猪子寿之×安藤美冬 【第1回】 ランドセルで高校に通った伝説を持つ「異色の天才」猪子寿之はどうやってつくられたのか

2012年07月15日(日) 安藤 美冬
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猪子: 戦略なんかは一切なくて、冷静に、合理的に考えて、このまったく変化のない日本社会でね・・・。

 だって、本当に経済発展に貢献した会社はあんまりTOP20に入ってこなくて、豊になった経済にしがみついている人たちの方が時価総額が高いんだから、これはおぞましい世の中だぞ、って思うじゃない。

 でも、そんなこと言っててもしょうがないから、ぼくもそのおぞましい世界に入るしかないと思って・・・。で、どうやったらそこに入れるのかと考えたら、「逆玉しかない」、と。逆玉したらぼくも社長になれる、と。

「電子立国」と「新・電子立国」の格差に愕然

安藤: 実際に東大に入ってみて、どうでしたか?

猪子: ぜんぜん関係ないんだけど、小学校だか中学校だかのときに見てた『電子立国』っていうNHKの番組がすごく好きで、「エンジニアたちが日本を豊かにした!」「日本は電子立国なんだ!」みたいな、「ニッポン万歳!」みたいな、ちょーイケイケな番組があって、それがめちゃくちゃ好きだったんですよ。知ってますよね?

編集: うん、うん。

猪子: いろんなメーカーのエンジニアたちがいっぱい出てて、一介のエンジニアたちが日本に競争力をつけて、そのおかげで日本は経済大国になった、みたいな番組だったんですよ。10回シリーズぐらいの。それが、すごく好きで・・・。

 で、高3のときに『新・電子立国』っていうのが始まったんですよ。ものすごく楽しみにして見てみたら、ずーっと外国の話ばっかりだったんですよ、『新・電子立国』は。

安藤: あらら。

猪子: つまり、情報化社会の到来で、日本は「電子立国」じゃなくなったんですよね。番組ではそうは言ってませんでしたけど、とにかく、世界の潮流の中で日本はピックアップされなくなってたわけですよ。

 第一回目が、ジム・クラークがコンピュータ・グラフィックスの世界を変えて、つまりシリコングラフィックスが世界を変えて頂点に立った、「すげー!」みたいな話だったんですよ。

 ところが、けっこう造りがよくできててさぁ、最終回でまたジム・クラークが出てきて、突然、「実はアレ、もうやめてました」みたいなことを言うわけ。「インターネットの時代がはじまるのでシリコングラフィックスはやめて、ネットスケープコミュニケーションズをつくりました」みたいな話になってて・・・。「ええーッ!?」みたいな・・・。

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