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五十嵐 新チャンプ!最終回の連打で際どい判定制した

WBC世界フライ級タイトルマッチ12回戦  同級1位・五十嵐俊幸 判定2―1 王者ソニーボーイ・ハロ (7月16日  埼玉・ウイングハット春日部)

王者ハロ(左)にパンチを出し続ける五十嵐
最終12回、左目の上を切り激しい出血の中、王者ハロ(左)にパンチを出し続ける五十嵐
Photo By スポニチ

 プロボクシングのダブル世界戦が16日、埼玉・ウイングハット春日部で行われ、WBC世界フライ級タイトルマッチは、同級1位の五十嵐俊幸(28=帝拳)が王者ソニーボーイ・ハロ(30=フィリピン)を2―1の判定で下し、世界初挑戦で王座奪取に成功した。名門・帝拳ジム8人目の世界王者となった五十嵐は、同ジム初の世界王者・故大場政夫氏以来のフライ級での王座獲得。「永遠のチャンプ」に後押しされた勝利だった。WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志(32=ワタナベ)は、3回負傷引き分けで5度目の防衛に成功した。

 最終回の五十嵐の頭に浮かんでいたのは、大場さんの姿だった。

 「大場さんみたいに頑張るんだと思って、やっていました」

 通算20度以上の防衛を誇る「絶対王者」ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)を6回KOで下した王者ハロの強打は「今までで一番、強かった。何回も効いて、ヤバイと思った」ほどだった。5回には右フックを浴び、ぐらついた。11回には左目の上を切り、流血した。それでも、気力でパンチを出し続けた。

 相手が疲れでスリップダウンする連打で、最終回のポイントを奪う。この回の採点が逆なら、三者三様の引き分けで王者のドロー防衛という際どい判定を制し、五十嵐は「技術でも体力でもない。精神力で勝ったと思う」と勝因を話した。

 諦めないで戦えた裏には、2つの支えがあった。野球もバスケットボールも「全然ダメだった」秋田・西目高時代、友人の誘いでボクシング部に入り、生まれて初めて見たボクシングのビデオが、大場さんのラストファイトだった。

 73年1月2日のチャチャイ・チオノイ(タイ)との5度目の防衛戦。初回にダウンして右足首を捻挫した。足を引きずりながら気力で戦い、12回(当時15回制)に逆転KOで勝った。この試合を前に何度もそのビデオを見返し、最終回は「あのシーンを思い出しながら」戦った。

 控室には「闘神 五十嵐」と書かれたB4判サイズほどのお守り袋があった。中身は、帝拳の長野ハル・マネジャーから託された大場さんが現役時代に使った毛糸製の減量着。6月24日には、会場の春日部市に近い宮代町にある大場さんのお墓にも出向いた。

 もう一つの支えが、アマチュア時代の屈辱だった。拓大4年で04年アテネ五輪に出場したが、最終回に5点差を逆転されて初戦負けした。さらに地元の体育協会に就職が決まっていたが、卒業直前にキャンセルされた。

 就職活動の暇はなく、仕方なくプロに進んだ。しかし、運命の分岐点は、大場さんがいた帝拳ジム、そして世界王者へつながっていた。家族、後援会、関係者…。「支えてくれた人に応えることができてホッとしたのが正直な気持ち」。そう感謝した最終回の五十嵐は、「がむしゃらに」前に出る気持ちの支えを持っていた。

 ≪世界王者のまま23歳事故死≫大場 政夫(おおば・まさお)1949年(昭24)10月21日、東京都生まれ。70年10月にチャルバンチャイ(タイ)を下してWBA世界フライ級王座を獲得し、名門・帝拳ジム初の世界王者となった。チオノイ(タイ)に逆転KO勝ちして5度目の防衛を果たした23日後の73年1月25日、愛車のシボレー・コルベットを運転中に首都高で事故に遭い世界王者のまま23歳で死去。「永遠のチャンプ」と言われる。

 ◆五十嵐 俊幸(いがらし・としゆき)1984年(昭59)1月17日、秋田県由利本荘市生まれの28歳。秋田・西目高でボクシングを始め、3年のインターハイと国体で優勝。東農大に進学して3、4年で全日本選手権制覇。04年アテネ五輪出場。アマチュア通算77勝(16KO・RSC)11敗。08年に日本フライ級暫定王座を奪取。正規王者の清水智信との統一戦には敗れたが、昨年2月に再び日本王座を獲得。1メートル66・3、左ボクサーファイター。

[ 2012年7月17日 06:00 ]

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