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「韓国修学旅行で土下座って本当?」その後

以前に「韓国修学旅行で土下座って本当?」という文章を書いた。その後もかなり手を加えて、現在は当初の形とはだいぶん変わったが、基本は

①広島県の世羅高校の韓国修学旅行での謝罪行事を報じた韓国日報の記事を紹介した1999年(平成11年)3月6日付の産経新聞記事には、元従軍慰安婦の方に土下座したなどという事は記事にも写真にも載っていない。

②2004年2月20日未明に2chの「【もうね】カンコク大嫌い【うんざり】」というスレの514、516、518、519番の書き込みは、いろいろなところでコピペされ、あたかも初出のように扱われるが、上記産経記事とは全くの別物であるだけでなく、書き込み自体の内容が不自然で信用できない。

③上の二つが同じ出来事としてネット上で扱われ、「世羅高校は韓国で土下座させられた」と喧伝されているが、この二つ以外にソースを明かせないのなら、これは間違いであるというしかない。また、これ以外に「土下座させられた」という記事は見つからないので、韓国に修学旅行に行って土下座させられたという学校は存在しないのではないか。

ということを論評したものである。少し長文になりすぎたきらいはあるものの、その都度思索をしながら書いた自信作である。

残念なのはこの文章に対するコメントがほとんどないことである。

末尾に

「よって過激に結論。韓国の修学旅行で土下座させられた学校は存在しない!
事実が確認できれば、内容の修正にやぶさかではありません。お知らせ下さい。」

とまで書いたにも関わらず、どこからもでてこないのである。やはり、土下座した学校など存在しないのか、それとも自分の意見に反する文章など読まない人が多いのか、のどちらかであろう。

それにしても、もっとネットウヨの方々から強い反発があるかも知れない、と覚悟していたので、拍子抜けの感がしないではない。

もっとも他のサイトやYahoo知恵袋などで、たびたび私の文章が引用されたりしていて、それに対する反応はまま見られるので、これに対して少し私の考えを述べたいと思う。

本文のコメント欄に直接あった反論はただ一つ。

通りすがり(2人目)さんの

「韓国修学旅行で土下座って本当?」に触れなかったのは、その価値がないと思ったからです。信憑性がないから「土下座は完全にウソ」って。総連の情報は鵜呑みにするのに…。」

というもの。他の知恵袋などの反応もこの方の域を出ない。

曰く、世羅高校の生徒に直接土下座しなかったのかどうか聞いたのか?」

曰く、メールの投稿者に直接ウソメールだということを確認したのか?」

ちなみに私はネット上の世羅高卒業生を名乗る書き込みは紹介しましたが、どうせ信じないでしょう。この言葉はそのままそっくりお返ししたい。

「世羅高校の生徒に直接土下座したかどうか聞いたのか?」

「メールの投稿者に直接本当のメールかどうか確認したのか?」

人や他国を貶める文章を公表するからには、情報が真実であることを証明する必要がある。でなければ名誉毀損。逆にいいかげんな情報に反論するには、その情報に信憑性がないことを証明するだけで充分なのだ。そうでなければ、自分で作った作り話をあたかも真実であるかのようにネット上に流すことが可能になる。ネット上では同じ情報が何度も様々な場所に顔を出すと、真実であるかのように受け取られる傾向があるからだ。

(もっとも、人を誉めたり称えたりする情報にはこのような面倒な手続きは必要ないと私は考えます。)

ネットにガサネタを流す人には「ノーリスクで人を貶めることの快感」があると思う。人の不幸の上に自分の幸福を築こう」という情けない風潮はなんとかならないものか。

ネットという便利なツールを汚すも生かすも人次第。残念ながら、汚す人が多いようで困る。

<追記>

2008.5.31に「無名氏」さんからたいへん有意義なコメントを頂戴した。下のコメント欄にもあるように、1999.3.10産経新聞に、生徒が読み上げた宣言文の全文が掲載されているということなので、探してみました。記事(大阪版)は以下の通りです。

「韓国修学旅行世羅高宣言文 「真実忘れない」 独立記念館の展示に驚き」
1999.03.10 大阪朝刊 1頁 総合1面 
 国旗掲揚、国歌斉唱問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が韓国へ“謝罪修学旅行”を行っていた問題で、産経新聞は九日、同校の生徒会がソウル市内の公園で読み上げた「宣言文」(韓国日報の報道では「謝罪文」)を入手した。
 旅行中に訪れた独立記念館での印象に触れ、「展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付きなさけなくなった」「今、自分の目で見た真実を忘れない」などと書いている。
 独立記念館はソウル南方にあり、日本の朝鮮統治時代に日本の官憲が韓国の独立運動家を拷問する残酷な場面をロウ人形で再現した「拷問コーナー」などが設けられている。
 宣言文は昨年十月十六日、タップコル公園で開かれた生徒会主催の「平和集会」の中で読まれた。生徒たちが公園の三・一独立運動記念塔前で、ひざを折り、頭を垂れ、独立運動の犠牲者への黙とうなどを行っている写真や記事が今月五日付韓国日報に掲載され、日本に衝撃を与えた。
 ◆宣言文全文
 「遠い昔から現代まで多くの人々が行き来した玄界灘。
 それは古代から日本に文化を伝え続けた海峡であり、韓国と日本の歴史的に不幸な事実や在日韓国人が受けている不当な差別的現実を生んだ海峡でもある。私たちは昨日その海峡を渡った。
 韓国、こんなに近くにある国なのに、私たちは今まで自分たちから求めてこの国のことを知ろうとしただろうか。教科書や歴史の授業の中で自分から日本とこの国の歴史の真実を学ぼうとしただろうか。
 今、私たちは、日本と異なる文字ハングルや風物の違いを目のあたりにし、「異なるものの存在は当たり前のことである」ということを改めて心の中にきざみ込んでいる。そしてさっき訪れた独立記念館の展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付きなさけなくなった。私たちはこの独立記念館がこの国の人々の「過去を忘れず再びこのようなことのないように子孫に真実を伝えたい」という思いで建立されたのだということをしっかりと受けとめたいと思う。私たちも今、自分の目で見た真実を忘れない。キョレーの家で私たちを迎えてくれた「不屈の韓国人像」の「不屈の魂の叫び」を私たちひとりひとりの心の中にきざみ込みたい。私たちは今、この地に自らの足で立ち、自らの目や耳や心、全身全霊で受けとめられるもののすべてをしっかり自分のものにしたいと思う。この旅は私たちにとって「どの様に生きるか、どの様に生きなければならないか」ということを自らに問うものだと思う。自らの偏狭な価値観で異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人となる第一歩としたい。
 この地で学ぶ日本とこの国の過去の不幸な歴史的事実を教訓とし21世紀を創る世代の人間のひとりとしてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたいと思う。
 今ここに集う者全ての思いを込め
 平和な未来を求め Lets be ambitious!!」

まずこの産経記事には、「謝罪だと結論づけている」ところはありません。

その上で宣言文をどう見るかは人それぞれでしょう。

宣言文はまず前半で、日本統治下において朝鮮半島の人々が受けてきた仕打ちの展示を見た、驚きの心情と知らなかったことが情けないといった思いが素直に表現していますが、この文章の主題は後半にあり、そのような事態になった原因を、民族に優劣をつけようとする偏狭な価値観に求め、異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人として過去の不幸な歴史を忘れず、乗り越えてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたい決意が述べられています。

同じ日の産経新聞の東京版には、この宣言文を紹介した上で、

「日本の朝鮮統治を一方的に悪とみる残酷な展示に生徒たちが影響を受けことさらに卑屈になっている心情がうかがわれる。」

としていますが、どこをどう読めばそうなるのか私には分かりません。文章の全体を見ず、前半の一部を切り離して読めばそう見たい人にはそう見えるのでしょうか。半島で日本が行ったことがどのようなものであるかを検証することは確かに必要なことかも知れませんが、かれらはそれを超えていこうとしている。いったい宣言文のような「真の国際人」としての決意を批判する必要がどこにあるのでしょうか。どうしても「韓国人が日本を残虐・残忍な民族であるというレッテルを貼ってバカにしている。けしからん」といいたい人は、宣言文のいう「偏狭な価値観」のレベルから一歩も出ていないと思います。

さてその上でたとえこの宣言文を謝罪文である、としたとしても、はっきり言えることは「土下座はしていない」ということです。産経新聞は「ひざを折り、頭を垂れ」という不自然な表現にとどまり土下座とは表現できていません(したかったのかも知れませんが)。土下座したという情報がなかったからこういう表現しかできなかったのだろうと、推察するものです。

いったい産経新聞はこの報道で何を読者に伝えたかったのだろう。いっそう分からなくなってきました。

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コメント

1999年3月10日に産経新聞に追加取材記事が掲載されたということなのですが、貴方はその記事も確認されたうえでの結論なのでしょうか?
残念ですが私は確認できませんでしたのでその結論を出すことは控えますが、産経新聞は読み上げられた全文を入手し謝罪だと結論つけているようですよ。

投稿: | 2008年5月31日 (土) 08時52分

コメントありがとうございます。こういう情報交換をしたかったのです。本当にありがとうございます。
当該の産経記事を見つけ、本文に追記しました。

投稿: yossy | 2008年5月31日 (土) 23時22分

あえて釣られます。
あなたどう受け取ったかは知りませんが
当の韓国日報が「謝罪文」として受け取っている以上は謝罪として扱っていいでしょう。
それを学校の公式行事として生徒に強要した。という点がそもそもの問題になっているのではないでしょうか?

投稿: | 2008年6月 7日 (土) 09時44分

コメントありがとうございます。
私が最も興味を持っているのは、「韓国修学旅行で土下座をさせられた学校があるのかないのか」です。もしそちらの情報がありましたらお願いします。
様々指摘されている韓国へ行って謝罪するという行事の実態はまだつかめていませんので、私はその是非についても今のところまだ態度を決め切れていません。ただ、前の無名氏さんから知らなかった情報をいただいたので、該当の産経新聞の記事をさがし、無名氏さんの「産経新聞は読み上げられた全文を入手し謝罪だと結論つけているようですよ。」というご指摘が少し違いましたよ、ということを言ったまでです。

本題ではないことを指摘した上であえて申し上げます。私は、この宣言文は、謝罪文などという次元を超えた未来に向かって指向する青年らしい平和宣言文だと思いました。だから教師にも「強要した」という感覚はないし、生徒達にも「強要された」という感覚はないのではないかと思います。何度もいいますが「宣言文」として読んだのですから。
これが内容そのままに宣言文として韓国日報に報道されれば何も問題はなかった。だがそれが「謝罪文」として受け取られてしまった。このことをけしからんとおっしゃるのなら、まずは謝罪文として受け取られてしまった文章力・表現力を問題にすべきではないでしょうか。そして文章のどこがどう悪いのか指摘してやればいいのです。もう一つ、「かってに謝罪文と決めつけるな。この宣言文はもっと次元が高いものだ」という韓国日報への批判も可能かと思います。
いずれにしても「強要した。という点がそもそもの問題になっている」というのは、この事件の読み間違えではないかと思います。

いずれにしても、もう一度言いますが、この事件で私が感心があるのは、「土下座したかどうか」です。韓国日報がそれを「謝罪文」ととらえるのは向こうのとらえかたであって、世羅高校はあくまで「宣言文」を読んだのであって土下座などするはずがない。そういいたかったのです。

投稿: yossy | 2008年6月 7日 (土) 11時20分

土下座に焦点を当てられているのは十分に理解しているつもりです。
その上で上記の発言をおこないました。
(土下座の有無については私も知る術がありませんし情報も持っていません。しかしあなたの検証作業でおそらく土下座という「行為」はなかっただろうと推察されました)

ただ、なぜ一高校の修学旅行がここまで大きく報道されたのか。また、その宣言文を読み上げた背景に誰が発案しどういう意図・意味付けがあったのか。が重要なのではないですか?と問いたかっただけです。
そこにあなたと名無しの訪問者との溝があるのではないのか?と発議したかっただけです。
あなたが論点に置いているのはそのような背景は別にして「土下座が行われたどうか?」という一点。
通りすがり発言者の論点は「その修学旅行自体に政治的・思想的意図はなかったのか?」という点。
そこのポイントについて貴方が態度を保留されたまま話が進んでいるため、貴方がどのような思想や歴史観をお持ちなのかも見えず感情的な話を繰り返してしまうのだと思います。

上記のような内容の意見交換は不要ということでしたらこのコメントに対する返信も不要です。

投稿: | 2008年6月 7日 (土) 14時17分

たいへん冷静なコメントありがとうございます。こういう議論は実り多きものになりそうでワクワクします。

「なぜ一高校の修学旅行がここまで大きく報道されたのか。また、その宣言文を読み上げた背景に誰が発案しどういう意図・意味付けがあったのか。が重要なのではないですか?と問いたかっただけです。」とのご指摘ですが、前半と後半に分けてお話しします。

最初に後半の「その宣言文を読み上げた背景に誰が発案しどういう意図・意味付けがあったのか。」については、思ったほど大業な政治的・思想的意図があったとは思えない、というのが、私の考えです。宣言文を真摯に読んで健闘してみて下さい。それほど特別な意図がこめられているでしょうか。徹頭徹尾未来志向です。その次元は過去の偏狭な大人の次元とは別である、ということだけは言えます。なんだか共産的なというようなことを言いたい人もいますが、共産的(日本共産的)であることは私の最も嫌いな傾向性ですが、この宣言文からはそのような臭いは私は感じられません。

前半の「なぜ一高校の修学旅行がここまで大きく報道されたのか。」については、私も感じるところがあります。なぜ修学旅行から5ヶ月も後に報道されたのか。それは修学旅行の政治的・思想的意図というよりも、学校長の自殺という事件とそれを取り巻く環境に関連があると思います。つまり「国旗・国歌法案」との関連性の中で「これは使える」と思った政治勢力の影響があったのではないか、ということです。その後の報道の流れからもそれは感じられます。世羅高校の修学旅行は、そうした政治的・思想的な意図を持った連中に利用されたのだろうと思います。さらに言えば学校長の自殺も利用されたのではないでしょうか。

私は、韓国とも中国とも「近いがゆえに起こる無理解」を乗り越えてつながっていくべきだ、というスタンスを持っています。多くの人がそうした努力を重ねていますが、それを正当な議論ならともかくウソで汚されることは我慢がならない。「韓国で土下座させられている」というデマがどれだけ多くの嫌韓を生んできたことか。それを考えるとこういう情報を流す連中を許せません。
そういうことです。

投稿: yossy | 2008年6月 8日 (日) 00時52分

まず宣言文が与えた影響について
これは前回の書き込みでも申し上げましたが当の韓国日報では
「謝罪文」として報じられている以上そう見ていいと思います。
韓国国内でどのような報道がなされていたかなんてことはわかりませんが
おそらく「日本から来た高校生○○○人 過去について謝罪」というような見出しが付いていたと推察されます。

その宣言文の中で独立記念館の展示物をみて衝撃を受けた。とあります。
私は独立記念館の展示物がどのようなものかは存じ上げませんが
得てしてこの類の施設は平和を求めるものではなくその国が発信するプロパガンダそのものだと思っております。
今回のケースでいえば韓国側が主張する内容=日本人は極悪非道の集団として描かれた展示物を見せつけられるわけです。
そういう施設に学校の公式行事として全員参加させるのはどうなのでしょうか?
おそらくこの生徒達の大部分は靖国遊就館に行ったことはないでしょう。
また公式行事で靖国神社参拝などと言えば教職員サイドからも必ず反対の声が上がると思います。
そういう事情の中で日本側の主張すらロクに接してもおらず基準すら持たない生徒にいきなり外国のプロパガンダに触れさせるというのはバランス感覚を疑います。

そして私が一番知りたいこととして、これは生徒達の総意として自ら発案し、自発的に書いて自発的に読み上げたのかということです。
もし入れ知恵などもなく自発的に書いたのなら高校生にしては良く出来た文章だと思います。
ただ、出来すぎているように見えるのは私の目が濁っているからなのでしょうか。

続いて報道の背景について
国旗国歌法案との関連性を示唆されてますが ある程度はあるのではないですか?
国旗の掲揚をするしないで校長が自殺する教育現場って明らかにおかしいですよ。異常を通り越して狂気的とも感じます。
(国旗や国歌に対して自らの思想・主張を繰り返す方々は公務員としての立場・教職という立場を勘違いされているのではないでしょうか?これは蛇足ですが)
国旗国歌に拒否反応を示している方々の思想背景を考えればこの旅行のこの宣言文の持つ意味も透けて見えてくると思ってます。


長文になったので一旦切ります。

投稿: | 2008年6月 8日 (日) 18時10分

私にも在日さんや中国人の知り合いもいます。
個人的には良い人達ですが集団としての韓国・中国は好きになれません。

文化の差 宗教の差 思考の差・・・いろいろ理由はありますが
急いで表面だけの友好を取り繕うよりは 本当に手を結ばないといけないとお互いが感じるまで
距離を取った方がそれぞれのためになると考えています。

ちなみに私はあなたが敵視されているネトウヨに属していると思います。
また2ch東亜板住人なので韓国・中国についての話題も一般の方よりかは接している機会は多いはずです。
(内容は偏向していますが)
嘘もしつこく言い続ければ真となる。
日本海呼称問題 各種朝鮮半島起源説など 90%以上言いがかりとも言える内容をトンデモ理論を展開して大声で叫ぶ。
自国に取って不利な事態になれば 反日言動で国民の民族主義を煽る。又は過去の問題を引きずりだして言論封殺を謀る。
あなたが検証されたように一部は正確ではない情報も混じっているでしょうが多くは新聞報道などによる生の情報です。
それに異論を唱えるとネット上で袋叩きにした上、実生活にも影響を及ぼす嫌がらせを加える。(不買・襲撃・吊るしあげ)
理性的な分析・検証・話し合いが出来ない相手と話し合おうとする愚はあなたも体験されているはずです。

古来より隣国となった国は絶えず争いを繰り返しています。
唯一手を組む時、それは共通の敵が生まれた時ぐらいではないでしょうか。
ただここまでグローバル化が進んだ現代では宇宙人ぐらいしか期待できそうにもありませんが。

投稿: | 2008年6月 8日 (日) 19時45分

長いコメントありがとうございます。私もまとめて返事をしたいところですが、何から書いていいのやら分からなくなって、悩んでおります。まずは一回目の御返事を。

私の印象の中にあるネットウヨとは、あなたが言われた、「異論を唱えるとネット上で袋叩きにした上、実生活にも影響を及ぼす嫌がらせを加える」
「理性的な分析・検証・話し合いが出来ない相手」だったので(日本にもそんなやつらいますよね。お互い様です。両国のそういうやつらが友好の邪魔をする。)、あなたはその部類には入っていません。

しかしあなたも、隣国である韓国・中国との価値観や発想の仕方、歴史認識等の違いから、真の友好は無理だと結論づける道筋は同じですね。かつての世界は、それが無理だから支配と被支配の関係になるしかなかったのだろうと思います。今あなたが距離を置くしかないと言われているのも「無理だから」でしょうね。

私は歴史認識や文化・宗教・思考の差を認識した上で、それを乗り越えて結び合う努力をしなければならない、という前提に立っています。だからそれを阻害するニセ情報は我慢がならないのです。そもそもの発想が始めから違うので、歴史認識の議論をしてもかみ合うわけがないのです。
たとえば韓国に「恨」という考え方があります。他国に侵略され支配されたことを忘れずエネルギーにしていくということ(ちょっと怪しいですが)らしいですが、これを聞いて「そんな奴らとつきあっていけるか」と考えるのと「そういう隣人とどうやってつきあっていくか」と考える違いです。

私は、世羅高校の教員達がおそらく信奉していたであろう戦後民主主義が唱えたように、戦前戦中の日本が行ってきたことがすべて悪であったとは思っていません。その時その時の様々な事情や動機があったに違いない。しかし、すべてが正しかったとも思えません。半島の人を下に見る風潮が今でも残っているのがその証拠です。また、日本が見習ったその時代の欧米列強の行った行為は「現代の価値基準に照らせば」間違いが多いと思うし、当時の日本の行為も「現代の価値基準に照らして」批判されれば、それは甘んじて受けなければならないとも思います。ただ、それをするのは少なくとも欧米ではありません。お前らに言われたくない!

一番嫌いなのが「日本が半島の近代化をすすめた」という論です。少女を十数年間拉致監禁した犯人が「俺が育てたんだ。感謝してもらってもいい」と法廷で言ったという話を聞いたことがありますが、それと同じ次元に聞こえて大嫌いです。どんな事情があれ日本の都合でやったことですから胸を張っていうことではない。論の建て方が日本の美意識からはずれていると思います。もっともそれを甘んじて受けていた朝鮮・韓国民も大いにいたという事実は知ってますけど、それは免罪符にはならない。

すべてを未来を指向する者は、あらゆる困難を認識した上でそれを乗り越えるすべを考えるべきです。私はそういう立場です。

投稿: yossy | 2008年6月10日 (火) 00時31分

2回目のお返事をお待ちしておりましたが別件でお忙しいようなので勝手にお返事させていただきます。

私は貴方と別のアプローチで解決方法を模索しているだけで「真の友好は無理」と結論付けているわけではありません。

私と貴方の違いを「恨」文化を例に挙げられておられましたが そういう隣人とうまく付き合うには「お互いに」相手のことを気遣う事が大事なのではないでしょうか。
一方の言い分を丸飲みすることが友好とは思えません。
その「恨」文化を否定はしませんが 外交交渉や学術研究にまで持ち出されると感情論となり話がまとまりません。
事実を見つめた上で「お互いに言うべきは言う。お互いに正すべきは正す。」これも未来志向な考え方のはずです。

しかし悲しいかな大部分の韓国人は歴史認識や文化・宗教・思考の差を認識した上で、
それを乗り越えて結び合う努力をしなければならない、という前提に立っていません。
自国の歴史が正当でそれ以外はすべて妄言。として扱われます。民族的感情が先走って物語を優先させるきらいがあります。
異論を出せば軍国主義が云々と見当外れの世論が噴出します。
まずは現実を直視し、物証や史料から論理的な議論を行うように粘り強く働きかける。
そこの発想を同じにしないと話は噛み合うはずありません。
友好はそれからでもいい。と考えてます。

そして過去の行為を現在の価値基準で測れとおっしゃりますが私はそうは思いません。
戦争が正しい行為とも思いませんが 少なくとも当事者でもない今の世代が謝罪しろと怒り狂うのは理解できないです。
なぜ60年前の出来事に対して未だに批判され続けなければいけないのか。その理由を逆に問いたいです。

散発的に内容を書き足しましたので読みにくい文章となりすいません。

投稿: | 2008年6月21日 (土) 10時44分

2回目に何を書けばいいか迷っている間にコメントを頂戴し、ありがとうございます。
お返事の形ですみません。

>私と貴方の違いを「恨」文化を例に挙げられておられましたが そういう隣人とうまく付き合うには「お互いに」相手のことを気遣う事が大事なのではないでしょうか。

まさにその通り。全面的に合意です。

>しかし悲しいかな大部分の韓国人は歴史認識や文化・宗教・思考の差を認識した上で、
それを乗り越えて結び合う努力をしなければならない、という前提に立っていません。
自国の歴史が正当でそれ以外はすべて妄言。として扱われます。民族的感情が先走って物語を優先させるきらいがあります。

韓国にそういう人々がおられることはその通りでしょうが大部分なのかどうかは疑問です。私が少ない韓国の体験で感じたものはそうではありませんでした。しかし、日本にもそういう方々がおられることも忘れてはいけません。両国のそういう人々がお互いの友好を阻害しているというのが現状ではないでしょうか。
韓国にも「未来志向」的な発想の方もおられます。そういう方々と結び合っていくことが友好の第一歩だと考えます。

>そして過去の行為を現在の価値基準で測れとおっしゃりますが私はそうは思いません。

おっしゃるように、現代の価値基準で過去の行為をすべて評価することは歴史を扱う姿勢として正しいとは思いません。しかし、本来「未来志向」とはまさに世羅高校の宣言文にあったように、「異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる」現代の発想で、過去の「偏狭な価値観」を乗り越えることではないのかと、私は考えます。それは歴史認識とは別の問題です。

>戦争が正しい行為とも思いませんが 少なくとも当事者でもない今の世代が謝罪しろと怒り狂うのは理解できないです。

基本的に同意します。と同時に、この問題を本来解決しておくべきはずであった前世代に「あなた達は今まで何をしていたのか」と問いたいと思います。また、韓国にそういう人々がいれば、あなたの言うようにその人も問題だと思います。「世代」に注目すればそういう話になると思います。

その上で、外交などは韓国と日本いう国家単位で見る必要が当然あります。そのときには、日本の前世代が行ったことも国家の継続性の中で無関係とすることはできないのです。そうしたときは、日本が過去に行ったことを「当時はしかたがなかった」と開き直るのは誠実ではありません。若かった時かけた迷惑を、成熟した年齢になってから「あのときはすまなかった」と言える人は魅力的です。信用できます。例えば中学時代のいじめを「若いときのことじゃないか」とか「あのときは自分もしなかったらやられてたんだ。しかたがなかったんだ」とか「パシリにしたけどおごってもやっただろ」などと言う人は不誠実です。つきあいたくありません。今「日本」が取るべき姿勢は「大人」の対応ではないでしょうか。謝罪することが恥ずかしい事のように考えて感情的になる人も逆に声高に「謝罪せよ」と叫んでいる人もいますが、小さな子どもみたいで狭量です。日本政府が「過去の日本の行為が多大な心痛をかけた」などと表現し韓国政府が「未来を見つめて関係を築いていきましょう」と答えることは、互いの潤滑油になるという意味で、両国の関係に必要な手続きかなと私は思います。

なんだか、いろいろなレベルの話がごっちゃに話されているので整理するのが難しいのがこの問題ですね。理解して話をするのに時間が必要です。

投稿: yossy | 2008年6月22日 (日) 12時10分

粘着と見られそうなのでこれで最後にしておきます。
貴方がおっしゃられたいことはわかりますが現状では理想論に近いと思います。
>韓国にそういう人々がおられることはその通りでしょうが大部分なのかどうかは疑問です
データなしで大部分と申し上げたのはいささか早計でした。もちろん日本ともっと話し合い、あらゆる面で協調路線を模索する人たちもおられるでしょう。
しかしあなたの許容される「恨」文化のおかげかどうかは知りませんが韓国では今も確実に「日帝」が生き続けています。
・9条改正と日本が言えばどんな内容であれ「軍国化」というレッテル張りをする。(これは国内反戦団体含む)
・反民族特別法案が戦後50年以上たってから可決される。(50年以上前の行為を事後法案で断罪する国を挙げた魔女狩り)
・韓国の歴史観に異論を出すと(特に近世)社会的に抹殺される(時には命の危険すらある)またそういう行為に大手マスコミも加担する。
他にもいろいろとありますが上記のような状況下で韓国人に日本側の主張を訴えたとしてもどれだけ韓国国内で認知・容認されるのでしょうか?
またそういった現状をどれだけの日本人が知っているのでしょうか?
誰かが知れば知るほど嫌いになる国と評していましたがまさしくそういう気分です。
(ソースがそういう面だけを取り上げているという点は否めませんが、「異なるものに~」と容認できるレベルにはありません。)

私はこれらの事柄がすんなりと韓国国民に受け入れられてしまう原因は国家主導の反日教育にあると考えています。
まぁ当然と言えば当然でしょうね、「憎め」「恨め」と小学生のころから教えられてるんですから。
しかもその対象は旧日本帝国軍ではなく現在をも含める「日本」です。
最近でこそ公開されましたが つい数年前までは日本政府の謝罪及び国家賠償の事実も公開されていませんでした。
そうして隠された事実によって醸造された対日世論は政権維持や対日交渉のカードとして頻繁に利用されました。
つまりは60年前の戦争が未だに韓国の都合だけで政治利用されているわけです。

上記のようなやり方は単純に腹が立ちますし 戦後の活動を無視した日本に対する悪いイメージ作りにはうんざりします。
はたして私は偏狭な価値観を持っているのでしょうか?向こうは向こうの考え方があると笑い飛ばしてればいいのですか?

なぜ未だに日本に対して敵愾心を抱かせる教育を国策として行うのか?
韓国程日本のことを詳細に研究している国はないと思いますし、政治体制も同じ民主主義国家である。
話し合いで力を合わせて協力体制を築ける基礎はあるのに、そこに柱を立て信頼という屋根を築く努力をしていない。
現状では一方的に日本が気遣っているという構図になっている。そしてそれを韓国側は当たり前だと思っている。と私は感じているわけです。
これは「お互い」に相手のことを考えていると言えるのでしょうか?

私は上記の問題(敵愾心を植え付ける反日教育)に納得できる回答を得られない限りは韓国側の主張に同調する気にもなれませんし
「日本が悪い。」で片付けようとする日韓における友好活動を手放しに歓迎できません。むしろ害悪であると考えます。
だから私は韓国政府が反日政策・反日教育を見直し 「お互い」が未来を見据えて話ができる環境が出来上がるまで
安易に友好友好とすり寄らず根気強く働きかけることが問題を根本解決する一番の道だと主張しているのです。
なぜネトウヨが憤慨しているのか その理由が少しでも理解していただければ幸いです。

貴方に申し上げても何の解決にもならないので 期待されてもいない内容をコメントするのは躊躇われましたが
途中まで書き上げたのでそのまま送信してしまいます。

投稿: | 2008年6月27日 (金) 14時44分

あなたの考え方は、丁寧なご説明でよく理解できます。また、感じておられる韓国側に存在する壁も理解できます。日本人の中に友好的な意見があるということや、もう旧日帝時代は時代遅れだといい事実を伝えないというのも事実のようですね。中国にも同じ状況があることを田原総一郎氏が言っていました。韓国の中に日本を悪者にしておくほうが政治的・経済的に有利な勢力もあるのかもしれません。
しかし、それを乗り越えて友好を結ぼうとすることこそが重要です。相手の悪口ばかりを一生懸命書きあげればそういう勢力に利用されるだけです。それこそ友好の阻害要因ではないですか。ましてや日本の側にもウソを振りまくやつらがいるわけでしょう。私が主張しているように。そいつらが一番のバカです。もっともそいつらは友好なんて考えてもいないでしょうけどね。

>だから私は韓国政府が反日政策・反日教育を見直し 「お互い」が未来を見据えて話ができる環境が出来上がるまで安易に友好友好とすり寄らず根気強く働きかけることが問題を根本解決する一番の道だと主張しているのです。

「根気強く」どのような方針で「働きかける」のかが重要です。そこのところをネットウヨの方々は語らない。(もっとも日本の都合ばかりを語っても聞く耳持たれないことは当然です。)だから韓国の悪口ばかりに聞こえるのです。

韓国側ウソも日本側のウソも許さない!
共にそういう姿勢で話し合い歩み合いたいものです。

投稿: yossy | 2008年6月28日 (土) 17時01分

( ´H`)y-~~古い記事に対するコメントになるので迷いましたが…

そもそも韓国に「土下座」などという習慣があるのでしょうか?

以前から思っていたことですが、あれは韓国では祭祀(先祖など死者をまつる儀礼)の際に行われる礼、「クンジョル(큰절)」では無いかと思うのですが、この件について触れられたことはありますでしょうか?

http://allabout.co.jp/study/korean/closeup/CU20060829A/index2.htm

韓国映画などを見ても、祭祀の際には一般的に行われ、土下座のように見えますが、まったく性質が異なるものです。(日本で言えば仏前に手を合わせるような物かと)

投稿: kimuraお兄さん | 2009年4月27日 (月) 16時41分

kimuraお兄さん コメントありがとうございます。
私もそのことについては考えたことがあります。統一教会の信者の女性が結婚相手の親の前で集団で「土下座」している写真などが屈辱的だと言わんばかりに出回っていますが、それが韓国の挨拶の習慣なのだから何が屈辱的なのか、さっぱり分かりません。
しかし、日本統治時代があったことを考えると、日本風の土下座の習慣が移入された可能性も捨てきれず、よく分からないことを断定的に言うことはよくない、と思い、この稿でこのことに触れるのはやめておいたのです。

投稿: yossy | 2009年4月28日 (火) 18時24分

( ´H`)y-~~状況が基本的に既に亡くなられた人に対するものであったりすることが多いので、そちらの蓋然性も高いので、短絡的に「土下座」とするよりは文化的相違について触れた方が良いかとも思います。

ちなみに翻訳掲示板で、その点に触れて弁明した韓国人のコメントを見たことがあります。

あと、修学旅行の際に行われたことがあったのだとしたら、教育目的でもありますし、そういう文化についての説明があったかどうかも問題となりますね。

投稿: kimuraお兄さん | 2009年4月28日 (火) 19時19分

もとの「韓国修学旅行で土下座って本当?」の記事は、高校生が韓国に修学旅行に行った時に過去の日本の植民地支配の際に従軍慰安婦として徴用された女性達に対して謝罪し土下座させられることがある、ということが、ネット上で常識として横行していることに対し、それはウソではないのか。そうした事実はないのではないか、ということを述べたものです。私は教師としてそんなことはあり得ないし、なかった、と言っています。私はマスコミとクチコミについて興味があるものですから、このようなネット上のウソを見過ごすことができなかったのです。
確かに韓国における「土下座」あるいはクンジョルの文化的背景について調べて述べるのも面白いかなと思ったことはあるのですが、私は土下座させられたという事実自体がなかったと考えるに至りましたので、そこに論及する必要もなくなってしまったのです。その後、深く探求することもなく現在にいたっています。
隣国韓国は日本にとって大切な国です。このことも含めて、今後よく知っていきたいと思います。また教えて下さい。

投稿: yossy | 2009年4月29日 (水) 22時10分

( ´H`)y-~~何故かトラックバック出来なかったみたいですが、拙ブログに書いた記事です。

http://kimura-nobuo.cocolog-nifty.com/laboratory/2009/04/hy--9cf2.html

投稿: kimuraお兄さん | 2009年4月30日 (木) 12時36分

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( ´H`)y-~~さて、本題に入る前に軽い小ネタを。 (´・ω・`)y-~~… [続きを読む]

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