使い魔たちで張り巡らせた間諜の網の補強である。
 冬木の空へこの刃金で構成された鷹を幾十、幾百も放つことで、彼女たちの陣営の監視網は一応の完成となろう。
 剣鱗で作成した道具は剣の属性から逸脱していない。そうなるべくキャスターが心血を注いで作り上げたのである。であるならば、投影による魔力変換効率も最大にして、消費も最小で行うことができるのだ。
 百羽二百羽程度、切り札レベルに用いる高ランクの宝具を投影するのに較べれば、問題になる消費量ではなかった。

 すでに開戦の狼煙は上げられている。そして偽りの戦端も開かれていた。
 ウェイバーが作品の慣熟を終えるまでの間に、魔術師のサーヴァントは戦略の上でも最後の仕上げとするべく、作業に取りかかった。


な、何やら書いてる内に時間の経過が凄まじく、気付いたら五日も……。お待ち下さった方々申し訳ございません。セイバーVSランサー前にちょろっと主人公陣営のことをかいつまむつもりが書けば書くほど何故か増えて伸びていく文章量……そして気付いたら一話分。あばばばば:
もしかしたら次話をアップする前に誤字脱字直しのついでに少しだけ修正するかもです。


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