ずいぶん前になりますが、ある作家が自分の子どもに中学受験をさせたときの体験を本に表したところ、評判を呼んだことがあります。
その作家のお子さんは男の子でした。男の子は女の子よりも精神的に幼いことが多く、国語の読解力で苦労することになりがちです。
その作家の息子さんも、国語が大の苦手でした。「わが次男は、精神年齢がきわめて低く、いまだに『おなか、すいた』『これ、ほしい』『あれ、何』といった、文章にもならない断片的な会話しかできない(当時小4)」と嘆くほどで、語彙が貧しいために勉強が空回りするタイプの少年だったようです。
たとえば算数の文章題で、「ほうれんそう2束」の「たば」の意味がわからないために誤答し、親を嘆かせたそうです。また国語の読解ではこんな珍答もあったそうです。「ハヤブサは、するどいはやつめでえのものにおそいかかります」という部分から、「はやぶさのぶきは何ですか。二つ答えなさい」という問いが出たのに対し、お子さんは「『はやつめ』というのはわかったけど、もう一つの答えがわからない」と言ったそうです。この作家のお子さんは、これ以後家庭で「はやつめ少年」と呼ばれるようになったそうです。親にしてみれば、笑ってばかりはいられなかったことでしょう。
「何とか対策を考えねばならない」と、その作家が一計を案じたのは言うまでもありません。はじめ、その作家は「読解力をつけるには、語彙を増やせばよいのではないか」と考え、難しい漢字の問題集を買って息子さんに取り組ませたそうです。その問題集に載っていた漢字は次のようなものでした。
会釈 行脚 荘厳 木綿 流布 支度 遊説 行方 成就 浴衣 由緒
形相 建立 雑魚 功徳 風情 発作 体裁 出納 土産 解熱 禁物
重宝 相殺 回向 七夕 素性 修行 遺言 律儀 請負 強情 権化
漢字としてはさほど難しくありません。しかし、いざ読めと言われると大人でも読めない漢字がたくさんあります。
それは当然かも知れません。これらの熟語のなかには、いわゆる「熟字訓」と呼ばれるものがかなり含まれています。熟字訓の読みは特殊であり、理屈では覚えられないので暗記するしかありません。
そこで息子さんに片端から覚えさせたのですが、いくら覚えても読解力はつきませんでした。これも当然といえば当然で、これらの言葉はごくまれにしか素材文に出てこないからです。
やがてその作家は、一つの結論に達しました。それは「子どもに難しい語彙を覚えさせる必要はない。中学受験の文章を読むために必要なのは、大人が日常で何気なく遣っているごく普通の言葉の意味と用法を身につけることなのだ」といったようなことでした。その作家が例としてあげていた言葉をご紹介してみましょう。確かに、様々な文章でよく見かける言葉ですね。
営む 費やす 省みる 和らぐ 和やか 険しい 冷ます 苦い 潔く
刻む 操る 厳しい 厳か 映える 映る 競う 集う 著す
著しい 謝る 誤り 過ち 背く 優しい 優れた 遣う 損なう
治める 治る 断つ 断る 仰せ 仰ぐ 調える 調べ 凍る
凍える 反らす 速やか 速い 割く 交わす 唱える 半ば 経る
いかがでしょう。確かに、難しくはありません。それでいて、小学生には理解し辛い言葉です。「こうした日常語をマスターし、文中に出てきたときにすらすら読めるようになっておくことが長文読解の鍵なのだ」と、その作家は気づいたそうです。
また、「抽象語の理解も重要で、『調和』とか『民主主義』などの、目で見えるようにイメージできない言葉の意味を把握することは、子どもにとって大きな負担なのだ。しかし、入試の長文では、そういった抽象語がキーワードになることが多い」といったようなことも述べていました。
確かにその通りです。こうした言葉を、おかあさんが日常の会話でさりげなく用いていたならどうでしょう。自然と子どもは身につけ、自分の語彙にすることができるのではないでしょうか。
今回ご紹介した話は、6月22日の弊社イベントにコラボ出演してくださった玉井満代先生のお話に通じるものだと思います。日常生活でのおかあさんとお子さんの会話が、とても重要性をもっていることに、改めて気づかされます。
また、お子さんの読書を少しでも早く軌道に乗せ、活字を通して新しい語彙を獲得する流れも築いておくことも重要だと思います。ただ、これも無理やりやらせる読書では語彙の増加や思考力の向上にはつながりません。親子一緒に本を読み、読書の世界の楽しさにふれる体験を充実させながら、辛抱強くお子さんが本を読むことを自ら欲するような流れを築いてあげてください。