コラム

相場英雄の時事日想:滅びゆく記者クラブは、本当に“悪”なのか (1/3)

官公庁や企業を継続的に取材する記者が、その拠点として共同の窓口を設けている記者クラブ。昨夏の政権交代以降、一部の官庁でクラブ員以外の参加が認められるようになっているが、その影響はどこまで及ぶのだろうか。今回の時事日想は、開放後のことについて触れてみたい。

[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥会津三泣き 因習の殺意』(小学館文庫)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 佐渡・酒田殺人航路』(双葉社)、『完黙 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥津軽編』(小学館文庫)、『みちのく麺食い記者 宮沢賢一郎 誤認』(双葉文庫)、『誤認 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。


 Business Media 誠や他のネットメディアなどで「記者クラブ」に対する批判が高まっている(関連記事)。昨夏の政権交代以降、一部の官庁でクラブ員以外の会見参加が認められるなど、日本古来の「排他的な組織」に風穴があき始めたのは周知の通り。今後、記者クラブ開放の波は着実に広がっていくと筆者は予想する。が、問題はその後なのだ。今回の時事日想は、開放後について触れてみたい。

ガラガラの記者クラブ

 現在、排他的な体質に批判が集中しているのは、霞が関の主要官庁や永田町周辺の記者クラブであることは多くの読者がご存じのはず。筆者が現役の経済記者だったころも、こうしたクラブに出向く際は気が重かった。他所のシマを荒らさぬよう上司や先輩記者から釘を刺され、訪問先のクラブ員たちから警戒心丸出しの視線を浴び、肩身の狭い思いをしたからだ。これが新興メディア、あるいはフリーの立場であればどれほど取材がやりにくいかは想像に難くない。

 が、一般の読者に誤解してほしくないのは、こうした現象が日本の記者クラブすべてを表しているのではないという点だ。筆者が長らく籍を置いていた経済関係の一部記者クラブは、既に10年以上前から実質的に開放、あるいはなし崩し的に内部崩壊が始まっていたからだ。

yd_kaiken.jpg 亀井静香大臣が会見する大臣室(2009年11月27日)

 例えば、電機業界などをカバーしていた「機械クラブ」は、スペースを提供していた経団連が主導する形で10年ほど前に消滅した。以降、所属メディア各社は独自にカバー対象となる各企業の取材を進めてきた。また筆者が長らく在籍した東証の「兜倶楽部」は、外資系メディアの参入問題を経て、早くからクラブ員以外の会見参加(質問が許可されないオブザーバー資格)を認めてきた。多数の記者が詰めかける注目会見に外部の週刊誌やフリー記者が参加するには、クラブの幹事社に名刺を提出して許可を得るだけ。幹事社によっては厳しく資格を精査していたが、筆者が経験した限りでは、実質的に開放状態だった。

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