一:契約
ウェイバー・ベルベットは放心していた。
彼が今いるのは、見た目の豪華さを安上がりな素材で演出し、恥じないレベルでまとめようとして、何とかそれを成功させたと言える内装の部屋にいた。
床、天井、壁紙の色調は白を基本としたモノトーン構成で、調度品に木製品を多用して暖かみも持たせている。
ただ、設置されている電気製品は清潔感はあれど、どうにも雰囲気を壊さないギリギリの値で揃えられた感が否めない。
そんな部屋の中央に位置する一見豪奢なキングサイズのベッドの上に、ウェイバーは湯上がりで暖まった身体に備え付けのバスローブを身に纏い、所在なげに腰を下ろしている。
全身は熱い湯のおかげでリラックスしていたが、わずかな緊張と思春期特有の後ろめたい興奮に支配されていた。
通常の宿泊施設ならば、ウェイバーもここまで無様な体を見せなかっただろう。
彼と一緒にチェックインした――無論、その時は霊体化してもらっていた――サーヴァントが女性、それも外見上は年頃の少女であり、思わず溜息を吐くような美貌を備えていたのも原因の一つである。
しかし、一番の原因は、
「なんで、ラブホテルなんだよぉーっ!!」
もはや現状のもどかしい空気に我慢ならぬと言わんばかりに、ウェイバーは泣きそうな――というか涙目であった――声音で咆吼をあげた。
不本意な仮宿となった部屋の中に響くその声の情けなさが、なんとも小動物のような印象を他者に与えることに、当人は全く気付いていなかったのはご愛敬であろう。
◇◆◇◆◇◆◇
深山町の雑木林の奥で、ウェイバーは触媒なしでサーヴァントの召喚に成功する。
詠唱によって次第に魔力の暴風が巻き起こる中、座との現世の境界軸を繋ぎ止め、己が求める至高の英霊の気配を掴み取り、招き引き寄せた感覚にかつてない確信を覚えた。
そして見事、人外の存在である英霊を召喚し、サーヴァントとして現界を成し遂げたのは、天才と日々自画自賛しているウェイバーの自信と自負をより強固なものとした。
この時点で、一時的とはいえ征服王の触媒を失った焦りと落胆も、なにもなさずに敗北し、死して脱落することへの恐怖も、かなり希薄なものとなっていた。
むしろ全身、爪先から頭の天辺まで歓喜と昂揚に満たされ、血の滾りを抑えるために身体に大きく震えが奔ったほどである。
しかし、陣の中央で現界を果たした超越存在たる己のサーヴァントの外観は、彼の予想を大きく裏切るものだった。
驚くべき事に、招かれた彼のサーヴァントは、小柄なウェイバーよりもなお華奢な矮躯を持つ可憐な少女だった。
月明かりに照らされる長い白銀の髪は青く輝き、紅玉を思わせる眸は折れることのない鋼鉄の意志に煌めいている。
容貌は可憐でありながらも毅然とした凛々しさを兼ね備え、醸し出す雰囲気が非人間的なまでの美貌に等身大の人間らしさを与えていた。
体格は美の女神に祝福されたかのような均整の取れた体躯、ただし凹凸は年の頃を思えば若干控えめなもので、さりとて寸胴ではなく女らしさを確かに描き、その身とすらりと長い四肢の五体を、紅い外套とその下に纏う黒衣に包み込んでいる。
ウェイバーとて魔術師の端くれであり、時計塔の降霊科に在籍していたため、英霊にまでなった古今東西で活躍した英雄豪傑の史料は多数目にすることができた。
一薙ぎで山を断ち割る壮烈無比の戦士、神話の魔獣をも単独で討ち滅ぼす生粋の勇者、百万の軍勢を統率した時代の覇者など、神話や伝承、史実に名を残す偉人たち。
彼らは死後、時間と次元の切り離された“座”と呼ばれる領域へと世界より召し上げられる。
その中には、男もいれば当然ながら女もいる。やはり大多数は男であるが、それでも女性の英霊というのも少ないわけではなく、おそらく三、四割の割合で座中には存在しているのではないだろうか。
それゆえ、女性の英霊がウェイバーの召喚に応じても、何ら不思議ではない。不思議ではないのだが――
「僕より背が低い……」
現れたのサーヴァントは、ウェイバーの予想を裏切って、彼よりも短躯で――と言っても3cm程度だったが――目元に幼さを残す可愛らしい少女だった。
この時、ウェイバーは事前に精神的に追い詰められ、それを四苦八苦しながら克己して召喚に臨んだため、まだまだ平静さを欠いていたのは否めない。
そもそも、ウェイバーが直前まで認識し、想像していた“使い魔”としてのサーヴァントと、眼前の存在はあまりにも懸け離れていた。
“使い魔”という魔術師に100%依存した傀儡などとは一線を画した圧倒的な存在感。人間を逸脱した格を持つ甚大な魂の霊体が、膨大な魔力で虚像ではない肉体を形成する光景に、ただの魔術師に過ぎないウェイバーははっきりと気圧されていた。
そうした精神的衝撃に加え、実体化した己の究極至高のパートナーの容姿と、さらには類希な美貌に驚き目を奪われた末、つい茫漠とした思考の間隙が発生し、うっかり口を滑らせてしまったのだ。
身長にコンプレックスを持つウェイバーだからこそなのか、気圧されつつも己がより高い身長差の事実に安心感をもったため、つい漏らしてしまった本音である。
もっとも、そんな彼の第一声は、対峙したばかりの主従の荘厳で緊迫した空気をしたたかに凍らせる威力を発揮することとなった。
「――――背が低いのは自覚している。しかしこちらの問いに答えないばかりか、開口一声にわざわざそれを指摘されるのは、あまり気分の良いものではないのだがね」
柔らかい輝きを称えていた双眸は細められ、視線と声は変わって刺すような凍てつく冷たさを放っていた。
ただでさえ圧倒されていたウェイバーは、それだけで危うく気絶するところだった。
例えそれが目の前の少女の中ではほんの少し睨み据えた程度の行為だっただけだとしても、魔術師でありながら常人と大差ない人格を有するウェイバーにとってそれは、文字通り魂消るほどの高圧のプレッシャーであった。
しかし、膝をガクガクと震わせつつも、なけなしの根性で意識を繋ぎ止め、非を認めて慌てて己が従者に謝罪する。
「ご、ごご、ごめごめんな、さい……僕も、あぅ……さっきからいろいろあって、混乱してて……その、不快なことを言っちゃって、悪かった…………本当に、悪かったよ……」
頭を下げて重圧につっかえながらもただ謝るウェイバーの殊勝な態度に当てられ、その魔術師らしからぬ光景に彼女は自身の大人げない言動を鑑みた結果、サーヴァントの方も己の非を認め自嘲したようだった。
紅い外套の少女は小さく息を吐くと、苦笑して軽く頭を下げ、ウェイバーの耳朶へと優しく届く、安心させ包み込むような声音で謝罪する。
「いや、私も子供みたいな真似をして悪かった。それで、君が私のマスターであっているのかな?」
「あぁ、僕が、いやワタシが、んんっ、君――でなく! 貴女のマスターっ! ウェイバー・ベルベットだぁっ!」
すでにマスターとしての威厳など欠片も存在しないウェイバーであったが、たとえみっともなくとも精一杯に主張し、立場をはっきりさせなくてはならない。
聖杯戦争のルールに則り、主従関係ではこちらが主で、彼女が従。それは絶対不変でなければいけないのである。
なんとかそれをアピールするため、虚勢を張ってしまうのは仕方がなかった。
そんな若気の至りとしか思えない態度を貫こうと、気炎を上げる未熟なマスターに微笑ましいものを感じ、少女は誓いの言葉を口にした。
「諒解した。ならばここに契約を完了する。サーヴァントキャスター、真名をエミヤ・シロ。我が弓と剣、魔術をもって、マスターウェイバー・ベルベットに勝利を捧げることを、ここに誓おう」
錬鉄のごとき意志と覚悟の下、主従の間に誓約が結ばれ、こうして彼と彼女は七組目のマスターとサーヴァントとなった。
ウェイバーは歓喜と寒気にさらに身を震わせていると、サーヴァントはマスターに異常を発見した。
「む。マスター、手に怪我をしているな。少し失礼するぞ」
「え? ぅわあっ!?」
思春期真っ盛りのウェイバーの両手を、キャスターの白魚のような繊手に包み込まれた。
――お、落ち着け、落ち着くんだ僕! でも暖かい、それに柔らかいっ。
先ほどとは違う意味で、年頃の若者としては至極真っ当な反応により総身が昂揚して体温が高まり、動悸が激しくなる。
そんなウェイバーの状況など一切構うことなく、キャスターは己のみが用いる短い呪句を紡いだ。
「同調、開始」
それは高等な神言ではなく、魔術師が魔術を使用する際に用いる自己暗示の言葉。
詠唱に応じて発動したのは、ありふれた治癒魔術だった。時計塔でも平均的な位階持ちであれば使用できる、複雑さが微塵もない単純な術式の魔術。
しかし流石はキャスターのサーヴァントというべきか、時間を巻き戻すようにみるみる内にウェイバーの傷めた両手は癒えていき、すぐに元通りとなった。
そこでするりとキャスターの手が離れ、ウェイバーは慌てて手を握ったり広げたりして調子を確かめる。
「っあ、ありがとう」
「大したことではないし、当然のことをしたまでだ。私がしなくとも、すぐにマスターも治したのだろう?」
「あ、あぁ」
「どのみちマスターの魔力を使用することには変わりないのだから、気にしないでくれ」
それでも非才にして未熟な――本人は決して認めないだろうが――ウェイバーがするよりも遥かに高効率で魔力の消費を抑えられた含蓄ある治癒魔術である。
今のウェイバーには到底真似のできない洗練された高みの技量に、やや劣等感を持たないでもなかったが、人間と英霊を比較するのも馬鹿らしいという結論に達し、気にしないことにした。
そんなことを考えていると、キャスターが夜空の月を見上げて提案してくる。
「さて、この寒空の下にいつまでも立ったままというわけにもいくまい。取り敢えずは、マスターの拠点に場所を移しはしないか?」
ここでギクリとウェイバーの身体が震えた。ぱくぱくと口を開閉して焦ったように目を泳がせるなど、いかにも困り果てたような挙動不審な態度を露見させた。
その様子から主の窮状を正確に推察し切れるものではなく、大凡の見当を付けつつも、キャスターはウェイバーに訊ねないわけにはいかなかった。
「マスター?」
「あ――ぅ――……そ、そのことなんだけど……」
確認の意味を込めて呼ばれ、ウェイバーは言いにくそうにもごもごと、言葉を舌に乗せるのに容易ならざる努力を強いられる。
キャスターは急かすでもなく、静かにマスターの発言を待つべく、右往左往するウェイバーと視線を合わせて待ち続けた。
「……なぃんだ」
「――ふむ?」
「だから、僕には、今、拠点が、ないんだよぉーっ!」
か細い声の告白に間の抜けた声音を返され、羞恥と悔恨に満ちたやけくそ気味の絶叫が雑木林に木霊した。
本来ならば暗示によって寄生中である行きずりの民家を真っ先に挙げるのだが、現状が現状のためウェイバーはそこへ戻るという選択肢もなく、どうやって自身の窮状を召喚したばかりのサーヴァントに説明するべきか、まとまらない思考にすぐさまテンパってしまい、泣きそうな顔を真っ赤に染める。
キャスターはそうした葛藤を読み取るぐらいの人生経験は積んでおり、なかなか厄介な状況に陥って確保していた拠点が使えなくなっているのだと、信頼する直感に頼らずとも簡単に現況を推察することができた。
しかし、これから魔術師などという左道を往く外道たちが命を賭して行う血みどろの戦争に赴くに辺り、戦の規模に関わらずそれに参加する上で拠点がないというのは、いかにも不味い事態である。
なにより、先ほど物申したようにいつまでも寒風吹き荒ぶ深夜の外気に当たるのは、目の前の脆弱かつ未熟なマスターにとっては毒であろう。
暫しの気まずい静寂を挟むと、キャスターはウェイバーに建設的な提案を献じる。
「ではまず宿を取ろう。私を召喚したせいで魔力もかなり失っているのだろうしな。今のマスターは心身共に疲れている。一先ず、人心地着けることが先決だ」
進言が終わると同時に、ウェイバーは小柄な体躯のサーヴァントの両腕に軽々しく持ち上げられる。
そして驚く間もなく、いわゆるお姫様抱っこで抱え上げられるや、魔術師のサーヴァントの主従は雑木林を後にした。
森から出ると彼を抱えるサーヴァントは、まるで周囲の地形や建造物の配置を元から熟知しているかのように、人々の死角から死角へと常軌を逸した速度で跳躍し続けて移動する。
その間の時を、ウェイバーはあまり憶えることができなかった。
周囲の景色が彼の動体視力以上の速度で目まぐるしく移り変わっていく上に、見た目が同年代の見目麗しい少女に密着して体温を共有する事実に、内心の動揺が許容限界値に達していたためである。
ウェイバーの印象に残っているのは、彼女の後を尻尾のごとく華麗に流れる三つ編みのお下げ髪のみだった。
キャスターの言う通り体力的にも魔力的にも、そして精神的にも限界に近かったウェイバーは気が付けば、少なくとも男女二人で利用するのが最も正しい用途である宿泊施設の入り口に辿り着いていた。
そのまま霊体化したキャスターの指示によって前払いで個室へ入り、冬の外気で疲労していた五体を熱い湯船に浸ける。
そこでまたも締まらない事態が発生した。
血行のよくなったウェイバーの未成熟な肉体は意識を巻き込んで次第に弛緩していき、そのままうっかりと微睡みの淵に傾き、力を抜いて転げ落ちてしまった。
あわや眠気に負けて湯船で溺死寸前という、聖杯戦争史上最も惨憺たる死を迎えそうになったところ、ラインを通じて主の生命の危機を感じ取ったサーヴァントに救い出される。
助けられたという事実には、ウェイバーとして感謝の感激の念が湧かずにはおれない。しかし、それと同時にキャスターのような少女に裸を見られるという事態に、年頃の少年の羞恥心は奈落の底へと落ち込み、召喚からこっち、サーヴァントを前に醜態を晒し続けた己のさらなる痴態に、まさに踏んだり蹴ったりの思いで意気消沈してしまった。
そしてひったくるようにして受け取ったタオルに身体の水気を吸わせると、用意されたバスローブを身に纏って足早に浴室からベッドに直行した。
そのまま横になることもできずに辺りを見回すと、内装の所々で自覚させる宿泊施設の正しい用途に気付かされ、そこからキャスターほどの可愛らしい少女とその一室にいるという事実に思考が直面し、やがてはその夜何度目かの絶叫をすることとなった。
マスターとしての威厳は、ウェイバーの矜恃ごと木っ端微塵に砕け散っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「落ち着いたかね?」
「うん。どうにかね……」
心持ち言動が素直になったというか、幼児退行を起こしかけていたのは、羞恥で憤死寸前という状態を乗り越えたためか――。
あの絶叫の後、キャスターは文字通り泣き叫ぶウェイバーの羞恥心などお構いなしに彼を宥めると、甲斐甲斐しくもマイペースにあれこれ世話を焼き、まず食欲を満たすことを勧めてきた。
ウェイバーは注文したルームサービスと備え付けの冷蔵庫にあった飲み物、さらに召喚のために用意したあの鶏たちを調理したキャスターの料理をたらふく平らげ、幸せな満腹感に身をゆだねていた。
現金なもので、湯で暖まった肉体に、疲弊した分適量となったやや多めの食事は、ウェイバーの心身を覿面に癒してくれた。
何よりウェイバーの肉体、主に舌に感動を与えたのがキャスターの手料理だった。
いつの間にか用意していたが、魔術でも味付けに使用したのではないかと疑うほどにその鶏料理は美味であり、素材の新鮮さと持ち味を遺憾なく活かされている。
食後の幸福な心持ちにトドメの一撃を加えたのは、どこから調達したのかフルセットで準備され、ゴールデンルールに則って淹れられた紅茶の一杯。
至れり尽くせりの従者の供応に、ウェイバーは情けなくも感涙してしまった。それを知るのは、当人ではなく彼の側にて仕える近習の少女が一人。
「はぁー……」
すっかり落ち着き、いまだかつて飲んだことのない美味しい紅茶に口を付けて、ウェイバーは呆けたように人心地つく。
そこまで来てようやく、己の喚び出したサーヴァントを子細に観察する余裕が遅まきながら生まれていた。
キャスターは現在、ソファとテレビに挟まれたテーブルで、余った鶏料理を透明なタッパーに包んでいた。
英霊がするにしては、なんとも庶民的で身近過ぎる光景に、ウェイバーは口を呆然と開けて黙ったまま、何から突っ込めば良いのか判らなかった。
まるで五つ星ホテルのVIP専門セクションのサービスマンか、旧弊な名家に長年仕える熟練の執事か、その板に付いた従僕ぶりと、あれよあれよとどこで調理したのかウェイバーが引導を渡した鶏たちを主菜として有効活用する所帯じみた行動力など、あらゆる意味でウェイバーの予想の限界を突破していた。
――こいつ、本当に英霊なんだろうか?
などと、失礼極まりない疑問が鎌首をもたげたとしても、それはウェイバーの責任では断じてないだろう。そう主張する。
疑われた当人にこの思考がバレれば、コメツキバッタのように土下座をして謝ることになるのだろうとも。
顧みるまでもない情報であるが、ウェイバーの参戦する聖杯戦争では、参加する七人の魔術師――マスターが一人一騎、降霊の儀によって英霊の座から英霊を召喚する。
招かれし最高位のゴーストライナーたる英霊は使い魔として、マスターの使役する最強の武器の役割を担う。
そもそも人の身を超え、別次元の高みへ昇華された英霊たちは、魔術よりも上に位置する存在である。それを召喚して、己が使い魔として使役するなど、人の身に余る大それた行為である。
しかし、その難事を成し遂げるものこそ、聖杯戦争の勝利者が手にすると言われる願望機“聖杯”であった。
ただし、聖杯であろうとも英霊をそっくりそのまま現世に招き寄せることは不可能らしく、そのため英霊の総数七つ分の役割を設定した匣を用意し、その器へ召喚に応じ、戦う事を承諾した英霊を納める。
クラスは様々な側面、多様な属性を持つ英霊の能力と方向性を現世に固定する鋳型であり、英霊はクラスに即し、応じた役割と制限を持つことで、史上最強最高位の使い魔――サーヴァントとなる。
英霊の一面をクラスによって限定させることで、役割から逸脱した固有の能力を減衰させ、クラスに合わないと判断される英霊のシンボル“宝具”の現世への持ち込みを制限されもする。
だが、その分世界の外である英霊の座より彼らを召喚することも、マスターがサーヴァントの存在を維持することも、そして自身の駒として使役することも、より容易となる。
さらに矛盾を嫌う世界から現世に招かれし英霊たちの存在へ加えられる負荷干渉を最低限のものとしてくれる。
その聖杯の寄る辺を用いて起動する大規模術式――サーヴァントシステムによって予め用意されるクラスは、以下の七つ。
あらゆる性能が一定水準以上でなければ該当しない最優のクラス、“剣の騎士”。
槍手として最速の敏捷性とそれを活かす戦闘技能が求められるクラス、“槍の騎士”。
射撃・投擲能力に優れ、基本的な地力の低さをスキルと宝具で補うクラス、“弓の騎士”。
何かに騎乗することで絶大な機動力・戦闘力を発揮するクラス、“騎乗兵”。
理性を奪い狂乱させることで性能を底上げするクラス、“狂戦士”。
潜入・暗殺技能に特化した歴代の山の翁を召喚するクラス、“暗殺者”。
そして、最後が魔力の扱いに長ける魔術師のクラス、“魔術師”。
クラスには厳密な優劣など存在しないとも言われるが、召喚した英霊に新たに与えられるクラス別スキルを考慮すれば、やはり多少どころではない明確なクラスの利と差が存在した。
聖杯より高い対魔力スキルを付与される基本にして外れのない三つのクラス。三騎士と称されるセイバー、ランサー、アーチャーの三騎。
三騎士の括りからは外れるが条件次第では三騎士と同格の対魔力スキルを与えられ、なおかつ強力な宝具を複数所有するライダー。
この四騎の対魔力スキルが曲者であり、魔術師のクラスであり魔術を主体とするキャスターとの相性は非常に悪い。
特にセイバーのクラスは概ねAランクの対魔力スキルを保有するため、キャスターの天敵と言っていい。
そのため、キャスターのクラスは聖杯戦争において、『最弱のクラス』と呼ばれハズレクジ扱いされるほどである。
彼、ウェイバー・ベルベットが招き寄せたのは、その『最弱のクラス』として招かれたサーヴァントだった。
いかな魔術師の英霊であり、魔導の業をもってして歴史に名を遺すほどの偉業を成し遂げた存在であろうとも、聖杯戦争に勝ち残るのは厳しいと言わざるを得ない。
もっとも、それを補うのがキャスターのクラス特性たる陣地作成スキルだった。
このスキルで自分たちに有利なフィールドを築き上げ、そこに他のサーヴァントを誘き寄せることができれば、十二分に勝率はあるのであるが――。
ウェイバーはキャスターを召喚してすぐ意識に流れ込んできた情報を呼び出す。
脳裏に像を結ぶ己のサーヴァントのステータスは、キャスターというクラスとは思えないほどに高いものばかりだった。
クラス:キャスター
真名:エミヤ・シロ
属性:中立・善
マスター:ウェイバー・ベルベット
■ステータス■
【筋力】:B 【魔力】:A
【耐久】:C 【幸運】:C
【敏捷】:B 【宝具】:-
不本意ながら、ウェイバーは魔術師としては“血が浅い”と、当人も最大限の努力を払って認める厳然たる事実がある。
魔力回路もおそらく他の参加者と較べて少ないだろうその事実は、そのまま彼の魔力貯蔵量の値も少ないという現実に直結する。
当人としては技量にこそ自信を持つのではあるが――それもまた参加するマスターの中でも低いものだった――、以上の事実からキャスターのパラメータは十全とは言い難いだろう。
それでも、である。
――身体能力値がこれだけ高いのって、どういうことなんだ?
耐久はともかく、特に筋力と敏捷の能力値はアベレージを超える上等なものだった。
目の前のサーヴァントは彼以上に細身で、その華奢な体躯にそれだけの力が秘められているのだとしたら、本当にキャスターのクラスなのか疑わしい。
そしてもし、ウェイバーが充分に魔力供給のできる身であったのならば、この三つのパラメータはそれぞれ1ランクずつアップするのではないだろうか?
そして気になるのがスキル欄である。
■クラス別スキル■
【陣地作成】:A-
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。小規模な”工房”の形成が可能。
生前は意識して自身の工房などは終ぞ持たなかったが、未経験ながら作る術は生前の知識と聖杯からの供給で可能となっている。
【道具作成】:B
魔術的な道具を作成する技能。多くの手間暇を惜しまなければ、■■魔術を用いなくとも宝具級の道具を再現することができる。
■保有スキル■
【直感】:B
戦闘時、つねに自身にとって最適な展開を”感じ取る”能力。
視覚、聴覚に干渉する妨害を半減させる。
【魔力放出】:B
武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって、能力を向上させる。
【千里眼】:B
鷹の眼の異名を持つ視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上に加え、透視を可能とする。
【心眼(真)】:B
修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”
逆転の可能性がわずかでもあるのならば、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。
【カリスマ】:D
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一軍のリーダーとしては破格の人望である。
【魔術】:B
オーソドックスな魔術の大半を取得。
やはりキャスターらしくないスキル構成だった。
キャスターのクラス別スキルはともかく、生前から備わっている固有スキルは到底魔術師のものではない。
いや、魔術のスキルはあるが、あくまでそれはBランク止まりであり、しかもスキル欄の最も下、重要度の低いスキルとして記載されているのである。
さらに同じくBランクである直感、魔力放出、千里眼、心眼(真)の四つのスキル。
千里眼を除けば、いずれも三騎士乃至バーサーカーに該当する英霊が持つような、直接的に白兵戦に用いられる戦闘系技能ばかりである。
また、千里眼のスキル自体はアーチャーのクラスに該当する射撃補助のものだろう。
無論、広域・長射程の魔術の補助にもなるであろうが、最も適しているのはアーチャーのクラスである。
これならば、まだ未見であるために記載されていない宝具欄の方も、明かされ後に一体どういうものが記載されるのであろうか。
宝具とは英霊それぞれがを生前に使用していた「伝説の武装」であり、あるいは築き上げた伝説を形にした「具象化された奇跡」そのものである。
完全に物質として形を持つものの他、概念として括られる能力として発現するものが存在する。
キャスターのスキル構成から、仮に伝説の名剣魔剣の類が登録されていても驚くには値しない。
ウェイバーは思考をフルに回転させつつ、眉間に皺を寄せてキャスターに視線を注ぐ。
キャスターのサーヴァント、エミヤ・シロ。
契約の誓いの場でクラスと真名を申告されはしたが、目の前のサーヴァントがどういった英霊なのはか、まだ全く知らない段階である。
少なくともウェイバーの知識ではそんな名前の英霊は存在しない。
キャスターだから年頃の少女でも不思議ではないという偏見から、キャスターの外見年齢に関しても納得はしていたが、外見に似合わぬステータス情報から、詳細な素性を知りたいという欲求は次第に強くなっていった。
先ほど頑是無い癇癪を起こし、宥められている内に心持ち互いに気を許したのか、キャスターはウェイバーのことを名前で呼ぶことを提案して来るなど、過程は些か不本意ながらも着実に信頼関係を築いていると、言えなくもない、はずだ。
今訊ねれば、きっとすぐにでも教えてくれるだろう。しかし、ウェイバーはキャスターが話すのを待っていた。
落ち着いたらちゃんと教えてくれると、赤面するほど駄々をこねた時に伝えられたためである。
思い出す度に顔中に血が集中して熱くなるその約束のため、ウェイバーは今のところ待つことしかできないでいる。
必然、手持ち無沙汰となって、家事をする英霊の図という、魔術師からすれば珍妙な光景を暫く見続けていた。
やがて疲れについに心身が白旗を上げたのか、ウェイバーは睡魔に敗北して柔らかいベッドに沈み込むこととなった。
◇◆◇◆◇◆◇
草木も眠る丑三つ時、今宵最も彼女に適した時間帯。
場所は人払いの魔術によって全ての人間が排された冬木市民会館。そのホールにて、拡げられたシートの上に彼女の血を混ぜ込んだ特性の顔料で描かれるのは、サーヴァント召喚の陣だった。
すでに詠唱は最後の一節を残すのみ。陣の紋様が銀色に輝き、床面からホール全体を照らし出していた。
輝きによって露わとなる彼女の容姿は年の頃は二十歳過ぎか、切り揃えられた長い黒髪と黒曜石を思わせる深い色をした瞳が特徴的な、混血らしき日本人離れした、それでいて歴とした日本人を思わせる容貌の女性だった。
服装は黒一色のタートルネックのセーターにジーンズ、スニーカー。しかし防寒着は一転して白亜のファー付きレザーコートであり、被る帽子はダークグレイのハンチング。
深窓の令嬢を思わせる容姿に活動的な装いを纏い、表情には現在、期待と興奮の色がうっすらと浮かび上がっていた。
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――」
完成する詠唱。聖杯の配分によって、エーテル塊に充分な初期魔力が注ぎ込まれる。
大英雄級の霊格が実像を結ぶために陣の内では乱気流が巻き起こり、旋風がホール内を掻き回す。
その暴風の中心部へ、おそらくこの第四次聖杯戦争に参加するマスターの中で最大の貯蔵量を誇る女性の魔力、その大半を吸い上げられる。
招かれる英霊と喚び込んだ魔術師、彼らを繋ぐ不可視のレイラインを通じて、マスターの格に比例するサーヴァントの最大スペックが決定される。
クラス:ライダー
真名:イスカンダル
属性:中立・善
マスター:ベアトリス・クロフォード
■ステータス■
【筋力】:B 【魔力】:A
【耐久】:A 【幸運】:A+
【敏捷】:C 【宝具】:A++
「やったっ!」
彼女――ベアトリスは、前世の知識にある征服王イスカンダルよりも高いステータスに、思わず指を打ち鳴らしてさらには小さくガッツポーズを取る。
――そりゃそうよねっ! 同じ時計塔で学ぶ者とはいえ、ぶっちゃけあたしのが素養も下地も環境も時間も恵まれてるんだから、こうなるのは当然ってもんよ。
特に魔力値が2ランクアップしているのに嬉しい悲鳴を上げた。
これならば、元々の貯蔵量と今失った魔力の今後の回復率、さらに非常用として外部に日々溜め込み続けた魔力電池たる礼装を考慮すれば、イスカンダルの最強宝具は三度、いや四度は確実に使用できるだろう。
切り札の使用数の多さはそのまま戦争での有利さに繋がる。
それでも、遠坂邸にてすでに喚び出されたであろう黄金の英雄王相手には、彼女の知識通り真っ向勝負でぶつかっては、敗北を喫する可能性が究めて大きい。
しかし、敗因は判っている。事前にセイバーとかち合って“神威の車輪”を失ったということ。
その上、マスターが三流魔術師たるウェイバー・ベルベットだったのだから、令呪を用いたブーストの重ね掛けがあったとしても、いわばハンデを背負った状態とも言える。
おそらく自分とこのライダーならば勝敗は五分五分、いやそれでも四分六分だろうか?
事前に彼女の知識と裏付けを取るべく情報戦に徹せねばならないが、それが終わればあとは臨機応変に補佐することで、自分がこの王を勝たせてみせよう。
目指す道は困難で、危険と予想外に溢れた茨の道であろうとも、目の前の征服王の傍らにいれば乗り越えられるという自信が、どこからともなく身体の内に溢れて出てくる気がした。
と、ここまでのわずかな時間――具体的に言えば、ガッツポーズと悲鳴の後、思わず子宮が疼くほどに漢前なライダーと視線が交差し、誰何の言葉をかけられるまでのおよそ二秒半――でそこまで思考し、ついに、漢の中の漢の口から精力的な塩辛声で訊ねられた。
「問うぞ。貴様が余のマスターで相違ないか?」
「その通りです、征服王イスカンダル。あたしの名前はベアトリス・クロフォード。今世で貴方の妻となる女ですっ!!」
ベアトリスは満面の笑みで豊満な胸を張り、朗々と旗幟鮮明な言葉をもって、そう宣言した。
征服王たるイスカンダルをして、いきなりの破天荒な返答と自己紹介に、威風堂々と佇む赤毛の巨漢は一瞬目を見開いた。そして、次の瞬間に破顔した。
「ぐぁっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!
魔術師なんぞという陰気な輩に召喚されて窮屈になるかと思っておったが、お主のような女子がマスターで、その上余の妻になるとなっ!? 面白いのう。こりゃあ此度の戦も先が楽しみであるな。
うむ! よかろう、気に入ったぞベアトリスよ。契約をここに完了する。さぁ、余とともにいざ征かん英雄豪傑の集いし戦場へっ!」
呵々大笑する征服王の胸に飛び込み、前世のミーハーな性格が全く衰えることなく人格形成されたベアトリス・クロフォードは、余計な言葉など一切選ばず、ただ胸から込み上げる気持ちをぶつけた。
「何処までも離れずお付き合いしますっ!!」
加筆修正してみました。毎話これぐらいの長さにするべく頑張りますー。
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