四:二槍
時計塔。そう呼ばれる場所があった。
ロンドンにおいて、時計塔と呼称する存在は二つある。
一つはテムズ川河畔に建てられたウェストミンスター宮殿――現英国国会議事堂に併設される巨大時計台。常の人種が思い浮かべるのはこれのみであろう。
では、常から外れた人種が思い浮かべるもう一つとは何か?
それは数多の魔術師たちが参加し、それを統括する組織たる魔術協会の総本山にして、参加する魔術師たちが日夜学び研究する、こと西洋魔術関連においては最高学府と称される施設の呼び名である。
時計塔の歴史は古く、ローマ人がブリテンに上陸した頃と同時期に設立されたと――真偽の程は定かではないが――伝えられている。
その時計塔において、ロード・エルメロイの名で持て囃されている人物がいる。
魔術協会のロードの一角である名門アーチボルト家九代当主、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。
彼は現在、己が参加する聖杯戦争の舞台となる冬木の地にいた。
魔術協会に要請して手配されたケイネスの根拠地は、エーデルフェルトより協会に寄贈された双子館。
この邸はケイネスが丸一日かけて結界を構築し、今や遠坂邸に負けない要塞のごとき魔城と化していた。
双子館の片割れの地下に設けられた自室の執務机につくケイネスは、知覚共有した梟の使い魔から伝わる映像と音声を視聴し、その情報を元婚約者であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリと、己が喚び出したサーヴァントたるディルムッド・オディナにも中継して伝えていた。
主従三者が揃って見たものは、黒く染まった皮膚に白い髑髏を模した仮面が特徴的な暗殺者の末路。遠坂邸を襲撃したアサシンのサーヴァントが、おそらく現当主である遠坂時臣のサーヴァントに撃退されるという内容だった。
閉じていた瞼の内片方を上げ、ケイネスは部屋の中央の円卓の席に坐る婚約者と、美姫に仕える騎士のごとくその背後に控える従者の方を見遣る。
急遽仕立てられたにも関わらず、一分の隙もない濃緑のスーツを纏うランサーは、“輝く顔”の二つ名に恥じない美貌と涼しげな雰囲気で、血の通った第二の皮膚とまで謂われるサヴィル・ロウの老舗の仕立てを完全に着こなしていた。
当世風とはいえ超一流の衣装に負けぬ風格を持ち、正真正銘の貴族令嬢であるソラウの側に控えるその姿は、非常に絵になる明媚なものだった。
ケイネスは完成した傑作絵画に稚拙な絵筆を加えるような、やや残念な心持ちで訊ねる。
「ランサー、この情況をどう見る?」
「はっ。私見を申し上げれば、アサシンが真っ先に脱落した、という結論に達するのは早計かと存じます」
騎士道に殉じる覚悟を完了して仕える完璧な従者は、ジョンブルの精神を表す三つ揃いの仕立てを損なうことなく、折り目正しく主に礼をし、己の意見を上奏した。
その意見に満足すると、ケイネスは言葉に敢えて含まれなかった意図を正確に見抜く。ランサーはケイネスが同じ意見を持っていることを察し、差し出がましい説明を語らず、ただ臣下の礼をもって投げかけられた問いに答えたのだ。
もっとも、仮にランサーが出しゃばろうともそれに気分を損なうほどケイネスは狭量ではなかったが、敢えて満足の笑みを浮かべて忠実な従者の言葉に応える。
「私もそう思う。気配遮断スキルを持つというアサシンが邸内に侵入してから、あれほどの短時間で迎撃されるなど少々出来過ぎだな。まるでわざと見せ付けるかのような一方的な殲滅だった。
もしアサシンのマスターが遠坂時臣の弟子だったという言峰綺礼であるのならば、袂を分かったという情報が偽りで今現在も彼らが内通していると見て間違いないだろう。
フッ。この戦端はとんだ八百長試合ということだ。この仮定が正しい場合、アサシン程度のクラスとはいえサーヴァントの一騎、その貴重な手駒をこれほど序盤に使い潰すというのも疑わしい。影武者か分身か、使い捨てにできるだけのスキルか宝具を持っているはずだ。アサシンはいまだ健在とみて動くべきだな――」
言葉を一度切り、ケイネスは両の眸でランサーを見据える。
「――ランサー。遠坂邸のあの黄金のサーヴァントに心当たりはあるかね?」
「残念ながら、あの英霊は今回が初見であります」
「ふむ。ならば先ほどの攻撃から奴のクラスをどう思う?」
「背後の空間より多種多様な宝具を取り出し射出する能力、魔術師にはないまるで王者のごとき堂々たる威風、狂戦士にはあり得ない不遜にして驕傲な言動、そして直接剣を取って戦う者特有の闘気の希薄さから、消去法でアーチャーもしくはライダーであるかと存じます」
生前は騎士であり剣士でもあったランサーがセイバーに非ずと見るのであれば、その意見は参考するに足る材料としてケイネスは採用した。
サーヴァントを現界させるクラスの縛りが一見して曖昧ながらも厳格であることを、時計塔の資料にてケイネスは熟知していた。
英霊ディルムッド・オディナがランサーとして召喚された際、彼の本命の武装である双剣が宝具に登録されていないのも、その知識を裏付ける結果となっていた。
そして百戦錬磨の英雄である彼のサーヴァントの視点で出された考えを無視する材料もまた存在しなかった。
「その二つのどちらか、だな。もっとも、イレギュラークラスであるならば無意味な予想だが、正純の英霊ほどクラスに当て嵌められるシステムである以上、あれは君の考える通りアーチャーかライダーで間違いないだろう。ランサー、アレに勝算はあるかね?」
「憚りながら申し上げます。私はケイネス様の騎士であります。その私が他のサーヴァントに負ける道理はございません。私の槍は主の為にいかなる難敵も駆逐いたしましょう。そして必ずやケイネス様に勝利の栄光を献上し、同時に聖杯を御許にお捧げいたします」
誇り高き騎士は己の主が聖杯戦争において最高のマスターであると心底から信じていた。
その主の騎士として槍を振るい、忠義を尽くすことこそが今のランサーの存在意義である。そしてケイネスに己の偽りなき忠誠心を認めてもらい、主の無尽の信頼を得るという目標を目指す。
意気軒昂に宣言するランサーの自信に苦笑し、その自信に自負が伴うことをマスターとしてよく知るケイネスは、己の騎士の決意を真摯に受け止めた。
ケイネスはランサーの求める主従像を叶えるために、鷹揚に彼の宣言に首肯し、主の威厳をもって言葉を発した。
「それでこそ我が無二の騎士ディルムッド・オディナである。これより臨む戦場でその忠義の真価と伝説に謳われし武勇を私に見せてくれ。ゆえに命じよう。ともに戦場を駆け抜けろと」
「はっ。謹んでお受け致します、ケイネス様」
ランサーは片膝を着くと、歓喜を噛み締めるように返答を紡ぎ上げる。
命じる形となったが、強要の意は含まれていない。あるのは主から寄せられる揺るぎない信頼、ただ一つのみ。
それがどれほど貴重で得難いものか、生前の境遇に不服がなくともランサーは思わずにはおれない。ケイネスこそ唯一無二の主であると。この主に仕えることこそ至上の歓びであるのだと。
そこには互いを信頼する完璧な主従の姿があった。その様子をじっと黙したまま眺めていたソラウは、愛しい殿方が元婚約者へ誠心誠意を傾ける姿に嫉妬せずにはいられなかった。
しかし、ソラウはランサーの生前の生涯がいかなるものかを知っており、そのランサーの願いを叶えるために、ケイネスがその理想の騎士の求める主たらんと務める意嚮も同時に認めているため、彼らのつくりだす忠節の一時を邪魔をする愚は冒さなかった。
何よりそんなことをしてランサーに無粋な女の烙印を押されるなどソラウには耐えられなかった。
しかし今すぐ二人の間に割って入りたい乙女心の熱は、沸々と勢いを増していき、彼女の胸を内より灼き焦がす。
自然、瑞々しい唇を引き結んでケイネスを睨み付けることとなった。
ケイネスはその視線に気付くと、軽く息を吐いて表向きは婚約者である女性のために、ランサーへ命を下した。
「ランサー、そろそろ夜も遅い。君のもう一人の主であるソラウの美容のためにも、彼女を寝室にエスコートしてくれないか。そして彼女が起きるまで警護を頼む」
「――はっ。ご下命承りました。ソラウ様、どうかお手を取ることをお許し下さい」
ケイネスを至上の主と仰ぐこのサーヴァントとはソラウに関して今までさんざんに話をしており、それにいまだ納得しきっていないのがわずかの逡巡から見て取れたが、ソラウはランサーと触れ合うことへの期待でときめいてそれどころではなく、ケイネスは時間が必要だと敢えて黙殺した。
「私は使い魔を用いて教会を見張る。アサシンのマスターが脱落者を装ってのこのこと現れるならば、それが一体誰なのかを見極めんとな。ではおやすみ、二人とも」
「おやすみなさいませ。ケイネス様もどうかご自愛下さいますよう」
「おやすみケイネス。さぁ行きましょうランサー」
ソラウはランサーの左手に“三角の令呪が刻まれた”右の繊手を触れ合あわせ、彼とともにケイネスの残る部屋を辞した。
「恋にはしゃぐ大きな女の子のお守りをサーヴァントに任せるのも何であるが、ランサーのステータス維持にソラウは欠かせないパートナー。私たち三人が勝ち残るために、せいぜい私は二人の仲を応援するとしようか」
ケイネスはマスターが聖杯に与えられる透視力を使い魔の目を通しても損なうことのないよう、梟の眼球に高度な細工を施していた。
その工夫によって知ることとなった黄金のサーヴァントのステータスは、身体能力値がオールBという安定したパラメーターに加え、魔力・幸運値はともにA。宝具も滅多刺しとばかりに連射した中に高位の物が含まれていたのか、現在の表示はAとなっている。
最優のクラスであるセイバーを除いて、これほどの高いスペックを具えるなど、ライダーのクラスには心当たりのあることもあり、おそらく残る三大騎士クラスの一角であるアーチャーの可能性が高い。
見せ付けるように行われた処刑劇の一幕から、無造作に射出されたあの宝具群が唯一の切り札ということはないだろう。おそらくあの見せ札とは別に、計り知れない奥の手を隠し持っているはずである。
あの黄金のサーヴァントは、時計塔から姿を消して日本へ入国したウェイバー・ベルベットが喚び出すであろう、自身も必勝を期した征服王すら凌駕する英霊であると、ケイネスは持ち前の洞察力と降霊科の講師としての見識をもって確信していた。
つまり、遠坂時臣の喚び出した(と思われる)サーヴァントこそが、この聖杯戦争最強の英霊であるのは想像に難くない。
「全く、小細工は弄しておくべきだな」
ケイネスは脳裏に描かれるランサーのパラメーター表記を眺め、ランサーの忠道とソラウの恋慕を後押しする方針が正解であると、実感を込めて呟く。
足りない部分はランサーの誇りを穢さない程度に自分が立ち回ればいい。それぐらい出来なくてはロード・エルメロイの名折れだった。
明日には彼らの冬木入りに遅れて、ランサーの本来の得物も届く。その切り札の到着までの間、今宵のところは情報収集に徹するべきである。
ケイネスの考えが正しければアサシンの脅威はいまだ健在であるし、それ以上に“魔術師殺し”の異名を持つ者がアインツベルンの傭兵として参加する情報があった。
その手口に嫌悪と侮蔑を抑えることはできなかったが、それがいかに効率的で恐ろしいものかも理解していた。
本来ならば冬木の地に本拠地を置くことすら危険であったし、他のサーヴァント六騎が潰し合って数が絞られるまで、ひたすら待ちに徹するのが利口な戦略というものだった。
しかし、それで彼のサーヴァントが納得するのか、心に痼りを持ったまま十全にその全能全力を全開まで発揮することができるのか。
ケイネスは最善にして理想とする安全性の高い策を取った場合、生粋の騎士道を征くという精神的報酬を求めるランサーの弱体化は免れないと判断した。
たとえそれが微々たる弱みとなろうとも、英霊同士の殺し合いにはその微細な瑕瑾の隙間を縫うことで容易く勝敗が決するのだ。
であるからには、この並外れた槍兵とともに工房に閉じこもって守勢に回るなど論外であろう。
ならば明日以降はランサーとともに、それなりの積極性をもって動く必要があった。
「最速の英霊に相応しい戦場か。様子見も兼ねて、正攻法で行ってみるか」
ケイネスは己が改竄したサーヴァントシステムによって、ランサーのステータスを他のマスターがその透視能力で正確に看破できぬよう、パスを通して術式に偽情報を挟んだ。
これにより、敵陣営のマスターの誰もがランサーのスペックを低く見積もることだろう。そして彼のサーヴァントは見誤った敵手の隙を、必殺の突きをもって穿つはずである。
クラス:ランサー
真名:ディルムッド・オディナ
属性:秩序・中庸
マスター:ケイネス・エルメロイ・アーチボルト & ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ
■ステータス■
【筋力】:A 【魔力】:C
【耐久】:B 【幸運】:E
【敏捷】:A++ 【宝具】:B
※偽装後
クラス:ランサー
真名:ディルムッド・オディナ
属性:秩序・中庸
マスター:ケイネス・エルメロイ・アーチボルト
■ステータス■
【筋力】:B 【魔力】:D
【耐久】:C 【幸運】:E
【敏捷】:A+ 【宝具】:B
◇◆◇◆◇◆◇
ケイネスは時計塔の中でも一際異彩を放つ人物だった。
魔道の名家アーチボルト家の嫡子として生を受け、血統に恥じない稀代の才覚とそれを発揮する能力を兼ね備え、“天才”という呼び名を欲しいままにした傑物。
異例の勢いで魔術師としての格――位階を駆け上がった出世速度、名と実の伴う輝かしい研究成果、弟子たちを常に上へと導く講師としての手腕。それらは時計塔内で彼が脚光を浴びることを爆発的に促進させた。
誰もが“彼こそ天才にして神童”とケイネスを認め、名門の名にし負う彼を見やる視線に嫉妬と羨望を含ませずにはおれなかった。
綺羅星のごとく華々しく活躍する時計塔の花形講師、それがロード・エルメロイ、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトである。
しかし、当人からすればこの評価はまことに価値のないものだった。
誰も異論を挟むことなくケイネスを天才と称する。しかしそれは間違いだとケイネスは自嘲した。己が天才だと? まったくもってモノを知らない節穴揃いどもめ。
ケイネスの才能がせいぜい秀才止まりであることを、他でもない彼自身が、誰よりも知悉していた。
確かに凡人ではないだろう。他者よりも並外れた才能を有するのも否定はしない。明らかに恵まれたものを天より与えられている。
それでも、本物の天才、いや鬼才を目にしたことのあるケイネスにとって、自分程度が天才と持て囃されることを認めることはできなかった。
人前では当然のごとくそうした評価を受け取るが、それは時計塔という歪にして闇の深淵のような環境で生き抜くためのポーズでしかない。
内心では相手の言動にも、否定せずに鉄面皮を貫く己にも、謙虚ではなく含羞の念から嘲笑する思いを抱かずにはおれなかった。
ケイネスがその鬼才と出会ったのは幼少の時分だった。
それまでの彼は常に同年代の者たちより一歩も二歩もその才能が抜きん出ていた。
同年代の誰も彼もがケイネスより大きく劣っており、当人にとっては出来て当然の課題にも四苦八苦する始末。その右往左する様を見て、彼は傲ることなくただ事実として、自身が周囲と比較して圧倒的に優秀であるのだと自覚した。
そして周囲は他の追随を許さない飛び抜けたケイネスの資質に天才の評価を下した。当時のケイネスはこの評価に何の感慨も持たなかった。彼にとってはできることをただしただけであって、別段努力をしたわけではなかったのだから。
しかし、ある日の朝、妾腹の義妹として現れた幼い少女によって周囲の評価は変わらずとも、彼の内面は大きく変針することとなる。
ケイネスはどれだけ時が経とうとも、瞼を閉じるだけで当時のことを寸分違わぬ視界で思い浮かべることができる。それほどに鮮烈だった。それほどに、愛おしかった。
名門貴族の家柄であるアーチボルトの家格に恥じない当主の執務室に電灯などというものはない。金色の燭架に聳える蝋燭群が暁のごとく部屋を照らし出していた。
徐々に刻印の移植を施されていた年頃のケイネスは、父である先代当主に喚ばれ一人の幼い少女と引き合わされた。
その少女の名はベアトリス。日本人の愛人に生ませたケイネスの異母妹だという。しかし、そんな説明は彼の耳朶から脳に届くことはなかった。
何故ならケイネスは棒を呑んだように微動だにせず、彫像のように佇んでベアトリスの容姿に目を奪われていたのだから。
幼いながらもケイネスは魔術師としての一等の教育を受けていた。その恩恵で外界の事物、特に魔力による影響などにも類い希な抵抗力を持っていた。
そのケイネスが魅了されていた。ベアトリスの面貌を視界に収めた刹那、空前絶後の好意と恋情が彼の中に芽生えた。そう、偏にそれは一目惚れと呼ばれるものだった。
理想の美を追究する詩人の詩文も画家の画板をもってしても、ベアトリスの美の実在に及ぶことはないだろう。そうケイネスが断じるほどに、彼にとってその少女はひたすらに美しかった。
柔らかな濡れ羽の黒髪は艶やかに腰まで流れており、切り揃えられた前髪の下からケイネスを見返す黒曜の瞳は、王冠に象眼する象徴石を思わせる。
真珠のような歯が微笑む瑞々しい口から溢れて輝き、繻子のような頬が描く輪郭は高貴な血、アーチボルトの名に恥じないなよやかさと誇らしさを顕していた。
その身に纏う濃緑のドレスによって半ば露わとなった肩の滑らかな光沢は、鎖骨の生み出す陰影によって瑪瑙の光となってケイネスの眸を刺激した。
妾腹の、おまけに東洋人との混血児ゆえに他の弟妹たちはベアトリスを軽侮して拒絶したが、彼女に惚れたという自覚のあるケイネスは、なにかと彼女に世話を焼いた。
それは嫡子であり次期当主たるケイネスにとって余計なことだったろう。しかし、惚れた弱みというのもあるが、他の弟妹に可愛げを見つけることのできない幼いケイネスにとって、好いた少女――それがたとえ異母妹であろうとも、その不遇な仕打ちを見過ごすことができなかった。
ケイネスは目に入れても痛くないほどこの腹違いの妹を可愛がった。窘める周囲の意見も頑として取り合わず、その意見を潰すという目的によって彼は初めて威徳を得るべく積極的に努力というものを行ったほどだ。
無論、ただ甘えさせるだけではなく、年長者としての姿勢を崩すことなく時には叱り、時には厳しく接した。幸い、ベアトリスは物わかりが好く聞き分けもいいため、そうした機会は滅多となかったが。
ケイネスはわざわざ市井の本屋で調べ上げた“理想の兄弟像”というものを実現するために大いに励み、幼い妹の立派な兄たらんとした。
ある時、ベアトリスが魔術を学びたいとケイネスに頼み込んできた。
ベアトリスの魔術師としての素養は、魔術の才は不明であるがこと単純性能面においては、正直なところケイネスを軽く凌駕していた。
彼女は歴代アーチボルト家の血筋の中でも最多の魔力保有量を有しており、それを成す魔術回路は本数の多さもさることながら、さらに緻密な精度で形成される回路の優美な構造は、魔術協会のロードである彼らの目から見ても前代未聞の完成度だった。
その理由からベアトリスは妾腹とはいえ、アーチボルト家にとってベアトリスは無視できない貴重にして一点限りしかない財産として大事にされていた。当主が引き取ったのも間違いなくこれが理由であろう。
そのベアトリスが魔術を学ぶ。魔術の学ぶ危険性を魔術師であるケイネスは熟知していた。可愛いと思うなら学ばせないのが一番であろう。通常の家庭の感覚でいけば、そういう結論に達する。
しかしケイネスは名門アーチボルト家の嫡男である。当人の魔術の才を開花させることを至上の幸せと信じることのできる人種だった。
この時すでに刻印の移植は完了しており、名実ともにケイネスがアーチボルト家の若き当主となっていた。
また、魔術師としてベアトリスが力を得れば、彼女の境遇も多少なりとも改善されるのではないか。そうした意図をもって、彼はベアトリスにまず初歩的な魔術を享受した。
自分の慕う愛しい少女から先生と呼ばれることのなんと甘美で新鮮なことか。最初の内は純粋に教えることの楽しさを味わっていた。
そしてその至福の時間に少しの苦味が混じったのは、一体何時頃だったろうか?
ベアトリスは飲み込みが早い。それだけでなく、ケイネスには思いも寄らない視野と見識から彼を唸らせる応用技法を度々開発していった。
己では決してできない、いややろうとすら思えない発想力に始まり、綿が水を吸うがごとく速さで多種多様のカテゴリーの魔術を習得していく資質。
ベアトリスの才能はあらゆる面においてケイネス以上だった。先達であり師としての彼はそれを嬉しく思う反面、同じく魔術を学ぶ者として暗い劣等感を抱いていた。
もっとも、ケイネスは幼い義妹に自身のコンプレックスを見せる隙など一切作らなかったので、ベアトリスを始め全ての人間が彼のわずかな負の感情に気付くことはなかった。
そして劣等感を払拭するべくケイネスは奮起して修業し、自身もいっそう魔術の腕を上げていった。
相対的にベアトリスの腕も上がっていくが、それでも追い抜かれまいとケイネスは執念じみた向上心で歩みを速める。その師弟関係は、師による一方的で熾烈な修業競走に陥っていた。
それでもケイネスはベアトリスが愛しくて堪らなかった。彼女と過ごす時間を大切にした。弟子として、義妹として。ただし愛する異性としての想いは秘して。
ベアトリスの才能はアーチボルト家の中でも次第に認められていき、その話は想わぬ形でケイネスの至福の時間を奪い取った。さる後継者不足に悩む魔術の家系へ、ベアトリスを養子に出すという形で。
ケイネスは一人の男として断固その話を拒絶するつもりだった。しかし魔術師であるケイネスの視点では、その話の正当性と魔術師としてのベアトリスの幸福を認めていた。
ゆえに、彼は先代当主のもってきたこの問題に対し、義妹の意向を尊重することにした。
そしてその結果、ベアトリスはわずか四代とアーチボルト家の半分の歴史もない新興の家系の跡継ぎとして、ケイネスと過ごした居城を後にした。
初恋は実らない。そんなことは魔術師でなくとも判っていたはずである。
しかし、この先もずっとベアトリスと同じ時を過ごすことに何の疑いも抱いていなかったケイネスは、この突然の別れに寂寞とした心境を打ち消すことができなかった。
恋心は家族の情に加えて“兄と妹”という体裁の壁に突き当たり、己より優れた才能と切磋琢磨したことで自身の限界に悩み、望んだ未来がその手から零れ落ちるという挫折に哀しむ。
こうしてベアトリスという少女との出会いは、ケイネスの心に傷を遺し、彼という人間を成長させる切っ掛けを作り出すこととなった。
ロードとして時計塔に入学し、破竹の速度で出世をしてもケイネスは何の感慨も抱かなかった。
降霊学科の主任講師となったことも、学科の最高責任者にして恩師でもあるソフィアリ学部長の娘と許嫁になったことも、魔術師としてケイネスの栄華の経歴を築く上で欠かせない要素であったが、失恋の傷を宿して比較的真っ当な人間性を得てしまったケイネスにとっては、必要であっても渇望したものでは決してなかった。
魔導の秘奥という長途に臨む魔術師たちの中でも特に権威主義の温床であるこの魔窟において、ケイネスと許嫁ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの関係がどれほど嫉妬と羨望を浴びて輝こうと、あくまでロード・エルメロイの“立場”として満足するのみである。
そして、魔術協会のロードの一角を統べる者として、他者に弱みを見せることは絶対に許されない。ケイネスは魔術師らしい魔術師として、誰よりも優秀たらん魔術師として陰では努力を怠らず、時計塔の中を隙のない振る舞いで過ごしてきた。
そうして数年経ったある日、協会の最高幹部のみが出席を許される議事の場にて、冬木の聖杯戦争の話が上がった。
サーヴァントなどという死徒の祖を上回る兵器を得て、同条件の他六人と殺し合いをする儀式、それが聖杯戦争だった。
そんなものに出て確実に生きて帰れる実力をもつ者など、魔術協会の中でも数えるほどだろう。
名実ともに時計塔のトップ魔術師であったケイネスに白羽の矢が当たったのは、極めて自然な流れであった
ある並行世界――見方を変えれば本来の歴史――において、ケイネスは聖杯戦争に「勝って当然」の意気込みで参加する驕慢な男なのだが、生憎とこの可能性世界を生きる彼は己の力を盲信することはなかった。
ケイネスは傲らない。己が最高でないことを知っているから。
ケイネスは怠らない。己の手配と選択で未来が変わると知っているから。
それゆえに、サーヴァントとして英霊を喚び出す際の触媒を、複数方面に働きかけて調達することにした。
不測の事態は予期せぬ形で必ず起こる。それが彼の持論であり、たとえ万全を期したとしても召喚するまでに何が起こるか判らないからである。
まず最初に優先して求めた触媒は、召喚されればクラスはおそらくライダーとして現界するであろう、マケドニアの大英霊の聖遺物。
次点で求めたのは限りなく最強でありランサーとキャスターの適性を持つ光の御子の聖遺物。
最後に求めたのが、セイバーとランサーの適性を持つ双剣二槍の騎士の聖遺物。
本命の聖遺物は滞りなく時計塔に届けられることとなった。
しかし、管財課の手違いによって聖遺物は不肖の弟子であるウェイバー・ベルベットの手に渡り、彼とともに時計塔から消え失せてしまった。
この報せにケイネスは泰然自若を崩さずに受け止めるも、胸の内では小さく驚いていた。
まさかあの見習いがせいぜいのウェイバーが、このロード・エルメロイに届けられた運搬品を奪い去る度胸があるなどとは。
ケイネスは時計塔のエリート魔術師である。そのエリート像を保つためにも、講師として弟子たちに接する時は、努めて魔術師の模範たらん態度で臨んでいた。
ウェイバーはそうしたエリート視点によって一魔術師として見た場合、非才で凡庸な少年であった。そのため、周囲同様に彼を軽侮した態度で恥辱を与えてきたことは、否定しようのない事実であった。
ただし、内心でケイネスはウェイバーのことを認めてもいた。無論、魔術師という観点とは異なるのだが。
まず目を見張ったのが書の内容を把握して明快な言葉でまとめる技術だった。
若いながらも熟練の魔術師が苦心して理解する魔導書のレポートをあっさりと提出してきたのが、その才能を知る最初の機会だった。
その後、こき使う形にはなったが直接や人伝に命じて様々な課題をさせてみたところ、人に教え導く講師としての才能はケイネスを上回るものをもっていると確信した。
そうと判れば、ウェイバーを講師とするためにケイネスが目論むのも無理はなかった。
いずれケイネスも講師を退く時がやってくる。ならば後継者として次代を育てなければならないのだが、その人選も容易ではない。
そこで魔術師としての前途がほとんどないであろう上に教え手としては逸材であるウェイバーへと期待は向かう。
そのためにウェイバーを陰ながら支援しようと画策した矢先の強奪と逃走であった。
ケイネスとて原因は理解している。ウェイバーのレポートを破り捨てたのが直接の原因であろうと。
もっとも、ウェイバーのレポートは着眼点は悪くはなかったが、肝心の術式など実践部分の構想があまりにもお粗末だったために机上の空論止まりの内容で終わっていた。
ケイネスは魔術師としてのウェイバーをその時完全に見限ってしまい、講師の道を歩ませるために、魔術師の道を諦めさせる腹積もりで、辛辣でいやらしく当たったのだが。
一応、流石に悪いと思って破り捨てたレポートは修復した後に添削して、次に来た時返すべく書棚の一つに挟み込んでいた。全く来ないところを見るに、やはり言葉が足りなかったらしい。
よくよく考えてみれば、ウェイバーを講師にしたいのはケイネスの都合でしかない。それも時計塔のエリート魔術師としての都合で、である。
この時ケイネスは、己が知らず魔窟の闇から滴る毒に侵されていたのだと気付いた。
ベアトリスと過ごした日々を思い出せ。彼女を失った反動でここまで耄碌してしまったというのか。
自らがウェイバーに取り続けていた態度と言動が、いかに相手の反感と憎悪を煽るものだったのか、ここに来てようやくケイネスは悟った。
そうなると、秀逸さを取り戻したケイネスの明敏な頭脳がウェイバーの気性を客観的に見ることとなり、聖遺物を強奪したウェイバーの目的をおおよそ看破してしまう。
ウェイバーの行動目的はおそらくケイネスと時計塔全てへの意趣返し、即ち聖杯戦争に勝利の栄光を得ることではないか。
ケイネスは難儀な仕儀となった事態に苦慮した。こんな殺し合いでせっかく見つけた後継者を失うのも馬鹿らしい話である。
しかし、その原因がケイネスの言動にある以上、彼が弱音を吐くことは許されない。
聖杯戦争におけるケイネスの役目に、ウェイバー・ベルベットを連れ帰るという目的が加わった瞬間である。
ウェイバーを確保したら、当然ながら罰を与える。なにせ聖杯戦争に赴くケイネスの生存率を著しく下げる所業をなしたのだから。その時、自分は生来のやや陰湿で執念深い部分を抑えることができるだろうか。
もっとも、ケイネスの責任問題とはいえ、師に噛み付いて殺し合いの戦争に参加するのだ。
敗北した以上は、ほんの少し生まれて来たことを後悔するほどの責め苦を味わわせるなど、敗者の惨めさと合わせて甘んじて受けてもらおう。
その後は飴として待遇改善と後継者教育、さらに次期講師の地位を約束すれば問題はあるまい。
ケイネスの方針は決まった。あとは準備に励むだけである。
しかし、幸先の悪さを物語るように、本命と同じく次点であった光の御子の聖遺物を彼が手にすることはなかった。
こちらは単純に人脈の限界であったため、誰のせいでもない事態である。最悪触媒なしでも召喚はできるため、それに較べれば次々点の聖遺物が届いたのはマシと言えるだろう。
それにケイネスは正史とは違って用心深い。何より視野が広かった。そのために保険として聖杯戦争のシステムの改竄も、本来の歴史で行うはずだった『サーヴァントへの魔力供給を他者に肩代わりさせる』というものではなく、『バーサーカーとすることなくステータスを強化する』という方針を取っていた。
どうせ始まりの御三家それぞれも、何らかの反則を行っているのだろうと予測するケイネスは、長年の努力によって培ってきた手腕を、降霊学科の現最高術者として遺憾なく発揮することとなる。
◇◆◇◆◇◆◇
月下のアイルランド某所にて、許嫁であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリとともに魔方陣の前に佇み、互いに厳かな面持ちで英霊召喚の儀式の最終確認を執り行っていた。
唱和する二人の詠唱の完了と同時に、召喚陣の内側に破壊的な竜巻が吹き荒び、フィオナ騎士団最強の騎士がサーヴァントとして召喚される。
「ディルムッド・オディナ、聖杯の寄る辺に従いマスターの槍となるべくランサーのクラスとして参上いたしました。貴君が私のマスターに相違ございませんか?」
二人の耳に届く低い美声には、契約前の騎士に相応しい厳粛な響きをもっていた。
その声は召喚によっていまだ漂う白煙と魔力の荒れるこの場を荘厳さで浄化するかのようである。
煙が晴れると、眼前の陣中央では緑の槍兵が紅と黄の二槍を捧げるように手前に置き、一部の隙のない拝跪で返答をただ待ち続けていた。
「うむ。私が貴公をサーヴァントとして喚び出したケイネス・エルメロイ・アーチボルトだ」
「はっ。主のご尊名、しかと賜りました。このディルムッド・オディナ、全身全霊を賭して必ずや主の御前へ聖杯を捧げましょう」
臣下の礼とともに、聖杯戦争のマスターとサーヴァントというだけでなく、今生の主と騎士という面においても契約は正式に結ばれる。
人の域を遥かに逸脱した存在である英霊の恭しくも堂々としたその様子に、ケイネスは事前に調べ尽くした悲劇の騎士の忠義一徹の逸話が真実であると納得した。
確かにグラニア姫の聖誓によって、主フィン・マックールと彼の率いるフィアナ騎士団を裏切る結果に陥ったが、ケルトの英雄にとってゲッシュがどれだけの威力を持つかぐらいはケイネスとて知っている。
ケイネスは自身の喚び出したサーヴァントが、己の手足の延長のごとく忠実に動く勝手の良い駒であることを実感する。
「まず貴公の主として問わねばならぬことがある。ランサーよ、貴公が聖杯に希う望みはいったい何だ?」
「恐れながら、私が聖杯に託す望みはありません。此度の召喚に応じたのは、生前貫くことができなかった忠義を貫き通すがため。
ただ騎士として再び主を戴き、その槍となって戦い抜き、仕える主に最後まで忠誠を尽くしたい。そして今度こそ、騎士の誉れを全うできれば、これに勝る幸福はありません」
しかし、思惑は覆される。その言葉に偽りがないとすれば、これほど魔術師と相性の悪い英霊もいまい。
これならば陰働きに特化したアサシンか、同じ魔術師であるキャスターの方が使い勝手としてはマシというものだった。
ケイネスは内心の失望を、それが勝手な期待だったのだと自身を諫めることで、完全に捨て去ることに成功すると、気持ちを切り替えて眼前のサーヴァントに問い掛けた。
「貴公の悲願は、生前の悲運を贖うことか」
「はっ。御意にございます。理由はどうあれ、生前の私が主を裏切ったのは紛れもない事実。されど、今生にて貴方様という主を得られた今、騎士の本懐を遂げる最後の機会――」
「耳当たりの良い口上ばかりを謳うものだな? ランサーよ」
哀愁と決意の込められた台詞を遮り、ケイネスはいまだ傅くランサーを見下ろして語りかける。
「伝承と実像をこの目にして、貴様の望みが真実であると私は断言する。認めるぞランサー。
だが貴様の言う騎士道とやらでは、何も知らぬ出会ったばかりの者を主と仰ぎ、無窮の忠節を尽くすというのか? であるならば、それはこの私への侮辱と受け取ろう。
要は誰でもよいのだろう? 貴様を自己満足させるための御輿に担げるのであれば。
悪いが契約を破棄させてもらおうか。そんな騎士道ごっこの安い忠誠と命運をともにするのではかなわないからな」
「――っ!! 恐れながら主よ――っ」
「ケイネスだ。私を呼ぶ時は名を口にすることを許そう」
「ありがたき幸せっ! ケイネス様、恐れながら申し上げます。まず私の言葉と望みをお認め下さり恐悦至極に存じます。
そしてケイネス様の気高き意志とご慧眼にお見それいたしました。仰る通り、私はただ忠節を全うする機会のみを望み、先ほどまでその悲願が叶ったのだと愚考しておりました。それがどれだけ不忠であったか、ケイネス様のお言葉で蒙が啓かれた思いです。
だからこそ申し上げます。ケイネス様こそ私の無二の主であると。何卒このまま御身の下で槍働きを全うさせて頂きたく願う所存。どうか、私にケイネス様のお力となる機会をお与え下さい」
ランサーは余計なことは一切口にせず、主を侮った大罪を雪ぐ機会をひたすらに懇願した。
そんな己のサーヴァントを見下ろすケイネスは、この英霊が死すらも厭わず自身にその忠節を尽くすことに関しては疑いを持っていなかった。
上下関係を明確にするために発言の粗を突いてやったりもしたが、そのおかげで悲運にして忠義一徹の騎士ディルムッド・オディナの真の忠誠を得る前段階までこぎ着けられただろう。
聖杯戦争を戦い抜く上で、彼はケイネスに認められようと必死にその槍を振るい、忠義の成果として聖杯を勝ち取るべく獅子奮迅に戦場を駈け抜けるはずだ。
最後の一押しは、ランサーの望む騎士道に相応しい主を演じることだろうが、それは中々に難業であるとケイネスはわずかに危惧した。
このサーヴァントの精神的報酬を支払うためにある程度は正道王道に則った戦略を練らなければならないし、奇襲や暗殺などの卑怯な畜生働きの封殺は、時にはそれが仇となって危難を呼び込む因となろう。
なにせ聖杯戦争に参加するマスターは海千山千の魔術師たちである。おそらく参加するであろうウェイバー自身はその限りではないが、不肖の弟子も喚び出す英霊によっては効果的な戦略で立ち回り、脅威足りうる戦術で翻弄すること請け合いだった。
そんな敵陣が六つもいるというのに、正統派の戦い方に拘泥するのは命知らずも甚だしい間抜けのスタイルであるが、それが結果的にこのサーヴァントの性能を十二分に引き出すというのならば、騎士の主という面倒な役目を担うのも吝かではない。
「よかろう、ディルムッド・オディナよ。貴公の忠義が本物であると私に知らしめてくれ。その槍で私に迫る敵の尽くを屠り、この手に勝利をもたらすのだ。そのための褒美として、私は決して貴公の栄誉と誇りを傷付けるような命は下さないと誓おう」
「おぉお……勿体なきお言葉を戴き恐縮でありますっ、ケイネス様」
拾われたばかりの人懐っこい捨て犬のように、ランサーはその瞳に歓喜を宿して再度頭を下げる。
それを眺めつつ、ケイネスは冷然とした観察眼でランサーのステータスを吟味し、この速度判定ならばそれだけで立派な武器となることに納得した。
ケイネスが取った小細工は単純だが極めて効果的なものばかりだった。
まずサーヴァントを召喚し、契約する段階でマスターの権限を二人に分けることで、二人分の魔術師の資質をもってサーヴァントの初期ステータスを決定づける。
この策によって、ケイネスとソラウの両者の資質に見合ったパラメーターを得ることができる。
令呪にも工夫を凝らし、ケイネスの手の甲に描かれた紋様と全く同じものがソラウの右手にも刻まれている。彼女の右手のものこそ本物の令呪であり、ケイネスの右手に残った紋様は令呪とサーヴァントを中継するための基点でしかない。
小細工を弄したことによってソラウがマスターとして認識される可能性もわずかにあったが、結果としてランサーが問い掛けたのはケイネスだったことから、問題なく機能しているようである。
そしてもう一つの小細工は、初期ステータスの維持である。サーヴァントはその土地の知名度によって地形効果が得られることが報されているが、聖杯戦争の舞台となるのは極東の島国の一地方都市。
そんな島国では、その土地の英雄でもない限り滅多に知名度の恩恵など得られようはずもない。ならばとケイネスが取ったシステムの改竄こそ、召喚時に得た地形効果によって得たパラメーターのプラス補正を永続維持するというものだった。
そのためにわざわざアイルランドくんだりまで来て召喚をしたのである。この二つの小細工による強化策を取ったことで、ランサーのパラメーターは生前とほぼ同等にまで高められたと確信し、時計塔で屈指の実力者であるケイネスはそれなりの満足と自負を持つに至る。
「面を上げろランサー。紹介しよう。私の隣に立つ女性の名はソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。彼女もまた貴公のマスターであり、私とともに貴公に魔力を供給するパートナーだ。そして許嫁でもある。私と同じく彼女も主として遇し、その槍で守り抜いてくれ」
「はっ。主の仰せとあらば、必ずやケイネス様とともにソラウ様をお守り通します」
「ソラウ、君もランサーに言葉をかけたまえ。沈黙は貞淑を体現するが、紹介が済んだ以上は言葉を交わすことこそ礼儀となろう。ソラウ、聞いているのかね? ソラウ――――」
「…………えっ!? あ、うん、聞いてる。聞いてるわよ……?」
ケイネスは頬を朱に染めてランサーから目を離すことのできないソラウの様子にある確信を持ち、ランサーはソラウに様子を生前のグラニア姫を重ねて、またもこの顔の呪いによって主を失う未来が待っているのかと、その麗々たる美貌を青ざめさせる。
「驚いたな。ソラウの抗魔力ならばランサーの魔貌の効果を無効化できる。にも関わらず一目惚れとは、ランサー、君も隅に置けないな」
「ケイネス様っ!」
「構わんよランサー。ソラウ、婚約を破棄するから、君の思うとおりにランサーに求婚したまえ」
「えっ? えぇえっ!? 婚約破棄? いいのケイネスっ!?」
「元々私たちの間に愛はないし、幼少からの顔馴染みでそれなりに気心が知れているのとお父上の面子を潰さぬために諒承したが、君だって別に私のことを好いているわけではないのだろう? 望む相手と結ばれぬ不幸は私も理解しているつもりだ。
どうだろうランサー。君さえよければソラウの愛に応えてやってくれないだろうか? 無論のことこれは強制ではないし、君もソラウも出会ったばかりで彼女の気持ちに応えるのにも断るのにも、時間が必要だ。幸い冬木の地に赴くまでまだ時間もある。私のことは気にせず二人の時間をもってゆっくりと考えたまえ。結論を急ぐことはないさ」
心に癒えぬ傷をもつがゆえか、ソラウの様子から過去の己を顧み、その傷を刺激されたせいか、ケイネスは饒舌に二人に言葉をかけると、ソラウの背を後押しした。そして目線ではランサーに謝罪し、さらに無碍に扱わないで欲しい旨をパスを通じて念話で伝えた。
婚約者を奪われる形となったというのに妬心を微塵も見せず、本心から伝わった念話の言葉から、主の考えが言葉通りであるのだとランサーは悟る。
そして思うべきではないことを思ってしまった。もしもフィンがケイネスのような御仁であったならば、と。生前の主へ不服をもった覚えはなかったが、それでもその考えが黒い小さな棘となって胸の奥に引っかかった。
ランサーは二人の主を重ねて考えることはどちらの主にも許されざる愚弄であり侮辱であると自戒し、己の浅ましさを恥じた。
ケイネスはその様子に黙礼し、義妹であった少女の幼い容貌を思い浮かべた。
このベアトリスというイレギュラーがいなければ、ケイネスはソラウにこそ一目惚れしていただろう。
しかし、この世界ではその歴史を辿ることはない。そのため、彼はソラウがランサーに一目惚れをしたことにも目くじらを立てて嫉妬に怒り狂うこともなく、逆に極東の島国でいうところの月下氷人になったつもりで、二人の仲を取り持つことにした。
ケイネスはその場を辞すると、子供のようにランサーに求愛するソラウの声と、ケイネスの説明からそれを即座に拒絶するのもまた不忠であり礼を失すると考えるのか、ランサーの冷静且つ説得まがいの戒めの言葉で彼女に応対する声が聞こえてくる。
ランサーのサーヴァント、ディルムッド・オディナは、ケイネスとソラウが生前の主フィンとグラニア姫と違うことに理解しつつも、生前の最期からいまだ気持ちを切り替えることができないでいた。
それを尻目に、ケイネスは聖杯に願う望みをランサーの受肉にするべきかと、野次馬として面白がるように思案した。
風邪を引いたり忙しかったりで書く時間があまり取れませんでした。
しかしそろそろ新話ぐらい上げておかないと自分のモチベーションが完全にダレる可能性もあったので、急いで上げてしまいました。
魔改造ケイネス(笑)と強化ゼロランサー。実は彼らが主役とかゆーことはないです、はい。ただ、あんまり不幸になって欲しくないとは思います。次回はランサーVSセイバーまで行きたいですががががが;
※意図と違う文章の間違いを指摘して下さった方々まことにありがとうございます。修正させていただきました。
というか、また「あ、直しとかなきゃ」って思って直すの忘れていた箇所……あぶぶぶぶ;
あと感想返しは次回更新時にでもさせて頂きます。ケイネス効果が予想外の反響で悲鳴を上げておりマスDEATH。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。