さっき大分に帰ってきました。結局、ソウルで見た映画は1本だけ。中央シネマで「召命」というキリスト教映画。南米のアマゾン奥地で布教に励む宣教師夫婦のドキュメンタリーだった。朝11時からの上映だというのに、中年の女性の観客が十数人もいる。信者の方だろう。ちなみに、アン・ソンギ氏も篤実なカトリックである。
映画を見る前、光化門にある大規模書店・教保文庫に立ち寄った。歴史書コーナーで数冊買った。「京城レポート」「昔の地図でソウルを歩く」「写真で見る韓日併合史」など5冊。最近、この手の本をよく買う。
帰りの機内では「京城レポート」を読んだ。「植民地の日常から今日の我々を見る」という副題がついている。著者2人の年齢が明記されていないが、読んでみると「植民地収奪論」「植民地近代化論」の折衷論者のようだ。
同志社大学大学院の林廣茂教授の研究によれば、昭和16年(1941)から三越京城店の年間売上は東京本店、大阪支店に次ぐ3位となり、同19年には大阪を抜いた。「モダン都市・京城論」の有力な論拠になっている。林さんの研究が出た数年前は、韓国側研究者の反発もあったが、「京城レポート」のような論考が増えてきたのは、それが歴史的事実だったからだろう。
「植民地収奪論」の立場に立つ「写真で見る韓日併合史」には収録されていない史実があったと言ってよい。もちろん、歴史解釈は研究者によって異なるが、それが「歴史」というものだ。ちなみに、上記の本は在日朝鮮人研究者・辛基秀さん(故人・1980年代にお会いしたことがある)の労作を翻訳したものだ.
「京城レポート」では、和信百貨店旧館の写真(上の写真)を初めて見た。1937年に建てられた「新館」(右の写真)は7,8年ほど前に国税庁ビルができるまで、そのまま残っていたので見覚えがある。
昔は、百貨店の女性店員を「ショップガール」と言ったという。朝鮮人実業家・朴興植が経営していた「和信」のショップガールは、美人が少ないとの評判があったという。「美人だと、すぐに結婚相手が現れて仕事が長続きがしない」と判断したからだ、と書いてある。
この朴興植という人物には、かねてから魅力を感じてきた。「文化住宅」1軒を大売出しの景品にするなど大胆なセールスを行った。数年前、中国電影資料院の倉庫でフィルムが見つかった植民地時代の映画「家なき天使」(1941年)の冒頭シーンにも、この和信百貨店が出てくる。屋上に電光掲示板があり、その新奇さにびっくりした。これも「朝鮮初」だった。
民族資本の経営者として、朝鮮総督府との確執もあったらしい。もちろん「協力」もあっただろう。10年ほど前まで存命だったようだ。一度、本格的な評伝を読んでみたい。誰も書いていないのかな?