アソビゴコロ(グ)。

大きな失恋を経てこれまでを振り返り
そして、恋愛依存症を自覚した。
可能かすら解らない克服までの、おそらく長い長い旅の記録。
ZerozeroWorks.2008
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2008年5月20日(火)

会いたいなぁ。

キミに。

作成者 ゼロ : 2008年5月20日(火) 00:59 [ コメント : 1] [ トラックバック : 43]

2008年5月18日(日)

激しく、激しく。

よく言うじゃない、「束縛もほどほどに」と。

これまでの人生で、正しく?お付き合いをしたのはおそらく十数人だと思う。
思う、って言ってしまうのは、それが世間で言うとこの「お付き合い」なのか非常に微妙な関係だった事もあるからなのだけど。

最初は中学生の頃だし、今のところ最後になるのは先々月までのその人。

んじゃ「お付き合い」はしてないけど、お付き合いがあった異性。
これになると増えちゃう、うん、増えちゃうな。

全て素敵でした。

素敵の程度差はあるけども、間違いなく全て素敵でした。

その中で「束縛」してしまった(ゆえに後悔もした)恋愛が3つ。
数える事も憚れるくらい、とてもとても大事な、大切なヒトだった。

今も、どこかでそれを「酷い束縛」だと認めたくない自分がいるのは、まだ病み上がり(依存症克服中)だからなのだろうけど、さすがに理屈は解るようになっている。
やっぱりあれはとても「酷い束縛」だったろうな。

ここで疑問が湧く。



「そーいや俺って束縛された事って無いんじゃないのかな」



もしかしたらされてたのかもしれないけど、実際問題として「やべぇ、超束縛されてんじゃん!!」と感じた事がない。
もちろん嫉妬やヤキモチは体感したことあるけども。
正直に言うと、「誰が見ても物凄く酷い束縛」をされるってのに憧れてる。

激しくされてみたい。

そんな(自称)S気質な俺のM願望。

作成者 ゼロ : 2008年5月18日(日) 01:03 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月16日(金)

余談。

以後、色々と回復に向けて事を進めるにあたって、俺が読んでいる本の一覧を書き記す。
が、これだけで自分の症状全てを判断しているわけではなく、当然ながらネットによる情報収集もかかしてないし、当然「YAHOO!知恵袋」や、心療内科、自助団体の検索も怠ってはいない。

・「恋愛依存症の心理分析 なぜ、つらい恋にのめり込むのか」/著=ピア・メロディー 訳=水澤都加佐
・「恋愛依存症」/著=伊藤明
・「ラブ・アディクションと回復のレッスン」/著=ハワード・M・ハルパーン 訳=白根伊登恵
・「世話をやく女と束縛する男 愛に依存する人々」/著=岩崎正人
・「インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法」/著=ジョン・ブラッドショー 訳=新里里春
・「100%幸せな1%の人々」/小林正観(←注:この本はスピリチュアルすぎて今現在の俺にはあまり役に立ってません、なので途中で読むのを止めてます)

んで、今日買ってきたのが

・「境界性パーソナリティ障害のことがよくわかる本」/著=牛島定信
・「感情はコントロールできる」/著=G.D.マッケイ 訳=柳平彬
・「愛されなかった時どう生きるか44のヒント」/著=加藤諦三
・「生理心理学 人間の行動を生理指標で測る」/著=堀忠雄

これからボチボチ読んでみます。

作成者 ゼロ : 2008年5月16日(金) 23:40 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

妄想か否か。

今日、悪魔が生まれた。

今は、と言うか、常時ツラさを感じてる訳ではないから余計に困る。
そうでなければ、こうして「回復したい、克服したい」と思う事すら無いのだから。

しかし今日は、理性を伴う俺には到底想像もできないような醜い感情が妄想中だったり、禁断症状中に頭を駆け巡った。

何と言うか、それは「悪魔」としか言いようのない醜さで。

書いておこうかとも思ったけど、さすがに自らがヒく。

でも、悪魔の妄想をしているその時、俺は、確かに少し笑ってたんだ。

作成者 ゼロ : 2008年5月16日(金) 23:20 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月13日(火)

憎い。

何もかも消えうせろ

作成者 ゼロ : 2008年5月13日(火) 14:18 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月12日(月)

「必要」と言う名の幻想。

誰かに愛された事がない。

いや、きっと愛してくれた人はいたんだろう。

でも、愛されてると感じた事がない。

何が「愛されてる」事なのか考えると、「それは愛されてる事になるなぁ」と頭で理解できたりする事は幾つか思い浮かぶ。

でも、「俺の思う『愛してる』」と等しく愛された事はナイ。

当然。

なぜなら、それができる異性は存在しないし、「俺の思う『愛してる』」は相手に求めちゃいけないモノからだ。

それは全く美しくない。
それは全く優しくない。
それはとても醜い感情。
それはとても悪しき感情。

だけど、とても純粋だ。

「必要とされる事」にしか喜びが見出せない関係は、やがて終わってしまう。

「必要とされる事」だけを必要とする俺。

この世界に無条件の愛は存在しない。

絶対に存在しない。

諦めろ、幼き日の俺。

作成者 ゼロ : 2008年5月12日(月) 02:54 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月11日(日)

涙よ、海へ還れ。

いつのまにか眠りに堕ちた僕は、
窮屈な姿勢に心地よい体温を感じながら目を覚ます。

隣には

目蓋を閉じたまま穏やかな寝息を立てるキミは、こちらを向いたまま。
その右腕は僕の左肩に差し伸べられていて。

あまりに愛しく、終わってしまうのが勿体無くて、
起きあがるのを止めた。

カーテンの隙間から射す光の花道には小さな埃たちが照らされ、舞っていて、
それを見ながら僕は、「時よ止まれ」と、子供の持つ真剣さで願ったんだ。







あのとき、何故、世界は終わらなかったんだろう。

作成者 ゼロ : 2008年5月11日(日) 01:08 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月10日(土)

離脱症状なのか、禁断症状なのか。

とにかくヒドイ。ツライ。

誰かに傍にいてほしい。
止めてほしい。

仕組みはだいぶ解ったんだ。

助けて。

作成者 ゼロ : 2008年5月10日(土) 13:52 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月7日(水)

365歩のマーチ

コンバンハ。

昨夜はあまりに取り乱していたので更新できませんでした。
が、一言でも書いておく事が大事と感じたんです。
何故ならば、あれが禁断症状の一つなんだろうと感じたから。

では実質4回目の更新いってみましょう。

そろそろ簡単にでも、こうなるに至った直接的な「原因」に触れておかないと、いつまでも逃げてる訳にもいかないしな。

===============================

去年の6月より俺には彼女がいました。
ところがこれが遠距離恋愛で、更に年齢差が一回りも下。
更に複雑な事情があり、実は約5年程前に一度付き合ってたんです。
それは東京での話。

東京で実質的なお別れをしたのだけど、去年の春くらいからまた電話で話すようになって、久しぶりに会うことになったのがキッカケで、いわゆる「縁りを戻した」と言う関係でした(当事者的にはそれよりやや複雑な事情もあるのだけど)。

当時彼女は専門学校生で、俺の住む大阪からは新幹線で3時間程の距離の土地に住んでおり。
彼女は頑張って何度か会いに来てくれました。
俺も2回程会いに行きました。

会うたびに惚れました。

会うたびに愛しさが増しました。

俺達は距離を埋める作業の一環として、互いにウィルコム(PHS)を持ち、低定額にて電話できる状況を作った(今思えばこれが少し間違ってたような気もするけど、それについてはまた後日触れる事にする)。

俺の極度な束縛が去年末前くらいから始まったように思うのは、今俺がこうして振り返りながら書いてるからであって、本当はもっと以前からなのかもしれないけど、まぁとにかく、現段階の自覚の範囲では去年末くらいから。
そして、おそらくそれだけが原因ではないのだろうけど、当時の俺からすれば「他愛のない誤解」により、今年の頭に大きな喧嘩(これも複雑な裏事情ありだけど)をして、その後彼女の心には大きな雨雲が差し掛かるようになった。

その雨雲を振り払うように最大限の努力をしたつもりの俺は、結局彼女の心を晴れさせる事ができないままに、執着だけを残して一度別れる事になった。

これが3月の頭の出来事。

2日後には、俺にとってあまりにも嬉しい状態で再度復活し・・・


あーーー、ダメだわ。

こんなの書いたって何にもなりゃしない。
つか書き始めると補足しなきゃいけない事が多すぎて、自分がいかに纏め切れてないかを露呈するばかりだな・・・。

やっぱまだ早かったようです。

消そうと思ったけど、こうやって自分が彼女との経歴を書こうとした事の痕跡だけでも残しておくべく、消さない事にします。
もっとまとめる事ができたら再度触れる事にします。

生々しい感じやな・・・。

ちょい話題転換。

様々な「依存症」についての文献を今もなお読み漁っている毎日ですが、どうも「恋愛依存」については自助団体が無いようで。
「アルコール依存症」の自助団体は大手があるんですがね。

関西でいい自助団体あったら教えて欲しいくらいです。

それと、実は病気だったのは俺だけじゃなかったみたいです。

薄々は感じてたけど、やっぱ彼女もそうでした。
俺のとは少しジャンルが違うけども。

けど、それを助けてやる事も話す事もできなくなってから解ってもねぇ・・・。

何もできない自分が鬱陶しい。

作成者 ゼロ : 2008年5月7日(水) 03:01 [ コメント : 2] [ トラックバック : 0]

2008年5月5日(月)

無題

今夜は心が乱れてるから更新できない。

また。

作成者 ゼロ : 2008年5月5日(月) 23:59 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

時間の力。

んー、まだまだ「経緯」やら「彼女の事」とか書く気にはなれそうにない。
思い出す事に抵抗があるのが解る。
が、いつまでもスタート切れないままだとこのブログやってる意味も失ってしまうわけで、それじゃいけない。

前回は「恋愛依存症に陥る兆候はずっと以前からあったのだな」と振り返るとこまででした。

さて3回目の更新、いってみましょう。

こうして割と冷静を装った口調で書き連ねていくことってのは、意外にもできちゃうわけで。
だけど、誤解してほしくない?と言うか、日々常時こんなモノの考えができてる訳じゃないんです。
詳細は追って書いていくにしても、今この場でざっと思うだけでも、

今回の失恋において

・辛い、苦しい、悲しい、胸が張り裂けそう
・顔が見たい、声が聞きたい、触れたい、傍にいてほしい
・彼女にとって俺は一体何だったのか、あの幸せな日々は何だったのか、あの約束は・・・
・今こうしてる間にも誰かに抱かれてんじゃないか
・そもそも交際期間において俺は何かしら騙されてたんじゃないか
・別れているのに、自分が関与しない彼女の過去に対して強い嫉妬の感情が止まらない
・自分以上に相手を愛する人はこの世にいないのに
・今電話すれば元に戻れるんじゃないのか、今夜にも彼女から電話があるんじゃないのか
・自分は今、幾分冷静になれているから、今なら正しく意思を伝えられる=誤解が解けて全てが解決する(と言う勘違い)
・今から行こうか、明日来てくれるんじゃないか
・いっそ死んでしまおうか、いっそ殺してしまおうか
・今すぐ世界が終わればいいのに

ネガティブな思考だと、もちろんまだまだこんなもんじゃないですが、そんな事が頭を過ぎるのは常です。

で、程度の差はあれど、これらは概ね正しいんです。

何故ならば「病んでいる人間の思考ってこんなもんだろ」って思えるからです。
失恋直後にネガティブな思考が出ないようなら、それはきっと恋愛じゃなかったんだろうしね(中には即座にポジティブ思考に切り替わる人もいるのでしょうけど、まぁ稀ですしね)。

幸か不幸か、思考がマルチタスクなんです(俺だけに限った事じゃないだろうけど)。

上記のようなネガティブ思考が、今も尚、ほぼ常時自分の中にあるのは間違いないのだけど、
「それだけじゃない」
って思えてる事が大切なんだと思います。
それは、現状の改善・打破とか、考えないようにするためにはとか、同じ過ちを繰り返さないためにはなど、それらをほぼ同時進行で考えている自分にも気付いていれるからであって。

よく言いますが、失恋に限らず「時間が解決してくれる」って言う謳い文句。
これ、誰でも経験あるでしょうけど、本当に言葉の通りなんですが、これの解釈をこれまで少し間違って捉えてたようなんです、少なくとも俺はね。
と、言うのは、これまでは「時間の経過が(思い出したくない事柄を中心として)物事を忘れさせてくれる」って意味合いでしか把握できてませんでした。
けど、それだけじゃダメだったようです。
理由は簡単で、そういう解釈しかできてなかったから、今またこんな目にあってるんです。
つまり、「時間の力のみで可能なのは思い出さないようになれる、少なくとも考えないでいられるようになる」事なのであって、それはただ忘れてしまえるだけの話(もちろんそこには「考えないように努力する」などと言った意味合いでの有意義さはあるのだろうけども)。
改善やら成長とは全くカテゴリの違う事なんだって気付けていなかった。
気付かなきゃいけないんです。
だから次のステップ(あるいはやり直し)では、「安易な解決策ではなく根本からの改革を必要としている(その為に使う時間は少なからず解決の方向へ力を発揮するだろう)」って事であって、それはつまり
「時間を使って解決していこう」って意思の問題。

もちろん「時間」てのは自らの意思とは全く関係せず、いつもゴウゴウと流れているし、流れて行くわけで。
その中で取り返しのつかない事になるモノも色々あるだろう(例えば年月かければ年齢もあがる訳だし、やりなおしだって効かなくなる状況を生む事もあるだろう)。

でもね、いつもこんな風に考えれる訳じゃないって最初に断っておくけど、
俺らは皆、「人間のプロ」なんです。「プロ人間」でも構いません。
プロならプロらしく、不良品の愛情を与えてばかりじゃ需要は無くなって当然なんです。
完璧とまでは言わないまでも、自らが作り出せうる限りなく完全な愛情ってのを与える事ができるようにならないといけない。
渡す相手が「この世で一番愛しい人」なら尚のこと、特級品の愛情てのを渡したいもんです。
そして、長かろうと短かろうと一度でも真剣に人を愛したのなら、そして愛情を返してくれた事を自覚した事があるなら、もうアマチュアじゃないんです。
ただ、不完全なプロフェッショナルだった。

そのためにもう一度時間を使いましょう、ってお話。

作成者 俺様 : 2008年5月5日(月) 02:51 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月3日(土)

明日の為に。

本当ならここで「自分のスペック」あるいは「彼女のスペック」または「経歴」を書き記す(または書き残しておく)べきなのだろう、とは解る。

けど、まだそれができるほど頭にも心にも落ち着きはない。

書けば、ただでさえ脳裏から離れない彼女の姿に、またウツになるしかなく、ただひたすらに虚無感に襲われるだけなのだろうと解ってしまう。

ただ、今こうしてタイプしているこの瞬間でさえ、回復に向かわせなければならない事だけはどうやら頭で理解できてるようだ(残念ながら心はまだそれを受け入れられてなどいないが)。

今回が2回目の更新。
続けなければならない、自分のために、そう思えるだけマシってもんか・・・。

実は、このような(自分が恋愛依存症であるといったような)自覚を持つはるか以前より、心理学(あまりにも偏った知識や経験ではあるけれど)には携わった経緯があり、それは俺が中学生だった頃にまで遡る事になる。

当時通っていた塾の講師が、いわゆる心理カウンセラー上がり?の、50を過ぎた男の先生だったのだけども。
その先生が登校拒否児童へのカウンセリングを施している現場を見ることがあったり、はたまた俺が大阪に移り渡るにあたって起こった様々な事件のせいで、どうも大人の目線ばかりを気にして日々を送っていたような精神状況にもあった事も手伝い、ともかく、興味を持っていた(詳細はいつか語るときもあるだろう、インナーチャイルドがらみで)。

なので、幾分かはその方面に秀でた感性を持ってたのだと自負していたのだけども、今考えれば、このような事実ですら他の大勢が口に出さないまでも感じている通りの「自意識が他人より強い」と感じる現象の一環なのだろう。

誰だって「自分は特別な存在なのかもしれない(他人には解らないだろう空気の読み方ができてしまう、と言った様な過剰な自意識などの意)」と、一度や二度は考えたことがあるだろうと思う。
少なくとも、大半の人間は幼児期にそれを感じるのが当然である。

話が逸れたが。

心理学を学んでいる、または学んでいた、あるいは興味がある、と言った発言を誰かの口から聞くと(または自分が口に出す時も)、それは本当の意味での「心の病」レベルで語っている人も含まれるのだろうけども、大半は「そう発言した人は(あるいは、そう発言した自分自身が)他人より繊細な心の持ち主で、他人を思いやる事に秀でている、と考えがちだが、実際はそんなもんじゃない。

それは、あらゆる意味合いを持って、キャラクターである(実際自分を振り返ってもそうであっただろうと、今なら解るとこがある)。
もちろん、これを確かな「病気」レベルで考えることができる人であったり、その範疇にいる人に向けた言葉ではないけども。

そう、「恋愛依存症」は紛れも無く「病気」だ。

自分がその分野にいて、この目で確かめた訳ではないけども、あらゆる書籍から得る情報など突き詰めて調べていくうちに、医学的なレベルでこれが確かな「病気」である事を思い知らされる。

書籍や拾った情報を鵜呑みにして判断する事が確かなソースとしての価値を持たない、と考える人もいるだろうが、それを言い出すとキリが無い。ならばどこぞの大学教授にでも聞いて確かめこいよ、てなもんである。

まずは今回の(俺の場合は)失恋が、今回の事でだけ犯された過ちの行動や発言、係わり合いのみで出た結果ではない。
この事実を踏まえないと俺には、どのような形でさえ「この先」は無い。
つまり、「あの時こうしていれば」だとか「なんであんな事をして(言って)しまったのだろう」と言うような生易しい反省や後悔だけでは、その先辿る結果は(形は違えど)同じなのである。

原因は、もっともっと根本的な何かなんだ。

作成者 俺様 : 2008年5月3日(土) 23:39 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]

2008年5月2日(金)

恋愛依存症。

今日より此処に書いていく事は、他の誰でもない、自分自身への戒めであり、克服までの過程であり、振り返る術です。

俺は「恋愛依存症」らしい。

正直に言うと、これまでの恋愛でも自分が依存しがちであったり、極度の嫉妬心、独占欲、執着心の持ち主だというのは多少なり自覚があった。

36歳にもなって、やっと気づくようなことじゃない。
気づくの遅すぎだろ。
取り返しなんてつかないよ。

そんなの解ってる。

解ってるけど、36歳でもまだ気づかないよりは気づいた方がマシな訳で、ならば諦めるよりは克服するほうがより健全なんじゃないかと考えるだけのユトリがここ最近になってようやく、できた。

今年の3月に別れた彼女の事を、今でも、大袈裟でもなんでもなく、2分と考えていない時間はない。
いつもどこかに思い描いてるし、それはPCで言えばもはや壁紙のような存在で、そこにある。

別れる理由となったのは、大きく区切れば「遠距離恋愛であったこと」「育った環境の違いによる思考の差異」「俺が彼女に与えたであろう精神的苦痛」など、もちろん他にも様々な要因があるのだけども、心のどこかでは解っていても、今ここにハッキリ書けるのは上記のような感じ。

それと、彼女は若かったし、俺には甲斐性が無かった。

なのに今もなお諦められずにいる自分を、とても愚かだと思う。

心に空いた穴を埋める為に、考えてしまう時間を誤魔化す為に、それらに論理的な理由を求める為に、色々な文献、書籍を漁っては読んでいる。

すると、どの文献を読んでも一つの結論に至ったわけで。

俺は「恋愛依存症」らしい。

これから色々書いていきます。
今は自分自身のために。
これが何か良い結果を生んだならば、今の俺と同じような気持ちになった人の、少しでも参考になればという想いも込めて。

作成者 俺様 : 2008年5月3日(土) 00:14 [ コメント : 0] [ トラックバック : 0]
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