マン臭きつ子のオリモノわんだーらんど

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秋元さんその2



オムツ倶楽部の回でチョロっと触れたが、乏しい私の恋愛経験のうちで一番つらかった失恋の話でも今日はしようか







ひとつ年下のM君は、お堅い仕事、真面目実直、複雑な生い立ち、デートは1円単位まできっちり割り勘。口癖は「どうせ俺にはお父さんが居ないよ」だった。


彼の話をするたびに、周囲の人間は口を揃えて「やめとけ」と言った。



この場合の「やめとけ」は、「あんなふざけた男はやめとけ」ではなく、「(ふざけたお前にはあんな真面目な男は合わないから)やめとけ」
という意味のようだった。




そして、私は、「やめとけ」と言われるたび


と寝言をほざき自己陶酔していた。





M君は非常に真面目な性格で、下ネタを言う女性が大嫌いだったので私はM君の前では一切の下ネタを封印した。





ある日
秋元さんに、「M君がいかに下ネタが嫌いか」について話をしていると
秋元さんが「携帯を貸してくれ」と言うので、私はわけがわからないまま携帯を秋元さんに手渡した。
以下、その時のやりとりを絵でご覧下さい






 








































































































































































































ちなみに、この当時の秋元さんのスペックは25歳処女で男性と付き合った経験ナシである。









ある日―
M君と私はささいなことで大喧嘩し、お互い意地を張り合いどちらも謝ろうとしなかった。



近場の公園で、お互いに話し合った結果、私とM君は別れることになったが、いざ本当にM君と別れることになったらものすごく悲しくなり、

地面を転がりながら、全力でだだをこねた。
周囲の人の冷たい視線も、苦笑いも気にせずに、全力でだだをこねた。








M君はそんな私を呆然と見つめて


「そんな人だと思わなかった」

1年以上付き合って最後に言われた言葉がこれである。






それまで、毎日顔を合わせていたM君が、今後自分の人生から一切関わりがなくなることが信じられなかった私は、3日間眠ろうと思った。

3日後、目が覚めた時には何かしら状況が変わり、何事もなかったように再びM君から電話がかかってくるだろう、と思ったからだ


私は、ウォッカを一瓶ラッパ飲みし、ベッドに潜り込んだ。

とにかく、何も考えずにぐうぐう眠りたかったのだ。



数時間後―

金属バッドで殴打されるような、かつて経験したことのない頭痛で目が覚めた。私はベッドから転げ落ち、部屋の中をのたうちまわった。

昨日公園でのたうちまわり、家の中でものたうちまわり、「最近よくのたうちまわるなあ」と思った。そして部屋の時計を確認すると眠りについてから、たった7時間しか経っていなかった…健康的な睡眠時間だった。




3日後も1週間後も2週間後もM君から連絡はなく、私はようやく現状を受け入れ始めた

秋元さんにフラれた事を報告すると









と言った








そして、私にこんな質問を投げかけてきた
























秋元さんは「そっかーホヤかあ」としきりに感心していた。











それから数日後
秋元さんから一通の手紙が届いた








封筒を開けると








たった一行、走り書きで「早くホヤを食いてぇ~」と書いてあった








これが私のもっとも辛かった失恋の経験である。


当時は悲しくて仕方なかったし、1か月くらいご飯が喉を通らなかったけれど、今となっては彼との1年間の日々を思い出そうとすると、何故か彼に怒られているバツの悪そうな秋元さんの顔がフラッシュバックしてしまう。彼と過ごした日々よりも秋元さんから送られてきた手紙「早くホヤを食いてぇ~」の方が強烈に脳裏に焼き付いているのだ。




結局、恋愛の辛さなどその場限りなのである。


また、今でも徹底的に下ネタを嫌う彼ならば、マン臭きつ子というペンネームだけで、このブログなど絶対読まないだろう。






本橋くん!


イエーーイ!


私だよ!!

# by manshukitsuko | 2012-07-12 19:36 | 秋元さん | Trackback | Comments(35)

ブログを始めたきっかけ

最近よく、なぜブログをはじめたのか?と聞かれることが多いので

今回はブログをはじめたきっかけについて、ちょっとお話したいと思います。







「東京都北区赤羽」の作者、清野とおる氏




清野氏は数年前に弟を通じて知り合って以来、数カ月に1度のペースで私、弟、清野氏の3人で集まり、お酒を飲みながらそれぞれの近況などを報告しあう関係、要するに飲み友だ。



初めて清野氏と会った日のこと。
その日、待ち合わせに来るハズの弟が仕事で20分ほど遅れ、早めに到着した私はホームレスのおじさんに絡まれていた。


おじさんは「人徳が大事」と、何度も何度も「人徳」という単語を繰り返していた。おじさんがホームレスの道を歩むことになった理由と人徳に深い関わりがあるのか真相はわからないが、とにかく私はおじさんに絡まれていた。


そこへ、清野氏がやって来るのだが、私は清野氏の第一声に衝撃を受ける。
一般的に、ホームレスに絡まれている女性には「大丈夫ですか?」と声をかけるのが正解だと思うが、清野氏は私に向かってひと言








と言ったのだった。
私は心の中で「これが清野とおるか…」と妙に納得したのを覚えている。



清野氏は顔もプライベートもほとんど公表しておらず、本人もあまり明かしたがらない。

普段の清野氏は口数も少なく、陰惨なオーラを放っていて、唯一清野氏が輝く瞬間といえば、女性ホームレスペイティさんや面白い街人に会った時だけだ。とにかく普段は目もあてられないほど陰鬱な男で、どちらかと言えば清野氏の描くキャラクターとは対照的だ。



どちらが本当の清野氏かうかがい知る事は出来ないが、私はどちらも本当の清野氏だと思っている。







去年の年末のこと、待ち合わせに現れた清野氏は、普段にも増して沈んだ表情をしていた。
聞けば数週間前から体調が思わしくないらしく、コンビニや酒の席、電車の中で急に吐き気に襲われるという。内科や胃腸科、耳鼻咽喉科まで受診したものの原因不明で頭をかかえているというのだ。






『いつ吐くかわからない恐怖で、これを持ち歩いてるんです』
清野氏はそう言ってポケットからスーパーのビニール袋を取り出した









清野氏が居酒屋の店内で何度か嘔吐しかけたので












私と弟は迷わず心療内科をすすめた







そして2ヶ月後―














2か月ぶりに会った清野氏は、今まで見たことがないほど清々しい顔をしていた。実は、私たちの助言に従い心療内科を受診したら、医師から抗精神薬を処方され、その薬を飲み始めたところピタリと吐き気が消え、全ての悩みが吹き飛び、人生ハッピネスになったというのだ







そして前触れもなしに、突然こんな事を言い始めた






















































私は正直言うと、ブログを書いても誰も読まないだろうし何より面倒だと思ったが、清野氏の「絶対」という目が完全にイってた事があまりに恐ろしかったので、ブログを開設するに至ったのだった








2ヶ月後。




久しぶりに会った清野氏は、以前の清野氏に戻っていた。

薬に頼って症状を抑えるのは良ろしくないと、自ら断薬したというのだ。
あと、この異常な楽しさはヤバイ、とも思ったそうだ。







さらに、ブログを開設した旨を伝えると














































清野氏はブログをすすめたことを全く覚えておらず







もの凄い早さで赤羽の雑踏に消えていった





現在は吐き気もなくなり、通常の生活に戻れたそうだ


















清野氏の著書『東京都北区赤羽以外の話』には、私と弟も登場しています。
絶賛発売中。


# by manshukitsuko | 2012-07-02 15:36 | 未分類 | Trackback | Comments(35)

授賞式




数年前の12月某日、私は某漫画新人賞の授賞会場に居た






私はアシスタント経験はあったもの、今まで漫画を描いたことも投稿したこともなかったので、一度くらい投稿をしてみよう、あわよくば賞金を頂きたいという実に浅ましい考えで、新人漫画賞に投稿した。


私はその時 既に30歳だったので、割と読者の年齢層が高めの漫画雑誌に投稿した。
就職活動に悩む大学生の苦悩と恋を描いた青春漫画だ。



漫画を投稿して1か月ほど経った頃だろうか、担当を名乗る男性から「何かしら賞を受賞する可能性があるので、また改めて連絡する」という内容の電話があった。



数日後、再び担当を名乗る男性から「編集部内の会議の結果、準入選になった。〇日の授賞式に出席するように」と連絡があった



授賞式当日、受賞会場で担当と初めて対面するのだが
そこで私は衝撃の事実を知ることになる






















































私は担当から「仕方なく担当を引き受けた感」を察したので、

恐る恐る、且つ直球で聞いてみた


































私を担当したい編集が居なかったという衝撃の事実と、実は私の漫画はせいぜい佳作レベルだったという事実、ちばてつや先生ただ一人が面白いと高得点をくださり、その評価で底上げされて準入選になったという事実だった。ようするに受賞は、ちば先生のおかげだったのだ。









なので、直前にこのようなやり取りがあった直後ということもあり
私はちば先生を前にして思わず涙が溢れてしまった




ちば先生は泣いている私に、微笑みながら面白かったよと声をかけて下さった。ちば先生が本当に神様のように見えた。








ところが…




この直後、私は嬉しさと極度の緊張のあまり、今思い出してもゾッとするような行動をとってしまう…







「明日のジョーの中で一番好きなシーン」 白木葉子がジョーに告白する小芝居をちばせんせいの前で演じてしまったのだ。

















そしてポカーンである








































こうして授賞式は無事終わり









その後もちろん私の漫画が雑誌に掲載されることはなく









白木葉子のモノマネを思い出すたび

恥ずかしさと自責の念で死にそうになる



トラウマだけ残った


# by manshukitsuko | 2012-06-23 23:44 | 未分類 | Trackback(1) | Comments(21)

包茎手術その2




包茎手術によって自信を得た弟は、すっかり変わってしまった。


弟は地元の不良グループと付き合い始め、夜の街に繰り出すようになっていた。不良グループは頻繁に我が家にも出入りするようになり、大騒ぎは深夜まで続く事もあった






日常的な騒音に家族は慣れつつあったが、それ以上に近所迷惑だったので、母は弟に再三注意したが、騒音が止むことはなかった。



この頃の弟は父と折り合いが悪く、顔を合わせれば取っ組み合いの喧嘩をしていた。喧嘩は最終的に、母が泣くことで終わりを迎え、母が泣き出すと父と弟はばつの悪そうな顔で喧嘩をやめた。



ある日、泣いている母に「お母さん大丈夫?」と私が近寄ると、母が全然泣いていなかったので、私がびっくりした顔をしていると


と熊谷弁で私に言った。喧嘩を終わらせることが出来るのは自分だけだとわかっていた母は、毎回嘘泣きをしていたのだ。








ある晩、誰かの怒鳴り声で目を覚ました私は


眠い目をこすりながら声の元へ駆けつけると










そこには
不良グループによって取り押さえられていている泥酔した父の姿があった










そして、その様子を写真に撮っている弟と











諦めたように、その様子を見つめる母の姿があった







事のいきさつは、


深夜、酒に酔った父が帰宅すると、弟と仲間たちがひときわ騒がしいので、父が部屋のドアを開けると




ちょうど王様ゲームの真っ最中で、上半身ブラジャー姿の女の子が父の目に飛び込んできたという





自分の娘とたいして年の変わらない娘が、深夜2時に男たちと王様ゲームに興じ、あられもない下着姿になっている様を目の当たりにし、父の怒りが爆発したのだ。おそらく、私や妹の姿と重なってしまったのだろう。




と叫ぶと父は大暴れし始め、あまりにも暴れるので皆で動きを封じたという



父が一度こうなってしまうと、誰も手をつけられないので、母と私はなす術がなく、ただ黙ってその場を見守るしかなかった。


父は弟とその仲間に諄々と説教し始めたのだが、そのうちの一人が



「社長だか何だか知らねーけどよ、偉そうなこと言ってんじゃねーよ」
と父を挑発してしまったのだ



すると、


怒りでわけのわからなくなった父がとんでもないことを言い出した






「お前ら、決闘だ」 その場に居た全員が、一瞬、きょとんとした顔をした



いい年した大人の口から、「決闘」という言葉が発せられるとは誰も思いもよらなかったし、決闘が何を意味するのかその場に居た全員がわからなかった。





父は、決闘の立会人として近所のTさんを電話で呼び出し、近くの公園で、弟を含む全員と1対1で勝負すると言いだしたのだ

寝ているところを起こされ、わけのわからないまま駆けつけたTさんと、
深夜3時に全員で近くの公園へ向かった。






母は呆れたように「ほんと馬鹿なんだから」と言い続けていた。









未成年と言っても相手は高校3年生の男子
















父が劣勢なのは誰の目にも明らかだった











殴られても父は立ち向かい





深夜の公園での決闘は続いた





























まるで夢を見ているようだった。

深夜3時の公園で、自分の父親が弟の友達と決闘をしているという状況が私にはまったく飲み込めなかった。




母は私に「心配しなくて大丈夫だから、きつ子は家に帰りな」と促すので、私はすべての決闘を見終わらないうちに途中で家に帰った。父親が殴られているのを 母はこれ以上娘に見せたくなかったのだろう。










翌日、不良グループにボコボコにされた父が松葉づえをつきながら言った












母も私も本気にしなかったが、弟は本当に勘当されてしまい、以来15年間ずっと東京で一人で暮している。




弟の勘当と共に、不良グループは家に来なくなり


あの時シャッターを切り続けた弟は、


今ではプロのカメラマンとして生計をたてている






色々あったけど 今では父の事が大好きだそうだ




# by manshukitsuko | 2012-06-17 12:19 | 未分類 | Trackback | Comments(34)

包茎手術




私には5歳年の離れた弟がいる

先日、仕事のストレスから10円禿の出来た弟にブログの話をしたところ



と言い出すので、私が戸惑っていると





と、本人の強い希望があったので、今回は包茎のお話です。








弟は重度の真性包茎だった

高校1年の夏休み、母に連れられ都内の包茎専門クリニックで手術を終えた弟は

生まれて初めて自分の亀頭を目にした瞬間、思わず「うわー」と声をあげた






母は高校の修学旅行で息子が恥ずかしい思いをしないよう、修学旅行前に手術を受けさせようと、包茎に関するチラシを集めていた


ジャンプの巻末の、男性がタートルネックで顔を隠した広告や、週刊誌に掲載されているチラシを切り抜いては、
缶で出来た長方形の入れ物に母が包茎広告をせっせと収集していたのを、私はよく覚えている

出来るだけ事前にリサーチし、出来るだけ痛みが少なく、より腕の良い医者で包茎手術を受けさせてあげたい親心だったのだろう









しかし

包茎手術において、最も重要なのは医師の腕もさることながら術後のアフターケアなのだ



包茎手術後、最も大切で守らなければならない事柄の一つが
なのだが、弟は医師から術後の説明を受けている時点で、絶対無理だ…と思ったそうだ




手術後5日ほど安静にしていた弟も、1週間もすると
外出出来るようになり




その日弟は、予備校に出かけた







ところが



予備校へ出かけた筈の弟が、真っ青な顔で家に戻ってくると










無言で、カバンで隠していた股間部分を私に見せた

股間は真っ赤な血が滲んでいた。

弟が着ていたブルーのTシャツと、ホワイトジーンズと、鮮血の赤い組み合わせを見て、私が「わーフランスの国旗みたい」と言ったが、弟はそれについても無言だった。



「意味なくちんこが勃つ」現象が男性にはあるが、弟は予備校の授業中に意味なくちんこが勃ってしまったらしく、そして、その日の勃起は今までの勃起とは比べ物にならないくらい強力だったという



授業中、ちんこに激しい痛みを感じ、異変を感じた弟は教師にトイレへ行くことを告げ、予備校の男子トイレの個室に入り、ズボンを脱ぐと真っ赤に染まった包帯の先端から鮮血が滴っていた 


弟は患部をトイレットペーパーでぐるぐる巻きにし、教室へ戻ると教師に早退することを告げた









自宅に戻り、トイレでもう一度患部を確認した弟は出血にうろたえていた





母は買い物に出かけているし、とにかく病院に直接電話して解決方法を訊ねるしかないと思ったのだ






































と、私が言うと









弟がものすごく無理のある体勢でプルプル震えているので








クッションを下に敷けばいいんだよ、と腰の下にクッションを丸めたものを敷いてあげると
少し落ち着いた様子で「ありがとう」と言った



私は、もしかして弟はバカなんじゃないかと思ったけれど、
本当に切羽詰まって動揺して、腰の下に何かを敷くことすら思いつかない状態だったのだと思う





予備校での強い勃起はダイレクトに傷に影響した様で




その日以降

早朝の朝勃ち時、夕方の意味なく勃起する時、弟の部屋から










「痛いよう、痛いよう~」と物哀しい叫びがしばらく聞こえていたが




2週間が過ぎるころにはいつの間にか「痛いよう」は聞こえなくなっていた



そして包茎手術から半年もしないうちに、弟に初めて彼女ができた



術後の痛みと引き換えに、彼女が出来たのだから



結果オーライである



# by manshukitsuko | 2012-06-09 18:49 | 未分類 | Trackback(1) | Comments(39)

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