以前にも書いたが父の祖父【中村家】12代の中村為一郎は明治22年に31歳の若さで元狭山村の初代村長の任に就いている。その後入間郡の郡会議員を四期務め、四期目は郡会議長として実質上の入間郡のトップに君臨した(中央政権下の群長は官選であり、中央から派遣された役人がその任に当たった)
入間郡ウィキペディアより
川越市、所沢市、飯能市、狭山市、入間市、富士見市、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市、ふじみ野市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%96%93%E9%83%A1
父は亡くなる前に入間市議を目指していた。温和ではあったが政治色が強く、亡くなるまで「民間行政」ともいえるほどの行動力を示していた。まさに、【中村家】の血統そのものである。
その父は、私に「世界を股に掛ける人間になれ」と常に指導した。私を連れ回し、色々な人たちに会わせてくれた記憶がある。
その父は、私が「せこい」「けちくさい」ことをすると、「ノミノキンタマの8分の1のようなことをするな」と激しく叱った。2歳であった父の父が42歳で亡くなっているので、父親からは【中村家】が何であるか聞いていないが、以前に公開した【中村家】に伝わる褒章状やトロフィーなどから【中村家】の人間は大きな人間にならなくてはならないと自覚したのであろう。
さて、こんなニュースが飛び込んできた。
<引用開始>
沖縄・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題に絡み、中国国防大学戦略研究所所長の金一南少将が「沖縄は中国の属国だった」との“暴論”を展開していたことが13日までに明らかになった。現役軍高官の発言だけに、波紋を呼びそうだ。
<中略>
金氏は、日本が1879年以降、「琉球」を強制的に占領し、住民に琉球王室や当時使われていた清国の年号や銅銭を忘れさせるために「沖縄」と改名したと主張。日本の占領を認めるに足る国際条約はないなどと持論を展開した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120714-00000094-san-int
まさに、「はぁー?」としか言いようがない。
幕末に活躍したアメリカ帰りのジョン万次郎の公式ホームページを見て欲しい。
1851年嘉永4年24歳
薩摩藩領の琉球に上陸。
那覇→翁長→島津藩鹿児島→長崎奉行所(白州での尋問は18回に及んだ)
http://www.johnmung.info/john_nenpyou.htm
当時クジラの油を取るためにアメリカ船は基地として琉球に立ち寄っていたのである。(ペリー艦隊も浦賀来航前数回琉球に立ち寄っている。アメリカは何としても沖縄を手に入れたかった。第二次世界大戦の本質も、現在の沖縄問題の本質もここにあると筆者は見ている)
ジョン万次郎とアメリカは今でもつながっており、天皇皇后両陛下も皇太子、皇太子妃時代にジョン万次郎がアメリカ人により助けられた地を訪れている。
つまり、アメリカはこの時代の琉球の「属性」を極めて正しく認識しているのである。
筆者はできることなら「tsunami」「sushi」のように「ノミのキンタマの8分の1」を最も長い、日本語による世界共通語にしたい。
そして、中国軍の金一南少将をどなりつけたい。「ノミのキンタマの8分の1のようなことをするな!」と
「ノミノキンタマの8分の1」とは、かなり強烈なコピーである。いじめ防止に役立たないか、読売新聞の門間順平のようなひきょう者を悔い改めさせる記号として使えないか、世の中に問うていきたい。