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虚無なる「匣の中の匣」

竹本健治ファンの評論連載の場として自由にお使いください
ここではノンフィクションが扱われます
各自の責任でこれらの情報をご利用ください

なお管理人が掲示板の運営に支障をきたすと判断した投稿については
予告なく削除することがあります
ご了承下さい

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MHCあるいはHLAについて / 杉澤鷹里
 MHC(Major Histocompatibility Complex :主要組織適合性複合体)について、基本的なことを確認していこう。
No.94 - 2005/07/11(Mon) 00:02:06

移植 / 杉澤鷹里
 要点だけ。
 心臓・肝移植では、HLAの型を問われることはないし、腎移植でも免疫抑制剤の発展によって、現在ではそれほど厳密な一致は必要としない。
(ちなみに夫から妻への腎移植はよくあるが、逆はあまりないそうである)
 免疫原性の強い小腸移植では、HLAが重視されるようだが、まだまだこれからの分野である。ほかにHLAの一致が重視されるので有名なのは造血幹細胞移植。
No.95 - 2005/07/19(Tue) 18:06:20
避けられた死 / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
 有栖川有栖さんの短編「モロッコ水晶の謎」(メフィスト(小説現代一月増刊号)所収)に激怒しています。

 眼の前でヒトが心肺停止になったのに、蘇生をしていない!
「なすべきことは一つだ」って、現場保存するよりも、することあるでしょう。気道確保し、呼吸を確認すること。呼吸がなければ人工呼吸すること(毒物が疑われマウストゥマウスが出来なくても、気道はきちんと確保)。頸動脈を触れて、脈がなければ心臓マッサージをすること。その状態で救急車を待つのが、市民としての最低限の務めです。
「脈がない。『お亡くなりになりました』」って一介のシロウトが勝手に死を宣告してんじゃねー、っつうの。
No.91 - 2005/04/17(Sun) 14:32:34

循環のサイン / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
 頸動脈を確認しないでも、循環のサインである「いき、せき、うごき」がなければ、心臓マッサージ開始するのだそうです。

日本救急蘇生普及協会ホームページ参照
http://www.jlsa.jp/cpr.html
No.92 - 2005/05/08(Sun) 22:32:43
『無痛文明論』読書ノート / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
 森岡正博さんの『無痛文明論』を読んでいこう。
No.81 - 2005/03/22(Tue) 17:07:56

第四章 / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
第四章 暗闇のなかでの解体

 舞城王太郎さんの『暗闇の中で子供』を想起してしまいました。
 力の強い者が弱いものを従える形の共犯関係において、力の弱い者は「自分の考えが通らないのは自分の判断が劣っているからだ」など、自分自身を自己否定し、そうすることによって精神の平衡を保つ。(p.153)という考察は、ある分野ではありふれたものかもしれないが、それでも重要な指摘であるだろう。
 私の中には三つの自己がある、と言う。「表層アイデンティティ」「深層アイデンティティ」「私が私であるための中心軸」。
 表層アイデンティティとは親しい人間や社会に対して自分を提示していく時に用いられるアイデンティティのこと。
 深層アイデンティティとは表層アイデンティティを社会に向かって表現したときに、自分の内部で自覚されるところの、「これがほんとうの私なのだ」という意識のこと。
「私が私であるための中心軸」とは、この私が死ぬその最後のぎりぎりのときに、「私は生きてきてよかった、なぜなら私はこの一点において、自分に誠実に生きてきたからだ」と自分に向かって心底言えて、自分の人生全体を深く肯定できるところの、その一点のこと。
 そしてここでの主張は、深層アイデンティティが身体の欲望にのっとって人生を生きようとするときに、生をささえる基盤となっているもので、自己防衛のためのものであり、他人からの評価や、他人との比較の上に成り立つものであるので、これを、他人との比較など興味ない「中心軸」に沿って解体すべきだ、というものである。
「中心軸」なんてものが、探しても見つからない、というよりも存在するということさえ言えない、からこそヒトは苦しみもがいて生きてるんじゃないか、と思う。「中心軸」「中心軸」と連呼することは、その「中心軸」が無内容である以上、ナンセンスである。
「5私自身の場合」は森岡正博さんによる「ナチュリストの日」。この章で一番面白い。他人を許せたのは、深層アイデンティティに、俺は天才だ、というのがあったにすぎなかった、というふうにこのことを否定的に書いている(中心軸に沿って生きなければならない)。私の立場は逆である。俺は天才だ、という虚構を構築したがゆえに、他人を許せることが可能になったのであり、これ自体は肯定されるような、種々の可能性を秘める現象だ。
 これより先は、愛について語っていくのであるが、今どきの「ニューエイジ思想、カルト宗教」でさえやらないような、狂信的な言葉が続く。
─ ・ ─
読書進行状況
第四章 暗闇のなかでの自己解体 読了(p.209)
No.89 - 2005/03/26(Sat) 23:38:50

第三章 / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
第三章 無痛奔流

 無痛文明に如何にヒトが巻き込まれているかについて語っているのであるが、熱病じみた狂信に基づく檄文とでもいった、そんな趣きがある。「きみ」と呼びかける形式で文章が書かれたり、誰のことなのか定まらない「私」の乱発があったり、非常に奇妙な文章である。

「無痛文明のなかにいたのでは、私は自分の一度限りの人生を、自分でいちばん納得するような形で生ききることができない」(p.135) ここで初めて、無痛文明に組み込まれて生きることを否定する理由が明言される。

─ ・ ─
読書進行状況
第四章 暗闇のなかでの自己解体 途中(p.189)
No.88 - 2005/03/25(Fri) 23:27:25

第二章 / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
第二章 無痛文明における愛の条件

 第一章で提示した無痛文明の考えを中絶などの問題をとおして、より詳細にみていく。
「条件付きの愛」「条件付きではない愛」を対比させてする議論が主軸となる。「条件付きではない愛」という概念は、大澤真幸さんの「自由の牢獄−−リベラリズムを越えて」(アスティオン49号)における養子についての議論を髣髴とさせる。
「条件付きではない愛」は一方で現実に存在しないものとして黙殺され、一方で豪華絢爛に崇め奉られ、物語として消費される。それによって骨抜きにされる(「本音」と「物語」の二重攻撃;p.94)。この論理展開は幾度も反復され、『無痛文明論』という書物自体についても同様の考察がされる。「私がここで繰り返し強調した条件付きではない愛についての議論それ自体を、美しい、架空の、理想論の、学者先生のお話へと変換したうえで、むしろ積極的に流通させてゆき、そのことによって私のメッセージの中隔部分にあるものを骨抜きにし、無化してゆこうとする」のだそうである。

─ ・ ─
読書進行状況
第四章 暗闇のなかでの自己解体 途中(p.148)
No.86 - 2005/03/24(Thu) 14:39:03

第一章(3) / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
6無痛文明の中の人間
「身体の欲望」に基づく無痛文明の拡大の中で、押さえ込まれる「生命」のあがきが(1)自閉、(2)反復、(3)アディクション(依存から抜け出せないこと)を生む、とする。

7無痛文明論の語り方
 たんに痛みが減ることやその工夫のすべてを「無痛化」の名のもとに批判するのではない。「無痛化」には二種類あり、それは「はっきりと批判すべきであるような無痛化」と「それ以外の『無痛化』」とである。ただし、それ以外の無痛化を「批判しなくてもよい」と言わない。なぜなら、そう認めてしまうと、そこへあらゆる無痛化がなだれ込んでしまうからである。

 この考察に、この『無痛文明論』の論理的な弱さが露呈していると思う。
 批判されているものの批判されているところの本質が見えない。現実的な線引きは困難であるとしても、「無痛化」の批判すべきものとそうでないものとの違いを論理的に示す必要があり、それが欠けている。
No.85 - 2005/03/24(Thu) 14:37:18

第一章(2) / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
4「生命のよろこび」とは何か(つづき)
 ニューエイジ思想、カルト宗教との線引きを図っている(p.23)
 敢えてこのような言明をするということそれ自体が、非常に興味深い。

5「無痛文明」への進化
「無痛文明においては、文明の基盤と自分自身の存在を崩さない程度に薄められた「苦しみ」や、「ハプニング」や、「自分のしたくないこと」を、われわれ自身が選びとれるようになっている」(p.25)
 私の「清潔な社会」への強い影響を見ることが出来る。

「予防的無痛化」「存在末梢」「目隠し」「解毒」「予定調和」などにより、無痛文明では、本物の苦しみを内部化し、無化しているのだと言う。
 それらのやり方で無化していること、それは正しい指摘だろうけれど、その全てを否定的に捉える必要はないだろうと思う。「本物の苦しみ」を直に味わわなければならない根拠が希薄である。
─ ・ ─
読書進行状況
第二章 無痛文明における愛の条件 途中(p.65)
No.84 - 2005/03/23(Wed) 23:25:09

第一章(1) / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
第一章 無痛文明とは何か(-p.45) 読了。

以下内容の要約とそれについて思ったこと。
(読書の進行ペースと内容紹介とには差が生じていくことと思う)

1無痛文明
 集中治療室で完全に環境をコントロールされ、やすらかに眠り続ける人間に、現代文明が生み出そうとしているものの典型を見る。
「苦しみを遠ざける仕組みが張りめぐらされ、快に満ちあふれた社会のなかで、人々はかえってよろこびを見失い、生きる意味を忘却してしまうのではないだろうか(p.3)」と提起する。

2人間の「自己家畜化」
 他論者の言葉を参考にしながら、人間は家畜に対して行ってきたことを人間自身に対しても行ってきたとして、その特徴を1)人工環境、2)食料の自動供給、3)自然の脅威の排除、4)繁殖の管理、5)品種改良、6)身体の形態の変化、7)死のコントロール、8)自発的束縛というふうに挙げている。

 非常に要領よくまとめられ説得力のある箇所である。特に死のコントロールの指摘は白眉であると思う。

3身体の欲望
 身体の欲望の実態として1)快を求め苦痛を避ける、2)現状維持と安定を図る、3)すきあらば拡大増殖する、4)他人を犠牲にする、5)人生・生命・自然を管理する、の五つを挙げ、これがわれわれの文明をつき動かす原動力だとする(p.13)。つまり家畜化を帰結する原因だということだ。

4「生命のよろこび」とは何か
 身体の欲望と対をなすものとして「生命のよろこび」を言い、私がどうしようもない苦しみに直面して、その中でもがいているうちに、いままでの自己が内側から解体され、まったく予期しなかった新しい自己へと変容してしまうというときの、私におとずれる予期せぬよろこびのことだという。成長と変化と死を本質とする生命という形をとって私が存在しているのだ、ということを心底から自己肯定できる感覚でもあるとする。
「家畜化」ということは自分自身の生命を自分のために生き切ることを奪い取るものであり、言い換えれば「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取るということだと言う。

 このあたりの「身体の欲望」と「生命のよろこび」を対置して進めていく議論には、私がかつて「破壊者の幻想譜」にした「メッセージ」という投稿と同質の内容を見出すことができる。
 だが「生命のよろこび」を語るときの森岡さんの陶酔した姿勢には、隔たりを感じる。注意が必要でもあるだろう。
No.83 - 2005/03/22(Tue) 19:01:16

はじめに / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
 私が「清潔な社会」「痛みのない社会」を発表した時、多くの方は森岡正博さんの『無痛文明論』を想起されたのではないだろうか。だが私は上記二つの文章を書いたときこの著作を未読であった(ただし、核になる考えは森岡さんと養老孟司さんとの対談に出てきており、それに影響を受けた可能性は否定できないのだけれど)。
 ともあれ、私にとってひどく気になる著作である。ここに読んでいくとしよう。
No.82 - 2005/03/22(Tue) 17:08:28
「匣の中の匣」リバイバル / T.Harada
「トルストイの説く人生論のようには」No.206 - 2004/02/04(Wed) 23:34「匣の中の匣」投稿原稿より

もし、仮に純粋に利他的かつ理性的に生きられたならば、どんなに悩まずにすむことか。しかし、人間があらかじめ、純粋に利他的かつ理性的に生きられないように造られていたとするならば、純粋に利他的かつ理性的に生きることを強いる道徳や宗教はどうなのだろう。人間は、必ず罪を犯すように仕組まれていたとするならば、その人間を造り、一方で利他的かつ理性的に生きることを説いたと称する神は、一体何者か。
やはり、私は狂っている。人間は必ず道を外れるように造られているとしか思えない。完全に欲望を絶つこと、しかも死ねということではなく。(生命のない無機物になれというのなら、たやすいことはないというのに。)そんなことが出来るのだろうか。
『狭き門』のアリサは、人間は清らかさのために生まれてきたと語る。そして、狭き門を通過することの困難さを語り、清らかさのために愛を拒み、死んでゆく。
しかし、このような清純さにひかれながら、一方でそれが観念の戯れであり、実現不可能な物語に過ぎないと考える私は、発狂するしかなく、かつ発狂することに歓びをかんじるしかない。なにという罪深さ。
しかも、このような実現不可能な物語は、人間を清純さ、もしくは神聖さに誘導させ、究極的には侵犯させるための誘導を促す文化的装置にすら考えているのだ。
私にベルイマン神父を糾弾する資格はない。(異種配合による多様性の開花は、ごくごく自然なことで、自然の摂理に反していると考える人がいるとしたら、貴方の考える自然の摂理とは観念論にすぎない。)
No.72 - 2005/03/03(Thu) 21:07:09

「匣の中の匣」リバイバル2 / T.Harada
「なぜ小泉ではだめなのか」No.172 - 2003/11/08(Sat) 11:11 「匣の中の匣」投稿原稿より

小泉的経済改革の要旨とは、いささか挑発的な言い方をすれば、一切の経済政策をしないということである。
これには、メリットとデメリットがある。
まず、メリットから。旧来の経済政策は、ケインズ経済学に理論的前提があり、アメリカのニューディール政策から由来する「公共投資」に機軸があった。ニューディールを例に取ると、TVAというダム建設計画に、税金を投入し、第一にダム建設に関与した業者に利益が入り、第二に電源開発により産業全体に活気を与えた。「公共投資」により、「公共財」が増え、好景気の循環が起きるというわけである。このようなタイプの政策は、高度成長期の日本においても、効果をもたらした。
しかし、このような政策は、政と財と官の癒着を招く。公共投資先の選定の不透明さの問題や、特定の業者と政治家と官僚が利権構造を持ち始め、無駄で、意味のないところにも投資が行われることになる。
これは、旧来の経済政策に対する倫理的な批判である。小泉的経済政策の原動力の最大の原動力のバックには、この不景気な時代に、なぜ高速道路や無駄なはこものをつくるのか、という倫理的な国民の怒りがある。そして、無駄な経済政策をスリムにして、経済構造の健全化を図るべきだというわけである。
この怒りは、もっともすぎる面がある。しかし、それは恵まれた社会的立場を占有している政と財と官に対するルサンチマンであるがゆえに、全体像が見えていないという面がある。
なぜ、慢性的な不景気の日本経済に対して、「公共投資」というカンフル剤を投入しても、効果が見られなくなったのか、という問いかけがそこには欠如している。
その点を少しでも考えたならば、旧来の道路族をはじめとする議員たちがやってきた経済政策を停止するだけではだめだということが判るはずである。
それは日本経済の中心が、建設業界ではなくなったということである。経済の中心でなくなったのだから、ここに税金を投入しても、日本全体に及ぼす力は乏しい。これは当然のことである。
では、日本経済の現在における中心とはなにか。ボードリヤール風にいえば、「ものの生産」ではなく、「記号の消費」にパラダイム・シフトしているのである。さらには「物語消費(大塚英志)」、「データベース消費(東浩紀)」の方へ、シフトは進行しているのである。
しかし、「公共投資」が建設にこだわるのは、税金をもとにこれこれの「公共財」とつくったという証明がほしいからである。すると、必然的に道路となり、「はこもの」となる。
まず、景気回復のためには、税金の投入先を、「見える公共財」から「見えない公共財」に投入してもいいことにすることである。これは、社会が変貌したのだから、仕方のないことである。
第二に、このような投資の選定に対して、新たな利権構造が生じないように、政や官にもメスを入れる権限を持った民間のチェック機関をつくることである。
少なくとも、旧来の経済政策を停止し、破壊するだけではだめで、新しい時代に沿った新しい経済政策が必要であり、そうでなくては現在の経済的閉塞状況の打開は難しいと考える。

「なぜ小泉ではだめなのか(2)」No.173 - 2003/11/08(Sat) 11:46 「匣の中の匣」投稿原稿より

対イラク戦争の際に、某掲示板で、この戦争を推進した「ブッシュとブレアと小泉を政権から引きずりおとさねばならない」と書いた。その信条は、今でも変わっていない。
ブッシュとブレアについては、この問題をめぐって人気にかげりがみられる。ブッシュについては、対イラク戦争後のアメリカ統治に対するテロにより、アメリカ兵に死者が出続けていることと、イラクを占領する経済的コストがかかりすぎることで、ブレアについては、依然としてイラクから大量破壊兵器が発見されず、実は捏造されたデータで、国民を戦争を肯定するようにメディア・コントロールしたのではないか、ということで追及されているのである。
フセインという独裁者が倒された後、イラク国民に政治的決定権をすぐに渡さず、また具体的な委譲プログラムも示さないアメリカとイギリスは、やはりイラク国民のためではなく、自国の利権が目的で戦争を行ったことは明白である。今回の戦争では、アメリカとイギリスは専制的独裁政権の打破だけではなく、罪のない子供も多数殺戮している。もしも、本当にイラク国民のために戦ったのであれば、このような性急で、リスクの多い野蛮な選択をしただろうか。
小泉は、そのブッシュに追随し、アメリカの占領に加担しようとしている。果たして、これが悪への加担でなくて、何であろうか。
通常、他人の家を破壊すると、破壊した者が償うのが筋である。ところが、さんざん生命も含め、破壊の限りをつくしておきながら、犯罪者がこれの弁償を国際社会に要求する、なんとも不可解で、あつかましい態度だろう。
小泉は、イラクに自衛隊を派遣しようとしているが、国連でさえ撤退したイラクが安全な世界であるはずがない。死傷者が出る可能性がある。果たして、憲法を捻じ曲げて、国外に自衛隊を派遣することが正しいことなのだろうか?
言っておくが、憲法はすべての法律の上位にある。憲法第九条に反する法律は、すべて無効である。
政府は憲法第九条を拡大解釈し、それを空洞化したばかりか、本来の意味の反対の方向にまで無理に読み取ろうとしている。
さらには、二年後をめどに、小泉は自衛隊を「国軍」にするとさえ言っている。
しかし、適正な方法による憲法改正といえども、憲法の根幹すら変えることができるかどうかについては、憲法学者でも意見がわかれるところだ。
現在、イラクで起きているテロが、すべてフセインの残党だとは思わない。いやいやながらフセインに従ってきたに過ぎないものも、アメリカ、イギリスに多数殺害されており、憎悪の根は深いものがあるからだ。
ここで、私は「護憲」を訴える。現在の憲法は、確かに歴史的経緯からみれば、占領下でアメリカがおしつけたものであり、日本を骨抜きにする目的があったことは想像に難くない。だが、それゆえ、恒久平和のために、どんな国の憲法よりラディカルで、突出した面を持っている。それは、戦争放棄条項である。今日、アメリカの用意した憲法を遵守することは、アメリカの世界戦略を拒否することを意味する。それゆえ、私は歴史的経緯を知りつつも、「護憲」を選択する。
No.73 - 2005/03/03(Thu) 21:14:40
海外進出計画第一弾 / T.Harada [ Home ]
海外のPlayersparadiseにて"NET STALKER" の公開を開始しました。
http://www.playersparadise.net/player_detail.php?player_id=4039
作詞:Tadao Harada、作曲:Goronyan、Players:Goronyan、掲載代理人:Ha-lapion

Watch what you’re doing!
He is a net stalker.
You are cornered until ruining.
Watch what you’re doing!
He is dangerous.
When you suffer,he is pleasant.
Delete it at once when this male address come.

There is no waited time.
He is a net stalker.
He destroys your spirit.
There is no hesitating leave.
He is dangerous.
He wants to see you who suffers.
Do not access his homepage.
No.70 - 2005/02/08(Tue) 07:49:11
反民主主義的イデオロギー装置 / T.Harada
民主党の鳩山由紀夫元代表は、「自らの独立と安全を確保するため、自衛軍を保持」することを明記した憲法改正試案の出版を予定している。民主党は、日本国憲法第9条の改憲問題に関しては、右派と左派に分かれているが、改憲自体には肯定的である。
先ごろ行われた国会の論戦でも、鳩山元代表の「自衛軍」を保持するかたちに改憲すべきという意見に、小泉首相は意見を同じくしており、民主党の右派と自民党の共闘により、日本国憲法の根幹が変えられる危険性が出てきた。
国会の中で、護憲派は著しく弱体化しており、論壇においても「戦後民主主義」を標榜しているのは少数派になってきた。その少数派のひとり、大塚英志にせよ、「戦後民主主義」はリハビリテーションが必要だと考えており、デモクラシーは危機的な状況だといえる。
「自衛軍」を持ち、憲法レベルで軍事面の政策が正当化されると、次に来るのは人権の制限であり、国家的な統制の強化である。これが「戦後民主主義」と相容れないことはいうまでもない。
守りの論陣だけではつまらないので、こちらも改憲勢力に対してプロブレマティック(問題提起)をしてみよう。
現在、中国とのあいだで靖国問題が浮上している。靖国神社と憲法との関係をどう考えればいいのだろうか。
まず、日本国憲法には政教分離の規定があり、政治がある特定の宗教団体に利する行為をしたり、宗教を用いて人間を支配してはならないことになっている。靖国神社は、宗教法人なのであるから、我が国の内閣総理大臣や国務大臣が、公的な職務として参拝することには問題がある。参拝中も、内閣総理大臣や国務大臣としての公的な業務をやっているというのならば、そういった宗教行為に税金を基にした給与が支払われていることになる。
各人のさまざまな宗教や信条に対し、ある特定の宗教だけを国が持ち上げることには問題がある。「国家神道」以外のキリスト教・仏教・無神論等を信じるものにとって、内閣総理大臣や国務大臣による公的な参拝は、不利益な行為である。その特定の宗教を使って、カリスマ支配をしたり、マインド・コントロールをするようになれば、さらに問題である。内閣総理大臣や国務大臣による公的な参拝が、現在の日本国憲法の政教分離規定に違反する違憲的行為であることは明白である。
しかし、靖国神社や護国神社というものは、それだけでなく歴史的な特殊性がある。単にA級戦犯が合祀されていることだけではない。国家によって、普通の宗教の上位にある習俗であるとされ、「国家神道」として再編成され、戦前の日本において、軍事面を支える「国家のイデオロギー装置」(ルイ・アルチュセール)として機能したのである。神道の起源は、アミニズムやシャーマニズムから自然発生的に生まれたものと考えられるが、「国家神道」になると国家政策のプログラムのなかで考え抜かれたものになっており、ファシズムの美学を完成形に導くように再編成されている。
富国強兵をスローガンに、植民地主義的帝国主義戦争を展開していた戦前・戦中の「大日本国帝国」にとって、戦没者を神格化する靖国神社や護国神社は、なくてはならないイデオロギー機能を果たしていた。仮に、その「国家のイデオロギー装置」としての機能が円滑に働いていないならば、戦没者が戦地で行ったこと(植民地主義的政策のための駒として働き、無辜の民衆を虐殺したこと)や、その悲惨な死が露呈してしまい、厭戦ムードの温床になることだろう。戦前・戦中の靖国神社や護国神社は、それらのリアルな死を見えなくさせるために機能していたのである。
戦前・戦中の「大東亜共栄圏」という言葉は、植民地主義的侵略行為を見えなくさせ、西欧の植民地主義から亜細亜と環太平洋地域を防衛するという大義名分を、戦争に与えた。こうして、「大東亜共栄圏」の防衛という正義のために、大量虐殺と破壊行為が正当化された。しかし、当時の「大日本帝国」は、それだけではなく、靖国神社や護国神社という「国家のイデオロギー装置」によって、<御国のために死ぬこと>を美化したのである。
つまり、靖国神社や護国神社は、日本の国家主義・民族主義・植民地主義・帝国主義・軍事大国主義化を完成させるために用意されたのである。
だから、戦没者のために真剣に祈り、平和を願うのであるならば、彼らを死の淵に追い込んだ靖国神社や護国神社に参拝するのではなく、靖国神社や護国神社を戦前の日本に復古させる危険性を持った宗教団体であるとして、破壊活動防止法の適用すら真剣に検討すべきなのである。過去の国家政策の一翼を担ったものを、過去の国家政策の遺物というべき人権蹂躙の法律で制限する。これは自己言及的な脱構築的アイデアだと思うが、いかがであろう。
No.69 - 2005/02/03(Thu) 19:33:28
■サーバーメンテナンスのお知らせ / T.Harada
■日時: 2005年1月27日(木) 1時頃から3時頃まで

■詳細: メンテナンス実施中、掲示板にアクセスできなくなります。サンプルの閲覧や新規申込み等も行えません。作業状況により、終了時間が延長される場合がございますので予めご了承くださいませ。
No.68 - 2005/01/26(Wed) 10:18:12
お知らせ / T.Harada [ Home ]
YAMAHAのMUSICeCLUB プレイヤーズ王国
http://players.music-eclub.com/players/index.php3
で、以下の楽曲が視聴できます!

『Bridge』作品ID:48312
プレイヤー名Goronyan
作詞者はらぴょん+作曲者ごろにゃん+編曲者ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=48312

『ゾンビ戦隊デンジャラスのテーマ』作品ID:48116
プレイヤー名Goronyan
作詞者はらぴょん+作曲者ごろにゃん+編曲者ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=48116

『燃える茨』作品ID:48388
プレイヤー名Goronyan
作詞者はらぴょん+作曲者ごろにゃん+編曲者ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=48388
No.27 - 2004/12/08(Wed) 07:33:36

お知らせ / T.Harada [ Home ]
『水滴落下2005』 作品ID:51481
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=51481
No.66 - 2005/01/18(Tue) 07:49:52

応援ありがとうございます / T.Harada [ Home ]
「荒野のヒーロー」

プラック・ダンス部門お気に入りランキング(週間):2位 (1/12現在)
http://players.music-eclub.com/players/Song_ranking.php3?original=1&genre=&genre_category=15&ranking=1&Choice2.x=33&Choice2.y=10

プラック・ダンス部門試聴ランキング(週間):3位 (1/12現在)
http://players.music-eclub.com/players/Song_ranking.php3?genre_category=15&original=1&ranking=3
No.65 - 2005/01/12(Wed) 07:29:13

新作 荒野のヒーロー / T.Harada [ Home ]
新曲はなんとラップです。
作品ID:50401『荒野のヒーロー』

作詞:はらぴょん
作曲・編曲:ごろにゃん
プレイヤー:Goronyan

1、街角のスキャナー、君の心は覗かれてるね、
  立ち止まることを忘れて、何かに追い立てられてるよに、
  君は潤い忘れて、大事な愛、忘れかけてる、
  俺はギャングスター、俺は言語スター、
  機械仕掛けの都市(まち)、俺は流離うヒーロー、
  魂だけは売り渡しちゃいけないぜ、
 
  Baby Baby Love You
  愛してるって想い出しておくれ、(×2)

2、決められた未来、君の道は閉ざされているね、
  時計に追われて、誰かに追い抜かれるのを恐れて、
  君は笑いを忘れて、大事な心、忘れかけてる、
  リンゴスター? (No、No、No)言語スター、
  自由なき荒野の中、俺は戦うヒーロー、
  可能性だけは信じてるぜ、

  Baby Baby Love You
  愛してるって想い出しておくれ、(×3)

http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=50401
No.64 - 2005/01/05(Wed) 21:37:30

新作『スケッチブック』、プレイヤーズ王国にて公開開始 / T.Harada [ Home ]
作詞:はらぴょん
作曲・編曲:ごろにゃん
プレイヤー:Goronyan
[作詞決定稿]
1、夢想家だと笑われた、現実から逃げているだけだと、
  人殺しのない世界を望み、国境も所有もない世界を夢見て何が悪いのだろう、
  本に埋もれた部屋、書きなぐられたスケッチブック、
  若者の夢はネットを巡り、やがて地球が一つになっていく、
2、世界の仕掛けが動き出す、人の進化を止めるために、
  悪意の神の謀(はかりごと)、価値観は一つ、人は月の供物にするだけ、
  剥き出しの悪意、襲い掛かる悪夢、
  平和の夢を潰すために、宗教と政治が手を結んだ、
3、世界の終わりを前に何かが弾けた、魂の奥底で、
  真実の神が扉を開けて、権力も差別もない、世界が産声を上げた、
  愛と平和を求めて、革命が始まる、
  若者の夢を形にするため、人と人が手を結んだ、
  若者の夢はネットを巡り、やがて地球が一つになっていく、
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=50168
No.59 - 2004/12/27(Mon) 22:03:10

最新作の紹介 / T.Harada [ Home ]
『この恋は加速する』作品ID:49993
プレイヤー名:Goronyan
作詞者:はらぴょん
作曲者:ごろにゃん
編曲者:ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=49993
No.53 - 2004/12/24(Fri) 21:53:56

新作オペラ?! / T.Harada [ Home ]
『オペラ・冬の嵐』作品ID:49743
プレイヤー名:Goronyan
作詞者:はらぴょん
作曲者:ごろにゃん
編曲者:ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=49743
No.43 - 2004/12/21(Tue) 21:51:39

新曲でました。 / T.Harada [ Home ]
「ボクのこころを」作品ID:49248
プレイヤー名:Goronyan
作詞者:はらぴょん
作曲者:ごろにゃん
編曲者:ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=49248

「BLUE BLUE BLUE」作品ID:49264
プレイヤー名:Goronyan
作詞者:はらぴょん
作曲者:ごろにゃん
編曲者:ごろにゃん
http://players.music-eclub.com/players/Song_detail.php3?song_id=49264
No.35 - 2004/12/15(Wed) 21:53:49
断片 / 杉澤鷹里
小説周辺で書いた、あれこれ。
No.29 - 2004/12/12(Sun) 16:07:08

手のなるほうへ / 杉澤鷹里 [ Home ] [ Mail ]
T.Haradaさま、
「コツリョウ」の感想ありがとうございます。小説ってのは、書いている本人には、どれが面白いのかどれがつまらないのか、さっぱり分からない。沈黙の中、作品の投稿を続けていくのは、目隠しして車の運転をするのに近い心境になります。ですので、感想をいただけるということはとてもありがたいです。
No.63 - 2005/01/03(Mon) 20:37:05

新しいカフカは、ここにいるぞ。 / T.Harada [ Home ]
昨年の最後に杉澤さんが発表された「コツリョウ」は、不条理小説であり、新しい変身譚でした。その達成に、実は驚嘆しておりました。
「射玉行」がどんな作品なのか、期待して待つことに致しましょう。
No.62 - 2005/01/01(Sat) 22:21:19

「射玉行」 / 杉澤鷹里 [ Mail ]
 と、まあ2週間にわたり、「断片」を投稿してきました。

 この断片どもは「射玉行」という小説の各章毎の紹介文として書いたもののうち特に抽象性の高い箇所を抜き出したものです。よくもまあ、一つの小説にこれだけ詰め込んだものだ……。

 来年の目標の一つとして、「射玉行」を披露する、ということを挙げておき、年内の投稿を終えたいと思います。

 今年も御世話になりました、来年もよろしくお願いいたします。
No.60 - 2004/12/29(Wed) 10:39:37

愛国心 / 杉澤鷹里 [ Mail ]
 移民が戦時最も果敢な志願兵となることは、歴史のあちこちに見られることである。
 その立場を「表明」せねば、ならないからである。
 しかも奇妙なことに、本来社会的に要請されるに過ぎない「表明」が、個々人の「内面」にまでしっかりと宿っていることも多い。
No.58 - 2004/12/27(Mon) 12:46:39

「のようなものIII 」について / 杉澤鷹里 [ Mail ]
T.Haradaさま、
 私が直接言及しているであろう思想家をズバリ指摘したうえで、さらにその思想家を展開してみせる、という高尚なことをやっているわけですね。
No.57 - 2004/12/27(Mon) 12:41:00

のようなものIII / T.Harada [ Home ]
>共同主観
廣松渉の事的世界観のように、あるいは丸山圭三郎経由のソシュールと、フッサールを起源とする現象学の出会いのように
>王の奇蹟
マルク・ブロックのように、あるいはジェームズ・ジョージ・フレイザーの『金枝篇』を基にした王権論のように

>エリアーデ、知りませんでした。
ミルチャ・エリアーデ
宗教学者にして、幻想文学の書き手。『聖と俗』はフィリップ・K・ディックの愛読書である。中沢新一の『虹の理論』は、エリアーデ的聖俗二元論を超える試みである。笠井潔の『ヴァンパイヤー戦争』に出てくるミルチャ・リュミエールという吸血鬼は、エリアーデに由来する。
No.55 - 2004/12/25(Sat) 22:28:58

王の奇蹟 / 杉澤鷹里 [ Mail ]
「王の奇蹟」
 その権威を高め独自性を確立しなければならないとき、王権は、王の奇蹟的な治療の技術に、助けを求めた。
No.54 - 2004/12/25(Sat) 13:49:58

共同主観 / 杉澤鷹里 [ Mail ]
 共同主観。
 所与(例えば半透明のガラスの円筒)は所識(コップ)として、能識(所与をコップとして見なす習慣のある共同体構成員)としての能知(わたし)に対して現前する。
 ある共同体に属していたものにはコップと見えていたはずの半透明のガラスの円筒が、それを花を活けるためのものとして見なす習慣のある人々の一員としての「わたし」には、花瓶としてしか見えない。
No.52 - 2004/12/24(Fri) 17:00:21

「のようなものII 」について / 杉澤鷹里
バタイユってのはちょっとちがうかなー。

>山口昌男の『文化と両義性』のように
スコーンと突き抜けていくようなヒット。なかなか良い所打ち返してくれるじゃないですか。
No.51 - 2004/12/24(Fri) 16:58:27

のようなものII / T.Harada [ Home ]
>寛容
>表現の問題
ヒロシマの惨状に、動物的な感覚で恍惚を見出したバタイユのように
>祭り
山口昌男の『文化と両義性』のように
No.50 - 2004/12/23(Thu) 16:18:47

祭り / 杉澤鷹里

 祭りでは<穢れ>は<聖>なるものに転じる。
No.49 - 2004/12/23(Thu) 15:05:19

表現の問題 / 杉澤鷹里
>被爆者の家族がこの書き込みを見たら、どう思うでしょうか。

 私も非常に興味を持っています。

 特異的な体験を得たヒトのその体験に基づく意見を尊重しますが、だからといって特権的な位置に祀り上げ一切の批判(吟味)から遠ざけ不可侵とする、といった発想からは、私は距離を置きます。
No.48 - 2004/12/23(Thu) 15:03:30

Re: 寛容 / T.Harada [ Home ]
表現の問題ですが、被爆者の家族がこの書き込みを見たら、どう思うでしょうか。
No.47 - 2004/12/23(Thu) 10:54:38

寛容 / 杉澤鷹里
 原爆を落とされた街のヒトたちは、原爆を落とした国の文化を、へらへらと笑いながら・喜びとともに受け容れている。
 それは、賞賛すべきことなのだ。平和のために、幸福のために。
No.46 - 2004/12/22(Wed) 16:46:09

「のようなもの」について / 杉澤鷹里
T.Haradaさま、
 さすがですね。
 ダナ・ハラウェイは、チェックしていませんでした。すごく興味を持ちました。
 エリアーデ、知りませんでした。
No.45 - 2004/12/22(Wed) 16:42:44

のようなもの / T.Harada [ Home ]
>共同体の横断
まるでレヴィ=ストロースのように
>SSF
まるでダナ・ハラウェイのように
>名付けるということ
まるで柄谷行人『探求III』のように
>差異の恣意性/絶対性
まるでソシュールのように
>王の二つの身体
まるでカントーロヴィチのように
>コピーのコピー
>オリジナル
まるで島田雅彦『未確認尾行物体』およびエイズによる免疫のディコンストラクションについて述べた浅田彰によるその解説のように
>内なる言葉
まるでアルチュセールのAIE論のように
>ナディア
まるでレヴィ=ストロース、パート2のように
>身体の改変
まるで柄谷行人による禁煙の形而上学のように
>回帰
まるでエリアーデのように
No.44 - 2004/12/21(Tue) 22:45:10

回帰 / 杉澤鷹里
 原初的な世界への回帰。茫洋として取り止めもなく、ただ変移する。
No.42 - 2004/12/21(Tue) 17:03:12

身体の改変 / 杉澤鷹里
 私たちの身体は、私たちの意志によって、改変できる。と、信じられる。ダイエットなる行為は、その信仰に基づく。しかし、それは適切ではない。身体を一方的に規定する意志などない。ダイエットは、多く失敗する。身体が意志を規定しもするから。
No.41 - 2004/12/20(Mon) 16:39:54

ナディア / 杉澤鷹里
「不思議の海のナディア」は偉大だと思う。
人種の区別のない共同体を(人種差別に満ち満ちた世界の中に)構築し、かつまた
白人であることが否定的なものである、という一瞬を鮮やかに描き出して見せたのだから。
No.39 - 2004/12/19(Sun) 16:50:07

内なる言葉 / 杉澤鷹里
 はじめに会話がある。つづいて独り言、そしてそれが内なる言葉へと変じる。
No.38 - 2004/12/18(Sat) 16:45:34

オリジナル / 杉澤鷹里
 だから、ここで繰り返し言う。

 私たちは、全てコピーである。オリジナルのコピーなのではなく、コピーのコピーなのである。
 しかし、だからこそ、オリジナルなのだ。
No.37 - 2004/12/17(Fri) 19:15:02

コピーのコピー / 杉澤鷹里
 私たちはコピーのコピーである。

 手塚治虫『火の鳥 生命編』では、「オリジナル」であるなしを問わない生命の尊さが説かれている。この作品は「コピーは何らかの欠落である」という命題を、退けるためのものとして提起しているのであるが、にもかかわらず、その命題は、多くの人々に妥当なものとして受け容れられてしまっているように思われる。
No.36 - 2004/12/16(Thu) 18:57:33

王の二つの身体 / 杉澤鷹里
「王の二つの身体」
 王には死すべき肉体と不死の身体とがある
No.34 - 2004/12/15(Wed) 16:57:59

差異の恣意性/絶対性 / 杉澤鷹里
 差異の、外在的な恣意性/内在的な絶対性
 例えば。
十七歳の少年が犯罪を犯したら、マスコミは「少年/成人」という差異を設け「少年一般」を批難する。一方、四十六歳の中年が犯罪を犯しても、男は「少年/成人」という区別における「成人」として扱われることはない。「精神異常者」「ストーカー」などとして「正常者」から区別され、それらが批難されるのである。
(2004年12月15日、一部修正)
No.33 - 2004/12/14(Tue) 17:43:11

名付けるということ / 杉澤鷹里
 名付けるということ=指し示すということ=区別を設けるということ。それは存在者を存在者たらしめる基底的な行為であり、最も重要な権力を行使しているということである。
No.32 - 2004/12/13(Mon) 16:13:10

SSF / 杉澤鷹里
 小説を書くということは、人生や心や社会といったことについて、思考実験をするということである。なかでも、ファンタジー小説という形式は、社会を主要な考察の対象にする。と、私は捉えている。
 つまりSF(Science Fiction=科学に基づく虚構)に対する、SSF(Social Science Fiction=社会科学に基づく虚構)とでもいうべきものとして、ファンタジー小説はある。
No.31 - 2004/12/12(Sun) 16:09:02

共同体の横断 / 杉澤鷹里
 例えば、面と向かった相手に、舌を突き出す。
 ある共同体では、これは相手を侮辱するということであるし、別の共同体では、正しい挨拶をしているということである。
 共同体を横断し、視点を変えるということ。そのとき、もう一つの共同体の物語は、一個の夢として閉じ込められる。
No.30 - 2004/12/12(Sun) 16:08:16
血液型 / 杉澤鷹里
 私は、最近TVで流行っている、血液型性格診断番組に対して、激怒しています。

 一つは、粗悪なデザインの「実験」に対する怒りです。サンプル数が少なすぎる、サンプルが層別化されていない、エンドポイントが不明瞭で主観的、統計学的な有意差の検討なし、などなど。

 一つは、実体化ということです。「A型人間」「A型であるところの我々」などといった言葉。「A型のヒトは几帳面な性質を持っている、と語られるとき、沢山いるA型のヒトそれぞれが頭に思い浮かべられその個々の特性が考慮されているのではなく、あたかも画一的なA型人というモノがあるかのように、思念されている」。
 私はここに人種差別であるとか民族間対立であるとか宗教間紛争であるとかの根幹にあるものと同質のものを見出します。
No.40 - 2004/12/19(Sun) 20:20:01
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