東京急行電鉄(本社:東京都渋谷区、社長:清水 仁)では、田園調布駅旧駅舎の復元工事を平成12年1月15日(土)に竣工します。また、竣工当日には地元、田園調布会の手による竣工セレモニーが11時から開催されます。
旧駅舎は東横線の抜本的な輸送力増強工事である「目蒲線改良工事および東横線複々線化工事」の一環として実施した田園調布駅改良工事により平成2年9月4日に解体されたものです。
今回の旧駅舎の復元は、解体時に地元から旧駅舎復元についての強い要望があったことと、また、当社にとっても歴史的な意味あいを持つ駅舎であることから、田園調布駅改良工事完成後に外観を復元することで地元と合意したことに基づいて進められているものです。旧駅舎建設当時の資料は、当社には1枚の設計原図と数枚の写真しか残っておらず、詳しいことは分かりませんが、「日本近代建築総覧−各地に残る明治・大正・昭和の建物」(日本建築学会編)によりますと、設計者は神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎氏によると記載されています。また、特徴的な屋根の形はマンサード・ルーフという欧州中世紀の民家がモデルになっているといわれています。また、復元にあたっては、解体時に旧駅舎を細部にわたって計測した資料や、旧駅舎の屋根や壁などの一部をサンプル保存していたものを活用し、
外観、色ともに旧駅舎を忠実に再現します。
復元される旧駅舎は、田園調布駅改良工事により駅が地下化されたために駅舎としての機能は持たず、地下駅上部に整備された東西自由通路や平成12年4月に開業予定の商業施設への玄関口的な機能を持つことになります。
旧駅舎は、当社の前身である目黒蒲田電鉄が大正12年3月に目黒〜丸子(現:沼部)間に鉄道を開通させた時に建設されました。その後、同年11月に丸子〜蒲田間が開通し、目黒〜蒲田間13.2qが全通することになり、田園調布の開発を進めるにあたっての重要な役割を担うことになりました。
田園調布は、大正7年から田園都市会社(当社の前身である目黒蒲田電鉄の母体会社)により人口の過密化が進む東京の郊外に優良な住宅地を供給することを目的に開発が進められたもので、その街づくりにはパリの凱旋門周辺のエトワールという環状道路と放射道路を組み合わせた形式が取り入れられています。旧駅舎はこの扇状に広がる街並みの要部分に位置し、全ての放射道路から緑豊かな銀杏並木とともに望むことができ、平成2年9月に解体されるまでの67年間、街のシンボルとして親しまれてきました。
(参 考)
○田園調布駅旧駅舎の歴史
大正12年3月11日 目黒蒲田電鉄・目黒〜丸子間開業時に完成
平成 2年9月 4日 「目蒲線改良工事および東横線複々線化工事」の中の田園調布駅
改良工事により解体
平成12年1月15日 復元工事竣工
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