科学的心理学のちょっとした入門書かな?実験心理学とはどう違うのだろう?
方法としては「観察」「調査」「実験」となる。
「調査」例を挙げると
・面接調査(コスト高)
・配票(留め置き)調査(国勢調査みたいなの・コスト高)
・郵送調査
・託送調査(町内会などに委託)
・集合調査(一定の場所に集まった人を対象とする・どんな人を集まるかによる)
・電話調査(至難の技)
・インターネット調査(低コストだが偏りが出がち)
なるほど。私の知ってる特別支援教育関係で内地留学をした人、調査の結果をまとめて論文にする人が多かったけど、実践の役に立ってるような人、あまり見かけなかったなあ。また調査については下記のエントリに出てきたような例もありますねえ。
アフガン農業支援奮闘記
EBM(根拠に基づく医療)についても触れられていて、エビデンス(科学的根拠)のレベルとして
レベル1 ランダム化比較試験のシステマティックなレビュー(メタ分析)、盲検法的な手法によるランダム化比較試験、ある治療法の導入前は全員死亡したが導入後は全員が助かったという感度の高い症例の累積研究
レベル2 コーホート研究のシステマティックなレビュー(メタ分析)、追跡率80%以上のコーホート研究、死亡率や罹患率など明確な尺度による研究
レベル3 均質な症例対照研究によるシステマティックなレビュー、重要な尺度について盲検的で客観的な比較を行った症例対照研究
レベル4 症例集積研究、質の低いコーホート研究や症例比較研究、明示的な批判的吟味を欠いた専門家の意見
ということだそうです。
「EBMでは、単なる症例研究や、専門家の意見は、エビデンス性では最下位に位置づけられていることに注意しておきたい。一人ひとりの医師の経験の範囲は限定的であり、科学的根拠としては不十分だからである。」
で、例として挙げられているのが百ます計算の陰山さんの山口県山陽小野田市での取り組みの例。
早寝早起き朝ご飯と読み書き計算の反復を全校3700名の児童に実施し、9ケ月で平均の知能指数が102から111へ上昇した、という例。
これは貴重な調査ではあるけれど、
・知能テストを2度実施すると、記憶や練習効果の関係で得点は上昇する傾向がある。
とかいくつかの得点上昇の要因があり、また実験群・統制群を分けていないというような点からエビデンスレベルは4(最低)になってしまうんだとか。
う〜ん、私が思うに「効果」というのは「学校に来るのが楽しい」「授業がわかる」とかの点で計られるべきで知能検査で計られるようなものでは無いのじゃないかなあ、という気がします。陰山さんもいつもその点を強調されていたし。
ホーソン効果(労働条件よりやる気が大事みたいなの)については論争があり、存在していないかもしれないとか。
「心理学では統計を使う」というところで「記述統計」「統計的検定」「相関と回帰」「因子分析と共分散構造分析」「その他の多変量解析」と出てきますが・・・私、これで大学のゼミ落っこちたんです・・・いやまじめに勉強しようと思ったのに大学の図書館に蜷川虎三の統計の本しか無くて。ひどいと思いませんか?あれは全然役に立ちません。
で、上の語句をWikipedia等で調べてみましたが、さっぱりわかりません。
相関関係は因果関係ではない、というのはよくわかります。
調査データからは因果関係は解明されないというのが常識だそうですが、共分散構造分析というのをするとある程度はできるそうな。
第2章 人柄は遺伝で決まるか
「発達という言葉も誤解を招く。日常用語では発達は幼児や子供が成熟する意味である。しかし心理学では人が生まれてから死ぬまでの変化がすべて発達である。つまり、どんどん賢くなっていくのは発達だが、老化して痴呆化してしまうのも発達である。」
それは知らなかった。河合隼雄さんが「老化も成長である」みたいなことは、どこかに書いておられたと思うけれど。
発達研究には3つの方法がある。
横断的方法 ある時点で、いくつかの年齢集団のデータを採り、比較する。単純、分かりやすい、コスト低
縦断的方法 ある特定の集団を5年、10年、20年と追跡して調査し、比較する。研究に何十年もかかる。
コーホート研究 いくつかの年齢集団を、何年かに渡って追跡的に調査研究する。研究規模が大きくなる。
方法論的にすぐれているのは、縦断的研究とコーホート研究。しかしコストがかかるのでなかなかできない。
「行動遺伝学の研究によれば、共有環境(家庭環境)の影響力はたかだか10%程度である。その中で、子育ての影響力が占める割合は数%であろう。極端な育児態度、たとえば、子供の虐待、子供の遺棄等がなければ、母親の育児態度が子供の性格に大きな影響を与えるとは思えない。
ハリスは『子育ての大誤解』という本で、愛情をこめて抱きしめると優しい子供になり、寝る前に本を読み聞かせると勉強好きの子供になる、一人でベッドに寝かせると独立心が養われる、体罰を加えると攻撃的な子供になるなどは、すべて間違いであると断定し、このような考え方を『子育て神話』と名付けた。この本はどこまで正しいのだろうか。」
で、いくつかの育児態度と子供の否定的な情動の関係の研究をメタ分析したところ、親の年齢、社会的経済的地位の方が関連が深そうで、でも測定方法の問題もあり、よくわからんというところかな。
「『子育ての大誤解』は、育児態度の影響力をゼロであると、センセーショナルな話題作りをした。主張はやや極端にしても、基本的には肯定せざるを得ない。ほとんどの研究は、子育てが非常に小さな影響しかないことを示している。」
なるほど。私の興味関心のある自閉症やアスペルガー症候群も子育ての仕方でなるわけではないし。しかし、もちろん自閉症やアスペルガー症候群の人は、育て方(「見てわかる物を用意する」「表現できるようにする」「選択をできるようにする」等)を間違えると、本人がたいへんつらい目をするようになる、というのはあると思いますが。
第3章 人間は賢いか
「身近な動物、猫を見ると、脳重量はたったの25グラムだが、総ニューロン数は3億もある。犬の脳重量は猫の2〜3倍だが、ニューロン数は1億6千万と猫の半分である。」
へえ。ちなみに人間の脳は重量1.2〜1.5kgニューロン数115億。
100年ほど前のドイツの賢い馬クレバー・ハンス
この「はい」「いいえ」を答え、物の数を数え、計算もできる馬の話は聞いたことがありました。学者が2回に渡って調査したが、トリックは否定されたとか。そしてようやく3回目に実験的・科学的研究を行い、質問者のすごく微妙な動きで正解を当てていたことが実証されます。ある意味でやはりものすごく賢い馬だったわけです。
類人猿(チンパンジー)に「言語」とか手話とかを教える試み。1960年代から1970年代にかけてブームになったとか。手話もあればプラスチック板に単語を書いた物を並べる方法とか、いくつかの「言葉」が獲得できた例がありました。しかしアンダーソンが批判したとか。私の読み取り間違いかもしれませんが、「音声との関連づけがない」「表現がいろいろ応用できること」などが無いから認められないと。
う〜ん、しかし障害児教育をしていると、上記のようなことが無くても十分実用的な「言葉」と認めていいことがあるけどなあ。
しかし、京大霊長類研究所のアイは音声はわからないですが、十分に応用のきく「言葉」を教育によって獲得しました。
「心の理論」について。
この言葉、「心がある、無い」についての理論と勘違いする方がおられますが、「『他人がこう考えているだろう』ことを正確に想像することができる能力があるかどうか」についての理論です。これについてはいろいろな説があり
「『心の理論』自体が詳しく解明された訳ではない。内容は曖昧で事後説明的な印象を受ける。」と書かれています。
ふ〜む。私など、「自閉症の人には『心の理論』がわからない、あるいはわかりにくい」という説明に納得していたのですが、そういうものではないのか?
第4章 意識の謎
著者の死にかけた時のエピソードが書かれています。
リベットの実験。
脳に直接電気刺激を与えた時、それを感覚として感じるのは、その強さでもなく周波数でもなく継続時間の問題であった。それは500m秒。つまり我々の意識は外界の客観的出来事で最小で500m秒遅れている。
500m秒ってのは長いなあ。0.5秒ですから。で次のような実験も。
「決められた信号が現れると即座にボタンを押すという課題の反応時間は、通常200m〜300m秒である。被験者に、意図的に100m秒(本にはmが書かれていませんが誤植と思われます)引き延ばしてボタンを押すように教示しても、誰も指示通りにはできなかった。反応時間は600m〜800m秒で、意識化に必要な約500m秒の遅れが含まれてしまった。」
しかし、即ボタンを押すのは200m〜300m秒でできるわけです。また車の運転をしていて子供の飛び出しがあり、危険だ、と判断した時は100〜200m秒でブレーキを踏みます。野球のバッティングも認識して500m秒かかっていてはボールを打てません。そういう意識化せずにできる脳のシステムをゾンビ・システムと言うそうです。この言葉を聞いた時はゾンビが何で出てくるんだ、と思っていましたが、「意識しない」から、ということのようです。
「人間の側頭葉内側部のニューロンは非常に選択性が強く、特定の有名人や特定の知人のみに反応する。いわゆる『おばあさん』細胞が発見された場所である。」おばあさん細胞!!
†自由意志は幻想か
現在、科学では自由意志には否定的な意見が多い、という話を聞いたことがありました。以下の実験もそのうちの大きな物であるようです。
「自由意志とは、人間の行為は外的要因ではなく、意志によって選択した結果であるという哲学的概念である。自由意志が存在するので、自分の行為にはモラルや責任が生じる。ゾンビにモラルや責任がないのも、自由意志がないからである。しかし、自由意志の存在は確実なのだろうか。何世紀にも渡って哲学的議論が繰り返されたが、リベットは単純な神経心理学的実験で、この議論に風穴を開けた。」
被験者は光の点が回る文字盤を見て、いつでも自分で思った時(W)に腕を曲げる。脳には電極を刺しておき、脳の活性の時点(RP)を調べる。あらかじめ「曲げよう」と思っていた場合をRP1、思いついての場合をRP2とする。腕を曲げるのは筋電図で調べる。
結果
曲げる予定をした時の脳活性RP1 1000m秒前
思いつきの時の脳活性RP2 500m秒前
意志W 200m秒前
行為の主観的タイミングS 50m秒前
行為
「結局、動かそうとする意志は行為を引き起こしていない。無意識的なゾンビ・システムが行為を引き起こしていた。そうすると、自由意志という哲学的概念の根本が崩れ去ってしまう。」
う〜ん、そうなのだろうか。この実験は「意志を意識する前に脳が活性化している」ということを表しているだけなんじゃないか?これで「自由意志は無い」は言えないのじゃないか。また「身体の運動」限定かもしれないし。
例えば田中正造さんは不動産売買で大儲けをした。そのお金で東京に出て悠々自適の生活をすることもできただろう。しかし足尾銅山の鉱害問題に奔走する道を選んだ。これは自由意志では無いのか?
もちろん「一人で考えた」と思っていても、それは周囲(環境)からの刺激がたくさん入っていて、どこからどこまでが「自分の意志」かはわからない部分があるだろうけれど。
コッホの「政策決定者要約仮説」
「外界から入力された膨大な情報をコンパクトに要約して、さまざまな可能性を検討し、行動の決断をする必要がある。この判断に必要な時間だけ情報の要約が維持される。知覚処理と行動計画の間に意識が生じる。意識は単なる随伴現象ではない。ゾンビ・システムが特殊用途に限定されたリアル・タイム・システムだとすると、意識は汎用の問題解決システムである。特殊なリアル・タイム・システムと汎用の問題解決システムの両方を兼ね備えた生物の方が適用能力に富み、自然淘汰の結果、生き残ったと考えられる。」
「ウェグナーは2002年の『自由意志の幻想』という書籍で、リベットの実験を紹介し、意識を伴った意志は、行為などに先立つ脳活動の結果に過ぎないという。」
??それでいいんじゃね?その脳活動を含めて自由意志じゃないか?
「ウェグナーは意志を、行為との因果関係が科学的に確かめられた経験的意志と、個人が報告した意志という経験である現象的意志に分けるべきだという。」
で例を出すわけですが、
「他人の手症候群は、神経心理学的な障害で、片方の手が、自分自身の意志を持っているかのように、自動的に動作する状態を指す」
これは頭の意識は現象的意志で、動かしていないと思っている。しかし脳からは指示が出ていて動くから経験的意志になるということか。
自動書記(こっくりさん)も「動かしていない」という現象的意志と「動く」という経験的意志。
これらはゾンビ・システムってことでいいんじゃないかな。で、自由意志としては別の汎用の問題解決システムがある、と。
ファシリティテッド・コミュニケーショ(FC)ンについて
ファシリテーター(支援者)がコミュニケーター(障害者)の手首を持つなどの援助をして字を書いたり、キーボードを打ったり、文字盤を指さしたりしてコミュニケーションをとろう、という方法ですね。
ウェグナーとフラの実験。
「参加者は、FCが、発達障害児や自閉症児との意思伝達を図る手段として、広く普及していること、実験の目的は、正常な人がどの程度、他人の筋肉の動きを読めるかを調べることであると教示される。
ファシリテーターには次のような教示を与える。
『はい』と『いいえ』のキーに人差し指と中指を乗せて下さい。(図では「D」と「G」)ファシリテーターは、問題をよく聞いて、自分で回答するのではなく、コミュニケーターの無意識の筋肉の動きを読んで、コミュニケーターが回答するはずのキーを押して下さい。・・・筋肉の動きが読めないという人が多いのも事実ですが、可能な限りコミュニケーターの回答を推論して下さい。・・・
一方コミュニケーターには次のような教示を与える。
問題を聞いても、決してキーを押さないで下さい。・・・ファシリテーターの仕事は、あなたが押したいキーを感じ取って押すのが仕事です。・・・
(コミュニケーターはファシリテーターの上から人差し指と中指を重ねる。指同士がくっつき、それで動きを察知するという設定。2人分のヘッドフォンが用意してあり、ファシリテーター用からは問題が出題される。しかしコミュニケーター用は問題は出ない。)
正答率は、易しい問題では0.87、難しい問題で0.60と、統計的に有意差があった。コミュニケーターには問題が提示されていないので、正答率は0.50になるはずである。ファシリテーターが回答していたことは間違いがなかった。ところが、ファシリテーターは、コミュニケーターの筋肉の動きを読んでいると思っていた。
コミュニケーターの筋肉の動きが回答に影響を与えたと思う比率は、FCの有効性を信じ込ませた条件では0.41、疑問を抱かせた条件では0.24と、有意差があり、信念の違いが影響していた。また身体接触しない条件を導入すると、その比率は0.43から0.32に低下したが、それでも0にはならなかった。(「この身体接触しない条件」というのは私にはよくわかりません。指を離して『気』だけで動かす、という設定でやったのか?)
ファシリテーターは、自分で考えて指を動かしているのに、それをコミュニケーターが動かしていると信じてしまった。」
この実験でわかるのは「自分で考えていることを、他人が考えたと間違う」ということですね。
後ろに出てくる「偽りの記憶」も同じこと。これは教会に来た若い女性をカウンセリングしていると、幼少時に父親に性的虐待をされ妊娠しハンガーで堕胎させられた、と記憶を語り、それが外へ出て父親は仕事をやめなくてはならなくなった。しかし調べると女性は処女だった。女性はカウンセラーを告発し100万ドルで和解した、というもの。
私がカウンセリングの勉強を始めた頃、厳しく言われたのは「それはあなたの思いですか?相手の思いですか?」ということ。ここは下手をするとぐちゃぐちゃになります。ついつい自分に都合のいいように受け取ってしまいます。そうしないようにするために訓練が必要になる、と私は考えていますが。
障害のある人の腕を持ってコミュニケーションを支援することについては過去にこんなものも書いています。
支援者が障害のある人の手を持ってするコミュニケーション1
支援者が障害のある人の手を持ってするコミュニケーション2
自閉症の言語の発達とAACについて
†身体から離脱する
「脳損傷の患者では、身体全体の所有感が損なわれることがある。その場合、自分の現実の身体が別の場所にあるように感じる。その場所や症状により、自己幻視、分身幻視、体外離脱に分けられる。」
臨死体験の時の幽体離脱は体外離脱ですね。分身幻視というのはドッペルゲンガーってやつか。それぞれ脳の部位が特定されているそうです。
第6章 人と人との間で
他人が「わかる」こと、協調することなどに触れられた章。
アッシュの性格特性の形容詞を読み上げその人の印象を書いてもらう実験。
被験者は大学生。いろいろな単語の中で「温かい」「冷たい」が大きな影響があった。
ウィリアムズの性格を記述する形容詞の何を重視するかの実験。
被験者は大学生。「外向性」「協調性」が重視された。
被験者が大学職員になると「良識性」が重視された。
心理学の入門コースの学生だと「協調性」が重視された。
ここで言う外向性は社交性があるとかいう意味かな?しかしアメリカでも協調性が重視されるということは、自閉症やアスペルガー症候群の人はちょっとつらいかなあ。
†判断は好意的な方向に歪む
†なぜ人を好きになるのか
「人は必要以上に好意的な関係を持とうとするらしい。(略)心理学の研究テーマですら、好意的な方向にバイアスがかかっている。」
これは生き抜いていくための知恵でしょうね。
「タイラーらは嘘をつきが嫌われることを実験的に検証した。」
「好意の返報性」
好きだと思う人から好かれ、嫌いだと思う人から嫌われる、というのですね。
「ヴァケラらは、大規模な社会調査を行って、この理論を検証した。調査対象は高校80校で、アメリカ全体からランダム・サンプリングされた。被験者総数は9万人に及んでいる。」
結果は人種によって大きな差があります。しかし「アメリカの・・・」というところがポイントだろうな。それぞれの人種の国で調査したらどうだろうか?人種の国と言っても、白人の返報性は64%でネイティブ・アメリカンの返報性は1%。ふ〜む、どう考えたらいいんだろう。ネイティブ・アメリカンは好かれても好きと思わない??う〜ん。
†集団の圧力に屈する
1951年。アッシュの集団での同調性の実験。
被験者がたくさんいるように見せかけて実は被験者は1人で他はサクラ。で、みんなが間違ったことを言うと被験者は同調したり黙り込んでしまう。
ミルグラム(アッシュの助手)の実験。(アイヒマン実験)
回答を間違えた人(サクラ)に被験者が電気ショックを与える(実は電気ショックは無い)実験。
「40名の被験者のうち、26名は、単に実験者が命令しただけで、450ボルトの致死的水準のショックを学習者に与え続けた。もちろん被験者達はいらだち、ためらってはいた。」
私が異動した時の、大昔の知的障害特別支援学校を思い出してしまう・・・
「このミルグラムの実験は人を被験者として研究する場合の倫理問題も浮き彫りにした。事後説明を受けたとはいえ、かなりの被験者は傷ついたからである。また、この実験は心理学の教科書ではしばしば無視される。それはミルグラムの実験があまりにも衝撃的で、既存の学説との整合性がとりにくいからである。」
へえ。すごくわかりやすい実験だと思うがなあ。
第7章 異常な世界へ
前半では日本の臨床心理(士?)がボロクソです。まあ、でも「嘘」は書いてないか・・・
後半はうつの治療について。
治療法の種類
・薬物療法
・電気ショック療法(うつ病がひどい時に効果)
・経頭磁気刺激法(エビデンスは少ない)
・心理療法(うつ病に効果があるのは、認知行動療法と対人関係療法。薬物療法よりも治療成績がよく、再発も少ない)
・運動療法(有酸素運動を行うと、ニューロンの新生が盛んになり、うつ病が治療される。副作用はなく、薬物療法よりも治療成績がよく、再発も少ない。)
この説明は、エビデンスに基づいて書かれているのだと思います。
私は認知行動療法についてはわかりません。対人関係療法については「拒食症・過食症を対人関係療法で治す 水島広子著」を読んだだけですが、考え方を変えていく、ということでよく理解できた気はします。
†心理療法と薬物療法はどちらが優れているか
「イメルらは、1131の文献を調べ、ランダム化比較試験による研究で、効果量が入手できる28研究(3381名)に絞ってメタ分析を行った。(2008年)対象は、ヨーロッパ、アメリカの中年女性で、ほとんどは大うつ病エピソードと診断され、薬物療法や心理療法を受けた患者である。まず、心理療法と薬物療法の効果量には差がなかった。つまり、どちらの治療法でも結果はほとんど同じであった。薬物療法は重症のうつ病に効果があると信じられているが、軽症の場合の方が効果があった。しかし、フォローアップ期間が長くなると、心理療法のほうが優れていたし、今までのメタ分析の結果と一致していた。」
この心理療法が何を指すのかがわかりませんが、認知行動療法とか対人関係療法とかになるのかな?
実際薬「だけ」では治らない、というのは実感として思っています。考え方というか、価値観というか、そこを変えないといけないし、運動も大切だし(って、ひどい時はそれができないんですが)。
で、最後に著者は、自殺者の人口あたりの多さや、自殺予備軍やうつ病患者全体の人(すごくたくさん)のために「どこに向かえばいいか、明らかだろう」と書かれています。話の流れからして、臨床に携わる心理関係者がエビデンスに基づいて認知行動療法や対人関係療法ができるようにしなさい、ってことなのかな?
確かに昔のカウンセラー(臨床心理士はどうなんだろう?)は、個人の話を聞いて洞察を待つ、という感じだったけど、自閉症の人やアスペルガー症候群の人とつきあってみて、コミュニケーションの方法を考えたり、環境を整えたり(これは昔はタブー視されていた。あくまでも個人の内面に関わろうとするので)することの大切さは感じました。うつの方だって同じ面があると思います。
今はどうなんだろうなあ。
まあ、この本、わからなかった言葉がわかったりして面白かったです。
こういうことを述べる人も絶対必要だよなあ、って思います。