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「僕の人生は走ること」
大学時代、エースとして箱根駅伝で4年連続区間賞を達成。柏原竜二の名前は日本中に刻まれた。富士通に入社し、周りが求める「柏原の走り」の重圧の中でも、彼は「中学で走り始めた頃から走ることの楽しさは変わらないし、自分が積み上げていくことのワクワク感は増してきている」と、しっかりと前を見据えている。走り続ける柏原選手に「走ること」の醍醐味を聞いた。
柳橋閑=文 text by Kan Yanagibashi 鈴木七絵=写真 photograph by Nanae Suzuki
女子マラソン選手 谷川真理
「あいつに勝ちたい」。走り出した頃の記憶。
  自分は足が速いと自覚したのは、小学生時代でした。6年間、持久走だけはいちども負けなかったんですよ。といっても全校生徒100人ぐらいの小さな学校だったんですけどね。

  うちは6人兄弟で、兄貴が4人いるんですけど、当時はその影響でソフトボールもやってました。でも、エラーして怒られてばかり。僕は兄弟で一番どんくさかった。だから、中学に上がって陸上部に入ったのも、野球もサッカーもうまくないし、泳げないし、ほかのスポーツができなかったからという消去法に近かった。

  中学の陸上部では、僕より速い同級生がひとりいて、彼は県大会で入賞するレベルだったんです。1500m走だと、僕が自己ベスト5分30秒ぐらいのときに、向こうは4分45秒で走っていた。だから、「あいつに勝ちたい」「少しでも追いつきたい」って、その一心でがんばってました。彼がいなかったら、僕はここまでになっていないと思う。明確な目標が身近にいてくれたのは幸運だったと思います。

  ただ、当時はプロになろうなんて考えたことはないです。プロになるというのは本当に一握りの人で、僕にとってはテレビの中の存在だったから。子どもの頃の憧れの存在は高橋尚子さん。シドニーで金メダルを獲ったときテレビを見ていて、「僕もサングラスを投げてみたい!」と思いました(笑)。
柏原竜二(かしわばら りゅうじ)
1989年福島県生まれ。いわき総合高校を経て、東洋大学へ。大学時代はエースとしてチームを牽引。箱根駅伝では往路5区で4年連続区間賞を獲得した。今春から富士通へ。174cm、55kg。
人生を変えたレース。箱根で注目された代償と達成感。
  高校3年のとき、ふたつの大会をきっかけに僕の人生は変わりました。ひとつは国体の県予選。5000m走で14分30秒を出したことで、東洋大に拾われた。もうひとつは都道府県対抗駅伝。あそこで区間賞を獲ってなかったら、その後の競技人生はまったく違ったものになっていたと思う。その2つのレースは走っている間の心理も含めて、すべてが明確に頭の中に残ってますね。

  大学時代は、走れなくなったらここにはいられないんだという危機感を持ってました。1、2年の頃はどん欲だったなと思います。

  でも、箱根で注目されて、3年のときは走るのがいやになってしまった時期がありました。まわりからはスランプといわれましたけど、ストレスだったんでしょうね。人からの視線が苦しかった。試合で注目されるのはうれしいんですけど、日常生活でも、誰と一緒に歩いてたとか、何を食べていたとかネットに書き込まれたり、ずっと監視されてるみたいで……。望んでもいないスポットライトの中に無理矢理ほうりこまれてしまった感じでした。

  長いスランプみたいなものはそのときだけですけど、高校でも大学でも「なんで走ってるんだろうなあ」って考えることは、しょっちゅうありました。でも、走っていると、やっぱりほかでは味わえない達成感がある。合宿で30kmとか、1000m10本とか、150m100本とか、途方もない数字をクリアしたときはとくに。

  振り返ってみれば、ずっと興味を持ち続けられたものは陸上以外になかったし、僕にとっては他の何とも替えがきかないものなんだと思います。
実業団ランナーとしての解放感。日本選手権で見えてきたもの。
  今年から富士通に入って、毎日の練習が楽しいです。自分がこうやりたいと言ったら、そうできるし、多少脱線しても不正解とされない。大学時代はチーム中心でしたけど、実業団ではすべてが自分次第。責任は自分で負うわけですけど、自由になれたという感覚が強いですね。

もちろん、ロンドン五輪は狙っていたし、選考レースだった日本選手権の1万mでは、負けて悔しかった部分はあります。でも、じつは久々に自分らしいレースができたなっていう気持ちのほうが強いんですよ。

  5000mでいったん前に出て、仕掛けることができた。まだ中途半端ですけど、それでもああいうことができたというのは自分の中で大きかった。うまく言えないんですけど、なんかこう「つながったな」という感じがあるんです。自分が試合でやりたいことが見えたなって。

  結果的にオリンピックには行けなかったけれど、分かってくれている人からは「久々におまえらしいレースをしたな」と言われたし、福嶋監督も「おまえはああでなきゃだめだ」と認めてくれました。
マラソンには転向しない!? メダルに必要なスピードとは。
  マラソン挑戦についてはよく聞かれるんですけど、いまのところ、マラソンに転向することは考えてないです! 誰に何を言われようが、それははっきり言えます。

  僕が走るときに求められるのは結果。大学時代、酒井監督からは「お前がやるときは、試しのレースとかじゃなくて、最初から代表を決めに行くレースをしないといけない。まわりもそれを望むし、お前の価値観もそうだろう」と言われました。だから、僕は「勝てる」という確信が持てるまで、軽々しく「挑戦します」とは言えない。

  マラソンはいま2時間5分台じゃないとメダルは見えてこないですよね。そのためには「1km3分で押す」じゃ遅い。1km2分55~58秒が必要。だから、今のところ、1万mで限りなく27分台に近づくこと。そして、そのスピードを維持したままハーフを60~61分台で走れるようになること。さらに、30kmでも1km2分55秒で押せるようになったとしたら、可能性が見えてきます。その段階になったら、挑戦しますという言い方に変わるかもしれない。でも、変わらないかもしれない(笑)。
昨日の自分を超えるワクワク感。4年後は誰にも分からない。
  メインの種目は1万mとハーフでという気持ちはあります。でも、スピードを上げるために5000mもやりたい。とりあえず全部やってみたいんです。まわりから柏原が得意なのはこの距離と決めつけられて、自分でも変な殻を作ってしまっていたんですけど、それを破りたい。

  いま富士通には日本選手権1500mで優勝した田中佳祐さんがいます。チャンピオンと一緒に練習できるのは超楽しいですよ。「目の前にいる人って日本一なんだよな。それに勝っちゃったら……?」とかバカなことも考えながらやってます(笑)。だから、いまはすごく前向きで、走ることが楽しいんです。

  ランニングブームで、知り合いで走り始めた人も増えてるし、少しでも意識の共有ができる環境になったっていうのも、やっぱりうれしいですね。でも、長く続けるんだったら、無理せず気持ちよく走るのがいいと思いますよ。それで、ちょっとずつ距離を伸ばして、「こないだよりはちょっと長く走れてるぞ」ってワクワクする感じ。レベルアップが目に見えて分かるのが、ランニングのいいところだと思う。

  僕にもそのワクワク感がいまあらためて来てるんですよ。大学時代にはできなかったポイント練習が突然できたりして、あれ!? やっぱり成長してるんだなって。

  4年後のリオではもちろん代表になっていたいけど、いまはそうやって少しずつ積み上げていきたいと思うんです。4年後だったら……もしかしたらマラソンをやってるかもしれない。あと3年でどうなるか分からないですよ。でも、分からないからこそ、僕は走り続けてるんだと思います。