専門家は「1979年に韓国がミサイル指針に初めて合意したときや、2001年の改正時には、ミサイルおよび民間ロケット開発に対する米国側の技術支援を期待したが、結果的には韓国側の予想を大きく下回る水準のものだった」と話す。01年の新ミサイル指針には、弾道・巡航ミサイル、無人航空機などは「ミサイル指針に準じる適切な水準」で米国側が技術支援し、民間ロケットは米国側が技術支援を考慮するという内容が含まれている。
しかし、01年ミサイル指針改正後、「玄武-1」(射程距離180キロ・メートル)の射程距離を300キロメートルに延長した「玄武-2」については「米国の支援を受けず、独自開発されたもの」と武器開発関係者は話す。弾道ミサイルの射程距離はミサイル指針に基づいて制限されており、「代打戦略兵器」として集中開発された射程距離500-1500キロメートルの「玄武-3」巡航ミサイルは米国ではなくロシアなどの支援を受けて開発された。「羅老号」などの民間ロケットの場合も、米国よりロシアなどと協力が行われているのが実情だ。
初の国産弾道ミサイルで、ナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイルを改造し、1978年に試験発射に成功した「白熊」(射程距離180キロメートル)は米国の支援が一部あったが、慣性航法装置(INS)などの主要装備については米国は支援せず、当時の政府が秘密裏に英国製のものなどを入手せざるを得なかったとのことだ。