Hatena::ブログ(Diary)

震災津波原発復興 (社)Life & Desire Japan (LDJapan)

2011-06-14

引越お助け隊☆活躍☆

6月13日月曜日は朝から被災者の方の引越をお手伝いする<引越お助け隊>が活躍しました。
宮城野区のアパートから青葉区のアパートまで仙台市津波震災ボランティアセンターさん
からのスタッフの方にも手伝っていただき、引越しを完了しました。
この方の荷物は管理会社によって屋外に放置されている状態でした。仙台市内でも地震で
解体が決定した住居にまだまだ人が住んでいて安全な状態が確保さていません。
ひとりでも多くの方々をまずは安全に安心できる環境で生活していけるよう今後も活動
していきます。

ところで、今回ご支援させていただいたMさんはお酒が大好き☆ 当日も朝からややお酒
の香りを漂わせて登場しました。不動産屋さんや病院ともトラブルを抱えていてなにやら
問題人物かも....病院は出入り禁止でとうとう警察まで登場....
f:id:LDJ:20110613120200j:image:medium:leftf:id:LDJ:20110613114800j:image:medium:leftでも本当はとてもいい人で今後もご支援していきます

2011-06-12

三重県木曽岬(きそさき)町の加藤町長ご一行との交流

10日から11日にかけて三重県桑名郡木曽岬町の加藤町長様ご一行が仙台市・多賀城市・石巻市などをご視察され、被災地の惨状に驚かれるとともに今後の継続的な支援についてとても前向きなご発言を頂きました。
実は木曽岬町は、1959年9月26日の伊勢湾台風の高潮による洪水で町民の約1割にあたる328名もの尊い命が奪われた「昭和の被災地」です。

「荒れ狂う悪夢の夜が明けて、一面の流木の山と、見渡す限りの海となり変わり果てた、わずかに 残った家々が浮かんでいたあの光景は、今なお私の脳裏に浮かんできます」
(伊勢湾台風から50年:木曽岬町より)

加藤町長はご自身の被災経験を踏まえ、いてもたってもいられないという思いと、自治体の首長との二つの立場から、本当に今回の津波震災に真剣に取り組んでおられことがわかりました。

今後も全国、世界の方々への発信を多くして被災地への継続的支援をお願いしていくとともに
現地の方々の再建・自立にお役に立ちます! 

2011-06-09

岐阜ナンバー被災地を駆ける☆☆

岐阜県岐阜市は仙台から約800キロ程のところにあります。津波震災以来、何度か往復していますが被災地での活動時にときどき、車の前部を見ている人の視線に気づきます。そうです、岐阜ナンバーだからです。基本的に東北地方に「岐阜ナンバー」は皆無です。岐阜というと、東北人は「高山」のイメージが強いようで、織田信長の岐阜城はあまりしられていません。ご存知でしょうか?「岐阜」という地名は信長が初めて使った言葉で中国の古典からとった「世界の中心」という意味の言葉だそうです。それまでは斎藤道三の「美濃」という地名がメジャーでした。被災地で岐阜ナンバーの「オルティア」「ハイエース」「軽トラ」を見たら、岐阜からやってきた「NPO 復興支援車両」かも...と思ってやさしく見守って下さいね。

我が団体 LDJapan(Life & Desire Japan)の車両4台はなんと全て「岐阜ナンバー」です。

一台は我が愛車で、あとの三台は私が最近まで(2011年3.10)住んでいた岐阜市の方から無償でお借りしている車両です。ウチの団体は岐阜県岐阜市に岐阜支部(西嶋支部長)があり、支部長さんが精力的に活動して頂いており、そのご縁で一緒にお願いに行ったところ快く引き受けていただき、800キロの長旅の末に仙台に到着して、被災地の復興支援に大活躍しています。
岐阜県のみなさん、ありがとう!
そして我が故郷、三重県のみなさん!私が知らないだけかもしれないが、被災地で三重県人に一度も会ったことがありません(警察の方は会った!あと県庁で伊勢市職員のかたも!) ぜひ被災地での活動をお願いします。三陸海岸は実は熊野灘の海岸線にそっくりで、水産加工がさかんというところも三重県人の心に響くではないか!三重県人よ頼む!(有名三重県人:ニシノカナ・ヒライケン等)

2011-06-08

お金がない避難民さんは、避難所からでれません!

いきなりですが、この被災地にあってもお金がないと行政さえ救ってはくれません。
避難所から借り上げアパート(行政が賃料を一部負担)や仮設住宅に転居するときに、行政や公的ボランティアセンターは人は出すけど、その他の運送費用はいっさい出さない(制度がない)と言い張ります。じゃあトラック持ってない人は(ふつう持ってないが)お金がなかったら転居もできないという事だよね!宮城野区に食い下がっても、「制度がない」としかいいません。こんなことでいいのか!と怒りにかられながらも、我が団体の小さな軽トラに引越荷物を積んで被災者の方と一緒に引越をする今日この頃です。

お金のない避難民さんは実質的には、避難所から出ることができません。


昨日、仙台市宮城野区の田子市民センターの避難者の方から、引越をしたいので支援して欲しいとの

要請があり色々と行政や社会福祉協議会さんと連絡をとりましたが、結論は厳しいものでした。

仙台市の公式なボランティアセンターは「人」は手配できるけど、引越に使う車両の手配や費用負担は

「制度がない」との理由で全く対応してくれないのです。

つまり、「平時の制度」がそのまま運用されていて、この緊急時に避難民さんを「本当に確実に」避難所

から転居していただこうという「問題意識」は希薄で、「平時の制度ありき」の寂しい対応なんです!

うちの団体は自分たちの車両を使ってできるだけお手伝いしますが、「行政がやるべきことをきちんとやる」

ことが本当に大切なんです。

平時の対応の延長線上の思考と政策しかない行政を変えていくべく今日も闘いながら、1人を大切にして

支援していきます。「主役は本人である避難民さん」です! ご本人が立ち上がり頑張るのを精一杯支援します。

堅い話でしたが、今は「怒り」さえも活動のエネルギーです。

2011-06-05

LDJ hatena diary に登場です

東日本大震災直後の3月12日に岐阜市からトラックで来て、一人で来て、仙台市役所を活動拠点にボランティア活動を開始して
学生さんとかに手伝ってもらって、わーわーやってるうちに、大変なかんじで、400人ほどのボランティア会員がいるほどの組織になりました。
で、なんだろ、なんとか、避難所のお手伝いや物資搬送や人材派遣的な仕組みづくりや、外国人ボランティアの対応や、外国人被災者の対応などに追われている間に、何ヶ月かたってしまいました。

学生のボランティアは、5月くらいに、学校が始まったこともあり、少し落ち着いて来たので、ブログを書き始めることにしました。
やったこと、これからやりたいことなど、慣れないですが書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

Life & Desire 仙台のホームページはこちら
https://sites.google.com/site/ldsendai/