ちょっと難しい問題を書いてみます。私、家でテレビを見ていて、大津市の「いじめ自殺」問題って、ほとんど犯罪ではないかと思えてきます。事実がどうであったか、すべてを知る由もないですが、これは、「いじめ」で済ませるわけにはいかないでしょう。
まずは、いじめたいた生徒が問題ではないですか。加害者の加害者意識は、どの程度か、まずはそこでしょう。いじめた生徒本人、その親。犯罪行為として、受け止めているのかどうか。
次に学校と教育委員会。TVで教育委員会の会見とか見ていましたが、この期に及んで、「いじめと自殺の因果関係はない」と言っているのです。哀れですね。怒りより、なんだか悲しくなりました。教育者として失格だと思います。いや、人間として失格でしょう。
学校側も普段何をしていたのか。
見て見ぬ振りをするのも、時として大事なのですが、見極めが必要です。事なかれ主義なのか、認識がないのか。はっきり言って、職務怠慢です。その怠慢が何を招いたのか。このような痛ましい事件は起こらない方が良いのです。
多分、教育委員がしっかりしている地域は、その意思が、末端の先生にまで伝わるはずです。きっと、そういう自治体の方が多いと信じたいです。
しかし、大津市のような教育委員会がいますと、想像するに、既得権益にのっているだけで、大した仕事もせず、大津市の教育者のヘッドとしての責任の自覚などなく、肩書きだけで、エラそうに過ごしてきたのではないかと思ってしまいます。
教育委員会がしっかり現場の先生方と話をして、問題点を解決し、指導するようなそういう志の高い方であればこんなことは未然に防げたかもしれないと思いますね。
もっと言えば、そういう空気は、生徒にも伝わります。ヘッドがしっかりしている組織は、少なくとも、志を持っている組織は、こんなひどい事件は起こりにくいでしょう。それだけ、責任者がダメなのです。犯罪を助長させているようなものです。
中学生ですと、心の幼さが残っていますから、幼い子が平気で虫(ありなど)を殺して喜ぶように、他人をいじめたり、困らせたりして喜ぶことがあります(大人になってもこういう人はいますが…)。
そういう成長過程の心を正しい方向に導くのも、その場の空気というのは、非常に重要です。日本人は、小さい頃から空気を読むという訓練を無意識のうちされていますからね。担任の先生がしっかりしているクラスとそうでないクラスですと、授業中のおしゃべりとか全然違いますよね。同じことです。
悪いことは悪いといえるような会社が伸びるのと一緒だと思います。繰り返しになりますが、日本人として、大津市の事件は、非常に残念です。まずは、加害者は、加害者意識を持ち、謝罪すべきです。ここで、明確な反省をしないといけません。
これは、犯罪だという認識を持つべきでしょう。いじめられた人つらさを考えれば、出てきて罪を償うべきです。
また、大津市の教育委員の上層部は、総とっかえですね。いわゆる懲戒免職にあたいするでしょう(私の勝手な言い分ですが)。隠蔽仕様とするには、普段、何もやっていないからでしょう。都合が悪いから隠蔽を試みるのです。
教育委員会の方も、なあなあな仕事ではいけないということです。大人になる過程で、どうしても、体の成長よりも、心の成長が遅行するので、そこを上手くコントロールするのも、親の役目であり、学校の役目でもあるのでしょう。
子どもの友達の名前も知らない親がいるとか聞きますが、親の無関心こそ、罪なのかもしれません。
この記事を筆者のブログで読む